れたものという主張をする人が少なからずいます。このテーマで
はそれらの主張をていねいに読んで書いていますが、なかなか説
得力のある説も多いのです。
これらの人に対して陰謀論者のレッテルを貼る人は、主張をロ
クに調べもしないで、レッテルを貼っています。そしてそういう
人たちの決まり文句に次の言葉があります。
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日本の同盟国の米国がそんなことをやるはずがない
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本当にそうでしょうか。
先日のことですが、テレビで米カルフォルニア州の弁護士で、
タレントのケント・ギルバート氏は、米大統領選でのトランプ氏
の「怪走」について、次のように話しています。
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アメリカ人は、日本人が考えるほど日本のことをよく知らな
い。オバマも最初はそうだったが、トランプもアジアのこと
がわかっていない。彼は、日本と韓国と台湾の違いがわから
ないと思いますよ。 ──ケント・ギルバート氏
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彼らが日本をどのように見ているのかを知るには、原爆が広島
と長崎に投下されたいきさつを知ることが役に立ちます。その詳
しいいきさつを知ると「まさか米国がそんなことを・・・」とは
いえなくなると思います。
米国が第2次世界大戦中に原爆の開発に乗り出したもっとも重
要な動機は「ドイツのナチスが核兵器を先に作ってしまうのでは
ないか」という恐れからです。なぜなら、もしナチスが原爆を持
つと、世界は決定的な破壊に見舞われるからです。似たようなこ
とを現在北朝鮮が挑発していますが、当時のナチスの強さはまさ
に破壊的であり、北朝鮮の比ではないのです。
原発開発に対して当時重要な役割を果たしたのは、ヨーロッパ
から米国に亡命してきた科学者たちです。そのなかで中心的な役
割を果たしたのは、レオ・シラードです。シラードは、フォン・
ノイマン、エドワード・テラー、ユージン・ウィグマンとともに
ハンガリー生まれで、米国に亡命したユダヤ人の科学者です。
シラードは、同じユダヤ人でドイツから米国に亡命したアイン
シュタインに会い、原発のアイデアについて話したのです。そし
て、ルーズベルト大統領に原発開発を促す要望書に一緒にサイン
して欲しいと頼んだのです。大統領に決断させるにはアインシュ
タインの名声を借りる必要があると考えたからです。
アインシュタインは、核連鎖反応を利用する原爆の開発につい
て「考えもしなかった」と驚いたといいます。しかし、平和が真
に大事であると考えていたアインシュタインは、2週間悩んだ末
にサインしたのです。
ルーズベルト大統領は、シラード、テラー、ウィグナーの提案
を受けて「マンハッタン計画」を了承します。1939年のこと
です。この提案にアインシュタインも同意するという手紙は大統
領の決断に大きな影響を与えたものと思われます。
マンハッタン計画は成功し、1945年7月16日、世界で初
めて原爆実験を実施し、成功するのです。しかし、そのときには
ドイツは敗北し、ヒットラーは自殺してしまったのです。そうす
ると、当然のことながら、原爆投下の対象として戦争を継続して
いる日本が浮上したのです。あくまで「米国軍人の死者を減らす
ため、少しでも早く戦争継続を断念させる」という目的のため、
原爆を日本に投下するというものです。
しかし、マンハッタン計画に関わった科学者や軍部の一部には
原爆の威力を調査するため、あくまで日本のどこかの都市に投下
すべきであると主張する者が増えていったのです。もっとも原爆
投下を容認しても、事前に日本に対して警告すべきであるという
意見を持つ者もいたのです。この間の事情について書かれている
「原水爆兵器登場の背景」というサイトは、科学者のなかで日本
への原爆投下について熱心だったオッペンハイマーとノイマンに
ついて次のように書いています。
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●ロバート・オッペンハイマー
ロバート・オッペンハイマーといえば、「原爆投下は日本に警
告なしに行なわれるべきだ」と反日的な強硬論を主張した人物で
ある。彼は、最初から最後まで投下目標について日本だけを論じ
ており、ドイツを投下目標として論じたことはなかった。
●フォン・ノイマン
ちなみに、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者の
中で、もっとも反日強硬派だったのはフォン・ノイマンだろう。
彼は日本人を蔑視し、京都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだ
と主張。京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていたと
いうまさにその理由によって京都の破壊を求めていたのである。
しかし、ヘンリー・スチムソン陸軍長官の反対によって、京都
は原爆のターゲットから外された。彼は、京都の代わりに長崎の
追加を指示したのである(1945年7月22日)。
http://bit.ly/1S1Lbr9
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しかし、シラードは、ドイツの敗北が決定的になると、原爆を
日本に投下することは反対するようになり、再びアインシュタイ
ンのもとを訪れ、原爆の日本投下を阻止するために、大統領への
手紙にサインするよう求めたのです。アインシュタインはシラー
ドの意見に賛成し、再びサインしたのです。しかし、手紙は大統
領に送られたのですが、今度は効果はなかったのです。
ルーズベルト大統領は、同じ年の4月12日に亡くなっており
後任のトルーマン大統領はできたばかりの原爆を1日も早く使っ
てみたいと考えていたからです。
──[現代は陰謀論の時代/052]
≪画像および関連情報≫
●アメリカ人は原爆投下についてどう教えられているか
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米政治評論家のジョージ・ウィルが「第2次大戦では、米
国は東京大空襲で一気に日本側の民間人8万3000人を殺
し、広島への原爆投下では一瞬にして8万人を殺したように
日本人一般への人道上の配慮はまったくなく、米側では日本
民族全体の絶滅さえ提案されていた」と述べている(同紙2
月26日)。それを裏書するように、米国のある歴史教科書
は原爆投下に関して、次のように描いている。
《フランクリン・ルーズヴェルト大統領は1945年4月
12日に死去し、トルーマン副大統領が後を継いだ。新大統
領は原子爆弾のことを知っており、その使用の重大性につい
て比較考察を始めた。一方では、この爆弾は投下されたどの
都市でもものすごい数の罪無き人々を殺害するであろう。こ
れらの人々は死にもだえ苦しみ、身の毛もよだつ死を迎える
だろう。しかしその一方で、この爆弾を使わず、また日本へ
の侵攻に着手しなければ、おそらく数百万以上の日本人、米
国人の命を犠牲にして、この戦争がもう1年長引くこともあ
りうる。日本への原子爆弾投下の数日前、米機が恐ろしい新
兵器について日本国民へ警告するビラを投下した。いわく、
諸君の指導者たちが戦いを止めなければ、諸君に対しこれが
使われると。だが日本の軍国主義者たちは降伏をあくまで拒
んだ。彼らに降伏する意志は無いと明らかになって、この爆
弾を使用すると決定された。 http://bit.ly/1RiWAWz
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シラードとアインシュタイン