2008年11月19日

●「フリードマンとチリのピノチェト政権」(EJ第2454号)

 昨日の続きです。ミルトン・フリードマンをはじめとする多く
のシカゴ学派を取り込んだニクソン政権――フリードマンとして
はチャンス到来と考えたに違いないのです。
 しかし、ニクソンはフリードマンの政策を実施することは問題
があると考えて、賃金と物価を抑制する政策を実行したのです。
これはケインズ政策そのものであり、シカゴ学派にとって最悪の
政策なのです。しかも、それを実行したのはシカゴ学派に近い次
の大物2人なのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
        ドナルド・ラムズフェルド
           ジョージ・シュルツ
―――――――――――――――――――――――――――――
 ドナルド・ラムズフェルドは、ブッシュ政権の国防長官を務め
た人物です。彼はフリードマンの講義を聴講して感激し、彼を天
才学者と尊敬していたのです。ジョージ・シュルツは、レーガン
政権の国務長官を務め、ニクソン政権では労働長官と財務長官を
務めた大物政治家です。
 しかし、ラムズフェルドとシュルツが実行した賃金と物価を抑
制する政策は大成功し、ニクソン大統領は2期目の選挙に圧勝す
るのです。こういう状況を見て、フリードマンは自分の政策は民
主主義国では実施できないかもしれないと考えはじめるのです。
 ところで、フリードマンの政策とは何でしょうか。フリードマ
ンの死後に発売された本から引用します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 フリードマンにとっての理想は、規制のない自由主義経済であ
 り、従って詐欺や欺瞞に対する取り締まりを別にすればあらゆ
 る市場への規制は排除されるべきと考えた(自由放任主義)。
 そのため、新自由主義――ネオ・リベラリズムの代表的存在と
 される。「新」が付くのは、ダーウィン主義に影響を受けた自
 由放任論からの脱却として現れた、ニューリベラリズムに基づ
 くケインズ経済学を再び古典的な自由主義の側から批判する理
 論だからである。―ラニー・エーベンシュタイン著/大野一訳
  『最強の経済学者/ミルトン・フリードマン』/日経BP社
―――――――――――――――――――――――――――――
 要するに、フリードマンは、基本的には「政府は警察と軍隊を
持っていれば十分」という「小さな政府」の考え方に立っていた
けです。そういう考え方から、教育の分野では公的教育を否定し
教育の無料化は、政府による市場に対する過剰な介入であると主
張したのです。
 実はニクソンは、フリードマンの政策の実験は他の国でやろう
と考えていたのです。そして、その標的に選んだのは中南米のチ
リだったのです。ちょうどチリでは、1970年に大統領選が行
われ、民主社会主義者のアジェンデ政権が誕生していたのです。
 ニクソンは、経済を締め上げてアジェンデ政権を倒そうとしま
す。さらに禁輸措置もとって、反政府勢力を公然と支援したので
す。そして、1973年9月11日、クーデターでピノチェト将
軍がアジェンデ政権を倒して政権を握ります。
 実はこのピノチェト政権誕生の裏には、フリードマンが主導す
る周到なある計画があったのです。それは、アジェンデ政権時代
に経済学を専攻する優秀な学生を複数選抜し、米国政府の奨学金
でシカゴ大学に留学させていたのです。
 そして彼らに米国では主流となっていない特殊な経済学をシカ
ゴ大学で指導し、アジェンデ政権によって左に傾いていたチリを
右に戻す思想教育をやったのです。そして、彼らにある指令を与
えて本国に送り返していたのです。彼らはのちに「シカゴ組」と
呼ばれるようになりますが、ナオミ・クラインは彼らを「イデオ
ロギー戦士」と命名しています。
 このイデオロギー戦士たちは、早速国内で新しい経済学に基づ
く政策の提言をはじめたのですが、国内ではまったく受け入れら
れなかったのです。その間にもピノチェト将軍によるクーデター
計画は米国の支援を受けて、着々と進んでいたのです。そして、
クーデターの日がやってきます。
 ナオミ・クラインは、その日、クーデターの裏側で進行したあ
る計画について次のように語っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 クーデターの日に集まった彼らは夜通しかけて、文書を作りま
 した。これが「ブリック」と呼ばれるピノチェト政権の経済政
 策です。ブッシュの2000年の選挙公約に驚くほど似ていて
 所有者社会、社会保障の民営化、チャーター・スクール一律課
 税など、フリードマンの筋書き通りです。クーデターの翌日、
 出勤した軍人たちの机上にはこの文書がありました。
                   ――ナオミ・クライン
―――――――――――――――――――――――――――――
 このようにして、フリードマンはチリにおいて、自らの政策を
実施することができたのです。その後、フリードマンの政策は、
英国のサッチャー政権と米国のレーガン政権に大きな影響を与え
て現在にいたるのです。しかし、こういう流れを見ると、いかに
もピノチェト政権下でのフリードマンの政策が成功を収めたよう
に思えますが、実はぜんぜん違うのです。
 なお、前回と今回にかけて、フリードマンについての秘められ
た話は、ナオミ・クラインが自著『ザ・ショック・ドクトリン/
災害資本主義の勃興』の内容について話している動画に基づいて
います。その動画は次のURLをクリックすれば見ることができ
ますので、興味があればご覧ください。時間は8分53秒かかり
ますが、十分最後まで見られる内容です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 http://video.aol.com/video-detail/-part2of4/588229698
―――――――――――――――――――――――――――――
 チリで行われたフリードマンの政策は現在は日本を含む世界に
浸透しつつあるのです。   ――[円高・内需拡大策/12]


≪画像および関連情報≫
 ●ナオミ・クライン氏について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1970年、モントリオールのユダヤ人活動家の家に生まれ
  る。ジャーナリストとしての活動は、トロント大学在学中に
  学生新聞の編集長を務めたところから始まる。2000年に
  『ブランドなんか、いらない』を発表し、グローバリゼーシ
  ョン反対運動におけるマニフェストとしての評価を受け、ク
  ラインの名は一躍、世界にとどろく。続いて2002年には
  『貧困と不正を生む資本主義を潰せ』を刊行。名声を確立し
  た。雑誌・新聞への寄稿も数多い。さらに、結婚相手のカナ
  ダ人テレビジャーナリストのアヴィ・ルイスとは、共同でド
  キュメンタリー映画を作成している。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ショック・ドクトリン.jpg
ショック・ドクトリン
posted by 平野 浩 at 04:21| Comment(0) | TrackBack(1) | 円高・内需拡大策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする