2017年07月20日

●「築地市場再整備の歴史を振り返る」(EJ第4566号)

 石原知事は都知事に就任するや、非常に早いテンポで築地市場
の豊洲移転を決めています。市場会計の問題があるので、東京都
の役人の書いた筋書きに乗らざるを得なかったという事情もある
ことは確かです。
 石原慎太郎氏が東京都知事に就任したのは1999年4月23
日のことです。そして、2001年2月に石原知事は都議会で、
築地市場の豊洲移転方針を表明しています。約2年ですが、その
間の年表を作ってみます。
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◎1999年 4月23日:石原知事就任
       5月11日:石原知事市場会計の現状を聞く
       8月13日:築地市場の移転を決める
       9月   :石原知事築地市場視察/「古い、
             狭い、危ない」と発言
      11月 9日:築地市場再整備推進協議会で、都
             は再整備の困難性指摘。移転に方
             向転換が必要と発言
      11月24日:福永副知事東京ガスを訪問。豊洲
             工場の土地の売却を打診
◎2000年 6月 2日:東京ガスが都に質問状
       7月   :浜渦武生氏が副知事に就任。
      10月 4日:浜渦副知事が福永副知事に代わっ
             て東京ガス担当になる。
 2001年 1月25日:東京ガスは実施済みの土壌汚染調
             査の結果および対策工事内容発表
◎2001年 2月   :石原知事が都議会で築地市場を豊
             洲に移転する方針を表明
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 これを見ると、石原氏は、知事就任後約4ヶ月で、再整備をす
ることで決まっていた築地市場を豊洲へ移転させる決心を固め、
そのうえで築地を視察しています。視察をしてから決めるのでは
なく、決めてから視察しているのです。決めた以上、「築地には
問題がある」ということを強調する必要があります。それがあの
「古い、狭い、危ない」の発言になるのです。この発言が実態を
あらわしていないことは、7月7日のEJ第4558号で詳しく
述べています。            http://bit.ly/2tv2db3
 ここで築地市場の年表を作る必要があります。築地市場は開設
後約50年が経過した頃から、何回にもわたって再整備の計画が
持ち上がっては消えています。そして、鈴木俊一都政が終わった
頃から、東京都として、移転に舵を切るのです。次の年表を見る
と、東京都が何とかして築地市場を移転させたがっている様子が
よくわかります。
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◎1935年:築地市場開設
◎1986年 1月:
 東京都が首脳部会議で築地市場の現地再整備を決定
◎1986年12月:
 第4次東京都卸売市場整備計画策定。築地市場を大井市場への
分散・移転方針させる計画を断念し、現在地での再整備を決定。
◎1990年 6月:
 築地市場再整備基本設計/工期14年、総工費2380億円
◎1991年11月:
 第5次東京都卸売市場整備計画策定。現在地において営業を続
けながら、再整備(水産1階/青果2階の立体配置)
◎1991年〜1995年:
 再整備工事に着工すると、以下の問題が顕在化。@工期の遅れ
A整備費の増嵩(再試算で3400億円)、B業界調整の難航
◎1993年:
 築地市場に正門仮設駐車場、仮設搬入別棟完成。整備費が当初
の計画より約1000億円増加し、3400億円に膨張
◎1995年:
 1995年7月に臨海地区を調査し、8月に初めて豊洲の名が
移転候補地の1つとして上がったこと。東京都キーマンの発言。
「いまは豊洲への移転の方向で動いている」(青島知事特別秘書
/辺見廣明氏)「番所市場長が築地は豊洲へ移転しなければなら
ないという趣旨の話をあちこちで吹聴していたので、『市場長の
立場でいうべきことではない』とクギを刺した覚えがある」(青
島知事時代副知事/植野正明氏)
◎1995年10月:
 水産仲卸、水産卸など市場3団体が工事促進の要望書を東京都
に提出。
◎1995年11月:
 買荷、茶屋など市場3団体が工事見直しの要望書を都に提出
◎1996年 1月:
 番町市場長が年頭に次の発言。「築地市場の移転を検討すると
すれば、豊洲なら可能性がある。築地市場は現行計画を見直す必
要がある」。
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 いわゆるバブル時代ではハコモノづくりが当たり前です。19
86年以降の東京都の対応を見ると、ごった返している築地市場
を苦労して再整備するよりも、新しくハコモノの市場を建設し、
築地を売れば・・・という意思がありありです。そこには、世界
に誇るべき日本の文化遺産である築地市場をなんとかして遺そう
という意思がまるで感じられないのです。
 新しいハコモノを作れば、多くの利権が得られるうえ、天下り
できるところも増えるのです。しかし、現在地での再整備では、
そういうメリットはほとんど得られず、東京都の上級幹部はもと
もと乗り気ではなかったのではないでしょうか。それにしてもこ
ともあろうに、ガス工場の跡地に水産物を扱う卸売市場を移そう
というのは最悪です。    ──[中央卸売市場論/013]

≪画像および関連情報≫
 ●なぜ「最もふさわしくなかった」豊洲が選ばれたのか
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   都の中央卸売市場は、1986年の第4次再整備基本方針
  に基づき、91年1月から、築地での再整備工事を進めてい
  た。基本方針では、「老朽化」「狭溢・過密化」などによっ
  て、再整備が緊急な課題になっているとして、次のように必
  要性を示している。
   「築地市場を他の場所に移転することは、流通の実体、社
  会的要因から極めて難しい。現在地は隅田川の河口に面し、
  周辺には豊海などの冷蔵庫群が控えるという優れた地理的条
  件下にありながら、しかも22・5haという都心部として
  は広い敷地を有している」。
   つまり、この時までは、市場は移転するのではなく、あく
  までも築地での再整備が前提だった。88年11月、当時の
  鈴木俊一都政は、庁議に諮り、再整備基本計画を決定してい
  る。それは、基幹施設が「平面」という卸売市場業界の常識
  を破る「水産1階、青果2階」という前例のない大規模立体
  化計画だった。築地で再整備だったはずが、東京魚市場卸協
  同組合(以下、東卸)が02年11月に発行した『東京魚市
  場卸協同組合五十年史』によると、95年8月、市場当局が
  前月に調査に出かけた港湾局と「協議」したという記述があ
  る。港湾局からは、<臨海部に市場が立地できる場所は城南
  島(東京都大田区)、豊洲、外防(※筆者注:中央防波堤外
  側)であれば可能性がある>ことを示唆されたという。
                   http://bit.ly/2vsRY73
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築地市場におけるセリの風景.jpg
築地市場におけるセリの風景
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央卸売市場論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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