2015年11月25日

●「リメンバー・アラモの真実を探る」(EJ第4165号)

 大韓航空機撃墜事件とマレーシア航空の2つの航空機事故がつ
ながっていることを示すために「偽旗作戦」の話をさらに続ける
ことにします。
 この話は、2002年1月30日付のEJ第790号で書いた
ことがあります。米国はよく「リメンバー○○○」という言葉を
使います。これは米国が何かことを起こすときにな使う言葉であ
り、すべて戦争に関係があります。
 日本に関係があるのは「リメンバー・パールハーバー」です。
2001年12月7日のハワイで、真珠湾攻撃記念式典において
時のブッシュ大統領は、タリバンに勝利したことについて述べ、
今後9月11日を「リメンバー9・11」と呼ぶことを宣言して
います。もともと真珠湾攻撃記念式典は、「リメンバー・パール
ハーバー」としてはじめられたものです。
 「アラモの砦」の話は、ジョン・ウェイン主演映画『アラモ』
であまりにも有名です。ここでも「リメンバー・アラモ」といわ
れています。正確にいうと、「リメンバー・バトル・オブ・ジ・
アラモ」ということになります。
 1836年3月6日、アラモの砦が落ちた日です。これは、多
くのアメリカ人の胸に誇りとして刻まれています。しかし、この
話にはウラがあるのです。
 当時、米国のテキサス州はメキシコ領だったのです。米国はこ
のテキサスを何とか自国領にしようと画策して大量の移民をテキ
サスに送り込んだのです。メキシコは1821年にスペインから
独立しているのですが、国力を高めるために積極的に移住者を受
け入れる政策を打ち出していたのです。
 米国はそれを利用して大量の移民と奴隷を送り込み、それら移
民による反政府運動を起させ、その騒ぎに乗じて武力介入し、植
民地にしようとしたわけです。しかし、メキシコ政府は米国のこ
の作戦を見抜き、反乱首謀者を国外に追放したのです。ときのメ
キシコの大統領ビセンテ・ゲレロは、1830年に米国人の移住
禁止と奴隷制の廃止を定めた法律を制定して米国に対抗します。
 1835年、テキサス在住の米国人が自治権を求めて独立運動
を起すのですが、これは米国の仕掛けた作戦だったのです。ゲレ
ロ大統領は、直ちにこの反乱を鎮圧するためにサンタ・アナ将軍
に3000人の兵を与え、テキサスの都市、サン・アントニオに
進軍します。
 これに対して独立を求める義勇軍200人はサン・アントニオ
のはずれにあるアラモ砦に立てこもり、3000人のメキシコ軍
を迎え撃つのです。これがアラモ砦の戦いです。この義勇軍の中
にいたのが、ウイリアム・バレット・トラビスやデビット・クロ
ケットです。
 しかし、3000人に対して200人では勝負にならず、義勇
軍は善戦したものの、全滅してしまいます。「最後の最後まで戦
い抜いた勇敢なテキサス義勇軍」として、米国では後の世にまで
語り草となっています。
 しかし、本当の話は違うのです。まず、テキサスに移住した米
国人のなかには、テキサス独立運動を起こすために訓練を受けた
工作員(兵士)が多く含まれていたのです。このことを察知した
からこそ、メキシコ軍は攻撃を仕掛けたのです。これはメキシコ
軍にとって当然の行為です。
 アラモ砦の200人がいかに勇猛果敢でも、3000人のメキ
シコ軍に攻められれば窮地に陥ってしまいます。追い詰められた
工作兵たちは米国政府に何度も援軍を要請したのですが、政府は
無視を決め込んで、彼らを見殺しにしたのです。
 そして、アラモの砦が全滅すると、米国政府は「アラモの砦の
勇士は残酷非道なメキシコ軍によって殺された」と喧伝したので
す。そして、「リメンバー・アラモ」のスローガンのもと、テキ
サスの独立を助けるという独立軍を募り、サム・ヒューストン将
軍の指揮のもと、メキシコに進軍し、たちまちのうちにメキシコ
軍を壊滅、テキサスを独立させたのです。
 これにより、テキサスは独立を勝ち取り、初代大統領としてサ
ム・ヒューストン将軍を選出し、テキサス共和国が誕生するので
すが、1845年に共和国からの申し出により米国テキサス州に
なっているのです。
 これで終りではなかったのです。米国は1846年にはささい
な理由をつけて再びメキシコに侵入し、カルフォルニア、ニュー
メキシコなど北米大陸南西部一帯をメキシコから奪取してしまい
ます。これで米国は現在の領土を確保することになったのです。
 これが米国のやり方なのです。これは「偽旗作戦」そのもので
す。アラモの砦は、わざと米国兵士を犠牲にして、「メキシコ憎
し」の国内世論を盛り上げ、メキシコと戦争し、自国の領土を拡
充したのです。
 米国は、このような一種の自作自演テロというべき事件を今ま
でにいくつもやってきているのです。スペインとの戦争に口実を
与えた1898年の「米艦メイン号の爆発沈没事件」、第1次世
界大戦に米国が参戦するきったけになった1915年の「英国客
船ルシタニア号沈没事件」、そして1964年のベトナム戦争参
戦の口実を作った「トンキン湾事件」──トンキン湾で北ベトナ
ムの哨戒艇が米駆逐艦へ魚雷を発射した事件などです。いずれも
米国が意図して仕掛けた「偽旗作戦」なのです。
 このことから、あの「9・11」ですら、米国の自作自演では
ないかといわれているのです。真珠湾攻撃を契機とする日米開戦
も、時のルーズベルト米大統領があえて日本軍に真珠湾を攻撃さ
せ、厭戦ムードに陥っていた国内世論を味方につけて、日本との
開戦に踏み切ったといわれています。まさに「偽旗作戦」のオン
パレードです。
 この視点から見たとき、マレーシア航空の2つの不可解な事故
の謎も解けるのではないかと考えられます。そのためには、ウク
ライナを巡る米ロの関係を読み解くことが不可欠になります。
           ──[航空機事故の謎を探る/040]

≪画像および関連情報≫
 ●侵略の世界史/この500年、白人は世界で何をしてきたか
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   西部開拓がほぼ終了すると、アメリカは、アメリカ独立に
  刺激されて独立したばかりの近隣の中南米諸国に、度重なる
  介入、侵略を行ないはじめた。
   まず、1845年、アメリカ  はメキシコから独立した
  テキサスを併合した。その後メキシコと戦争を起こし、(米
  墨戦争、1846〜1848)、その勝利によってニューメ
  キシコ、アリゾナ、カリフォルニア州など、南部、西部の広
  大な領土を併合し、国旗の星の数を一挙に増やした。
   この戦争の開戦の契機が「アラモ砦の戦い」だった。しか
  し、この戦いは、アメリカが自国のアラモ砦を囮にして相手
  を挑発し、わざとメキシコ軍に先制攻撃をさせ、自軍に相当
  の被害を出させたうえで「リメンバー・アラモ砦」を合言葉
  に戦争を正当化し、国民を鼓舞して反撃に移るというもので
  これは、この先アメリカが侵略をするときの常套手段となる
  のである。
   次いで1898年、米国は、ハバナを表敬訪問中の米戦艦
  「メーン」を自ら爆沈させ、2060人の乗組員を犠牲にし
  これを敵がやったことにして「メーン号を忘れるな」を合言
  葉に国民を戦争に駆り立て、有無を言わさず、スペインに宣
  戦布告した。この米西戦争は、キューバの独立戦争を支援す
  る名目で始めながら、実質的にはキューバを保護領化してし
  まい、合わせてスペイン領のプエルトリコをも領有するもの
  だった。これによりアメリカは、中南米諸国に対する軍事的
  経済的支配を強化するための前進基地を獲得することが出来
  たのである。           http://bit.ly/1OlwKfE
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映画『アラモ』の広告
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする