2008年11月18日

●「災害資本主義というものがある」(EJ第2453号)

 ナオミ・クラインというカナダ人の女性ジャーナリストがいま
す。1970年生まれなので現在38歳という若さですが、20
00年に次の本を刊行して、世界的に名前を知られる存在になっ
たのです。
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        ――ナオミ・クライン著/松島聖子訳
   『ブランドなんか、いらない/搾取で巨大化する
            大企業の非情』/はまの出版
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 彼女はこの本で、標的としてナイキ、シェル、ギャップ、スタ
ーバックスなどの有名企業を選んで、まず、そのマーケティング
としてのブランド拡大戦略に対して、次に企業の進める合併戦略
によって消費者が選択肢を奪われたことに対して、最後に外部委
託、パート労働などの雇用形態にシフトする企業に仕事が奪われ
たことに対して、痛烈な攻撃を加えているのです。その結果、彼
女はグローバリゼーション反対運動の旗手として高い評価を受け
ることになります。彼女の批判があまりにも辛辣であったため、
ナイキ社では正式なコメントまで出す騒ぎになったほどです。
 そのナオミ・クラインが、2007年に上梓した本が今大きな
話題を呼んでいるのです。なぜなら、この本で彼女が標的として
選んでいるのがノーベル賞経済学者であるミルトン・フリードマ
ンであったからです。なお、この本の日本語訳は本日現在、まだ
確認されていないのです。
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 『ザ・ショック・ドクトリン/災害資本主義の勃興』
 The Shock Doctrine:The Rise of Disaster of Capitalism
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 注目すべきは、この本の表題にある「災害資本主義」という言
葉です。最近兵庫県の井戸知事の「関東大震災が起きたらチャン
ス」の発言と不思議に似ているのですが、ナオミ・クラインによ
ると、何かの大災害が起こったとき――場合によってはわざと災
害を起こしたとき――そのチャンスを逃さず、一挙にラジカルな
改革を推し進めることを「災害資本主義」というのです。
 災害が起きて国民が平常心を欠いているときに、平時では実現
困難な改革――たとえば、公共の財産を民間資本に売り飛ばし、
気が付いたときは後戻りできないように恒久化してしまう――こ
のかなり乱暴なやり方をナオミ・クラインは「災害資本主義」と
名付けたのです。
 その格好の事例があります。2005年にニューオーリンズを
襲ったハリケーンによって学校が破壊されたとき、フリードマン
はブッシュ政権に対し次の提言をしたのです。
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 この災害を教育制度を改革する好機としてとらえ、このさい公
 共の学校の復興をやめて、私立の教育機関をつくるべきである
                ――ミルトン・フリードマン
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 この主張をどこかで聞いたことはありませんか。そう、「官か
ら民へ」の発想そのものです。ブッシュ政権はフリードマンの政
策提言にどのように対応したのでしょうか。
 ブッシュ政権は、フリードマンの提言を直ちに受け入れ、公立
学校を私立学校にするための資金を数千万ドル投入して実行した
のです。ブッシュ政権というのはこういう政権だったのです。
 その結果、123校あった公立学校はたったの4校に減らされ
それとは逆に私立学校は7校から31校になり、4700人の教
師が解雇されたのです。これがフリードマン主義です。
 ミルトン・フリードマンとはどういう学者なのでしょうか。
 ミルトン・フリードマンは、「シカゴ学派」と呼ばれる経済学
を広めたことによって知られる経済学者です。フリードマンは、
最も急進的な自由市場主義者であるフリードリッヒ・ハイエクに
師事して、経済学を学びます。
 当時50年代は、ハーバード大学、イェール大学などの名門校
では、ケインズ経済学が主流であったのです。その中にあってシ
カゴ大学はきわめて異色の存在だったといえます。
 ジョン・ケネス・ガルブレイズ教授は、大恐慌の後に経済学に
ついて次のように述べています。
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  市場の凶暴性を和らげるのが、経済学の調整力である
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 このガルブレイズの考え方がベースとなって、ニューディール
政策や福祉国家が出てきたのです。健康保険や失業保険などの福
祉制度がこれによって充実したのです。第2次世界大戦後におい
て、米国経済を中心に世界経済は復興し、米国は世界一の繁栄を
謳歌することになるのです。しかし、中産階級の爆発的成長は富
裕層の富を侵食するという事態も起こったのです。
 そのときシカゴ大学の経済学部は非ケインズ主義の独自の理論
を持っていたのですが、もっぱら株式投資家の道具として機能し
たのです。富裕層の牙城であるウォール街は彼らに近づき、多額
の資金供与を受けたり、多くの銀行家との付き合いもはじまった
のです。かくして、シカゴ大学は、ケインズ主義に対抗する反革
命の拠点となったのです。
 しかし、50〜60年代はシカゴ学派は権力には近づくことは
できなかったのです。しかし、やがて彼らにもチャンスは巡って
きたのです。フリードマンとかねてから親しいニクソンが大統領
になったからです。
 ニクソンはフリードマンの経済政策はよく知っていましたが、
選挙には向かないと考えたのです。ここに自由市場政策と民社主
義や平和との矛盾がはっきり出ていたのです。
 しかし、ニクソン政権はフリードマンをはじめシカゴ学派を政
権に迎え入れました。フリードマンはチャンス到来と思い、政策
を実現しようとします。   ――[円高・内需拡大策/11]


≪画像および関連情報≫
 ●フリードリヒ・ハイエクとは何者か
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  フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエクは、オースト
  リア生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的
  学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、さらに心理
  学にまで渡る多岐な業績を残したのです。20世紀を代表す
  るリバタリアリズム思想家。ノーベル経済学賞受賞。その思
  想は、後の英国のサッチャーや米国のレーガン、による新保
  守主義、新自由主義の精神的支柱となった。
                    ――ウィキペディア
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ナオミ・クライン
posted by 平野 浩 at 04:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 円高・内需拡大策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする