2016年10月14日

●「アメリカ独立戦争はなぜ起きたか」(EJ第4380号)

 米国の独立戦争勃発から初代大統領が就任するまでの一連の流
れを以下に示しておくことにします。すべて一気に決まったわけ
ではないからです。
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 ◎1775年 4月
  独立戦争勃発(レキシントン・コンコードの戦い)
 ◎1776年 7月
  独立宣言採択(フィラデルフィアでの第二回大陸会議)
 ◎1781年10月
  独立戦争終結(ヨークタウンの戦い)
 ◎1787年 9月
  合衆国憲法制定(草案完成、批准と発効は後日)
 ◎1789年 4月
  初代大統領就任(憲法の発効による連邦政府の発足)
             ──冷泉彰彦著/日本経済新聞社刊
          『民主党のアメリカ/共和党のアメリカ』
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 米国の独立戦争が勃発したのは1775年4月のことです。問
題は、何が原因で独立戦争が起きたかですが、通常の独立の戦い
とはいささか様相が違うのです。
 かたちのうえでは、米国は英国の植民地ではあったのですが、
米国人は、英国人を中心とするヨーロッパ人であり、いわば「も
うひとつの英国」とでもいうべき存在だったのです。したがって
米国は通常の植民地とは異なる扱いを受けていたのです。
 しかし、当時は次の3つの背景があり、英国としては米国にも
重い税をかけざるを得ない状況になっていたのです。
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 1.英国は対外戦争の戦費が増大しており、本国はもちろん
   のこと、全属州の増税は不可避であったこと
 2.植民地の米国、とくに北米の経済力は勢いがあり、それ
   は本国である英国を上回る状況にあったこと
 3.啓蒙主義が広まり、フランス革命がブルボン朝絶対王政
   を打倒し、市民革命の波が盛り上がったこと
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 「代表なくして課税なし」という言葉があります。英国議会は
納税額などによって代表を決める仕組みになっており、米国から
税を取り立てるのであれば、当然米国からも英国議会に代表を送
る権利を認める必要があります。
 しかし、米国代表を入れると、英国議会で圧倒的な多数となる
可能性が強く、どっちが本国かわからなくなってしまうので、英
国議会は米国代表を排除していたのです。そうであるならば、米
国としては「代表なくして課税なし」の原則の通り、税を納める
必要はないことになります。
 それに加えて時あたかも、ルネサンスに始まる人間解放の思想
が、宗教改革を経て、封建社会の教会や王権の絶対的権威が揺ら
ぐなかで生まれたルソーなどの啓蒙思想が広がっており、それが
米国独立の起爆剤になったトマス・ペインのパンフレット『コモ
ン・センス』の発行に結びついたのです。
 『コモン・センス』は、トマス・ペインによって発行されたパ
ンフレットであり、タイトル通り、人々の「常識」に訴える平易
な英文で、アメリカ合衆国の独立の必要性を説き、合衆国独立へ
の世論を大いに高める役割をしたのです。
 こういう状況のなかで英国は米国に対して次々と税金をかけて
いきます。1764年に砂糖法、植民地に輸入する砂糖に関税を
かけたのです。1年後の1765年には印紙法、米国で刊行され
るすべての印刷物に対して英国の印紙を貼ることを義務付けるも
のです。2年後の1767年にはタウンゼント法、酒、茶、紙、
ガラス、ペンキなどの日用品に非常に高率の関税を掛けるもので
す。英国は「代表なくして課税なし」の原則を無視して、なり振
り構わず、米国へ課税を強行したのです。
 このことがきっかけになって起こったのが、「ボストン茶会事
件」です。これが、そうでなくても高まっていたアメリカの独立
戦争に火をつけたといえます。
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 1773年、イギリスが茶法(茶条令)を制定し、東インド会
社に茶の専売権を与えたことに反対するアメリカ植民地の急進派
が起こした事件。ボストン港に入港していた同会社の船に侵入し
たモホーク族に変装した男達が、茶箱342箱(価格1万8千ポ
ンド)を海中に投棄し、夜陰に乗じて逃げた。イギリス当局は犯
人を捕らえようとしたが、植民地人は「ボストンで茶会(ティー
パーティー)を開いただけだ」と冗談を言ってごまかし、真犯人
は検挙できなかった。
 これに対する報復としてイギリス本国はボストン港を封鎖し、
さらに強圧的諸条令を制定して植民地側を屈服させようとした。
反発した植民地側はイギリス製品の不買運動などに立ち上がり、
1774年9月にフィラデルフィアで大陸会議を開催して13植
民地の代表が集まり、本国との対立は決定的となって、1775
年のアメリカ独立戦争となる。このようにボストン茶会事件は、
アメリカ独立戦争勃発の引き金となった事件であった。
                   http://bit.ly/2dPfK6I
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 1774年、英国への対応をめぐり第1回大陸会議がフィラデ
ルフィアで開催されたのです。これにはジョージア州を除く12
の植民地の代表が集まり、英国に対して通商断絶の決議が行われ
たのです。植民地代表がいないところで決められた課税に対して
は断固拒否しようと決めたわけです。
 そして翌年の1775年、ボストン郊外にてイギリスと植民地
の人たちにおける武力衝突が勃発します。これがレキシントンの
戦いであり、独立戦争の第1戦がはじまったのです。
            ──[孤立主義化する米国/065]

≪画像および関連情報≫
 ●ティーパーティー(茶会)とボストン茶会事件
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   「ティーパーティー」という名称は、当時の宗主国イギリ
  スの茶法(課税)に対して反旗を翻した1773年のボスト
  ン茶会事件に由来しており、同時にティーは「もう税金はた
  くさんだ(Taxed Enough Already)」の頭字語でもある。
   「オバマケアより危険なものはない」。クルーズ上院議員
  は11日、ワシントンでの保守系政治団体の会合でオバマケ
  ア批判を展開した。来年1月から個人の保険加入義務化が始
  まるオバマケアの扱いは、予算協議の焦点のひとつだ。小さ
  な政府を志向する茶会は義務化を「自由の侵害」ととらえて
  おり、クルーズ氏は茶会の立場に寄り添ったかたちだ。
   イギリスは、莫大な戦費のために国の財政が窮乏した。そ
  こで、時の国王ジョージ3世は「植民地防衛のための費用な
  のだから、植民地の連中に分担させよう!」と考え、関税法
  を改めて税金の取りたてを強化した。
   イギリスの北アメリカ植民地ではタウンゼンド諸法の撤廃
  (1770)後も茶税のみ残され,73年には茶税法が制定
  され、茶は植民地人にとって本国の重商主義的圧制のシンボ
  ルとなっていた。こうした事態の中、1773年12月16
  日の夜に事件は起こった。毛布やフェイスペイント等でモホ
  ーク族風の簡易な扮装をした3グループ、50人ほどの住人
  がボストン港に停泊していた東インド会社の船を襲撃。「ボ
  ストン港をティー・ポットにする」と叫びながら、342箱
  の茶箱を海に投げ捨てた。     http://bit.ly/2dJSRBq
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トマス・ペイン.jpg
トマス・ペイン
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 孤立主義化する米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする