2015年11月26日

●「キューバ攻撃を計画していた米国」(EJ第4166号)

 2015年7月20日、米国とキューバ両政府は、相手国の首
都に再び大使館を設置し、1961年の断交から54年ぶりに国
交を回復しています。これはまさにビッグニュースです。
 キューバは米国の目と鼻の先にある国であり、米国にとっては
地政学上仲良くしなければならない国です。そのキューバに19
59年に突如フィデル・カストロによる革命政権が誕生し、米国
とキューバの関係は決定的に悪化します。
 1959年1月1日、時のケネディ政権は、キューバとの輸出
入を全面禁止し、キューバに対し経済封鎖を行うことを発表して
います。同年、キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミ
サイルの搬入が明らかになり、一気に米ソ核戦争の危機が大きく
なったのです。
 しかし、このキューバ危機は、ケネディ大統領のソ連に対して
強硬な姿勢をとったことが功を奏し、ソ連は一歩引いてキューバ
危機は何とか回避することができたのです。これにより、米国と
キューバの関係はさらに悪化して、米国にとってキューバは目の
前のタンコブ的存在になったといえます。
 このとき、米国のCIAは、キューバのカストロ政権の打倒を
目指す「キューバ計画」を策定しています。この計画は「オペレ
ーション・ノースウッズ」と呼ばれています。実はこの計画は実
施されなかったのですが、今回のマレーシア航空の2つの事故に
使われた疑いがあるのです。
 これについては改めて詳しく述べますが、米国はかつてキュー
バがスペインの植民地であったとき、キューバの独立に協力して
います。それが「リメンバー・メイン」です。米国としてはつね
にキューバとは友好関係を保とうと努力していたのです。昨日の
EJからの続きで、この「リメンバー・メイン」について説明を
しておきます。
 これはキューバの独立運動にかかわりをもっています。189
5年当時、米国はメキシコと同じ手口を使ってキューバの独立を
支援しようとします。まず、キューバに多くの移民を送り込み、
多額の米国資本を投入したのです。そして、米国はキューバで高
度な印刷技術・製紙技術を駆使して新聞社を作り、連日のように
スペインがいかにキューバに対して過酷な弾圧を行っているか、
あることないことを書き立てたといいます。つまり、完全なるマ
スコミ操作をしたわけです。
 1897年2月、キューバのハバナで暴動が起こります。米国
は直ちに米国民を保護するという名目で戦艦メイン号をハバナ湾
に派遣します。ところが、1898年2月にハバナ湾に停泊して
いた戦艦メインが突然大爆発を起して沈没してしまい、米国兵士
260人が死亡するという事故が起こるのです。
 この爆発は、米国自体が仕掛けたものだったといわれますが、
米国はこれをスペインのしわざであると宣伝し、新聞も一斉にそ
の論調で書き立てたのです。米国得意の「偽旗作戦」であり、マ
スコミによる「紙爆弾」の拡散です。そのため、米国民の間では
「リメンバー・メイン」というスローガンが広がり、国内は反ス
ペイン一色になります。
 その結果、議会は、時の米国大統領ウイリアム・マッキンレー
に対して、軍事行動を起す権限を与え、1898年4月、アメリ
カ・スペイン戦争(米西戦争)が勃発するのです。この戦争は米
国が勝利し、キューバは米国の軍政期間を経て、1902年5月
20日に400年におよぶスペイン支配から解放され、待望の独
立を勝ち取ったのです。
 しかし、米国にとって最悪の事態はキューバにフィデル・カス
トロによる革命政権が誕生したことです。そのカストロは、19
63年には、はじめてモスクワを訪問し、フルシチョフ書記長と
会談しています。そして、1965年には、キューバ共産党が結
成されたのです。
 こういう状況であるので、米ソ双方は、キューバを巡ってお互
いを牽制し合ったのです。キューバ危機では、米国はソ連に対し
次のように警告しています。
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 海上封鎖を突破すれば、ソ連を攻撃する。そして、もしキュー
バから西側諸国に核ミサイル攻撃があれば、ソ連からの攻撃とみ
なし、全面的に報復攻撃を行う。 ・・・・・ 米国からソ連へ
─────────────────────────────
 これに対し、ソ連のフルシチョフ政権は、次の回答を行い、米
国はこれを受け入れ、キューバ危機はギリギリのところで回避さ
れたのです。
─────────────────────────────
 アメリカがキューバを攻撃しないと約束するなら、キューバか
らミサイルを撤退する。 ・・・・・・・・・ ソ連から米国へ
─────────────────────────────
 このようなわけで、1961年以降、米国とキューバとの国交
は断絶され、米国からキューバに行くには、特別な許可が必要に
なったのです。単なる観光での渡航もNGで、もし非合法にキュ
ーバに渡ると、見つかった場合は、罰金25万ドルと10年の懲
役刑が科せられるという厳しさです。
 しかし、1991年のソ連崩壊によって、キューバは経済的に
苦境に陥ります。そういうこともあって、民主党のクリントン政
権時にはキューバに対して「ピープル・ツウ・ピープル」という
プログラムが作られたのです。
 このプログラムは、キューバ市民が、実際にアメリカ市民と交
流することによって、外の世界の実状を知り、現カストロ共産党
政権からの解放と民主化に向けての一歩を踏み出してもらうとい
うものです。しかし、このプログラムは、共和党のブッシュ政権
になると廃止され、現オバマ政権になってまた復活しています。
 その米国とキューバの国交正常化が実ったのですから、これは
オバマ政権の大きな外交的成果であるといえます。
           ──[航空機事故の謎を探る/041]

≪画像および関連情報≫
 ●米・キューバ国交正常化は何をもたらすか
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   冷戦期のキューバは日本と奇妙な相似形を描いていたので
  はないか。1993年の秋に取材でキューバの首都ハバナを
  訪れ、そんな印象を受けた記憶がある。
   カリブ海の島国であるキューバは、地図で見るとちょうど
  米国の喉もとに突きつけられた匕首のようだ。59年にキュ
  ーバ革命が起き、61年に米国との国交を断絶。62年10
  月にはキューバ危機で米ソの緊張が核戦争寸前まで高まる局
  面もあった。
   そうした地政学上の位置の故に、東西冷戦期のソ連は、こ
  の島国に石油を安価で輸出し、キューバの特産品である砂糖
  を高く購入した。ソ連によるこの破格の厚遇があったからこ
  そ、キューバは社会福祉や医療保健基盤を充実させ、高い教
  育水準を維持することができた。いわば米国の裏庭で東側の
  ショーケースともいうべき優等国として存在することが許さ
  れていたのだ。
   一方で、同じように資源の乏しい島国である日本はどうか
  というと、ユーラシア大陸の東の縁で、米国から経済上の厚
  遇を受け、戦後の復興と高度経済成長を実現することができ
  た。ソ連極東の足下で西側の繁栄を体現する優等国になった
  という点で、条件はキューバと裏表の関係にあったのではな
  いか。              http://bit.ly/1P0jHmZ
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フィデル・カストロ元議長.jpg
フィデル・カストロ元議長
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする