2017年07月03日

●「本当に豊洲移転でよいのだろうか」(EJ第4554号)

 今回からEJの執筆方針を一部変更することにします。EJの
第1号は1998年10月15日で、2017年10月16日で
ちょうど20年になります。EJは日刊メールマガジンですが、
2005年からは同じ内容をブログに掲載しています。多くの読
者に支えられ、ここまで書き進めることができました。改めてご
愛読に感謝します。
 EJには、他のメルマガにない次の3つの特色があります。
─────────────────────────────
     1.特定テーマの連載コンテンツである
     2.毎回コンテンツ文字量が等量である
     3.土日祝祭日以外の営業日に発刊する
─────────────────────────────
 世にメルマガはたくさんありますが、EJのような特色を持つ
メルマガは他にはないと自負しています。ブログEJには、平均
して、毎日5000回から6000回のページビュー(PV)が
あります。その日のコンテンツによっては、PVが1万回を超え
ることはよくあります。
 ところで執筆方針の一部変更というのは、1テーマの平均回数
を20回から40回にして、取り上げるテーマを増やすという変
更です。このところ100回を超えるテーマが多くなり、1年に
せいぜい3つくらいのテーマしか取り上げられなくなっているか
らです。そうすることによって、取り上げられるテーマが一挙に
増えることは確かです。
 少なくとも10回以上書けると判断したテーマについては、取
り上げるつもりでいます。そうすることによって、政治、外交、
経済、文化、技術などの幅広い分野にわたって最新のテーマを広
げられると考えています。
 その第1回として、次のようなテーマで、中央卸売市場論を取
り上げることにします。
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     築地再整備か豊洲移転か/中央卸売市場論
     ─ なぜ豊洲になったのか/謎に迫る ─
─────────────────────────────
 この問題には多くの謎があります。そもそも1986年に東京
都は、築地での設備再整備を決定し、総合予算2380億円を組
んで、1991年から工期15年の計画で、築地での営業を続け
ながら、改装工事を進めていたのです。それから5年が経過して
工事は突然中止になっているのです。
 どうして中止になったのでしょうか。工期がさらに伸び、予算
もさらに膨らみ、これ以上の工事は不可能という結論が出された
のです。しかし、その理由ははっきりしないのです。それ以後、
築地で商売をする業者は、「築地再整備は不可能」ということが
刷り込まれることになったのです。しかし、この「築地再整備は
不可能」は何の根拠もないウソと考えられます。
 もうひとつ疑惑があります。それは、築地の代替地として豊洲
が選ばれた経緯です。こともあろうに、ベンゼン、シアン、ヒ素
など発ガン性があったり、猛毒な有害物質で汚染されていること
がわかっている東京ガス工場跡地への移転なのです。そこに鮮度
が重視される生鮮食品を扱う市場を移転させようというのです。
はっきりいって正気の沙汰ではありません。
 それに当の東京ガス自体が東京都に売る気はぜんぜんなく、東
京ガス自身は、別の開発計画を考えていたのです。それを売れと
いって迫ったのですから、東京都としては、当然不利な条件を受
け入れることになるのです。それでもそれを強行したのは石原慎
太郎元都知事です。
 築地市場の豊洲新市場移転に一貫して反対し、築地市場の豊洲
移転に反対するべく都知事選にも何回も挑戦した宇都宮健児氏は
豊洲市場について次のように述べています。
─────────────────────────────
 築地市場の移転先とされている豊洲新市場の土地は、東京ガス
が1956年から1976年までの20年間、石炭を原料として
都市ガスを製造してきた土地である。都市ガスの製造工程でベン
ゼン、シアン化合物などが発生し、石炭中に含まれる水銀、ヒ素
鉛、クロムなどが副次的に生産され工場数地の土壌や地下水を汚
染した。青果や鮮魚などの生鮮食品を取り扱う市場の移転先とし
ては、最も相応しくない場所と思われるのに、なぜ、東京都が築
地市場の移転先として東京ガス豊洲工場跡地に決めてしまったの
か、大きな疑問が残る。      ──宇都宮健児氏論文より
      『現代思想』2017年7月臨時増刊号/青土社刊
─────────────────────────────
 もうひとつ完成している豊洲市場は、建物そのものは立派に見
えますが、そこで仕事をする業者にとって、きわめて使いずらい
面がたくさんあることです。なぜ、わざわざ大金を積んでそんな
不便な市場を建設したのでしょうか。
 それは、さらに市場の設計自体が都庁の一部の幹部と一部の市
場関係者によって進められ、そこで仕事をする卸売業者の意見を
幅広く聞きとっていないからです。それは、そもそも市場移転に
反対する市場関係者が多く、そういう意見聴取ができなかったこ
とによるのです。移転に反対する人たちに移転する新しい市場の
設計について聞けるはずがないからです。
 まだあります。都議会が豊洲市場関連予算は、63対62の1
票差で決まっていることです。それは、当時移転に反対していた
民主党の花輪なる議員、こともあろうに「東京都中央卸売市場築
地市場の移転・再整備に関する特別委員会」の委員長をしていた
人物が賛成派に寝返ったことによって成立しているのです。その
ウラには何があったのでしょうか。
 このように、築地市場の豊洲移転問題には多くの疑惑があるの
です。真相を究明するには、いささか情報が少な過ぎるものの、
明日から、その真相に迫っていくつもりです。
              ──[中央卸売市場論/001]

≪画像および関連情報≫
 ●宇都宮健児氏、築地再整備の思いを森山候補に託す
  ───────────────────────────
   都政の改善を求めて小池知事に直談判した宇都宮健児弁護
  士が今夕、「築地再整備」を訴える森山たかし候補の応援に
  入った。宇都宮弁護士が昨年8月、都庁を訪ねて小池知事に
  突きつけた「10項目の要望書」には、豊洲への移転見直し
  が含まれていた。
   小池知事一流のマヤカシだったとはいえ、築地移転の一時
  凍結は宇都宮弁護士の要望に沿ったものだった。街宣の会場
  となったのは中央区勝どきのタワーマンション前。マイクを
  握った宇都宮氏は中央区の有権者に呼びかけた。
   「市場の移転先を決めた石原都知事をチェックできなかっ
  た自民、公明が反省なく豊洲移転を訴える。けしからん。こ
  ういう候補者はぜひ引きずり降ろそうではありませんか。
   都民ファーストは知事が(移転)方針を発表する前、独自
  の方針を出せなかった。今の都民ファーストは、小池知事を
  チェックできるか。自公以上に癒着している。大政翼賛会で
  はないか。5年後に小池知事が都知事であるか分からない。
  全く無責任だ。5年後、仲卸の皆さんが居なくなったら、築
  地の活況は取り戻せない。森山さんは築地市場の再整備を高
  らかに謳っている。中途半端な政策を変えられる大きな原動
  力になる。私の思いをぜひ森山たかしさんに受け継いで頂き
  たい。私のこれまでの運動を継承できるのは、中央区におい
  て森山さんしかいない」。     http://bit.ly/2trUYD9
  ───────────────────────────

森山高至候補を支援する宇都宮健児氏.jpg
森山高至候補を支援する宇都宮健児氏
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2017年07月04日

●「築地はどのように構築されたのか」(EJ第4555号)

 築地・豊洲問題を正確に把握するには、まず「築地」がどのよ
うにしてできたのかについて、少し歴史を振り返ってみる方法が
あります。難しい問題を考えるとき、歴史から入ると重要なヒン
トが掴めるものです。築地の歴史を知るうえで参考にしたのは次
の論文です。一部を引用し、一部を要約することにします。
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     中沢新一(文)深澤晃平(図版協力)
           「築地アースダイバー」
    『現代思想』2017年7月臨時増刊号
─────────────────────────────
 太田道灌が武蔵野の地に建設した江戸城は、後北条氏の所有に
なっていたのです。豊臣秀吉によって後北条氏が滅ぼされると、
秀吉は家康を彼の本拠地である駿河から武蔵の地に移させること
を決断します。秀吉としては、家康の力を何とかして削いでおき
たいと考えたのです。当時武蔵は未開の地であり、家康としては
相当の覚悟をもってこの地に乗り込んだのです。
 当時の江戸は、武蔵国と下総国の国境である隅田川の河口の西
に位置し、日比谷入江と呼ばれる入江が、後の江戸城の間近に入
り込んでいたのです。家康の目に飛び込んできたのは、葦と萱の
原野の広がる武蔵野と、台地の上に残された廃墟のようになった
城館、そして茫漠と広がる海の光景であり、町と呼べるようなも
のは一切なく、毎日の食材を手に入れるのも苦労する状態だった
といいます。
 そういう家康を救ったのは、佃村と大和田村の漁民たちなので
す。これについて、日本の人類学者で思想家でもある中沢新一氏
は、次のように書いています。
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 そのとき家康の近くに心強い味方がいた。大阪から家康につき
従ってきた佃村と大和田村の漁民たちである。彼らはひょんなこ
とから家康の知遇を得て、本能寺の変、関ケ原の役、大阪の陣で
も海賊的海民らしい、頼もしい活躍をした。この佃・大和田の難
波漁民たちは、建設のはじまった江戸に住んで、白魚をはじめと
する海の食材を江戸城に供給する役をになった。
                  ──中沢新一氏論文より
      『現代思想』2017年7月臨時増刊号/青土社刊
─────────────────────────────
 家康は、何はともあれ、江戸城の建設と、その前に広がる海の
大規模な埋め立てに佃村と大和田村の漁民たちの手も借りて、取
りかかったのです。このとき日比谷入江が埋め立てられて出現し
たのが日本橋です。佃村と大和田村の漁民たちは日本橋の住民に
なったのです。
 彼らは、毎朝海に漕ぎ出して魚や貝を採り、江戸城や大名たち
に収めた残りを販売しても良いという許可をとったのです。この
頃になると、江戸の人口は急増し、魚や貝の買い手にこと欠くこ
とはなかったのです。浦安や芝の漁民は早くから江戸市中に小さ
な魚市場を開設し、江戸町民に魚を売っていたので、佃・大和田
両村の漁民、すなわち、日本橋の住民たちも負けてはいられず、
何とか日本橋に自分たちの市場を開設したいという思いを強くし
ていたのです。
 そして、その日本橋に魚市場を開設するという日本橋住民の願
いは認められたのです。まず彼らは、隅田川の河口分に浮かぶ中
州を埋め立てます。これが「佃島」です。この対岸の日本橋に開
いたのが日本橋魚河岸です。
 明暦3年(1657年)に大火が起きます。俗にいう「振袖火
事」です。この火事は、築地ができる重要なきっかけになるので
す。これについて小沢新一氏の論文から、引用します。
─────────────────────────────
 この火事で大量の瓦礫が出た。この瓦礫を日本橋の西方にある
「鉄砲洲」の先にある海に沈めて、埋立地の拡大を図ろうという
計画が立てられた。このとき佃島漁民は率先して埋め立て工事を
請け負った。その理由は、佃島を自分たちだけの力で海中に築造
してみせた彼らこそ、江戸きっての埋め立て工事の熟達者であっ
たということと、東国の一向宗門徒のための本願寺別院を埋め立
てられた土地に建ててよいという許可が得られたからである。佃
島の漁師をはじめ、江戸湾周辺の漁民のはとんどすべてが、一向
宗(浄土真宗)の門徒であった。
   『現代思想』2017年7月臨時増刊号の小沢新一の論文
─────────────────────────────
 このように、振袖火事の残骸である大量の瓦礫を海に沈め、そ
れに台地を削り取った土を運んできて、海の埋め立て作業が進め
られたのです。この作業を担ったのは佃島漁師が中心です。この
努力によって、鉄砲洲の西南には広大な新しい埋立地が、海中か
ら出現します。
 瓦礫と土を築いて固めて出来た土地という意味でこの地は「築
地」と命名されます。しかし、既に日本橋には魚河岸があり、築
地は魚市場ではなく、寺町になったのです。浄土真宗の寺院や墓
地が次々と建立され、一部の地域は、いくつかの武家屋敷が建て
られたのです。したがって、築地界隈はかなり長い間、「閑寂な
場所」というたたずまいだったのです。
 しかし、幕末になると事情が一変します。ペリーが来航してい
らい、幕府は、近代的海軍を創設する必要性を痛感するようにな
り、築地川の東に海軍軍艦操縦所を建設します。この施設は本格
的な海軍の教育機関になり、ジョン万次郎や勝海舟が教授を務め
たのです。
 この海軍訓練所は、その後2度の大火によって焼失し、その跡
地に外国人専用の築地ホテルが建設され、多くの外国人が集まる
場所になります。その後築地には海軍省、海軍大学校、海軍軍医
学校、海軍省技術研究所などができるのです。魚市場としての築
地市場のできるのはまだ先の話です。
              ──[中央卸売市場論/002]

≪画像および関連情報≫
 ●築地市場周辺に残る、日本海軍発祥の史跡
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   「現在の築地市場周辺は、海を埋め立てて作った人工岸で
  あることは有名です。江戸時代中期の地図からは、すでに直
  線軸で整然と区画整備された区割や海岸線を確認することが
  でき、今日の街並みの原型を感じることができます。
   とはいえ、当時は江戸湾を望む静かな入り江だったようで
  す。陸奥白河藩主であり老中職にあった松平定信は老後、現
  在の魚市場がある区画を将軍より与えられた際、海を望む風
  光明媚な景色を大変気に入って、ここに松平家の下屋敷「浴
  恩園」を建造し余生を送ったと言われています。
   そんな平穏な海の町が軍事拠点へ変貌していったきっかけ
  それは、日本の歴史をも変えることになった黒船の来航でし
  た。江戸末期の1853年(嘉永6年)、横須賀にペリーの
  黒船艦隊が到着すると、幕府は西洋式海軍の必要性に迫られ
  急速に軍事力増強のための施策が計られるようになります。
   1855年(安政2年)、まずは長崎に「海軍伝習所」が
  完成します。ところが、江戸からは遠くて不便だったため、
  海に面した築地の地に2年後の1857年(安政4年)、軍
  艦の運転講習や航海術を学ぶための「軍艦教授所」が創設さ
  れました。長崎の「海軍伝習所」の第1期生であり、後に初
  代海軍卿となる勝海舟は1859年、この築地の「軍艦操練
  所」で教授方頭取を務めており、その際に<一連の施設名を
  「軍艦操練所」と改称しています。 http://bit.ly/2sADJvb
  ───────────────────────────

日本海軍発祥の地「旗山」.jpg
日本海軍発祥の地「旗山」
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2017年07月05日

●「日本橋魚河岸からの築地への移転」(EJ第4556号)

 「東京市」といっても若い人にはピンとこないかもしれません
が、東京も現在の大阪と同じように、「東京府」の東部に「東京
市」が存在する時代があったのです。1889年(明治22年)
から、1943年(昭和18年)まで東京市だったのです。
 なぜ、東京市のことを取り上げたのかというと、東京市は東京
の心臓部ともいうべき日本橋に、日本橋魚河岸が広大な地域を占
有して存在していることに一貫して反対だったからです。つまり
移転を促していたのです。
 ここで市場を構成する人々について、若干の予備知識が必要に
なります。簡単にいうと、市場には次の2種類の業者がいます。
─────────────────────────────
           1.卸売業者
           2.仲卸業者
─────────────────────────────
 1の「卸売業者」は、漁師などの生産者や出荷者から依頼され
た魚の販売を引き受けて、市場でセリにかけ、仲卸業者などに卸
売りする業者です。中央卸売市場の卸売業者になるには、農林水
産大臣の許可が必要です。次に述べる「仲卸」に対して「元卸」
とも呼ばれます。
 2の「仲卸業者」は、卸売業者からセリなどで買った魚を市場
内にある店で小分けして、魚屋や料理屋などの買出人に販売する
業者です。築地市場の扇形の建物のなかの約800店がこれに当
たります。
 さて、東京市の再三に当たる移転勧告に対して、仲卸業者の大
半は移転に賛成していたのですが、卸売業者は頑強に反対し聞く
耳を持たなかったのです。卸売業者の多くは、日本橋に地所や家
を所有していたので、移転に反対していたのです。
 これは、築地市場のケースとは逆です。築地市場の豊洲移転で
は、卸売業者は豊洲への移転に賛成し、仲卸業者はほとんど全員
築地再整備を主張しているからです。
 この市場の移転問題はなかなか決着がつかないのです。何かと
すったもんだして、20年余りの月日が流れたのです。しかし、
その決着をつけたのは、1923年(大正12年)9月1日に起
きた関東大震災です。
 時の東京市長は第7代の後藤新平市長です。後藤市長は、この
大震災を奇貨として、東京の大胆な大改造を実施したのです。現
在の東京は、後藤市長の描いたプランが実現したかたちで存在し
ているといっても過言ではないのです。
 後藤新平氏といえば、今回のテーマには関係ありませんが、次
の名言で知られています。
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 よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中
だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ。 ──後藤新平
          ウィキペディア  http://bit.ly/2tAl1YZ
─────────────────────────────
 この震災によって、日本橋界隈は一面の焦土と化し、卸売業者
も仲卸業者もすべて焼け出されたのです。日本橋に土地を持つ卸
売業者はあくまで日本橋での復興を望んだのですが、東京市の意
向を受けて、政府は戒厳令を発令して日本橋への立ち入りを禁じ
たのです。これによって、300年を超える歴史を持つ日本橋魚
河岸は、歴史の幕を閉じたのです。
 中川新一氏は、その後の日本橋魚河岸について次のように述べ
ています。
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 東京市は大震災を好機として、魚河岸を中央卸売市場として整
備する計画を実行に移した。このとき新しい中央卸売市場の場所
は、築地の海軍学校跡と決められた。まだ建物もできていない築
地の更地に仮市場を開いて、仲買たちはさっそくに商売を開始し
た。問屋たちもしだいに戻ってきて、日本橋魚河岸さながらの店
舗街が立ち並び、その脇で建設工事が進行した。
 東京市専属の建築技師らによって、築地の新市場の設計が決め
られた。汐留駅からの貨物車を乗り入れるために、築地本場の全
体構造は扇型をとることになった。この設計プランは、まことに
「天才的」なものであり、扇型をしたこのユニークな近代建築の
構造によって、市場内部で展開される物流の流れがみごとにコン
トロールされることになった。
 またそれによって、仲買人(仲卸)の間で伝えられてきた暗黙
の身体知が、確実に保存され、次世代へと伝えられていくことが
可能になった。まさしく築地市場の建築は「モダン」と「伝統」
を結び付けることに成功したのである。    ──中沢新一著
                「築地アースダイバー」より
           『現代思想』2017年7月臨時増刊号
─────────────────────────────
 中央卸売市場としての築地はこのようにして誕生したのです。
重要なことは、中沢新一氏のいう「扇型をした近代建築の構造」
という点と「仲買人の間で伝えられてきた暗黙の身体知が確実に
次世代へと伝えられる」という点にあります。
 これは何をいっているのでしょうか。実はこれは、築地か豊洲
かについて議論するさい、きわめて重要な論点です。これについ
ては、明日のEJで述べることにします。
 築地市場は、空襲によっても大きく破壊されることはなく、建
物の大半が戦後まで残っています。敗戦後の一時期において、青
果棟の一部が米軍に接収され、そこがクリーニング工場として使
われたことがあります。
 しかし、それをもって「築地も土壌が汚染されている」と豊洲
移転の正当性を宣伝する向きがありますが、青果棟の床のコンク
リートは破壊されておらず、排水はそのまま海に流されており、
問題はないと考えます。何が何でも豊洲へと政治的ともいえる強
い動きがあるのは確かです。
              ──[中央卸売市場論/003]

≪画像および関連情報≫
 ●日本橋魚河岸は、築地市場の前身
  ───────────────────────────
   魚は日本人の食生活に深くかかわってきた。魚自体はさほ
  ど進化しているとは思えないので、大昔の人が食べていたも
  のと同じものを我々は食べていることになりそうだ。好まれ
  る食べ方は時代によって違ったり、基本的には鯵(あじ)なら
  鯵、鮭(さけ)なら鮭で、まったく同一のもの食べ続けてきた
  という点で、めずらしい食材、また貴重な食料といえる。
   江戸に幕府が開設されて以来人口は急増し、将軍吉宗の時
  代には百万都市となっていたようである。その需要を満たす
  ために魚の流通システムがだんだん整備され、魚市場が出来
  上がっていった。いわゆる魚河岸である。代表的なのが日本
  橋、この図会には日本橋の魚市場の活況の様子がこと細かく
  描かれている。
   威勢のいい掛け声が聞こえてきそうな図会をよく見てみる
  と、魚の種類の多さとその大きさに驚く。どうしてこんなに
  大きいのか、絵だから多少の誇張はあるにせよ、出典先であ
  る『江戸名所図会』は、当時をもっとも忠実に描いたものと
  して定評ある書物であることを考えてみると、やはり今より
  魚は全般に大きかったのではないかと思う。当時の江戸前の
  海(江戸湾)は現在の東京湾よりずっと広く、環境もよく魚の
  宝庫だった。自然の生け簀状態で、遠くの海まで行かなくて
  も大きな魚がたくさん捕れたのではないか。
                   http://bit.ly/2ugk8Co
  ───────────────────────────

日本橋魚河岸の風景.jpg
日本橋魚河岸の風景
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2017年07月06日

●「なぜ、築地市場は扇型デザインか」(EJ第4557号)

 市場の機能を知るために、市場を構成する人についてさらに詳
しく述べます。卸売業者と仲卸業者に3の「買出人」を加える必
要があります。中央卸売市場は、大別するとこれら3種類の人間
で構成されています。
─────────────────────────────
        1.卸売業者──元卸
        2.仲卸業者──仲卸
        3.     買出人
─────────────────────────────
 3の「買出人」とは、魚屋などの小売商、寿司屋、飲食店など
自分の店で売る商品や料理の材料を、市場内の仲卸業者の店に仕
入れにくる人たちのことです。
 元卸は昔の問屋さんのことで、産地の魚介を自分の資本力で集
めて市場に持ってくるのが仕事です。築地市場では、元卸は水産
で7社あり、東証第1部上場を含む大企業です。
 この元卸と密接につながっているのが仲卸です。仲卸は、数は
多いものの、そのほとんどは中小企業か零細企業です。仲卸の重
要な仕事は「セリ(競り)」です。セリは、元卸の持ち込んだ魚
のなかから、良い魚を選んで値段をつける制度です。これを毎日
繰り返している仲卸は、自然に元卸の持ち込んだ魚の質を見分け
る目利き力が備わってきます。これがいわゆる「築地ブランド」
を作り上げるのです。
 その仲卸の目利きを信用して、買出人が市場内の仲卸の店に魚
を買いに来るのです。仲卸から見れば、買出人の向こうには消費
者が広がっているわけです。このように、仲卸は、元卸と買出人
の中間に入って働くことから、仲卸が市場をダイナミックに動か
す存在になっています。
 問題は、市場の設計が、元卸、仲卸、買出人の動きにマッチし
ているかどうかです。日本橋魚河岸はその点かなり問題があるの
ではないかと、人類学者で思想家でもある中沢新一氏は、次のよ
うに述べています。
─────────────────────────────
 日本橋魚河岸時代の店舗の配置図などを見てみると、問屋(元
卸)と仲買とが混在しているので、荷物を運搬する時、動線がも
のすごく混乱したのではないかと想像されます。いまのターレの
動きよりも凄いことが起きていたのではないか。──中沢新一氏
「天才的な築地市場」/『現代思想』2017年7月臨時増刊号
─────────────────────────────
 その点、築地市場はきわめて理想的にできているといえます。
それは、300年を超える日本橋魚河岸での仕事の伝承を踏まえ
て、築地市場の設計技師たちと市場関係者による共同作業で構築
され、とくに仲卸にとって最適な仕事場として作り上げられてい
るからです。
 これについて、実際に仲卸をされている中澤誠氏に中沢新一氏
がインタビューする『現代思想』の企画において、中澤誠氏は、
次のように述べています。
─────────────────────────────
──築地市場の持つもう一つの「天才性」は、中澤さんも指摘さ
れている、あの扇型の構造ではないでしょうか。
中澤:あの猪瀬さんがこの扇型の悪口を言うわけです、移転推進
を言っている人が。これは列車の時代のレイアウトで、いまの時
代には適していないとやたら強調されています。これは言い掛か
りもいいところで、長い貨物列車を入れるために扇型にしたのは
事実ですが、貨物列車と今のトラックを比べたら貨物列車のほう
がずっと大きいんですから、そこにトラックが入れないと批判す
るのは、詭弁もいいところです。
 卸が全国から荷物を集めてくる。扇型の一番外側に、卸の売り
場がずうっと並んでいる。その内側に仲卸がびっしりと並んでい
る。卸と仲卸の間は、わずか何歩という距離。五、六で、卸と仲
卸が密着してくっついている。        ──中沢新一氏
          「天才的な築地市場」/(インタヴュー)
           『現代思想』2017年7月臨時増刊号
─────────────────────────────
 中澤誠氏のいうように、築地市場の扇型のデザインは荷物の運
搬に当初鉄道を利用したことによるものですが、現在ではトラッ
クで輸送が行われています。遠洋漁業の発達によって築地に集ま
る魚は多様化され、さらに冷凍技術の発達によって、輸送手段も
大きく進歩しているのです。
 実は、扇型のデザインは、元卸、仲卸、買取人の配置にも重要
な意味があるのです。扇の一番外側には元卸の店舗が並んでおり
外からトラックで運び込まれた荷物はここに下ろされます。
 そして、それらの荷物はセリ場に運ばれ、そこでセリが行われ
るのです。仲卸はそのセリに参加し、自分の目利きで選んだ魚を
扇の中央部に展開している自分の店舗に運び、販売できるよう魚
に必要な処理を行うのです。
 その仲卸の店に買出人が現れ、仲卸の目利きで確保された魚を
購入し、その荷物を扇型の内側に作られた「潮待茶屋」と呼ぶ発
送所から、トラックに乗せて発送します。「潮待茶屋」とは、仲
卸から荷を各地に配送する場所のことです。
 この扇型の外側から内側への流れにそって、魚類の荷の流れは
きちんと整序され、くるくると機敏に動くターレがその流れを駆
動させていくのです。一見すると、きわめてゴチャゴチャしてい
るようで、業務が非常に機能的、効率的に行われているのではな
いかということです。それは、長く日本橋魚河岸の時代から、元
卸と仲卸、そして買取人の間で、それぞれの動きにマッチするよ
うに築地市場が作られているからです。
 ここで考えるべきことがあります。それは、築地市場は本当は
誰も気がついていないだけで、とてつもなく素晴らしいものでは
ないかということです。しかし、それは豊洲市場にはどこを探し
てもないのてです。     ──[中央卸売市場論/004]

≪画像および関連情報≫
 ●そもそも卸売市場の役割とは?
  ───────────────────────────
   2016年11月7日に開場予定だった築地市場は、小池
  百合子都知事の鶴の一声によって延期されることになりまし
  た。その後、新たな移転地として整備されていた豊洲市場は
  当初の説明とは異なる土壌汚染対策がなされていたことが発
  覚。小池都知事が緊急記者会見を開くなど、先行きの不透明
  感は増しています。
   紛糾する築地市場の移転問題ですが、翻って私たち消費者
  にとっても築地市場は、“食”という大きな問題でもありま
  す。築地市場は、中央卸売市場と呼ばれる“食”にとって重
  要な場所になります。今般、食品流通のあり方も大きく変化
  するなか、卸売市場はどんな機能を果たしているのでしょう
  か?築地市場の移転計画が浮上したのは、今から30年以上
  も前に遡ります。当時、築地市場の水産物取扱量は年々増加
  していました。そうした中、市場が手狭になったこと、物流
  が鉄道輸送からトラック輸送へとシフトして市場の構造が時
  代に合わなくなっていたこと、老朽化などを理由に築地市場
  を閉鎖と市場の移転計画が検討されていたのです。今般、話
  題になっている築地の移転計画は、このときから始まってい
  ると言っても過言ではありません。 http://bit.ly/2uhLTdS
  ───────────────────────────

