2022年01月07日

●「新自由主義は英国病を克服したか」(第5646号)

 ハイエクやフリードマンが提唱する新自由主義政策を実施する
と何が起きるのでしょうか。
 その典型的な例として、英国と米国の例について、簡単にご紹
介することにします。まず、今朝は英国の例です。
 1960年〜1970年代の英国は、労使紛争の多さと経済成
長不振のため、ヨーロッパ諸国から「ヨーロッパの病人」といわ
れるほど、ひどい状態に陥っていたのです。行き過ぎた社会保障
政策によって、インフレ率がどんどん上がっていき、1970年
代には10%を超えたことはよく知られています。人々は真面目
に働かなくなり、その結果、悪性のインフレ(スタグフレーショ
ン)が進行したのです。
 とくにひどかったのは、1978年から1979年。その冬は
「不満の冬」と呼ばれ、頻発するストライキによって、暖房の石
炭にすら不自由する状況で、それはゴミの回収にも及び、ロンド
ンの町のいたるところでゴミ袋がうず高く積み上がっていたので
す。さらに墓掘り人夫までストライキを行い、死体が6週間も埋
葬されないまま悪臭を放つというような状態になっていたといい
ます。おまけに、墓掘り人夫が墓地のゲートに施錠して、葬儀の
参列者が墓に行けなくなり、墓掘り人夫と葬式の参列者が小競り
合いになる事態も発生しました。
 それでも労働組合に守られた英国の労働者は、昼の日中から、
ティータイムを楽しみ、自分の権利を、ほんの少しも譲ろうとは
しなかったのです。このような状況を指して「英国病」と呼んで
います。鉄の女といわれるマーガレット・サッチャーは、このよ
うな時期に政治の世界に颯爽と登場したのです。
 保守党党首のサッチャーは、1979年の下院議員選挙で、停
滞している経済状況を打開するために、いわゆる新自由主義政策
を掲げて選挙に大勝します。政策を具体的にいうと、「小さい政
府」「規制緩和」「政府の市場への介入の制限」「政府の国民へ
の金品の無償供与禁止」などです。サッチャーは、ハイエクの政
策を支持しており、まさに新自由主義政策を公約として掲げ、国
民に支持を訴えたのです。
 英国にも自国の現状を憂い、何とか国を立て直してもらいたい
と願う国民は多数いて、その勢力が保守党党首のサッチャーを首
相に押し上げます。サッチャーは、首相になったとき、次のよう
に語っています。
─────────────────────────────
 私は、英国を依存社会から自立社会へと変えるつもりで首相に
なったのである。座って待っているのではなく、起き上がって進
む英国である。        ──マーガレット・サッチャー
─────────────────────────────
 首相に就任したサッチャーは、大企業に有利な大幅な減税と規
制緩和を実施し、強硬な反労働組合政策をとって、従来の経済政
策を大転換させたのです。その結果、社会は大混乱になり、労働
組合はストライキを連発して対抗します。そのため、製造業は低
迷し、失業率が大幅に上昇することになります。サッチャーは、
労働組合について次のように強く批判しています。
─────────────────────────────
 ストライキを頻発させて合理化に抵抗する労働組合こそがイギ
リス経済の元凶である。    ──マーガレット・サッチャー
─────────────────────────────
 その一方においてサッチャーは、小さい政府を実現するため、
財政支出面で医療関連費用や社会保障費、教育費を削減したため
国民皆保険制度が破壊され、病院の閉鎖が相次ぐなかで、優秀な
医師が続々と海外に移住し、世界に冠たる英国の医療システムが
崩壊してしまいます。しかし、サッチャーは、国営化されていた
国のインフラ事業を次々と民営化し、規制緩和によって、自由競
争を押し進めたのですが、トリクルダウンは一向に機能せず、経
済は活性化しなかったのです。そのため財政赤字は拡大し、ポー
ルタックス(人頭税)まで強行する事態に追い込まれます。
 人頭税というのは、従来の固定資産税に代るもので、所得額に
関係なく18才以上の住民が一律に支払う税です。1989年4
月から、イングランドとウェールズで実施されています。
 しかし、低所得者に大きな負担を強いる弱者切り捨ての政策は
国民の強い反発を招き、これが原因でサッチャーは辞任に追い込
まれることになります。
 しかし、サッチャーが最も力を尽くしたのは、ロンドン金融資
本市場の活性化です。製造業の停滞で縮小していた労働者の雇用
機会を金融関連事業で吸収しようとしたのです。それに合わせて
サッチャーは「ビックバン」と呼ばれる大胆な金融政策を実施し
ています。具体的にやったことは次の3つです。
─────────────────────────────
      @    売り上げ手数料の自由化
      A銀行と住宅金融公庫の区別の撤廃
      B 証券・金融市場の海外への開放
─────────────────────────────
 これによって何が起きたかというと、いわゆる「ウインブルド
ン現象」です。ロンドンで行われるテニス大会になぞらえたこと
ばです。英国への海外からの投資が増加し、これによって英国の
伝統ある金融機関が外資によって、次々と買収されたのです。し
かし、金融部門における専門職が増加し、英国の産業が工業から
金融への脱工業化が進行し、伝統ある「ロンドン・シティ」を世
界の金融センターとして復興させることに成功しています。
 このように英国については、新自由主義政策は、いささか荒療
治ではあったものの、国を変えることに成功したといえます。こ
の荒療治のなかでインフレも抑え込まれています。現在の日本も
英国と同じ「日本病」にかかっています。約30年間もデフレか
ら脱却できないでいるからです。岸田内閣は、果たしてこの日本
病をサッチャーのように修復できるでしょうか。
             ──[新しい資本主義/第003]

≪画像および関連情報≫
 ●小さな政府」に転換したイギリス/平山往夫氏
  ───────────────────────────
   資本主義は、儲けが少なくなることは嫌なんです。利益率
  を維持する、もしくは高めたいと常に考えるのです。そのた
  めに、大きな政府から、また成長力の高い小さな政府に戻る
  のです。それをやったのが、サッチャーです。サッチャーは
  こんな経済学的なことは意識していなかった。ただ、ケイン
  ズの対局で論戦をしていたハイエクの弟子のキース・ジョセ
  フという人が経済大臣で、サッチャーは彼のアドバイスを受
  けて、小さな政府への政策を選択実行しましたが、彼女を一
  番駆り立てたのは、このまま国営企業等が増えてゆくと英国
  は社会主義国家になるのではという強い懸念でした。
   小さい政府では、政府は余計なことをしない。福祉もカッ
  ト。大学の先生の給与も病院のお医者さんの給与もカット。
  国営企業が担っている8つの部門は、民営化する。企業活動
  がより自由に行えるように規制緩和。そしてもう1つ、重要
  なのが税制改正、累進の傾きを低くするということをしまし
  た。儲かったら、その分儲けた人がより多くの所得を自分で
  使えるようにしたということです。そのほうが人は頑張るの
  で、成長力が高まるからです。大きな政府では累進がきつい
  ので、稼いだ人からより多くの税をもらいます。その分で困
  っている人を救うことも含め多くの福祉を行います。ですか
  ら大きい政府では福祉は公助です。公がやる。それに対して
  小さな政府では国は極力余計なことはしない、自助が原則で
  す。税金も少ないから儲けた人はさらに儲けようとする。追
  加投資もするから、成長率が高くなる。逆に大きな政府のほ
  うは成長率が低い。      https://bit.ly/32VmsVb
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サッチャー元英国首相.jpg
サッチャー元英国首相
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | 新しい資本主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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