2018年10月01日

●「123便はミサイルで撃墜された」(EJ第4859号)

 1985年8月12日の夜に、仲間2人とオフロードバイクで
JAL123便の墜落現場に入ったMさんの証言をもっと詳しく
見ていくと、大きな疑問がいくつも出てきます。その疑問をまと
めると、次の4つになります。
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 1.墜落現場では、自衛隊とみられる70〜80人が暗視ゴー
  グルを付けて何やら現場から“破片”とみられるものを採取
  する作業をしていた。何を採取していたのか。
 2.自衛隊員とみられる一団は、当時現場には50人ほどの生
  存者が呻き声を上げて苦しんでいたにもかかわらず、救助し
  ようとはせず、破片採取に専念していたこと。
 3.墜落現場近くの上空にはヘリがホバリングしており、自衛
  隊員が採取した物質を入れたバッグを数十個単位で釣り上げ
  て運搬していた。明らかに救助ではないこと。
 4.Mさんと2人の仲間は、生存者10人ほどと話しをしてい
  るが、そのなかには、指を負傷しただけとみられる男性もお
  り、すぐ死ぬような状況でない人もいたこと。
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 疑惑はたくさんあります。まず、いえることは、墜落後の早い
時点で墜落現場に入っていたのは、本当に自衛隊員だったのかと
いう疑惑です。少なくとも同じ自衛隊であっても、何か災害が起
きたとき、現場に駆け付ける救助のための自衛隊員でないことは
確かです。これについては後から検証します。
 続いて、彼らは50人ほどの生存者を救助せず、ひたすら何を
採取していたのかです。それは、明らかに証拠隠滅行為です。も
し、123便に標的機が衝突したのであれば、それを示す証拠と
なるものを収拾したことになります。
 しかし、生存者といっても、様々であり、Mさんによると、な
かには、指を負傷しただけの人もいたようです。つまり、生き残
る人も相当出ることは十分予想されたのです。生存者が苦しんで
いるのを無視して、破片採取作業に専心する自衛隊員を見て、後
になって、生き残った人たちが自衛隊を訴えるという事態を彼ら
はなぜ想像できなかったのでしょうか。なぜなら、それはあまり
にも非人道的行為だからです。
 しかし、それは杞憂に過ぎなかったようです。なぜなら、自衛
隊員のそういう行為を目撃しているはずの人たちは、全員死亡し
ているからです。Mさんが指摘している指を負傷している生存者
も死亡していることになります。
 生存者を見殺しにしてまでして、彼らが捜していたものが何で
あるかについてのヒントが、既出の角田四郎氏の本にあります。
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 私は、8月18日の現場登山の帰り道、偶然一片のアルミ合金
製と思える金属片を拾ってしまったことを前にも述べた。その金
属片を米軍の友人になんの説明もせず、(日航機事故の件も伝え
ず)見せた。彼は航空機の整備を担当している。
 彼の答えは、私のド肝を抜いた。「たぶん」と疑問詞を付けて
慎重に、しかしはっきりとこう言った。
 「ミサイル」(This is missaile.)
 「まさか!」(Not really !)
 「たぶん、ミサイル」(Mybe missaile.)
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
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 この事実は、実に恐ろしいことを示唆しています。相模湾の上
空付近で、護衛艦「まつゆき」が発射したとみられる標的機が、
JAL123便の尾翼に命中し、尾翼が破壊されたとしても御巣
鷹山に墜落した123便の残骸のなかに、ミサイルの痕跡が残っ
ているはずがないからです。もし、123便がミサイルで攻撃さ
れない限りの話ですが・・・。
 私が感じた同じようなことを角田四郎氏は、ミサイルの記述の
後で、次のように書いています。
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 しかし、私は一方でこれは米軍友人の見立て違いだと思ってい
る。何故なら、たとえ事故が国にとって重大な損失を生むからと
いっても、現実に空を飛ぶ一自衛隊員は我々の近くにいる普通の
若者と変わるところはない。いかに上官の命令であっても一般人
が乗っている。民間航空機に向けてミサイルを発射撃墜するなど
という行為をできるわけも、するわけもないからである。私はそ
う信じたいのだ。
 他方、では一体あの墜落前の光や後をついていった流れ星のよ
うなものや私の捨得した金属片、そして最後の異常な急降下をど
う説明すればよいのか、と思い悩んでしまう。
                ──角田四郎著の前掲書より
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 自衛隊機のミサイルによる123便の撃墜説──この立場を明
確にとっているのは池田昌昭氏です。池田氏の2冊目の本のタイ
トルは、そのものズバリ『御巣鷹山ファイル2/JAL123便
は自衛隊が撃墜した』(文芸社刊)となっています。この本が刊
行されたのは、1998年9月10日のことであり、随分早くか
らこの説を主張されていることになります。
 ここで留意すべきことがあります。ここで「撃墜した」という
のは、標的機が123便の尾翼に当たったという意味ではなく、
文字通り自衛隊機が、ミサイルを発射し、123便を撃墜したと
いう意味です。
 自衛隊機が、尾翼を失って瀕死の民間機をミサイルで撃墜する
──自衛隊がこんな残酷なことをするはずがないと誰でも考えま
すが、事の経過をたどってみると、推理上はそういう結論に行き
着かざるを得ないのです。そうでなければ、墜落現場からミサイ
ルの金属片が発見されるはずがないからです。
         ──[日航機123便墜落の真相/029]

≪画像および関連情報≫
 ●日航機墜落はミサイル攻撃によるもの
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   また、あの日航機墜落の夏がやってくる。最近、日航機墜
  落の真実を追及するブログにより、新たな情報が書かれるよ
  うになった。その中でも、「日航機墜落の真実を求めて」の
  ブログが、「自衛隊員の自殺率の嘘」と題して書かれたブロ
  グを挙げ、事故が起きた1985年の翌年1986年7月頃
  から日航機の真相を仲間や身内にばらした自衛官らは殺され
  ているようで、自分も殺されると察したある自衛官は友達に
  2枚の自殺した同僚の航空自衛官(1986年7月)の現場
  写真と決定的な証拠写真を託して、その自衛官自身も2ヵ月
  後の9月12日に自殺させられたようだというのです。
   その写真は、自殺させられたと思われる写真と倉庫にあっ
  た落ちた尾翼部分(資料AB)で、明らかにオレンジ色の物
  体とその塗料がくっついたままの状態の写真です。これは明
  らかにミサイルもしくはその標的機がぶつかったことを示す
  決定的な証拠です。
   これらの出典となった「週刊文春」の記事を探していると
  ころです。とりあえず、それを引用したブログを挙げてみま
  した。これから推測すると、ミサイル攻撃を受けて垂直尾翼
  をなくした日航機は墜落。それを隠蔽するために目撃・処理
  した自衛官だけでなく、乗客などの命も奪われた可能性もあ
  ります。つまり、ミサイルが日航機に衝突して墜落しただけ
  でなく、ミサイルが追突したとなれば、自衛隊の存在もアメ
  リカとの関係にも支障をきたすという何らかの理由で、この
  事故を隔壁の亀裂による修理ミスとして処理するために、ま
  だ生きていた乗客も放置され、現場処理にあたった自衛隊員
  も自殺させられたというショッキングな出来事となります。
                  https://bit.ly/2NayXhV
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角田四郎氏の持ち帰った金属片.jpg
角田四郎氏の持ち帰った金属片
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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