2016年10月31日

●「暗殺できる状況を作ったのは誰か」(EJ第4391号)

 1865年4月14日、リンカーン夫妻、ラスボーン少佐と婚
約者は、フォード劇場の2階のボックス席に案内されます。ボッ
クス席は2つ用意されており、7号室にはリンカーン夫妻、8号
室にはラスボーン少佐のカップルが通されたのです。
 重要なのは、ボックス席は内鍵がかかるようになっていたので
すが、リンカーン夫妻が案内された7号室の鍵は壊れていたこと
です。おそらく犯人はわざと壊しておいたものと思われます。
 そもそも劇場が当日になって変更され、予定していた同行者が
キャンセル、そしてわざわざ鍵の壊れたボックス席に案内される
──これはどのように考えても暗殺者が可能な限り暗殺しやすい
状況を作り出そうとしていたとしか思えないのです。
 さらにお粗末なのは大統領の警備です。いうまでもなく、大統
領は最重人物であり、その警備は最も厳重であるべきです。とこ
ろが大統領の警備はジョン・パーカーという警察官が一人配置さ
れただけなのです。南北戦争の終わった直後のことであり、もっ
と厳重な警備体制が敷かれてしかるべきです。
 しかも、このジョン・パーカーという警察官は、日頃から勤務
態度は悪く、勤務中でも酒を飲んだり、たいした理由もなく拳銃
を発砲したり、上司に反抗したりと、札つきのワルの警察官であ
り、大統領の警備役としては最もふさわしくない人物だったので
す。どうして、このような警察官が大統領の警備役として任命さ
れたのでしょうか。
 実際にパーカーが大統領のボックス席を警備していたのは、ほ
んの数分、すぐに持ち場を離れて、2階の特等席に座って芝居を
観ていたかと思うと、すぐに劇場を離れ、外のバーで酒を飲んで
おり、まったく大統領を警備していないのです。ところが、不思
議なことにパーカーは、大統領が暗殺されたのにもかかわらず、
何の罰も受けていないのです。
 芝居が佳境に入った午後10時13分になったときです。ある
一人の男が大統領のボックス席のドアを開けて忍び込み、大統領
の背後に接近し、至近距離から大統領の後頭部めがけてに拳銃を
発射したのです。それは、男優のセリフに大きな笑い声が劇場中
に巻き起こった瞬間のことだったといいます。
 犯人が拳銃を発射した時間にはもうひとつ説があります。午後
11時17分という説です。昔の事件ではあるものの、一国の大
統領が殺害される一大事件であり、多くの目撃者がいるのに、犯
行時刻が1時間も違うもうひとつの説があるのはヘンな話です。
 この暗殺者は、ジョン・ウィルクス・ブースという俳優である
ことがわかっています。南軍の一員としてリンカーン大統領の北
軍と戦っており、その恨みということになっていますが、この暗
殺は単独犯行ではとうていできるものではなく、大きな組織が関
わっていると考えられます。
 大統領暗殺の状況について、ウィキペディアは次のように書い
ています。
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 ブースは、大統領の背後に近づいて、後頭部めがけて、デリン
ジャーピストルで銃弾を発射した。撃たれた大統領はイスに座っ
たまま、前のめりになった。これに気づいたラスボーン少佐は、
すぐさまブースに飛びかかったが、ブースは手にもっていたナイ
フを振り上げてラスボーンめがけて切りつけた。
 一瞬ひるんだラスボーンは、舞台に飛び降りようとするブース
を取り押さえようとした。ブースは手すりを超えて舞台に飛び降
りたが、かかとについた拍車が飾りの旗にひっかかって足をとら
れた。不安定な姿勢ながらなんとか舞台に飛び降りたブースはナ
イフをかかげ、観客に向かって、「シク・センペル・ティラニス
(ラテン語:暴君はかくのごとし)」と叫んだ。これはヴァージ
ニア州のモットーであった。このとき、彼が「南部は復讐を果た
した!」とも叫んだという証言もある。ブースはすぐにきびすを
返して舞台の裏手に出て、劇場の裏口から待たせてあった馬にま
たがった。観客の中でこれをすぐに追いかけた者もいたが、ブー
スは逃げ去った後だった。       http://bit.ly/1QP0yFC
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 リンカーンは即死ではなかったのです。大統領は病院に運ばれ
外科医の懸命な手当ても空しく、翌日の午前7時22分に息を引
き取っています。
 この暗殺事件の捜査の指揮をとったのは、陸軍長官のエドウィ
ン・スタントンです。ところがスタントの捜査は信じられないほ
どひどいものであったのです。彼は、犯人のブースが捕まらない
ようにむしろいろいろ捜査を妨害したのです。2つの大きな捜査
ミスがあります。
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 1.スタントンは犯人がブースであることを認めず、見当違
   いの方向を捜査していること
 2.ブースの手配書の写真を間違えて別の人物の写真を掲載
   して、逃亡を助けていること
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 「1」の捜査ミスについて述べます。
 スタントンは、犯人がブースであることをなかなか認めず、見
当違いの方向を探しています。事件は劇場で起きており、目撃者
は多数おり、観客のなかには俳優としてのバースの顔を知ってい
る者もいたのです。また、ブースが逃げた方向も南方面であると
証言する者もいたのに、スタントンはそれらの証言を信用せず、
逃げた方向と正反対の北方面を捜査するなど無駄な時間を過ごし
ています。スタントンが犯人をバースと認めたのは事件が起きて
から5時間も経過した後だったのです。
 「2」の捜査ミスについて述べます。
 手配書の写真を間違えるのは、あまりにも初歩的な捜査ミスで
あるといえます。それは、スタントンがなぜか犯人のブースの逃
亡を意図的に助けているとしか思えないのです。
            ──[孤立主義化する米国/076]

≪画像および関連情報≫
 ●リンカーン暗殺事件と犯人の末路
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   今回は、第16代合衆国大統領の暗殺事件と、その犯人に
  関して語ります。とくに興味深いのが後者で、定説は追い詰
  められた農家の納屋で命を絶ったとされていますが、実はそ
  うではなかったのです。
   1865年4月14日、エイブラハム・リンカーンは奥方
  を伴い、ワシントンのフォード劇場で演劇を観賞します。ボ
  ックス席には、南北戦争の功労者であるグラント将軍とその
  奥方が招待されていましたが、この日、夫妻は急用と称して
  フィラデイフィアへ行きました。絶対的であるはずの、大統
  領の招待を断ったのです。また、彼らの代わりに招待された
  陸軍の高官も、それに応じませんでした。この経緯が現在で
  も尚、陰謀説が囁かれる要因です。
   そして、10時20分。役者の名演技が観客の目を舞台に
  惹きつけていたとき、リンカーンは背後のおよそ1メートル
  という至近距離から銃弾を受けました。ちなみにそのとき、
  大統領警護の警察官はなぜかひとりもリンカーンの周りにい
  なかったそうです。犯人は役者のJ・W・ブースという男性
  で、劇場から逃走し12日間逃げ回ったあげく、バージニア
  州の農家の納屋で警察隊に囲まれ、自ら命を絶った・・・と
  されております。         http://bit.ly/2eX5oRr
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エドウィン・スタントン陸軍長官.jpg
エドウィン・スタントン陸軍長官 
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 孤立主義化する米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする