2017年06月22日

●「朝鮮戦争に参戦した義勇軍の正体」(EJ第4547号)

 ここで「朝鮮戦争」を振り返ってみる必要があります。朝鮮が
日本の植民地支配から解放されたのは、1945年8月15日の
ことです。時あたかも東西冷戦が進行するなかで、朝鮮は南北に
分断されたのです。1948年に朝鮮半島に政治体制の異なる2
つの国家が成立したのです。
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   1.朝鮮民主主義人民共和国 ・・ 社会主義体制
   2.       大韓民国 ・・ 資本主義体制
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 戦争が起きたのは1950年6月のことです。北朝鮮の金日成
は、中国革命に続いて、朝鮮半島でも社会主義統一国家をつくる
べきであるとして、6月25日に軍事行動を起こし、38度線を
越えて大韓民国に攻め込んだのです。
 国連安全保障理事会は緊急会議を開催し、北朝鮮に即時停戦と
北朝鮮軍の撤退勧告を決議しています。このとき常任理事国のソ
連は中国代表権問題で他の4常任理事国と対立し、安保理をボイ
コットしていたので、ソ連抜きの安保理決議になったのです。
 ことは急を要しており、国連軍を結成するには時間がかかると
して、トルーマン米大統領は米国軍を単独で朝鮮半島に派遣する
ことを決意し、日本駐留の米軍に出動を命じたのです。
 6月28日、北朝鮮軍はソウルを占領し、引き続き破竹の勢い
で南進したのです。大田で米軍を破り、国連軍としての米軍が朝
鮮半島に到着したときには、北朝鮮軍は半島南端の釜山に迫って
いたのです。
 7月7日、国連安保理は、国連軍の派遣をソ連抜きで決定し、
マッカーサー元帥を統一司令長官に任命します。国連軍といって
も全体の90%は米軍だったのです。9月15日、マッカーサー
司令長官は、仁川上陸作戦で北朝鮮軍の背後を突いて形勢を逆転
し、ソウルを奪回します。国連軍はそのまま38度線を越えて進
撃し、10月20日に平壌を陥落させたのです。
 ところが、中国が突然参戦するのです。しかし参戦したのは中
国人民解放軍ではなく、中国人民義勇軍なのです。その結果、国
連軍は38度線まで押し戻され、1953年7月27日、南北朝
鮮代表、米中代表が板門店で朝鮮休戦協定を結びます。
 中国義勇軍がどのようにして、国連軍を38度線まで押し戻し
たかについて、関連サイトの記事を紹介します。
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 中朝国境付近に集結した中国義勇軍(実質人民解放軍)は10
月19日から、隠密裏に鴨緑江を渡り、北朝鮮への侵入を開始し
た。中国軍は11月に入り国連軍に対して攻勢をかけ、アメリカ
軍やイギリス軍を撃破し南下を続けた。国連軍は中国人民解放軍
の参戦を予想していなかった上、補給線が延び切って、武器弾薬
・防寒具が不足しており、これに即応することができなかった。
 11月24日には国連軍も鴨緑江付近より、中国義勇軍に対す
る攻撃を開始するが、中国人民軍は山間部を移動し、神出鬼没な
攻撃と人海戦術により、国連軍を圧倒、その山間部を進撃してい
た韓国第二軍が壊滅すると黄海側、日本海側を進む国連軍も包囲
され、平壌を放棄し38度線近くまで潰走した。
                   http://bit.ly/2slw9HB
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 この「中国義勇軍」の参戦によって、敗戦一歩手前までいった
北朝鮮は救われたのです。もし、北朝鮮が降伏していれば、その
時点で朝鮮半島は、大韓民国として統一されていたはずです。そ
のため、中国と北朝鮮の同盟は、「血の友誼の同盟」として長く
語り継がれることになったのです。
 しかし、野口裕之氏によると、この中国義勇軍は、人民解放軍
所属の第4野戦軍で、朝鮮族らが中心となって編成された「外人
部隊」だったのです。20日付のEJ第4545号でも述べたよ
うに瀋陽軍区に住みついた朝鮮系の匪賊、馬賊の末裔であり、も
ともと北朝鮮とは深い親交があったのです。したがって、人民解
放軍には所属しているものの、北朝鮮とは同じ民族であり、義勇
軍として参戦しても不思議はないのです。
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 「瀋陽軍区」が北朝鮮と、北京を半ば無視してよしみを通じる
背景には出自がある。中国は朝鮮戦争勃発を受けて“義勇軍”を
送ったが、実体は人民解放軍所属の第四野戦軍。当時人民解放軍
最強の第四野戦軍こそ瀋陽軍区の前身で、朝鮮族らが中心となっ
て編成された「外人部隊」だった。瀋陽軍区の管轄域には延辺朝
鮮族自治州も含まれ、軍区全体では最大180万人もの朝鮮族が
居住する。いわば、「瀋陽軍区」と北朝鮮の朝鮮人民軍は「血の
盟友」として今に至る。金正日総書記(1941〜2011年)
も2009年以降、11回も瀋陽軍区を訪れた。──野口裕之氏
                   http://bit.ly/2tEIHrE
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 2017年4月、中国が米国の要請を受け入れて、核放棄をし
なければ、さらに厳しい経済制裁をかけると警告したことに北朝
鮮は21日の朝鮮中央通信で、名指しはしなかったものの、次の
ように中国を抗議したのです。北朝鮮が中国を批判することは、
きわめて異例なことです。
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 彼ら(中国)が誰かに踊らされて経済制裁に執着するならば、
われわれとの関係に及ぼす破局的な結果も覚悟すべきだ。われわ
れの核抑止力は国と民族の生存権を守るためのものであり、何か
と交換するためのものではない。
       ──2017年4月21日付、朝鮮中央通信より
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 しかし、中国の義勇軍は北部戦区の瀋陽地域に今でも残ってい
るのです。したがっていくら習近平主席の北京が米国の要請を受
けて経済制裁をかけようとしても、義勇軍がサポートするので制
裁は効かないのです。   ──[米中戦争の可能性/117]

