2016年10月21日

●「ジャクソン大統領はポピュリスト」(EJ第4385号)

 7代米大統領のアンドリュー・ジャクソンは、ポピュリストと
いわれています。それは、ジャクソンが普通選挙で選ばれた最初
の大統領であることにも原因があります。
 既に述べたように、大統領を選ぶ選挙は、各州の有力者が選挙
人になって決めていたのですが、やがて各州の議会が選挙人を選
ぶ間接選挙になり、1828年の選挙から、選挙人を普通選挙で
選ぶ現在の方式になったのです。この普通選挙で選ばれた最初の
大統領が、アンドリュー・ジャクソンであり、はじめての民主党
の大統領なのです。
 このアンドリュー・ジャクソンの政治について、冷泉彰彦氏は
次のように述べています。
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 ジャクソンは大衆の支持を背景に、連邦政府の縮小を図り、同
時にフロンティアの白人農場主の意向を反映し、アメリカ先住民
に対して過酷な移住を強制したりもした。さらに南部出身のジャ
クソンは北部の商業にばかり有利なものとして、銀行や紙幣制度
を軽視、国立第二銀行を閉鎖するなど、発展しつつあった金融業
を攻撃した。その結果、多くの銀行が、経営破綻に陥ることにも
なった。         ──冷泉彰彦著/日本経済新聞社刊
          『民主党のアメリカ/共和党のアメリカ』
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 アンドリュー・ジャクソン政権は8年間続いたのですが、大統
領としての評価は、上記の冷泉氏の指摘にもあるように、大衆の
支持を受けて連邦政府の縮小を図ったり、金融業の発展を阻害す
るなど、けっして高いとはいえなかったのです。
 しかし、ジャクソン大統領は国民には人気があったのです。そ
れは、1812年〜15年に勃発した「米英戦争」に自ら指揮し
て英国に完勝したからです。ところで、米英戦争とはどういう戦
争だったのでしょうか。
 米英戦争とは、第2の独立戦争といわれる戦争で、どのような
原因で戦争が勃発したのかについて、ネットの「世界史の窓」か
ら引用します。
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 ナポレオン戦争中に起こったアメリカ合衆国とイギリスの戦争
で、1812年戦争、第2次アメリカ独立戦争とも言う。ヨーロ
ッパの戦争に対し、アメリカ合衆国は当初中立政策を採り、貿易
の利益を守っていたが、ナポレオンの大陸封鎖令に対抗してイギ
リスも逆封鎖したためアメリカにとっても貿易が途絶え、大打撃
を受けた。一方イギリス海軍がアメリカ人船員の強制徴用を行う
など、海上権の侵害が続いたため、国内で主戦論が台頭した。第
4代マディソン大統領(リパブリカン党)は国内の主戦論に押さ
れ、一方的にイギリスに宣戦した。   http://bit.ly/2e8r4Mo
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 ジャクソンは、ジェファーソンのリパブリカンを取り込んで民
主党を結成したのですが、このジャクソン政権は、自身の出身地
である南部の農業主などの大衆世論を背景に、ワシントンの国政
に大きな影響を与えることになったのです。だから「ポピュリズ
ム」といわれたのです。
 このジャクソン民主党の政治の特徴について、冷泉彰彦氏は次
の4つを上げています。
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   1.            商工業ではなく農業
   2.   「大きな政府」ではなく「小さな政府」
   3.      北部に対抗する勢力としての南部
   4.ワシントンのエスタブリッシュに対するアンチ
                ──冷泉彰彦著の前掲書より
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 現在の米民主党といえば「大きな政府」が基本スタンスですが
ジャクソン政権はもともとリパブリカン(州権派)であり、連邦
制の縮小を図ろうとしていたので、「小さな政府」路線に立脚し
ていたのです。
 ちなみに民主党でもすべて大きな政府路線であるとは限らない
のです。1980年代のロナルド・レーガン政権(共和党)以来
米国の経済政策はおおむね小さな政府路線を維持してきています
が、レーガン政権後の唯一の民主党政権であるクリントン政権は
自立を重視した福祉改革など、政権後半にかけて中道寄りの姿勢
を強め、レーガン政権の小さな政府路線に大きな変更を加えてい
ないのです。これに対してオバマ政権は、明らかに大きな政府で
あるといえます。
 南部と北部──当時の米国は、多くの面で南北の対立が激しく
なっていったのです。農業を中心に政治に発言力を増してきた南
部と、北部を中心とした商工業の発展は、連邦政府による産業保
護政策や、通商の安全を確保するための軍事力を強めようとする
政策で、北部との対立は深まっていったのです。
 この南部を代表するのが民主党ですが、これに対抗するために
1833年に誕生したのが「ホイッグ党」です。ホイッグ党は英
国にもありましたが、これとは無関係です。ホイッグ党について
は、ウィキペディアを参照します。
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 第7代大統領アンドリュー・ジャクソンおよび民主党の政策に
ついて「専制的であり、近代化に対する反動である」として反対
し、大統領に対する議会の優越、社会や金融の近代化、保護貿易
による国民経済活性化などを実現するために結成された。
 ホイッグという名は、アメリカ独立革命の際の独立派(パトリ
オット)が、反王政派である自らを呼ぶのに使っていた名であり
イギリスのホイッグ党との直接的な関係はない。連邦党や第6代
大統領ジョン・クィンシー・アダムズ支持派の国民共和党の系列
である。     ──ウィキペディア http://bit.ly/2e8J6hq
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            ──[孤立主義化する米国/070]

≪画像および関連情報≫
 ●アンドリュー・ジャクソンとその時代/佐藤清文氏
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   2006年9月26日で、小泉純一郎政権が幕を閉じ、安
  倍晋三政権がスタートしました。小泉前首相は自民党の派閥
  を解体させ、派閥主義を終焉させましたが、その代わり、多
  くのグループが乱立してはいるものの、無批判的な政党に変
  容させてしまいました。安倍新総理はそうした雰囲気を背景
  に誕生したのです。
   振り返って見ると、小泉手法は1829年から37年まで
  在任した合衆国第7代大統領アンドリュー・ジャクソンによ
  く似ていました。ジャクソンの政治は「ジャクソニアン・デ
  モクラシー」として知られ、後継者のマーティン・ヴァン・
  ビューレンと合わせてその治世は「ジャクソンの時代」と呼
  ばれています。1812年戦争の英雄であり、初の西部出身
  の大統領である彼の粗野さと無教養は、今日では伝説となっ
  ています。”OK”の語源が”All Correct” の略として彼
  が用いたエピソードに由来していることはその一端がうかが
  われます。
   今でこそ二大政党制の国と言われていますが、アメリカに
  も一党優位制の時代がありました。1820年から1828
  年の間は、共和派の候補者同士が大統領選挙を争っていたの
  です。派閥抗争は激しいもので、政治が滞ることもしばしば
  でした。             http://bit.ly/2ealjQN
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アンドリュー・ジャクソン7代米大統領.jpg
アンドリュー・ジャクソン7代米大統領
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 孤立主義化する米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする