2017年05月09日

●「社会主義と市場経済の矛盾の爆発」(EJ第4515号)

 中国が改革開放に舵を切った1992年といえば、中国は日本
の8分の1程度の経済規模しかないアジアの貧国だったのです。
この程度の規模であれば、政治は社会主義、経済は市場経済とい
う矛盾に満ちた制度でも支障はなかったのです。
 このケ小平時代以降現在までの中国の姿について、近藤大介氏
は自著で次のように述べています。
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 ケ小平時代以降の中国は、現在に至るまで、突き詰めると「維
穏(ウェイウェン)」(治安維持)と「開放(カイファン)」と
いう2つのことしかやっていない。この両者は互いに反対方向に
べクトルを向けて、引っ張り合っている。そして、この両者が綱
引きをする緊張した綱の上に、13億8270万人(2016年
12月時点)の中国人が乗っかっているのが、現在の中国の姿で
ある。               ──近藤大介著/講談社
     『活中論/巨大化&混迷化の中国と日本のチャンス』
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 ケ小平は、政治と経済について、共産党序列ナンバー1とナン
バー2の役割を次のように決めていたのです。
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   維穏/政治分野/社会主義 ・・・ 共産党総書記
   開放/経済分野/市場経済 ・・・  国務院総理
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 ケ小平の時代に続く江沢民体制のときは、政治は江沢民総書記
が握り、経済は朱鎔基首相が担当。さらに次の胡錦濤体制のとき
は、政治は胡錦濤総書記、経済は温家宝首相という分担でやって
きたのです。
 江沢民政権時代はケ小平がまだ元気であり、その睨みが効いて
いたせいもあって、政治と経済の綱引きはバランスよく行われ、
高度成長を維持してきたのです。続く胡錦濤時代になると、経済
の規模が大きくなり、政治と経済のバランスをとることが困難に
なり、リーマンショックなどもあって難しい判断が必要になった
ものの、胡錦濤総書記と温家宝首相は何とか深刻な事態を乗り切
り、政権を習近平政権に引き継いだのです。しかし、経済成長に
翳りが出てきたのもこの時期であったのです。
 ところが習近平政権になると、習近平総書記と李克強首相の間
がうまくいかなくなってしまうのです。まず、2人はライバル同
士であり、最初から人間関係はギクシャクしていたのです。この
2人の関係について、近藤大介氏は次のように述べています。
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 2013年3月に正式に発足した習近平総書記と李克強首相の
新政権は、それまで5年以上にわたって、最大のライバル関係に
あった両者が、互いに妥協を強いられた結果として誕生した「政
略結婚政権」だった。そのため、ナンバー1とナンバー2の間に
信頼関係はなく、むしろ互いに疑心暗鬼になっていた。
 結果として習近平総書記は、「維穏」(政治)ばかりでなく、
「開放」(経済)の役割も李克強首相から取り上げて、自分が独
占した。その結果、それまで緊張していた綱は緩み、中国経済は
混乱に陥ってしまったのである。 ──近藤大介著の前掲書より
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 習近平氏は名門の精華大学で学んだのですが、その専攻は有機
化学学科であり、経済に関しては全くの素人です。これに対して
李克強氏は艱難辛苦のすえに北京大学に入学し、経済学博士号を
取得している秀才であり、経済の専門家でもあるのです。
 そのため、習総書記が経済オンチでも、もともと経済の担当は
首相であるので、問題はないはずです。まして李克強首相は経済
学博士であり、習近平総書記が首相とうまく連携すれば政治と経
済をバランスさせることはできたはずです。
 ところが習主席には野望があったのです。まして習政権になっ
てからの経済成長率は7%台になり、習政権としては何としても
経済を立て直す必要があったのです。それに習主席は李首相を信
用せず、政治のことだけでなく、経済にまでいろいろと口を出す
ようになったのです。そして、場合によっては経済減速の責任を
李克強首相にとらせて退任させ、すべてを自分のコントロール下
に置き、核心として、独裁体制を築こうとしているのです。
 しかし、もともと矛盾に満ちている中国経済は、既に抜き差し
ならないところにきているのです。これについて近藤大介氏は次
のようにコメントしています。
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 そもそも社会主義と市場経済は互いに相矛盾する概念である。
それでも「呉越同舟」できたのは、21世紀初頭までの中国経済
が、小規模な存在だったからだ。ところが中国は、2010年に
GDPで日本を追い越して、アメリカに次ぐ世界第2の経済大国
に成長した。いまや中国のGDPは、日本の3倍に達しようとし
ていて、2020年代前半には、アメリカを追い越して世界一に
なる見込みだ。ここまで中国経済が巨大化した結果、社会主義制
度との間に、無数の軋轢が生じているのである。
                ──近藤大介著の前掲書より
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 社会主義と市場経済の軋轢を生んだ元凶は何でしょうか。
 それは国有企業です。中国では、基幹産業のほんとんどすべて
を約800社の国有企業が独占しています。そしてこの約800
社で中国の富の60%をを握っているのです。
 これらの国有企業に対して地方政府や銀行(これも国有企業)
が、すさまじい乱脈融資を行い、習政権が発足した2013年の
時点では、国家の負債額がGDPの2倍以上に膨張してしまった
のです。したがって、習政権としては、何よりも先に国有企業改
革に着手する必要があったのです。そのことがよくわかっていた
李克強首相は、その国有企業改革に手をつけようとしたのです。
それは待ったなしの情勢だったからです。
             ──[米中戦争の可能性/085]

≪画像および関連情報≫
 ●国有企業改革が本当はできない中国/2016年3月10日
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   全人代の最大の課題は、中国が本気で国有企業の構造改革
  ができるか否かにある。もし徹底させれば、それは一党支配
  体制崩壊につながる危険性があるため、中国にはできない。
  党の存続を優先する中国の矛盾を読み解く。
   改革開放前まで中国の企業は原則として全て国営だった。
  「五星紅旗」丸抱えで運営してきたので、改革開放後は市場
  経済の競争には勝てず、多くが倒産。1992年に所有権と
  経営権の両方を持つ「国営企業」を、所有権だけ国に残して
  経営権は企業に移して、それを「国有企業」と称することに
  した。しかしそれでも今でいうところのゾンビ企業が溢れ、
  とても国際競争になど、参入できない状態だったので、19
  90年代後半、時の朱鎔基首相が果敢な「痛みを伴う決断」
  をして、20万社近くあった企業を10万社強まで減らして
  3000万人におよぶレイオフ(業績回復時の再雇用を条件
  に従業員を一時的に解雇すること。自宅待機失業者)を出し
  た。それでもこの改革により2001年にはWTO(世界貿
  易機関)加盟に成功し、国有企業は国際競争力をつけるため
  民営化の方向に動くはずだった。ところが、時の江沢民国家
  主席は「それでは『旨み』がない」ということで、1998
  年に「国有企業の人事に関しては中共中央組織部が決定し、
  国有企業の中に党組織を設置する」ことを決めたのである。
                   http://bit.ly/2p8njs1
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習近平総書記と李克強首相.jpg
習近平総書記と李克強首相
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 米中戦争の可能性 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする