2017年07月21日

●「豊洲移転の真の原因は都市博中止」(EJ第4567号)

 築地市場の豊洲移転の経緯について調べてみると、全ての原因
が青島幸男都知事による都市博開催中止にあることがわかってき
ます。全ては、青島都政の4年間に東京都の市場当局(2人の市
場長)が根回しをし、石原都政で実現させようとしたものです。
これによって次の3つのことがわかってきます。
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 1.石原元知事は、自分が都知事になったとき、築地市場の
   豊洲への移転のレールは敷かれていたといっているが、
   まんざら嘘ではない
 2.東京ガスは、計画があったので中央卸売市場に豊洲工場
   の跡地を売るつもりはなかったといっているが、それは
   本当のことではない
 3.築地市場再整備を否定し、豊洲への流れをつくったのは
   番所宏育市場長と宮城哲夫市場長で、そのバックには自
   民党の政治家がいる
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 1995年4月に都知事選があったのです。鈴木俊一知事の高
齢引退による都知事選です。臨海副都心地区で開催が予定されて
いた世界都市博覧会を推進する石原信雄氏と、都市博に反対する
青島幸男氏の事実上の一騎討ちです。
 自民・社会・公明・民社・自連・連合が推薦し、さきがけが支
持する石原信雄氏が、東京都知事選では史上初のオール与党相乗
りで立候補したこともあって、誰もが石原氏が勝利すると思って
いたのです。しかし、都市博中止を公約にした青島幸男氏が勝利
し、青島都知事が誕生したのです。そして公約通り、青島知事は
多くの反対を押し切り、都市博を中止したのです。
 そもそも都市博は臨海副都心開発の起爆剤として企画されたも
のであり、多くの企業は当然都市博が行われるものと信じて既に
開発に取り組んでいたのです。東京ガスもそのひとつです。それ
が突然中止になったのですから、大幅な開発計画の見直しを余儀
なくされることになります。築地市場のある幹部は、東京ガスの
計画について、次のように語っています。
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 東京ガスが豊洲に計画していたのは、レインボーブリッジから
豊洲に橋をかけるというマンハッタン・ベネチア構想といわれる
ものでしたが、都市博中止で頓挫。東京ガスは同時に計画されて
いた豊洲の護岸強化工事などを進めていましたが、都が撤退した
ことにより、約60億〜70億円の工事費を自前で拠出しなけれ
ばならなくなった。その時に助け舟を出したのが、監督官庁でも
ある都の港湾局長(当時)、つまり石川千代田区長でした。
                   http://bit.ly/2tgJBLe
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 ここに石川雅己千代田区長が登場するのです。今年初めの千代
田区長選で、小池知事の支援を受けて、圧勝したあの区長です。
石川雅己氏は当時東京都の港湾局長を務めていたのです。そのた
め、東京ガスの幹部が豊洲の所有地に東京都の公的な施設を誘致
できないかと石川港湾局長に相談したのです。
 その結果、石川港湾局長は、東京ガスに対し、築地市場を豊洲
に移転させるプランを提案したのです。築地市場の移転先を豊洲
に特定したのは、おそらくこれが初めてであろうと思います。し
かし、当時築地市場は、現在地で営業しながら再整備を進める方
針を決定し、工事が始まっていたのです。前出の築地市場の幹部
は、これについて次のように述べています。
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 もちろん石川局長だけで市場移転の話が進むはずもなく、95
年夏頃、番所(宏育)築地市場長(当時)、自民党の政治家らが
秘密の会合を持ったとされています。この時から築地再整備の流
れがガラリと変わった。        http://bit.ly/2tgJBLe
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 石川雅己氏は1963年に都庁に入庁し、1975年に千代田
区役所に企画課長として出向しています。石川氏と千代田区の関
係はここからはじまるのです。この頃から石川氏は、都議会自民
党のドンと呼ばれていた内田茂氏に見込まれるようになります。
 都庁に戻ってからは港湾局長、福祉局長を歴任して、1999
年に退職し、首都高速道路公団理事を務めた後、2001年に千
代田区長に当選します。3期までは内田氏の支援を受けて当選、
4期は内田氏が対立候補者を立てたのですが勝利し、5期は小池
氏の支援を受けて当選し、現在現職です。
 築地市場の豊洲移転は、市場関係者には極秘のうちに進められ
ます。築地市場移転問題について長年取材している池上正樹氏は
次のように述べています。
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 都は市場の人たちには内緒にしたまま、港湾局主導で調査や交
渉が行われていたのです。95年7月に臨海地区を調査し、8月
に初めて豊洲の名が移転候補地の一つとして挙がったのです。築
地再整備と並行して移転先が模索され始めた。しかし、そもそも
臨海再開発失敗による財政悪化で、築地を売却して移転させるし
かなくなったのです。         http://bit.ly/2tgJBLe
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 東京都が市場問題で動き出せば、市場関係者に当然情報は漏れ
てきます。寝耳に水の話ですから、業界6団体は当然態度を硬化
させます。その対応に当たったのが、番所市場長の後任の宮城哲
夫市場長です。宮城氏はこういっています。
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 豊洲は40ヘクタールもあって広いし、いい場所を見つけたと
思った。だけど市場の卸とか仲卸の組合は理事長が推進派か反対
派かで、方針が代わるんです。私のときも、まとめきれなかった
ですね。   ──宮城哲夫市場長   http://bit.ly/2tgJBLe
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              ──[中央卸売市場論/014]

≪画像および関連情報≫
 ●千代田区長と築地市場の豊洲移転都の関係
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   千代田区長選は小池百合子を担いだ′`となった現職・
  石川雅己氏の勝利に終わった。報道では今のところ、『週刊
  朝日』(2017年2月17日号)の「豊洲移転きっかけは
  「小池派区長説」を追う」が唯一、気を吐いた印象だ。
   とはいえ、石川区長が築地市場の移転に絡んでいたことを
  示し、特に都庁港湾局長時代の辣腕に触れたことは重要だが
  その背景には踏み込めてはいない。
   答えを先に示せば、港湾局長時代の石川氏は、既に内田茂
  都議の実質的な傀儡だったのだ。記事では、石川が都局長と
  して政策を立案したように書かれているが、当時から都庁で
  は内田都議の後ろ盾がなければ、誰も局長などの幹部ポスト
  には就けなかった。つまり、石川区長こそ「内田茂チルドレ
  ン」の筆頭格なのだが、いまだに正確な報道が行われていな
  い「なぜ石川区長と内田都議は反目したのか」というポイン
  トを詳報してみようと思う。
   まずは元千代田区職員に、もつれた糸を解き明かしてもら
  おう。「決定的なきっかけは2008年、内田茂さんの落選
  です。この時、例えばゼネコンや、政治ブローカーといった
  都政関係者≠フ間で、『これで内田は終り』という雰囲気
  が蔓延したんですね。そしてゼネコンなどが内田さんの代り
  として注目したのが、01年に千代田区長に当選していた石
  川雅己さんでした」。
    http://www.yellow-journal.jp/politics/yj-00000450/
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石川雅己千代田区長.jpg
石川雅己千代田区長
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 中央卸売市場論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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