2017年02月15日

●「中国はなぜ海洋強国を目指すのか」(EJ第4460号)

 中国が海軍の強軍化に力を入れ、世界中の港、海峡、運河など
の拠点化に異常なほど力を入れているのは、なぜでしょうか。中
国の真意を知るには、中国という国の地理的ポジションや歴史を
振り返ってみる必要があります。
 われわれ日本人が世界地図を見るとき、上が北で、下は南、右
は東で、西は左です。日本列島を中心に見ているからです。右に
は広大な太平洋が広がっており、行きつく先はアメリカ合衆国で
す。西に行くと韓国、北朝鮮、中国があり、北に行くと、ロシア
があります。まっすぐ南に下ると、パプアニューギニア、オース
トラリア大陸があります。
 それは日本列島を中心に見ているからそうなのであって、中国
を中心にして逆さに世界地図を見ると、その様相は一変します。
その逆さ地図については添付ファイルをご覧ください。
 まず、いえることは海が非常に狭いことです。まず、日本列島
があります。南に下ると、九州から奄美諸島、沖縄、八重山と南
西諸島が連なり、台湾につながっています。台湾からは、バシー
海峡をはさんでフィリピンがあり、その端はベトナムへと、つな
がっています。
 海は日本海、黄海、東シナ海、そして南シナ海が広がっていま
す。しかし、それらの海をふさぐにように位置しているのが、日
本列島と台湾、フィリピン、そしてベトナムに至る諸島群です。
これを中国は「第一列島線」と名付けています。
 このなかで中国にとって最も邪魔なのが日本です。日本は経済
力が巨大であり、最先端のハイテク兵器を大量に持っており、数
は少ないものの、訓練の行き届いた強力な海上自衛隊を有してい
ます。しかも、米国と同盟関係を結んでいるので、うっかり手を
出すと、局地戦では返り討ちに遭ってしまう恐れがあります。
 これに比して南シナ海の諸国は日本ほど強くはなく、中国とし
ては手が出しやすいのです。そこで、中国は南シナ海での人工島
づくりに乗り出したのです。
 この「逆さ地図」で世界情勢を読むという独特のアイデアを本
にまとめられたのは、ジャーナリストの松本利秋氏です。今回の
EJはその松本氏の主張を参考にさせていただいています。中国
の海への関心について、松本氏は次のように述べています。
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 中国の西の端はヒマラヤ山脈を挟んでインドと国境を接し、北
に向かってアフガニスタン、タジキスタン、キルギス、カザフス
タン、ここから東に向かってはロシア、モンゴル、北朝鮮との間
に国境線が走っている。
 中国では、秦の始皇帝が漢民族の国家を創設して以来、北方の
騎馬民族の侵入をいかに防ぐかが民族存亡の要であった。中国の
歴史は大陸内部の土地争奪戦が主要な要素であり、三国志をはじ
め中国の歴史記述には、海のことがほとんど出てこない。
 このように大陸内部でのせめぎ合いを繰り返している国を、地
政学では「大陸国家=ランドパワー」と呼ぶ。中国は、歴史的に
北方との闘いに関心を集中させており、海への関心はほとんどな
かったと言って過言でない。 ──ジャーナリスト/松本利秋氏
                   http://bit.ly/2l9Trgn
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 ここで歴史を少し振り返ります。中国はかつて海洋進出を試み
目的を果たせなかった歴史があります。1271年〜1368年
の中国は元の時代です。元王朝は、中国とモンゴル高原を中心と
した領域を支配した王朝です。この年代に中国と親しく、行き来
していたのは、イタリア人のマルコ・ポーロです。マルコ・ポー
ロは、1271年に北京で元の皇帝ヘブライに謁見しています。
 1292年にペルシャに嫁ぐダッタン(モンゴル)の王女のエ
スコート役を果すため、北京に行っています。婚礼ですからこの
とき多くの人物が同行したはずですが、それは海路を覚えるため
であったと思われます。このとき、マルコ・ポーロは杭州を出発
し、マラッカ海峡、インド洋を通ってペルシャのホルムズに上陸
しています。
 1274年に元は、朝鮮の高麗軍を先導させて、日本の北九州
に2度にわたり攻め込んでいます。鎌倉時代の中期のことです。
元寇──すなわち、「文永の役」(1274年)と「弘安の役」
(1281年)の2回ですが、いずれも失敗に終わっています。
 元は文永の役で負けた原因を分析し、造船技術や航海技術を十
分磨いて、2度目の弘安の役で再び日本侵攻作戦を実行したので
すが、これにも破れ、それに懲りたのか、その後長い間にわたっ
て外洋に進出することはなかったのです。
 その中国が外洋での戦争に臨まなければならなくなったのが、
1840年から2年にわたる英国との戦争です。清の時代に起き
たこの戦争は「アヘン戦争」と呼ばれています。中国はこの戦争
に破れ、英国に香港島とその対岸にある九龍半島を割譲させられ
ています。
 その後日本と朝鮮半島の覇権をめぐって、1894年から18
95年にわたって起きた「日清戦争」にも破れ、台湾を日本に割
譲せざるを得なかったのです。中国側の主張では、尖閣諸島はこ
のとき日本に奪われたとしているのです。
 この2度にわたる外洋での敗戦は、中国人の心のなかに屈辱の
歴史として刻み込まれ、海洋から攻めてくる敵国に対して、強い
敵愾心を持つようになったのです。しかし、経済の低迷によって
中国はなかなか本格的な海軍を持つことができなかったのです。
 その中国が改革開放経済政策を採って経済力がついてくると、
中国は積極的に海洋進出を試みるようになってきます。その頃か
ら、日本列島、沖縄、台湾、フィリピン、ベトナムの「第一列島
線」に加えて、日本の本州から小笠原諸島、グアム、ニューギニ
アを結ぶ「第二列島線」を設定し、中国海軍は、これら二つの線
の内側を勢力範囲とし、海洋からの外国勢力の侵入を防ぐ戦略を
採るようになってきたのです。これら二つの線のなかには入れさ
せない戦略です。     ──[米中戦争の可能性/030]

