2015年02月05日

●「量的金融緩和とジョン・ローの話」(EJ第3968号)

 今日のEJは少し怖い話をします。前にもご紹介したことのあ
る野口悠紀雄一橋大学名誉教授の新刊書に出ている話ですが、内
容をやさしく要約してお伝えしようと思います。この回のテーマ
で私が読んだ本のなかで、一番参考になっている本です。ご一読
をお勧めします。
―――――――――――――――――――――――――――――
        野口悠紀元雄著/日本経済新聞出版社
   『金融政策の死/金利で見る世界と日本の経済』
―――――――――――――――――――――――――――――
 フランス革命前のフランス──ルイ15世の時代の話です。ル
イ14世の治世は、乱費の限りを尽くし、フランスの国家財政は
ほとんど破産状態にあったのです。
 1715年にルイ14世が死去したとき、フランスの国庫債務
残高は30億リーブルだったといいます。それに対して、そのと
きの財政収入は1・45億リーブルしかなかったといわれます。
つまり、当時のフランスは、財政収入の20年分を超える莫大な
債務を抱えていたのです。
 20年分の債務というと莫大ですが、日本でも2012年度末
の公債残高は780兆円で、税収の16年分に相当します。日本
は当時のフランスを笑えないのです。
 そこにあらわれたのがジョン・ローという人物なのです。彼は
スコットランド人ですが、ルイ15世の摂政であったオルレアン
公爵に取り入って、財務総監の地位に出世するのです。
 ジョン・ローは、フランス政府の財政赤字を解決する方法があ
るとして、オルレアン公爵を説得したのです。そして、その仕掛
けとして次の2つのことをやったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1.銀行を設立し銀行券を発行する
      2.ミシシッピ株式会社を設立する
―――――――――――――――――――――――――――――
 「1」は、銀行の設立と銀行券の発行です。1716年にこの
銀行は設立されています。発行された銀行券は、法貨としての地
位が与えられたので、この銀行は、現代の中央銀行と同じ権限を
与えられていたことになります。
 「2」は、1717年のミシシッピ株式会社の設立です。当時
フランスの植民地であった米国のミシシッピ川流域の開発を行う
という触れ込みの会社設立です。しかし、ジョン・ローは本気で
事業をやる気などなかったのです。しかし、本気度を見せるため
オルレアン公爵の名を冠した町を作っています。それが、現在の
ニューオルリーンズなのです。
 さて、これで2つの仕掛けができたのです。ジョン・ローは国
債をミシシッピ株式会社の株式に転換できるようにしたのです。
これがローのやった一番重要なことであるといえます。
 当時のフランスの国債は、すでに信用を失っており、その市場
価格は額面価格を大きく下回っていたのです。それでも政府は国
債を発行せざるを得なかったのです。一方、ミシシッピ株式会社
は、ローの巧みな宣伝により、巨額の利益を生む事業であると期
待されていたのです。
 こういう状況においてローは、国債の額面価値でミシシッピ株
式会社の株式を購入できるようにしたのです。これによって人々
が争って国債を株式に交換したことはいうまでもありません。何
しろミシシッピ株式会社の資本金は1億ルーブルで、これは当時
フランスの国家予算と同規模だったのです。
 ここで重要なポイントは、国債は政府の借金であり、返却義務
がありますが、株式には返却義務がないことです。国民が国債と
株式を交換すればするほど、フランスの王室は、巨額の債務から
解放されることになっていったのです。
 これによってミシシッピ株式会社にはザクザクとお金が入って
きたのです。株価はどんどん上昇を続けたのです。当然配当は支
払わなければなりませんが、ジョン・ローの銀行は大量の紙幣を
刷って配当の支払いに充てたのです。
 さらにローは、ミシシッピ株式会社として王室に12億リーブ
ルを貸し付けています。これは、当時のフランスの国家予算とほ
ぼ同規模なのです。これは驚くべき額であり、当時のフランスの
人々の目にはその額はおそらく「異次元」と映ったに違いないと
いえます。
 野口悠紀元雄教授は、ここまでのジョン・ローのやったことを
次のようにまとめています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ミシシッピ会社の株式の価値を支えていたのは、その事業に対
する人々の期待と、紙幣に対する信頼である。形のあるものとし
て現実に配当として支払われていたのは紙幣だから、結局のとこ
ろ、ミシシッピ会社の株式の価値は紙幣によって支えられていた
と言える。したがって、国債という形の国の債務が、紙幣という
形の債務に置き換えられたことになるわけだ。つまり、これは、
「国債の貨幣化」である。紙幣を増発することによって、国債を
償還したのだ。       ──野口悠紀元雄著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、こんなことが成功するはずがないのです。ミシシッピ
株式会社は投機の対象となり、バブルが生じ、フランスはまさに
熱狂状態になったのです。
 1720年になると、さすがのフランス国民もこれは少しおか
しいぞと思うようになったのです。そして紙幣の正貨への返還要
求が起きるようになります。不安が増幅し、貴金属などの価値の
あるものの、国外への流出が起きたのです。
 ローのシステムに対する信頼は急落し、銀行は破綻し、ミシシ
ッピ株式会社の株は暴落したのです。既に市中には大量の紙幣が
残っていたので、インフレが発生したのです。金融緩和の行きつ
く先は、これとたいして変わらない──野口教授はこのように警
告しているのです。   ─── [検証!アベノミクス/50]

≪画像および関連情報≫
 ●「ミシシッピ株式会社とは何か」
  ―――――――――――――――――――――――――――
  フランスで立てられたこの計画は、開発バブルを引き起こし
  会社の業績が極端に悪いのに発行価格の40倍にまで株価が
  暴騰する事態を招いた。チューリップ・バブル(オランダ)
  や南海泡沫事件(イギリス)とともに、3大バブル経済の例
  えとして知られる。ミシシッピ会社の発行済株式の量は17
  20年には50万株程度だった。すなわち株価が1万リーブ
  ルだった時の会社の時価評価額は50億リーブルとなる。株
  価が500リーブルまで崩壊した1721年9月時点では、
  時価評価額は2億5千万リーブルにまで下がった。ちなみに
  当時のフランス政府の歳出規模は1億5千万リーブルで、政
  府の負債額は16億リーブル(1719年)であった。政府
  とジョン・ローは16億リーブルの政府負債の全てを会社の
  株式で買い上げることにした。この計画は成功した。政府の
  負債の債権者達は、債権や手形でこの株を購入し、1720
  年には政府の全負債はこの会社に移った。これによって、元
  の政府に対する債権者が今度はこの会社の所有者(株主)と
  なったが、会社経営は、政府によってコントロールされてい
  た。政府は毎年3%にあたる4千8百万リーブルの利息を支
  払った。これによって、政府は歳入の10倍(GDPの約2
  〜4倍)もの多額の債務の返済を一時的に免れ、債務免除さ
  れたような状況になった。この成功によって株価は高騰した
  が、その後1720年から1721年にかけて、この会社の
  市場からの資本調達が破綻した。  http://bit.ly/1CTKlGm
  ―――――――――――――――――――――――――――

ジョン・ロー.jpg
ジョン・ロー
posted by 平野 浩 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アベノミクス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする