2018年01月17日

●「久米宏への不満が椿事件の原因か」(EJ第4684号)

 椿事件については多くの記述がありますが、そのほとんどは、
テレビ朝日側が良くないというスタンスに立った意見です。しか
し、多くの情報を集めてみると、やはり、自民党の度重なる報道
圧力が原因といわざるを得ないのです。その直接原因はテレビ朝
日の報道番組「ニュースステーション」にあったのです。椿報道
局長(当時)は、次の2つの理由を上げています。いわば「ニュ
ースステーション」は自民党の目の敵にされていたのです。
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1.選挙前数年間、自民党側からの「ニュースステーション」
  久米宏氏に対する風当たりが強かったというより暴力的で
  あったと考えている。
2.山下厚生大臣(当時)が「『ニュースステーション』のス
  ポンサーの商品名はボイコットすべきである」というよう
   な発言があったこと。
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 久米宏氏がメインキャスターを務めるテレビ朝日の「ニュース
ステーション」は、全4795回の平均視聴率が14・4%とい
う報道番組としては圧倒的な人気番組だったのです。
 私もなにか政治的な事件が起きると、「これを久米宏はどのよ
うに料理するか」と考えて、毎日番組を見たものです。とにかく
刺激的な番組だったと思います。
 環境問題の専門家で、ニュースステーションにたびたび出演し
た青山貞一氏は、久米宏氏について次のように述べています。
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 久米さんは、歯に衣着せぬ物言いと言うより、ぽろっと本音を
言ってしまう。それも事前の打ち合わせを無視し、「生番組」で
何でもかんでも言ってしまう。番組が終わる前は、CMの前にぽ
ろっと本音を言ってしまう。そんなところに最大の個性と価値が
あったと思う。
 他方、久米さんは政権政党、とくに自民党を公然と真っ向から
批判してきた。その結果、自民党にニュースステーションは徹底
マークされ攻撃を受けてきた。よく言われるのは事実と意見(価
値判断)をないまぜにすると言った批判だ。確かにこれはごもっ
ともだが、久米さんは、それを何ら意に介せず、視聴者に向かっ
て久米流を貫徹した。キャスターは、原稿を読み上げるアナウン
サーではない。まさにたたかうキャスターであったと言える。
 一口で言えば、政権政党に喜ばれるような政府広報的な報道や
大本営的な報道は到底報道とは言えない、と言う意味で久米ニュ
ースステーションは、報道の本道を歩んできたことになる。
                   http://bit.ly/2EHclll
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 このように「ニュースステーション」は、視聴率の高い人気番
組であっただけに、そこで自民党が批判されると、そのダメージ
は大きかったのです。番組が始まったのは1985年10月7日
であり、小泉政権の2004年3月26日に終了しています。な
ぜ終了したかというと、久米宏氏の希望であったといわれます。
その理由を久米宏氏自身は、次のように明らかにしています。
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 「政治とテレビの関係」にあったのかもしれないと今になって
思う」。2001年に小泉政権が誕生した際、マスコミを巧みに
利用した「小泉劇場」の演出に結果的にテレビが加担したことで
「そこに生じたテレビと政治のいわば『不義密通の関係』。政治
とテレビの関係に嫌な予感を覚えたことが、『そろそろ潮時だ』
と決めるに至った原因ではなかったか」。
                   http://bit.ly/2r4rWcJ
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 田原総一朗氏は、久米宏氏の「ニュースステーション」を高く
評価し、次のようにコメントしています。
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 「ニュースステーション」という番組は、権力に対する監視装
置だったといえる。久米宏氏がまた報道の世界に戻ってきてくれ
たら面白い。               ──田原総一朗氏
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 このように、自民党は「ニュースステーション」に対してたび
たび威圧を加えており、テレビ朝日側としては大きな不満が充満
していたことは確かです。しかし、椿貞良元テレビ朝日報道局長
を衆議院の証人喚問に引っ張り出すことに成功したものの、自民
党は、そのとき政権を失っていたのは皮肉な話です。
 証人喚問は、どういう状況だったのでしょうか。証人喚問は、
1993年10月25日に行われており、衆議院政治改革特別委
員会で次のように行われています。今となっては、懐かしい名前
が並びます。
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     衆議院政治改革特別委員会/石井一委員長
     ◎自民党質問者
      谷垣貞一議員、町村信孝議員
     ◎共産党質問者
      矢島恒太議員
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 1993年7月の衆議院解散は「嘘つき解散」といわれていま
す。同年5月31日に時の宮沢首相は「総理と語る」(NHK)
という番組で、ジャーナリストの田原総一郎氏からインタビュー
を受けたさい、「今国会中に衆議院の選挙制度改革をやる」と断
言したのです。しかし、実際には自民党内の意見をまとめきれず
に次の国会へ先送りしたことに野党は反発し、通常国会閉幕直前
に日本社会党・公明党・民社党が共同で内閣不信任決議案を提出
したのです。当時自民党は衆議院の過半数を握っていたので、当
然否決できると思われたのですが、党内から造反者が続出して可
決されたのです。これが「嘘つき解散」と呼ばれるゆえんです。
            ──[メディア規制の実態/008]

≪画像および関連情報≫
 ●「嘘つき解散」の造反劇の内幕
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   (うそつき解散)の造反劇は、前年に党内最大派閥・経世
  会の会長・金丸信が東京佐川急便事件で逮捕されたことに端
  を発している。金丸が去った後、派内人事や、金丸の処遇を
  巡って、小渕恵三・橋本龍太郎・梶山静六らと、小沢一郎・
  羽田孜・奥田敬和・渡部恒三らとの対立が表面化し、竹下派
  七奉行による激烈な主導権争いを繰り広げた。最終的には派
  閥オーナーである竹下登の工作もあって、小渕が経世会会長
  に就任した。小沢らは小渕派経世会を脱会し、羽田を先頭に
  改革フォーラム21(羽田派)を結成した。これによって党
  内最大派閥は完全分裂し、小渕派は党内第4派閥、羽田派は
  第5派閥に転落した。
   そして、その後の党役員の人事にあたって、宮澤が小渕派
  を優遇し羽田派を冷遇したことで、羽田派は宮澤内閣に対し
  て態度を硬化させる。羽田派は非主流派として、宮澤内閣に
  「政治改革関連法案を絶対に通すべきだ」と強く迫り続けた
  が、結局同法案は党内からの反対もあり廃案となり、これが
  羽田派の内閣不信任案へ賛成票を投じる結果に至った。羽田
  派に属していた船田元・中島衛の2閣僚も、それぞれ大臣の
  職を辞して不信任案に賛成票を投じた。自民党内閣への内閣
  不信任案採決の際に自民党議員が欠席・棄権した例は他にも
  あるが、不信任票を投じたのはこの時のみである。
                   http://bit.ly/2DAv1El
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「ニュースステーション」当時の久米宏氏.jpg
「ニュースステーション」当時の久米 宏氏
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | メディア規制の実態 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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