ます。2003年に起こった「りそな銀行国有化」については、
知らない人はいないでしょうが、その裏側に何があったのかにつ
いては、新聞や週刊誌では絶対にわからない隠された真実があり
それをできるだけていねいに書いていくつもりです。
実は、このりそな銀行ですが、設立の経緯はきわめて複雑なの
です。しかし、りそな銀行の設立の経緯について書くことが今回
のレポートの目的ではないので、ウィキペディアの記述を以下に
ご紹介してそれに替えることにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
2003年3月、あさひ銀行の埼玉県内の営業拠点と資産を埼
玉りそな銀行に会社分割し、残ったあさひ銀行は大和銀行と合
併する形で「りそな銀行」が誕生した。りそな銀行と埼玉りそ
な銀行は、世界的に見ても例の少ない合併分割による経営統合
を行った。これは、主に近畿圏を営業基盤とする大和銀行に、
規模的に2倍近いあさひ銀行が吸収されることにより、埼玉県
内において圧倒的な規模を誇るあさひ銀行の収益基盤が縮小す
ることによる、地域経済への影響を考慮したものであるといわ
れる。 ――ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
「りそなショック」ということばがあります。なぜ、「ショッ
ク」と呼ばれるのかについてはそれなりの理由があるのです。上
記でわかるように、りそな銀行が誕生したのは、2003年3月
のことなのです。そのさい、1200億円の増資をしています。
増資というのは、自己資本を充実させるために行うものであり、
りそな銀行は国内行ですから、自己資本比率は4%以上あればよ
いのです。
ところが2003年3月期の決算で、自己資本比率は2.07
%、持ち株会社のりそなHDも自己資本比率が3.78 %に低下
していたのです。なぜ、こんなことになったのでしょうか。
ここに「監査法人」というものが登場するのです。つまり、り
そな銀行が自己資本比率4%割れを起こしたのは、監査法人の判
断によるものなのです。つまり、監査法人が銀行破綻の引き金を
引いたことになります。これがショックといわれるゆえんである
といえます。
2003年5月17日の夕方のことです。日銀記者クラブは週
末を返上してごったがえしていたのです。勝田泰久・りそなホー
ルディングス社長をはじめとするりそな首脳陣による記者会見が
あるということで、記者が集まってきていたのです。
記者会見における勝田社長の説明によると、りそなHDは臨時
取締役会を開き、経営危機のため、政府に公的資金の注入申請を
決定したと発表したのです。これには記者団は驚いたのです。な
ぜなら、りそな銀行はこの3月に誕生したばかりであり、それが
なぜ経営危機に陥るのか不思議に思ったのです。
記者団は当然その理由を聞いたのです。そうすると、勝田社長
は、次のように説明したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
りそな側の説明によればこうである。3月期決算において、り
そな側は「繰り延べ税金資産」5年分の約7000億円を主張
したのに対して、監査を担当した新日本監査法人は3年分の約
4300億円しか認めなかった。5年分が認められていれば、
りそなHDの自己資本比率は6%で、4%の基準を楽々上回っ
ていた。しかし、監査法人が3年しか認めなかったため、4%
を下回る3.78 %となった。 ――山口淳雄著
『りそなの会計士はなぜ死んだのか』/毎日新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
そして、勝田社長は悔しさをにじませながら、次のような発言
をしているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
ゴールデンウィーク明けの5月7日になって、新日本監査法人
の態度が一変した。背信だ。 ――勝田社長
―――――――――――――――――――――――――――――
実はもうひとつ不思議なことがあるのです。それは勝田社長の
話の中には新日本監査法人の名前しか出てこないことです。当時
その記者会見の席にいた「エコノミスト」誌記者、山口淳雄氏は
勝田社長にそのことを質問したところ、勝田社長は次のように答
えているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
監査法人は3月以降は新日本監査法人だけです。――勝田社長
―――――――――――――――――――――――――――――
新生りそな銀行がスタートしたのは3月のことであり、そのと
きからは、新日本監査法人だけであるということなのでしょうが
これは少しおかしいのです。
実は、2003年4月の段階まで、新日本監査法人とともに朝
日監査法人(現あずさ監査法人)が共同で監査業務にかかわって
いたのです。しかし、4月30日に朝日監査法人は監査辞退をし
ているのです。その直前の4月24日に同監査法人所属の会計士
がりそなの監査を苦にして自殺しているのです。
このことは、勝田社長が知らないはずはなく、なぜそれに触れ
ないのか山口氏は不思議に思ったのです。これについては、改め
て取り上げますが、りそな銀行の監査には謎が多いのです。
いずれにせよ、りそな銀行は自己資本比率の4%割れによって
国有化されることになったのです。なぜ、そうなったのか――こ
れには、深い闇の部分があります。それにしてもりそなHDの公
的資金申請を受けた後の処理の素早いこと――それはあらかじめ
準備していたかのようにことは進められたのです。
このときこの処理を取り仕切ったのは、ほかならぬ竹中金融担
当相なのです。これによって、システミックリスクは表面化せず
に済んだという評価が与えられています。これにより誰がトクを
したのでしょうか。 ――[円高・内需拡大策/21]
≪画像および関連情報≫
●りそな国有化について
―――――――――――――――――――――――――――
りそな国有化は、本来預金保険法が想定していない金融機関
側の要請によって資本注入を行ったために、従来の公的資金
注入とは異なり、予防的公的資金注入と呼ばれる。予防的公
的資金注入は金融機関が過小資本に陥り、経営破綻を回避す
るために行うもので、当時の預金保険法は金融機関による申
請や、その適用要件に関して明確な基準が存在しなかった。
そのため、申請当時には適用に関して一部から違法性が指摘
され、また金融機関が自主的に公的資金の注入を、予防的か
つ自主的に申請できる必要性が認識されたために、後に預金
保険法改正の要因となった。 ――ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――
山口淳雄氏の本