2018年11月01日

●「日航機事故に政府は何をしたのか」(EJ第4881号)

 JAL123便用の800個の棺を用意したのは、東京都多摩
地域西部にある町、日の出町平井にある共和木工株式会社という
企業です。この企業は、お墓に立てる卒塔婆の生産では、実に全
国の7割を占めているし、折り畳み式棺桶では、トップクラスの
シェアを誇る日の出町のエース企業です。
 しかし、日ノ出町といえば、この場所に別荘「日の出山荘」を
持つ中曽根康弘元総理大臣を思い出します。あのレーガン元米大
統領を招いた日の出山荘です。中曽根氏は、JAL123便墜落
事件のときの総理大臣です。
 これは、あくまで推測ですが、中曽根元首相ほどの人が、自分
の別荘のある日ノ出町のエース企業と付き合いがないとは考えら
れないことです。そうであるとしたら、棺の発注が中曽根氏の意
向で、藤岡の葬儀社から共和木工株式会社に変更になったことは
十分考えられます。なぜなら、日本航空が共和木工株式会社とい
う特殊な企業を知っていたとはとうてい考えられないからです。
 そうであるとしたら、500人を超える死者が出ている最悪の
航空機事故が起きているのに見舞いにも行かず、すべて山下徳夫
運輸大臣にまかせ切りにしているくせに、棺の注文に対しては関
わっていたとなると、釈然としないものが残ってしまいます。
 対照的なのは、当時の英国のサッチャー首相の対応です。奇し
くも、同じ1985年8月22日、英国のマンチェスター空港で
ブリティッシュ・エアツアーズ28M便が、離陸直前にトラブル
が起きて炎上し、乗員・乗客55名が亡くなった事故のさい、当
時サッチャー首相は、出張先のオーストラリアからそれ以降のス
ケジュールを全部キャンセルして急遽帰国し、事故現場に直行し
ています。何という対応の違いでしょうか。
 JAL123便の墜落場所の管理を警察の司法権を超えるかた
ちで自衛隊(防衛庁)が行っていたとなると、そこには、日本国
という国家が関わってくることになります。それは、時の総理大
臣の指揮が行われたことを意味します。これほどのことをして、
時の総理大臣が何も関与していないとは、とうてい考えられない
ことです。600ページを超える中曽根氏の大著『中曽根康弘が
語る/戦後日本外交』(新潮社)によると、事故現場が二転三転
したことについては、次の記述があるのみです。
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 実際、静岡に落ちたとか、群馬に落ちたとか、情報がずいぶん
迷走していました。米軍もレーダーで監視していたから、当然事
故については知っていました。あの時は官邸から米軍に連絡はと
らなかった。しかし、恐らく防衛庁と米軍でやり取りがあったの
だろう。            ──中曽根康弘著/新潮社刊
            『中曽根康弘が語る/戦後日本外交』
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 驚くべきことに、中曽根氏は、123墜落事故のことを他人事
のようにご書いています。自分の国の旅客機が乗客乗員524人
を乗せて墜落事故を起こしたのです。本来であれは、首相として
その救難体制について、先頭に立って陣頭指揮を行う立場にある
のです。あまりにも他人事のような対応で怒りを覚えます。
 結局、直接対応に当たったのは山下徳夫運輸相です。8月12
日夜、政府は持ち回り閣議で、総理府内に運輸大臣の山下徳夫氏
を本部長とする日本航空機事故対策本部を設置し、23時に第1
回対策会議を開いています。
 実は、山下徳夫氏の場合、事故直前に福岡発東京行き366便
に偶然乗っていたのです。福岡発15時30分発〜17時00分
羽田着にです。この366便がJAL123便になるのです。
 1985年8月12日、JA8119号機は、次の5つのフラ
イトを行う予定になっていたのですが、5番目のフライトで、事
故が起きたことになります。
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  東京─札幌 503便/07時55分〜09時20分
  札幌─東京 504便/10時20分〜11時50分
  東京─福岡 363便/12時55分〜14時35分
  福岡─東京 366便/15時30分〜17時00分
  東京─大坂 123便/18時00分〜19時00分 事故
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 青山透子氏は、山下大臣の偶然の乗り合わせについて、次のよ
うに述べています。
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 事故直前に同じ飛行機による福岡発東京行き366便に偶然乗
り合わせていた。午後3時半福岡出発で午後5時羽田着のこの便
は、墜落した123便と同じ客室乗務員が乗務していた。山下氏
が座った二階席を担当したのは木原ASで、三光汽船会社更生法
申請問題で疲れ果てていた山下大臣を温かくもてなした。「お孫
さんにどうぞ」と、機内搭載のジャンボ機のおもちゃ3個を茶色
の機内用袋に入れてプレゼントした。空港から官邸に入り、その
紙袋を持ったままの山下氏は「本当に何があったんだろうね。あ
んなにやさしい気立てのよいスチュワーデスがこんな事故にあう
なんて」と、思わず涙ぐんでいた。
               ──青山透子著/河出書房新社
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
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 13日に山下運輸相は、遺族の待機場所になっている群馬県藤
岡市内の小、中学校を回り、「担当大臣として責任を痛感してい
る」と陳謝の言葉を述べています。そして、自衛隊のヘリで、上
空から墜落現場の様子を視察しています。本来であれば、この役
割こそ中曽根首相が担うべきであったと思います。
 こうした動きのなかでもう一人の主役であるべき加藤紘一防衛
庁長官が登場してこないのは異常です。この事件の主役を務めた
のは、あくまでも自衛隊(防衛庁)だからです。加藤長官は墜落
直後に自衛隊のヘリで現場上空に密かに行っているという情報も
あるのです。   ──[日航機123便墜落の真相/051]

≪画像および関連情報≫
 ●過去のEJの記述を引用しているブログ
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   もう一つ中曽根元総理の別荘における盗聴されたとされる
  発言があります。それが真実であるか否かは闇の中。その中
  の言葉に官邸からの矢の催促の撃墜命令要請に対して・・・
   「私はこんな事のために総理大臣になったわけじゃない」
  総理がみぞうの都市部墜落の大惨事を恐れて許可する条件と
  して言い出した。
  「国民に撃墜を知られないようにできるなら許可しよう」、
  目撃者が出たらどうしますかに対して「何とかしろ」「殺せ
  という意味ですか」に対して、「私をこれ以上人殺しにする
  つもりか」と怒鳴り、「何とかしろは何とかしろという意味
  だと」怒鳴っていた。<引用終わり> 以下、EJ
   JAL123便墜落事故が起こった8月12日、中曽根首
  相は身内と一緒に軽井沢で休暇を過ごしていたのです。そし
  て軽井沢駅を17時11分に発車する特急「あさま22号」
  に乗り、東京に向っています。大宮着18時52分、上野着
  は19時15分でした。この時点では首相はまだ事故を知り
  ません。18時52分といえば、JAL123便がレーダー
  から消える2分前です。
   18時24分40秒には緊急信号を発信しているのですか
  ら、大宮駅で「日航機が迷走中」という情報を首相に知らせ
  ることはできたはずですが、首相の耳には届いていなかった
  のです。上野に到着した19時15分には事故発生は確実で
  「行方不明」になっているのに、ここでも中曽根首相には報
  告されていないのです。     https://amba.to/2JponDv
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山下徳夫運輸大臣.jpg
山下徳夫運輸大臣
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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