≪画像および関連情報≫
 ●中国は海洋強国たり得ない/地政学者・奥山真司氏
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  ――中国に目を転じてみると、新たに総書記に選出された習
  近平は「海洋強国」建設を主張している。大陸国家である中
  国が海洋強国を掲げる理由は何か。
  奥山:中国はこれまで多くの国境紛争を抱えていたが、その
  多くを解決させることができた。歴史を振り返ってみると、
  中国は内陸からの異民族の侵略により滅びることが多かった
  のだが、その危険性がこれほど小さくなったのは史上初めて
  ではないか。これが、彼らの海洋進出の要因の一つだ。中国
  はこの海洋進出を正当化するために、自らがもともと海洋国
  家であったという神話を構築しようとしている。明の時代に
  大船団を組み、アフリカや東南アジアに遠征した鄭和を讃え
  るキャンペーンを展開しているのはそのためだ。
   とはいえ、彼らが本当に海洋強国になることができるかと
  言えば、その可能性は低い。いくら国境紛争の多くを解決し
  たとは言え、中国は周辺諸国から警戒されていることもあり
  軍事力の大半を海軍に注ぐというわけにはいかない。陸軍と
  海軍を両方充実させるというのは資金面から困難だろう。大
  陸国家であると同時に海洋国家であることはできないという
  のは、歴史の教えるところである。もっとも、中国のこれま
  での周辺海域への進出が、この「海洋強国」という戦略に明
  確に基づいたものであるかどうかは、かなり疑わしい。
                   http://bit.ly/2i9k0RW
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  ●地図の出典/http://bit.ly/2l9Trgn

中国を中心とする逆さ地図で見る.jpg
中国を中心とする逆さ地図で見る
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 米中戦争の可能性 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする