2010年02月16日

●「金丸5億円献金事件を振り返る」(EJ第2754号)

 世間は小沢を、彼がこれまで政治家としてやってきた実績に関
係なく、イメージ的に何となくダーティーな政治家であると思っ
ています。その理由は何でしょうか。
 それは、あの田中角栄を師と仰ぎ、金丸信に仕えたことから、
彼らの悪い面をDNAとして受け継いでいる古いタイプの政治家
であるととらえているからです。しかし、小沢の政治信条やこれ
までの政治的実績をみると、その実像はかなり違うのです。
 ロッキード事件で田中角栄は総理大臣経験者としてはじめて刑
事被告人になったのですが、その公判がはじまったのは1977
年1月27日のことです。そのとき小沢は30代の若手議員の一
人でしたが、田中の第1回公判から191回におよぶすべての公
判を欠かさず傍聴した話はとても有名です。
 そして一審判決が出たとき、小沢は自民党総務局長になってい
たのです。このポストは選挙実務を取り仕切る中堅議員の登竜門
ともいうべきポストであったのです。そして、判決が出たとき、
小沢は衆議院議員運営委員長に就任していたのです。
 田中角栄の議員辞職を求める世論がわき上がる中で、自民党の
総理・総裁の中曽根康弘は、自民党の中の田中の政治的影響力を
排除することを宣言する「総裁声明」を発表し、このときから政
治倫理が政治の中心課題になったのです。
 小沢はこれを受けて、政治倫理綱領の制定や政治倫理審査会の
設置などを盛り込んだ国会法改正案をまとめ、衆議院議長に提出
しています。このときはこの改正案はお蔵入りになっていますが
後にこれらの改革案はすべて実現しているのです。
 なぜ、小沢は田中の裁判をすべて傍聴したのかについて、渡辺
乾介氏は直接小沢に聞いたことがあるといいます。裁判に臨む田
中の姿を他山の石として見ていたのかと聞いたとき、小沢は次の
ように答えています。
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 他山の石というと、それを参考にして、自分ならこんな失敗を
 しないということになるが、そうではなく、政治家がああした
 嫌疑を受けて法廷の場で争うという状況になっても、それでも
 政治をつづけるという意味というかな、それは何なのかとか。
 または、日本の政治はどうあるべきなのか、自分だったらどう
 するか、といった反間もあったね。そういうことをいろいろに
 ずっと考えながら傍聴していた。      ――渡辺乾介著
        『あの人 ひとつの小沢一郎論』/飛鳥新社刊
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 そして金丸5億円献金事件――われわれはこの事件についても
う一度考えてみる必要があります。なぜなら、それが小沢の政治
改革思想と密接に関係があるからです。
 金丸の東京佐川急便からの5億円献金が発覚したとき、政府自
民党の誰もが心配していなかったのです。この手の違反は政治家
本人におよぶことはなく、政治団体の会計責任者に対する「略式
起訴――罰金」の形式犯で終わっていたからです。これについて
は、小沢も同じ考え方であったのです。そのとき小沢は経世会会
長代行の職にあり、金丸を守る立場にあったのです。
 しかし、東京地検特捜部は、金丸の秘書の事情聴取で、金丸本
人が献金の事実を知っており、その金を政治家60数人に配って
いることを聞き出してウラをとっています。金額が5億円と多額
であり、量的制限違反の疑いによって、金丸本人から事情聴取す
る動きを見せたのです。
 これに対して竹下をはじめとする経世会幹部の間では、金丸に
上申書を提出させて、「略式起訴――罰金」で決着をつけるべき
であるという早期決着論が大勢を占めたのです。その筆頭に立っ
ていたのが、梶山静六――当時自民党幹事長だったのです。
 しかし、小沢はこれに徹底的に反対したのです。早期決着論に
反対し、「公判を辞さず」という強硬論を唱えたのです。これは
小沢と梶山の「一六戦争」といわれる激しい党内抗争に発展して
いくのです。これによって、経世会内部の亀裂も深刻化し、金丸
失脚後の派閥後継を巡る内部抗争のきっかけになったのです。
 この問題の決着を図ったのは竹下登なのです。竹下は早期決着
を目指すグループの方につき、金丸を説得して検察に上申書を提
出させたのです。検察も略式起訴を受け入れて「罰金20万円」
で決着がついたのです。
 本当はこれで終わりだったのです。しかし、これでは世間が納
得しなかったのです。「5億円もらって、罰金はたったの20万
円か」という国民の怒りが検察批判に向かい、検察は立件せざる
を得なかったのです。
 ところで、このとき小沢はなぜ徹底抗戦の強硬論を主張したの
でしょうか。
 渡辺乾介氏は、当時の小沢の法に対する考え方――裁判にかけ
てでも金丸の無罪を勝ち取ろうとした思いを次のように述べてい
るのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 戦後政治史の中で、いまだかつて政治家本人が政治資金規正法
 違反で立件されたことは一度もない。それは、政治家がうまく
 立ち回って責任を逃れてきたからではない。政治献金の実態と
 規正法の建前をきちんと使い分けて規制してきたからだった。
 日本の社会は建前と本音がかけ離れている。そこを法の解釈と
 運用でおさめてきた。税金だって、税法通りに厳密にとりたて
 たなら、中小企業はつぶれてしまう。だから、法の裁量、解釈
 運用でやっている。取り締まりをその範囲を超えるやり方です
 るなら、仕組みそのものを変える必要がある。――渡辺乾介著
        『あの人 ひとつの小沢一郎論』/飛鳥新社刊
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 今回の小沢捜査も特捜部は明らかに小沢だけ、運用を変えて攻
めてきています。普通なら秘書を逮捕しないのに逮捕したり、少
なくとも自民党の政治家とは違う対応をしています。そのあげく
が不起訴です。           ―[小沢一郎論/30]


≪画像および関連情報≫
 ●金丸5億円献金事件の深層は何か
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  東京佐川急便事件は、1992年10月、、自由民主党経世
  会(のち平成研究会。竹下派)会長の金丸信が佐川急便側か
  ら5億円のヤミ献金を受領したとして衆議院議員辞職に追い
  込まれた汚職事件である。1986年、暴力団稲川会会長石
  井進は当初、住友銀行による平和相互銀行乗っ取りを阻止す
  る側として動いていたが、岸信介元首相からの電話により寝
  返り、乗っ取りに協力して多額の報酬を手にし、岩間カント
  リークラブ開発の所有権を得た。東京佐川急便社長渡辺広康
  は石井にトラブルの処理を何度も頼んだことがあり、その謝
  礼として石井のゴルフ場開発会社の資金調達のための銀行融
  資の際に数億円の債務保証をした。
                    ――ウィキペディア
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もうひとつの小沢論.jpg
もうひとつの小沢論
posted by 平野 浩 at 04:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする