2016年03月18日

●「原爆投下の最終決断はトルーマン」(EJ第4240号)

 太平洋戦争当時の米国陸軍長官のヘンリー・スチムソンは、日
本への原爆投下都市として上げられていた「京都」を外させたこ
とで知られています。京都への投下は、マンハッタン計画に参加
していた科学者の一人であるフォン・ノイマンが強硬に主張して
おり、米軍部は実施する予定で準備していたのです。
 その証拠に京都は最後まで米軍が空襲していないのです。なぜ
空襲しなかったのかというと、原爆投下後に原爆の影響を正確に
把握するためです。しかし、この軍部の提案は、京都が日本の歴
史ある文化の象徴であることを知っていたスチムソン陸軍長官に
よって却下されます。そのことは、ウィキペディアでも、そのよ
うに書かれています。
 これは一種の美談として伝えられていますが、実際は違うので
す。戦後GHQは原爆投下への日本国民の反発を恐れ、さまざま
なプロパガンダをやっています。スチムソン陸軍長官の美談も、
そのプロパガンダの一つであり、こういう美談に弱く、お人好し
の日本人を騙し、米国は寛大な国であることを日本人に思わせる
ように仕向けたのです。
 しかし、何といっても、広島と長崎に原爆を投下させる最終決
断をしたのは、ルーズヴェルト大統領の死後、副大統領から大統
領になったハリー・S・トルーマンその人です。このトルーマン
について「原水爆兵器登場の背景」のサイトでは、次のように厳
しく糾弾しています。
─────────────────────────────
 「原爆ホロコースト」に重大な責任がある人物を挙げるなら、
その筆頭は直接ゴーサインを出したトルーマン大統領だろう。原
爆の誕生は、当時の原子物理学の流れにおいて避けられなかった
としても、原爆の「実戦使用」に関しては、彼個人の政治的な判
断で避けようと思えば避けられたのだ。
 しかし彼は、原爆を使わずに戦争を終わらせるなどとは考えも
しなかった。彼は誕生したばかりの超兵器=原爆を使用したくて
たまらなかった。人間のいない荒野で爆発させるのではなく、人
間が密集する都市の上で爆発させて、その破壊力を試してみたい
気持ちに駆られていたのだ。人体実験をしたかったのだ。
 彼は日本から提示された降伏条件をはねつけ、日本への原爆投
下を命じた。しかも無警告で2発も。そうしたうえでその降伏条
件を認めたのだった。彼は自分の行動を正当化するために「原爆
投下により100万のアメリカ兵の生命が救われた」とする「原
爆神話」を積極的に広めた張本人でもある。
                   http://bit.ly/1S1Lbr9
─────────────────────────────
 同じ原爆投下に賛成しながらも、事前に警告すべきであると主
張した人は多くいたのです。そのうちの一人は、水爆の父といわ
れるエドワード・テラー博士です。
 テラー博士は、マンハッタン計画に参加し、原爆の開発に従事
したのですが、その目的はドイツよりも早く開発することによっ
て戦争をはやく終わらせることと、米国が原爆を保有することで
平和が保たれるという「核抑止力による平和維持」の実現にあっ
たのです。
 それに戦後に原爆ではなく水爆を推進し「水爆の父」といわれ
るようになったのは、水爆は原爆よりも威力があることに加えて
放射性降下物が生成されず、残留放射性が格段に低いからです。
そのため水爆は「きれいな原爆」といわれるのです。
 しかし、水爆を爆発させるには強い熱が必要であり、原爆を起
爆装置として使い、重水素を熱核反応させる必要があります。し
たがって、この方式であれば、やはり放射性降下物がたくさん出
ることになります。
 そのため1954年に行われたビキニ環礁での水爆実験で、日
本のマグロ漁船「第5福竜丸」の乗組員23人が被爆してしまっ
たのです。その後テラー博士が所長を務めていたローレンス・リ
バモア国立研究所において研究が続けられたのですが、現在でも
いわゆる「きれいな原爆」は完成していないのです。しかし、新
兵器のことですから、それが本当かどうかは不明です。
 テラー博士は、原爆の日本投下には反対の立場をとったといわ
れますが、投下する場合でも事前の警告が必要であることを強く
主張していたのです。
 テラー博士と親しい米国在住のハドソン研究所客員上級研究員
の日高義樹氏は、2012年に上梓した著作で、日本への原爆投
下に関して次のように述べています。
─────────────────────────────
 エドワード・テラー博士は1962年、『広島の遺産』という
本の中で、「広島と長崎に爆弾を落としたのは間違いだった」と
書いている。
 「私は悲劇的な原爆の投下は必要なかったと考えている。もっ
と別な方法、たとえば東京の上空、非常に高いところで、原爆を
夜間に爆発させることもできた。超高空で爆発した原爆は、突如
として、東京を真昼のように明るくしたであろう。しかし、誰ひ
とり殺すわけではない。そのあと日本政府に対して、次に原爆を
落とすときには低空で爆発させる、そうすれば、大勢の人が死亡
すると警告することができた。
 アメリカは、東京のはるか上空で原爆実験を行ったあと、日本
に対して降伏を求める通告を出すことができた。日本に対する最
後通牒は受け入れられただろう。原爆はより人間的に使われるこ
とになったはずだ。そして戦争を終結することはできただろう。
だが私の主張した、超高空における原爆の夜間攻撃は、提案もさ
れなかった」。 ──日高義樹著『なぜアメリカは日本に二発の
             原爆を落としたのか』/PHP文庫
─────────────────────────────
 このエドワード・テラー博士は、ローレンス・リバモア研究所
において、「ケムトレイル」に深くかかわっているのです。
            ──[現代は陰謀論の時代/053]

≪画像および関連情報≫
 ●原爆投下はどのように伝えられたのか
  ───────────────────────────
   1945年8月7日付のアメリカの新聞各紙は1面に横幅
  いっぱいの大きな見出しを掲げて歓喜した。「最初の原子爆
  弾日本に投下される。爆弾は2万トンTNTに匹敵 トルー
  マン大統領、敵に『破滅の雨』を警告」
   「原子爆弾の物語!この死の爆弾はどうやって開発された
  か明らかに」「爆破された街では日本人が鉄道を止める ト
  ルーマン大統領、破壊の雨を宣言」「東京は次の原爆リスト
  に載った模様」「日本のラジオ、爆弾の被害は比較的少ない
  と報じる」───お祭り一色だったわけではない。この日の
  ニューヨーク・タイムズ紙には、「トルーマン大統領の発表
  通りなら約32万人の広島市民が犠牲になったことになる」
  と指摘した上で、「核の時代」の扉を開けたことへの恐れに
  ついても書かれていた。「我々は壊滅の種をまいた。この戦
  争を通じての我々の爆撃はほとんど都市、そして民間人を標
  的にしていた。我々の爆撃は敵より効果的で、より壊滅的な
  打撃を与えたためアメリカ人は「破壊」の同義語となった。
  そして我々は初めて、計り知れない効果を持つ新たな兵器を
  導入した。これは速やかに勝利をもたらすかもしれないが、
  より広い憎悪ももたらすだろう。我々自身に壊滅をもたらす
  かもしれない。確実に我々は、神のような力を、不完全な人
  類の手で管理するという、重大な責任を背負うことになる。
                  http://huff.to/1gNYzBK
  ───────────────────────────

広島への原爆投下を伝える報道.jpg
広島への原爆投下を伝える報道
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代は陰謀論の時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。