2018年11月01日

●「日航機事故に政府は何をしたのか」(EJ第4881号)

 JAL123便用の800個の棺を用意したのは、東京都多摩
地域西部にある町、日の出町平井にある共和木工株式会社という
企業です。この企業は、お墓に立てる卒塔婆の生産では、実に全
国の7割を占めているし、折り畳み式棺桶では、トップクラスの
シェアを誇る日の出町のエース企業です。
 しかし、日ノ出町といえば、この場所に別荘「日の出山荘」を
持つ中曽根康弘元総理大臣を思い出します。あのレーガン元米大
統領を招いた日の出山荘です。中曽根氏は、JAL123便墜落
事件のときの総理大臣です。
 これは、あくまで推測ですが、中曽根元首相ほどの人が、自分
の別荘のある日ノ出町のエース企業と付き合いがないとは考えら
れないことです。そうであるとしたら、棺の発注が中曽根氏の意
向で、藤岡の葬儀社から共和木工株式会社に変更になったことは
十分考えられます。なぜなら、日本航空が共和木工株式会社とい
う特殊な企業を知っていたとはとうてい考えられないからです。
 そうであるとしたら、500人を超える死者が出ている最悪の
航空機事故が起きているのに見舞いにも行かず、すべて山下徳夫
運輸大臣にまかせ切りにしているくせに、棺の注文に対しては関
わっていたとなると、釈然としないものが残ってしまいます。
 対照的なのは、当時の英国のサッチャー首相の対応です。奇し
くも、同じ1985年8月22日、英国のマンチェスター空港で
ブリティッシュ・エアツアーズ28M便が、離陸直前にトラブル
が起きて炎上し、乗員・乗客55名が亡くなった事故のさい、当
時サッチャー首相は、出張先のオーストラリアからそれ以降のス
ケジュールを全部キャンセルして急遽帰国し、事故現場に直行し
ています。何という対応の違いでしょうか。
 JAL123便の墜落場所の管理を警察の司法権を超えるかた
ちで自衛隊(防衛庁)が行っていたとなると、そこには、日本国
という国家が関わってくることになります。それは、時の総理大
臣の指揮が行われたことを意味します。これほどのことをして、
時の総理大臣が何も関与していないとは、とうてい考えられない
ことです。600ページを超える中曽根氏の大著『中曽根康弘が
語る/戦後日本外交』(新潮社)によると、事故現場が二転三転
したことについては、次の記述があるのみです。
─────────────────────────────
 実際、静岡に落ちたとか、群馬に落ちたとか、情報がずいぶん
迷走していました。米軍もレーダーで監視していたから、当然事
故については知っていました。あの時は官邸から米軍に連絡はと
らなかった。しかし、恐らく防衛庁と米軍でやり取りがあったの
だろう。            ──中曽根康弘著/新潮社刊
            『中曽根康弘が語る/戦後日本外交』
─────────────────────────────
 驚くべきことに、中曽根氏は、123墜落事故のことを他人事
のようにご書いています。自分の国の旅客機が乗客乗員524人
を乗せて墜落事故を起こしたのです。本来であれは、首相として
その救難体制について、先頭に立って陣頭指揮を行う立場にある
のです。あまりにも他人事のような対応で怒りを覚えます。
 結局、直接対応に当たったのは山下徳夫運輸相です。8月12
日夜、政府は持ち回り閣議で、総理府内に運輸大臣の山下徳夫氏
を本部長とする日本航空機事故対策本部を設置し、23時に第1
回対策会議を開いています。
 実は、山下徳夫氏の場合、事故直前に福岡発東京行き366便
に偶然乗っていたのです。福岡発15時30分発〜17時00分
羽田着にです。この366便がJAL123便になるのです。
 1985年8月12日、JA8119号機は、次の5つのフラ
イトを行う予定になっていたのですが、5番目のフライトで、事
故が起きたことになります。
─────────────────────────────
  東京─札幌 503便/07時55分〜09時20分
  札幌─東京 504便/10時20分〜11時50分
  東京─福岡 363便/12時55分〜14時35分
  福岡─東京 366便/15時30分〜17時00分
  東京─大坂 123便/18時00分〜19時00分 事故
─────────────────────────────
 青山透子氏は、山下大臣の偶然の乗り合わせについて、次のよ
うに述べています。
─────────────────────────────
 事故直前に同じ飛行機による福岡発東京行き366便に偶然乗
り合わせていた。午後3時半福岡出発で午後5時羽田着のこの便
は、墜落した123便と同じ客室乗務員が乗務していた。山下氏
が座った二階席を担当したのは木原ASで、三光汽船会社更生法
申請問題で疲れ果てていた山下大臣を温かくもてなした。「お孫
さんにどうぞ」と、機内搭載のジャンボ機のおもちゃ3個を茶色
の機内用袋に入れてプレゼントした。空港から官邸に入り、その
紙袋を持ったままの山下氏は「本当に何があったんだろうね。あ
んなにやさしい気立てのよいスチュワーデスがこんな事故にあう
なんて」と、思わず涙ぐんでいた。
               ──青山透子著/河出書房新社
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
 13日に山下運輸相は、遺族の待機場所になっている群馬県藤
岡市内の小、中学校を回り、「担当大臣として責任を痛感してい
る」と陳謝の言葉を述べています。そして、自衛隊のヘリで、上
空から墜落現場の様子を視察しています。本来であれば、この役
割こそ中曽根首相が担うべきであったと思います。
 こうした動きのなかでもう一人の主役であるべき加藤紘一防衛
庁長官が登場してこないのは異常です。この事件の主役を務めた
のは、あくまでも自衛隊(防衛庁)だからです。加藤長官は墜落
直後に自衛隊のヘリで現場上空に密かに行っているという情報も
あるのです。   ──[日航機123便墜落の真相/051]

≪画像および関連情報≫
 ●過去のEJの記述を引用しているブログ
  ───────────────────────────
   もう一つ中曽根元総理の別荘における盗聴されたとされる
  発言があります。それが真実であるか否かは闇の中。その中
  の言葉に官邸からの矢の催促の撃墜命令要請に対して・・・
   「私はこんな事のために総理大臣になったわけじゃない」
  総理がみぞうの都市部墜落の大惨事を恐れて許可する条件と
  して言い出した。
  「国民に撃墜を知られないようにできるなら許可しよう」、
  目撃者が出たらどうしますかに対して「何とかしろ」「殺せ
  という意味ですか」に対して、「私をこれ以上人殺しにする
  つもりか」と怒鳴り、「何とかしろは何とかしろという意味
  だと」怒鳴っていた。<引用終わり> 以下、EJ
   JAL123便墜落事故が起こった8月12日、中曽根首
  相は身内と一緒に軽井沢で休暇を過ごしていたのです。そし
  て軽井沢駅を17時11分に発車する特急「あさま22号」
  に乗り、東京に向っています。大宮着18時52分、上野着
  は19時15分でした。この時点では首相はまだ事故を知り
  ません。18時52分といえば、JAL123便がレーダー
  から消える2分前です。
   18時24分40秒には緊急信号を発信しているのですか
  ら、大宮駅で「日航機が迷走中」という情報を首相に知らせ
  ることはできたはずですが、首相の耳には届いていなかった
  のです。上野に到着した19時15分には事故発生は確実で
  「行方不明」になっているのに、ここでも中曽根首相には報
  告されていないのです。     https://amba.to/2JponDv
  ───────────────────────────

山下徳夫運輸大臣.jpg
山下徳夫運輸大臣
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2018年11月02日

●「日航社長はすべてを知っていたか」(EJ第4882号)

 JAL123便墜落事件に対する中曽根首相の対応は、明らか
に一歩引いた姿勢であるといわざるを得ません。同様にもう一人
の当事者である加藤紘一防衛庁長官も事件後ぜんぜん姿を現して
いません。国家(自衛隊)が加害者であると仮定すると、その姿
勢はとてもよく理解できます。しかし、当時墜落事故の政府の対
応を批判する報道はあまりなかったように記憶しています。まさ
か政府が加害者であるとは誰も思わないからです。
 一方、加害者側である日本航空はどういう対応をしたかについ
て考えてみます。当時日本航空は半官半民で、歴代社長はすべて
経済界か運輸省からの天下りだったのです。したがって、日本航
空も政府側ということになります。
 JAL123便の遺族に、吉備素子氏(現在74歳)という人
がいます。ご主人の吉備雅男氏(当時45歳)は、塩野義製薬次
長として出張中に事故に遭遇しています。吉備素子氏は、遺体安
置所で部分遺体となった夫の遺体と対面しています。
 9月28日から49日の法要をはじめ、一連の追悼行事が行わ
れましたが、そんな慌ただしいなか、吉備素子氏は、日航本社に
高木養根社長を訪ねています。そのいきさつについて、吉備素子
氏は次のように話しています。
─────────────────────────────
 9月頃に遺族に対して日航のほうから、身元不明の部分遺体や
炭化が著しいもの、骨粉など10月中にすべてを茶毘に付すとの
連絡があってね。検視の困難さも見ていたから、それもしかたが
ない、やむを得んなあと思っていたけど。10月4日に群馬入り
したら、血液検査を頼んでいた主人の足と思われる右大腿部の大
きなものまで、茶毘に付されていて、アッ無くなっているって驚
いたんです。事前の連絡とちがう。ひどいって、私は警察ともめ
だした。世話役が間に入って、警察と掛け合ってくれたけど、日
航は警察の検視現場に入るなと言われていたのを見てたしね。現
場責任者の日航重役の人も「僕らは何もできない」と、私らと一
緒に泣いて、泣いて・・・でも、泣いていたって、こんな状態で
10月中に全部茶毘に付すのはいかん、あんたらができんのなら
ば、直接、高木社長に会いに行きましょう、本社に行きましょう
と言って東京に行ったんです。 ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 そういうわけで吉備氏は日航の本社に乗り込み、高木養根社長
に会っています。高木社長は運輸省の出身ではなく、日航生え抜
きの社長です。それにしても、いきなり日航へ乗り込んで、よく
社長に会えたものですが、当然のことながら、日航としては遺族
には気を遣っていて、最優先に会ったものと思われます。その社
長との面接で、高木社長は意外なことを言い出したのです。
─────────────────────────────
 日航本社の社長室に通されて、高木社長と実際に会って話をす
ると、山中の墜落現場にも行っていない、黒焦げの遺体も見てい
ない、彼はまったく現場を見ていない様子だった。
 そこで「あのような状態で、遺体を茶毘に付しては520名が
浮かばれない。私と一緒に中曽根首相のところに行って直訴しま
しょう。あんたの命をかけても首相官邸に行ってください。そう
言ったんです。そしたら、急に高木さんはブルブルと震えだして
『そうしたら私は殺される』そない言うて殺されるってね。何っ
て思ったら、隣に座っていた女性的な世話役も、震え上がってい
る。なんで?と思った。一緒になってフルフルしている。本当に
怯えていた。殺されるって、命かけての意味がわからんのか、お
かしい、これはもうどうしようもない状態だった」と語る。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 日本航空はこの事件の加害者の立場です。したがって、遺体の
処理に関する一切の業務をすべて担っています。したがって、ど
の時点で遺体を荼毘に付すかの判断も日本航空が決めています。
 そもそも吉備氏が日本航空に乗り込んだ目的は、遺体をもっと
調べてから荼毘に付して欲しいということです。あきれたことに
高木社長は吉備氏に事故を起こしたことについて詫びてすらいな
いのです。それに加害者のトップが墜落現場はもちろん、遺体安
置所に運ばれてくる黒焦げの遺体をすらも目にしていない。だか
ら、吉備氏が要求していることも理解できないのです。
 この時点では、既に後部圧力隔壁の修理ミスとの報道があり、
日航だけの責任ではないということになっていたし、まして自衛
隊の標的機による尾翼への激突の事実まで社長が知っていたとす
ると、ますます「オレたちのせいではない」という気持ちが強く
なります。したがって、吉備氏に会ったとき、とっさに詫びの言
葉がでなかったのでしょうか。それにしてもお粗末なことです。
 まして、吉備氏が社長が決められないなら、一緒に中曽根首相
に会いに行こうと迫ると、「そんなことをしたら殺される」と発
言しているのです。首相に会いに行こうというと、「殺される」
とはどういうことなのでしょうか。
 123便が墜落した12日の午後10時過ぎの羽田空港での出
来事です。人だかりができて、中央に中年の紳士が乗客の遺族に
胸倉をつかまれていたのです。「はっきり言え、飛行機はどうし
たんだ。どこへ行ったのか」と問い詰められています。
 中年の紳士がそれに明確に答えられないと、「お前じゃ、ラチ
があかん。社長を出せ!」という話になったのです。そうしたら
その紳士は、真っ赤に顔を紅潮させ、次のようにいったのです。
─────────────────────────────
 うちの機は、北朝鮮のミサイルに撃ち落とされたんだ。今は
 それしかわからん!!
─────────────────────────────
 この紳士は誰かというと、後に日本航空の町田副社長だったこ
とがわかっています。ここにミサイルという言葉が出てくるのは
違和感があります。──[日航機123便墜落の真相/052]

≪画像および関連情報≫
 ●死神から間一髪逃れた「キャンセル・リスト」の後半生
  ───────────────────────────
   間一髪で事故を免れた人もいる。シャープ元副社長の佐々
  木正もその1人である。今年100歳を迎えた彼が、当時の
  記憶をたぐり寄せる。昭和60年、佐々木はシャープの副社
  長兼東京支社長の職にあった。12日は自宅のある大阪に帰
  るため当便を予約していた。
   ところが前日のこと、佐々木に「明日、会えないか」と連
  絡をしてきた人物がいた。フィリップス社の東京支社長であ
  る。「オランダ本社の社長が会いたがっているというんだ。
  フィリップスとは、(CDプレーヤーなどに不可欠な)半導
  体レーザーを共同で開発したり、液晶の生産拠点を設立しよ
  うとしたりして、関係が深かった。それで年末に、社長が来
  日して食事を共にするというのが恒例だったんだが、その年
  に限ってお盆のその日になってね。だから飛行機の予約を変
  更してもらったんです」
   日航機事故のことを知ったのは、ホテルニューオータニの
  レストランで会食しているときだった。ちょうど同じ頃、大
  阪では悲鳴があがっていた。淨子(じょうこ)夫人は、夫が
  123便をキャンセルしたことを知らされておらず、いつも
  のように、伊丹空港まで迎えに来ていたのである。そこにも
  たらされたのが事故の一報。「家内は、かなり遅くまで待っ
  ていたようだ。いったんは私が亡くなったものとあきらめた
  らしいですがね。ところが東京に残って仕事をしていること
  を誰かが伝えてくれて、安心して帰宅したようです」
                  https://bit.ly/2CVRDRp
  ───────────────────────────

日航高木養根社長.jpg
日航高木養根社長
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2018年11月05日

●「機長の制服はなぜなくなったのか」(EJ第4883号)

 青山透子氏の本では、JAL123便墜落事件についての知ら
れざる事実が明らかにされてきています。それらを一つずつご紹
介していくことにします。
 JAL123便墜落事件に対して、最高の責任者であるばずの
当時の中曽根首相と加藤紘一防衛庁長官が、いかに緊張感のない
対応をしていたかを示す出来事があります。
 1985年8月13日のことです。123便事故の翌日です。
何しろ墜落現場が特定されたのが13日の朝のことですから、日
本中が騒然となっていたときです。520人の死者が確定してい
るのです。その時点では、中曽根首相も加藤防衛庁長官も地上か
らはもちろん、ヘリコプターでの墜落現場の空中視察すらしてい
ないのです。そのとき、2人がやったことについて、青山透子氏
は次のように述べています。
─────────────────────────────
 1985年8月14日のジャパンタイムズ紙によると、事故発
生の翌日、13日に中曽根首相と加藤紘一防衛庁長官が、マンス
フィールド大使同席のもとで、米軍のクラフ米太平洋軍とティッ
シュ在日米軍司令官に会い、加藤紘一防衛庁長官からクラフ氏に
勲章を渡している。その勲章は
     The First Class Order of the Rising Sun
というものであったと記載されている。そして米空母ミッドウェ
ー艦載機の発着訓練基地の確保、自衛隊の継戦能力の充実、防衛
協力に関する首相の努力等について語り合っていたという。
 (中略)しかしながら、12日に墜落事故が起きて、今まさに
現場で遺体を収容している翌日に勲章を渡すとはどういうことな
のだろうか。このようなおめでたい話には緊急性がなく、通常は
お互いに配慮して延期することも可能なはずである。
 アントヌッチ氏の証言によると「墜落上空でいち早く駆け付け
た米海兵隊を帰還させて他言無用の支持を出した」在日米軍の最
高責任者に、墜落現場にまだ行っていない首相が、何に対して勲
章を授けて上げたのだろうか。 ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 このことからわかるように、時の中曽根首相の123便事故に
対する対応は非常に冷たいものです。この事件には、米軍も少な
からず関与しているにもかかわらず、こともあろうに勲章の授与
式をやるとは何事でしょうか。ここは、延期すべきであり、延期
しても米軍に対して失礼にあたらないはずです。
 次の事実は「高濱機長」の制服の紛失事件です。これについて
は、10月25日のEJ第4876号でも事実を指摘しています
が、機長だけ制服がなくなっている事実です。
 123便のコックピットでは、左に高濱機長、右に佐々木副操
縦士、後方には福田航空機関士が座っていたのです。比較的狭い
場所であり、本来であれば、3人とも遺体は同じような状況であ
るはずです。しかし、高濱機長の遺体だけが異常であり、制服も
なくなっています。
 次は、3人の検視番号です。番号が若いほど、早く確認された
ことを意味しています。
─────────────────────────────
        高濱機長 ・・・・ 125番
     佐々木副操縦士 ・・・・  80番
     福田航空機関士 ・・・・ 461番
─────────────────────────────
 一番早く見つかったのは佐々木副操縦士の遺体です。着衣、す
なわち制服は残っていて、それで身元確認が行われています。し
かし、遺体は炭化していたのです。福田航空機関士については、
発見は遅かったのですが、服装で身元確認が行われています。制
服は残っていたのです。遺体は副操縦士と同様炭化していたので
す。しかし、高濱機長の遺体は炭化しておらず、制服がないので
す。機長だけ制服がないのは明らかに異常です。誰かが密かに持
ち去ったとしか考えられません。
 整理してみます。狭いコックピット内の3人は同じ状況である
ので、制服については、3人とも着ているか、3人とも着ていな
いかであればわかるし、遺体の状況についても、3人とも炭化し
ていないか、3人全員が炭化していないのであれば理解できるの
です。しかし、機長だけ、制服がなく、炭化していないのです。
なぜ、機長だけ状況が異なるのでしょうか。
 横田基地への着陸を自衛隊機に阻止されて、ベテランの高濱機
長は、何が起きているか悟ったものと思われます。それについて
機長は何らかのメモを書き、制服のポケットに入れたのではない
かと疑心暗鬼になったのです。そこで、最初に現場に入った特殊
部隊が機長の制服を探し、おそらく持ち去ったのではないかと思
われます。青山氏は次のように述べています。
─────────────────────────────
 あの時、機内では墜落を悟った乗客たちはそれぞれ遺書を書い
ていた。胸ポケットに忍ばせたり、社用の封筒に書き残したり、
時刻表に書いたり、様々であった。もし、機長だけがなんらかの
事実を知り、それを書き記していたとしたらと考えてみても、必
死の操縦で機体をたてなおしていた最中に遺書のようなものを書
き残すことは不可能に近い。
 あくまでも想像の範囲だが、一つの可能性として考えられるこ
とは、機長の制服の中に「何かがある」ことを恐れた人が、墜落
後に回収したのではないだろうかということだ。つまり、副操縦
士や航空機関士とは全く関係がないが、機長だけが「知った」何
か、である。そして万が一、それが表に出ては困ると考えた人が
いるのではないだろうか、としか制服の行方がわからない理由が
思い当たらないのである。   ──青山透子著/河出書房新社
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/053]

≪画像および関連情報≫
 ●遺物から迫る123便事件/隠蔽、捏造、改ざんの連鎖
  ───────────────────────────
   「朝まで燻り、炎まで上がっている現場状況、消防団の臭
  いや目撃証言を総合的に見ていくと、遺体状況の比較を加味
  して考えれば、ケロシンではそこまでならない。ジェット燃
  料のケロシンは、不時着や突発的事態によって燃料を空中に
  捨て去ることも多いために引火点も高く、きわめて安全性が
  高い」と青山さんは書く(79頁)。123便は国内線であ
  るから、残り燃料は1時間半分だけで、上野村の住民が大き
  な飛行機がくるくる回っている状況を「燃料でも捨てている
  のではないだろうか」と語っていることから、青山さんは、
  高浜機長が不時着に備えて燃料を減らしていた可能性も否定
  できないという。そうだとすれば、なおさら燃料は減るわけ
  だし、何より、夏の山は木々の繁った湿度の高い環境で10
  時間以上も炎を出してケロシンが燃え続けるというのは説明
  がつかない、とも。山火事を経験した消防団の人たちも、乾
  燥している冬山ならまだしも、夏でここまで真っ黒に燃える
  ことに疑問をもっていたという(79〜80頁)。
   今回の本の白眉は、御巣鷹の尾根から回収された遺物の科
  学鑑定である(128〜143頁)。上野村の住民たちは、
  様々な遺物を尾根から拾い集めて大切に保存していた。それ
  を青山さんが入手して、T大学(現段階ではあえて名前を伏
  せられている)の金属化学研究機関に、学術研究の一環とし
  て分析依頼を行った。      https://bit.ly/2AJHhCh
  ───────────────────────────


日本航空機長の制服.jpg
日本航空機長の制服
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2018年11月06日

●「123墜落事件関係者は全員無罪」(EJ第4884号)

 JAL123便墜落事故関連の訴訟スケジュールを以下にまと
めてみることにします。
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◎1988年12月01日
 ・群馬県警が、日本航空12名、運輸省4名、ボーイング社4
 名の合計20名を書類送検。
◎1989年01月23日
 ・前橋地検と東京地検が合同捜査開始。東京地検が米司法省を
 通じ、ボーイング社への事情聴取を求めたが、拒否される。
◎1989年09月15日
 ・前橋地検、20名全員を不起訴にする方針を固める。
◎1989年11月22日
 ・不起訴処分決定。
◎1990年04月25日
 ・遺族は、前橋地検の不起訴を不服として、前橋検察審査会に
 審査を申し出たが、前橋検察審査会が「不起訴相当」を決定。
◎1990年07月17日
 ・この事件担当の前橋地検検事正・山口悠介氏が異例の説明会
 を実施。
◎1990年08月12日
 ・公訴時効成立。
─────────────────────────────
 ここで強調しておきたいことは、JAL123便墜落事件の関
係者は、誰ひとり罪に問われることなく、公訴時効を迎えている
ことです。520名がそれによって亡くなっているにもかかわら
ず、誰も罪に問われていないのです。
 そもそも、この「検察不起訴決定」→「不服として検察審査会
での審査申し立て」→「不起訴相当決定」──これはいつもお定
まりのコースのようになっています。とくに安倍政権になってか
らは、政治家や官僚のどんな不祥事でも、この定例コースに乗っ
て不起訴になっています。検察に大きな問題があるからです。
 しかし、JAL123便墜落事件の場合は、遺族側からの強い
要望により、1990年07月17日に担当検事である前橋地検
検事正・山口悠介氏が説明会を開いています。このような説明会
を開くこと自体が異例であるうえに、その説明内容もかなり大胆
なものだったのです。
─────────────────────────────
 私が検事正になったとたん、すでにマスコミが「検察、不起訴
か」などと報道し始めた。いったい、どうなっているのかと驚い
た。さらに捜査会議を開いたら、部下の検事はだれもこの事件は
起訴出来ないと言った。それでも私は様々な角度から捜査した。
 捜査の結果、わかったことは修理ミスかどうか相当疑わしいと
いうことだ。事故原因には色々な説がある。タイ航空機の時には
乗客の耳がキーンとしたという声があったが、今回はない。圧力
隔壁破壊がいっぺんに起きたかどうかも疑わしい。
 まず、ボーイング社が修理ミスを認めたが、この方が簡単だか
らだ。落ちた飛行機だけの原因ならいいが、全世界に飛ぶ飛行機
の欠陥となると売れ行きも悪くなり、打撃も大きくなる。そこで
いち早く修理ミスとした。事故調査委員会の報告もあいまいだ。
(膨大な書類を指して)これを見ても真の原因はわからない。事
故後の機体や遺体の写真、ボーイング社、日航、運輸省関連調書
何をみても事故の報告書でしかなく、それからは本当の原因など
は何もわからない。皆さんはわれわれが何か特別に大切なものを
持っているように思っているかもしれないが、本当に原因は不明
なのです。         ──前橋地検検事正・山口悠介氏
               ──青山透子著/河出書房新社
   「日航123便墜落/疑惑のはじまり/天空の星たちへ」
─────────────────────────────
 この山口悠介検事正は大変立派な方であると思います。事故調
の最終報告に対して疑問を呈しているからです。こういう正義感
を持っている検事は今どき珍しい。事故調のメンバーは政府が決
めており、そのメンバーの出した結論に疑問を呈することはなか
なかできないことです。
 しかし、この山口検事正の勇気ある発言を遺族は悪くとったよ
うです。遺族から見ると、政府(事故調)も日航も検察もすべて
一体と考えているからです。したがって、次のようなことをいう
遺族もあったようです。
─────────────────────────────
 何をいまさら!言い逃れか!それは、あなたたち検察が十分調
査しなかった、自分の仕事をしなかったからなのではないか。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 また、山口検事正は日本航空の対応についても「整備陣もやる
べきことをやっていなかった事実もある」という鋭い批判をして
います。それに加えて、日航関係者が一貫して取り調べに関して
非協力的であったことをその会見で明かしています。
 山口検事正によると、日航関係者を任意で呼んで調べると、質
問されたことを逐一メモにとり、それ以後呼ぶ人は、まるで判を
押したように同じ答えをするというのです。例えば、検事が答え
方に苛立って机をたたくと、「×時○分、△△氏机をたたく」と
いうようにメモに書くというのです。これについて、青山透子氏
は、次のように日航を批判しています。
─────────────────────────────
 同じ会社の社員だった者として、これは許せない態度である。
彼らは整備士という仕事に人生を懸けたプロの集団だったのでは
ないか。自ら責務をもって仕事をしていたのではないか。これが
ナショナルフラッグキャリアの看板を背負って昼夜問わず働いた
仲間のすることだろうか。    ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/054]

≪画像および関連情報≫
 ●坂本九さんの死は飛行機による事故死!
  ───────────────────────────
   2015年8月15日に日本航空123便墜落事故で、坂
  本九さんの没後30周年の追悼番組がBSにて放送されまし
  た。また坂本九の奥さんが、徹子の部屋に出演したとして、
  ニュースになりました。坂本九は飛行機事故で遺体も大変な
  状況になったということです。
   坂本九さんが亡くなられたのは、日本航空123便墜落事
  故の時。事故が発生した日は夏休みの時期であり、「お盆の
  入り(1985年8月12日)」の前日であったため、当日
  の日本航空や全日本空輸、東亜国内航空の各便には出張帰り
  のビジネスマンのほか、帰省客や観光客が多く搭乗していた
  そうです。最終便が満席で乗れない客が発生することを防ぐ
  理由もあり、最終便1本前である当便はほぼ満席の状態だ。
  このため、仕事を終えて帰宅しようとした全日空の社員も自
  社便が利用できず、数名が当便に搭乗していたと記録されて
  います。この飛行機事故では4名の生存者があったことで有
  名です。
  日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日、東京
  (羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング74
  7SR−46が、ボーイング社の不適切な修理が原因とされ
  る後部圧力隔壁の破損によって、垂直尾翼と補助動力装置が
  破損し油圧操縦システムも全喪失しました。
                  https://bit.ly/2AJU0F6
  ───────────────────────────

故坂本九氏.jpg
故坂本九氏
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2018年11月07日

●「123便墜落事故と日本航空倒産」(EJ第4885号)

 JAL123便墜落事件の最も重要な関係者の1人である加藤
紘一防衛庁長官(当時)は何をしていたのでしょうか。加藤長官
に関しては、さっぱり情報が出てこないのです。ちなみに、加藤
紘一氏は、2016年9月9日に亡くなっています。
 調べてみると、123便墜落事件から1週間後の8月20日の
閣議において、加藤長官は、自衛隊の救出活動について報告して
います。通常自衛隊の活動を閣議で報告するのは極めて珍しいこ
とです。当時墜落場所の特定の遅れに世間の批判が高まっていた
ので、それを払拭するために「自衛隊はこんなに頑張っている」
ことを示すために行ったのではないかと思います。
 加藤紘一防衛庁長官について、青山透子氏は次のようにコメン
トしています。
─────────────────────────────
 加藤紘一防衛庁長官は、この時46歳。なんと今の私よりも若
い。自分を顧みるに、この時、どれほどまでの決断が出来たので
あろうか。今でこそ御実家に放火という理不尽なことを経験され
ても、真に国民を思う政治理念を曲げない意志をお持ちのようだ
が・・・。今回の事故対応を情緒的な面から物事をとらえるので
はなく、科学的に分析して、万が一次に起きた場合にどうすべき
なのかを考えるのが政治家としての務めであるはずだ。
 なぜならば、10年後の元米空軍中尉の証言通り、はっきりと
墜落地点は分かっていたのであり、それを日本側に伝えて日本側
が今救助に向かっていると言ったのを聞いているのだから、防衛
庁長官として情報がなかったとは言えない立場である。
 それにもかかわらず、墜落現場が翌朝まで特定されず、救助が
遅れたという事実・・・。なぜ分からなかったのか。また、なぜ
分からないと言ったのか、そのことを重要視すべきであろう。
 520名の命よりも優先させた何かがあった・・・。その事実
が1995年に各新聞に報道された、米軍側からの証言で明らか
にされたのだった。      ──青山透子著/河出書房新社
   「日航123便墜落/疑惑のはじまり/天空の星たちへ」
─────────────────────────────
 青山氏の文中に出てくる「10年後の元米空軍中尉の証言」と
いうのは、9月21日のEJ第4854号でご紹介した当時横田
基地所属のアントヌーチ航空士の証言のことです。
 ところで、2010年1月19日(火)の夕刻に何が起きたか
ご存知ですか。
 この日、日本航空株式会社、日本航空インターナショナル、ジ
ャパンキャピタルの3社が、東京地方裁判所に会社更生法の適用
を申請したのです。青山透子氏は11月19日の「119」が気
になったといいます。なぜなら、それは、墜落機の個別認識記号
だからです。
─────────────────────────────
           JA8119号機
─────────────────────────────
 「JA」は日本国籍、「8」はジェット機をあらわし、次の3
桁の数字「119」が個別の番号です。個別識別番号と同じ日に
倒産とは、奇妙な偶然です。まさか、倒産するとは考えられない
大企業の倒産ですが、実は、JAL123便墜落事件の全貌が明
らかにされる可能性があったのです。それは、当時の政権が民主
党政権であったからです。おそらく中曽根康弘氏と加藤紘一氏は
肝を冷やしたのではないでしょうか。これについては、このテー
マの最後に明らかにします。
 2兆3221億円の負債総額。かつて同じ会社に籍を置いてい
た人間として、青山透子氏は、時の前原国土交通大臣の更生のや
り方について次のように疑問を呈しています。
─────────────────────────────
 前原国土交通大臣は、公共交通機関である飛行機を止めない事
ばかりを強調した。それによって、ある日突然の倒産ではなく、
事前調整型の倒産は、2月20日に株式が上場廃止となったもの
の、多額の債権放棄やマイレージ保護などの報道の中で、実際に
そこで働く人々に対して、何の危機感も持たせないまま毎日の延
長上でその日を迎えさせた。これは、これから始まる企業更生に
不可欠な従業員たちの自己洞察力と自己改革、そして現実の重さ
を認識する最大のチャンスを失ったことになる。
 人間とは所詮、お金が入ってこない(お給料が人らない)現実
や解雇、さらにロビーのシャッターが朝突然閉じることや、燃料
をストップされて飛行機が飛ばない、乗客がひとりもいないなど
を経験し、崖っぷちに立たされないとどうしても倒産という現実
を受け入れられないものだからである。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 JAL123便墜落事件の加害者である日本航空に関しては、
多くの疑問があります。墜落現場に自衛隊の特殊部隊(?)と一
緒に日本航空のスタッフが相当数入っていたとの情報は多くあり
間違いないと思います。これがもし、本当であるとすると、加害
者が警察よりも早く墜落現場に入るのは、証拠隠滅もできること
になり、絶対にあってはならないことです。
 しかし、日本航空は、この事件では、政府、自衛隊とまるで一
体です。そして、山下悠介検事正が明かしているように、検察の
捜査に関しては、徹底的に非協力であったといいます。何か大き
な秘密を背負っているように見えます。
 そして、事故調が解散した後、ほとんどの関係書類は破棄され
てしまいましたが、ボイスレコーダーやフライトレコーダーは日
本航空が現在も管理しています。遺族側の代表は、繰り返しそれ
らの公開を求めていますが、日本航空は頑なに応じようとはして
いないのです。一体何を隠そうとしているのでしょうか。
 だからこそ、日本航空が倒産したとき、ここが最大のチャンス
だったのです。民主党政権は、これらをどのように処理したので
しょうか。    ──[日航機123便墜落の真相/055]

≪画像および関連情報≫
 ●JALはなぜ破綻したのか
  ───────────────────────────
   JAL破綻の直接の引き金となったのは2008年のリー
  マン・ショックだった。しかし、そうしたショックに耐える
  ことのできない脆弱な企業体質が長年にわたって形成されて
  きたことがより大きな原因だといえよう。例えば効率の悪い
  大型機材を大量に保有せざるを得なかったこと。ここでいう
  「効率が悪い」とは、供給座席が需要に対して過剰になりが
  ちであり、安売りをしてもなお空席が生じる便が多く見られ
  ることである。ただ、これは主に、日本の航空市場の特殊性
  に起因するものである。日本では、国内線の基幹空港である
  羽田空港が非常に混雑しており、大量輸送によって需要に対
  応していかなければならない状況が続いてきた。そのため、
  大型機材での運航が推奨されてきた事情がある。しかし、多
  くの地方空港が建設されていく中で、需要の大きさも多様化
  し、必ずしも大型機が望ましいとはいえなくなってきた。
   投資の失敗も大きい。ホテルなどの関連企業を増やし、総
  合的なサービスの提供による競争力の強化を図ったが、採算
  性の見通しの甘さから、採算性を見込めないものが本業の足
  を引っ張る結果となった。また、過去における長期にわたる
  為替差損も、JALの放漫経営の象徴としてよく取り上げら
  れている。労働組合の問題もある。複数の労働組合が存在し
  ているため、複雑な労使関係だけでなく、労々関係も企業経
  営を極めて難しいものとしてきた。https://bit.ly/2DkYTad
  ───────────────────────────

前原国土交通大臣(当時).jpg
前原国土交通大臣(当時)
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2018年11月08日

●「それは自衛隊の仕組まれた計画か」(EJ第4886号)

 EJでは、自衛隊の標的機がJAL123便の尾翼に衝突した
のは、あくまでアクシデントであると考えています。しかし、青
山透子氏は、もしかすると、123便にぶつけるつもりはなくて
も、123便を一応の標的として狙ったのではないかと考えてい
るようです。これは青山透子氏の仮説です。
 青山氏がそうではないかと考える根拠は、JAL123便には
次の3つの要素が揃っていることです。
─────────────────────────────
      1.機長の制服が完全に消えている
      2.JA8119には事故歴がある
      3.機長が自衛隊出身のパイロット
─────────────────────────────
 つまり、こういうことです。護衛艦「まつゆき」では、JAL
123便を敵機と想定し、国産ミサイル開発の誘導プログラムを
使って標的機を誘導しますが、すれすれのところで衝突は避ける
よう誘導して、データを収集します。データ収集が護衛艦「まつ
ゆき」の重要任務なのです。
 しかし、万が一衝突という事態になったとき、自衛隊として、
なんらかの保険が必要である──それが上記の3つの要素に適合
する飛行機であるというわけです。青山透子さんは、これについ
て、次のように書いています。
─────────────────────────────
 修理の事故歴のある飛行機が、飛行中の夕刻から夜にかかる時
間に突発的事態が発生した。その前日の8月11日まで防衛庁発
表では、国産ミサイルの開発研究で洋上訓練を行っており、護衛
艦「まつゆき」も試験運転の最中というのは紛れもない事実であ
る。これらをつなぎ合わせて考えてみると、何が見えてくるのだ
ろうか。
 試運転中に国産ミサイル開発の誘導プログラムのデータ取りが
必要であったとすれば、何かあった場合の保険として飛行機に事
故歴のあることが絶対の必要条件であったのではないだろうか。
そして、民間出身のパイロットではなく、自衛隊出身のパイロッ
トならばもみ消せるかもしれないという点が十分条件とすれば、
両者が揃うことが必要十分条件であると言える。さらに、万が一
の場合も考えると、日中よりも夕刻から夜にかけての暗さが好都
合であった、とも考えられる。 ──青山透子著/河出書房新社
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
 この場合、過去に事故歴のある飛行機と自衛隊出身のパイロッ
トという2つの条件は絶対に揃う必要があります。しかし、パイ
ロットは変更になることがよくあります。
 日本航空の場合、JA8119に高濱機長が乗務するというス
ケジュールが決まるのは、通常は1か月前です。しかし、よほど
のことがない限り、この日の高濱機長の乗務の変更はあり得ない
のです。どうしてかというと、この日の高濱機長の乗務は、佐々
木副操縦士の機長昇格実技審査を兼ねていたからです。
 そうであるとすると、対象として選ぶ飛行機は、JA8119
(日本航空123便)しかあり得ないということになります。自
衛隊がそのような計画を本当に実施するとは常識では考えられな
いことですが、仮説としては成立します。青山透子氏は、その仮
説を立証するためにも、墜落現場にある遺物の鑑定や分析をはじ
めたと自著に書いています。
─────────────────────────────
 全体の安定性を優先する裏に、実は隠したい何かが潜んでおり
その究極の理由は、他者のためでも国益のためでもなく、自己満
足や保身である場合が多い。隠したい側の人間は、特に自覚する
ほどの小心さに支配され、あらゆるプレッシャーに耐えて組織と
の折り合いをつけて生きる術を身につけてきた人間とも言える。
そういう人は異論や違和感のあるものは受け入れ難い。おそらく
この仮説についてもそうであろう。
 もし少数者が主流となり得る方法があるとすれば、それは絶対
的証拠物の提示である。それが出てこないと多数者は異論を支持
することに安心できないのである。そこで、御巣鷹の尾根に残さ
れた遺物から、科学的方法によって推定の裏付けができないだろ
うかと考えて、その証拠物を分析することにしたのである。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 もうひとつ、青山氏の本でないとわからない関連情報がありま
す。それは1978年に大阪空港で起きた日航機のしりもち事故
を担当した検査官の自殺です。1987年3月17日付の夕刊各
紙が伝える報道は次の通りです。
─────────────────────────────
 1987年3月17日の各紙夕刊報道によれば、17日の早朝
午前五時頃、機械電子検査検定協力職員で元運輸省東京航空局羽
田駐在航空機検査長のS・Tさん(57歳)が、浴室で殺虫剤を
飲んで死んでいるのを家族が見つけた、とある。遺書もあったた
め、日航ジャンボ機墜落事故で群馬県警から事情聴取を受けたこ
とに気落ちしての自殺とみている。Tさんは、1978年に大阪
空港で起きた日航機しりもち事故当時、検査官をしていた。事実
上の飛行許可である耐空証明を出していたことから、同月10日
から群馬県警特捜本部より参考人として事情聴取を受けていた。
運輸省航空局は、大変なショックを受けている、しりもち事故担
当の検査員の年長者であり、非常にまじめでおとなしい人だった
と語っている、とある。     ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 JAL123便墜落事件で、520人が亡くなっただけではな
く、自衛隊にも日本航空にも複数の自殺者が出ています。そう考
えると、この事件の真相を明らかにする責務が関係者全員にある
と思います。このまま幕引きはできないのです。
         ──[日航機123便墜落の真相/056]

≪画像および関連情報≫
 ●安倍首相と中曽根元首相の発言の類似性
  ───────────────────────────
   先日、あるジャーナリストと会談をした際、彼は思わず、
  「まさか自衛隊がそんなことするはずないじゃないですか」
  とおっしゃった。その根拠を尋ねるとうーんと沈黙された。
  つまり、誰でも心の中に、まさか、という思いがあって、ど
  うしてもその現状を受け入れがたいという心理が働く。私が
  ヒューマン・リソース、人的資源戦略や顧客心理の授業をし
  ていた時に、よく学生たちと一緒に考えてきた心理である。
   「まさか、そんな事は起きないと思っていた」は、重大な
  事態が何か起きてからでは、特にプロならば言い訳にはなら
  ない。一般的なニュースを見ても、例えば「いつもおとなし
  いあの人がまさか殺人者とは」、「一家で仲が良さそうだっ
  たのにまさか親子で殺し合いとは」とか・・よくある近隣関
  係者へのインタビューの会話である。まさかという「魔の棲
  む坂」を登って冷静に上から見てみると、下からでは見えて
  こない何かが見えてくるのである。
   さて今回は、第一章で重点的に読んでほしい部分を取り上
  げる。今日において防衛費が膨張し続けている中で、現在の
  安倍首相は長距離巡航ミサイルと一基約1千億円の陸上配備
  型弾道ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」2基導
  入を検討しているそうだが、この話は実は1985年8月7
  日の中曽根康弘元総理大臣の言動と非常に似ている。日航1
  23便墜落の5日前、防衛庁(当時)は地対艦ミサイル部隊
  新設と地対空ミサイル部隊の新型パトリオットミサイルへの
  切り替えを国防会議で公式に報告した。
                  https://bit.ly/2OrFdTl
  ───────────────────────────

JA8119/JAL123便.jpg
JA8119/JAL123便
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2018年11月09日

●「上官の命令には絶対服従すべきか」(EJ第4887号)

 青山透子氏が123便墜落事件の一連の著書において、一番強
調しているのは「遺体の損傷度のひどさ」です。あまり文章にし
たくない表現ですが、青山氏の表現によると、「遺体はベンゼン
と硫黄の含まれたタール系の燃料で二度焼きされている」という
ことになります。何度も引用させていただいていますが、遺体と
遺物だけで、次の一冊の本にまとめられているのです。
─────────────────────────────
           青山透子著/河出書房新社刊
     『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
 この本のなかで青山氏は、今なお事件を隠蔽しようとする関係
者に対して、次のように強い怒りをぶつけています。
─────────────────────────────
 一般人が手に入るはずもない武器燃料で焼かれた可能性をどう
説明すればよいのだろうか。成分分析の結果とこれらの写真を見
比べながら、私は心の底から湧き出てくる激しい怒りを覚えた。
こういう実態を直視せずに、33年間もこれを放置し続けてきた
ことへの強い憤りと当時の関係者への怒り、そして人間性への失
望である。何も知らなかった私たちは、この事実が捻じ曲げられ
て気付かなかったことで、結果的に隠し通してきた人間の思う壷
になっていたことは否めない。
 事故だとしても「二度も焼かれる」必然性はなく、乗客のみな
らず15人の社員も焼かれた日航はこれをどう受け止めるのか。
何もせずに、このまま見て見ぬふりをするのであれば、日航も加
担したと言われても仕方があるまい。それほどまで生データの開
示をしないのであれば、逆に生のボイスレコーダーに真相が記録
されていることが明白となる。政府が隠蔽し、その指示であるか
らといって、いつまでも情報を開示できないことで大きな罪を背
負っていることを自覚しなければならないのである。
 日航123便が墜落したきっかけは過失であったかもしれない
が、その後の対応で早急な救助ができたにもかかわらず、意図的
にしなかったのは重大な不作為の犯罪である。さらにべンゼンと
硫黄の含まれたタール系の燃料を使って現場を燃やしたとなれば
少なくとも死体損壊罪ともなる。もしも殺人事件であれば、時効
は成立していない。       ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 それが事実であるかどうかは別として、飛行機の推進力を失い
つつも、一人でも多くの生存者を出そうとして、なおかつ不時着
を試みるJAL123便に、追尾するファントム戦闘機に対して
「ミサイルを発射せよ」という命令が出されたとします。血も涙
もない命令であり、明らかに犯罪です。この場合、ファントムの
操縦者は、その命令を拒否することはできないのでしょうか。
 池田昌昭氏による「仮説による対話」に、上官からミサイル発
射の命令を出されたファントム内における上官と部下の対話の一
部を再現します。ファントム機内における上官と部下の対話です
が、部下は命令の実行に抵抗しています。
─────────────────────────────
・自衛隊は国家機関の背骨であり、自衛隊は弱みを国民に見せて
 はならない。自衛隊がガタつけば今の支配者にとっても国民の
 批判が集中し、今までの特権や権益が失われる。今までやって
 きたことが無駄になる。
・相手は、民間機です。戦争用の飛行機ではない。多数の民間人
 が搭乗しています。
・だから、極秘に作戟を行うのである。
・「天網恢恢疎にして漏らさず」のことわざの通り、悪事は必ず
 露呈することなのです。
・「天知る、地知る、吾知る」のことわざの通りなのです。分か
 らなければ良いのである。
・現に標的機の訓練のことは誰も知らない。知っているのは一部
 の幹部だけである。
・そのためには、秘密裏にことを運ばなければならない。「蟻の
 一穴」のことわぎがある。情報が漏れないように、しかも情報
 をコントロールし、国民の目を真実から逸らすのである。
             ──池田昌昭著『御巣鷹山ファイル
       /JAL123便墜落事故真相解明』/文芸社刊
─────────────────────────────
 軍隊では、上官の命令には絶対服従しなければならないことに
なっています。自衛隊では、自衛隊法第57条に次のように定め
られています。
─────────────────────────────
(上官の命令に服従する義務)
 第57条:隊員は、その職務の遂行に当っては、上官の職務上
の命令に忠実に従わなければならない。
─────────────────────────────
 しかし、ドイツでは、「軍人法」という法律の第11条に「服
従」という規定があり、次のように定められています。
─────────────────────────────
(1)兵士は上官に従わなければならない。兵士は最大限の力で
   命令を完全に良心的に、かつ遅滞なく実行しなければなら
   ない。ただし、命令が人間の尊厳を侵し、勤務目的のため
   に、与えられたものでない場合は、それに従わなくても、
   不服従とはならない。
(2)命令は、それによって、犯罪が行われるであろう場合には
   兵士は命令には従ってはならない。
   ──ドイツ「軍人法」第11条/青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 どうでしょうか。自衛隊法の規定は、あまりにも簡単過ぎ、ど
のようにでも解釈ができます。こういうところから、パラハラが
生まれてくるのではないかと思います。
         ──[日航機123便墜落の真相/057]

≪画像および関連情報≫
 ●軍隊では上官の命令に絶対服従か/ヤフー知恵袋
  ───────────────────────────
  【質問】
  「兵士」は上官の命令に絶対服従ですか ?
  もしそうだとすると、自分の良心に反することも「命令」に
  よってはしなくてはならないのでしょうか、だとすればある
  意味「奴隷」に近いです。そこであらためて、最初の質問で
  す。「兵士」は上官の命令に絶対服従ですか ?
  【回答】
  ID非公開さん
  先生から聞いた話。先生は戦時中陸軍の下士官でした。ある
  日士官学校を出たての少尉と電車に乗ったところ、目の前に
  座っていた男が洋書を読んでいたそうです。上官はいきなり
  その男の首を掴んで往復ビンタをして「この戦時下に敵性国
  家の本を読みやがってー」と怒鳴ったそうです。
  ところがその本はドイツ語で、殴った相手は海軍大佐だった
  からさあ大変。次の駅でおろされて上官はボコボコに。「陸
  軍の少尉がいつから海軍の大佐より偉くなったんだ。判るま
  で立っておれ」と命令され、結局上官の上官が海軍に謝りに
  行き「陸軍ではドイツ語と英語の差が判らんらしい」とかさ
  んざん嫌みを言われ許して貰うまで立っていたそうです。上
  官は帰隊後上官からボコボコにされ、以来すっかり借りてき
  た猫みたいにおとなしくなったそうです。「上官の命令は天
  皇陛下の命令と思え」なんて言って、突っ走るのも怖いです
  よね。             https://bit.ly/2D9eloU
  ───────────────────────────

中曽根康弘元首相/加藤紘一元防衛庁長官.jpg
中曽根康弘元首相/加藤紘一元防衛庁長官
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2018年11月12日

●「任意提出のビデオを返さない警察」(EJ第4888号)

 JAL123便墜落事件に関する真相について、国(政府)は
徹底的に隠す方針です。ここで「国」というのは、政府(自民党
政権)、行政機関、日本航空が一体になった概念です。それにし
ても、国と行政機関はわかるとしても、加害者の日本航空まで完
全に政府と一体化して、真相解明を阻んでいるのは理解に苦しむ
ところです。
 現在、生のボイスレコーダーは日本航空が管理しています。事
故調査委員会は、刑事事件は不起訴決定となったため、日本航空
に返却したのです。したがって、それを公開するかどうかは、日
本航空の判断でできることになります。遺族会としては公開を求
めていますが、日本航空は、今度は機長、副操縦士、航空機関士
の遺族の手前もあるという理由で公開を拒んでいます。拒む理由
になっていません。
 公開するかしないかは一応日本航空の判断としているものの、
おそらく政府(自民党)から「絶対公開するな」という強い指示
が出ているはずです。実際に当時の運輸省は、情報公開法の施行
前に、日航123便墜落事件関連の資料をおよそ1トン分を破棄
しています。森友問題で日本の行政機関は、自分たちの都合で、
重要な文書を平気で廃棄してしまうことを知ってがくせんとした
ものですが、ここでもやっているのです。これに関して、青山透
子氏は、次のように述べています。
─────────────────────────────
 前橋地検の検事正が遺族への報告会で、「時効はないのだから
すべての資料は永久保存する」という話をしており、遺族側もそ
れを望み、将来公開してくれ、と言っている。それを無視して廃
棄した当時の運輸省の公務員としての重い責任も問わなければな
らない。つまり、誰もが聞くことができ、誰もが閲覧できるよう
にしてこそ、それが真実であると言えるのであり、本物を聞かせ
ていない、見せていない、その閉鎖的な現状からは、調査した側
にとって都合の良い部分だけ抜き取った改ざん資料と言われても
仕方がない。
 今もなお森友・加計問題同様、脈々とその「伝統的な方法」で
仕事を続けているとすれば、時の政府に迎合し、恣意的な仕事を
する国家公務員に信頼性などないと断言されるのは当然である。
それとも、政治家からの強い圧力に屈したということなのだろう
か。            ──青山透子著/河出書房新社刊
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
 青山透子氏は、JAL123便の垂直尾翼を回収した海上自衛
隊護衛艦「まつゆき」が、相模湾でどのような訓練をしていたの
か、防衛省に、ダメもとで、情報開示の法律に基づいて、行政文
書開示請求をしてみたのです。
 そうしたところ、防衛省の事務局から電話があり、次のように
いってきたそうです。
─────────────────────────────
 これに関する文書はない可能性があるので、請求されても見つ
かりませんから、請求を取り下げたらどうですか。
               ──青山透子著/河出書房新社
   「日航123便墜落/疑惑のはじまり/天空の星たちへ」
─────────────────────────────
 これもまことにヘンな話です。わざわざ電話してくるのもヘン
ですが、はじめからないと決めつけているのです。もっとも演習
内容などは国家機密であるといわれてしまえば、それまでのこと
ですが、請求者がどういう人物か知ったうえで、電話をしてきた
ものと考えられます。
 もっとひどい話があります。押田茂實氏という人がいます。D
NA型鑑定第一人者として、法医学の世界で活躍してきた人で、
123便墜落事件でも、群馬県藤岡市民体育館における遺体の確
認作業も参加し手伝っています。そのとき、学術的な研究のため
身元確認状況を撮影した8ミリフィルムとビデオを少しでも役立
てばと警察に任意提出したのです。
 ところが、その8ミリフィルムとビデオがいつまで経っても返
却されないのです。そこで押田茂實氏は、2017年5月22日
付で群馬県警警察本部長宛てに手紙を出し、すべてを返却するよ
う催促したのです。
 そうしたら、群馬県警から3人の警察官が押田氏の家にやって
きて次のようにいったというのです。
─────────────────────────────
 ビデオは、はい、あります。8ミリ3本とベータ2本ですね。
見ました。あまりに凄すぎて、お返しできない。
              ──青山透子著/河出書房新社刊
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
 任意提出された物品を警察が没収し返却しない。あり得ないこ
とです。警察としては無理は承知でそういっている感じです。返
却して、それが公開されるのを明らかに恐れているのです。これ
について、青山氏は次のように怒りをぶつけています。
─────────────────────────────
 それは33年も経って刑事事件の資料でもない上に、所有者が
明確にわかり、学術的に大学で使用する目的で撮影したものであ
る。任意提出であるにもかかわらず、何の権限があって返さない
と言えるのかと呆れてしまった。それはまるで、「警察に自分の
財布を預けてくれと言われて預けておき、あとで返却してくれと
いったら、財布の中身がお金でいつぱいで凄すぎて返せない」に
等しい強弁である。いつから日本の警察は勝手に他人のものを没
収できるようになったのか。これは明らかに業務上横領罪であっ
て、他の警察官を呼んできて、3人を逮捕してもらわなければな
らない事件である。        ──青山透子著前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/058]

≪画像および関連情報≫
 ●群馬県警と東京新聞の不思議な関係/青山透子氏
  ───────────────────────────
   群馬県警が自分たちが著作権者の捜査資料を、このタイミ
  ングで東京新聞に提供したようですが、記事にはどこから入
  手と書いていない不思議な記事です。恐らく群馬県警自ら開
  示したのでしょう。ご遺族には「実は内々で、群馬県警から
  こういう資料を入手しましてこれに対するコメントを」と東
  京新聞記者が持って行ったのでしょう。だから、コメントの
  冒頭から、群馬県警はよくやってくれたという会話に繋がっ
  たと容易に想像出来ます。
   しかしながら、この書類を前橋地検に渡していたのであれ
  ば、起訴可能だったはずだと弁護士も語っているように「予
  見可能性出来たので起訴すべきだった」というコメント通り
  起訴出来たはずです。群馬県警が今回、わざわざ出したこと
  が裏目に出たと思います。そして起訴出来なかった理由が他
  にある、と思われても仕方がありません。
   恐らく、この記事によって日航と運輸省の無責任さを前面
  に出して、過去を正当化する方向付けをしたかったのだろう
  と推定されます。さらに拙著にて、当時の河村本部長に関す
  ることや群馬県警が当時の学術ビデオを今でも返還しない、
  という、業務上横領的な発言をしたことに対する罰の悪さと
  も言えます。メンツを優先させたのか、自分たちの正当性を
  言いすぎると、逆におかしいことが明らかになるものです。
                  https://bit.ly/2QvQVhF
  ───────────────────────────

藤岡体育館に集められた遺体.jpg
藤岡体育館に集められた遺体
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月13日

●「日航機墜落事件と秘密保護法制定」(EJ第4889号)

 昨日のEJでご紹介したDNA型鑑定の第一人者である押田茂
實氏が、大学での法医学教室での講義に使うため、藤岡体育館の
遺体安置所での検視風景や身元確認状況を撮影した8ミリとビデ
オについて再度取り上げます。この事実は重要だからです。
 押田茂實氏はこれらを任意で群馬県警に提出しています。とこ
ろが、群馬県警は33年間も経過しているのに一向に返却してく
れないのです。その経過を青山透子氏の本から引用します。
─────────────────────────────
◎2017年 5月22日
  押田茂實氏が群馬県警察本部長「山本和毅」殿あてに手紙を
 出す。内容は、日航123便遺体安置所の学術用ビデオ返却の
 依頼である。
◎2017年 5月24日
  午前中、捜査一課長補佐、U氏より電話あり。今後の窓口と
 なるとの説明。若干の時間的猶予をくださいとのこと。
◎2017年 8月10日
  電話があり、折り返し午前10時08分にコールバック。8
 月23日(水)の午後1時に神楽坂法医学研究所に訪問予定と
 の連絡。
◎2017年 8月23日
  午後1時、群馬県警察本部より3名が押田氏の事務所に訪問
 してきた。警察は「お返しできない」と主張。押田氏の「文書
 で回答願いたい」について、警察は「はい」と答えて帰った。
◎2017年11月 1日
  電話連絡14時21〜26分。県警より「返却不可。書類回
 答できない」との返答。
◎2017年12月 4日
  16時40分。電話にて刑事部理事官Sと名乗る人物から、
 「例のビデオは返却できません」との返答。押田氏の「警察の
 最終結論ですか?書類でいただけませんか」との問いに対して
 「そういうことはできません。では・・」と電話を切られる。
              ──青山透子著/河出書房新社刊
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
 警察とは、とくに法令順守を一番に心がけて仕事をしなければ
ならない役所です。それなのに、任意で提出した個人の所有物を
没収して返却しないのです。どういう法律で警察にはそれが許さ
れているのでしょうか。
 そういう法律はありません。したがって、もし押田氏が法的手
段に訴えたら、群馬県警は敗訴することになります。だからこそ
そのときに不利になる文書は絶対に出さないのです。しかし、法
医学者は、警察と関係の深い仕事であり、まさか法的手段にまで
出ないと考えているフシがあります。
 このことに関係する情報がネット上にあります。以下はそのブ
ログに基づいて記述します。
 2009年に念願の政権交代を成し遂げた民主党は、自民党が
長期政権の間に国民に隠していた重大な事実を暴くことに意欲を
燃やしていたのです。
 しかし、民主党政権下で行われた日米密約に関する調査は、日
本への核持ち込み密約(1960年1月の討論記録)への評価に
見られるように、日米の合意文書そのものの存在は認めつつ「密
約ではない」として本質をゆがめ、国民をだましてきた国家的犯
罪を見逃しました。
 沖縄核密約(合意議事録)に関して民主党政権は、調査期間中
に張本人である佐藤栄作元首相の自宅から原文が発見されたにも
かかわらず、存在そのものを否定するという異様な姿勢です。し
かし、沖縄返還交渉の米側担当官であるハルペリン氏がその存在
と有効性を証言したことは重大です。
 実は民主党政権は、JAL123便墜落事件についても真相究
明に取り組んでいるのです。2010年8月、JAL123便墜
落事件の再調査を、当時国土交通大臣である前原誠司氏が中心に
なって行っています。それは、日本航空が会社更生法を申請し、
社長に京セラの稲盛和夫氏が就いたことに関係があります、稲盛
氏は前原誠司氏の支援者です。稲森氏は、JAL123便墜落事
故に政治犯罪が隠されていることに気が付き、再調査をやるよう
前原氏にアドバイスしたといわれています。
 思えば、JAL123便墜落事件の真相解明は、このときが最
大のチャンスだったといえます。なぜなら、政権が交代し、日本
航空の社長が国土交通大臣前原誠司氏の支援者、稲盛和夫氏だっ
たからです。
 しかし、どうしたことか、前原国土交通大臣は、2011年7
月に123便の事故解説書を公開し、あろうことか、事故原因は
後部圧力隔壁の損傷であると結論づけたのです。この頃はこの説
が生存者の証言などからありえないことがわかっていたにもかか
らわず、平然とこの説を主張したのです。
 この前原誠司氏の結論は、密約文書が佐藤栄作元総理の家から
発見されたにもかかわらず、明文化された密約文書は存在しない
という岡田克也氏の生煮えの結論と同じであり、国民を大いに失
望させたのです。一体何を守ろうとしたのか、それとも脅された
のか。現在の民主党の残党の政党が国民の支持を得られないのは
自民党では絶対にできなかったこれらの調査を実行して欲しいと
いう国民の期待を裏切ったからです。
 法律を冒してまでビデオを返そうとしない群馬県警のケースの
ように国家には絶対に国民に秘匿しなければならない政治犯罪が
あるということからなのか、2011年12月に野田佳彦前首相
は「秘密保護法」を策定するのです。何もかも民主党です。これ
によって野田佳彦氏率いる民主党は、これら戦後2つの政治犯罪
をいったんはパンドラの箱を空けながらも、再びそれらを闇から
闇に葬り封印したのです。これらの首謀者たちは「無所属の会」
にいます。    ──[日航機123便墜落の真相/059]

≪画像および関連情報≫
 ●日本航空123便墜落事故を検証する
  ───────────────────────────
   このように特定秘密保護法案が策定された経緯を知れば、
  この法案の弱点がわかる。そう、日本航空123便墜落事故
  の事故原因である。事故原因が後部圧力壁ではないことは、
  世界の航空関係者が知っている。事故の生存者の証言でも機
  内の圧力は下がっていないのだ。
   しかし、重要なポイントは、中曽根政権がこの事故を死人
  に口無しとばかりに、人命救助をしないばかりか生存者を殺
  害したことである。これを問題とさせないために、事故原因
  の究明に遺族や関係者の目を向けさていることに気がつかな
  かればならない。
   日航機123便墜落事故は、航空機事故というよりも、証
  拠隠滅のための殺戮という事件であり、国際刑事裁判が審査
  する事案であるのだ。日本側が主張する後部圧力壁の損壊を
  事故原因とするために、当時の中曽根政権は、外交ルートを
  通して、ボーイング社と後部圧力隔壁を事故原因とする口裏
  合わせを要請しているはずだ。この外交文書が、米国の公文
  書の公開で明らかになれば、国際刑事裁判所も動かざるをえ
  なくなるだろう。日航123便墜落事故の政治犯罪の首謀者
  である中曽根康弘は存命中である。かれは、この事件の真相
  を墓場まで持っていくと公言している。この法案を成立をほ
  くそ笑んでいるのは中曽根康弘なのだ。(中略)法案が成立
  した現在、日航123便墜落事故を調査をした者は逮捕され
  てしまう。この政治犯罪を証明するのは、特定秘密保護法が
  適用されない日本国外の日本国籍以外の人たちに託すしかな
  い。              https://bit.ly/1DMzYqT
  ───────────────────────────

佐藤栄作/非核三原則.jpg
佐藤栄作/非核三原則
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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