官から、7月15日付で退職を勧奨されています。公務員は解雇
できないので、あくまで本人の意思を尊重するかたちをとってい
ますが、明らかにクビの宣告です。
この時期に退職勧奨が出たのは、バックに仙谷官房副長官がい
るからです。現在、官邸は震災対応のために霞ヶ関の人事を凍結
していますが、そのなかで古賀氏だけがピンポイントでクビを宣
告されるのは仙谷官房副長官の意向が働いているためです。自分
が官邸に睨みがきくうちに古賀氏を切ってみせしめにしたいと考
えているものと思われます。
このような経緯から見て、仙谷副長官は古賀氏の行動に相当激
しい怒りを覚えているようですが、かつて仙谷氏は古賀氏を非常
に買っていた時期があるのです。
2009年9月16日、民主党政権が誕生すると、鳩山首相は
直ちに公務員制度改革に取り組む姿勢を見せたのです。仙谷由人
氏は行政刷新担当大臣に就任したのですが、実は組閣前に古賀氏
は、仙谷氏から都内のホテルに3回ほど呼び出されています。
そこで仙谷氏のブレーンとみられる民間の人たちと一緒に、公
務員制度改革、規制改革、独立行政法人改革などが話し合われ、
古賀氏は「いよいよ改革がはじまるぞ!」と胸が高鳴ったのを覚
えていると述懐しています。
その席で古賀氏は仙谷氏から行政刷新会議と事務局のメンバー
の候補者リストを作ってくれといわれて届けています。そして古
賀氏は公務員改革事務局に入っているのです。
しかし、2009年12月になって、古賀氏を含む公務員改革
事務局の幹部全員が更迭され、古賀氏は経産省に戻されているの
です。古賀氏の本によると、仙谷氏はそのさい古賀氏を補佐官と
して残し、改革推進をしようとしたのですが、財務省を筆頭に各
省庁は古賀氏の起用に猛反対し、遂に仙谷氏は断念したという事
情があったようです。
実はこれと似た話が一年以上前にもあったのです。2008年
6月8日──国家公務員制度改革基本法が衆議院内閣委員会で可
決された日です。このとき、インタビューで、担当の渡辺喜美大
臣は涙をこぼしていたことを覚えています。この涙はその法律の
成立がいかに大変であったかを物語っています。時の総理は「あ
なたとは違うんです」の福田康夫氏でです。
国家公務員制度改革基本法では、総理大臣をトップとする閣僚
クラスで構成される国家公務員制度改革推進本部を設置し、その
事務局を設けることになっていたのです。基本法で謳っている改
革が実を結ぶか否かのカギを握っていたのは、その事務局のメン
バーの人選にあったのです。
一般的には、事務局のメンバーは、各省から出向した官僚で構
成されるのですが、これらの官僚は省益を担っており、事務局に
入れると、所属する省にとって都合の悪いことはすべて骨抜きに
してしてしまうことは火を見るよりも明らかだったのです。
渡辺喜美大臣はそのことは熟知しており、事務局幹部の一人と
して、古賀茂明氏を推薦したのです。しかし、古賀氏の起用は財
務省をはじめ、官邸にも反対者が多く、福田総理まで反対したと
いうのです。とくに二橋正弘官房副長官が強く反対したといわれ
ているのですが、古賀氏によると、福田総理はもとより二橋氏に
も面識はないということです。したがって、官僚の中枢からの意
思で「古賀を外せ」の指令が出されていたと思われます。
公務員制度改革推進本部事務局のスタッフの人選でもめたのは
仙谷副長官のケースと同じですが、渡辺大臣はそういう反対を押
し切って古賀氏を事務局の幹部に入れてしまったのです。ここが
渡辺喜美氏と仙谷由人氏の政治家として器量の違いなのです。
このようにして古賀氏は、2008年7月に発足した公務員制
度改革推進本部事務局の審議官になったのです。このときの事務
局のスタッフについて古賀茂明氏は次のように述べています。
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官邸でのすったもんだがあったため他の幹部はすでに着任して
おり、私だけ遅れて七月二八日に着任した。事務局内の管理職
で改革派とはっきり分かっていたのは、原英史、石川和男(元
経済産業省)、磯谷俊夫(元オリックス球団代表)、菅原晶子
(経済同友会部長)各氏(いずれも企画官)と、その他一部の
民間人と数名の若手官僚くらいである。後はほとんどが守旧派
または事なかれ派だとすぐに分かった。五分話せば分かるはど
はっきりしていたといっていい。各省が既得権確保のために送
り込んだ、いわば精鋭部隊だ。もちろん若手には、他にも改革
の気概に燃えている者がいたかもしれないし、議論していけば
改革の意味を理解してくれる人もいただろう。しかし、守旧派
のオルグも徹底していた。いずれにしても少数派に甘んじるし
かない。それでも、渡辺大臣のリーダーシップのもとで少数派
が主導権を握る、それが私の作戦だった。 ──古賀茂明著
『日本中枢の崩壊』/講談社刊
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しかし、何ということでしょうか。肝心の福田総理が8月1日
に政権を投げ出してしまったのです。そして、麻生政権が誕生す
ると、渡辺大臣は外されてしまったのです。何しろ麻生氏は「官
僚は敵ではなく友である」と明言する人であり、公務員制度改革
に熱心なはずがないのです。
そのとき、皮肉なことに古賀氏らを支援したのは、政権交代を
狙う民主党だったのです。とくに民主党の3М──松本剛明、松
井孝治、馬渕澄夫の3氏であったと古賀氏はいっています。
こういう経緯があったので、行政刷新担当大臣の仙谷氏が目を
つけたのが、古賀茂明氏であったというわけです。しかし、仙谷
氏はどこで方針を変更させたのでしょうか。それは官僚組織を解
体することがいかに困難かを物語っており、来週に述べていくこ
とにします。 ── [日本の政治の現況/20]
≪画像および関連情報≫
●大泉一貫氏のブログより
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国家公務員制度改革推進本部の事務局長に立花宏日本経団連
参与(64)が就任した。7月上旬のこと。立花さんが、橋
本行革のメンバーだったとは知らなかったが10年たって機
は熟したということか。最も困難な課題だ。「官僚内閣制」
から「議院内閣制」への転換が可能か?全て、立花さんにか
かる。断固たる姿勢でやって欲しい。課題は、事務局体制の
編成の仕方。チーム立花が組めるか?外のスタッフを有効に
利用できるか?脱藩官僚候補などを探し当て登用できるか?
これを自民党の手でやり遂げたら民主党は出番がなくなる。
福田さんに断固やり抜くの覚悟をと、立花さん要請したそう
だが、議員総出で支援したらいい。族議員が多いので、そう
もいかないのかもしれないが、前途多難であることだけは間
違いない。
http://blog.goo.ne.jp/ikkan_2005/e/0c1e037a8950e6dd9ddd1a97e919109c
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古賀 茂明氏