2010年02月17日

●「小沢はなぜ壊し屋といわれるのか」(EJ第2755号)

 昨日のEJに続いて、小沢のイメージについてもう少し述べる
ことにします。小沢には次のイメージがあります。
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         金権体質/剛腕/壊し屋
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 はじめに「金権体質」について考えます。
 小沢一郎が政治資金というものについてどういう考え方を持っ
ているかを示すエピソードがあります。それを明かすのは小沢の
心友といわれる平野貞夫氏です。贔屓筋の情報は信用できないと
考える人もいるかもしれないが、心友であるからこそ、人の知ら
ない話を知っている可能性があります。
 小沢と羽田孜氏が率いる「改革フォーラム21」が、自民党を
離党して、「新生党」を結成したとき、平野氏が結成準備をして
いたときの話です。
 そのとき平野氏は、新しい政党の指導者になる小沢と羽田氏に
ついて密かに政治資金の問題がないか、法務省の友人に依頼して
身体検査をしたことがあるというのです。新生党は、改革を目指
す政党であるので、トップにカネの疑惑があったら困ると思った
からです。そのときは、2人とも「まったく問題はない」という
結果だったのです。
 ちょうどそのとき経団連が政治献金を停止した直後であったの
ですが、改革派の事務総長は、組織ではなく、個人として経団連
方式の献金先を紹介するという申し出があったので、小沢に相談
したところ小沢はこういったのです。
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 「頼みたいところだが、改革を看板としている。丁重にお断り
 してください」。それで私はその日の内に、経団連事務総長に
 会って断った。その帰り、玄関で毎日新聞の社会部記者とすれ
 違った。そうしたら、翌朝の毎日新聞に「平野参院議員が経団
 連に献金要請」と書かれた。その記事を見た羽田新生党党首と
 細川護照日本新党代表に個別に呼ばれ、私が「本当は献金を断
 りに行ったんです」と説明したら、2人からはこう言われたの
 である。「どうして相談してくれなかったのか。断ることはな
 かったのに・・・」            ――平野貞夫著
              『わが友・小沢一郎』/幻冬舎刊
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 断っておくが、この頃は政治献金も現在ほど厳しい時代ではな
かったので、細川護照日本新党代表も、せっかくの申し出をもっ
たいないといったのです。
 この本の中で平野貞夫氏は、もうひとつの話題を披露していま
す。高知のゼネコン「大旺建設」の役員である平野氏の従弟から
新生党の結党祝いとして3000万円寄付したいという申し入れ
があったので、そのことを小沢に伝えたところ次の返事が返って
きたというのです。
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 大旺建設は経営状態が悪いと聞いている。寄付してもらうこと
 ことは心苦しい              ――前掲書より
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 もちろんこんなエピソードだけで、小沢の金権体質を払拭でき
るとは思っていませんが、こんな話もあるということです。
 次は剛腕/壊し屋という批判です。
 「剛腕」は批判ではないという人がいます。しかし、新聞など
によく出る「剛腕・小沢」のイメージは、妥協しない、人のいう
ことを聞かない、独善的である、怖いなどなど、よくないイメー
ジの「剛腕」なのです。
 小沢は、その反対勢力から見ると、危険な存在であるといえま
す。ノンフィクション作家の魚住昭氏は、今回の小沢事件につい
て次のように書いています。
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 小沢事件の本質は、明治以来何度も繰り返されてきた検察権力
 VS政治権力の戦いです。検察にとって小沢は非常に危険な存
 在です。事務次官会議を廃止し、法制局長官の国会答弁を禁止
 するなど「脱官僚」路線を明確に打ち出している。このままだ
 と検察人事にまで介入されるという危機感を検察は持っている
 のでしょう。万が一、検察がこの権力闘争に負ければ、小沢か
 ら徹底的な報復を受けることが分かっているから裏取引で妥協
 する余地はありません。検察、小沢の双方にとって死ぬか生き
 るかの戦いなのです。 ――魚住昭/「小沢捜査を斬る」より
      2010年2月5日(6日発行)「日刊ゲンダイ」
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 小沢が「壊し屋」と呼ばれるのは、これまでいくつもの政党を
作っては壊してきたからといわれていますが、実はそうではない
のです。平野貞夫氏によると、小沢が遮二無二政治改革を進めよ
うとするから、そう呼ばれるというのです。
 政治改革は、それに反対する勢力からすると、それは既存の制
度を壊す行為なのです。小沢は1992年〜93年にかけて一貫
して政治改革を唱えていたのですが、当時の宮沢政権はきわめて
これに消極的であったのです。そこで、小沢は「壊し屋」と呼ば
れるようになったのです。
 こうしたいきさつから、小沢は自民党を離党し、第40回衆議
院議員総選挙で細川内閣ができたのです、1993年3月のこと
です。後になって、細川政権は結局は何もできなかったといわれ
るのですが、そんなことはないのです。
 この内閣で小選挙区比例代表並列制と政党助成金の導入を柱と
する政治改革のための法律群が成立しているからです。この法律
は、小沢が海部内閣当時から成立を狙っていたものですが、やっ
と細川政権で成立したのです。1994年1月29日の未明のこ
とです。この政治改革4法案が成立していたからこそ、それから
15年後の2009年にやっと政権交代が実現することになった
のです。              ―[小沢一郎論/31]


≪画像および関連情報≫
 ●政治改革4法案成立の経緯/細川連立内閣
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  細川は自民党総裁河野洋平とトップ会談に入る。1994年
  1月29日未明に到達した最終的な着地点は小選挙区300
  比例代表(地域ブロック)200であった。同日、合意案は
  両院協議会で可決され、引き続いて衆参両院を通過し成立し
  た。ただし制度施行に必要な選挙区区割り法案は後日制定す
  ることとされた。区割り法案は、細川辞任後に社会党とさき
  がけが連立離脱したために少数与党として発足した羽田内閣
  の内閣総辞職と引き換えに成立する。
                    ――ウィキペディア
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平野貞夫氏の本.jpg
平野貞夫氏の本
posted by 平野 浩 at 04:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする