青山透子氏は指摘しています。それを4つにまとめます。
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1.遺体は墜落現場の広範囲に広がっていたが、それらの遺体
に沿うように大火災になっている。
2.ディズニーランド帰りの乗客が多かったが、お土産のミッ
キーマウスは意外に燃えていない。
3.燃料貯蔵箇所の左右主翼から遠いところまで燃えているが
遺体のない場所では燃えていない。
4.生存者が発見された場所は、山頂からはまったく見えない
場所で、火災は全然起きていない。
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青山透子氏は著書のなかで事実しか述べていません。したがっ
て読者は、その事実から青山氏がいわんとしていることを読み取
る必要があります。
1の「遺体に沿うように大火災になっている」というのは、遺
体に対して、墜落後火炎放射器のようなもので、火炎を吹き付け
たのではないかということです。どうしてこのようなことをする
必要があるのでしょうか。
まして、123便の高濱機長は、最後まで不時着を試みている
ことがわかっており、事前に少しずつ燃料を減らしていることは
確実で、朝まで燃えるような大火災になどならないはずです。
2は遺体に対して何らかの火炎を吹き付けたことの傍証になる
ものです。墜落現場では、当然燃えてもいいはずのものが燃えず
に残っているのです。
1983年4月15日に東京ディズニーランドが開園している
ので、その2年後ということで、123便の乗客にはディズニー
ランド帰りの人が多く、墜落現場ではそのお土産のミッキーマウ
スが散乱していたといわれます。ミッキーマウスは化繊でとても
燃えやすいはずですが、燃えていないのです。遺体だけに火炎を
吹き付ければそうなります。
3は、発火源であるはずの燃料貯蔵箇所の左右主翼のある近く
でもあまり燃えておらず、それとは逆に左右主翼からかなり離れ
ているところでも燃えているところがあるとの指摘です。いずれ
にしても、遺体のない場所は燃えていないのです。
ちなみに、客室乗務員の制服はほとんど燃えていなかったとい
われます。服の素材は果して不燃布なのでしょうか。遺体は炭化
しているのに服は燃えていないスチュワーデスの遺体もあったと
いいます。しかし、青山透子氏は、そのような話は訓練所でも聞
いていないとして次のように述べています。
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紺色のワンピースが燃えずに綺麗な状態で残っていたというが
よほどその印象がつよかったのだろう。「あの制服は燃えないに
違いない」と確信するほど、11名の女性客室乗務員の服装は焼
けていなかったということになる。実はその時、私は疑問を持っ
たのである。普通のニットの素材であったし、私も訓練所でもそ
ういう話は一切聞いていない。もし、そのような素材ならば、エ
マージェンシー訓練の際に必ず言われていたはずである。なぜ、
スチュワーデスの制服がいずれも綺麗な状態だったのだろうかと
私の心にその言葉がずっしりと重く残った。
──青山透子著/河出書房新社
『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
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ここで「あの制服は燃えないに違いない」といったのは、その
とき現場で精力的に歯型の検死活動を行っていた土肥福子歯科医
師(当時木村福子)です。群馬県歯科医師で警察医である大国仁
医師の助手として検死に活躍していたのです。
その土肥福子氏は、機長の遺体の制服について、次の疑問を呈
しています。
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それから機長さん、あれは本当にわからなかった。どうしてな
んでしょうね。副操縦士さんとか、隣の席でもそこまでひどくな
い。機長さんは私たちのところにきたのも、服も何もなくなって
骨のこれだけしか検死箱に入ってなかったですから。制服はどこ
に行ったのでしょうね。 ──土肥福子歯科医
──青山透子著/河出書房新社の前掲書より
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これは奇怪なことです。コックピット内の操縦席で、機長の隣
の席に座っていた副操縦士やすぐ後ろの席の航空機関士は、服装
や所持品で身元確認ができたのです。遺体は炭化していましたが
欠損はなかったといいます。
しかし、機長については、肉体的原形をとどめないほどバラバ
ラになっており、遺体も顎の一部しか発見されず、制服のかけら
も燃えカスすらも発見されていないのです。これは、一体どうい
うことなのでしょうか。
少なくともいえることは、墜落現場の遺体の状況は、飛行機が
山の斜面に激突したままの状態ではなく、その後、人為的に何か
が加えられていることは確実だということです。
4は生存者の発見された場所です。青山透子氏によると、機内
の客席最後部(Eコンパートメント)だけが、墜落現場からかな
り離れたスゲノ沢方面に滑落し、山頂からはまったく見えない場
所であったということです。この場所は、火災が発生していない
のです。おそらく墜落場所に最初に乗り込んだ一団(自衛隊特殊
部隊といわれる)は見落したのではないかと考えられます。
このスゲノ沢の遺体の状態は「完全遺体」が多かったことから
墜落直後は、相当の生存者がいたと思われます。そのことは生存
者の一人である落合由美氏の証言で明らかになっています。もっ
と早く自衛隊が救助活動に入っていたら、きっと多くの生存者が
出たものと思われます。
──[日航機123便墜落の真相/046]
≪画像および関連情報≫
●墜落遺体/御巣鷹山の日航機123便
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「何だこれは・・・」毛布の中から取りだした塊を見て、
検視官がつぶやく。塊様のものを少しずつ伸ばしたり、土を
落としたりしていくうちに、頭髪、胸部の皮膚、耳、鼻、乳
首二つ、右上顎骨、下顎骨の一部、上下数本の歯が現れてき
た。二歳くらいの幼児。顔の損傷が激しく、半分が欠損して
いる。それなのに、かわいい腰部にはおむつがきちっとあて
がわれている。
五二〇人という数字も大変だが、実際に回収される遺体は
数千体にもなっている。「目が三つある死体があるのですぐ
来てください」中には一週間もたっていないのに白骨化して
いるのもある。
連日の猛暑のため、遺体に蛆が湧き、腐敗の進行も早いた
め、数日後からの回収遺体は原形をとどめていないものが多
く、確認作業は困難を極めた。焦点が合わないんです」写真
担当の若い巡査が、カメラを両手でもったまま泣きべそをか
いている。 https://bit.ly/2Pg9gSu
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●画像出典/青山透子著/河出書房新社の前掲書より
遺体安置所で検死する木村福子歯科医