2015年11月02日

●「370便と17便事故は関連する」(EJ第4150号)

 MH370便が失踪してから約4ヶ月後の2014年7月17
日のことです。またしてもマレーシア航空で、痛ましい事故が起
こったのです。
 2014年7月17日、オランダ・スキポール空港からマレー
シア・クアラルンプール国際空港に向かっていたMH17便が巡
航飛行中の17時15分頃(現地時間)、何者かによってミサイ
ルで撃墜されたのです。墜落場所は、ウクライナ・ドネツィク州
グラボヴォ村です。グラボヴォ村は、ロシアとの国境からおよそ
40キロ離れたところにあります。
 MH17便の機種は、ボーイング777─200ER、なんと
MH370便と同一機種です。つまり、約4ヶ月の間に同じ航空
会社の同型機が相次いで事故を起こしたことになります。こんな
ことは普通では起こり得ないことです。
 撃墜されたMH17便には、乗客283人、乗員15人、合計
298人が乗っており、全員死亡。撃墜による航空事故では史上
最悪の死者数といわれています。
 それでは、撃墜したのは何者なのでしょうか。
 MH17便は、地対空ミサイル「BUK(ブク)」で撃墜され
たというのが、一般的な見方です。ウクライナ政府は親ロシア派
が撃ち落としたと非難し、親ロシア派はウクライナ軍のしわざで
あるとして、双方とも犯人は相手側であると主張しています。
 この構図は、1983年に起きた大韓航空機撃墜事件のときと
同じです。その要点は次の3つになります。
─────────────────────────────
 1.アジアの航空機が軍事兵器によって撃墜され、その撃墜
   に直接または間接にロシアが関与したとされている。
 2.両方の惨事とも米国とロシアの関係が緊迫しているとき
   に起こり、非難の応酬で、原因究明ができていない。
 3.両国の非難合戦と国際社会の反応を色づけたより大きな
   地政学的な配慮が、犠牲者の悲劇をかすませている。
─────────────────────────────
 ときの米国大統領のロナルド・レーガンは、この事件の起きる
数ヶ月前の1983年3月のテレビ演説で、ソ連を「悪の帝国」
と罵り、そのうえで新しい核ミサイルシステムを採用する防衛計
画の必要性を視聴者に訴えています。それは「戦略防衛構想/S
DI」と呼ばれるようになります。
 レーガン政権は、世界最大の個人企業といわれるベクテル社の
作った政権といわれています。この企業は、当時、後に「スター
ウォーズ計画」と呼ばれる「MXミサイル・プロジェクト」を極
秘に進めていたのです。そしてレーガン政権誕生と同時に、レー
ガン大統領の演説でこれが明かされたのです。実は、この会社が
大韓航空機撃墜事件に深く関与している疑いがあります。
 「ベクテル社」とは、どういう企業なのでしょうか。
 ベクテル社については、ウィキペディアには次のように紹介さ
れています。
─────────────────────────────
 ベクテルは、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシス
コに本拠を置き、総合建設業を営む多国籍企業。石油コンビナー
ト、発電所、ダム、空港、港湾などの建設を請け負う世界最大級
の建設会社。
 非上場の同族会社であるので、しばしば関係者に関心が持たれ
ている。創業者ウォーレン・べクテル(1872〜1933)は
オクラホマ州で牧場経営に失敗した後、1898年、急成長中で
あった鉄道産業の使用人として事業を開始した。それから20年
間、ウェスタンパシフィック鉄道をはじめとして鉄道や高速道路
建設を請け負った。1919年以降、共同事業者とともに高速道
路・水道トンネル・ダムなどを建設した。(中略)
 会社の所有と経営はべクテル一族に担われており、ライリーや
ステファン・ジュニアは、いずれも総資産30億ドル(2009
年)を有するアメリカを代表する富豪の一人である。
                   http://bit.ly/1GTuX1t
─────────────────────────────
 MH370便の失踪とMH17便の撃墜は、無関係ではなく、
深く関連しているという情報があります。そして、MH17便と
大韓航空機KAL007便の両撃墜事件は、きわめてよく似てい
るのです。そこで、KAL007便撃墜事件について、しばらく
振り返ってみることにします。
 1983年9月1日未明、ニューヨーク発アンカレッジ経由ソ
ウル行きの大韓航空(KAL)007便、ボーイング747ジャ
ンボ機が、サハリン沖のモネロン島上空で、ソ連戦闘機にミサイ
ル攻撃され、乗客乗員合わせて269名が全員死亡するという惨
事が起きたのです。これが大韓航空機撃墜事件です。
 旅客機を戦闘機が撃墜する──絶対にあってはならないことで
す。しかし、問題はKAL007便が正規のルートを大きく外れ
ソ連の領土サハリン上空に迷い込んだことにあります。ときは米
ソ冷戦構造のさなかであり、西側の航空機がソ連の領空を大きく
冒せば、どう事態を招くかは誰でもわかることであり、一方的に
ソ連を非難できないのです。
 まして、米国大統領はタカ派として知られるレーガンであり、
ソ連共産党書記長は、かつてKGB議長を務めたこともあるアン
ドロポフです。東西両陣営が激しく対峙する時代だったのです。
それから8年後の1991年に起きるソ連崩壊を誰が予想できた
でしょうか。
 しかし、このKAL007便撃墜事件は、調べれば調べるほど
不可解な事実がたくさん出てくるのです。既に述べているように
EJでは、2003年に28回にわたってこの事件を取り上げて
います。しかし、今回は、大韓航空機撃墜事件を解明することで
MH370便失踪事件、MH17便撃墜事件という2つの航空機
事故の謎が解けると考えています。
           ──[航空機事故の謎を探る/025]

≪画像および関連情報≫
 ●韓半島、ウクライナ事態の“真実”を教訓に
  ───────────────────────────
   ウクライナは記憶を呼び起こす。我々の現代史の悲劇が浮
  かび上がる。その国の内戦は進行形だ。マレーシア旅客機/
  MH17便襲撃は内戦の犠牲物だ。惨事の現場は悪夢を思い
  出させる。1983年KAL007便撃墜──。旧ソ連戦闘
  機の空中虐殺だ。その事件は、冷戦時代の巨大な転換点だっ
  た。8年後ソ連は崩壊した。その結果、ウクライナはソ連か
  ら独立した。
   MH17機は反政府軍に撃墜されたことが確実となった。
  反乱軍はウクライナ東南側で蠢動する。そこはロシア民族が
  勢力が強い。襲撃の現場は東側だ。反乱軍の後ろはロシアが
  支える。その場面にロシア大統領のウラジミール・プーチン
  の野望が表れる。ウクライナは3月、クリミア半島を奪われ
  た。ロシアは軍隊を進駐させた。分離主義親露反乱軍の成就
  だ。クリミア自治共和国はロシアの領土となった。クリミア
  半島の下は黒海だ。
   黒海は名前と違う。黒くない。海の色は濃い青色だ。ヤル
  タとソチは黒海の港町だ。その都市は遠いが馴染みがある。
  韓半島(朝鮮半島)分断の根であるヤルタ会談、ソチ(ロシ
  ア)冬季オリンピック−−。セバストポリは黒海の軍港だ。
  ウクライナ時代にもロシア海軍基地だった。クリミア半島は
  要衝地だ。そのような地域は戦争を招く。地政学的な属性の
  ためだ。19世紀のクリミア戦争はロシア対英国・フランス
  ・トルコの戦いだった。      http://bit.ly/1ivQhP1
  ───────────────────────────

ロナルド・レーガン米大統領.jpg
ロナルド・レーガン米大統領
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月04日

●「なぜ死亡宣言をそんなに急ぐのか」(EJ第4151号)

 大韓航空機(KAL)007便が撃墜されたのは、1983年
9月1日未明のことです。日本では、事件の第1報を伝えたのは
1日の夕刊各紙です。9月1日付の朝日新聞夕刊は次のように伝
えています。
─────────────────────────────
 ◎268人乗り大韓航空機、サハリン付近で不明。ソ連が着
  陸を強制?爆撃説や乗っ取り説も
 ◎韓国外務省は1日午前10時半すぎ、同日未明から行方不
  明になっていた大韓航空007便ニューヨーク発ソウル行
  きボーイング747機が「ソ連サハリン(ユジノサハリン
  クス空港とみられる)に強制着陸させられたとの第3国か
  らの非公式通告を受けた」。
         ──1983年9月1日付、朝日新聞夕刊
─────────────────────────────
 この時点では、生存の可能性が残っていたのです。メディアに
もそういう情報は入っていたはずです。しかし、9月2日付の朝
日新聞朝刊は一転して次のように報道したのです。
─────────────────────────────
 レーガン政権のジョージ・シュルツ国務長官がミグ23とソ連
軍地上局との無線交信を傍受して得られた情報として、ソ連のパ
イロットはミサイルを発射し、目標は破壊されたと報告した。0
07便はミグ23とみられるソ連軍機によって撃墜された。
          ──1983年9月2日付、朝日新聞朝刊
─────────────────────────────
 このように、9月2日の朝刊紙では、各社「大韓航空機、ソ連
が撃墜、268人全員死亡」という報道一色になったのです。お
かしいのは、この報道は、KAL007便とみられる機影が消え
て、わずか20時間11分後のことなのです。あまりにも早過ぎ
ると思いませんか。
 このような事故の場合、人の生死に関しては、確認ができるま
では報道しないものです。それなのにこの事件では、早々と「死
亡宣言」を出しています。情報元は米国ですが、これに関して国
連も、当のソ連のタス通信も死亡宣言をフォローしています。
─────────────────────────────
 ◎デクエヤル国連事務総長は事件の推移を詳しく見守ってい
  る。民間人の命が失われたことを深く悲しんでいる。
                  ──9月1日付共同電
 ◎権限を与えられたタス通信は、ソ連指導部内で、人命が失
  われたことに関して遺憾の意が表明されていることを公表
  し・・・。           ──9月2日タス通信
─────────────────────────────
 なぜ、このように死亡宣言を急ぐのでしょうか。撃墜事件が起
きてから、わずか1日程度しか経過していないし、KAL007
便の墜落現場も確認されていない時点での死亡宣言です。あまり
にも不自然です。
 さらにダメ押しがこれに加えられるのです。それは保険会社の
発表です。9月14日の報道では次のように伝えています。
─────────────────────────────
 13日、ロンドンの保険会社スチュワート・ライトソン社は、
KAL007便の大韓航空機にかけられていた戦時保険の保険金
2682万4000ドル(約65億円)を同日大韓航空に支払っ
たと発表した。       ──9月14日付、朝日新聞朝刊
─────────────────────────────
 事故当日から約2週間後の保険金支払いは異常です。通常であ
れば、機体破損の事故から早くても数年はかかります。それに、
この保険は戦時保険です。この保険金が支払われるということは
KAL007便がソ連のミサイルによって撃墜され、破壊された
ことが「事実」として認定されたことを意味するのです。
 この事件の主役はレーガン政権であると思われます。そうであ
るとすると、その狙いは何でしょうか。
 誰でも考えられることは、ソ連が「悪の帝国」であることを実
証するためです。つまり、ソ連という国は、民間航空機に対して
ミサイルを発射して撃墜し、乗客乗員全員を死亡させるような残
虐非道なことをやる国であることを世界中に知らせるためです。
これはレーガン政権の戦略と一致します。
 この事件の裏の事情を察知したソ連政府は、事件発生後の9月
6日に次の政府声明を出しています。
─────────────────────────────
 要するにこの事件はソ連の戦略的重要地域での故意かつ前もっ
て計画された行動だった。この行動をそそのかした者たちは、結
果がどうなるかを当然、認識していたはずだ。
 彼らは明らかに、民間機を使った大情報作戦を実施に移し、故
意にその乗客たちを死の危険にさらしたのである。この航空機を
ソ連空域に向かわせるためのデータがどうして機内のコンピュー
ターに入力されたのか、誰にもわからないだろう、というレーガ
ン声明ほど皮相な言葉を誰が想像できるだろうか。
 今回の領空侵犯は技術的な過ちではなかった。この航空機は、
情報作戟を滞りなく実行する予定だったが、もしその任務を阻止
された場合、彼らはこの作戦全体を反ソの一大政治的挑発行動に
切り替えるつもりだったのである。
 米特殊機関によって汚い目的のために使われたこの航空機の乗
客たちは、この厚かましい犯罪の犠牲者となったのである。ソ連
政府は罪のない人々の死に弔意を表明し、その道族、友人と悲し
みを分かちあうものである。今回の悲劇の全責任は完全に米国指
導者たちである。(抜粋)
          ──1963年9月7日付、朝日新聞より
─────────────────────────────
 この声明では、この事件は米国の諜報機関の仕掛けた謀略であ
ることを指摘しており、ソ連軍のとった対応は当然の行動である
と主張しています。  ──[航空機事故の謎を探る/026]

≪画像および関連情報≫
 ●東西冷戦下の国際事件を学生が取材/大韓航空機撃墜事件
  ───────────────────────────
   1983年9月に起きた『大韓航空機007便撃墜事件』
  という出来事を、覚えておられるだろうか?なんらかのミス
  によってソ連領空内に進入した大韓航空機007便を、ソ連
  の戦闘機がミサイルを発射して撃墜した事件だ。破壊された
  機体は、北海道稚内市の北方数十キロ付近の海域に墜落し、
  乗員乗客269人(うち日本人28人)が犠牲になった。
   東西冷戦下に起きた国際的な事件として、歴史年表にも記
  されている。情報公開が遅れたために、日米ソ間の情報戦や
  政治的駆け引きだけが大きくクローズアップされた。
   その後、日本航空123便の御巣鷹山への墜落、北朝鮮工
  作員による大韓航空機爆破事件が立て続けに起きて、この大
  韓航空機007便撃墜事件の記憶は急速に風化してしまった
  感が強い。結局、同撃墜事件は、真相が不透明なままで幕引
  きとなったばかりか、遺骨も遺品も遺族の元に戻ることはな
  かった。ある意味、遺族は歴史の中で置き去りにされた形と
  なった。
   FLPジャーナリズムプログラム松野良一ゼミは2009
  年、稚内でドキュメンタリーの制作活動中に、同撃墜事件の
  遺族会副会長・中澤建祐さんと知り合い、遺族の証言を記録
  するプロジェクトを立ち上げた。そして、足掛け3年をかけ
  て、犠牲者の足跡を全国に訪ね歩き、結果的に計14人の遺
  族の方々にインタビューすることができた。学生たちは、自
  らの取材体験も含め、遺族の証言を軸にルポルタージュを執
  筆した。その成果を中央大学出版部が刊行する『中央評論』
  277号に、特集「大韓航空機〇〇七便撃墜事件」として発
  表した。             http://bit.ly/1Q0J9si
  ───────────────────────────

ジョージ・シュルツ元米国務長官.jpg
ジョージ・シュルツ元米国務長官
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

●「ソ連の崩壊で出てきた秘密報告書」(EJ第4152号)

 大韓航空機撃墜事件には多くの謎があります。MH370便や
MH17便と違って、KAL007便の撃墜については多くの情
報があります。ネット上にも多くの情報が出ています。
 しかし、世界中の人たちが認識していることとは違う情報は、
いわゆるトンデモ情報、陰謀論、ネス湖のネッシー的扱いを受け
てまともにとらえられていないのです。そのなかで、やはり陰謀
論的な扱いを受けているものの、事実に基づく主張を展開してい
る貴重な本があります。今回のテーマのうち、大韓航空機撃墜事
件に関する記述は、この本を主として参考にして書いています。
─────────────────────────────
                   高橋五郎著
     『早すぎた死亡宣告』/ジーオー企画出版
─────────────────────────────
 KAL007便がソ連の領空に侵入してきたとき、ソ連側は米
国側の意図を察知し、事の性格上米国はこの事件に関し本当のこ
とは沈黙すると読んで、あとでこの事件の真相が明るみに出ると
きのために備えて、いくつかアリバイ工作をやっています。
 そのことを如実に示す格好の資料があります。それは1983
年12月に、ソ連のウスチノフ国防相とチェブリコフKGB議長
が、ブラックボックスの解析に基づいて、アンドロポフ書記長に
提出した報告書です。書記長がこの問題を処理するさいのアドバ
イスをまとめたものです。
 この報告書は、長らくクレムリンの奥深く秘匿されてきたので
すが、1992年10月14日に当時のエリツィン大統領率いる
ロシア政府から、韓国政府に引き渡された事件関係資料のなかに
あったものです。上記の高橋五郎氏の著書には報告書の全文が掲
載されていますが、長いので、重要部分を3つに分けてご紹介し
解説することにします。
─────────────────────────────
 ◎その1/(KAL007便が)国際指定航路から大きく離脱
したということを立証するすべての資料を持っているにもかかわ
らず、同旅客機の乗務員は5時間以上そのまま飛行して、その航
路を修正して、ソ連領空から離れようとするいかなる措置もとら
なかった。                 ──高橋五郎著
          『早すぎた死亡宣告』/ジーオー企画出版
─────────────────────────────
 「その1」の記述は、KAL007便の乗務員が国際指定航路
を大きく外れて飛行していることを知りながら、ソ連領空内に故
意に侵入したことを訴えています。
─────────────────────────────
 ◎その2/飛行機の録音機の資料と飛行機が撃墜されてからの
米国行政府の行動を分析したところによると、われわれは米情報
機関が2重の目的を追求した大規模な政治挑発行為を具体的に計
画したことを確認することができる。
 第1に、同旅客機の領空侵害で、ベレート・スパイ衛星などか
ら、極東でのわれわれの防空システムについての資料を得ようと
した。もし、同機が何の指示もなく、わが国の上空を通過できた
場合、米国人は極東でのわれわれの防空システムのお粗末さにつ
いて宣伝をする意図を持っていた。
 第2に、彼らはわれわれが飛行を阻止する場合、ソ連に対する
大規模な反ソキャンペーンを展開する目的でその事実を利用する
考えであった。同機の挑発的で諜報的な性格と、そして米情報部
が追求しようとしたところをわれわれが暴露して、その挑発行為
を通じて米国人が目的とするところを完全に阻止した。
                ──高橋五郎著の前掲書より
─────────────────────────────
 「その2」の記述は、この事件の米国の狙いを明らかにしてい
ます。狙いはズバリ極東におけるソ連の防空システムの能力を探
るのが目的であると分析しています。もし、うまく行かなかった
ときは、旅客機を撃墜する非道な国家としてソ連をおとしめ、反
ソキャンペーンを展開するという計画であるというのです。
─────────────────────────────
◎その3/したがって、飛行経路および対話に関する客観的な資
料を西側国家に伝達する場合、南韓の飛行機の目的について、ソ
連と同じく西側諸国もまた、自分たちの立場を裏付けるために同
資料を利用することができる。そして、反ソ宣伝の新たなキャン
ペーンも同じく排除することができない。
 ICAO(国際民間航空機関)や録音を解読する意図がある国
に(ブラックボックスの)録音資料を伝達しないのが良いと思わ
れる。そして、同録音がソ連にあることも、やはり秘密にしなけ
ればならない。また米国・日本は、先に指摘された物体(ブラッ
クボックス)がわが国にあることを裏付ける証拠を持っているは
ずがない。
 今後、その秘密を保全するために必要な措置をわれわれは探っ
た。同事件と関連した問題が派生する場合、9月6日付けのソ連
政府声明で発表された立場を引き続き維持し、損害補償をいっさ
い拒否しなければならず、また挑発行為を計画した米政府に犠牲
者に対する責任をすべて転嫁させなければならない。
 同意を望む。         ──高橋五郎著の前掲書より
─────────────────────────────
 「その3」の記述は、ウスチノフ国防相とチェブリコフKGB
議長が、ブラックボックスをソ連が持っていることを徹底的に隠
すようアンドロポフ書記長に求める内容になっています。つまり
ブラックボックスを徹底的に隠せと勧めているのです。
 ソ連としては、「KAL007便の領空侵犯→ミサイル発射→
撃墜→乗客乗員全員死亡」を訴えることで、あたかも米国と共同
歩調を取ったのです。これによって、世界中がKAL007便撃
墜事件の情報を信ずるしかなくなり、結果としての「米ソ共謀/
共犯」を演出することになったのです。
           ──[航空機事故の謎を探る/027]

≪画像および関連情報≫
 ●大韓航空機撃墜事件/事件のあらまし
  ───────────────────────────
   大韓航空機事件と呼ばれる事件は1978年にもあった。
  パリ発ソウル行きの大韓航空機が、ソ連領空内を600キロ
  メートル近く2時間半も侵犯して逃げ回り、軍事要衝ムルマ
  ンスク近くで強制着陸させられた事件である。
   その5年後の、1983年8月31日、今度はニューヨー
  ク発、アンカレッジ経由ソウル行きの大韓航空007便が、
  同じように、ソ連領空を侵犯した。アンカレッジ離陸後、カ
  ムチャッカ半島を横断、さらにサハリンをも横断し、正規の
  航空路(R20)をソ連寄りの北に500キロメートル、5
  時間半にわたって逸脱した結果、モネロン島付近でソ連軍機
  により撃墜されてしまったのである。乗客・乗員269名が
  犠牲となり、乗客の中には、私の妻と長男も含まれていた。
   この007便の侵犯したコースは、ソ連側の対米最前線重
  要基地上空であり、米側が諜報戦で、絶えずスパイ機による
  挑発行為を繰り返していたということも、後に明らかになっ
  た。ソ連軍によれば、カムチャツカにおいては、007便と
  米軍スパイ機RC─135がソ連側レーダー上で重なってい
  たといわれ、いわゆるランデブー飛行ではないかとの疑惑を
  招いた。米政府は、当初、RC─135の介在を否定してい
  たが、米国会議員の情報リークの結果、その事実を認めた。
  あの1978年のムルマンスク事件が、やはり、ソ連の対米
  最前線で起きた領空侵犯事件であったことからも、撃墜され
  た大韓航空機は意図的にソ連領空を侵犯したのではないかと
  いう疑惑がはじめからつきまとった。
                   http://bit.ly/1ub2OMq
  ───────────────────────────

ユーリ・アンドロポフ.jpg
ユーリ・アンドロポフ
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月06日

●「ミサイルを受けても不時着できる」(EJ第4153号)

 実はソ連空軍による大韓航空機撃墜事件は1983年が初めて
のことではないのです。1978年4月20日のことですが、大
韓航空機が誤ってソ連の領空を侵犯したため、ソ連防空軍機から
攻撃を受け、事故機はムルマンスク郊外のケミ市にある凍結した
マンダラ湖への不時着に成功したものの、乗客の15人が死傷し
ています。この事件は不時着した場所から「ムルマンスク事件」
とも呼ばれています。
 このときもソ連側からスパイ説は出たものの、ソ連当局による
乗客乗員に対する待遇は悪くなく、即座に温かい食事が用意され
時間つぶしのために映画の上映まで行われたといいます。このと
きは米国が中に入り、機長と航空士以外は3日後に解放され、機
長らも領空侵犯の謝罪文にサインさせられ、1週間後には解放さ
れています。大韓航空機撃墜事件が起きたのは、このムルマンス
ク事件の5年後のことです。
 ムルマンスク事件では、領空侵犯機はソ連機から銃撃を受けた
として「大韓航空機『銃撃』事件」と呼ばれていたのです。しか
し、実際は銃撃ではなく、空対空ミサイルの攻撃を受けていたの
です。KAL007便の場合と同じです。
 一般的には、旅客機がミサイルで攻撃を受けると、空中でバラ
バラになってしまうというイメージがありますが、必ずしもそう
とはいえないのです。その証拠に1978年のときは、ミサイル
攻撃を受けながらも不時着に成功しています。
 そうであるならば、KAL007便のときも同様のとらえ方を
なぜしなかったのでしょうか。これに関して、直木賞受賞作家の
三好徹氏は、『文藝春秋』の1995年新年特別号の特集「戦後
50大事件の目撃者」において、大韓航空機撃墜事件を取り上げ
ています。
─────────────────────────────
 9月1日の夕刊締切り段階で、各新聞は、ソウル情報をもとに
同機がサハリンに強制着陸させられたらしいことを伝えていた。
このソウル情報のソースは、韓国外務省の説明によると「第三国
からの非公式」通報だった。第三国がアメリカであることは、こ
の種のケースでは常識であった。ところが、その日の夕刻からテ
レビは一転して撃墜されたらしいことを伝えはじめ、2日の朝刊
では完全にソ連戦闘機による撃墜に確定し、269人の全員死亡
が確認された。
 わたしの最初の疑問は、アメリカ(つまりCIAということだ
が)はどうして韓国に誤った情報を伝えたのだろうかということ
だった。この謎はいまもって解けていない」そのほか、いまもっ
て、どうしても不可解なのは、ソ連機がミサイルを発射し、「目
標は破壊(撃墜)された」と報告したあと40秒後に大韓機のパ
イロットがSOSも発せずに成田を呼び出したことである。この
事件に関する本が出ると手に入れて読んできたが、これを合理的
に説明した本をみたことがない。
           ──『文藝春秋』1995年新年特別号
─────────────────────────────
 ここで重要なのは、三好徹氏が当初KAL007便の乗客乗員
がムルマンスク事件のときのようにサハリンに強制着陸させられ
たのではないかと考えたことです。これは、ムルマンスク事件の
ことを知っている人であれば、誰でも考えることです。
 三好徹氏といえば、国際的な諜報小説を多く書いている作家と
して知られています。その三好氏をして、この事件については不
可解な部分があまりにも多くあると疑問を抱いているのです。具
体的にはソ連のミサイル発射のあと、KAL007便が成田を呼
び出している事実があることです。
 ソ連の空軍機(805号機)がKAL007便にミサイルを発
射し、「目標は破壊された」と地上に報告したのは午前3時26
分01秒のことです。それから、KAL007便が成田(東京ラ
ジオ)を呼び出したのは3時26分57秒のことです。
 この56秒間のKAL007便のコックピット内の録音はあり
ますが、ページの関係上、全部を掲載することはできないので、
一部をカットして以下に示します。コックピットと客室内の様子
では何が起きたかまるでわかっていないようです。
─────────────────────────────
 26分06秒:なにが起きたんだ?
    10秒:減速スロットル
    11秒:エンジン、正常
    14秒:着陸ギア
    21秒:(音・・自動操縦装置の解除警報音)
    22秒:高度上昇
    25秒:スピードブレーキが出ている
    26秒:なんだ?どうした?
    33秒:高度落とせない、できない
    34秒:アテンション、緊急降下
    40秒:これは作動していない、作動してない
    43秒:手動でも作動しない
    45秒:エンジンは正常です
    49秒:たばこを消してください。緊急降下です
    50秒:パワーコンプレッションか?
    51秒:本当か
    52秒:たばこを消してください。緊急降下です
    54秒:本当か?
    55秒:酸素マスクをして、ヘッドバンドを調節して
        ください
    57秒:東京ラジオ、大韓航空007便
12345678901234567890123456789
       ──小山厳著/『ボイスレコーダー撃墜の証言/
      大韓航空機事件15年目の真実』/講談社+α文庫
─────────────────────────────
           ──[航空機事故の謎を探る/028]

≪画像および関連情報≫
 ●小山厳著「ボイスレコーダー撃墜の証言」書評
  ───────────────────────────
   著者はNHKの記者。大韓航空機撃墜事件のときに稚内通
  信部に勤務していたことから、この事件に深くかかわるよう
  になったということ。『消えた遺体/大韓航空機事件の10
  00日』(講談社、三一書房)という著書があるらしい。
   この本は、おそらく、この事件の原因に関する決定的な結
  論を述べている本である。その意味では非常に重要なのだけ
  れども、それ以外の部分がかなり乱雑な印象を与える記述な
  ので、全体的にクレディビリティを落としているように見え
  るのが残念だ。
   この事件の概略を記しておこう。1983年9月1日、ア
  ンカレッジからソウルに向かう北太平洋上の定期航路を飛行
  していた大韓航空007便が、ソビエト領サハリン上空に領
  空侵犯し、ソ連空軍の戦闘機によって撃墜された。乗員・乗
  客は全員死亡した(と推定される)。この事件は、発生後のソ
  連とアメリカ、さらには日本の自衛隊の動きが不明瞭だった
  こともあって、「謎」があるとされ、さまざまな陰謀説を産
  み出してきた。特に一番大きな謎となったのが、この007
  便がなぜソ連への領空侵犯を行ったのかということである。
  これに関してこれまで提示されてきた仮説を、この本の著者
  は3つに分類している。      http://bit.ly/1XLV1jl
  ───────────────────────────

ムルマンスク事件の航路.jpg
ムルマンスク事件の航路
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月09日

●「旅客機と認識していなかったソ連」(EJ第4154号)

 ソ連の戦闘機805号がKAL007便に後ろからミサイルを
2発発射したのは1983年9月1日、午前3時26分01秒の
ことです。以下は、11月6日付、EJ第4153号に掲載した
コックピット内の会話の分析です。
 ミサイル被弾直後の5秒間は、KAL007便の3人の乗員は
何も気づいていないようです。06秒になって、一人の乗員が何
かを感じて「なにが起きたんだ?」と疑問の声を上げています。
このときの飛行機の高度は3万5000フィートです。
 その後、機長は10秒に「減速スロットル」、14秒に「着陸
ギア」と叫んでいます。それは機長が原因はわからないが、与圧
の減少を感じたからでしょう。実際にミサイルの爆発で機体に穴
があき、機内から空気が抜けていったのです。
 機長は、乗客乗員の低酸素症を防ぐために、空気の存在する1
万フィートまでの緊急降下を決断したのです。「着陸ギア」とい
うのは、離着陸用のギア(脚)を出して空気抵抗を高めて速度を
落とすための措置ですが、同時に機長は自動操縦装置を解除し、
手動に切り換えています。それは、機内に鳴り響いた自動操縦装
置解除の警報音で判断できます。
 しかし、手動にしても機体は操縦不能になっていたようです。
乗員の一人が「パワーコンプレッションか?」と叫んだのは、お
そらく「デ・コンプレッション=減圧」の間違いであると思われ
ます。機長が26分57秒に東京ラジオ(成田)を呼び出したの
は、そういう機内の異常を伝えるためです。
 しかし、言葉ではうまく伝えられなくなっていたのです。その
部分のやり取りは次のようになっています。
─────────────────────────────
 26分57秒:東京ラジオ、大韓航空007便(HF無線)
 27分01秒:酸素マスクをして、ヘッドバンドを調節してく
        ださい
    02秒:大韓航空007便。こちら東京(東京からHF
        無線)
    04秒:了解、大韓航空007便・・・・(解読不能)
        ア〜我々は・・・(・・した事態に遭遇)
    08秒:酸素マスクをして、ヘッドバンドを調節してく
        ださい
    09秒:オール・コンプレッション
    10秒:急激な減圧、1万フィートに降下
    15秒:アテンション、緊急降下(客室)
    20秒:いま・・・(解読不能)・・・・我々はこれを
        セットして・・・
    21秒:大韓航空007便、聞きとれない。聞きとれな
        い。無線を10048に(東京からHF無線)
       ──小山厳著/『ボイスレコーダー撃墜の証言/
      大韓航空機事件15年目の真実』/講談社+α文庫
─────────────────────────────
 明らかにコックピット内はパニックになっており、乗員は平常
心を失っているように見えます。「デ・コンプレッション」のこ
とを「パワーコンプレッション」とか「オール・コンプレッショ
ン」といっており、慌てているようです。
 また、東京ラシオ(成田)を呼び出したとき、千機長は「メー
デー、メーデー」か、「パン、パン」という遭難信号を発出する
べきだったのです。杉江弘氏の本によると、「メーデー」とはフ
ランス語で「助けて」という意味であり、「パン、パン」は準緊
急事態を知らせる用語であるそうです。
 KAL007便がパニックになっているときに、サハリン上空
では、次のやりとりが行われていたのです。
─────────────────────────────
 デプタット:805号機、ミサイルは一発発射したのか
 805号機:2発発射した
 デプタット:よくやった     ──小山厳著の前掲書より
─────────────────────────────
 ここで「デプタット」とは、ソ連サハリンのソコル航空基地の
迎撃管制官、コズロフ中尉の暗号名です。このとき同じソコル基
地内の別棟で迎撃の総指揮をとっていたのはコルヌコフ大佐(ソ
コル基地飛行師団令)です。この2人の当日の午前3時1分過ぎ
に次の気になる会話があります。
─────────────────────────────
  コズロフ:現在、彼(805号機)は右90度の方向に目標
       を捉えている。識別のため、後方から誘導してい
       るところである
 コルヌコフ:目標はなにも識別の表示を出していないのか
  コズロフ:識別するため彼(805号機)を誘導している
 コルヌコフ:後方から目標に接近させるな。接近角度を保て
  コズロフ:了解、実施する
 コルヌコフ:忘れるな。目標の後部には機関砲があることを
                 ──小山厳著の前掲書より
─────────────────────────────
 この会話でわかることは、サハリン基地の指揮官は、KAL0
07便を米空軍の偵察機RC─135と誤認していることです。
それはコルヌコフ大佐の「目標の後部には機関砲がある」という
言葉から読み取れます。少なくともそれが旅客機であるとは露ほ
どもこう疑っていないようです。
 ボイスレコーダーには、KAL007便の乗員の会話が録音に
残されていますが、それを聞く限りでは、彼らの会話はのんびり
したものであり、ソ連の領空を侵犯して何時間も飛んでいるとい
う緊張感はどこからも感じられないのです。
 領空侵犯をしている当のKAL007便は侵犯を認識しておら
ず、ソ連側のソコル基地の迎撃管制官は領空侵犯機への通常の対
応をしているという構図です。それでは、この計画を仕組んだの
は誰なのでしょうか。 ──[航空機事故の謎を探る/029]

≪画像および関連情報≫
 ●旅客機撃墜は、ロシア崩壊のシグナルか
  ───────────────────────────
   ロシア政府の無能ぶりが人命にかかわるようになった今、
  ロシア国内は恐怖におののき始めた。ウクライナ上空でのマ
  レーシア航空17便撃墜の知らせがロシアに入ると、昔を知
  る人は1983年9月のソ連空軍機による大韓航空機撃墜事
  件とその政治的影響を思い出した。
   当時のソ連政府は、失踪した大韓航空機との関係を否定し
  て世界を欺いた後、同機が米国のスパイだと主張した。だが
  この事件でソ連軍参謀総長であり、生粋の強硬派だったオガ
  ルコフ元帥のキャリアに終止符が打たれた。
   彼の不手際と下手なうそは、1979年から続くソ連のア
  フガニスタン侵攻の混迷と相まって、崩壊しつつある体制の
  実態を露呈させた。ブレジネフ政権で始まった経済停滞は、
  1982年の彼の死後さらに深まる。後継者は諜報機関KG
  B出身のアンドロポフ氏、次いで共産党中央委員会のチェル
  ネンコ氏だが、彼らは権力の座に就いた時点で片足が棺おけ
  に入っていただけでなく、改革の準備がまったくできていな
  かった。アフガニスタンにおける多大な人命の消失(ベトナ
  ムでの米国のそれと同等。ただし期間は大幅に短い)は、ソ
  連政府が自滅の危機にあることを示唆したが、民間機に対す
  る攻撃がその見方を決定づけたように思われた。この気づき
  がゴルバチョフ氏を権力の座に押し上げ、ペレストロイカや
  グラスノスチに対する上層部の支持を後押しした。
                   http://bit.ly/1SyrOpg
  ───────────────────────────

RC─135米偵察機.jpg
RC─135米偵察機
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月10日

●「当時のソ連は何を隠しているのか」(EJ第4155号)

 航空機事故は政治に直結するものです。エジプト東部シナイ半
島で起きたロシアの旅客機の墜落事故でも、当のロシアはそれが
イスラム国(IS)への空爆の報復テロの可能性が高いとわかっ
ていても、そのことについては口をつぐみ、テロであることを否
定したのです。それが国民の不安や反発につながることを警戒し
たからです。
 ところが、フランス、イギリスに続いて米国までが「爆発説」
を唱えはじめると、ロシア政府はエジプトへの航空便の運航を停
止すべきであると表明したのです。それがテロである可能性を認
めたからです。
 大韓航空機007撃墜事件でもロシアは後のことを考えていろ
いろな手を打っています。KAL007便をミサイル攻撃したソ
連戦闘機805号のパイロット、オシポーピッチ中佐は、攻撃後
ソコル航空基地に戻ると、総司令官のアナトリー・コルヌコフ大
佐に呼ばれ、次のような会話をしています。この会話はわざわざ
録音され、残されているのです。
─────────────────────────────
 コルヌコフ大佐:自身の眼で見たこと、レーダーで確認したこ
         とを報告せよ。機関砲をどのように操作した
         か。熱追尾式か、レーダー誘導式か。
 オシポーピッチ:両方を発射しました。
 コルヌコフ大佐:機関砲は発射したか。
 オシポーピッチ:2連射しました。反応はありませんでした。
         目標は前と同じように飛行を継続しました。
 コルヌコフ大佐:外観からは機種は特定できたか。
 オシポーピッチ:大型機に見えました。航空灯は点灯していま
         した。
 コルヌコフ大佐:爆発は確認したか。
 オシポーピッチ:爆発し、灯火が消えました。私は報告し、右
         に旋回、離脱しました。
 コルヌコフ大佐:灯火は消えたのだな。
 オシポーピッチ:目標は撃墜されなかったのですか?
 コルヌコフ大佐:目標は消滅した。しかし、目標はなぜか、ゆ
         っくりと下降していった。行動不能になった
         かして、モネロン島空域で消滅した。いまは
         誰にもわからないのだ。
       ──小山厳著/『ボイスレコーダー撃墜の証言/
      大韓航空機事件15年目の真実』/講談社+α文庫
─────────────────────────────
 オシポーピッチ中佐は、後の別のインタビューでは、KAL0
07便撃墜の瞬間を次のように語っているのです。こちらの方が
上記の会話よりもはるかに具体的です。
─────────────────────────────
 目標はもうちょっとで逃げ切るところだった。そのとき地上か
らまた命令がきた。「目標──撃墜」
 私は、「発射した。目標、撃墜した。攻撃から離脱する」と報
告した。ミサイルが爆発するのが見えた。熱反応ミサイルが左翼
に命中、エンジンを破壊、翼を半ば吹き飛ばした。
 黄色い炎がぱっと上がった。無線誘導式のミサイルは尾翼に命
中し爆発した。水平翼と舵翼が利かなくなった。操縦も利かなく
なっていた。すぐに明かりがみんな消えた・・・。
                 ──小山厳著の前掲書より
─────────────────────────────
 このオシポーピッチ中佐の話とKAL007便の機内の録音の
状況とは必ずしも一致しないのです。それがわかったのは、IC
AO(国際民間航空機関)のブラックボックスの解析です。もと
もと当時のソ連政府は、ブラックボックスは引き渡さないという
前提でアリバイ作りをしたからです。しかし、その後ソ連邦が崩
壊し、エリツィン政権によって、ブラックボックスが公開され、
ICAOによるブラックボックスの解析が行われたのです。
 攻撃機のスホーイ15戦闘機には、熱を探索して誘導するミサ
イルとレーダー誘導ミサイルの2つが搭載されており、オシポー
ピッチ中佐によると、これらのミサイルは2つとも発射され、K
AL007便に命中しているのです。しかし、ICAOは次のよ
うに報告しています。
─────────────────────────────
 これらのミサイルは3〜18グラム大の1400個の鉄破片を
生み出し、飛行の進行方向に18度から21度の角度で発散され
るように設計された20キログラムの高爆発弾頭をつけていた。
迎撃パイロットの「ミサイルが左翼の半分を取り去った」旨の供
述はたぶん不正確であった。(中略)攻撃を受けたあとの007
便の行動も、左翼に広範囲な損傷を受けたことを示していない。
                 ──小山厳著の前掲書より
─────────────────────────────
 オシポーピッチ中佐が話している「左翼を半ば吹き飛ばした」
というのは、明らかに矛盾するのです。第1のミサイルは午前2
時26分2秒に爆発しています。しかし、KAL007便から東
京ラジオへの最後の無線通信は、言葉が聞きとりにくく会話は成
立しなかったものの、午前2時26分57秒と、午前2時27分
21秒につながっています。
 この無線通信は、HF無線を使ったものなのですが、HF無線
は左翼の先端に付いており、左翼の半分がミサイルで吹き飛ばさ
れたのであれば、つながるはずがないのです。したがって、ソ連
の公式報告はウソということになります。
 ソ連としては、ブラックボックスはあくまで秘匿して、公開さ
れないことを前提として事態を取り繕ったのです。その時点では
その約8年後にソ連が崩壊するなどということは、世界の誰も予
測することはできなかったからです。領空侵犯の被害者でもある
ソ連は一体何を隠そうとしたのでしょうか。
           ──[航空機事故の謎を探る/030]

≪画像および関連情報≫
 ●予告されていた爆破/KAL007便
  ───────────────────────────
   007便が撃墜される10日ほど前、アメリカのワシント
  ンにある、ソビエト大使館に1通のファックスが送られてき
  た。発信者、発信元は不明で、文面には一行だけ「007便
  は爆破される。」と書かれてあった。
   このファックスを読んだ大使館員は、イタズラだろうとは
  思ったが、念のため内務省にこのことを伝えた。内務省で調
  査が開始され、要人の暗殺、テロ、怨恨(えんこん)など、
  あらゆる可能性から調査されたが、結局明確なことは分から
  ないままだった。
   ファックスを受け取ったのはソビエト大使館であるが、だ
  いたい、アメリカ発の旅客機が爆破されたところでソ連には
  何の関係もない。ましてや、当時は冷戦とは言われながらも
  軍事力も経済力もアメリカの方が圧倒的に上であり、もし戦
  争にでもなれば到底勝てるはずもない状況だったから、まさ
  かソ連軍がアメリカ発の旅客機を爆破するなどという挑発行
  為をする可能性もない。
   こういったことから、爆破予告はイタズラだろうというこ
  とで処理された。この時はまさか007便が領空侵犯によっ
  てソ連戦闘機に撃墜される、などという展開は誰も想像がつ
  かなかったのである。       http://bit.ly/1S86CWm
  ───────────────────────────

コルヌコフ司令官.jpg
コルヌコフ司令官
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月11日

●「007便の乗客乗員は生きている」(EJ第4156号)

 武本昌三という人がいます。室蘭工業大学助教授、小樽商科大
学教授、文部省在外研究員、フルブライト上級研究員、オレゴン
大学、アリゾナ大学、ノース・カロライナ大学、ロンドン大学各
客員教授を経て跡見学園女子大学短期大学部教授になり、現在、
同大学名誉教授という経歴の学者です。
 武本昌三氏は、不幸にも1983年9月1日に起こった大韓航
空機007便事故で妻子を失っているのです。武本氏はKAL0
07便事故に疑惑を抱き、米国に長期滞在しながら、この事件を
詳しく調査し、次の本を上梓したのです。
─────────────────────────────
                  武本昌三著/潮出版社
  『疑惑の航跡/大韓機撃墜事件 安らかに眠れ妻と子よ』
─────────────────────────────
 現在、この本は入手不能になっています。武本昌三氏は、この
本で、高橋五郎氏の本によると、大韓航空機007便事件につい
て次の3つの指摘をしているといいます。
─────────────────────────────
 1.大韓機ソ連領空侵犯は単なる人為ミスとは考えられない
 2.米国政府は同機の航路逸脱を知りながら警告していない
 3.日米両国とも、持てる情報の一部を作為的に隠している
                      ──高橋五郎著
          『早すぎた死亡宣告』/ジーオー企画出版
─────────────────────────────
 一番不可解なのは米国です。米国といっても当時のレーガン政
府という意味ではないのですが、一応この段階では米国というこ
とにしておきます。ちなみに米国は、マレーシア航空事故──M
H370便とMH17便事件でも、疑惑の対象になっています。
 もう一人ご紹介すべき人物がいます。その名前は、アブラハム
・シフリン氏です。シフリン氏はスターリン暗殺未遂事件に関連
したソ連のユダヤ人狩りで逮捕され、イスラエルのスパイという
罪状で死刑を宣告されています。しかし、土壇場で死刑を免れ、
減刑され、釈放されたのです。
 シフリン氏は、この長年にわたる収容所生活において、さまざ
まな重要な情報を掴んでいます。そのなかに大韓航空撃墜事件の
情報もあり、その内容は驚くべきものであったのです。その情報
とは、次の通りです。
─────────────────────────────
    大韓航空機007便の乗客乗員は生存している
─────────────────────────────
 釈放後、シフリン氏はイスラエルに移住し、「強制労働収容所
・精神矯正収容所リサーチ・センター」を設立します。そして、
そこでKAL007便の生存者の調査をはじめ、1993年まで
の追跡活動をまとめたレポートを発表したのです。これは「シフ
リン・レポート」と呼ばれています。
 当然のことですが、このシフリン・レポートは関係各国に大衝
撃を与えたのです。なお、このレポートは、米国におけるキリス
ト教団体の機関紙「ミッドナイト・メッセンジャー」(1994
年1・2月合併号)にも掲載されています。
 しかし、ソ連政府もワシントン政府もこれに対して完全無視の
姿勢を貫いたのです。これに立腹したシフリン氏は、1991年
7月11日にシフリン・レポートに関して記者会見を開こうとし
ます。しかし、当日一人の記者も、記者会見の会場に姿をあらわ
さなかったというのです。何者かが直前に「記者会見は中止」と
いうウソの情報をマスコミ機関に触れ回ったからです。
 そこでシフリン氏は、マスコミ各社の記者に会って資料を渡し
直接アプローチしたのですが、どこの社も取り上げようとはしな
かったのです。何か大きな圧力がかかって、シフリン・レポート
を潰しにかかったのです。
 ところが、1992年10月26日に乗客乗員生存情報は大き
く動いたのです。韓国の国会で、国民党(当時)の孫世一国会議
員が、「CIA秘密報告書」なる資料を掲げ、「大韓航空007
便の乗客乗員はソ連の強制収容所」で生きている」という爆弾発
言を行ったのです。
 この孫世一国会議員の爆弾発言を契機として、日本のマスコミ
も初めてこのニュースを大きく取り上げ、次のように大きく報道
したのです。
─────────────────────────────
 ●KAL機撃墜生存者がいた!?
  83年9月に起きた大韓航空(KAL)機撃墜事件をめぐり
 韓国の国会本会議で26日、野党議員が「米中央情報局(CI
 A)の極秘文書によると、KAL機は海上に不時着し、生存者
 もいた可能性がある」と“爆弾質問”する一幕があった。
  同事件では乗員・乗客269人全員が死亡したとされ、エリ
 ツィン・ロシア大統領も今月中旬、韓国などに関連資料を伝達
 した際、生存者はいなかったと説明したばかりとあって、韓国
 政府関係者は9年ぶりの生存者説に首をひねっている。
          ―――1992.10.27付、読売新聞
 ●大韓機事件でCIA報告書/生存者の可能性指摘
  1983年9月にサハリン上空で起きた大韓航空機事件で、
 米中央情報局(CIA)が最新、極秘報告書を作成し、同機が
 サハリン沖に不時着し、生存者がいる可能性があると指摘して
 いることが26日、明らかになった。同報告書は、生存者がい
 る場合、送還を求める『外交的な努力が必要だ』としており、
 日韓米の遺族らから抗議の声が上がることも予想される。韓国
 民主党の孫世一・韓国国際委員長が同日、韓国国会の対政府質
 問でこの報告書の内容を明かし、日韓米、ロシアの4ヶ国で共
 同調査団を作り、再調査するよう要求した。
          ―――1992.10.27付、朝日新聞
─────────────────────────────
           ──[航空機事故の謎を探る/031]

≪画像および関連情報≫
 ●KAL007便撃墜を指揮した元ソビエト空軍司令官が死亡
  ───────────────────────────
   1983年9月1日にニューヨーク発アンカレジ経由ソウ
  ル行きの大韓航空、KE007便の747−200、機体記
  号(レジ)「HL7442」を撃墜し、乗客乗員269人を死
  亡させた事件を指揮したソビエト空軍の元司令官アナトリー
  ・コルヌコフ氏が、2014年7月1日に72歳で死亡しま
  した。ニューヨーク・タイムズが報じています。
   大韓航空機撃墜事件は、大韓航空機がソビエトのカムチャ
  ツカ半島を横切るなど領空侵犯し、ソビエト空軍のスホーイ
  Su−15がミサイルで撃墜した事件です。冷戦期で敵対陣
  営の機体とはいえ、大勢の民間人が乗った旅客機を撃墜し死
  亡させた事件とあって世界に衝撃を与えました。
   ソビエト空軍は大韓航空機をアメリカのスパイ機と判断し
  当時サハリン地区の防空を指揮していたコルヌコフ氏がSu
  −15のパイロットに撃墜を指示しました。その後、コルヌ
  コフ氏は、1998年にエリツィン大統領からロシア空軍司
  令官に任命され再び注目を集めました。
   1998年に行われたロシアのテレビのインタビューで、
  事件の感想を求められた際にコヌルコフ氏は「嫌な思い出で
  傷跡を残し、白髪を増やした」そして「私は常に正しい命令
  を下したと確信している。時として戦略的な作戦では軍隊を
  守るため大勢を犠牲にしなければならない」と話しました。
                   http://bit.ly/1SBifG6
  ───────────────────────────

武本昌三氏の本.jpg
武本 昌三氏の本
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月12日

●「何が起きるか知っていた米CIA」(EJ第4157号)

 韓国の孫世一国会議員が入手したとされるCIA秘密報告書に
は何が書いてあったのでしょうか。
 実物がネットでも見つからないので、高橋五郎氏の本を参照し
て、その一部を以下に要約します。
─────────────────────────────
◎事件発生時点における日本の自衛隊とソ連のレーダー記録を入
 手したが、両方の記録は一致している。
◎これによると、大韓航空007便はソ連機の攻撃を受けたあと
 3万5千フィートの上空から、12分間をかけて下降し、ゼロ
 ポイントまで記録されている。
◎CIAは、レーダー画面から機影が消えたと同時に、ソ連軍司
 令部が着水予想地点に向けて、沿岸警備隊の救助船8隻を向か
 わせた事実を把握している。
◎CIAは、ソ連最高会議議長アンドロポフが、KAL007便
 のアンカレッジ離陸以後の動きに特別な関心を持っていた事実
 を把握している。
◎KAL007便の機体は洋上に着水したが、4時間以内にKG
 Bの沿岸警備艇による機体の捜索活動が始まった事実をCIA
 は把握している。
◎KGBはKAL007便の機体を発見すると、乗客乗員を救助
 し、ブラックボックスを回収した後で、KAL007便を爆破
 して海底に沈めた事実をCIAは把握している。
                      ──高橋五郎著
          『早すぎた死亡宣告』/ジーオー企画出版
─────────────────────────────
 CIA秘密報告書は、「日本の自衛隊のレーダー記録」にも言
及しています。自衛隊のレーダーとは、具体的には稚内の航空自
衛隊のレーダーサイトのことです。このレーダーサイトでは、K
AL007便の航跡と、傍受したソ連戦闘機とソコル航空基地と
の通信内容を分析し、事件から7時間後の9月1日午前10時過
ぎに防衛庁長官から後藤田正晴官房長官(当時)に「KAL00
7便はソ連戦闘機の空対空ミサイルによって撃墜された」という
報告を上げています。もちろん中曽根康弘首相もこの時点で事件
のことを知ったことになります。
 結局日本としては、この時点で事実を発表すると、高度の軍事
機密である通信傍受能力をソ連側に知られることになるので、撃
墜の事実の公表は差し控え、米国との緊密な連絡をすることにと
どめたのです。
 このCIA秘密報告書によると、CIAは、KAL007便が
ソ連の領空を侵犯をすることを最初から知っていたことになりま
す。そして実際にKAL007便は航路を大きく外して飛行した
のですが、そのことをKAL007便に知らせていない。米ソ冷
戦の時代であるだけに、ソ連領空を長時間侵犯を続ければ、スパ
イ飛行とみなされ、撃墜される恐れがある危険を知っているにも
かかわらずです。
 実際にKAL007便はソ連戦闘機に撃墜される結果になった
のですが、それに対してシュルツ国務長官(当時)は、強制着陸
という情報があったのに、早々に「全員死亡」のニュースを流し
ソ連政府も9月6日にソ連声明を出し、「全員死亡」を認めてい
ます。これは「死亡宣告」そのものといえます。
 1991年になって、ソ連のゴルバチョフ政権の進めるグラス
ノスチ(情報公開)のうねりに乗って、シフリン・レポートやC
IA秘密報告書によるKAL007便の乗客乗員の生存情報が出
てくるのです。これは驚天動地のことです。
 実は、大韓航空007便撃墜事故の起きた1983年9月1日
〜3日間、韓国ソウルで米韓防衛条約30周年記念会議が開催さ
れているのです。そのため、多くの米議員が、ニューヨーク発ア
ンカレッジ経由ソウル行きのKAL007便に登場する予定にな
っていたのです。そのなかには、ニクソン元大統領もいたといわ
れます。
 しかし、KAL007便に搭乗して犠牲になったのは、ラリー
・マクドナルド下院議員だけだったのです。ニクソン元大統領に
ついて、1983年9月25日付の朝日新聞は、次のように報道
しています。
─────────────────────────────
 ソ連領空を侵犯した大韓航空(KAL)機には、ニクソン元大
統領も乗ることになっていたが、出発直前に搭乗をとりやめた。
これは事前に何らかの情報が告げられていたからに違いない──
スパイ飛行説を主張し続けるソ連は24日、こんな新事実≠
持ち出した。
 同日付のソビエツカヤ・ロシア紙は、これまで西独クイック誌
だけが伝えたというこの事実に注目し、これを引用しながら、ニ
クソンが予約していたのはKAL007便第一列B2席であり、
この席は事故の犠牲になったマクドナルド米下院議員(民主)の
席に近かった、と報じている。
 また、ニクソン氏だけが搭乗をとりやめたのは、元大統領まで
危険にさらすにしのびなかった米特務機関の事前通告があったた
めに違いない、とみる西独平和活動家などの発言を伝え、こうし
た見方に説得力を持たせようとして、大統領在任中の同氏と米中
央情報局(CIA)などの親密な協力関係″を指摘している。
            ──1983年9月25日付朝日新聞
─────────────────────────────
 もっともこのときニクソン大統領サイドは、「常時、国内外か
ら多くの招待を受けており、ソウルでの米韓防衛条約30周年記
念会議への招待もそのひとつであるが、結局出席を断った」と述
べ、KAL007便はもとより、他のソウル行きの便にも乗る予
定はなかったとして、この事実を否定しています。
 どうやら米CIAの仕掛けたこの大韓航空機撃墜事件は、複合
的な目的を持つ謀略ではないかと思われるのです。
           ──[航空機事故の謎を探る/032]

≪画像および関連情報≫
 ●大韓航空機007便の生存者情報
  ───────────────────────────
   007便に生存者あり、ロシア強制収容所に抑留中、マク
  ナルド米国下院議員は、モスクワのルビヤンカ刑務所に収監
  中。此の報告書の著者はシフリンなる人物。住所はイスラエ
  ル国エルサレム市91235ラモン私書箱23678号。シ
  フリンの肩書はソ連刑務所・精神刑務所・強制労働収容所調
  査センターの理事。報告書の共著者の名前もE・シフリンと
  あり、肩書は事務局長になっている。二人は家族か兄弟なの
  だろう。
   前書きにはこう書いてある。「以下は1983年樺太沖で
  撃された太韓航空ボーイング747型機(007便)と、其
  の乗員乗客の不可解な消失に関するCIAの暗号文極秘報告
  書を分析したものである。」
   二人の報告書を紹介するのは、米国のキリスト教団が発行
  元の機関新聞『ミッドナイト・メッセンジャー』紙。報告書
  掲載日は94年1・2月号となっている。89年以降からこ
  の事件の犠牲者(行方不明の乗客ら)について追跡調査を続
  けてきた彼等(調査センター)は、90年になってある確証
  を得たという。その大韓航空機はソ連空軍機が発射した二発
  のミサイルで大破して海中に沈んだのではなくて、樺太に近
  いモネロン島付近の浅い海に軟着水させられた。乗客(この
  中には米国下院議員ローレンス・P・マクドナルド氏も含ま
  れる)と乗員はソ連軍沿岸警備隊の手で洋上に浮かぶ機体か
  ら連行された。          http://bit.ly/1HGfLQq
  ───────────────────────────

リチャード・ニクソン元米大統領.jpg
リチャード・ニクソン元米大統領
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月13日

●「助けられた議員と無視された議員」(EJ第4158号)

 大韓航空機撃墜事件は、明らかに仕組まれた事件であるといえ
ます。なぜなら、この事件が起きることを事前に知っていた人物
ないし団体があったからです。
 KAL007便に搭乗する予定だった米国議員は、ニクソン元
大統領のほかにも多くいるのです。しかし、ある一人の議員を除
いて、搭乗数日前に“ある電話”があって、1983年8月31
日、ロサンゼルス発のKAL015便に乗り換えています。彼ら
は九死に一生を得たことになります。
 その命拾いをした米議員のなかに、ジェシー・ヘルムズ上院議
員と同僚のスティーブン・シムズ上院議員の2人がいます。この
なかでヘルムズ議員は、後に出てくる生存者情報と密接な関係が
あるのです。
 これら2人の議員について、9月8日付、産経新聞は次のよう
に伝えています。
─────────────────────────────
 両議員はソウルでの米韓安保関係会議(9月1日〜3日)に出
席のため、8月31日ニューヨーク発の007便を予約していた
が、国内の政治活動日程の都合により、数日前になって″(議
会筋)31日、ロサンゼルス発のKAL015便に変更したとい
う。・・・・ヘルムズ議員らが出発直前に搭乗便を変更したこと
は犠牲者の遺族の気持ちなどを考えて公表が差し控えられてきた
ようだ。
 撃墜後、ヘルムズ議員はただちに米国務省に対し、同議員の搭
乗予定とソ連軍機による撃墜との間に何らかのかかわり合いがあ
るのではないかと調査を進めている。米議会筋は、ヘルムズ議員
は米政権が対ソ融和を図ろうとするときに、常に最大の阻止力に
なってきたことを指摘するとともに同議員の007搭乗予定
は韓国へ電話連絡されていたことからソ連側も知りえたはずだと
し、撃墜とヘルムズ議員搭乗予定との関係は、証明することも
できないが、同時にその可能性も排除できない。今後の真相究明
に当って配慮されるべき要素だ″とコメントしている。
            ──1983年9月8日付、産経新聞
─────────────────────────────
 この命拾いをした議員の一人であるジェシー・ヘルムズ上院議
員は、共和党の重鎮で、上院外交委員会委員長などを歴任したベ
テラン議員で、2008年7月4日に死去しています。
 KAL007便に生存者がいることを伝えたレポートの制作者
であるシフリン氏は、このヘルムズ上院議員に生存者の件を議会
で取り上げてもらう窓口として白羽の矢を立て、ヘルムズ議員宛
に生存者情報を送ったのです。そのヘルムズ事務所から「この件
について確認」というメッセージがシフリン氏に届いたのは19
90年11月のことです。
 そして1991年5月に、ヘルムズ議員の側近幹部と名乗る3
人の男──J・シェル博士、サリバン博士、V・ヘディの3人が
エルサレムのシフリン氏のところに訪ねてきたのです。
 そのとき、シフリン氏はソ連から特別に招いた収容所看守2名
を証人として彼らに面接させる労までとっています。このときの
ことをシフリン・レポートは次のように伝えています。
─────────────────────────────
◎3人の幹部らは、大韓航空ボーイング747機のKAL007
 便は大破せず、緊急着水して乗員乗客らは無事生存している、
 とするわれわれの主張を完全に納得した。
◎われわれは調査結果をヘルムズ議員に渡す以上、KAL007
 便269名(うち合衆国市民63名)を誘拐する結果になった
 この事件を、上院公開聴聞会の議題としてヘルムズ議員が取り
 上げ、行政レベルで徹底調査するよう3人に依頼した。
◎そういう調査をワシントン政府は、早めに進めておくべきだっ
 た。しかし、本件に関しては、調査と名のつくものがただの一
 度も行なわれなかった。飛行機事故発生直後に通常実行される
 おきまりの調査でさえも・・・       ──高橋五郎著
          『早すぎた死亡宣告』/ジーオー企画出版
─────────────────────────────
 このとき、シフリン氏は「ヘルムズ議員ならきっとやってくれ
るだろう。米国国民も63人もいるのだから」と期待していたと
いいます。しかし、アクションは何も起こらなかったのです。
 その代わり、ワシントン・ポスト紙の編集者、エリザベス・ラ
リー・ウェイマウス女史が、ヘルムズ議員の紹介状をもって、シ
フリン氏のもとに取材に訪れたのです。必ず記事にすると約束す
るので、シフリン氏は生存者の証拠資料を渡し、ウェイマウス女
史はそれを米国に持ち帰ったのです。
 しかし、すべては期待外れだったのです。ヘルムズ議員からも
ウェイマウス女史からも何の連絡もなく、無視されたのです。あ
まりのことにハラを立てたシフリン氏は、自ら記者会見を開いて
そのことを訴えようとしたのですが、記者会見会場には記者が誰
ひとり現れず、不発に終わったことは、11日のEJ第4156
号で述べた通りです。
 おそらくシフリン情報は米国のCIAとソ連のKGBに渡った
ものと思われます。その結果、CIAからは例のCIA秘密報告
書が作成されています。CIA秘密報告書は明らかにシフリン・
レポートを下敷きにしているからです。
 それでは、KGBはどう動いたかというと、イズベスチヤ紙に
よる大韓航空機007便撃墜事件についての「事件の真相」と題
する25回にわたる連載記事が掲載されたことです。もちろん、
この連載では生存者情報は出ていませんが、何も報道しないより
は、大きな前進だったといえます。
 高橋五郎氏は、これは「シフリン・レポートをまったく無視し
ようとした米ソ両国が歩調を合わせて行った事件の隠蔽作戦」で
あるとしています。米ソどちらもいまさら、生存者がいることを
正式に認めることなどできるはずがないからです。
           ──[航空機事故の謎を探る/033]

≪画像および関連情報≫
 ●アブラハム・シフリンの再調査
  ───────────────────────────
   1993年まで、KAL007便の乗員乗客は全員死亡と
  ロシア共和国大統領ボリス・エリツィンによって宣告されて
  いたが、アブラハム・シフリンはKAL007便便の生存者
  がいる事を告発した。シフリンの話によれば、乗客はKGB
  によって捕らえられ、荷物と一緒に矯正収容所へ連れ去られ
  た。民間機を装ったスパイ機と知らされていれば、KGBは
  KAL007便の生存者たちを、いつ、どこへ連れて行き、
  何をさせていたか。シフリンはそれに関して詳しい情報を得
  ており、ソビエト社会の暗部の仕組みをまじえて告発した。
  その話の中には、非常に正確な情報もあるため、彼の話の全
  てを否定する事はできない。
  @アメリカ合衆国上院議員ジェシー・ヘルムズは、アブラハ
  ム・シフリンからKAL007便に関する情報と報告書を受
  け取っている。
  Aジェシー・ヘルムズ上院議員は、アンカレッジでKAL0
  07便に乗ったグレンフェル家の娘たち、3才のステーシー
  と5才のノエルを直接見送った。「例え一千年生きようとも
  私はあの少女たちの事を忘れない。私の膝の上で遊び、笑い
  頬に口付けしたあの娘たち。愛らしい2人の少女。忘れよう
  にも忘れられるものではない。なぜ、あの少女たちが犠牲に
  ならなければならないのだ」。   http://bit.ly/20NpcJl
  ───────────────────────────

ヘルムズ上院議員.jpg
ヘルムズ上院議員
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

●「電話のなかったマクドナルド議員」(EJ第4159号)

 現在EJでは、32年前の大韓航空機撃墜事件を振りかえって
います。しかし、あくまで今回のメインテーマは、2014年に
相次いで起こった2回のマレーシア航空事故の謎解きです。しか
し、この事故の原点が大韓航空機撃墜事件にあると考えているの
で、それを探っているところです。
 状況を整理します。1983年9月1日に韓国のソウルで米韓
防衛条約30周年記念会議が開催され、多くの米国議員が出席し
ています。その会議に出席するには、次の2つの便が便利だった
のです。
─────────────────────────────
  1.ニューヨーク発/アンカレッジ経由KAL007便
  2.ロサンゼルス発/アンカレッジ経由KAL015便
─────────────────────────────
 両機のソウル到着時間は、KAL007便がKAL015便よ
りも27分早く着き、給油地のアンカレッジでは両機が相次いで
駐機しているのです。そのため、アンカレッジのトランジェット
・ラウンジでは両機の乗客は一緒になり、ひとときを過ごしてい
るのです。
 しかし、ニクソン元大統領をはじめ、ジェシー・ヘルムズ議員
やスティーブン・シムズ上院議員らには“秘密の電話”があり、
007便搭乗の予定を015便に乗り換えて、九死に一生を得て
います。ところが、この“秘密の電話”がかかってこなかった米
国議員が一人いるのです。ラリー・P・マクドナルド下院議員が
その人です。彼にはなぜ電話がなかったのでしょうか。
 ラリー・P・マクドナルド下院議員とは、どういう議員だった
のでしょうか。
 マクドナルド下院議員は、徹底した反共主義者として有名であ
り、ともに強い反共主義として知られる時のレーガン大統領と意
見の違いはないように思えます。ただ、米国大統領よりもっと上
の存在が、マクドナルド議員を危険な存在として認識していたフ
シはあるのです。この「米国大統領よりもっと上の存在」につい
ては改めて述べます。
 既出の高橋五郎氏によると、マクドナルド議員が危険な存在と
された理由の一つとして、事件の前年の1982年1月27日の
議会演説にあるとしています。彼は、この演説で「米国の国連脱
退」を強く訴えていたのです。
 これまで国連憲章に反対票を投じた米国の議員は2人しかいな
いのです。1人はランガー上院議員、もう一人がマクドナルド議
員なのです。マクドナルド議員は次のように発言しています。
─────────────────────────────
 国際連合は35年にわたり、そのほとんどを合衆国の納税者の
負担によって、途方もない陰謀に、ほしいままにふけってきまし
た。その陰謀とは、わが共和国をソ連および共産系第三世界に支
配される世界政府の奴隷となさんとする陰謀です。このようにさ
んざん陰謀をほしいままにされて、責任ある役人も心ある市民も
ますます大勢が手を引きたいと思っているのであります・・・。
    ──1982年1月27日/議会議事録・発言補遺より
─────────────────────────────
 国際連合について、一番ノーテンキな国はおそらく日本でしょ
う。多くの日本人は、国連は国際問題を解決し、平和維持のため
の機関と考えています。しかし、米国では、国連からの脱退を訴
える人は少なくないのです。
 2003年6月のことです。ニューヨーク市に住む有名な映画
スターのジェリー・ルイス氏は、FOXテレビに出演し、次の発
言を行っています。
─────────────────────────────
 国連をなくせば世界のトラブルはずっと減る。世界各国から代
表がここニューヨークにきて、外交特権をよいことに違法駐車を
して、劇場でショーを見て、高級ホテルに住む。ボスニアで虐殺
が起きても、インドとパキスタンが核爆弾を破裂させても、彼ら
は何もしない。国連の連中は、自分の存在の正当性のためにトラ
ブルを絶やさないようにする。いつも他人のカネを使う活動とい
うのはジョークだ。国連なんて不要だと、私は20前から思って
いた。      ──古森義久著『国連幻想』/産経新聞社刊
─────────────────────────────
 この発言はきわめて激しい国連批判といえます。国際間のトラ
ブルをなくすため、解決するために国連は存在するので、国際間
のトラブルがなくなるとその存在価値を問われる。したがって、
あえて多くのトラブルを作り出して存在を維持しようとしている
というのです。
 現在の国連ビルが存在するニューヨークの一等地の広大な敷地
は、実は国際金融財閥のロックフェラー家が無償で寄付したもの
なのです。しかし、「タダより高いものはない」といいます。こ
れは、ロックフェラー家の周到な考え方に基づくひとつの事業な
のです。マクドナルド議員は、この国連に真正面から反対し、議
会で発言しています。したがって、ロックフェラーを中心とする
米国政府を超える存在は、マクドナルド議員を危険な存在とみな
したのです。
 ここにひとつのヒントがあります。ある人物や団体を合法的に
抹殺するために、飛行機事故はひとつの有力な手段であるという
ことです。その団体をまとめて一つの飛行機に乗せることに成功
すると、その飛行機を何らかの方法で墜落させれば、その団体ご
と抹殺することができます。
 もちろん関係のない乗客乗員を巻き込みますが、その存在があ
るからこそ「事故では仕方がない」と思わせることができるので
す。撃墜されたウクライナ航空17便には、国際エイズ会議に出
席するため、100名以上の関係者が同機に搭乗していたといわ
れています。米韓安保会議と国際エイズ会議──このあたりも大
韓航空機の撃墜事件のケースときわめて類似点が多いのです。
           ──[航空機事故の謎を探る/034]

≪画像および関連情報≫
 ●米国の陰の政府/ロックフェラー
  ───────────────────────────
   「人民の、人民による、人民のための政治」――米国の建
  国の精神であり、現在米国はそれを世界中に輸出していると
  いっていますが、ジョセフソンは米国の実体はそのようなも
  のではなく、次のようなものであるといっているのです。
  ───────────────────────────
   米国の実体は少数の支配家系による強固な独裁政治である
  ───────────────────────────
   つまり今までの米国の大統領の大部分が血脈上つながって
  おり、東部エスタブリッシュメントを形成しているのです。
  血脈がつながっていれば一族のようなものであり、一体とな
  って支えることによって米国を支配できるのです。
   しかし、米国国土の中西部や西部、南部が開拓されるにつ
  れて血脈がつながっていない者もホワイトハウスの主になる
  者も出てくることになります。例えば、ニクソンやレーガン
  は西部、カーターやクリントンは南部の出身であり、血脈は
  つながっていないのです。
   こういう場合は、勝手なことをさせないように、政権にス
  タッフを送り込み、国家運営の実権を握ってしまうのです。
  このことはカーター政権やクリントン政権のケースでも分析
  した通りです。もし、彼らが勝手なことをしようとすると、
  間違いなく失脚させられるか、命を奪われることもあるので
  す。   ──2006年5月16日付、EJ第1835号
                   http://bit.ly/1MeRCo0
  ───────────────────────────

国連ビル.jpg
国連ビル
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

●「ビルダーバーグ会議の目的は何か」(EJ第4160号)

 ラリー・P・マクドナルド下院議員──「米国大統領を超える
存在」が、危険人物として、米国議員でありながら、撃墜される
可能性の高い大韓航空機007便を使って亡き者にしようとした
政治家です。しかし、いかに危険人物であるからといって、抹殺
しなければならないほどの人物なのかについて疑問を持つ人は多
いと思います。
 世の中には、必ず表と裏があるものです。「ビルダーバーグ・
クラブ」(ビルダーバーク・ソサエティ)というものがあります
ますが、ご存知でしょうか。
 ビルダーバーグ・クラブは、「陰のサミット」と呼ばれ、表の
サミットのように、定期的に国際会議を開いています。といって
も必ずしも秘密会合ではなく、出席者や議題などはウェブサイト
でも知ることができます。しかし、その討議内容の詳細がわかる
ほど開いた会合でないことは確かです。
 ポーランドの政治活動家であるジョセフ・レティンガーという
人物が、オランダのベルンハルト王配(王配=女王の配偶者)に
対して、欧米の有力者を集めて、諸問題について定期的に討議す
る国際会議を開くべきであると提案したのです。
 そこでベルンハルト王配が関係各方面に働きかけて、1954
年5月に、オランダヘルダーラント州レンカムのオーステルベー
クにあるビルダーバーグホテルで、その第1回の会合を開催して
います。以後、毎年会議は行われています。今年も6月にオース
トリアで開催されています。毎年、米国から30人、欧州各国か
ら80人、国際機関などから10人が参加しています。日本など
非欧米諸国はお呼びではないのです。ちなみに、ビルダーバーグ
・グラフは、日本の受け入れを拒否しているのです。
 こうした陰のグループを束ねている陰のグローバル政府をロッ
クフェラーと名指しで批判した次の本があります。
─────────────────────────────
             ゲイリー・アレン著/高橋良典訳
 『見えざる世界政府/ロックフェラー帝国の陰謀』パート1
                     自由国民社刊行
─────────────────────────────
 実は、この本の冒頭にラリー・P・マクドナルド下院議員によ
る本書の推薦文があるのです。本書を現在入手するのはかなり困
難であるので、かなり長文ですが、一部をカットして、以下にご
紹介します。
─────────────────────────────
 読者のみなさん、あなた方はアメリカに我々が想像する事も出
来ないほど巨大な富と権力をもった億万長者がいる事を知ってお
られるだろうか。
 その一族は、地球の各地に100か所も邸宅を持ち、2500
人の使用人を抱え信じられないほどのぜいたくな暮らしをしてい
る。彼らの富は、大国の富にも匹敵し、大国の規模を超えて地球
の全土にわたっている。
 およそ1個人ないし1家族が一国の富を上回る私的な富と権力
をもち、この地球上に見えない帝国を築いている事をあなたは想
像できるだろうか。
 これは全く信じられない事だが、アメリカには数世代にわたっ
てそのような富を蓄え、金の力でアメリカばかりでなく全世界を
支配しようとしようとしている闇の帝王がいる。
 それは誰か・・・ロックフェラーである。(中略)
 もし、ロックフェラー一族がその富に満足し、その富が彼らの
欲望が十分に満たされてきたのなら本書は書かれなかったであろ
う。そして私が、読者にこの本を読むよう強くお勧めする事もな
かったはずだ。
 著者のゲイリー・アレンは、本書の中で従来断片的にしか扱わ
れる事の無かった数多くの事実をまとめ上げ、ロッフェラー一族
の巨大な富と権力が如何にして形成され、彼らが何を目的として
行動してきたかを明らかにする素晴らしい仕事を成し遂げた。
 これにより読者は、今まで必ずしもそのつながりがはっきりと
しなかった幾つかの事件について、その背後には、世界政府実現
を目指す彼らの意思が働いている事を確認する事が出来るであろ
う。とにかくこの驚くべき事実を扱ったこの「ロックフェラー・
ファイル」をぜひお読みいただきたい。
 本書の内容をお読みになれば、読者はなぜロックフェラー一族
が現在の政策を推し進めているのか、また彼らは何を目指し、我
々を何処へ連れていこうとしているのか、そして我々はなぜかれ
らの圧力に屈してはならないのかがお分かりになるだろう。
                   http://bit.ly/1RWHgLj
─────────────────────────────
 権力者が一番恐れるのは、優れた思想家の存在です。なぜなら
それらの思想家は、多くの人の考え方を変える力を持っているか
らです。ましてマクドナルド氏は下院議員であり、それだけでも
大きな影響力を持っています。そのマクドナルド議員は議会でも
このことについて発言していますし、本などにここまで書かれれ
ば、世界政府を目指そうとする側が、その存在に強い危機感を感
じても不思議ではないのです。だからこそ、マクドナルド議員に
だけは、KAL007便をキャンセルせよという秘密の電話がか
からなかったのです。
 しかし、シフリン・レポートによると、KAL007便はソ連
の戦闘機によって撃墜されたものの、機体は無事着水して、乗員
乗客は生存しているといわれています。ということは、マクドナ
ルド議員も生存していることになります。
 しかし、ソ連時代も崩壊後のロシアも、あくまで「乗客乗員全
員死亡」といいはっています。米国もシフリン・レポートを再三
にわたって無視し、生存者の調査をやろうとはしません。両国と
もいまさら生存者が現れては困るからです。それにしても、もし
生存しているとすれば、彼らはいまどのようにして暮らしている
のでしょうか。    ──[航空機事故の謎を探る/035]

≪画像および関連情報≫
 ●世界を陰で操る「ビルダーバーグ会議」の目的
  ───────────────────────────
   「ビルダーバーグ会議」をご存じだろうか。これは「陰の
  サミット」とも呼ばれ、1954年以来、毎年5月の終わり
  に3日間、非公開で行われるもので、今年もオーストリアで
  開催された。会場となったホテルには、有名な政治家や官僚
  欧米の財界人や王族、貴族、大手メディアの幹部など世界的
  に大きな影響力を持つ人々が集まり、政治経済や環境問題な
  ど多様な国際問題が議論されたと言われている。
   メンバーはイルミナティ(啓蒙結社)に属し、この会議の
  決定に従って、各国政府、財界への工作、メディアを通じた
  世論操作を行い、陰で世界を動かしていると囁かれてきた。
   冷戦時代にNATOとアメリカの橋渡し役になったとも伝
  えられ、実際1991年の会議に出席したビル・クリントン
  は1993年、大統領に就任。トニー・ブレアも1993年
  に出席し、1997年に英首相に選出されている。
   これまで会議の内容が完全非公開のため、真実は明らかに
  されてこなかった。しかし昨年、長年調査し続けてきたフィ
  リッツ・スプリングメア氏に、会議冒頭のウィリアム・バン
  ・ドゥイン氏によるスピーチがメールで送られる。その内容
  の1部をご紹介しよう。      http://bit.ly/1X0diHt
  ───────────────────────────

ロックフェラー・ファイル/1.jpg
ロックフェラー・ファイル/1
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

●「マクドナルド議員は生存している」(EJ第4161号)

 大韓航空機007便は、長時間にわたってソ連の領空を侵犯し
ソ連の戦闘機による2発のミサイルの攻撃を受けましたが、時間
をかけてゆっくりと下降し、モネロン島沖に無事着水したとみら
れます。その後、乗客乗員はどうなったのでしょうか。
 シフリン・レポートによって、その後のKAL007便の乗客
乗員の消息を探ってみることにします。
─────────────────────────────
 ソ連軍戦闘機によって攻撃された同機は、サハリンに接するモ
ネロン島(海馬島)沖に着水。機体はほぼ無事で、そのまま沈み
もせず、暗い波間に浮かびつづけた。その洋上の機体に、KGB
の沿岸警備艇が接近、機体の中にいた乗員乗客は、警備艇に乗り
移った。無人になった機体は、深度の浅い海域へと警備艇に曳航
され、そこで爆破され、海底に沈められた。
 サハリン島のKGB基地の警備艇に乗せられた乗員乗客は、本
土のKGB管轄C区域のソブガバン基地へと、9月4日までに全
員が運ばれた。沿海州のソビエツカヤガバニである。
 子どもたちはそこで両親と離され、成人男女も別々に分離され
た。グループ別にティンダに向けて移送された。あの3歳のステ
ーシーと5歳のノエルは、ソブガバンに設けられた臨時の孤児収
容所に他の子どもたちと収容された。同年10月を過ぎてからそ
こを出て、ウラジオストック、オムスク、バマウル、そしてカザ
フ共和国(現カザフスタン)の孤児収容所へと送られた。分離さ
せられた成人男女が、ティンダ駅からどこの収容所へ送られたか
は不明である。               ──高橋五郎著
          『早すぎた死亡宣告』/ジーオー企画出版
─────────────────────────────
 マクドナルド議員はどうなったのでしようか。
 マクドナルド議員は、他の乗員乗客とは別の扱いを受けていま
す。1983年9月8日になって、KGBが特別に用意した飛行
機で、ハバロフスク経由で、モスクワに送られているのです。そ
して、市内のKGBの監獄ルビヤンカで尋問を受け、「囚人ナン
バー3」と呼ばれるようになります。その後はレフォルトボ収容
所に数ヶ月間収監され、毎日尋問を受ける日々を過ごします。
 モスクワ近郊のスハーノファにあるKGBのダッカ(夏期保養
所)、さらにカザフ共和国のカラガンダ監獄へとぐるぐると監獄
を移されます。待遇は悪くなく、マクドナルド議員へは、市内の
レストランから運び込まれる食事が与えられていたのです。
 しかし、連日の尋問と特別の「治療効果」によって、マクドナ
ルド議員は、自分が誰であるのかがわからなくなってしまったの
です。KGBの狙いはここにあったのです。
 1993年当時の収容所の看守からの情報によると、マクドナ
ルド議員の様子は次のようになっています。
─────────────────────────────
◎看守は議員の姿をコンピュータ画面で見ていた。画面に映しだ
 された米国人は、マクドナルド議員に間違いなかった。議員は
 カラガンダ監獄からライトバンで運ばれてきた。厳重に封印さ
 れた茶封筒には、議員のおそらくプロファイリングがはいって
 いたようだ。議員は毎週散歩するよう義務づけられていた。毎
 週1日だけカラガンダ監獄からKGBの担当官(将校)がきて
 尋問を続けた。担当官は収容所の囚人全員の変化をチェック、
 囚人間の会話を厳禁した。毎度同じそれらの仕事が繰り返され
 ている・・・。
◎1987年にはカラガンダ監獄からカザフのその小さな収容所
 へ護送される議員の姿が確認された。KGBの監視は徹底ぶり
 を極めていたから、その囚人(議員)は特別な虜囚にちがいな
 い、と収容所内の誰もが密かに噂しあった。注目を集めていた
 だけに議員の動向は把握しやすかった・・・。
                ──高橋五郎著の前掲書より
─────────────────────────────
 その後、マクドナルド議員はどうなったでしょうか。
 少なくとも2008年までは生存しています。添付ファイルを
見てください。この写真は、2008年3月に撮影されたマクド
ナルド議員の貴重な写真であるといわれます。
 左側は大韓航空007便撃墜時の1983年当時のマクドナル
ド議員であり、右側は2008年当時のマクドナルド議員である
というのです。ロシアのチュクチ自治管内のアナディリで生活し
ている遊牧民のビデオに出ていたといよわれます。
 右側の写真は一見すると、とてもマクドナルド議員には見えま
せんが、この写真の出ているサイトによると、次の分析を加えて
本人であることを確認しています。
─────────────────────────────
 眉間のY字型、鼻と鼻の下の長さが、マクドナルドと一致して
いる。25年前と比較すると顔が面長に変化している。しかし、
特に上唇と下唇の形、鼻から口にかけて皺の溝の形が左右完全に
一致している。1983年の彼の顎の骨の形は二股型。この画像
1枚からだと一瘤型のようだが、場面を少しずらすと顎の下の先
がふたつに分かれ、顎先の真ん中にわずかな窪みがある。眉毛と
目の大きさが変化している。
 しかし、歯が小さめで弱いため、下顎の歯の大きさを見る事が
できれば、それで確認する事ができる。マクドナルドは、目が、
時々ギョロリと大きくなる人で、視線などにも彼の特徴が表れて
いる。右側の画像の人がラリー・マクドナルドと確信したのは、
彼の左側の頬の肉付きと頬から鼻の根元までの面積比や角度が全
く同じで、左側の顔に対する右側の顔の面の角度と形、頬骨によ
る。左側の頬骨は逆三角形型、右側の頬骨が平ら。左右非対象で
似ているだけでは済まされない同一性がある。1983年の事故
当時48才。2010年、現在も生存していれば75才というこ
とになる。              http://bit.ly/1HNEM1o
─────────────────────────────
           ──[航空機事故の謎を探る/036]

≪画像および関連情報≫
 ●大韓航空機撃墜事件を検証する(事件直後のまとめ)
  ───────────────────────────
   1983年9月1日(木)午前3時26分20秒、ソ連防
  空軍サハリン・ソーコル基地所属のスホイ15戦闘機の発射
  したミサイルはアンカレッジ発ソウル行き大韓航空KAL0
  07便乗員・乗客269名に向かって、白煙を噴いて突進し
  た。240名の乗客の多くは他社よりも割安な運賃で大韓機
  に乗る事を決めたのであろうが、誰もが飛行は順調に続いて
  いると確信し眠りについていたに相違ない。しかし、その直
  後に始まった急降下に眠りから覚めた者も、眠ったままの者
  も27分10秒に命中するミサイルの接近を知る筈もない。
   ミサイルは2発。1発或いは両方が赤外線誘導による物で
  あった。ジェットエンジンの排出する熱を求めてミサイルは
  追尾する。エンジン部に命中すれば主翼の半分近くは破壊さ
  れ正常な飛行を続ける事は不可能であろう。1万メートル近
  くの高度から5千メートルに急降下した時、客室内の気圧は
  急激に低下し、乗客は救命着も付けないままで恐怖に耐えて
  いたのであろう。海面に激突する38分迄の間、損傷した機
  体は何故か沖に向かって飛び続ける。機内は照明も消え暗黒
  の中で負傷者のうめき声、時折起こる爆発音と不気味な振動
  が続く。乗客の誰もが何が起きたのか理解できないままで死
  を待つ以外に無かった。彼等は何の為に死ななければならな
  かったのか。彼等を救う方法はなかったのか。
                   http://bit.ly/1MgU5yh
  ───────────────────────────

マクドナルド米議員/2008年撮影.jpg
マクドナルド米議員/2008年撮影
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

●「KAL007便の乗客からの電話」(EJ第4162号)

 大韓航空007便がソ連戦闘機によって撃墜されることは米国
CIAは事前にわかっていたのです。そのため、同機に搭乗を予
定していた米国議員にはそれぞれ電話を入れ、予定をずらすよう
アドバイスしたのですが、マクドナルド議員に関しては知らせて
いないのです。これは一種の“殺人”行為といえます。
 一方、ソ連としては乗客のなかに米国の下院議員、それも反共
主義者として知られるラリー・P・マクドナルド議員がいること
が分かり、愕然とします。生存している以上、相手が相手である
だけに、その扱いは慎重を極める必要があります。
 しかし、米国側が意外に早い時点で、「全員死亡」の発表をし
たので、米国はこの件に関して真実は伏せるものとソ連側は判断
したのです。そこでソ連側も9月6日の時点で、政府声明を出し
全員死亡を認めたのです。実際には乗客乗員全員生存しており、
ブラックボックスも確保しているのに、事実と異なる声明を出し
たことになります。これは国家犯罪です。
 したがって、米国もソ連も生存者がのこのこと出てこられると
困るのです。この秘密を封印するには、269人の乗客乗員全員
にこの墜落事故のことを忘れてもらう必要があります。そのため
にソ連では「治療」と称する非人道的処置を施し、過去の記憶を
忘れさせようとしたのです。これについて、高橋五郎氏の本には
次の記述があります。
─────────────────────────────
 モスクワ周辺には、41の犯罪者収容所機関がある。この地区
には異なった段階の20の強制収容所がある。たとえば、スハノ
ボ、オビロフカ、ヤベモエ、それにルビヤンカ監獄などである。
モスクワ市内には10カ所の『精神病』監獄院がある。そこでは
どんな拷問方法にも口を割らない囚人に口を聞かせる方法が使わ
れている。
 監獄当局はそれを『治療』と呼び、強力な麻酔薬を使う手術や
脳の前葉切開手術で囚人を狂人にしてしまうやり方なのである。
これらの精神病監獄院はクレムリンに近いエリアにある。西側の
訪問者によるエリアへの立ち入りは厳禁されている。
                      ──高橋五郎著
          『早すぎた死亡宣告』/ジーオー企画出版
─────────────────────────────
 ところが米ソ両国ともに想定していない事態が起きたのです。
1991年のソ連崩壊です。ソ連としては、生存者のことを話せ
る機会が到来したといえます。しかし、ロシアのエリツィン大統
領は、大韓航空機007便のブラックボックスを韓国側に引き渡
したものの、生存者のことは話せなかったのです。おそらく乗客
乗員269人に非人道的「治療」を施したからです。さすがに、
エリツィン大統領としてはそれだけはいえなかったのでしょう。
 しかし、真実を隠すことはできないものです。ソ連の崩壊の前
後の時期のことですが、KAL007便が撃墜された後に搭乗し
ていた婚約者から電話を受け取ったという女性の証人があらわれ
たのです。電話の内容は「自分は生きているが、もはやあなたと
は会えない」という内容だったというのです。
 これを明らかにしたのは、KAL007便生存者救出国際委員
会のバート・シュロスバーグ氏です。その部分を以下にご紹介し
ます。URLをクリックするとさらに詳しい情報が読めます。
─────────────────────────────
 KAL007便が撃墜されて数週間後、私はサンフランシスコ
の「KGOトークラジオ」を聞いていました。私は、KAL00
7便の運命について語ろうと電話してきた若い女性が、彼女の親
友の婚約者がKAL007便に乗っていたと語るのを聞いて驚い
てしまいました。
 彼女はKAL007便がソ連の迎撃機によって撃墜された後に
婚約者が電話してきたことを明かしていました。彼(婚約者)は
彼女に、自分は安全だが、もう二度と彼女に会えないと悔やんで
報告したのです。
 この種の情報をあなたの組織のウェブマスターに知らせてきた
人はいましたか?他の乗客が愛する家族、友人に接触してきたの
でしょうか?このラジオを聞いた後何年間経っても、この若い女
性の話したことは私の心につきまとっています。彼女は真剣そう
に見えたし、彼女の通った状況に圧倒されているようでした。私
の夫はPOW(戦争捕虜)で、北ベトナムから帰還してなく、生
存しています。KAL007便の乗客の運命は、私達のPOWの
切捨てと同じぐらい辛いものです。   http://bit.ly/1QFZcLz
 バート・シュロスバーグ/KAL007便生存者救出国際委員
─────────────────────────────
 しかし、大韓航空機007便撃墜事件は、米国とロシアという
2つの大国のメンツがからんでいるだけに、もはや今となっては
どのような情報が出ようとも生存者が出てくる可能性はないと思
われます。ところで、KAL007便が墜落後に電話があったと
いうことですが、どうして電話ができたのでしょうか。
 1980年代の前半は、携帯電話は「車載電話」の時代であり
乗客乗員は持っていなかったはずです。そうであるとすると、固
定電話ということになりますが、どのようにして電話ができたの
でしょうか。まさかKGBが電話することを許すとはとても思え
ないからです。
 大きな航空機事故は、国家がどうしてもからむだけに、真実が
隠蔽されることが多いものです。相次いで起こったマレーシア航
空の2つの航空機事故も、マレーシア航空の事故であっても、大
韓航空機007便と同様に、米国とロシアの2国が深く関与して
いるのです。MH17便については、親ロシア派によるミサイル
によって撃墜されたといわれているからです。
 KAL007便にしてもMH370便にしても、未だに一人と
して遺体は発見されていないのです。どのような国家的謀略がそ
こに展開されたのでしょうか。引き続き追及していきます。
           ──[航空機事故の謎を探る/037]

≪画像および関連情報≫
 ●KAL007便生存者に関する追加情報
  ───────────────────────────
   1991年、KAL007便便の乗客だった子供の母から
  KAL007便に乗っていた乗客の妻である女性が、撃墜の
  直後に夫から電話を受けたが会話はすぐに切断されたという
  事を私達は知らされました。彼女はこの女性とその夫に関す
  る同一証明の情報を提供しましたが、私達は接触するための
  手段はとりませんでした。なぜ私がその事柄を追求しなかっ
  たのかということを理解するのは今もなお難しい事です。乗
  客名簿から乗客の身元の相関関係を作るのは可能だっただろ
  うと私は思います。
   ともかく、約1年前にKAL007便生存者救出委員会は
  乗客の1人の娘から手紙を受け取り、さらに最近その同じ乗
  客の姪から手紙を受け取ったのです。その娘は私達に、彼女
  らが若かった時にお母さんが「私はあの撃墜の事件の後に夫
  から電話を受け取ったの」と語った話を語ってくれました。
   姪はさらにその情報に付け加えて、彼女の叔母(そのお母
  さん)が旦那さんからの電話を記録したものを音声分析して
  もらうために送付したと語ってくれました。これら2人の女
  の子は、その事があった時(電話がかかってきた時)は10
  代でした。現在もちろんですが、彼女らは大人の女性です。
  これらの明るみになった詳細から、その電話を受け取った女
  性は実に私達が1991年に話を聞いた女性だったという事
  が更に明らかになっのです。    http://bit.ly/1QFZcLz
  ───────────────────────────

マクドナルド米議員.jpg
マクドナルド米議員
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

●「結局は米国とロシアの暗闘である」(EJ第4163号)

 EJが航空機事故について書いている最中にまたしても最悪の
航空機事故が起きてしまいました。ロシアのコガリムアビア航空
9268便の墜落事故です。この事故の第一報は次のようになっ
ています。
─────────────────────────────
 カイロ(CNN)エジプトのイスマイル首相は、ロシアの旅客
機が10月31日、同国東部シナイ半島で墜落したと明らかにし
た。ロシア国営メディアは同機に224人が搭乗していたとして
いる。ロシアの通信社スプートニクがエジプトの航空管制当局の
話として伝えたところによると、同機は、エジプトのリゾート地
シャルムエルシェイクから、ロシアのサンクトペテルブルクに向
かっていた。同通信によると、ロシア航空当局筋は国営RIAノ
ーボスチ通信に、墜落したのはロシアの航空会社コガリムアビア
の9268便(エアバスA321型機)で、乗客217人、乗員
7人が搭乗していたと語った。同機はシャルムエルシェイクを離
陸してから23分後にレーダーから消えたという。
       ──2015年10月31日付、CNNニュース
─────────────────────────────
 直後に、イスラム国(以下ISと表記)──正確にいうとIS
傘下の武装勢力が、「ロシア機を墜落させた」とする声明をイン
ターネット上に出しましたが、ソコロフ露運輸相は「信憑性に乏
しい」と反論したのです。
 その後、フランスや米国は早くから墜落の原因は何らかの爆発
物によるものとの見解を出しましたが、プーチン大統領はあくで
事故の可能性をにじませていたのです。ISのロシアに対するテ
ロと認めてしまうと、プーチン大統領としては、自ら決断し、実
行したロシア軍によるISへの空爆の報復であることを政治的に
認めたくなかったものと思われます。
 しかし、事態はこれで終わらなかったのです。11月13日に
フランスの首都パリで、ISによる「同時多発テロ」が起こった
からです。これについてもISは犯行声明を出しており、フラン
ス軍によるISへの空爆の報復と考えられます。このテロは、シ
リアで計画が作られ、それに基づいてベルギーで犯行グループが
組織され、パリで実行されたのです。相当周到な計画のもとに実
行されているのです。この事件の直後、ロシアはコガリムアビア
航空の事故は、機内で何らかの爆発物による空中分解であること
をやっと認めたのです。
 図にのったISは、11月16日にネット上にISの戦闘員と
名乗る男が次の動画声明を出し、今度は米国を牽制したのです。
─────────────────────────────
 十字軍の作戦に参加する国々に告ぐ。お前たちは(同時テロが
起きた)フランスと同じ日を迎える。われわれはフランスのパリ
を破壊した。われわれは米国のワシントンを破壊するだろう。
                   http://bit.ly/1H6aMOj
─────────────────────────────
 このISをめぐる構図は、米国とロシアの暗闘なのです。大韓
航空機007便のソ連戦闘機による撃墜、マレーシア航空17便
の撃墜もその裏側に米国とロシアの暗闘があります。MH370
便の失踪もこれに密接に関係しているものと思われます。
 もともとISの問題は、シリアの大量破壊兵器の使用をめぐっ
て、米国がシリアの反政府勢力に、直接手は出さないものの、武
器などを供給して、支援したことにはじまるのです。そのとき、
ISなどは存在しなかったのです。米国としては、非人道なこと
をするシリアのアサド政権を潰したかったのです。そのアサド政
権をロシアとイランが支援しているのです。
 しかし、そういう米国から供給された豊富な最新型の武器を利
用して、シリアの反政府勢力から分離した武装勢力が、ISを名
乗ってイラクを攻撃したのです。何のことはない。米国がISを
作ったようなものです。
 ところが米国の軍事顧問団が指導したイラク軍がすこぶる弱く
ISとの戦闘では、すぐ武器を置いて逃げ出してしまうのです。
そのため、イラクの拠点は次々にISに占領され、武器に加えて
一部の油田まで手にするようになり、その資金を使って世界中か
ら兵隊を募集し、勢力を拡大させていったのです。
 その頃から米軍の高官はオバマ大統領に対し、いまの段階なら
制圧できるので、地上軍を送ったらどうかと進言したのですが、
オバマ大統領は絶対認めなかったといいます。そのため、ISは
ますます勝手な振る舞いをするようになります。
 しかし、アサド政権が大量破壊兵器を使ったことにオバマ大統
領は激怒し、シリアへの空爆を決意します。これを懸念したプー
チン大統領はシリアの大量破壊兵器に関しては、ロシアが責任を
もって廃棄させるといって調停に乗り出すと、もともと空爆をや
りたくなかったオバマ大統領は空爆をやめてしまうのです。何た
る優柔不断な対応でしょう。結局、この件はうやむやのうちに終
わってしまうのです。
 オバマ大統領の不決断を見抜いたプーチン大統領は、シリアを
支援するという名目で、ISへの空爆を開始し、そのかたわら、
米国が支援するシリアの反政府勢力への空爆をはじめたのです。
オバマ大統領なら、口先だけで、何もしてこないと考えたからで
す。完全にロシアになめられているのです。実際に米国はロシア
を批判してきていますが、ロシアは聞く耳をもたない姿勢です。
 さすがにオバマ大統領は、フランスの同時多発テロには危機感
を抱いたはずです。そのため、G20では終始沈痛な表情をし、
プーチン首相と緊急に会談を開くなど、対ISについて対応を急
いでいるように見えます。
 しかし、しょせんはデモンストレーションなのです。対立して
いるロシアと協議することによって、何かをしようとしているこ
とをメディアに見せるためです。もし、本気で地上軍の派遣など
を検討するのであれば、あんな場所で中途半端な会談をするはず
がないのです。    ──[航空機事故の謎を探る/038]

≪画像および関連情報≫
 ●「地上軍の派兵を否定/オバマ大統領」/産経ニュース
  ───────────────────────────
  【ワシントン=青木伸行】オバマ大統領は、大規模な米軍地
  上部隊を派遣しての地上戦への関与は「誤りだ」と一蹴。こ
  れまでの戦略は「正しく、機能している」と力説し、有志連
  合による空爆を強化する方針を示している。フランスを含む
  有志連合は15日、シリアとイラクのイスラム国の拠点を空
  爆し、シリア東部アブカマルでは、タンクローリー116台
  を破壊した。パリ同時多発テロ後としては、報復的な初の空
  爆だった。
   一方、米政府は有志連合国のサウジアラビアに、イスラム
  国への空爆などに使用するための精密誘導兵器スマート爆弾
  など、計12億9000万ドル(約1589億円)相当を供
  与する。シリアでのテコ入れ策は反体制派への武器、弾薬の
  直接供与と、米軍特殊部隊約50人の常駐にすぎない。こう
  した戦略に議論が百出している。元米中央情報局(CIA)
  のバック・セクストン氏は「特殊部隊を速やかに増強する必
  要がある」と指摘。元米空軍情報将校のリック・フランコナ
  氏は「米軍の空爆誘導要員を前線に配置し、標的を『米軍の
  目』で選定、誘導して空爆の確度を高めるべきだ」と主張す
  る。               http://bit.ly/1ltxHsS
  ───────────────────────────

アリバイ作りの米露会談(G2o).jpg
アリバイ作りの米露会談(G2o)
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

●「大韓航空機撃墜事件の犯人は誰か」(EJ第4164号)