≪画像および関連情報≫
 ●朝鮮戦争/中国義勇軍参加の裏話
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   金日成はスターリンに南朝鮮(韓国)進攻の支援を、そし
  て毛沢東は台湾進攻の支援を求めた。スターリンはいずれに
  も支援を約束したが、ソ連の利益に鑑みて、戦争は朝鮮を先
  とし、中国を朝鮮戦争に介入させた。(北海閑人著『中国が
  ひた隠す毛沢東の真実』)
   毛沢東には、自分がアメリカに負けるはずがない、という
  確信があった。中国には何百万もの兵隊を使い捨てにできる
  という基本的な強みがあるからだ。ちょうど厄介払いしたい
  と思っている部隊もあったー朝鮮戦争は、国民党部隊の敗残
  兵を戦場に送って始末する恰好の機会になるだろう。彼らは
  内戦末期に部隊ごとまとまって投稿してきた国民党軍兵士で
  毛沢東は意図的に彼らを朝鮮の戦場に送り込んだ。万が一国
  連軍が始末をつけてくれなかった場合に備えて、後方には特
  別の処刑部隊が待機して戦線から逃げもどってきた兵士たち
  を始末することになっていた。(ユン・チアン『マオ誰も知
  らなかった毛沢東』(下))
   『マオ』については酷評があるが、この国民党部隊の敗残
  兵を朝鮮戦争に投入したのは本当らしい。軍事評論家佐藤守
  氏はブログ「朝鮮戦争裏話」でこう書いている。93歳の元
  特務機関員門脇氏の体験談ヒアリングだ。
   <毛沢東が、自分に降伏してきた米軍の最新装備を誇る蒋
  介石軍を“後顧の憂い”を除去するために見事に「始末」し
  た根拠を教えていただきたいと事前に申し上げていたのだが
  中国の軍事科学出版社などが出したこれに関する詳細な歴史
  研究書を見せていただき、それが事実であったことが確認で
  きた。              http://bit.ly/2sOTX8h
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国連軍を指揮するマッカーサー司令官/朝鮮戦争.jpg
国連軍を指揮するマッカーサー司令官/朝鮮戦争
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 米中戦争の可能性 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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