2017年08月09日

●「『石原VS内田』の凄まじい暗闘」(EJ第4580号)

 もう一度東京都知事のポジションについて考えてみる必要があ
ります。石原慎太郎氏は、自民党の国会議員でしたが、だからと
いって、都議会自民党から支援を受けられるかというと、それは
関係がないのです。なぜなら、東京都知事も都議会議員も都民か
ら直接選挙で選ばれるからです。
 石原氏が1999年4月に都知事選に出馬したとき、都議会自
民党は、当時の森喜朗自民党幹事長とともに、元国連事務次長の
明石康氏を担いで、石原氏と戦っています。したがって、都議会
自民党と自民党にとって石原陣営は敵なのです。ちょうど小池知
事が立候補した状況とよく似ています。
 まして石原氏は、1995年の衆院本会議で勤続25年表彰を
受けた際の挨拶で議員辞職を表明しています。そのとき、おおよ
そ次のような刺激的な発言をしています。
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 私が所属する自民党を含めてすべての政党は、最も利己的で卑
しい保身に走っている。このような何もしない政党には、とても
いる気がしないので、この機会に国会議員を辞職したい。
             ──石原慎太郎衆議院議員(当時)
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 それだけに、1999年に突如都知事選に出馬を表明したとき
は、都民からかなりの驚きをもって受け止められ、既成政党批判
の受け皿にもなって、都知事選に勝利を収めています。しかし、
こういう状況で誕生した都知事は、都議会の運営には相当の苦労
を強いられるものです。石原都政も副知事人事すら決まらない状
況で最初からつまづいたことは、既に述べた通りです。
 権力というものは、それが何であれ、長期化すると、必ず腐敗
するものです。都議会自民党も長い間にわたって、自分たちの天
下がいつまでも続くように、それこそ営々と数多くの利権を作り
上げてきたのです。彼らにとってときどき代わる都知事に対し、
何かというと「二元代表制」を口にし、知事と都議会は車の両輪
であると主張し、どんな知事が誕生しようとも、何ら恐れること
はなかったのです。
 自分たちに従わなければ知事を潰すし、知事が従えば是々非々
で協力するものの、利権には知事といえども絶対に手を触れさせ
ない姿勢を堅持したのです。それが如実にあらわれたのは、20
09年の都議会議員選挙です。民主党が自民党に勝利し、政権交
代を成し遂げた年の都議選です。
 このとき、都議選で自民党候補は大量落選し、東京都連幹事長
を務めていた内田茂氏も落選しています。この事態に石原知事を
はじめ東京都選出の自民党国会議員たちは、チャンス到来とばか
り、内田氏を都連幹事長の座から外そうとしたのです。しかし、
それは失敗し、内田氏は落選議員でありながら自民党東京都連幹
事長の職を続け、利権を死守しています。
 そのときの自民党東京都連の混乱を元東京都議会議員で、現在
「都民ファーストの会」の代表を務める野田数氏は、ブログで次
のように述べています。
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 当時の石原慎太郎知事も加わり、石原伸晃都連会長以下、都連
の国会議員は、落選した内田氏を都連幹事長から外そうとしてい
た。しかし、都議会議員の数が圧倒的に多く、多勢に無勢であっ
た国会議員と石原知事は、都議会議員の抵抗になすすべがなかっ
た。加えて東京都連の幹事長職は、東京都内の各級選挙の公認権
を持ち、業界団体に対しての影響力も強いため、小選挙区選出の
国会議員は最後まで抵抗しきれなかったのである。そのときの抵
抗も内田氏本人が前面に出るのではなく、側近で現議長の川井し
げお氏(当時)が数少ない国会議員の前で机をバンバン叩いて威
嚇していたという。私も会派の控え室で「内田先生じゃないとカ
ネ作れないじゃないか!」と凄んでいるのを聞いたことがある。
        ──「私は「都議会のドン」内田茂の裏の顔を
       ここまで知っている!」 http://bit.ly/2aZ0sd3
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 2005年5月18日のことです。腹心の浜渦副知事が百条委
員会で答弁を偽証と認定された日の6日後です。石原知事は長男
の伸晃氏の仲介で、内田茂議長と話し合っています。その会談の
目的は浜渦氏を辞任させるので、告発を見送って欲しいという要
請であると思われます。
 内田議長はそれを了承し、ある提案をします。それは石原知事
の三男である宏高氏のことです。当時宏高氏は、みずほ銀行を退
職して、2003年11月の衆院選に東京3区から自民党公認で
出馬したものの落選し、浪人中であったのです。
 たまたま宏高氏の東京3区の隣の4区で、2005年10月に
補選が予定されていたのです。不祥事で同区の中西一善・自民党
衆院議員が辞職したことによる補選です。内田氏はこの4区の補
選で宏高氏が立候補するなら、東京都連として公認を出し、応援
すると提案します。東京都選出の国会議員は、選挙のさいは都議
会議員の応援を受けるので、願ってもない提案です。
 結局、石原知事は、息子を人質にとられ、「浜渦辞任」と「宏
高公認」を取り引きしたのです。実際には宏高氏は、この補選で
はなく、同年9月に突如行われた小泉首相による「郵政選挙」で
東京3区から立候補し、民主党(当時)の松原仁氏を破って初当
選しています。
 しかし、流石の内田茂氏も、腹心の川井前議長も、小池百合子
知事の前では何もすることができず、内田氏は自らの後継者も先
の都議選で当選させられなかったのです。都議会自民党は、20
09年の都議選のときより惨敗し、23名しか当選者を出すこと
しかできなかったのです。公明党と同数です。
 東京都知事が地域政党を立ち上げ、多数の候補者を擁立し、当
選させることによって知事自身の勢力を作る──これは今までの
都知事には誰もできなかったことであり、都議会を改革する新し
い方法であるといえます。  ──[中央卸売市場論/027]

≪画像および関連情報≫
 ●「都議会のドン」内田茂の裏の顔をここまで知っている!
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   2011年7月1日に自民党所属都議会議員の樺山卓司氏
  が自殺した後、都議会上層部のご機嫌取りかウケを狙ったの
  かわからないが、若手の議員たちがこぞって樺山氏の自殺を
  揶揄するような発言をしていた。さらにベテラン議員たちも
  また酒の肴のように冒涜を通り越した言葉を発していたので
  ある。若手からベテランまで、まるで「ポイント稼ぎ」とし
  か思えないような異常ないじめ方だった。
   樺山氏が自殺した時も多くの国会議員に相談したが、誰一
  人として声を上げてくれる人はいなかった。みんな厄介ごと
  のように、樺山氏の問題を封印したのである。この自浄能力
  のない自民党都連が現状のままなら、都民にとっては不利益
  しか与えないだろう。
   東京都議会は首都東京を牽引する議会だから、開かれた議
  論闊達な場だとお思いの有権者も多くいただろうが、実態は
  そのようになっていない。都議会を一言で言えば、ムラ社会
  であり、ムラ議会なのである。議論など一切行われず、とり
  わけ都議会自民党の所属議員は上層部の決定に追随するだけ
  である。たとえ賛否が分かれる案件も一糸乱れることなく賛
  成するのはこのような体質によるものだ。本来であれば、政
  策も自民党内で様々な議論があり、意見集約を経た結果、賛
  成か反対か判断するはずだが、そのようなプロセスもない。
  このものを言わせない体質が大きな問題であり、都民からの
  不信感を呼んでいる。       http://bit.ly/2vdO82P
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野田数都民ファーストの会代表.jpg
野田数都民ファーストの会代表
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 中央卸売市場論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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