2016年08月31日

●「アメリカ合衆国は移民国家である」(EJ第4351号)

 アメリカ合衆国の国章やアメリカのコインには、次のラテン語
の文字が書かれています。
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     E Pluribus Unum/エ・プルリブス・ウヌム
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 これは「多くのものから一を」の意味で、アメリカのポリシー
というかモットーをあらわしています。もともとは「自由自治が
認められた多くの州や植民地が一つの国家にまとまる」という意
味だったのですが、最近では「多くの民族、人種、宗教、言語、
祖先が一つの国家とその国民を形成する」という概念に変わって
きたのです。これは「メルティング・ポット」と呼ばれているの
です。「原型が溶かされてひとつになる」という意味です。
 この概念は、20世紀初頭のユダヤ人作家イズレイル・ザング
ウィルが唱えており、1908年に発表の彼の戯曲「坩堝/るつ
ぼ」にそれがあらわれているというのです。「人種の坩堝」とい
う言葉はここから生まれているのです。
 メルティング・ポットの異議として、50年代から「サラダボ
ウル」という言葉が登場したのです。これに関して青山学院大学
教授の会田弘継氏は自著で次のように述べています。
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 やがて「サラダボウル」ということばが登場した。多様な民族
や人種があくまでそれぞれの違いを持ちつつ、アメリカ社会を構
成しているのだという考え方だ。ポストモダン的な文化的多元主
義の発想といえるだろう。このとき「多くのものから一を」とい
うスローガンだって、白人文化、ヨーロッパ文化がつくり出した
ものではないかという批判があった。
 その指摘には認めるべき点もある。しかしたとえヨーロッパ文
化に発した価値観だとしても、人権や民主主義は人類に普遍的な
価値である。世界中に民主主義国家が生まれ、近代文明を築いて
きた。むやみに、ポストモダン的な多元主義によって、近代的価
値観を相対化するのは危険だ、というのがそれに対する批判だっ
た。シュレジンガー・ジュニアやハンティントンの言っているの
はそれだ。             ──会田弘継著/左右社
  『トランプ現象とアメリカ保守思想/崩れ落ちる理想国家』
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 アメリカという国は「移民国家」なのです。先住民のインディ
アンを除いて、15世紀以降、世界各地の移民から構成され,多
民族が統合された国民国家なのです。人種の異なる多くの人々が
アメリカにやってきたのです。アメリカはそれらの人々を受け入
れ、そして、それらの人々や子孫が大変な苦労をしながらアメリ
カという国をつくってきたのです。
 しかし、それは簡単なことではなかったのです。米国の歴史学
者で、元ハーバード大学教授のオスカー・ハンドリンという人が
います。彼は『根こそぎにされた人々』という本のなかで、次の
ようなことを述べています。2016年3月18日に日本記者ク
ラブで行われた上英明氏による講演から、要約します。
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 移民というのは、急激な社会、経済の変化によって故郷で生活
できなくなった人々が入ってくる。彼らは持てるものを全て失い
自分ではどうすることもできない力によって、土着の社会から根
こそぎにされた人々である。
 こうして孤独になった人々が一人また一人とアメリカに入って
きて、新しい文化、新しい生活、新しい環境になじもうとしても
なかなかそれがうまくいかない。このように、移民というのは悲
劇なのである。
 アメリカをつくったのは、こうした悲劇の移民たちである。大
変な苦難に耐えて、自分たちの成功はなかったとしても、何とか
子孫だけは残してきたのである。したがって、アメリカという国
は移民国家である。       ──オスカー・ハンドリン著
   『根こそぎにされた人々』/上英明氏による講演より要約
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 そういう国であるだけに、米国は人種差別には厳しい国なので
す。とくにエリート階層の人々はそうです。これは黒人の差別を
なくそうとしてはじまった公民権運動以来、延々と米国で続いて
きていることです。
 会田弘継氏や副島隆彦氏の本を読んではじめて知ったのですが
米国には「PC」という言葉があります。PCといっても、パソ
コンのことではなく、次の英語の略です。
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          ポリティカル・コレクトネス
     Political correctness/略称「PC」
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 PCとは「差別用語」を使わせないようにする社会統制や言論
統制のことです。これをいわゆるエリート層でない人のなかには
不満を持つ人が多いのです。これについて、副島隆彦氏は次のよ
うに述べています。トランプ氏の暴言は、このPCを打ち破った
ものといえるのです。
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 マイクロ・アグレッション micro aggression と言って、ささ
いな言葉遣いに対して目くじらを立てて、何でもかんでも差別発
言だと仕立て上げて、「君、今の発言は不適切だよ」と相手を注
意、非難する。このリベラル派の人間たちの神経過敏症のことを
指す。アメリカでは人々の日常の発言内容への取り締まりがあま
りにもキツいものだから、この言論統制の風潮に対して、保守派
で本音でものごとを語ろうとする人たちからの反発がずっとあっ
た。「現実は現実だ。実情としてあるものをそのまま言っていい
はずだ」と。                ──副島隆彦著
      『トランプ大統領とアメリカの真実』/日本文芸社
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            ──[孤立主義化する米国/036]

≪画像および関連情報≫
 ●ポリティカル・コレクトネスとは?
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   要するに、ポリティカル・コレクトネス(略称:PC)とは
  「差別的な表現をなくそう」とする概念のことなんです。日
  本語にすると「政治的正しさ」みたいな訳になってしまいま
  すが、これは例えば「自民党が正しくあるためにはこうある
  べき」とかそういう正しさのみを指すものではないです。日
  本でも移民や在日外国人に対する憎悪や軽蔑の念を込めて発
  言する「ヘイトスピーチ」が問題になっています。
   この記事内で投票形式で議論されている通り、ヘイトスピ
  ーチはPC的観点から規制されるべきなのか、はたまた「表
  現の自由」として保障されるべきなのかという視点で問題が
  議論されています。
   日本では法規制が採決見送りになってしまったそうですが
  アメリカ、カナダ、他欧州各国ではヘイトスピーチは法律に
  よって厳しく罰せられる対象となっています。ドイツもヘイ
  トスピーチにはかなり厳しい処罰が適用されます。
   ドイツは、ヘイトスピーチを世界で最も厳しく取り締まる
  国の一つだ。ヘイトスピーチは刑法第130条の「民族扇動
  罪(Volksverhetzung)」 に該当し、裁判所は最低3ヶ月、
  最高5ヶ月の禁固刑を科すことができる。(ハフィントンポ
  スト:熊谷徹氏)。       http://huff.to/2c1hVmp
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「人類の坩堝」/E Pluribus Unum.jpg
「人類の坩堝」/E Pluribus Unum 
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 孤立主義化する米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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