築地市場の扇型デザイン.jpg
築地市場の扇型デザイン
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2017年07月07日

●「築地市場『古い、狭い、危ない』」(EJ第4558号)

 石原慎太郎氏が東京都知事にはじめて就任したのは、1999
年4月23日のことです。今回のテーマに深く関係するので、石
原都政の期間を次に示しておきます。
─────────────────────────────
   ◎石原東京都知事就任期間
    1999年4月23日〜2012年10月31日
─────────────────────────────
 東京都知事の任期は4年であり、石原都政は3期1年6ヶ月で
あったことがわかります。2017年3月3日に開いた会見によ
ると、知事就任直後に都幹部から築地市場の視察を求められ、同
年9月に視察を行っています。視察後、石原知事は築地について
次の発言をしています。
─────────────────────────────
    築地は、「古い」「狭い」そして「危ない」
               ──石原東京都知事
─────────────────────────────
 第1に「古い」について考えます。
 築地市場が古いことは確かです。築地市場は、1923年に制
定された中央卸売市場法に基づき、東京都中央卸売市場として開
設されたのは1935年のことであり、確かに80年以上の年月
が経過しています。
 本来古いこと自体は悪いことではないのです。古いからいいこ
ともあるのです。したがって、石原氏としては、次のようなこと
をいいたいのだろうと思います。
─────────────────────────────
    ・古いから、市場として時代遅れになっている
    ・古いから、衛生面などに問題が山積している
    ・古いから、建物の耐震構造などに問題がある
                       など
─────────────────────────────
 既に述べたように、日本橋魚河岸が築地に中央卸売市場として
移転したのは関東大震災の後であり、それだけに地盤には石材を
使用し、建物も強固にするなど、当時としては、十分な耐震技術
を駆使して建設されています。もちろん再整備計画においては、
最新の耐震補強をすべきです。
 第2に「狭い」について考えます。
 狭いというのは、面積的に狭いという意味と、狭いがゆえに、
取扱量などに影響が出るという2つの面があります。そのそれぞ
れについて考えます。
 食料流通学の権威である三国英実広島大学名誉教授は、築地市
場が面積的に狭いということに関して次のように述べています。
─────────────────────────────
 鉄道輸送がトラック輸送に代わったため、現在の築地市場は引
込線が撤去されているが、卸売場の面積は拡大している。豊洲新
市場は大きな道路で、水産の卸売場と仲卸売場が分断され、青果
棟も分断されている。築地市場は市場内を縦横無塵に移動でき、
青果物も水産物も仕入れたい業者にとっては買い回りも容易であ
る。80年以上過ぎているとはいえ、生鮮食料品の卸売市場とし
ての合理性を有している。          ──三国英実氏
             「築地市場の役割と存続の必要性」
           『現代思想』2017年7月臨時増刊号
─────────────────────────────
 続いて、市場が狭いということが市場の取引量などに及ぼす影
響についてです。確かに築地市場の取扱数量は減少しています。
これについて、2009年に東京都が発行した『築地市場の移転
整備/疑問解消BOOK』では、「施設の狭隘・過密化への対応
の遅れ」と断じています。
 しかし、三国英実教授は、狭いことが取扱量減少の原因ではな
いと、次のように反論してしています。
─────────────────────────────
 水産物を例に見ると、築地市場の築地市場の水産物取扱数量は
1989年から2007年の間に78万1000トンから、56
万8000トンに減少している。この間の全国中央卸売市場取扱
量、425万2000トンから、276万5000トンに減少し
ている。減少率では、築地市場の27・3%に対して、全国が、
35・0%で全国の中央卸売市場の方が大きい。──三国英実氏
           『現代思想』2017年7月臨時増刊号
─────────────────────────────
 第3に「危ない」について考えます。
 これについて、三谷英実教授は、危ないのは、築地市場よりも
豊洲市場の方であるとして、次のように反論しています。
─────────────────────────────
 豊洲新市場で最も心配されるのが、30年以内に起こる可能性
が高い首都直下型大地震である。豊洲の土壌には、東京ガスが、
1956年から1988年まで、石炭などから都市ガスを製造す
る過程で発生した有害汚染物質が大量に蓄積されている。大地震
による亀裂や液状化で地下の汚染物質の噴出する確実性が高い。
その場合は、卸売市場の営業もたちまち停止に追い込まれるであ
ろう。「危ない」のは、築地市場より豊洲新市場である。
                      ──三国英実氏
           『現代思想』2017年7月臨時増刊号
─────────────────────────────
 確かに、現在の築地市場はお世辞にもきれいであるとはいい難
い状態です。それは、東京都が石原知事の時代から築地の移転を
決め、どうせ移転するのだからと補修工事などを一切やってこな
かったからです。石原都政は、13年以上に及んだのですから、
そうなるのは当たり前です。東京都の怠慢そのものです。豊洲市
場は、築地の仲卸業者に何の相談もせず、一部の者だけで設計し
工事を完成させています。これについては来週のEJで取り上げ
ます。           ──[中央卸売市場論/005]

≪画像および関連情報≫
 ●「豊洲移転」の真の理由と築地の真価を問う
  ───────────────────────────
   小池百合子氏が反・自民都連を打ち出し、鳴り物入りで都
  知事に就任したのは1年前のこと。五輪、築地問題で「決め
  られない政治」と批判されれば「おっさん政治」と切り返し
  離党、写真集発売と常に話題をふりまいてきた「小池劇場」
  だが、課題は依然、山積み。迫る都議選を前に、国政にも影
  響大な「都民ファースト」の中身と行方を徹底検証する。第
  2弾は築地市場の移転問題の行方──。
   築地市場(東京都中央区)の移転問題で6月20日、小池
  百合子都知事は緊急記者会見を開き、豊洲(同・江東区)へ
  中央卸売市場を移転し、築地跡地は5年をめどに再整備する
  基本方針を発表。「世界の台所」は「食のテーマパーク」と
  して再開発し、市場機能をも持たせるというプランを打ち出
  した。「築地は守る。豊洲は活かす」
   こう述べる小池都知事だが、将来の市場併存について具体
  策は、今後の課題、都民の動向次第となった。都政の重要課
  題である市場問題が動き出すことになるが、母親や女性たち
  の多くが懸念する「安全・安心」の問題を含め、私たち自身
  が築地市場の問題と向き合うことが求められている。そもそ
  も築地市場の豊洲への移転計画は、1999年4月に都知事
  となった石原慎太郎氏が同年9月、「古い、狭い、危ない」
  として、築地より広い豊洲への移転方針をトップダウンで決
  めたことに遡(さかのぼ)る。しかし計画が進むにつれて、
  市場として使えるスペースが築地よりもかえって狭く、業者
  にとって使い勝手が悪く、有害物質による汚染もあり危険で
  あるという問題が明るみに。   http://exci.to/2sBA9G0
  ───────────────────────────

石原慎太郎元知事.jpg
石原慎太郎元知事
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2017年07月10日

●「築地ブランドを失ってもいいのか」(EJ第4559号)

 現在は世界中で「日本食ブーム」が起きています。日本への観
光客も急増しています。日本中に外国人が溢れている感じです。
それらの訪日外国人の声を聞くと、多くの日本食のなかでも、新
鮮な生のネタを使う寿司は、日本で食べるものがいちばんおいし
いといいます。今や寿司店は世界中にありますが、日本で食べる
寿司はまるで別物のように感じられるようです。
 それは、水産物の「目利なのです。それが「築地ブランド」な
のです。築地市場がものをいっているのです。市場が日本食の味
に深く絡んでいるのです。
 世界の卸売市場は物流センター化が進んでいます。築地市場の
ように床にマグロがゴロゴロしている市場は今どきなくなってい
るのです。しかし、それと引き換えに物流センター化した市場で
は、総じて味覚文化の水準が低下したといわれています。
 かつての話ですが、スーパーの魚が二級品だった時代が長く続
いたことがあります。それは仕入れの失敗です。魚を相対取引で
購入していたからです。築地市場では、元卸の持ち込んだ魚から
仲卸が良い魚をセリで競り落としてしまいます。これらの魚の目
利きが選んだ飛び切りの魚は、その時点でなくなってしまうこと
になります。
 築地市場では、セリが終わるとベルが鳴り、競り残った魚が相
対取引で販売されます。それをスーパーは資本力を生かして仕入
れていたのです。だから二級品の魚になってしまいます。現在で
は、卸売市場法の規制緩和により、セリよりも先に相対取引が行
われるようになっています。そのため、セリそのものもなくなり
つつあるといえます。つまり、卸売市場を近代化すればするほど
セリのような中間機構、つまり仲卸の仕事はなくなっていくので
す。このことについて既出の中沢新一氏は、次のように日本の魚
河岸の伝統である「仲卸」の役割の重要性を説いています。小池
知事にも耳を傾けて欲しい言葉です。
─────────────────────────────
 いまいろいろなところで、市場の物流センター化が進んでいま
す。日本の地方市場でもそういうことが起きています。物流セン
ターには仲卸という存在がいません。セリもなくされていく傾向
にあります。僕はそれをあらゆる種類の「中間機構」を廃止して
いこうとする、現代の資本主義の全体的傾向に対応した変化と見
ています。食文化のようなデリケートな領域では、それがどうい
う状況を作り出していくかは、いまからでも予想がつきます。
 その先には当然、電子取引の世界が待っています。「種」とい
う「中間機構」を排除してしまうそういう世界では、「個」は直
接剥きだしの状態で「普遍」に向かい合うことになります。(中
略)築地市場なんて古めかしい汚いもの潰してしまえと、乱暴な
ことを言っている人たちがいます。それを聞くと、なんて時代遅
れの人たちなんだろうと感じます。
 市場を物流センターに作りかえる。これは何を言っているかと
いうと、生命と自然を結ぶ活動をしている「中間機構」である仲
卸たちを、市場から排除することにほかなりません。それはある
種のモダニズムの極限ではありますが、そういう近代型の資本主
義はもう終末に向かっているのではないでしょうか。
           ──伊東豊雄氏×中沢新一(徹底討論)
               「『みんなの市場』をめざす」
           『現代思想』2017年7月臨時増刊号
─────────────────────────────
 伊東豊雄氏という建築家がいます。高松宮殿下記念世界文化賞
やRIBAゴールドメダル、日本建築学会賞作品賞2度、グッド
デザイン大賞、2013年度プリツカー賞などを受賞している一
流の建築家です。
 伊東豊雄氏は、新国立競技場のコンクールに参加し、最終選考
11作品に残っていますが、もともと旧国立競技場を改修して再
生させるというプランを提案していたのです。それは明治神宮を
包み込んでいる森に建てられるべき建物はどうあるべきかという
観点を踏まえての提案だったのです。
 実は、築地市場移転問題は、国立競技場問題に酷似しているの
です。東京五輪をビジネスとして考えている人たちは、あくまで
旧国立競技場を壊して新しく作ることを前提にしているのです。
そういう人たちは、国立競技場を神宮の森のなかに建つ建築物の
ひとつとしては考えていないのです。
 したがって、伊東豊雄氏のプランは余計なお世話とばかり、完
全に無視され、旧国立競技場は解体されてしまったのです。そし
てザハ案が一度は採用されたのですが、安倍首相によって撤回さ
れ、再度コンペティションが行われたのです。伊東豊雄氏は、採
択はされなかったものの、このコンペティションにも参加し、B
案とと呼ばれる設計案を提出しています。
 中沢新一氏は伊東豊雄氏と一緒に築地市場を見学に行ったとき
のことです。最後に築地市場の全体を見渡せる屋上の駐車場に上
がり、市場全体を見渡したとき、伊東氏はポツリとこういったそ
うです。「ここは聖地なのですね・・・」と。中沢氏は「聖地」
とはどういう意味かと尋ねると、伊東氏は次のように話してくれ
たそうです。
─────────────────────────────
 僕が「聖地」という意味は、その場所が特別な力を持っている
ということです。明治神宮の内苑・外苑も上から見たらあそこだ
けが森としてぽっかりと残っていて他は開発の手が余すところな
く入り込んでいる。それは何か特別な謂れがないと残されない空
間です。最初のザハ案があの場所に実現されてしまったら、外苑
はグローバルな経済によって犯された風景になってしまう。だか
ら、僕はコンペティションに参加する前には、改修で十分ではな
いかと話していました。──伊東豊雄氏×中沢新一(徹底討論)
           『現代思想』2017年7月臨時増刊号
─────────────────────────────
              ──[中央卸売市場論/006]

≪画像および関連情報≫
 ●汚される“聖地”「国立競技場」解体工事の官製談合疑惑
  ───────────────────────────
   2020年東京五輪・パラリンピックのメーンスタジアム
  として立て替えられる国立競技場(東京都新宿区)の解体工
  事入札が、異例の事態に陥っている。発注元の職員が参加業
  者の入札関連書類を提出期限前に一方的に順次開封し、その
  上で予定価格を操作したのでは−との官製談合疑惑が浮上、
  国会でも追及されたのだ。12月には3回目の入札が行われ
  るが、一連の騒動の波紋は収束しておらず、「五輪の聖地」
  が紡いだ栄光の歴史に汚点を残しかねない情勢だ。
   10月7日の臨時国会参院予算委員会は、緊迫した空気に
  包まれていた。「手続きが不公正で官製談合の疑いがある」
  7月に行われた国立競技場の解体工事の入札をめぐり、参加
  業者から内閣府に官製談合を疑う苦情申し立てがあったこと
  について、民主党の蓮舫氏が疑惑を追及した。それに対し、
  工事発注元で、参考人として出席した独立行政法人「日本ス
  ポーツ振興センター」(JSC、東京都港区)の河野一郎理
  事長は「第三者を入れた部会の調査で、談合なしと決定して
  いる」と、疑惑の払拭に努めた。ただ、河野理事長は蓮舫氏
  の別の質問に、弁護士や公認会計士らによるJSCの調査部
  会が入札担当職員に直接聞き取りをしないまま「談合の事実
  はなかった」と判断していたことも明らかにし、調査手法に
  も懐疑的な視線が注がれた。    http://bit.ly/2uIRN74
  ───────────────────────────

中沢新一氏.jpg
中沢 新一氏
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2017年07月11日

●「卸売業者の意見をなぜ聞かないか」(EJ第4560号)

 東京都議選の投票日直前に毎日新聞は、「中央卸売市場」を築
地から豊洲に移転すべきかどうかについて世論調査を行い、次の
ように伝えています。
─────────────────────────────
 毎日新聞が6月27、28両日に実施した電話世論調査で、豊
洲市場(江東区)の移転問題については「移転すべきだ」が28
%で、「移転を中止し築地市場を再整備すべきだ」の21%を上
回った。【樋岡徹也、関谷俊介】    http://bit.ly/2sS2UOP
─────────────────────────────
 「豊洲移転すべき28%/築地を再整備すべき21%」──大
差ではないことと、男女で意見に大きな差があるのです。男性は
「移転すべき」は4割で「再整備」の倍であるのに対し、女性は
「どちらともいえない」が54%を占めています。
 東京都の小池知事は、築地/豊洲併用論を打ち出していますが
その具体的内容は明らかになっておらず、知事自身は、どちらと
も決めていないのが現状であると思われます。都議会で態度を明
確にしているのは自民党と公明党の「豊洲移転」、共産党は「築
地再整備」です。自民党と公明党は、都議会の与党として「豊洲
移転」を推進しており、共産党ははじめから「豊洲移転」に反対
し、一貫して「築地再整備」を主張しています。
 現在、豊洲移転に反対する人のほとんどは、土壌汚染が解決し
ていないことを最大の原因に上げています。素人にはこれが一番
わかりやすいからです。しかし、そこを仕事場として使う市場関
係者の多くは、豊洲市場の市場としての使い勝手の悪さに強い不
満を持っているのです。
 一方、人類学者の中沢新一氏をはじめとする文化人、三国英実
氏などの農業・水産関係の専門家、伊東豊雄氏や森山高至氏など
の建築家の多くは、一貫して「築地市場は残すべきである」とし
て築地再整備を主張しています。
 それなら、都議会与党の自民党と公明党はなぜ「豊洲移転」を
推進したのでしょうか。それは、豊洲に新しい市場をつくろうと
する意思よりも、築地から市場を立ち退かせ、跡地の築地を再開
発しようとする何らかの強い意思が働いていたというしかないと
思うのです。そもそも市場よりも、移転後の築地の土地に最大の
関心があったということです。それは、築地が銀座にも近く、交
通の便もいい東京都の中心部であり、価格も高く売却できるから
です。この考え方は、かつて東京市の、日本橋魚河岸を移転させ
ようとする考え方に似たところもあります。
 ところで、築地市場の移転を決定し、豊洲の東京ガス跡地に土
地を取得し、移転を推進したのは石原慎太郎知事その人です。石
原氏は、自分が知事になったときには移転の方向は決まっていた
ので、その方針に沿って進めただけといっていますが、「築地市
場移転問題をめぐる」年表を見ると、石原知事が最初から相当の
意欲を持って、移転を進めたことは明白です。
 石原慎太郎氏がはじめて東京都知事に就任したのは、1999
年4月のことです。その11月に東京都は、東京ガス側に市場の
移転候補地として豊洲が最適であることを伝えています。ここに
石原氏の意思が入っていることは間違いないことです。
 問題なのは、石原都政時代の東京都が豊洲市場を設計するさい
築地の市場関係者の一部からしか意見を聞かず、独断で進めたと
みられることです。とくに市場の仲卸業者には秘密にしていたよ
うです。既出の中沢新一氏は、伊東豊雄氏との対談で、そのこと
を次のように述べています。
─────────────────────────────
 豊洲新市場の建築計画は当初、市場の仲卸たちには秘密にして
進行していたようです。それで出来上がった建物をはじめて案内
された市場の人たちは、思わず絶句して、帰りのバスの中はさな
がらお通夜のようだった。そのあとしばらくして、盛り土がなさ
れていなかったことや、土壌汚染があいかわらずの酷さだったこ
とがわかってきて、移転にたいする気持ちが変わってきた。
 築地市場の人たちの気持ちとしては、当初は移転も仕方のない
ことだと思っていたようです。しかし、じっさいに豊洲新市場の
建築を知るようになって、ここでは自分たちは、仕事ができない
と痛切に感じるようになりました。それほどに、豊洲新市場の建
物群は、ナマものを扱う市場の仕事場にふさわしくない構造をし
ているのです。    ──伊東豊雄氏×中沢新一(徹底討論)
               「『みんなの市場』をめざす」
           『現代思想』2017年7月臨時増刊号
─────────────────────────────
 なぜ、仲卸業者の意見を聞かないで、豊洲市場を建設したので
しょうか。それは、仲卸関係者のほとんどが一貫して市場移転に
反対していたので、意見を聞くことができなかったものと思われ
ます。確かに、新任の石原知事が築地市場の移転を考えていると
知った市場関係者は、1999年12月にそれに反対する総決起
大会を開いているからです。この総決起大会には、日本共産党都
議団も参加しています。
─────────────────────────────
   1999年12月
   「築地市場移転に断固反対する会」総決起大会開催
─────────────────────────────
 かつて東京市は関東大震災を奇貨として、かなり強引に日本橋
魚河岸を築地に移転させましたが、そのさい移転に当たっては、
そこで働いていた業者の意見を取り入れ、何とか日本橋魚河岸の
文化を残そうと努力しています。その結果、魚河岸の文化は築地
に確実に伝えられ、さらなる発展をしたのです。
 しかるに築地市場の豊洲移転はついては、業者に対して少なく
ともそういう配慮はまったくなされていないのです。完成してか
ら案内され、仲卸業者たちは愕然としたのです。そのときはじめ
て豊洲市場が業者の立場に立った設計になっていなかったことが
わかったのです。      ──[中央卸売市場論/007]

≪画像および関連情報≫
 ●豊洲市場をゼロから見直すべきこれだけの理由
  ───────────────────────────
   結論から言うと、豊洲問題の解決には、日本の食文化がか
  かっているという視点が必要だ。かねてから様々な問題が指
  摘されてきた築地卸売市場の豊洲移転問題が、ここに来て、
  二進も三進もいかない状況に陥っている。
   元々、土壌が汚染されていることがわかっているガス会社
  の工場跡地に、世界最大の食品市場を移転させることには、
  根強い反対意見があった。しかし、市場の移転によって、築
  地という銀座から徒歩圏内にある都内の一等地の広大な土地
  の再開発が生み出す莫大な経済的利益は、そんな懸念をかき
  消すのに十分な魔力を持っていた。旨味、といった方がいい
  かもしれない。だから、もともと豊洲は食品市場の移転先と
  して立地条件が適していたから選ばれたわけではない。元々
  築地の再開発ありきで、押し出されるように豊洲に追いやら
  れた市場だ。設計段階から多くの問題を抱えたままの見切り
  発車となった。
   最近は豊洲市場問題で毎日のようにテレビに出ている一級
  建築士で建築エコノミストの森山高至氏は、地下水の汚染や
  盛り土問題が浮上する以前から、建築家の視点で、豊洲市場
  の問題点を自身のブログなどで指摘してきた。
                   http://bit.ly/2uXtAKz
  ───────────────────────────

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築地市場移転反対に立ち上がった市場業者
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2017年07月12日

●「なぜ、豊洲移転の話が出てきたか」(EJ第4561号)

 こんな話があります。1986年9月のことです。中曽根内閣
の副総理で民間活力担当であった金丸信氏らの何人かの閣僚は、
当時の東京都の鈴木俊一知事の案内で、東京臨海部と豊洲、晴海
地区を遊覧船で視察したのです。
 そのとき、金丸副総理は船を豊洲埠頭に着けて欲しいと要望し
ます。だが、そのときは、船を埠頭に着けることはできなかった
ので、海上からの視察になったのですが、もうひとつ金丸副総理
は鈴木知事に次の要望を出していたのです。
─────────────────────────────
 臨海部を視察後、東京ガス本社で、鈴木知事と東京ガスの安
 西浩会長と会食をしたい。        ──金丸副総理
─────────────────────────────
 この要望に鈴木知事は、東京ガスの意図を察し、会食は断った
といわれます。東京ガスはこの頃から豊洲の再開発を狙っていた
のです。実際に金丸氏は視察後、「金丸民活懇」を発足させ、積
極的にウォーターフロント開発構想を打ち上げたのです。東京都
はこれを受けて1988年に次の方針を策定しています。
─────────────────────────────
   臨海部副都心開発基本計画+豊洲+晴海開発基本方針
                      ──東京都
─────────────────────────────
 しかしこのとき鈴木知事は、築地市場の移転はまったく考えて
おらず、1986年の第4次再開発基本方針に基づき、1991
年1月から築地での再整備工事を進めていたのです。この基本方
針によると、築地の老朽化、狭隘・過密化などによって、再整備
が急務であるとし、次のように書かれています。
─────────────────────────────
 築地市場を他の場所に移転することは、流通の実体、社会的要
因から極めて難しい。現在地は隅田川の河口に面し、周辺には豊
海などの冷蔵庫群が控えるという優れた地理的条件下にありなが
ら、しかも22・5haという都心部としては広い敷地を有して
いる。                http://bit.ly/2uLlxB5
─────────────────────────────
 これは、鈴木俊一知事には築地を移転させるという考え方が、
まったくなかったことを示しています。それどころか、1988
年11月に鈴木知事は、築地市場の再整備に当たって基幹施設は
平面という卸売市場業界の常識に反する「水産1F/青果2F」
という前例のない大規模立体化計画を築地再整備基本計画として
決定しています。このように、鈴木市長は築地再整備になかなか
意欲的であったことがこれでわかります。
 それが青島幸男知事を経て石原慎太郎知事になって一変するの
です。石原氏は、知事就任のとき、既に豊洲市場への移転の方向
は決まっていたといっていますが、これは事実と異なります。し
かし、市場問題にはまるで関心のなかった青島幸男知事の時代に
都の市場部が築地市場の移転の可能性を密かに検討しはじめてい
たことは確かです。
 不思議なのは、営業を続けながら工事を続けてきた築地の再整
備工事が、1996年、約400億円を注ぎ込んだ時点で、突然
中断されたことです。一般的には工事が行き詰っていたといわれ
ますが、それを裏付ける事実はないのです。この工事中断は青島
知事の時代ですが、青島知事は市場問題には関心がなかったので
役人の中断するという報告をそのまま受け入れたものと思われま
す。それ以来、「築地の再整備は困難である」との噂が意図的に
流さるようになります。
 1996年1月、当時の市場長は「年頭会見」で、次のような
発言をしています。
─────────────────────────────
 築地市場の移転を検討するとすれば、豊洲なら可能性がある。
築地市場は現行計画を見直す必要がある。
                ──番所宏育東京都庁市場長
                   http://bit.ly/2uLlxB5
─────────────────────────────
 この時点で都は築地市場の移転を模索しています。なぜ、築地
再整備を中断したのでしょうか。何しろ都民の税金が約400億
円も既に使われているのです。
 1997年10月、東京都は、第14回再整備推進協議会にお
いて、次の発言をしています。
─────────────────────────────
 これまで関係業界から要請のあった移転候補地について、@臨
海副都心地区、A晴海地区、B豊洲地区が考えられるが、検討の
結果、Bについてはわずかながら可能性がある。
                   http://bit.ly/2uLlxB5
─────────────────────────────
 この時点では、東京都は築地再整備を完全に諦め、移転候補地
を探しています。これら、3つの候補地のうち、臨海副都心地区
は既に利用計画が具体的に決められており、入る余地はないとし
晴海地区については地域が狭すぎるとして外され、消去法で豊洲
地区が有力候補になっていたのです。
 「築地市場の現在地での再整備について」というタイトルの東
京都の文書には、豊洲について次の記述があります。あくまで豊
洲ありきですが、そこが東京ガスの跡地であることを知りながら
土壌汚染についてはまったく考慮されていないのです。
─────────────────────────────
 豊洲地区については、住宅系を中心とした開発整備計画が都と
して決定され、地権者との話し合いが進んでいるが、本地区は地
権者も少ないため、築地全業界が一致結束し、さらに、開発整備
計画の変更を都として決定すれば、100%不可能ではないであ
ろう。                http://bit.ly/2uLlxB5
─────────────────────────────
              ──[中央卸売市場論/008]

≪画像および関連情報≫
 ●豊洲移転問題に見るファイナンス・リテラシーの壁
  ───────────────────────────
   今回取り上げるのは、メディアを賑わせている築地市場の
  豊洲移転問題です。「誰が決めたのか」「責任は誰にあるの
  か」「瑕疵担保条項をなぜ放棄したのか」といった議論を連
  日目にし、ファイナンスを勉強した諸氏の中には違和感を抱
  く方が結構いるのではないでしょうか?
   ファイナンスを学ぶ際、例えばグロービス経営大学院では
  ケーススタディを通じて「油田発掘プロジェクトAは初期投
  資が少ないが埋蔵量も少なく、Bはその逆。どちらを採用す
  べきか」「A社はX社を買収すべきか、それとも設備投資を
  増やして自力成長を目指すべきか」「A社は自社生産を外部
  アウトソースに切り替えるべきか」という意思決定の訓練を
  繰り返し行います。それらの分析の王道(というか唯一の判
  断基準)は、「それぞれの計画案の総投資額とそのプロジェ
  クトが将来にわたって生み出すキャッシュフローの正味現在
  価値(NPV)を計算して、NPVの高い方のプロジェクト
  を選択する」という方法です。
   築地市場に投資して再整備するか、豊洲へ移転するか、と
  いう問いは上記のケーススタディの応用事例にすぎません。
  (公共事業なのでどちらのNPVもマイナス、どちらがより
  小さいか、となるかもしれませんが)。
                   http://bit.ly/2tIny0F
  ───────────────────────────

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鈴木俊一元東京都知事
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2017年07月13日

●「なぜ築地再整備は中断されたのか」(EJ第4562号)

 なぜ、鈴木俊一知事が肝入りで、1991年から営業を行いな
がら鋭意進めてきた築地市場再整備工事を1996年になって突
然中断したのでしょうか。
 築地再整備中断の表向きの理由として東京都が上げているのは
次の2つです。
─────────────────────────────
 1.予定されていた築地再整備総予算の2380億円よりも
   1000億円以上かかることが明らかになったこと
 2.営業を続けながらのローリング工事は困難があり、工期
   が予定の14年から20年に延びる恐れがあること
─────────────────────────────
 これは事実上の「築地再整備不可能」の宣言です。この言葉は
築地市場移転派がつねに口にする言葉です。「築地市場の再整備
なんか今まで何回も失敗している。現実的ではない」です。
 しかしこれは東京都の大ウソなのです。このウソを暴いた人が
います。一級建築士の水谷和子氏です。水谷和子氏は次のように
述べています。
─────────────────────────────
 私は今年、市場問題を調査する都議会の百条委員会に提出され
た段ボール箱174個分もの資料のリストから、「これは・・」
と思える資料は情報開示請求して改めて確認。根気のいる作業で
したが、20年続いたウソを裏付ける証拠資料をようやく手に入
れました。         ──水谷和子/「日刊ゲンダイ」
                   http://bit.ly/2tLwzGr
─────────────────────────────
 水谷和子氏は、これらの百条委員会用に提出された膨大な資料
を基にして、「日刊ゲンダイ」に次の4回の連載を掲載していま
す。この連載によって、東京都が築地市場を豊洲に移転させるウ
ラの話がわかるので、以下は水谷氏の連載を参照にして記述する
ことにします。
─────────────────────────────
          一級建築士/水谷和子著
       「築地移転/20年目の事実」
   2017年6月22日〜6月27日付/「日刊ゲンダイ」
─────────────────────────────
 1999年5月11日のことです。石原慎太郎知事が当選して
から約1ヶ月後のことです。同日の午後2時35分に、ある会議
が行われているのです。出席者は次の通りです。
─────────────────────────────
 期日:1999年5月11日
 時間:午後2時35分〜3時00分
 場所:東京都庁7階小会議室
 議題:中央卸売市場の事業説明の概要
 出席:石原慎太郎知事、浜渦武生特別秘書、福永正通副知事、
    青山やすし副知事
 主催:東京都市場当局
─────────────────────────────
 ここでどのような話があったかについては、会議資料から窺い
知ることができます。それは、築地市場の再整備の現況の報告と
市場会計の積立金の説明であると思われます。なお、情報が限ら
れているので、推定も交えて書いています。
 市場会計の積立金は3005億円。このうち、既に400億円
を一般会計に貸し付け、その資金は築地市場再整備に使われてい
ます。つまり、現在の積立金はその分を引くと、2605億円と
いうことになります。
 ちなみに、築地市場を含む都内11ヶ所の卸売市場の会計予算
は東京都の一般会計からは切り離し、独立採算が原則です。この
3005億円は当時の築地市場の再整備工事の費用として蓄えて
きたものです。さらに1999年度には、2000億円を築地市
場再整備用として、一般会計に貸し付けることになっているので
す。そういう計画だったからです。
 しかし、400億円を一般会計に貸し付けた1996年時点で
築地再整備工事は中断され、当然のことながら、このことは実行
されていないのです。しかし、積立金の残高は会議の時点では、
605億円に減っているのです。
 どうしてこのようなことになるのでしょうか。この会議では、
その事情が説明されたものと思われます。その事情について、水
谷和子氏は次のように述べています。
─────────────────────────────
 なぜ巨額の積立金を無謀にも取り崩したのか。その答えには、
当時の東京都の財政状況が大きく影響しています。88年に当時
の鈴木俊一都知事が鳴り物入りで立ち上げた「東京臨海副都心開
発基本計画」──。土地の投機熱が頂点に達していた頃の壮大な
プロジェクトは、バブル崩壊によって進出企業が次々と撤退。臨
海部の開発資金は、主に進出企業に出資を募る独立採算の特別会
計(臨海会計)で賄っていましたが、撤退企業への権利金の返済
ラッシュで行き詰まったのです。
 そして臨海会計はいよいよ底を尽き、現預金の残高は2000
万円弱という悲惨な状況となりました。その臨海会計の破綻危機
を救ったのが、築地再整備の積立金でした。一般会計に貸し付け
た計2400億円は巡り巡って、バブル政策の尻拭いに流用され
たのです。                 ──水谷和子著
         「築地移転20年目の真実」/日刊ゲンダイ
                   http://bit.ly/2tH2lWM
─────────────────────────────
 何ということでしょうか。もともと築地市場再整備のための予
算は東京都のバブル政策の尻拭いに使われていたのです。これが
築地再整備が進まない原因です。東京都の役人が築地市場の移転
地を探しはじめたのは、こういう事情だったのです。
              ──[中央卸売市場論/009]

≪画像および関連情報≫
 ●小池百合子都知事よ「愚鈍なロバ」となるなかれ
  ───────────────────────────
   「ビュリダンのロバ」という寓話(ぐうわ)がある。腹を
  すかせたロバが、左右2方向に分かれた辻に立っている。そ
  れぞれの道の先には同じ距離、同じ量の干し草が置かれてい
  るが、いずれか一方を選べずに餓死してしまう。両者に優劣
  をつけることができないという「選択の壁」にぶつかり、結
  果として身を滅ぼしてしまうことを表しているらしい。
   ことほど左様に意思決定は難儀なものだ。まさか東京都の
  小池百合子知事はロバと同じ轍(てつ)は踏むまいが、混迷
  する築地市場の移転問題をみるにつけ余計な心配がよぎって
  しまう。豊洲への移転か、築地の再整備か−。分かれ道を作
  り出したのは他ならぬ小池氏だった。移転延期を表明したの
  が昨年8月31日。以後、豊洲市場の主な建物下に土壌汚染
  対策の盛り土がなかった実態や、不透明な施設落札の経緯、
  基準値を大幅に超える有害物質の検出など次々と問題が噴出
  した。延期の決断がなければ表沙汰にならなかったであろう
  事柄もあり、都行政のずさんさや怪しげな利権構造の一端を
  暴いたという点では、まさに「小池流」の面目躍如だ。
   加えて、都議会百条委員会という“お白州”に石原慎太郎
  元都知事を引っ張り出す流れを作り、「大年増の厚化粧」発
  言の意趣返しまで果たした。小泉純一郎元首相や橋下徹前大
  阪市長らと同様、仮想敵を仕立て、メディアを通じた劇場型
  の手法で世論を導く政治的センスは出色。圧倒的支持率もう
  なずける。            http://bit.ly/2ucGuXE
  ───────────────────────────

水谷和子氏.jpg
水谷 和子氏
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2017年07月14日

●「築地再整備は実質何もしていない」(EJ第4563号)

 築地再整備を決めた鈴木俊一知事は都知事4選を果たしており
4期目は次の4年間です。この期間中に築地の再整備工事は進め
られていたはずです。
─────────────────────────────
    鈴木俊一知事/4期目
    1991年4月23日〜1995年4月22日
─────────────────────────────
 確かに、東京都は築地市場の「第4次再整備基本方針」に基づ
き、1991年1月から築地の再整備工事をはじめています。こ
の工事は、鈴木都政の4期目の4年間を通して、続けられていた
ことになっています。しかし築地市場の完成当時の写真と見比べ
ても、どこをどのように工事したのか、はっきりしないのです。
写真を見ても、どこも変わっていないように見えるからです。
 もちろん、当初の工期は14年ですから、鈴木知事退任後さら
に10年間工事を続け、2005年に完成する予定だったことに
なります。何とも超スローペースの工事です。もっとも営業を続
けながらの工事であり、当時は築地の最盛期であったので、時間
がかかることは理解できますが・・・。
 実は、鈴木都政4期目の4年間を通して、準備段階で400億
円を使いながら、仮説の駐車場などを作っただけに止まっている
のです。したがって、築地市場自体は何も変わっていないのは当
然のことです。なぜそうなったのかというと、理由は次の3つに
絞られます。
─────────────────────────────
       1.種地が確保できなかったこと
       2.あまりに時間と費用がかかる
       3.業界の調整が大変だったこと
─────────────────────────────
 ここで「種地」とは、工事のためある部分を移動するための土
地のことです。そのため、業者同士でモメたりと、いろいろ大変
だったことは理解できます。この築地再整備について、建築家で
東北芸術工科大学教授の竹内昌義氏は、築地再整備について次の
ように述べています。
─────────────────────────────
 この平成元年(1989年)前後は築地市場のピークの時期で
ある。最も混んでいた時代である。計画自体は青果と水産で二階
建て。再開発のビルが新大橋通り沿い、隅田川沿いにも建設され
る大規模な再開発プロジェクトであった。ローリング(少しずつ
工事の現場を移動していき、結果として全部の工事をする方法)
するためのスペースがなかったことも理解できる。しかし、当時
のローリング工事の計画は、市場機能の配置に対しての配慮があ
まり感じられない。ここから約30年、時代は大きく変化したの
である。        ──竹内昌義著/「築地市場改修案」
           『現代思想』2017年7月臨時増刊号
─────────────────────────────
 5年間という年月をかけて、しかも400億円もの大金を使っ
てできたのは「仮設の駐車場」だけです。そんな馬鹿なことはな
いと思います。したがって、1996年に一般会計に築地再整備
費用の名目で貸し付けた400億円もバブル政策の後始末に使わ
れたものと思われます。したがって、その後の追加の2000億
円と合わせて「臨海会計」のために使われたのです。
 つまり、東京都は最初から築地再整備などやる気はなかったの
です。ただし、東京都の市場当局としては、鈴木知事の治世下で
は最小限の工事にとどめ、築地再整備にはまるで関心のない青島
治世下の4年間で築地の移転地を必死で探していたものと思われ
ます。青島幸男知事は、臨海副都心計画は実施しないことを公約
にして当選しているのです。
 築地再整備のための市場会計の積立金がバブル政策の後始末に
使われたのではないかという噂は市場関係者間ではかなり広がっ
ていたようです。築地問題に詳しいジャーナリスト池上正樹氏の
レポートによると、ある市場関係者は次のように述べています。
─────────────────────────────
 当初、築地での再整備計画で、都は約2400億円の予算を組
んでいたんです。しかし、バブルが崩壊して、臨海再開発も失敗
し、財政が悪化した。本来は、築地再整備のための独立会計予算
をその穴埋めで使ってしまい、資金が不足した。だから築地を売
却して、移転するしかなくなってしまったのです。
                   http://bit.ly/2uLlxB5
─────────────────────────────
 これに加えて池上正樹氏は、「東京魚市場卸協同組合五十史」
の次の記述を紹介しています。
─────────────────────────────
 都の路線変更にあったのは、バブル経済の破綻で都市場の財政
事情が極めてひっ迫してきたことがある。都市場は企業会計方式
を採用しており、施設整備費の大部分は起債に依存していた。使
用料で賄うことなどは殆ど不可能である。起債残高が1000億
円もある中で、すべてを築地市場に投入するわけにはいかない事
情があった。             http://bit.ly/2uLlxB5
─────────────────────────────
 このように、築地市場を再整備するための積立金を取り崩して
しまった東京都の市場当局としては、それを取り戻す方策として
考えたのが築地市場の売却です。今や築地は銀座に近い東京の一
等地であり、高く売れるからです。
 その代わり、築地市場をどこかに移動させる必要があるが、な
るべく土地の安い場所に移動させることができれば、市場を建て
ても欠損の穴埋めができるからです。そしてそのターゲットとし
て選ばれたのが、豊洲の東京ガスの跡地なのです。そのさい、食
の安全・安心のことはまるで考えていなかったのです。まさに役
人の浅知恵です。土壌汚染のことなどほとんど考えていなかった
と思われます。       ──[中央卸売市場論/010]

≪画像および関連情報≫
 ●なぜ豊洲が選ばれたのか/「築地移転延期」
  ───────────────────────────
   そもそも、築地市場の移転先として豊洲が選ばれたのはな
  ぜか。老朽化が進んでいる築地市場をめぐっては、1980
  年代〜90年代に移転や現在地での再整備が検討されたが、
  調整の難航や整備費の増大などで、都はいったん計画を中断
  した。業界団体の要望などを受け、都は平成10年ごろから
  再び移転先の模索を開始。候補地には豊洲のほか、江東区の
  石川島播磨重工業造船所跡地や有明北、中央防波堤内側、中
  央区晴海の5ヶ所が挙がった。
   選定の条件となる用地の広さや交通アクセス、築地の商圏
  への近さを検討し、都は豊洲のみが全ての条件を満たすと判
  断した。ただ、対象地は東京ガスの工場跡地で、同社は土地
  売却に前向きではなかったが、移転を進める石原慎太郎知事
  (当時)は“右腕”の浜渦武生副知事(同)を交渉役にあて
  「三顧の礼を払って説得した」(石原氏)。
   ガスの製造過程ではベンゼンやシアン化合物、ヒ素などの
  有害物質が発生する。13年の同社による調査で、工場跡地
  の土壌から環境基準の1500倍に上るベンゼンが検出され
  たが、都は「東京ガスの土壌汚染処理が完了すれば問題はな
  い」とし、反対の声も上がる中で、同年に豊洲移転を正式に
  決めた。             http://bit.ly/2tgbu54
  ───────────────────────────

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青島幸男元東京都知事
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2017年07月18日

●「最初からなかった築地再整備計画」(EJ第4564号)

 問題を整理します。築地再整備のために用意していた2400
億円の予算を、臨海副都心計画破綻の穴埋めに使ってしまった東
京都の市場当局は、何とかしてこの危機を乗り切る必要があった
のです。当時の市場長は宮城哲夫氏です。
 危機の打開策は、築地の再整備ではなく、中央卸売市場を別の
場所に移転させ、価値の高い築地を売って欠損している会計を修
復させるしかないと考えたのです。そこで、既にスタートしてい
た築地再整備工事を世間にはわからないよう事実上中断させ、築
地市場問題に関心の薄い青島幸男知事の4年間に、築地市移転の
候補地を探し、東京ガスの跡地しかないと判断したのです。
 そして、1999年5月11日に、宮城市場長は、就任間もな
い石原知事に対し、予算状況を説明し、そして、次のことを訴え
たのです。
─────────────────────────────
・豊洲の開発は、地権者との最終合意が平成13(2001)に
 予定されており、それから逆算すると、平成11(1999)
 年10月頃には結論を出さないといけない。
・豊洲周辺は道路の整備が進んでいるが、幹線道路の整備が平成
 27(2015)年には終了するので、その時点で移れば、現
 在地で20年、30年かけて整備するより、短時間で再整備を
 することができる。            ──水谷和子著
         「築地移転20年目の真実」/日刊ゲンダイ
                   http://bit.ly/2ulNulS
─────────────────────────────
 ひどい話です。この時点では工事中であるはずの築地の再整備
は断念し、「豊洲ありき」でコトは進んでいたのです。そのため
東京都は、築地再整備は困難、実現はさらに20年、30年かか
るという世論を形成しようとしていたのです。
 この刷り込みは、小池都政になった現在も根強く残っており、
築地市場の豊洲新市場への移転を「やむなし」とする移転推進派
のバックボーンになっているのです。確かに、築地再整備に着手
した1991年は築地市場は活況を呈していて、種地はなく、営
業を継続しながらでの再整備が困難だったのです。しかし、現在
では取扱高も半分に減少し、種地はいくらでもあるのです。それ
でもまだ再整備は多くの費用と時間がかかるので困難という人が
多いのは、この刷り込みの成果なのです。
 1999年5月11日の会議に話を戻します。宮地市場長が説
く築地市場移転について、その会議の出席者の一人である青山や
すし副知事は、次のように反対しています。
─────────────────────────────
 移転で腹を決めても、中央区は反対しているし、関係の議員も
反対している。また、移転跡地の売却を考えているが難しい面が
あるし、公園整備など一般会計の持ち出しが必要になることも考
えられ、慎重な判断が必要である。
               ──水谷和子著の前掲資料より
─────────────────────────────
 青山やすし氏は、小池知事登場後「築地か豊洲か」の問題で、
よくテレビに出演する機会がありますが、当時の責任者の一人で
あるにもかかわらず、テレビでは、まるで関係のない部外者のよ
うな発言をしています。しかし、当の石原知事はそのときの会議
では、次のような質問をしただけだったといいます。
─────────────────────────────
        ・遠洋漁船は築地に接岸できるのか
    ・大田市場の移転はどのくらいかかったのか
               ──石原慎太郎知事
─────────────────────────────
 石原知事にしてみれば、都知事に就任早々、鈴木都政以降の臨
海副都心計画破綻処理の難問を突きつけられ、築地市場どころで
はなかったといえます。1979年に初当選した鈴木俊一知事と
いえば、自民党をバックにして大企業が歓迎するハコもの行政を
展開した知事として知られています。
 新宿に巨大庁舎を建設して都庁を移転させ、江戸東京博物館や
東京芸術劇場を作り、臨海副都心開発を計画し、1989年に着
手しています。1980年代といえば、日本は株式市場に続いて
不動産価格も投機資金で沸騰していたのです。いわゆるバブル現
象ですが、その頂点が1989年だったのです。それから10年
後に石原都政が開始されることになります。
 このようにして築地再整備のための積立金はバブル処理のため
に使われてしまったのですが、石原都政の間を通じて、市場会計
だけではなく、さまざまな隠蔽工作が行われています。これらの
穴埋め隠蔽工作について、「櫻井ジャーナル」というタイトルの
ブログでは、次のように書かれていいます。ちなみにこのブログ
の記事の日付は、2013年12月になっています。
─────────────────────────────
 こうした中、進められた臨海副都心開発は破綻、2001年に
は「臨海副都心事業会計」を、黒字の「埋立事業会計」「羽田沖
埋立事業会計」と統合して帳簿上、赤字と借金の一部を帳消しに
するという詐欺的な行為に出る。が、地方債と金利負担がなくな
ったわけではなく、2013年から20年度までに約2465億
円を返済しなければならないという。この破綻プロジェクトを誤
魔化そうとすればするほど事態は悪化、このまま進めば東京はデ
トロイト化しかねない。
 鈴木から猪瀬まで東京都は大変な無駄遣いを続けてきたわけだ
が、その一方で福祉政策を切り捨て、学校や図書館などの予算は
削り、職員の給与を引き下げてきた。庶民が恩恵を受ける政策を
「バラマキ」と批判してきたマスコミは、巨大資本や富裕層を儲
けさせる政策には寛容な姿勢を示している。
                   http://bit.ly/2tsX01V
─────────────────────────────
              ──[中央卸売市場論/011]

≪画像および関連情報≫
 ●「豊洲移転&築地再開発」案はまやかし/平将明氏
  ───────────────────────────
   大田青果市場の元仲卸業者として、豊洲市場移転問題の行
  方を懸念していました。結論を先延ばしにしていた小池百合
  子都知事は都議選の前に決断、「豊洲移転&築地再開発」案
  をぶち上げ、7月2日の都議選に大勝しました。しかし、こ
  れは小池都知事が繰り出した”まやかし”で、このまま進め
  ることには警鐘を鳴らす必要があります。私はその正体を暴
  き、合理的解決策を導きたいと思います。
   豊洲市場移転問題については、私が前回のコラムで「決め
  ないわけにはいかない」と指摘した通り、小池都知事は都議
  選前に決断を下しましたね。豊洲への移転は歓迎したいと思
  いますが、まったく余分なのは築地の再開発。豊洲に移転し
  た後、築地に戻ってくるのは絶対にありえない。税金のムダ
  遣いになるので止めなければいけません。
   小池都知事の何が一番の罪かというと、築地の人たちを分
  断したことです。30年近く時間をかけてようやく豊洲に行
  くと心を一つにしたのに、それを昨年11月に止め、分断し
  てしまいました。また、築地の再整備ができるというような
  ことを打ち出し、さらに分裂を深めました。小池都知事は、
  「決断できない」という批判もあり、それが都議選に不利だ
  という考えから決断を演出したわけです。
                   http://bit.ly/2tWLQpP
  ───────────────────────────

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青山やすし元東京都副知事
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2017年07月19日

●「石原元都知事はどう決断したのか」(EJ第4565号)

 1999年5月11日の会議で、築地市場再整備の予算の状況
と豊洲ありきの市場移転計画を聞いた石原知事は、結局、3ヶ月
後に築地市場を豊洲に移す決断をしたのです。宮城市場長の次の
言葉が知事の早期決断を促していたからです。再現します。
─────────────────────────────
 豊洲の開発は、地権者との最終合意が平成13(2001)に
予定されており、それから逆算すると、平成11(1999)年
10月頃には結論を出さないといけない。   ──水谷和子著
         「築地移転20年目の真実」/日刊ゲンダイ
                   http://bit.ly/2ulNulS
─────────────────────────────
 宮城市場長は「1999年10頃まで」と石原知事に決断を求
めたのです。決断までには5ヶ月しかないのです。結局、石原知
事は3ヶ月で結論を出しています。そのとき、石原知事は、宮城
市場長らにどのような言葉で伝えたのでしょうか。
 水谷和子氏は、1999年8月10日付の「Gブリ資料」と、
8月13日付の「Gブリ概要」を開示請求をして入手し、次の石
原知事の言葉を掴んでいます。「G」とはガバナーのG、つまり
知事、「ブリ」はブリーフィングのことです。
─────────────────────────────
 ・移すだけの話。多摩の方に行くわけじゃないんだよな
 ・移転の場合、豊洲はいつ頃から工事に入る予定か
 ・いまのアクセスではだめだろ。この地区だけ、環2を早く
  つくればいいのでは
 ・予算の面が何より重要だな
 ・ローリング(築地市場を営業しながらの再整備)なんかで
  やっていられない。移転しかないな
 ・築地市場には視察に行く      ──石原慎太郎知事
              ──水谷和子著の前掲資料より
─────────────────────────────
 このようにして、東京都の市場当局は、市場会計の帳尻合わせ
のために、青島知事に相談することなく、築地市場での再整備を
あきらめ、築地市場の売却を前提にその移転先を東京ガス豊洲工
場跡地しかないと決めたのです。そしてそのその決断を着任早々
の石原知事に求めたのです。
 この一連の東京都の判断は、その後の都政に少なからぬ影響を
与えることになります。それは現在の小池都政でも「築地か豊洲
か」の論争を巻き起こしています。その問題点をまとめると、次
の4つになります。
─────────────────────────────
 1.豊洲市場への移転を正当化するため築地市場の再整備が
   困難であるとの嘘を宣伝をしたこと
 2.安全・安心を考慮しないで、ガス製造工場の跡地に中央
   卸売市場を移転させようとしたこと
 3.市場会計の帳尻合わせのために価値のある築地市場の売
   却を前提に移転させようとしたこと
 4.都民には築地市場を現地で再整備すると宣言しているの
   に実際には工事を行っていないこと
─────────────────────────────
 石原知事が豊洲移転を決断し、東京ガスとの交渉を実際にはじ
めることにしたのは、知事就任の半年後の1999年11月24
日のことです。その日、福永正通副知事が東京ガスを訪問しまし
たが、東京ガス側は「ただちに移転ありきの検討はできない」と
断っています。これには少し事情があるのです。
 石原慎太郎氏が都知事に就任する約6ヶ月前の1998年9月
21日のことですが、その日、東京都は東京ガスを訪問していま
す。このとき東京都は、ある事情について、東京ガス側に説明し
詫びを入れに行ったのです。どのような事情かについては、日本
共産党の赤旗編集局による著書から引用します。
─────────────────────────────
 開示された資料をみると、1998年9月21日、最初の東京
ガスとの話し合いが始まりました。この記録を見ると、話し合い
の発端は、都にたいして、水面下で臨海部への移転の可能性につ
いて、三菱総研に委託して調査していたことを抗議するものでし
た。臨海部への移転の可能性について、都が、東京ガス豊洲工場
跡地もその対象の一つとして、東京ガスに許可もなく8月から調
査を行っていたことが発覚し、同年9月21日になって経緯の説
明に東京ガスに訪問しました。
 東京ガス側は文書での謝罪も要求しました。このことが、築地
市場の移転との関連で問題になるのは、98年4月、市場業界6
団体から臨海部への移転可能性の調査・検討の要望が都に出され
て、水面下で都が具体的に動きだしていたということです。
        ──赤旗編集局著/日本共産党東京都議団監修
        『徹底追及/築地市場の/豊洲移転/崩された
             「食の安全・安心」/新日本出版社
─────────────────────────────
 当時、業界団体と東京都との間では「築地市場再整備推進協議
会」という公式な協議の場があったのです。その第15回の協議
会が1999年2月に行われているのですが、そのときは、19
97年10月開催の第14回の協議で確認された「築地現在地で
の再整備案を出発点とする」ということが全員で再確認されてい
るのです。つまり、この時点ではあくまで築地再整備だったので
すが、都の市場当局は内心豊洲移転を決めていたのです。
 そして1999年11月24日、福永副知事が東京ガスを訪問
し、豊洲の東京ガス跡地を買いたいと申し入れたのですが、東京
ガスは拒否しています。東京ガスとしては、東京都に対してよい
感情を持っていなかったと思われます。しかし、その後、石原知
事の命を受けた浜渦武生特別秘書が東京ガスを訪問し、水面下で
交渉を行うことが決まるのです。しかし両者が合意するまでには
2年の月日を要するのです。 ──[中央卸売市場論/012]

≪画像および関連情報≫
 ●東京都がひた隠す 豊洲汚染地・土地売買の深い闇
  ───────────────────────────
   これは犯罪だ。民間企業なら背任に問われる所業が、東京
  都では野放しになっている。豊洲新市場の土地買収に責任を
  負うのは誰なのか?汚染された土地の買収過程に疑問を抱い
  た市民らが、高値で購入したのは、公金の違法支出だとして
  「返還」を求めた裁判が佳境を迎えている。
   豊洲新市場が立つ土地は、もとは東京ガスの工場跡地だっ
  た。ガス精製過程で様々な毒物が出る。東京都は2001年
  に豊洲への移転を決定。東京ガスは同年、土地に汚染が残る
  ことを明らかにした。2007年に開かれた専門家会議では
  基準値の4万3000倍ものベンゼンや860倍ものシアン
  化合物が測定されたことが明らかになった。にもかかわらず
  2011年に都は土地代金を払ってしまった。汚染を知りな
  がら購入したのである。
   原告団の証拠説明書によれば、東京ガスは汚染対策工事費
  用100億円と、追加の78億円を支払っているが、そんな
  金額では極度に汚染された豊洲の浄化は困難だった。都が支
  払った土地代金は1859億円。だが都はさらに汚染対策費
  849億円をつぎ込んだ。土地代の半分ほどに当たる。もっ
  と安く買うこともできたはずだ。東京ガスは売り物にならな
  い土地を高く売り抜けたことになる。
                   http://bit.ly/2cbDJOK
  ───────────────────────────

石原元都知事.jpg
石原元都知事
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2017年07月20日

●「築地市場再整備の歴史を振り返る」(EJ第4566号)

 石原知事は都知事に就任するや、非常に早いテンポで築地市場
の豊洲移転を決めています。市場会計の問題があるので、東京都
の役人の書いた筋書きに乗らざるを得なかったという事情もある
ことは確かです。
 石原慎太郎氏が東京都知事に就任したのは1999年4月23
日のことです。そして、2001年2月に石原知事は都議会で、
築地市場の豊洲移転方針を表明しています。約2年ですが、その
間の年表を作ってみます。
─────────────────────────────
◎1999年 4月23日:石原知事就任
       5月11日:石原知事市場会計の現状を聞く
       8月13日:築地市場の移転を決める
       9月   :石原知事築地市場視察/「古い、
             狭い、危ない」と発言
      11月 9日:築地市場再整備推進協議会で、都
             は再整備の困難性指摘。移転に方
             向転換が必要と発言
      11月24日:福永副知事東京ガスを訪問。豊洲
             工場の土地の売却を打診
◎2000年 6月 2日:東京ガスが都に質問状
       7月   :浜渦武生氏が副知事に就任。
      10月 4日:浜渦副知事が福永副知事に代わっ
             て東京ガス担当になる。
 2001年 1月25日:東京ガスは実施済みの土壌汚染調
             査の結果および対策工事内容発表
◎2001年 2月   :石原知事が都議会で築地市場を豊
             洲に移転する方針を表明
─────────────────────────────
 これを見ると、石原氏は、知事就任後約4ヶ月で、再整備をす
ることで決まっていた築地市場を豊洲へ移転させる決心を固め、
そのうえで築地を視察しています。視察をしてから決めるのでは
なく、決めてから視察しているのです。決めた以上、「築地には
問題がある」ということを強調する必要があります。それがあの
「古い、狭い、危ない」の発言になるのです。この発言が実態を
あらわしていないことは、7月7日のEJ第4558号で詳しく
述べています。            http://bit.ly/2tv2db3
 ここで築地市場の年表を作る必要があります。築地市場は開設
後約50年が経過した頃から、何回にもわたって再整備の計画が
持ち上がっては消えています。そして、鈴木俊一都政が終わった
頃から、東京都として、移転に舵を切るのです。次の年表を見る
と、東京都が何とかして築地市場を移転させたがっている様子が
よくわかります。
─────────────────────────────
◎1935年:築地市場開設
◎1986年 1月:
 東京都が首脳部会議で築地市場の現地再整備を決定
◎1986年12月:
 第4次東京都卸売市場整備計画策定。築地市場を大井市場への
分散・移転方針させる計画を断念し、現在地での再整備を決定。
◎1990年 6月:
 築地市場再整備基本設計/工期14年、総工費2380億円
◎1991年11月:
 第5次東京都卸売市場整備計画策定。現在地において営業を続
けながら、再整備(水産1階/青果2階の立体配置)
◎1991年〜1995年:
 再整備工事に着工すると、以下の問題が顕在化。@工期の遅れ
A整備費の増嵩(再試算で3400億円)、B業界調整の難航
◎1993年:
 築地市場に正門仮設駐車場、仮設搬入別棟完成。整備費が当初
の計画より約1000億円増加し、3400億円に膨張
◎1995年:
 1995年7月に臨海地区を調査し、8月に初めて豊洲の名が
移転候補地の1つとして上がったこと。東京都キーマンの発言。
「いまは豊洲への移転の方向で動いている」(青島知事特別秘書
/辺見廣明氏)「番所市場長が築地は豊洲へ移転しなければなら
ないという趣旨の話をあちこちで吹聴していたので、『市場長の
立場でいうべきことではない』とクギを刺した覚えがある」(青
島知事時代副知事/植野正明氏)
◎1995年10月:
 水産仲卸、水産卸など市場3団体が工事促進の要望書を東京都
に提出。
◎1995年11月:
 買荷、茶屋など市場3団体が工事見直しの要望書を都に提出
◎1996年 1月:
 番町市場長が年頭に次の発言。「築地市場の移転を検討すると
すれば、豊洲なら可能性がある。築地市場は現行計画を見直す必
要がある」。
─────────────────────────────
 いわゆるバブル時代ではハコモノづくりが当たり前です。19
86年以降の東京都の対応を見ると、ごった返している築地市場
を苦労して再整備するよりも、新しくハコモノの市場を建設し、
築地を売れば・・・という意思がありありです。そこには、世界
に誇るべき日本の文化遺産である築地市場をなんとかして遺そう
という意思がまるで感じられないのです。
 新しいハコモノを作れば、多くの利権が得られるうえ、天下り
できるところも増えるのです。しかし、現在地での再整備では、
そういうメリットはほとんど得られず、東京都の上級幹部はもと
もと乗り気ではなかったのではないでしょうか。それにしてもこ
ともあろうに、ガス工場の跡地に水産物を扱う卸売市場を移そう
というのは最悪です。    ──[中央卸売市場論/013]

≪画像および関連情報≫
 ●なぜ「最もふさわしくなかった」豊洲が選ばれたのか
  ───────────────────────────
   都の中央卸売市場は、1986年の第4次再整備基本方針
  に基づき、91年1月から、築地での再整備工事を進めてい
  た。基本方針では、「老朽化」「狭溢・過密化」などによっ
  て、再整備が緊急な課題になっているとして、次のように必
  要性を示している。
   「築地市場を他の場所に移転することは、流通の実体、社
  会的要因から極めて難しい。現在地は隅田川の河口に面し、
  周辺には豊海などの冷蔵庫群が控えるという優れた地理的条
  件下にありながら、しかも22・5haという都心部として
  は広い敷地を有している」。
   つまり、この時までは、市場は移転するのではなく、あく
  までも築地での再整備が前提だった。88年11月、当時の
  鈴木俊一都政は、庁議に諮り、再整備基本計画を決定してい
  る。それは、基幹施設が「平面」という卸売市場業界の常識
  を破る「水産1階、青果2階」という前例のない大規模立体
  化計画だった。築地で再整備だったはずが、東京魚市場卸協
  同組合(以下、東卸)が02年11月に発行した『東京魚市
  場卸協同組合五十年史』によると、95年8月、市場当局が
  前月に調査に出かけた港湾局と「協議」したという記述があ
  る。港湾局からは、<臨海部に市場が立地できる場所は城南
  島(東京都大田区)、豊洲、外防(※筆者注:中央防波堤外
  側)であれば可能性がある>ことを示唆されたという。
                   http://bit.ly/2vsRY73
  ───────────────────────────

築地市場におけるセリの風景.jpg
築地市場におけるセリの風景
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2017年07月21日

●「豊洲移転の真の原因は都市博中止」(EJ第4567号)

 築地市場の豊洲移転の経緯について調べてみると、全ての原因
が青島幸男都知事による都市博開催中止にあることがわかってき
ます。全ては、青島都政の4年間に東京都の市場当局(2人の市
場長)が根回しをし、石原都政で実現させようとしたものです。
これによって次の3つのことがわかってきます。
─────────────────────────────
 1.石原元知事は、自分が都知事になったとき、築地市場の
   豊洲への移転のレールは敷かれていたといっているが、
   まんざら嘘ではない
 2.東京ガスは、計画があったので中央卸売市場に豊洲工場
   の跡地を売るつもりはなかったといっているが、それは
   本当のことではない
 3.築地市場再整備を否定し、豊洲への流れをつくったのは
   番所宏育市場長と宮城哲夫市場長で、そのバックには自
   民党の政治家がいる
─────────────────────────────
 1995年4月に都知事選があったのです。鈴木俊一知事の高
齢引退による都知事選です。臨海副都心地区で開催が予定されて
いた世界都市博覧会を推進する石原信雄氏と、都市博に反対する
青島幸男氏の事実上の一騎討ちです。
 自民・社会・公明・民社・自連・連合が推薦し、さきがけが支
持する石原信雄氏が、東京都知事選では史上初のオール与党相乗
りで立候補したこともあって、誰もが石原氏が勝利すると思って
いたのです。しかし、都市博中止を公約にした青島幸男氏が勝利
し、青島都知事が誕生したのです。そして公約通り、青島知事は
多くの反対を押し切り、都市博を中止したのです。
 そもそも都市博は臨海副都心開発の起爆剤として企画されたも
のであり、多くの企業は当然都市博が行われるものと信じて既に
開発に取り組んでいたのです。東京ガスもそのひとつです。それ
が突然中止になったのですから、大幅な開発計画の見直しを余儀
なくされることになります。築地市場のある幹部は、東京ガスの
計画について、次のように語っています。
─────────────────────────────
 東京ガスが豊洲に計画していたのは、レインボーブリッジから
豊洲に橋をかけるというマンハッタン・ベネチア構想といわれる
ものでしたが、都市博中止で頓挫。東京ガスは同時に計画されて
いた豊洲の護岸強化工事などを進めていましたが、都が撤退した
ことにより、約60億〜70億円の工事費を自前で拠出しなけれ
ばならなくなった。その時に助け舟を出したのが、監督官庁でも
ある都の港湾局長(当時)、つまり石川千代田区長でした。
                   http://bit.ly/2tgJBLe
─────────────────────────────
 ここに石川雅己千代田区長が登場するのです。今年初めの千代
田区長選で、小池知事の支援を受けて、圧勝したあの区長です。
石川雅己氏は当時東京都の港湾局長を務めていたのです。そのた
め、東京ガスの幹部が豊洲の所有地に東京都の公的な施設を誘致
できないかと石川港湾局長に相談したのです。
 その結果、石川港湾局長は、東京ガスに対し、築地市場を豊洲
に移転させるプランを提案したのです。築地市場の移転先を豊洲
に特定したのは、おそらくこれが初めてであろうと思います。し
かし、当時築地市場は、現在地で営業しながら再整備を進める方
針を決定し、工事が始まっていたのです。前出の築地市場の幹部
は、これについて次のように述べています。
─────────────────────────────
 もちろん石川局長だけで市場移転の話が進むはずもなく、95
年夏頃、番所(宏育)築地市場長(当時)、自民党の政治家らが
秘密の会合を持ったとされています。この時から築地再整備の流
れがガラリと変わった。        http://bit.ly/2tgJBLe
─────────────────────────────
 石川雅己氏は1963年に都庁に入庁し、1975年に千代田
区役所に企画課長として出向しています。石川氏と千代田区の関
係はここからはじまるのです。この頃から石川氏は、都議会自民
党のドンと呼ばれていた内田茂氏に見込まれるようになります。
 都庁に戻ってからは港湾局長、福祉局長を歴任して、1999
年に退職し、首都高速道路公団理事を務めた後、2001年に千
代田区長に当選します。3期までは内田氏の支援を受けて当選、
4期は内田氏が対立候補者を立てたのですが勝利し、5期は小池
氏の支援を受けて当選し、現在現職です。
 築地市場の豊洲移転は、市場関係者には極秘のうちに進められ
ます。築地市場移転問題について長年取材している池上正樹氏は
次のように述べています。
─────────────────────────────
 都は市場の人たちには内緒にしたまま、港湾局主導で調査や交
渉が行われていたのです。95年7月に臨海地区を調査し、8月
に初めて豊洲の名が移転候補地の一つとして挙がったのです。築
地再整備と並行して移転先が模索され始めた。しかし、そもそも
臨海再開発失敗による財政悪化で、築地を売却して移転させるし
かなくなったのです。         http://bit.ly/2tgJBLe
─────────────────────────────
 東京都が市場問題で動き出せば、市場関係者に当然情報は漏れ
てきます。寝耳に水の話ですから、業界6団体は当然態度を硬化
させます。その対応に当たったのが、番所市場長の後任の宮城哲
夫市場長です。宮城氏はこういっています。
─────────────────────────────
 豊洲は40ヘクタールもあって広いし、いい場所を見つけたと
思った。だけど市場の卸とか仲卸の組合は理事長が推進派か反対
派かで、方針が代わるんです。私のときも、まとめきれなかった
ですね。   ──宮城哲夫市場長   http://bit.ly/2tgJBLe
─────────────────────────────
              ──[中央卸売市場論/014]

≪画像および関連情報≫
 ●千代田区長と築地市場の豊洲移転都の関係
  ───────────────────────────
   千代田区長選は小池百合子を担いだ′`となった現職・
  石川雅己氏の勝利に終わった。報道では今のところ、『週刊
  朝日』(2017年2月17日号)の「豊洲移転きっかけは
  「小池派区長説」を追う」が唯一、気を吐いた印象だ。
   とはいえ、石川区長が築地市場の移転に絡んでいたことを
  示し、特に都庁港湾局長時代の辣腕に触れたことは重要だが
  その背景には踏み込めてはいない。
   答えを先に示せば、港湾局長時代の石川氏は、既に内田茂
  都議の実質的な傀儡だったのだ。記事では、石川が都局長と
  して政策を立案したように書かれているが、当時から都庁で
  は内田都議の後ろ盾がなければ、誰も局長などの幹部ポスト
  には就けなかった。つまり、石川区長こそ「内田茂チルドレ
  ン」の筆頭格なのだが、いまだに正確な報道が行われていな
  い「なぜ石川区長と内田都議は反目したのか」というポイン
  トを詳報してみようと思う。
   まずは元千代田区職員に、もつれた糸を解き明かしてもら
  おう。「決定的なきっかけは2008年、内田茂さんの落選
  です。この時、例えばゼネコンや、政治ブローカーといった
  都政関係者≠フ間で、『これで内田は終り』という雰囲気
  が蔓延したんですね。そしてゼネコンなどが内田さんの代り
  として注目したのが、01年に千代田区長に当選していた石
  川雅己さんでした」。
    http://www.yellow-journal.jp/politics/yj-00000450/
  ───────────────────────────

石川雅己千代田区長.jpg
石川雅己千代田区長
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2017年07月24日

●「豊洲移転問題と内田茂氏との関係」(EJ第4568号)

 築地市場の豊洲移転について、都議会のドンといわれる内田茂
氏はどういう役割を果たしていたのかについて、調べることにし
ます。本人によると、「豊洲のことは知らない」といっています
が、そんなことはあり得ないことです。内田氏は自民党東京都連
会長や幹事長として、長年都議会を事実上仕切ってきており、自
民党とのパイプも強いので、築地市場を豊洲に移転させることに
ついても、大きな役割を果たしているのです。
 これについては、そもそもの話からはじめなければならないの
です。東京ガス側は、もともと東京都に豊洲工場の跡地を売るつ
もりはなく、東京ガス自身が独自の開発計画をもっていたと主張
しています。つまり、東京ガスとしては本当は売りたくなかった
のだが、東京都があまりにも熱心なので、売ってあげたというス
タンスをあくまでとりたかったようです。
 しかしこれは事実とは異なるのです。東京ガスは都市博を見込
んで、豊洲地区で壮大な開発計画を掲げていたのですが、都市博
中止で計画が狂ってしまったのです。それは豊洲の護岸強化工事
に約60億〜70億もの工事費を既に注ぎ込んでいたからです。
このままでは、これらの工事費は、東京ガスの自己負担になって
しまいます。ちなみに正確にいうと、その工事を行っていたのは
東京ガスの子会社の東京ガス豊洲開発(現東京ガス用地開発)と
いう会社です。
 そこで、何とか東京都に公共施設を豊洲に移転してもらうべく
都に働きかけることを考えたのです。公共施設がくれば、莫大な
工事費は減免される可能性があるからです。そのとき、さすがに
築地市場の移転は考えていなかったと思われます。東京ガスだか
らこそ、まさかガス工場の跡地に、食品を扱う中央卸売市場の移
転は考えにくかったからです。
 そこで東京ガスが相談したのは、当時東京都の港湾局長をして
いた現千代田区長の石川雅己氏だったのです。その石川港湾局長
が提案したのは、築地市場の東京ガス豊洲工場跡地への移転構想
です。当時の石川港湾局長は、内田チルドレンの1人といわれて
おり、ここで内田茂氏と豊洲移転問題が、強い関連を持つことに
なるのです。
 当時築地市場は、現地での再整備を進めており、豊洲の「と」
の字も出ていなかったのです。しかし、1995年になると、状
況は一変します。石川港湾局長が自民党議員を絡めて、相当暗躍
したといわれます。
 これについて、当時青島都知事時代に特別秘書を務めていた辺
見廣明氏は石川雅己氏について、副知事として市場を担当した植
野正明氏は当時の番所宏育市場長に関して、次のように厳しい意
見を述べています。
─────────────────────────────
◎辺見廣明特別秘書
 95年夏にそう話したことは覚えていないが、当時から豊洲が
移設先という話は聞いていました。石川氏がどの程度関与してい
たかはわかりませんが、彼は自民党の内田都議と仲が良く、業者
との蜜月が過ぎるという噂が絶えなかった。このため青島知事の
判断で港湾局長職は1年間だけで代わってもらい、福祉局長に就
いて頂いたという経緯がありました。
◎植野正明副知事(市場担当)
 番所築地市場長が、築地は豊洲へ移転しなければならないとい
う趣旨の話をあちこちで吹聴していたので、「市場長の立場で言
うべきことではない」とクギを刺した覚えがあります。
                   http://bit.ly/2tgJBLe
─────────────────────────────
 しかし、東京都と東京ガスとの正式な交渉は遅々として進まず
進展しなかったのです。1997年10月に「築地市場の現在地
での再整備について」という文書が出されます。中央卸売市場名
の文書です。そこには、次のように書かれていたのです。
─────────────────────────────
 豊洲地区は消費地に遠く、運搬に伴う時間、労力のロスは大き
くなろう。買出し人の多くは、都心部から橋を渡って来場し、ま
たもときた道を戻らなければならない。消費地から離れ、道路も
混雑するとなれば、買出し人の数は減少し、市場の活気は衰え、
都民との距離は遠くなる。
         ──永尾俊彦著/岩波ブックレット/968
「ルポどうなる?どうする?築地市場/みんなの市場をつくる」
─────────────────────────────
 この文書では、明らかに築地での再整備が望ましいという主張
ですが、東京都は中央卸売市場名があるのに、この文書の作成を
否定し、怪文書扱いにしてしまったのです。そのうえで東京都は
1998年8月から、三菱総合研究所に依頼して、東京ガスの豊
洲の土地の調査をはじめているのです。このとき、東京ガスの了
解を得ていなかったといわれています。
 小池知事の時代になってやっと「海苔弁」ではなくなった東京
都の開示資料によると、東京都から東京ガスへの最初の訪問につ
いて次の記述があります。
─────────────────────────────
 最初に都の中央卸売市場の部長が東ガスを訪ね、豊洲の売却を
打診したのは1998年9月21日だ。初対面なのに東ガス側は
のっけから不満を爆発させる。
 「調査は8月から始まっているのに今頃になっての挨拶は不満
だ。なぜ、事前に話に来なかったのか。トップも怒っている」。
 都は、前述のように三菱総研に委託し、同年8月から東ガスの
豊洲の土地の調査を開始していたが、束ガスに事前に説明してい
なかった。都は「説明が遅れたことについては大変申し訳ない」
と陳謝した。だが、東ガスはおさまらない。
                ──永尾俊彦著の前掲書より
─────────────────────────────
              ──[中央卸売市場論/015]

≪画像および関連情報≫
 ●都議会のドンの引退で混迷を深める豊洲移転問題
  ───────────────────────────
   東京・千代田区長選の結果を受け、“都議会のドン”こと
  内田茂都議が政界を引退する見通しとなった。これで豊洲移
  転問題も、小池都知事の主導でスムーズに解決する・・・と
  思いきや、現実にはさらなる混迷が待ち構えていた。様々な
  利権と思惑がうごめく内幕を追う――。
   小池百合子都知事と“都議会のドン”こと内田茂都議(元
  自民党都連幹事長)の代理戦争と化した、2月5日の千代田
  区長選。結果は小池知事の推す現職、石川雅己区長が大勝。
  ドン内田が支援する与謝野馨元財務相の甥、与謝野信候補の
  得票は石川区長の3分の1弱にとどまり、都議会自民の退潮
  はもはや誰の目にも明らかだ。知事ブレーンのひとりが興奮
  気味にふり返る。
   「この『代理戦争』をトリプルスコアの大差で勝った事実
  は重い。今回の選挙で完全に潮目が変わった。7月の都議選
  でも千代田区長選と同じく、都民は自民にNOを突きつける
  ことになるはずです」知事の番記者も、こう太鼓判を押す。
  「豊洲移転を決めた石原慎太郎元知事の参考人招致を小池知
  事はかねて求めていたが、石原さんは、首を縦に振らなかっ
  た。しかし千代田区長選を経て、それも実現することになっ
  た。小池知事に強烈な追い風が吹いています。この勢いは夏
  の都議選まで続くと見ています」。http://amba.to/2eCUmos
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内田茂氏.jpg
 
内田 茂氏
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央卸売市場論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

●「浜渦副知事による水面下での交渉」(EJ第4569号)

 東京ガスはもともとは自分の方から東京都に話を持ちかけなが
ら、当初から東京都に対し、なぜ、「売る気はない」と口にして
いたのでしょうか。
 それはよい条件で豊洲を売るための作戦なのです。東京ガス側
は、東京都が豊洲の土地を必要とする事情を入手した多くの情報
をから把握しており、相当無理な条件を出しても、東京都は必ず
買うと踏んでいたようです。
 東京ガスは、東京都との交渉に臨むに当たって、次の3つの目
標を立てています。これが東京ガスのシナリオです。したたかな
きわめてムシのいい目標であるといえます。
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    1.汚染地を汚染なしの正常価格にて購入させる
    2.土壌汚染対策は法律が求める最低限のレベル
    3.後で新たな土壌汚染が発覚しても負担しない
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 結果として、東京ガスは、この目標を3つともクリアし、最高
の条件で東京都に売ることに成功しています。そういう意味で東
京ガスの作戦は大成功に終わったといえます。
 東京ガスは、豊洲埠頭の先端部に当たる6街区と7街区は売れ
ないと主張し、豊洲地域の根本に当たる4街区と5街区ではどう
か東京都に提案します。
 東京ガスとしては、先端部は開発計画があるとしていたものの
この部分はかつてのガス工場の中心部であり、土壌汚染が最も深
刻であったからと思われます。本来汚れた部分の処理は売主の負
担になるので、それを避けたかったものと思われます。
 しかし、東京都側は次の理由から、あくまで先端部の土地の取
得にこだわったのです。そのさい、土壌汚染のことをほとんど気
にしていないのは気になるところです。
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 市場を豊洲地域の根本(4、5街区)に配置すると、まちが先
端部と既成市街地に分断される。
         ──永尾俊彦著/岩波ブックレット/968
「ルポどうなる?どうする?築地市場/みんなの市場をつくる」
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 結果として現在の豊洲市場の配置は次のようになっています。
つまり、汚染の最もひどい街区に水産仲卸棟と水産卸棟を配置し
ているのです。
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        5街区 ・・・   青果棟
        6街区 ・・・ 水産仲卸棟
        7街区 ・・・  水産卸棟
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 2000年7月に副知事に就任した浜渦武生氏が東京ガスとの
交渉の担当者として、はじめて東京ガスを訪問したのは2000
年10月4日のことです。そのとき、区画整理事業で土地の価格
がどのくらいになるのか、開発者負担金がどのくらいかを示して
欲しいと東京ガス側から要請があったのです。これに対して浜渦
氏は「それについては水面下でやりましょう」と提案し、了承さ
れています。
 当時の会談の記録を見ると、東京都は東京ガスのために次の3
つの対策に配慮するという約束をしています。東京ガスという一
企業のために、東京都がここまで配慮するということは普通はあ
り得ないことです。
─────────────────────────────
         1.東京ガスの株主対策
         2.東京ガスの役員対策
         3.東ガスの社会的責任
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 「1」は、豊洲地域の売却によって、東京ガスの株主に損をさ
せない仕組みを作ることに東京都は配慮するということを意味し
ています。「2」は、東京ガスの役員に対しては、市場移転によ
るプラスイメージを与えるよう努力するということです。「3」
は、東京都からの申し入れにより、東京ガスとしては「公共事業
には協力する」という社是に沿って、市場移転を受け入れるとい
う格好をとるということが確認されています。
 その後は、まさに「水面下」での交渉であったように、記録は
残っていないのです。しかし、2017年3月の100条委員会
で東京ガスから提出された資料に、2000年12月22日、浜
渦氏の腹心の部下といわれる赤星経昭理事が浜渦氏の指示として
次のことを迫ったとするメモがあったのです。
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 「土壌汚染Xデー」を迎えれば土壌問題が噴出し、豊洲の地価
が下落する。石原知事が安全宣言で救済するから、早急に結論を
出して欲しい。         ──永尾俊彦著の前掲書より
─────────────────────────────
 ここでいう「土壌汚染Xデー」というのは、2001年1月に
発表予定だった東京ガスの豊洲地域の汚染調査結果のことで、も
し、そこで高い数字が出ても、莫大な費用のかかる汚染除去では
なく、石原知事の安全宣言があれば、覆土する拡散防止でよしと
する都の環境確保条例で処理できるので、早く決断せよと迫った
ものと考えられます。なお、このメモの存在について、赤星経昭
氏は否定しています。
 このメモに基づき、2001年2月21日、移転についての諸
条件の協議をはじめる「覚書」が浜渦副知事と東京ガスの伊藤春
野副社長の間で交わされたのです。そして同日、石原知事は都議
会において、築地市場の豊洲移転を正式に表明しています。
 「覚書」の内容は、市場移転による土地利用の変更に伴い、土
地区画整理事業費と公共減歩、防潮護岸の整備の開発者負担など
を見直したものです。内容については明日のEJで説明します。
              ──[中央卸売市場論/016]

≪画像および関連情報≫
 ●音喜多氏が提起した「土壌Xデー」とは何か
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  2017年年3月11日(土)
  ○音喜多議員の発言
   「東京ガス側から提出された資料から、我々都民ファース
  トの会は驚くべき新たな事実を発見いたしました。それは、
  浜渦副知事が都の環境確保条例と国の土壌汚染対策法の成立
  を、ある意味では利用して東京ガスに圧迫あるいは脅迫とも
  とれる交渉を行って、強引に土地の売却を承諾させていた可
  能性を示唆するものです」。
   「東京都と東京ガスの交渉において、都側の赤星理事は、
  浜渦副知事からの指示として、土壌汚染Xデー、あるいは、
  Xデーという単語を用いて、この日、これは土壌Xデーです
  ね、を迎えれば、土壌問題が噴出し、東京ガスが所有する土
  地の価格が下落する。結論さえ出せば、石原知事が安全宣言
  で救済するから、早急に結論を出すように、などと伝えてい
  る様子が克明に記録をされています」。
  「この東京ガス側の記録の作成者は末尾に脅かしてきた、こ
  れ以上議論をしても無駄など、激しい憤りを節々ににじませ
  ています。・・」。「福永証人に伺います。当時、引継ぎを
  行った浜渦副知事及び赤星理事たちが、このようなあからさ
  まな政治的圧力を用いた交渉を行っていたことはご存知でし
  たでしょうか。この東京ガス側に赤星理事が突き付けて土壌
  Xデー、この単語に聞き覚えはないでしょうか」。
  ○福永証人/「全てに全く事実を承知しておりません」
                   http://bit.ly/2vKHaRN
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東京ガス豊洲工場操業時/1968年.jpg
東京ガス豊洲工場操業時/1968年
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