2018年10月05日

●「墜落現場を避ける時の中曽根首相」(EJ第4863号)

 JAL123便が墜落したのは、8月12日、18時56分の
ことです。このとき、時の総理中曽根康弘氏は、軽井沢発17時
11分の特急あさま22号に乗車して、上野駅に向っていたので
す。上野駅到着は19時15分。これほどの大事故ですから、必
ず事故のことは首相に伝えられているはずですが、携帯電話のな
かった時代です。列車内の連絡電話を利用しているはずですが、
中曽根首相はどの時点で事故を知ったのでしょうか。
 自衛隊の公式発表によると、19時1分にファントム2機が百
里基地から飛び立ち、20分後に墜落現場上空で燃えている地上
の炎を確認しています。これが正しいとすると、中曽根首相が上
野駅に着いた時点では、123便墜落事故を知らなかったことに
なります。しかし、2012年に執筆されている『中曽根康弘が
語る/戦後日本外交』(新潮社刊)のなかでは「軽井沢から東京
に戻る列車の中で午後7時過ぎに聞いた」と書いています。とい
うことは上野駅に着く前に連絡があったということです。
 特急あさま22号は19時15分に上野駅に到着。上野駅から
はパトカー先導で官邸に向っていますが、本来なら19時30分
には着いていなければならないのですが、着いたのは19時50
分。ここに20分間の空白があります。官邸で待ち構えていた記
者たちから、123便墜落のニュースを聞き、「ほう、そうなの
か」と答えています。
 これはあくまで推測ですが、中曽根首相はもっと早い時点──
18時31分に浜松基地から2機のファントムが発進(自衛隊は
これを否定)した頃から、首相には逐次情報が伝えられていたの
ではないかと思います。
 つまり、護衛艦「まつゆき」から発射された標的機が、JAL
123便に衝突し、垂直尾翼を破壊したあたりから、乗客乗員を
救出することではなく、政府の現体制と自衛隊を守るため、この
事件をいかに隠密裏に処理するか、軍事作戦のプロフェッショナ
ルが絵図を描いて実行したと池田昌昭氏はいうのです。池田氏は
これについて次のように述べています。
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 水際立った墜落現場特定の遅れの手法。水際立った救助活動の
遅れの手法。水際立った事後の報道統制。水際立った事後の真の
事故原因究明隠蔽工作。複雑に錯綜する事態の推移の糸を束ねる
ことのできる頭脳の良さと、コンピュータのちからでは謀れない
統制力。紙の上での図上計画を実施に移し、しかも現実生起情勢
の変化に機敏に対応できる機動力と決断力。事件の風化をジッと
待つ辛抱強さ、根気強さ。これらの一連のことに何かを感じない
か。先に、先にと考えは進む。つまり、事後の手際の良さが却っ
て不自然さを感じさせるのである。危機管理の専門家の存在を予
想させる。
 本当であれば、ヘリコブタ一搭載の暗視装置等の活用で現場特
定は直ちにできていたはず。従って夜間救出もできなかったわけ
ではないはず。報道も、もっと徹底して、事故原因を究明してい
たはず。事故調ももっと深く突っ込んで事故原因を解明できたは
ず。それら一連のことがすべて一致して、先に、先になされたよ
うな感じがする。とするとすべて、先に、事前に仕組まれていた
のであろうか?
 もしこれらがシナリオ化されていたと仮定すれば、それは手慣
れた勢力の存在が予測される。そういったことに手慣れている勢
力である。軍事作戦発動プロフェショナルの存在が予想される。
周到で綿密な計画と事後統制力。その糸に操られているものも、
その操り糸にまったく気が付かないくらいの冷静な手法。ただそ
の間に潜みしものは、表に出ないで聞に潜んでいることに意義が
あるのである。表に出てしまっては、闇の意味がなくなるのであ
る。                ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル2/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
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 その後の中曽根首相の動静を見ると、墜落場所が自分の地元で
あるにもかかわらず、中曽根首相は墜落現場には足を運んでいな
いのです。何しろ乗客乗員520人が亡くなっているのです。日
本の首相として一刻も早く現場に行き、遺族を慰める義務があり
ます。それができないのはそこに何かがあるのです。
 墜落事故の10日後の8月22日は、「中曽根政権発足千日の
記念すべき日」だったのです。この日、中曽根首相は軽井沢にお
り、そこで次のコメントを出しています。
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 今日まで政治を遂行出来て望外の幸せである。防衛問題につい
ては、非常に慎重に手続きを尽くしてやっていきたい。新しい防
衛計画は何しろ財政が厳しいので、質的効率化を中心に計画が練
られるべきだ。文民統制を全うする手順、内容を考えて進めて行
くことが大事だ。防衛費の対国民総生産(GNP)比1%枠を撤
廃することについて維持は困難だ。出来るだけ1%以内に収める
努力は続けると申し上げてきた。──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
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 このように、中曽根政権発足千日のコメントでも、日航機12
3便事故については、まったく触れていない。軽井沢に長くいて
さすがにゴルフは自粛したものの、テニス、水泳、読書にいそし
んでいるのに、123便の墜落現場には、足を向けようとはしな
かったのです。
 9月11日には、茨城県筑波へ科学万博の見学に自衛隊のヘリ
コプターで行っているのですが、自衛隊市ヶ谷駐屯地からわずか
19分で万博会場に着いたことで、大変ご満悦であったといいま
す。なぜ、墜落現場に足をのばそうとしないのでしょうか。
 結局、中曽根首相が墜落現場に行ったのは、事故後3ヶ月が経
過した11月4日だったのです。あまりにも遅過ぎるし、遺族に
対して失礼であると思います。彼は、やましいと考えているので
しょうか。    ──[日航機123便墜落の真相/033]

≪画像および関連情報≫
 ●日航ジャンボ機墜落事故と中曽根康弘
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   9月12日は、1985年の日航ジャンボ機墜落事故から
  33年となった。多くの遺族らが花束や線香などを手に、墜
  落現場の御巣鷹の尾根に慰霊登山に訪れたようである。
   この尾根には『昇魂之碑』が設けられ、慰霊登山者はここ
  で手を合わせる。中には熱心な方もいられて、身近にこの事
  故の犠牲者を慰霊するためだけの専用の神棚を設けられてい
  るそうである。
   しかし、この方は遺族ではない。遺族でもないのに、専用
  の神棚を設けているのは、多分彼だけだろう。こんなに熱心
  なのに、一度も御巣鷹の尾根に慰霊に訪れたことがない。車
  で行ける『慰霊の園』も訪れたことがない。事故現場のすぐ
  隣の群馬出身で、地元にはよく帰られているのにもかかわら
  ずである。
   何かちょっと違和感を感じないだろうか?その方の名前を
  『中曽根康弘』という。この事故が発生した時の内閣総理大
  臣である。この事故の真相を知る人物である。真相を知るど
  ころか私は当事者本人だろうと思っている。事故は事故だっ
  たのだろうが、その真実を覆い隠すための工作を指示した本
  人である。その中曽根氏も今年の5月27日で100歳をむ
  かえたという。彼は、この事故についての真相を『墓場まで
  持っていく。』と語ったとされる。中々持っていけないよう
  である。しかし、焦る事はない。死んでからじっくりとこの
  事故と向き合うことになるだろう。
                  https://bit.ly/2IActGp
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当時の中曽根康弘首相.jpg
当時の中曽根康弘首相
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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