2018年09月21日

●「なぜ救助ヘリは降下しなかったか」(EJ第4854号)

 墜落場所を特定し、4機がその上空に飛来しながら、救助せず
引き上げる──通常では考えられない冷酷さです。軍事評論家の
ガブリエル・中森氏はある週刊誌で次のように述べています。
─────────────────────────────
 メイ・サバイブ、シャル・サバイブ″(生きているかもしれ
ないなら、必ず生かす)──これがアメリカのレスキューのモッ
トーです。現場にたどり着き、死んでいるのを確認しないかぎり
生きていることが前提。現場に降りることが不可能だったのなら
なぜ上空を旋回しながら、ラウド・スピーカーで激励したり、ラ
イトを当ててやらなかったのか。救援に来ていることを知らせる
だけで、精神的な支援になる。それがレスキューの基本である。
                  ──ガブリエル・中森氏
            『週刊宝石』/1985年9月6日号
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 KV−107ヘリは救難用のヘリコプターです。そうであれば
投光機や拡声機は必ず備わっているはずです。上空から見る限り
では、確かにほとんど生存者は望めない絶望的な状況とみられる
ものの、それでも地上に降りて、死んでいるのを確認しない限り
生きているものとして最善の努力を講ずる──これが米国のレス
キューの精神ということですが、その精神は日本であっても同じ
であると思います。
 もし、空から光をあて、拡声機で「大丈夫ですか。いま降りま
すから、頑張ってください」と何回も声を掛けたら、瀕死の重傷
の人でも「これで助かった」と思うはずです。生きる望みを持つ
からです。しかし、日本のKV−107ヘリは、かなり遅く墜落
現場上空にやってきて、1650メートルまで降下しながらも、
明りを照らすことも、拡声器で励ますこともせず、現場を離れて
います。
 青山透子さんの本に次の記述があります。生存者の落合由美氏
の証言に基づいていると思われます。
─────────────────────────────
 ガーガーガーンと強い衝撃の後、様々な固形物や砂が次々と頭
にぶつかり、体が宙に投げ出された。左目は砂にまみれて目が飛
び出したように痛い。口は乾き、砂でいっぱいだ。シートベルト
が体に食い込んでお腹がちぎれそうに苦しい。
 「はあ、はあはあ」と荒い息遣いをしながら、つい先ほどまで
の身の毛もよだつ恐怖がよみがえる。「ああ、墜落したのだ。大
変な事故を起こしたのだ」
 周辺からも、はあはあと、荒い息遣いが聞こえてくる。「おか
あさん」「早くきて」「ようし、僕は頑張るぞ」そんな声も聞こ
えてくる。すると、闇の中からヘリコプターの音が、近づいてき
た。夏山特有の湿り気のあるもったりとした空気が、一瞬にして
かき乱される。バリバリバリと爆音をたてて、木々の葉を大きく
揺らしながらゴーゴー、パパバーとホバリングを始めた。辺り一
面、埃や砂、機械の臭いが舞い上がる。
 「ああ、私は生きている、これで助かる」全身の痛みをこらえ
かろうじて動くほうの右手を必死に空に向かって伸ばした。「助
けてください、私は・・ここに・・と、夢中で手を振る。「助け
て」「帰っちゃいや」「誰か来て」 そのような何人もの声をか
き消すように、ヘリコブターは、爆音と共に段々と遠くへ去って
いった。周りでは、はあはあと何人もの荒い息遣いだけが聞こえ
てきた。           ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 これは実に残酷な話です。重傷を負った生存者にとって、ヘリ
コプターが近づいてくる音は、生きる希望が持てますが、去って
いく音は絶望を感じるものです。日本の自衛隊は、生存者救出に
は、最大限の努力をするので世界的にも定評があります。
 ましてJAL123便には乗客乗員524名が乗っているので
す。自衛隊のヘリは、百里基地と入間基地から、それぞれが墜落
現場上空まで行っているのに、なぜ、危険を冒してでも、地上に
降りようとはしなかったのでしょうか。それは、これまでの自衛
隊の献身的な救助の在り方とは違う感じがします。こういうとこ
ろから、上の方から「現場には降りるな」という命令が出ていた
のではないかという噂がでてくるのです。これはけっして陰謀論
などではありません。
 これは、一番最初に墜落現場上空に到達しながら、横田基地へ
の帰還命令を受けたC−130のアントヌーチ航空士のケースと
関係があります。C−130は、墜落現場を特定すると、直ちに
横田基地の海兵隊に救助の要請をし、海兵隊のヘリは墜落現場に
向いつつあったのです。ヘリが到着するまでの時間は約1時間、
その間、C−130は、墜落機残骸の上空2000フィートで旋
回し、墜落現場までの方位を計測し、レーダーで地上から空中ま
でを探索するなど、するべきことを着々とやっていたのです。
 8時50分までに救援ヘリのライトを視認でき、ヘリは偵察の
ため、さらに下降しようとしていたのです。
 そのときです。横田基地から「ただちに帰還せよ」という命令
がきたのです。C−130の指揮官、ジョン・グリフィンは「司
令官、海兵隊は救助続行を希望しております」と伝えたものの、
「繰り返す。即刻、基地に帰還せよ。海兵隊も同様である。救助
は日本側が向かっている」と命令されたのです。
 軍においては上官の命令は絶対です。やむを得ず、救助を諦め
て、C−130は横田基地に帰還します。横田基地に帰還すると
第861戦術飛行隊副司令官、ジェエル・シルズ大佐にクルー全
員が呼ばれ、報告後、こういわれたのです。「ご苦労だった。今
回のことについてマスコミには一切他言無用である」と。これも
きわめて不自然なことです。何か大きな力が働いていることは確
かです。     ──[日航機123便墜落の真相/024]

≪画像および関連情報≫
 ●なぜ墜落地点の発見は遅れたのか?
  ───────────────────────────
   1985年8月12日18時24分、日本航空123便は
  羽田空港から離陸して大阪伊丹空港へ飛ぶ途中で突如、胴体
  後部の隔壁破壊により垂直尾翼が破損し、飛行機の操縦に必
  要な油圧装置の作動油(ハイドロ液)という液体が流れだし
  てしまい、操縦が困難な状態に陥ってしまいます。
   その直後に緊急事態を知らせる二次レーダー信号「スコー
  ク7700」を発信しつつ、関東の空の運行を管理している
  東京交通管制部(東京ACC)と交信して非常事態を知らせ
  ました。そして、18時28分には航空自衛隊も同じ二次レ
  ーダー信号「スコーク7700」を受信して、直ちに中部航
  空方面隊の中央救難調整所(ROC)が情報を集めはじめ、
  18時56分に墜落したと無線傍受から判明すると、19時
  01分には百里基地のF−4EJ戦闘機が捜索の為にスクラ
  ンブル発進しました。
   19時15分にはたまたま墜落現場付近を飛行していたア
  メリカ空軍のC−130輸送機が、19時21分には百里基
  地より離陸したF−4EJ戦闘機二機が墜落現場の火災を発
  見して、位置を報告しました。この時に位置を突き止める為
  に使われたのはTACAN(戦術航法装置)というシステム
  で、通常は飛行機が空を飛ぶときに今何処にいるかを測定す
  る為のものです。無線局から発信される信号を捉えて、飛行
  機の飛んでいる位置を割り出す事が出来ます。
                  https://bit.ly/2xhLV8H
  ───────────────────────────

C−130輸送機.jpg
C−130輸送機
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(2) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
RDF Site Summary