います。そのうちの「5原則」を以下に示します。
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【原則1】:官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政
治家主導の政治へ
【原則2】:政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の
下の政策決定に一元化へ
【原則3】:各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ
【原則4】:タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆の社会へ
【原則5】:中央集権から、地域主権へ
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この5原則を見ると、その基本的部分は小沢一郎氏が自著『日
本改造計画』(講談社刊)で主張していることを実現するプラン
になっています。といっても、小沢元代表の時代に作ったもので
あるから、自分たちはあずかりしらないといっている反小沢系の
民主党議員がいるようですが、とんでもない話です。
マニュフェストは、当時の民主党の正規の意思決定機関を経て
決定されたものであり、すべての民主党議員のマニュフェストで
あることは当然のことです。それを鳩山、菅両政権において、ロ
クに努力せず、実現不能のこととしてマニュフェストを葬り去ろ
うとしていることは国民に対する裏切りです。
この鳩山政権時のマニュフェストの骨格部分が小沢一郎氏がか
ねてから主張している理念と同じであるかどうかを以下に実証し
ていきます。「5策」のうち「第1策」を以下に示します。
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第1策 政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務三役)、大
臣補佐官などの国会議員約100人を配置し、政務三役を中心
に政治主導で政策を立案、調整、決定する。
──鳩山政権構想マニュフェスト「5策」より
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この「第1策」は、ほぼそのまま『日本改造計画』で述べられ
ています。なお、現在の副大臣、政務官などの役職についても、
小沢氏が自民党の小渕政権との連立(自自連立)のさい、提案し
決められたものです。小沢氏は、英国の議会を例に引きながら、
日本の議会のあり方を次のように説いています。
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日本ではどういう形にするか。
省庁ごとに2〜3人の政務次官と4〜6人の政務審議官ポスト
をつくり、与党議員を割り振るのがよい。その結果、閣僚を含
めて与党議員のうち150〜160人程度が政府に入る。政府
ポストを与えられた与党議員は、各省庁の局ごとの分担なり、
テーマごとの分担なりを決めて政策を勉強し、政策立案に参画
する。省庁の政策方針を決定するときでも、政治家チームが、
官僚の助言と協力を得ながら、最終的な責任を持つという形で
リードする。これが本当の意味で「民」主体の政策決定であり
民主主義の根幹をなすものだ。 ──小沢一郎著
『日本改造計画』/講談社
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小沢氏は1993年にこの提案をしており、それが民主党のマ
ニュフェストのベースになっていることは明らかです。しかし、
当の民主党の議員──反小沢系だけでなく、小沢系の議員を含め
て、どれほどの議員がこの本を読んでいるのでしょうか。
政治について発言する機会の多い政治評論家やコメンテーター
それに政治学者や改革派官僚と呼ばれる人たちの小沢氏に関する
コメントを聞いたり見たりすると、どうやら彼らもこの本を読ま
ずに発言しているとしか思われない人も多いのです。
つまり、小沢一郎像を完全に取り違えているのです。かつて田
中角栄や金丸信が、数を頼んで政治の主導権を取り、不正な金を
動かし、陰で政権を操ったようにきっと小沢もやっている──こ
う信じて疑わないようです。彼らは、それまで小沢氏の著作や政
治的実績を十分に調べもせず、風評によって小沢氏を貶めている
のです。しかし、メディアの中枢は小沢氏の力をよく知っていて
その政治力を潰そうとしていることは確かです。
さて、マニュフェストの「第1策」についてですが、十分なか
たちで実現されているかといえば、それは「ノー」です。なぜ、
実現されないのでしょうか。それは、民主党議員の力不足、経験
不足といわざるを得ないのです。
しかし、今までに一度も政権与党についたこともなく、政治的
経験も少ないのですから、うまくいかないのは当然のことです。
何しろ相手は明治維新以来続いている官僚機構なのです。これを
崩すには相当強い政治的リーダーが必要なのです。民主党はその
リーダーをあろうことか、座敷牢に入れているのです。これは政
治的謀略としか、いいようもないことです。
それではどうすればよかったのでしょうか。
鳩山内閣は「5原則」の2で、「政府と与党の一体化」を掲げ
ています。しかし、これが十分にできていないのです。既に述べ
たことですが、小沢氏は次のようにいっているのです。
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与党の重要ポストを内閣に取り込むことだが、日本では法案に
ついて内閣が責任を十分負えるよう、与党側の議会運営の最高
責任者、たとえば幹事長を閣僚にする。それによって、内閣と
与党が頂点で一つになり、責任を持って政治を運営できる。
──小沢一郎著の前掲書より
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幹事長を閣僚にする──このように小沢氏はいうのです。もし
鳩山政権が小沢幹事長を閣僚にしていたら、きっとまだ鳩山政権
は続いていたと思われます。しかし、当時の鳩山氏には小沢氏に
権力が集中することを恐れて、幹事長にするのでさえ、迷うテイ
タラクだったのです。 ─── [日本の政治の現況/68]
≪画像および関連情報≫
●小沢氏が幹事長が引き受けたいきさつ/平野貞夫氏
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2009年8月30日に歴史的な選挙結果が出たとき、鳩山
氏の腹の中は、小沢氏に幹事長をお願いすることで固まって
いた。ところが党内では、小沢氏の幹事長就任は好ましくな
いので、岡田幹事長を留任させるべきだという動きが起こっ
た。鳩山氏は、すでに9月1日には小沢氏に会いたいとの意
向を示していたが、その意向が意図的に小沢氏側に伝えられ
ず、9月3日午後になつて鳩山氏自らがプレスに対して「今
日小沢さんと会う」と伝え、ようやく会談が実現した。鳩山
氏は岡田幹事長案に賛成しなかったので、鳩山氏の周辺は、
「政権運営、政策協議に関わらない」という条件で小沢氏の
幹事長就任を受け入れた。鳩山氏は、小沢氏に「選挙と国会
運営をお願いします」という形で幹事長就任を要請した。小
沢氏はこれを受け入れた。 これが事実経過だが、果たして
このような考えで行う議院内閣制度というものがあるのだろ
うか。しかも、当初国会道営までも政府側でやるとの意見が
あったらしい。三権分立についての理解が欠如していると言
わざるを得ない。 ──平野貞夫著
『日本一新/私たちの国が危ない!』/鹿砦社刊
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民主党マニュフェスト