 「偽旗作戦」というものがあります。自国以外の国旗、つまり
偽の国旗を掲げて敵方を欺くという軍の構想に由来する作戦のこ
とです。これから、敵になりすまして行動し、その結果を敵にな
すりつける行為を意味するようになっています。米国が得意とす
る作戦であるといわれます。
 Aという国が、ある仕掛けを施して、ある航空会社の旅客機を
わざとA国の敵国であるS国の領空を侵犯させ、S国の防空戦闘
機に撃墜させたとします。いかに領空侵犯したとはいえ、無防備
の旅客機を戦闘機が撃墜するということはあってはならないこと
です。当然のことながら、旅客機を撃墜したS国は国際社会から
非難されることになります。
 仮にその作戦がS国を貶めるのが狙いであったなら、それはA
国によるS国への「偽旗作戦」です。この作戦は、何も知らずに
旅客機に搭乗している人間を危機にさらすことになるので、あっ
てはならないことですが、大韓航空機007便撃墜事件は、米国
によるソ連への偽旗作戦の構図とそっくりです。
 この場合、この作戦を仕掛けた側を単に「米国」ないし「CI
A」と称して書いてきましたが、実はこの表現は適切ではないの
です。それでは、時のレーガン政権なのかというとそうではない
のです。これについて、高橋五郎氏は次のように述べています。
─────────────────────────────
 では、そのようなことをしたのは誰なのか。ここまでのところ
私はまだ読者に真犯人≠示していない。犯人らしきものは、
多数登場している。しかし、おそらく多くの読者が想像している
ことだろうが、ソ連のKGBやアメリカのCIAなどが犯人では
ない。彼らは下手人であったかもしれないが、しよせんは現場担
当者でしかない。
 ならば、ワシントン政府や当時のソ連政府が犯人なのかといえ
ば、答えは「ノー」である。せっせとウソを塗り重ねる作業をし
たという点ではクロ″だし、269名の乗員乗客を犠牲にした
という責任はまぬがれないだろうが、立場としては、あくまでも
最前線の監督官≠ニいったところだろう。  ──高橋五郎著
          『早すぎた死亡宣告』/ジーオー企画出版
─────────────────────────────
 つまり、それは少なくとも国を超える存在なのです。高橋氏は
それを「国際金融ビジネスマンたち」と表現していますが、これ
ではイメージは湧かないと思います。高橋氏によると、国際金融
ビジネスマンとは、国際金融家、国際資本家など、要するに政治
も戦争も何も、すべて自分たちの金儲けの手段とみなす人びとで
少数のファミリーで結束を固めている集団といっています。これ
をユ−スタス・マリンズは「寡頭勢力」と呼んでいるそうです。
 ちなみに高橋五郎氏の著作は、このユ−スタス・マリンズの考
え方に沿って書かれています。高橋氏ご本人もそれを認めていま
す。ユースタス・マリンズ(1923〜2010)は米国の政治
評論家ですが、その著作は特異であり、陰謀論者と決めつける人
が多いのです。
 それでも最初のうちは、マリンズの著作を読んだうえでの批判
だったのですが、最近は「マリンズ」の名前だけで「陰謀論者」
のラヴェルを貼り、読まないで批判する人が多いのです。しかし
読まないで、どうして陰謀論とわかるのでしょうか。
 マリンズの代表的な著作である『世界権力構造の秘密/闇の犯
罪秘密結社の恐るべき野望』(日本文芸社)の序文の抜粋と主張
の一部を紹介します。謎の航空機事故に深く関係するからです。
─────────────────────────────
◎序文(抜粋)
 この本の中には、読者がどうしても認めたくないような事実が
たくさんある。わたしがお願いしたいのは、いっさいなにも認め
ないで、自分自身で調査をやってみることである。すると、わた
しが35年間におよぶ徹底的かつ綿密な調査でなんとか探りだし
てきたものより、さらに驚くべきほんとうの事実を発見するかも
しれない。   1984年11月1日/ユースタス・マリンズ
◎ロスチャイルドはその息のかかった財団や外交問題評議会(C
FR)、連邦準備制度理事会(FRB)をとおして合衆国を支配
しているが、ロスチャイルドの権力に対する重大な挑戦は受けて
いない。カネのかかる「政治キャンペーン」なるものが日常的に
行なわれ、そこに登場する“慎重に保護された候補者”は世界権
力の計画を実行することを誓約した者たちである。もしも計画か
ら逸脱するようなことがあれば、候補者は「事故」に遭遇したり
セックス・スキャンダルをデッチ上げられたり、金融不正事件で
起訴されたりするはめに陥る。(中略)アメリカの市民は一生懸
命働いて税金を払う。秘密の支配者たちがいつ何時でも、連邦準
備制度理事会を通じて工作し、市民を厄介な借金に陥れたり破産
させたりするような金融規則をつくれることを、“おめでたい”
市民は気づかない。          http://bit.ly/1I6Xj3n
─────────────────────────────
 このマリンズの呼ぶ「寡頭勢力」は、世界を支配する遠大な構
想を20世紀以前から立て、さまざまな実験を重ねながら、現在
に至っているのです。
 彼らはソビエト社会主義国家を誕生させたり、ヒットラーの台
頭を許したり、国連をつくったりしてきたのです。そして、19
83年の大韓航空機撃墜事件も2014年のマレーシア航空の2
つの事故も、その実験のひとつであるというのです。
 ここにきて、彼らの目指すものが少しずつわれわれの前に現れ
つつあります。とくに注目すべきは日本では2016年から運用
が始まる「マイナンバー制度」です。この制度は、多くの人がそ
れと意識しないまま、ある日突然現実のものになっています。こ
の制度は他の先進国では当たり前のように運用されており、日本
での運用はかなり遅れているといわれます。しかし、この制度が
マレーシア航空の2つの航空機事故と深い関係があるとされてい
るのです。      ──[航空機事故の謎を探る/039]

≪画像および関連情報≫
 ●ユースタス・マリンズをより深く理解するために/太田龍氏
  ───────────────────────────
   アメリカの生んだ思想界の巨人ユータス・マリンズの名前
  を最初に発見して紹介した日本人は私であろう。一九九二年
  のことである。それ以前にマリンズを知る日本人はただの一
  人も存在しない。マリンズだけではない。ジョン・コールマ
  ン博士、フリッツ・スプリング・マイヤー、デーヴィット・
  アイク、彼らの著作も一九九二年から一九九五年にかけて私
  が初めて発見して日本の読者に紹介した。
   マリンズの人間像を知るための必読文献は『キリストの中
  に生きる私の命』(一九六八年)であろう。これは90頁の小
  著であるが、私は一九九二年、三年、この本を熟読すること
  によってユータス・マリンズという人間を根底から理解する
  ことが出来た。
   一九二二年生まれのマリンズは当然のことながら、第二次
  世界大戦期、米軍に召集された。復員後、いくつかの大学で
  勉強したのちワシントンDCの米国国会図書館に職を得た。
  そうしているうちに、米国政府によって精神病院に監禁され
  ている詩人エズラ・パウンドの弟子となり、パウンドの指導
  下に名著『FBIの秘密』を出版する。もっとも、この本は
  「マリンズ著」とあるものの、実質的にはエズラ・パウンド
  の著作とされなければならない。しかし、政治的囚人の立場
  上、パウンドは名前を出すことが出来なかった。
                   http://bit.ly/1NJfcaC
  ───────────────────────────

ユースタス・マリンズとその著作.jpg
ユースタス・マリンズとその著作
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

●「リメンバー・アラモの真実を探る」(EJ第4165号)

 大韓航空機撃墜事件とマレーシア航空の2つの航空機事故がつ
ながっていることを示すために「偽旗作戦」の話をさらに続ける
ことにします。
 この話は、2002年1月30日付のEJ第790号で書いた
ことがあります。米国はよく「リメンバー○○○」という言葉を
使います。これは米国が何かことを起こすときにな使う言葉であ
り、すべて戦争に関係があります。
 日本に関係があるのは「リメンバー・パールハーバー」です。
2001年12月7日のハワイで、真珠湾攻撃記念式典において
時のブッシュ大統領は、タリバンに勝利したことについて述べ、
今後9月11日を「リメンバー9・11」と呼ぶことを宣言して
います。もともと真珠湾攻撃記念式典は、「リメンバー・パール
ハーバー」としてはじめられたものです。
 「アラモの砦」の話は、ジョン・ウェイン主演映画『アラモ』
であまりにも有名です。ここでも「リメンバー・アラモ」といわ
れています。正確にいうと、「リメンバー・バトル・オブ・ジ・
アラモ」ということになります。
 1836年3月6日、アラモの砦が落ちた日です。これは、多
くのアメリカ人の胸に誇りとして刻まれています。しかし、この
話にはウラがあるのです。
 当時、米国のテキサス州はメキシコ領だったのです。米国はこ
のテキサスを何とか自国領にしようと画策して大量の移民をテキ
サスに送り込んだのです。メキシコは1821年にスペインから
独立しているのですが、国力を高めるために積極的に移住者を受
け入れる政策を打ち出していたのです。
 米国はそれを利用して大量の移民と奴隷を送り込み、それら移
民による反政府運動を起させ、その騒ぎに乗じて武力介入し、植
民地にしようとしたわけです。しかし、メキシコ政府は米国のこ
の作戦を見抜き、反乱首謀者を国外に追放したのです。ときのメ
キシコの大統領ビセンテ・ゲレロは、1830年に米国人の移住
禁止と奴隷制の廃止を定めた法律を制定して米国に対抗します。
 1835年、テキサス在住の米国人が自治権を求めて独立運動
を起すのですが、これは米国の仕掛けた作戦だったのです。ゲレ
ロ大統領は、直ちにこの反乱を鎮圧するためにサンタ・アナ将軍
に3000人の兵を与え、テキサスの都市、サン・アントニオに
進軍します。
 これに対して独立を求める義勇軍200人はサン・アントニオ
のはずれにあるアラモ砦に立てこもり、3000人のメキシコ軍
を迎え撃つのです。これがアラモ砦の戦いです。この義勇軍の中
にいたのが、ウイリアム・バレット・トラビスやデビット・クロ
ケットです。
 しかし、3000人に対して200人では勝負にならず、義勇
軍は善戦したものの、全滅してしまいます。「最後の最後まで戦
い抜いた勇敢なテキサス義勇軍」として、米国では後の世にまで
語り草となっています。
 しかし、本当の話は違うのです。まず、テキサスに移住した米
国人のなかには、テキサス独立運動を起こすために訓練を受けた
工作員(兵士)が多く含まれていたのです。このことを察知した
からこそ、メキシコ軍は攻撃を仕掛けたのです。これはメキシコ
軍にとって当然の行為です。
 アラモ砦の200人がいかに勇猛果敢でも、3000人のメキ
シコ軍に攻められれば窮地に陥ってしまいます。追い詰められた
工作兵たちは米国政府に何度も援軍を要請したのですが、政府は
無視を決め込んで、彼らを見殺しにしたのです。
 そして、アラモの砦が全滅すると、米国政府は「アラモの砦の
勇士は残酷非道なメキシコ軍によって殺された」と喧伝したので
す。そして、「リメンバー・アラモ」のスローガンのもと、テキ
サスの独立を助けるという独立軍を募り、サム・ヒューストン将
軍の指揮のもと、メキシコに進軍し、たちまちのうちにメキシコ
軍を壊滅、テキサスを独立させたのです。
 これにより、テキサスは独立を勝ち取り、初代大統領としてサ
ム・ヒューストン将軍を選出し、テキサス共和国が誕生するので
すが、1845年に共和国からの申し出により米国テキサス州に
なっているのです。
 これで終りではなかったのです。米国は1846年にはささい
な理由をつけて再びメキシコに侵入し、カルフォルニア、ニュー
メキシコなど北米大陸南西部一帯をメキシコから奪取してしまい
ます。これで米国は現在の領土を確保することになったのです。
 これが米国のやり方なのです。これは「偽旗作戦」そのもので
す。アラモの砦は、わざと米国兵士を犠牲にして、「メキシコ憎
し」の国内世論を盛り上げ、メキシコと戦争し、自国の領土を拡
充したのです。
 米国は、このような一種の自作自演テロというべき事件を今ま
でにいくつもやってきているのです。スペインとの戦争に口実を
与えた1898年の「米艦メイン号の爆発沈没事件」、第1次世
界大戦に米国が参戦するきったけになった1915年の「英国客
船ルシタニア号沈没事件」、そして1964年のベトナム戦争参
戦の口実を作った「トンキン湾事件」──トンキン湾で北ベトナ
ムの哨戒艇が米駆逐艦へ魚雷を発射した事件などです。いずれも
米国が意図して仕掛けた「偽旗作戦」なのです。
 このことから、あの「9・11」ですら、米国の自作自演では
ないかといわれているのです。真珠湾攻撃を契機とする日米開戦
も、時のルーズベルト米大統領があえて日本軍に真珠湾を攻撃さ
せ、厭戦ムードに陥っていた国内世論を味方につけて、日本との
開戦に踏み切ったといわれています。まさに「偽旗作戦」のオン
パレードです。
 この視点から見たとき、マレーシア航空の2つの不可解な事故
の謎も解けるのではないかと考えられます。そのためには、ウク
ライナを巡る米ロの関係を読み解くことが不可欠になります。
           ──[航空機事故の謎を探る/040]

≪画像および関連情報≫
 ●侵略の世界史/この500年、白人は世界で何をしてきたか
  ───────────────────────────
   西部開拓がほぼ終了すると、アメリカは、アメリカ独立に
  刺激されて独立したばかりの近隣の中南米諸国に、度重なる
  介入、侵略を行ないはじめた。
   まず、1845年、アメリカ  はメキシコから独立した
  テキサスを併合した。その後メキシコと戦争を起こし、(米
  墨戦争、1846〜1848)、その勝利によってニューメ
  キシコ、アリゾナ、カリフォルニア州など、南部、西部の広
  大な領土を併合し、国旗の星の数を一挙に増やした。
   この戦争の開戦の契機が「アラモ砦の戦い」だった。しか
  し、この戦いは、アメリカが自国のアラモ砦を囮にして相手
  を挑発し、わざとメキシコ軍に先制攻撃をさせ、自軍に相当
  の被害を出させたうえで「リメンバー・アラモ砦」を合言葉
  に戦争を正当化し、国民を鼓舞して反撃に移るというもので
  これは、この先アメリカが侵略をするときの常套手段となる
  のである。
   次いで1898年、米国は、ハバナを表敬訪問中の米戦艦
  「メーン」を自ら爆沈させ、2060人の乗組員を犠牲にし
  これを敵がやったことにして「メーン号を忘れるな」を合言
  葉に国民を戦争に駆り立て、有無を言わさず、スペインに宣
  戦布告した。この米西戦争は、キューバの独立戦争を支援す
  る名目で始めながら、実質的にはキューバを保護領化してし
  まい、合わせてスペイン領のプエルトリコをも領有するもの
  だった。これによりアメリカは、中南米諸国に対する軍事的
  経済的支配を強化するための前進基地を獲得することが出来
  たのである。           http://bit.ly/1OlwKfE
  ───────────────────────────

映画『アラモ』の広告.jpg
映画『アラモ』の広告
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月26日

●「キューバ攻撃を計画していた米国」(EJ第4166号)

 2015年7月20日、米国とキューバ両政府は、相手国の首
都に再び大使館を設置し、1961年の断交から54年ぶりに国
交を回復しています。これはまさにビッグニュースです。
 キューバは米国の目と鼻の先にある国であり、米国にとっては
地政学上仲良くしなければならない国です。そのキューバに19
59年に突如フィデル・カストロによる革命政権が誕生し、米国
とキューバの関係は決定的に悪化します。
 1959年1月1日、時のケネディ政権は、キューバとの輸出
入を全面禁止し、キューバに対し経済封鎖を行うことを発表して
います。同年、キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミ
サイルの搬入が明らかになり、一気に米ソ核戦争の危機が大きく
なったのです。
 しかし、このキューバ危機は、ケネディ大統領のソ連に対して
強硬な姿勢をとったことが功を奏し、ソ連は一歩引いてキューバ
危機は何とか回避することができたのです。これにより、米国と
キューバの関係はさらに悪化して、米国にとってキューバは目の
前のタンコブ的存在になったといえます。
 このとき、米国のCIAは、キューバのカストロ政権の打倒を
目指す「キューバ計画」を策定しています。この計画は「オペレ
ーション・ノースウッズ」と呼ばれています。実はこの計画は実
施されなかったのですが、今回のマレーシア航空の2つの事故に
使われた疑いがあるのです。
 これについては改めて詳しく述べますが、米国はかつてキュー
バがスペインの植民地であったとき、キューバの独立に協力して
います。それが「リメンバー・メイン」です。米国としてはつね
にキューバとは友好関係を保とうと努力していたのです。昨日の
EJからの続きで、この「リメンバー・メイン」について説明を
しておきます。
 これはキューバの独立運動にかかわりをもっています。189
5年当時、米国はメキシコと同じ手口を使ってキューバの独立を
支援しようとします。まず、キューバに多くの移民を送り込み、
多額の米国資本を投入したのです。そして、米国はキューバで高
度な印刷技術・製紙技術を駆使して新聞社を作り、連日のように
スペインがいかにキューバに対して過酷な弾圧を行っているか、
あることないことを書き立てたといいます。つまり、完全なるマ
スコミ操作をしたわけです。
 1897年2月、キューバのハバナで暴動が起こります。米国
は直ちに米国民を保護するという名目で戦艦メイン号をハバナ湾
に派遣します。ところが、1898年2月にハバナ湾に停泊して
いた戦艦メインが突然大爆発を起して沈没してしまい、米国兵士
260人が死亡するという事故が起こるのです。
 この爆発は、米国自体が仕掛けたものだったといわれますが、
米国はこれをスペインのしわざであると宣伝し、新聞も一斉にそ
の論調で書き立てたのです。米国得意の「偽旗作戦」であり、マ
スコミによる「紙爆弾」の拡散です。そのため、米国民の間では
「リメンバー・メイン」というスローガンが広がり、国内は反ス
ペイン一色になります。
 その結果、議会は、時の米国大統領ウイリアム・マッキンレー
に対して、軍事行動を起す権限を与え、1898年4月、アメリ
カ・スペイン戦争(米西戦争)が勃発するのです。この戦争は米
国が勝利し、キューバは米国の軍政期間を経て、1902年5月
20日に400年におよぶスペイン支配から解放され、待望の独
立を勝ち取ったのです。
 しかし、米国にとって最悪の事態はキューバにフィデル・カス
トロによる革命政権が誕生したことです。そのカストロは、19
63年には、はじめてモスクワを訪問し、フルシチョフ書記長と
会談しています。そして、1965年には、キューバ共産党が結
成されたのです。
 こういう状況であるので、米ソ双方は、キューバを巡ってお互
いを牽制し合ったのです。キューバ危機では、米国はソ連に対し
次のように警告しています。
─────────────────────────────
 海上封鎖を突破すれば、ソ連を攻撃する。そして、もしキュー
バから西側諸国に核ミサイル攻撃があれば、ソ連からの攻撃とみ
なし、全面的に報復攻撃を行う。 ・・・・・ 米国からソ連へ
─────────────────────────────
 これに対し、ソ連のフルシチョフ政権は、次の回答を行い、米
国はこれを受け入れ、キューバ危機はギリギリのところで回避さ
れたのです。
─────────────────────────────
 アメリカがキューバを攻撃しないと約束するなら、キューバか
らミサイルを撤退する。 ・・・・・・・・・ ソ連から米国へ
─────────────────────────────
 このようなわけで、1961年以降、米国とキューバとの国交
は断絶され、米国からキューバに行くには、特別な許可が必要に
なったのです。単なる観光での渡航もNGで、もし非合法にキュ
ーバに渡ると、見つかった場合は、罰金25万ドルと10年の懲
役刑が科せられるという厳しさです。
 しかし、1991年のソ連崩壊によって、キューバは経済的に
苦境に陥ります。そういうこともあって、民主党のクリントン政
権時にはキューバに対して「ピープル・ツウ・ピープル」という
プログラムが作られたのです。
 このプログラムは、キューバ市民が、実際にアメリカ市民と交
流することによって、外の世界の実状を知り、現カストロ共産党
政権からの解放と民主化に向けての一歩を踏み出してもらうとい
うものです。しかし、このプログラムは、共和党のブッシュ政権
になると廃止され、現オバマ政権になってまた復活しています。
 その米国とキューバの国交正常化が実ったのですから、これは
オバマ政権の大きな外交的成果であるといえます。
           ──[航空機事故の謎を探る/041]

≪画像および関連情報≫
 ●米・キューバ国交正常化は何をもたらすか
  ───────────────────────────
   冷戦期のキューバは日本と奇妙な相似形を描いていたので
  はないか。1993年の秋に取材でキューバの首都ハバナを
  訪れ、そんな印象を受けた記憶がある。
   カリブ海の島国であるキューバは、地図で見るとちょうど
  米国の喉もとに突きつけられた匕首のようだ。59年にキュ
  ーバ革命が起き、61年に米国との国交を断絶。62年10
  月にはキューバ危機で米ソの緊張が核戦争寸前まで高まる局
  面もあった。
   そうした地政学上の位置の故に、東西冷戦期のソ連は、こ
  の島国に石油を安価で輸出し、キューバの特産品である砂糖
  を高く購入した。ソ連によるこの破格の厚遇があったからこ
  そ、キューバは社会福祉や医療保健基盤を充実させ、高い教
  育水準を維持することができた。いわば米国の裏庭で東側の
  ショーケースともいうべき優等国として存在することが許さ
  れていたのだ。
   一方で、同じように資源の乏しい島国である日本はどうか
  というと、ユーラシア大陸の東の縁で、米国から経済上の厚
  遇を受け、戦後の復興と高度経済成長を実現することができ
  た。ソ連極東の足下で西側の繁栄を体現する優等国になった
  という点で、条件はキューバと裏表の関係にあったのではな
  いか。              http://bit.ly/1P0jHmZ
  ───────────────────────────

フィデル・カストロ元議長.jpg
フィデル・カストロ元議長
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月27日

●「キューバ計画/ノースウッズ作戦」(EJ第4167号)

 ジョン・F・ケネディが大統領に就任したのは1961年1月
のことです。そのとき米国は内憂外患いろいろな問題を抱えてい
たのです。とくに米ソ冷戦が最も厳しい局面だったといえます。
一方には泥沼化したベトナム戦争への対応があり、目先の問題と
してはキューバ問題があったのです。いずれも米ソの対決です。
 そのときのキューバ対策としては、CIAが反カストロの亡命
キューバ人を訓練して武装化し、キューバに侵入させ、暴動を起
こさせるという、アラモの砦の時代にメキシコに対してとった作
戦をキューバでもやろうとし、失敗を重ねていたのです。
 なにしろ目と鼻の先のキューバには、フィデル・カストロ議長
率いるキューバの革命政権があり、ソ連のフルシチョフ書記長と
緊密な連絡をとっているのです。このままでは、危ないと考えて
CIAは、キューバのカストロ政権の打倒を考えたのです。作戦
名は次の通りです。
─────────────────────────────
        オペレーション・ノースウッズ
─────────────────────────────
 このノースウッズ作戦は民間旅客機を使うものであり、敵国が
これを理由もなく撃墜したという事件をでっちあげるというもの
だったのです。大韓航空機007便やマレーシア航空の撃墜事件
にとてもよく似ています。
 この作戦の概要は、ウィキペディアなどにも出ていますが、ベ
ンジャミン・フルフォード氏の著作がより具体的であるので、以
下に引用します。
─────────────────────────────
 まず、「休暇旅行の大学生団体か、同じ趣味の人々の適当な団
体」が、中南米の旅行のために旅客機をチャーターする。航路は
キューバ領空を通過する。
 実はそのチャーター機はCIAが用意した「偽物機」で、本物
と同じ型、同じ塗装で、同じ機体番号を施されている。乗客とな
る団体になりすましているのはアメリカ軍兵士だ。
 そして「本物」の機体は、別ルートから無人のまま飛び立ち、
途中、偽物と「合流」する。偽物は最低高度で離脱、アメリカ軍
基地に帰投、無人の「本物機」は、そのまま予定ルートを飛行、
キューバ上空に向かう。
 そこでアメリカ軍は、軍用機をわざとキューバ領域に飛ばし、
キューバの戦闘機にスクランブルをかけさせる。この行為自体は
なんら違法性はない。事前申請のない未確認飛行機がアメリカ方
面からキューバ領空に近づいてくれば、当然の防衛行動だからで
ある。ところが、それを見計らって本物の「無人機」が国際救難
信号を世界中に打電する。
 「キューバのミグ戦闘機にロックオンされた、助けてくれ!」
 その信号が合図となり、積み込まれていた爆弾が爆発、機体は
木っ端微塵となる。救難信号が途絶すれば、誰だってキューバの
ミグ戦闘機が攻撃したと考える。いくらキューバ側が「攻撃はし
ていない」と反論したところでどうしようもあるまい。
   ──ベンジャミン・フルフォード著/KKベストセラーズ
      『崩壊するアメリカ巻き込まれる日本/2016年
                    新世界体制の成立』
─────────────────────────────
 作戦内容は、大韓航空機007便やマレーシア航空の撃墜事件
に酷似しています。実はこの作戦は実行されていないのです。ケ
ネディ大統領が却下したからです。これに対して軍部としては大
いに不満だったといわれます。
 このノースウッズ作戦は、ケネディ大統領暗殺事件の記録調書
のなかにあった本物の作戦であり、ケネディ大統領がこの作戦に
異を唱えたことが暗殺の原因だったかもしれないということで、
調書のなかにあったのです。
 このノースウッズ作戦は、秘密指定が解除された1997年に
はじめて出てきたのです。当時米国人は度重なる戦争にうんざり
しており、極めて厭戦ムードが強かったといいます。しかし、旅
客機をキューバ軍が一方的に撃墜したりすれば、正義感が強く、
人権問題にうるさい米国では、一気に「カストロ政権を打倒せよ
!」というムードが盛り上がることは間違いなかったのです。
 この作戦案は、CIAが立案して、ライマン・レムニッツァー
統合参謀本部議長からマクナマラ国防長官に上げられたのですが
ケネディ大統領はこの作戦の実施を拒否したのです。彼の性格上
そういう作戦を実行することは嫌だったのでしょう。しかし、そ
れでも再三実施を主張するレムニッツァー統合参謀本部議長を解
任してまで実施しないという意思を明確に軍部に伝えたのです。
 この作戦で注目されることは、無線で誘導する無人機を使うこ
とを前提にしていることです。果たしてそれは可能なことだった
のでしょうか。もっともその当時はボーイングのような大型機で
はなかったので可能であったことが考えられます。
 航空評論家の杉江弘氏は、航空機の遠隔操作について次のよう
に述べています。
─────────────────────────────
 現在の技術では、軍用機については遠隔操作ができるものの、
民間旅客機については、それは科学的にも(システム上も)不可
能であることは論をまたない。         ──杉江弘著
      『マレーシア航空機はなぜ消えた』より/講談社刊
─────────────────────────────
 しかし、現在では、旅客機に搭載されているフライト制御コン
ピュータに外部からアクセスすることは可能になっており、既に
ボーイング社の747、757、767の操縦を簡単に乗っ取る
ことができるとされています。まして新鋭機であるボーイング7
77─200ERは、ハイジャックされた航空機を強制的に誘導
するシステムが搭載されていると考えられます。しかし、これは
機密に属するため、そのことが一般に公開されていないのです。
           ──[航空機事故の謎を探る/042]

≪画像および関連情報≫
 ●陰謀の国アメリカの歴史/911の嘘をくずせ!
  ───────────────────────────
   統合参謀本部議長ライマンはマクナマラ国防長官に「ノー
  スウッド作戦」を提案した。これはキューバに「軍事介入す
  る口実」を作るためにグアンタラ湾で「テロ攻撃」を「でっ
  ち上げる」というものだった。
   まずキューバが地下放送局を使っているという「噂」を流
  す。「親米派のキューバ人を米軍基地内に取り込んで」テロ
  攻撃を偽装する。基地の正門前で「暴動」を起こす。基地内
  の武器を「爆破」し、「火事」を起こす。基地の戦闘機や艦
  船の「活動を妨害」する。基地を「迫撃砲で、爆撃」する。
  米軍の「船を、沈没させ」「偽の、葬式」をするマイアミと
  ワシントンDCで「テロ作戦行動を 自作自演する」
  仕上げとして、キューバの領海内で「遠隔操作の飛行機を撃
  墜する」。
   乗客は 実際には政府機関の工作員だが、休暇中の 大学生
  ということにする。エブリン空軍「CIAが所有する飛行機
  を民間機とそっくりに塗装して、本物と すり変える」。
   本物の方は「遠隔操作できる飛行機に改造」するフロリダ
  南部に「本物と偽物」の「民間機を、準備」する「偽」の民
  間機はエブリン空軍基地に乗客たちを、降ろし、機体を元に
  戻す改造された本物の飛行機は無人でフライトスケジュール
  どおりに飛び、キューバ領海上で、緊急事態発生の信号」を
  出し遠隔操作で爆破する。     http://bit.ly/1X7ABo7
  ───────────────────────────

ノースウッズ作戦を拒否したケネディ大統領.jpg
ノースウッズ作戦を拒否したケネディ大統領
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月30日

●「MH17便を撃墜したのはだれか」(EJ第4168号)

 ここで話をもう一台のマレーシア航空機──何者かに撃墜され
たMH17便に戻すことにします。MH17便撃墜事件の事実を
再現します。
─────────────────────────────
 2014年7月17日、オランダ・スキポール空港からマレー
シア・クアラルンプール国際空港に向かっていたMH17便が巡
航飛行中の17時15分頃(現地時間)、何者かによってミサイ
ルで撃墜されたのです。墜落場所は、ウクライナ・ドネツィク州
グラボヴォ村です。グラボヴォ村は、ロシアとの国境からおよそ
40キロ離れたところにあります。
 MH17便の機種は、ボーイング777─200ER、なんと
MH370便と同一機種です。つまり、約4ヶ月の間に同じ航空
会社の同型機が相次いで事故を起こしたことになります。こんな
ことは普通では起こり得ないことです。
 撃墜されたMH17便には、乗客283人、乗員15人、合計
298人が乗っており、全員死亡。撃墜による航空事故では史上
最悪の死者数といわれています。
     ──2015年11月2日付/EJ第4150号より
─────────────────────────────
 この事件に関してウクライナ政府は、MH17便はロシア軍に
撃墜されたと主張し、その証拠として「軍用機と旅客機を間違え
て撃墜してしまった」という音声記録を入手していることを明ら
かにしています。
 一方、ロシアは「旅客機はウクライナ軍が撃墜した」と主張し
内戦中の2つの対立勢力がお互いに相手のせいであるといいあっ
ていますが、本当の犯人は別にいるのではないかという説も囁か
れています。
 撃墜されたMH17便が撃墜されたとき、高度1万メートルの
上空を飛行していたのです。まず、この飛行機をどのようにして
撃墜できるのかについて考えてみます。
 高度1万メートルを飛行する旅客機を地上から撃墜するには、
比較的規模の小さい地対空ミサイル防空システムで可能です。こ
のシステムは目標がどのあたりにいるのかを探す捜索レーダー、
より精密に照準をつける射撃統制レーダー、発射などのコントロ
ールを行う指揮所、そして実際にミサイルを発射するランチャー
が必要です。これに該当するのが旧ソ連製の「ブーク防空システ
ム」です。
 軍事アナリストの小泉悠氏は、このブーク防空システムについ
て、次のように述べています。
─────────────────────────────
 ブーク防空システムは、高速で進撃する戦車部隊が敵の空襲を
受けないよう上空を防護することを任務として開発されたため、
ミサイル、レーダー、指揮所などはすべて移動可能なプラット・
ォーム(キャタピラ式のシャーシやトラックなど)に搭載され、
進撃する部隊に合わせて移動することが可能だ。
 性能については、バージョンやターゲットによって違いがある
ものの、ソ連軍で標準的に使用されていた「ブークM1」シリー
ズならば概ね30〜35キロメートルの射程があり、高度2万〜
2万5000メートルまでのターゲットを攻撃できる。
                   http://bit.ly/1n19Fmy
─────────────────────────────
 確かに、これほどの性能のあるブーク防空システムであれば、
高度1万メートルの上空を飛行していたMH17便を撃墜するこ
とは十分可能ということになります。
 もちろん見えない敵機に対して、電波だけを頼りに攻撃をする
のですから、間違って民間機を撃墜してしまうことは、これまで
にもあったのです。
 1988年7月3日にホルムズ海峡に停泊していた米海軍のミ
サイル巡洋艦「ヴィンセンス」が、地対空ミサイルによって、バ
ンダレ・アッバース発ドバイ行きのイラン航空のエアバスA30
0B2を撃墜した事件があります。これによって乗客乗員290
人が全員死亡しています。事件後、米国側は遺族に賠償金を支払
い、謝罪しています。
 さらに2001年10月、演習中のウクライナ防空軍が発射し
た地対空ミサイルが、誤ってロシアのシベリア航空1812便を
撃墜し、乗客乗員78人が犠牲になっています。しかし、ウクラ
イナ側は関与を否定していますが、このように地対空ミサイルに
よる事故は多いのです。
 2014年10月13日、MH17便撃墜の原因の調査を主導
するオランダ安全委員会は、最終報告書を発表し、MH17便は
ウクライナ東部から発射されたロシア製ミサイルに撃墜されたと
結論づけています。これについて、2014年10月14日付/
朝日新聞は次のように報道しています。
─────────────────────────────
 ロイター通信によると、2014年6月までウクライナの調査
責任者を務めた治安当局関係者は、「マレーシア機を撃墜したミ
サイルシステムは、高度な技術力のある要員とともに、ロシアか
ら送られたと確信している」と語った。
 ウクライナ東部では、政府と親ロシア派が2014年2月、ウ
クライナとロシアにドイツ、フランスを交えた4首脳会議を経て
停戦に合意。しかし、戦闘は続き、9月にやっと小康状態になっ
た。(中略)今後の捜査で撃墜事件へのロシアの関与に踏み込め
ば、停戦合意の履行に影響が出ることも考えられる。
     ──ブリュッセル=吉田美智子、モスクワ=駒木明義
─────────────────────────────
 調査委員会は、ミサイルを発射した主体には言及していないも
のの、暗にロシア側の関与を強く示唆しています。しかし、世界
中で何が起きているかを素早く、正しく探知する能力を持つ米国
がこの件につき黙っているのは奇異な感じがします。
           ──[航空機事故の謎を探る/043]

≪画像および関連情報≫
 ●プーチン大統領機を狙ったのではないか?
  ───────────────────────────
   東ウクライナで自ら独立を宣言しているルガンスク人民共
  和国報道部は「マレーシア航空機ボーイング777を撃墜し
  たのは、ウクライナ空軍の攻撃機スホーイ25型機である」
  と伝えた。
   ルガンスク人民共和国報道部は又次のように発表した―─
  「旅客機ボーイング777の飛行を見守っていた現地の人達
  は、同機をウクライナ空軍機が攻撃する様を目撃した。攻撃
  を受けた後、同機は空中で真っ二つになり、ドネツク人民共
  和国領内に落下した。攻撃後、ウクライナ空軍機は撃墜され
  こちらはルガンスク人民共和国領内のクラスヌィ・ルーチ地
  区に落下した。現在「撃墜された旅客機」の捜索活動が続け
  られている」。
   ロシア・イタルタス通信は消息筋の話として、17日に撃
  墜されたマレーシア航空MH17便がロシアのプーチン大統
  領専用機とほとんど同様の航空路を飛行したと伝えた。ロシ
  ア・トゥデイが報じた。同氏は「プーチン大統領の専用機が
  マレーシア航空のボーイング777型旅客機とほとんど同じ
  航空路を飛行した。マレーシア航空機はモスクワ現地時間午
  後3時44分に、プーチン大統領専用機は午後4時21分に
  そこを通った」と語り、「2機の外観、カラーなどがほとん
  ど同じで、2機の区分けをするのは難しい」と付け加えた。
                   http://bit.ly/1NTSCMk
  ───────────────────────────

ブーク防衛システム.jpg
ブーク防衛システム
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機事故の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする