2007年06月01日

●構造問題のある経済とは何か(EJ第2092号)

 リチャード・クーという経済の専門家――著名なエコノミスト
がいます。分かりやすい独特の経済分析をするので人気があり、
彼の所説は大変説得力があります。
 1995年〜1997年の人気アナリストランキング/エコノ
ミスト部門で第1位――『日経金融新聞』であり、さらに、19
98年〜2000年、債券アナリストランキングのエコノミスト
部門で第1位――『日経公社債情報』という大変人気のあるエコ
ノミストなのです。
 そのため、1995年以降の経済を扱うテレビ番組では常連の
エコノミストであり、橋本内閣、小渕内閣、森内閣の時代にあっ
ては、テレビ、雑誌、新聞などのマスコミで大活躍をしていたの
です。しかし、2001年に小泉内閣になると、なぜか急にマス
コミから遠ざけられ、テレビには一切登場しなくなったのです。
 確かにリチャード・クー氏は当時しきりと財政出動の重要性を
説き、小泉内閣の推進する構造改革と正反対の主張をしていたの
で、官邸筋から嫌われたのかも知れないのです。しかし、クー氏
は従来のマクロ経済政策としての財政出動を主張したのではなく
彼独自の理論――バランスシート不況論をベースとしてそれを主
張していたことを知っている人はほとんどいなかったのです。
 2003年にリチャード・クー氏は、『デフレとバランスシー
ト不況の経済学』(徳間書店刊)を発刊し、自らの論拠を明らか
にしています。この本に書かれているクー氏の主張は、非常に説
得力があり、EJでも次の19回にわたって紹介しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
    2003年11月17日EJ第1233号〜
    2003年12月12日EJ第1251号
―――――――――――――――――――――――――――――
 そして、2007年1月にクー氏は再びバランスシート不況を
取り上げ、多くのデータによって、15年間にわたる日本の不況
がバランスシート不況であることを実証し、金融政策中心の従来
の経済学の誤りを指摘するする次の本を出版したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  リチャード・クー著
  『「陰」と「陽」の経済学/我々はどのような不況と
  戦ってきたか』       ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この本は総ページ数372ページの大著です。簡単に読破でき
る分量ではありません。しかし、そこにはクー氏の独自の理論が
分かりやすく紹介されており、EJでは次のタイトルでクー氏の
所説をご紹介したいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「日本経済生還の謎/リチャード・クー氏によるバランスシ
 ート不況論で分析する」
―――――――――――――――――――――――――――――
 小泉内閣のスローガンは「構造改革なくして景気回復なし」で
す。しかし、本当に構造改革が行われた結果、景気が回復したの
でしょうか。
 その答えは「ノー」です。それは、不況の原因が構造問題では
ないからです。クー氏によると、構造問題を抱えた経済の例とし
て、25年前の英国と米国の経済を上げています。時の米国の大
統領はレーガン、英国の首相はサッチャーだったのです。
 当時の米国や英国では、ストライキが頻発して、作っているも
のは不良品の山――とくに米国車はあまりにも故障が多かったの
で、国民はこぞって日本車を購入したのです。
 当時の連邦準備制度理事会(FRB)は景気を向上させるため
に金融緩和をやったためインフレ率が一時2ケタになるまでに悪
化したのです。さらに国内製品が不良品なので、国民は輸入品を
買うため貿易赤字は拡大――その結果ドルが下落し、国内のイン
フレが一段と加速するという悪循環に陥ったのです。こういう経
済こそ構造問題のある経済なのです。
 つまり、構造問題がある経済というのは、ストライキが頻発す
ることによってわかるように企業の供給力に問題があって、良い
製品ができない経済であるということです。そういう経済の特徴
をまとめると次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
         1.インフレが発生する
         2.通貨が下落し高金利
         3.設備投資意欲は弱い
―――――――――――――――――――――――――――――
 クー氏がいうのは、こういう構造問題を抱えた経済を回復させ
るには、従来のマクロの金融や財政政策で解決するのは困難であ
るというのです。
 レーガンやサッチャーは、ここで思い切ったサプライサイド改
革を実施したのですが、当時の主流の経済学者は「ブードゥーエ
コノミクス」といってバカにしたのです。レーガンのいっている
ことは単なるおまじないだといったのです。日本でも多くの経済
学者は「花見酒の経済」といっており、まるで評価していなかっ
たのです。
 レーガン就任時の経済指標を上げておきます。15年前の日本
と比べるとどうでしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1.インフレ率2ケタ
      2.短期金利が22%
      3.長期金利が14%
      4.住宅ローン17%(30年固定)
―――――――――――――――――――――――――――――
 15年前の日本は、インフレなどなく、短期金利、長期金利、
住宅ローン金利は、いずれも人類史上最低の水準であり、ストラ
イキなど――プロ野球のストはあったが――どこにもなかったの
です。          −― [日本経済回復の謎/01]


≪画像および関連情報≫
 ・リチャード・クー氏
  ―――――――――――――――――――――――――――
  日本や世界経済が大きく変化するなかで、既存の経済学やそ
  の理論にとらわれず、必要ならバランスシート不況論のよう
  に、自ら新しい理論構築をしてでも現実に見合った経済分析
  をしようと心がけています。また、米国での実務経験などを
  ふまえ、国民経済的見地から、マスコミの流行に振られぬ政
  策提言をして行きたい。      ――リチャード・クー
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月02日

●EJバックナンバー「ショパン」(その2)

2001年9月6日に配信したEJ第696号(全3回連載
の内第2回)を過去ログに掲載しました。
○ ショパンをどのように聴くべきか(EJ第696号)
posted by 平野 浩 at 04:35| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

●EJバックナンバー「ショパン」(その3)

2001年9月7日に配信したEJ第697号(全3回連載
の内第3回)を過去ログに掲載しました。
○ ショパンはピアノと指の研究家である(EJ第697号)
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2007年06月04日

●銀行問題は景気低迷の原因ではない(EJ第2093号)

 15年前の日本とレーガン当時の米国を比較してみると、添付
ファイルのようになります。これらの指標から浮かび上がってく
るものは、日本のサプライサイド――供給力は極めて強いという
ことです。つまり、作っている製品は、世界中の人が欲しがって
いるけれども、国内ではなぜか売れないのです。
 国内で売れないというのは、製品に問題があるのではなく、需
要が弱いからなのです。海外への輸出は好調であり、輸出企業の
企業収益はきわめて好調ですが、国内で大きな収益を上げている
企業は少ないのです。
 国内で売れないので、企業は経営資源を海外に回すようになり
ます。そうすると、一層よく売れるので、黒字が拡大し、これが
進むと円高になります。円高になると、国内はますますデフレの
傾向が強くなってしまうのです。
 つまり、過去15年間の日本は、80年代の米国とまったく逆
のサイクルに入っていたのです。供給力はあるが国内に需要のな
い世界――それが過去15年間の日本の景気低迷の姿であり、構
造問題のある経済とはまったく違うものだったのです。
 日本経済が構造問題のある経済ではないとすると、15年間に
及ぶ日本の景気低迷の真の原因は何でしょうか。
 そこに出てくるのが「銀行問題」なのです。銀行の不良債権処
理問題は小泉改革の重要な柱であり、竹中平蔵氏が大臣として、
らつ腕をふるい、危機を脱却させたということになっています。
そのときさかんにいわれたことは、銀行に問題があると、日本経
済にお金が回らなくなり、これが景気の悪化をもたらしていると
いう主張です。果たして本当にそうなのでしょうか。
 仮に銀行が不良債権などの問題を抱えていて、お金が回らない
ことが本当であるとすると、企業としては銀行に代わる資金調達
手段である社債を発行するはずである――クー氏はこういうので
す。そうであれば、社債市場が活性化しているはずなのです。も
ちろん社債を発行できるのは上場企業に限られますが、それらの
企業は自らの判断で社債の発行を決められるのです。
 しかし、日本においてそのような動きは過去10数年間起きて
いないのです。日本の社債市場は2002年頃から残高が減少し
ているのです。残高が減少しているということは、社債の新規発
行よりも償還の方が大きいことを示しています。
 また、日本の銀行がダメなら外国の銀行があるのです。シティ
バンクやバンク・オブ・アメリカ、HSBCらの銀行は不良債権
を抱えておらず、いつでも資金を調達できるのです。これらの外
銀は日本市場に食い込むのに難儀をしており、日本の銀行が貸せ
ない状況にあるとすれば、絶好のチャンスなのです。外銀はこれ
を機に日本の大企業に一斉に食い込もうとするはずです。
 実際にそういう動きがあるとすれば、日本にはもっと外銀の支
店ができていてよいはずです。1997年の、いわゆるビックバ
ンによって規制は撤廃されているので、外銀は日本国内に原則自
由に支店を開設できるようになっているからです。
 しかし、そういう傾向は一切見られないのです。外銀の貸出残
高は、この10数年間ほとんど増えておらず、かなり減った時期
すらあったのです。日本の上場企業は少なくとも外銀に対して資
金を借りようとしていないのです。
 一方において、上場していない企業としては、資金調達を銀行
からするしかないわけですが、貸出しが厳しくなっているとすれ
ば、貸出金利は上昇するはずです。しかし、そのようなことは起
きておらず、銀行の貸出金利もこの15年間下がる一方で、これ
も人類史上最低の水準なのです。
 これによって、銀行の問題がボトルネックでお金がまわらない
ため不況になるというのは根拠がないということになります。そ
れに現在日本では、銀行問題は解決したというムードになってい
ますが、米国の大手格付機関であるムーディーズが作成している
大手銀行の財務格付けを見ると、A、B、Cは一行もなく、Dし
かないのです。Dは落第点です。
 合格はBマイナス以上といわれていますが、Dでは合格点にほ
ど遠いのです。このように、日本の銀行は最悪の危機を脱出した
だけであり、ちっとも良くなってはいないということをわれわれ
は認識しておくべきです。
 実は銀行がおかしくなって、お金が回らなくなって不況に陥っ
た例が米国にあるのです。1990年代の前半に起きた米国にお
けるすさまじい銀行の貸し渋りの発生です。
 きっかけは、1989年に起こった貯蓄貸付組合(S&L)の
破綻であり、それを契機として、当局の金融検査官が商業銀行に
検査に入ったところ、著しく自己資本が不足していることがわか
り、これが原因で米国では1991年から1993年にかけて、
銀行のすさまじい貸し渋りが発生したのです。
 銀行から資金を調達できなくなった上場企業はいっせいに社債
市場での資金調達に走り、米国の社債市場は大活況を呈したので
す。もちろん、外銀にも資金調達の要請があり、外銀のシェアは
一挙に急拡大したのです。1991年以前には数%しかなかった
外銀のシェアは1994年には30%に達しているのです。もち
ろん、その外銀の中には日本の銀行も入っていたのです。
 1991年当時のFRB議長はあの有名なグリーンスパンです
が、あまりにも景気が悪くなったので、短期金利を3%まで下げ
たのです。しかし、借りたい企業はあまりにも多く、いくら短期
金利が下がっても資金の争奪戦が起こった結果、貸出金利は7%
程度まで上昇したのです。
 銀行の立場に立つと、資金調達コストは3%であるのに貸出し
は7%で貸せるので、3〜4%の利ざやを稼ぐことができたので
す。グリーンスパン議長を短期金利3%を3年間続けて、銀行の
不良債権問題を解決し、貸し渋りを解消させたのです。銀行の自
己資本は総資産の8%必要なのですが、銀行は利ざやで最大12
%稼げたので、銀行は一気に元気になったのです。しかし、日本
はそうなっていないのです。 −― [日本経済回復の謎/02]


≪画像および関連情報≫
 ・リチャード・クー氏の前著作より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  銀行の貸出金利が本当に上がっているなら、それは確かに銀
  行の資金供給力がボトルネックであって、銀行が不良債権問
  題を抱えているから不景気なのだ、ということができる。そ
  うであるなら、公的資金を投入してでも銀行が抱える不良債
  権問題を早急に解決すべきである。ところが、今の日本では
  そういう現象は起きていない。逆に、金利は下がる一方で、
  限りなくゼロに近い史上最低の利率である。しかも、短期市
  場金利と銀行の貸出金利との差は極めて小さい。
            ――リチャード・クー著/横井浩一訳
    『デフレとバンラスシート不況の経済学』 徳間書店刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月05日

●なぜ、企業は借金返済に走ったのか(EJ第2094号)

 銀行の不良債権問題が問題になったとき、小泉政権はいかにも
それが日本の長期不況の元凶であるかのようにとらえ、竹中大臣
を使って一挙にそれを片付けようとしたのですが、それがいかに
間違っていたかについては後から少しずつ明らかにしていきたい
と思います。いずれにせよ、景気が回復したのは、そのことと何
も関係がないことを最初に申し上げておきます。
 リチャード・クー氏によると、この過去15年間にわたって、
日本で起きていたことは、どの経済学書にもビジネス書にも載っ
ていない極めて特殊な不況であるというのです。つまり、今まで
の経済学では想定していなかった事態であるといっています。
 ゼロ金利の状態で過去10数年間、企業は一斉に借金の返済を
やっていたからである――クー氏はこういうのです。これはデー
タでちゃんと裏付けられています。それからもうひとつ、ここで
クー氏のいう「企業」とは「上場企業」であると考えるとわかり
やすいということです。つまり、懸命に借金返済に走っていたの
は日本の上場企業なのです。
 ゼロ金利なのに借金を返済する――こんなことは、どの経済書
でもビジネス書でも教えないでしょう。企業にとってゼロ金利で
あることは最大のチャンスだからです。普通にとらえると、ゼロ
金利(短期金利)でも銀行からお金を借りず、そのお金の使い方
を決められない経営者なんか無能であると思われても何ら不思議
ではないのです。
 添付ファイルの「グラフ1」をご覧ください。このグラフは、
日本の短期金利と日本企業が銀行と資本市場からどのくらい資本
調達を行っていたかを示しています。
 これによると、1995年には短期金利はほとんどゼロになっ
ているのに、日本企業は借入れを増やすどころか、借金返済を拡
大させ、2000年から2003年頃には年間20兆〜30兆円
というとんでもない規模の借金返済を行っていたことが明らかに
なっています。どうして、日本企業はそのようなことをやったの
でしょうか。
 企業というものは、資金を調達して事業を拡大させるのが自然
の姿です。その企業がそれをやめてしまい、一斉に借金の返済に
走る――一体どうしてこのようなことが起こったのでしょうか。
 その最大の原因は、この10数年間、日本国内でとんでもない
資産価値の下落が発生したことなのです。「グラフ2」は、6大
都市の商業用不動産、株式市場の指標であるTOPIX、ゴルフ
会員権の3つの資産価値の推移を示したものです。グラフを見る
とわかるように、最悪期の2003年〜2004年においては、
3つとも次のように大幅な下落をしているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     ≪2003年〜2004年/最悪期≫
     商業用不動産 ・・・・・ −87%
     TOPUIX ・・・・・ −43%
     ゴルフ会員権 ・・・・・ −95%
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは尋常ならざる下落ですが、なぜ、株価だけが−43%で
すんでいるのでしょうか。これだけは下落率が小さいのです。
 それは、この間外国人投資家が日本株を買ってくれていたから
です。現在でこそ日本でもネット投資家などが増えて株を買う人
が出てきていますが、当時はバブルの後遺症で日本人の投資家は
激減していたのです。
 しかし、海外の投資家からみると、日本は良い製品をつくって
いて、全世界に良いマーケットを有しているとして株を買い続け
ていてくれたからこそ、−43%程度の下落率ですんだのですが
外国人投資家の入ってこなかった市場であるゴルフ会員権や商業
用不動産は、ピーク時の10分の1に落ち込んだのです。
 問題は商業用不動産の資産価値の下落です。不動産は金額が大
きいので、銀行からの借入金で購入するのが普通です。そういう
状況で資産価値の下落ガ起こったらどうなるでしょうか。
 具体的に考えてみましょう。100億円のお金を銀行から借り
て不動産を購入したところ、資産価値が−90%下落して、10
億円の価値になってしまったとします。しかし、借金はまだ70
億円も残っている――この部分だけを取り上げると、この企業は
60億円の債務超過に陥っていることになります。
 この時点でその企業の負債と資産はマッチしなくなり、同社の
バランシートは大きく毀損したことになるのです。企業の資産の
中心は不動産ですから、不動産の価値が毀損すると大半の企業は
債務超過に陥ることになるのです。こういう事態が起こったら、
企業の経営者はどのように行動するでしょうか。
 倒産――一般的なイメージは、その企業の製品やサービスが売
れなくなり、それによって負債が増加して債務超過になるという
ものです。そのイメージが1990年以降大きく変わってきてい
るのです。製品やサービスは売れており、キャッシュ・フローが
あっても、資産価値が大幅に下落することによって債務超過に陥
り、倒産してしまうケースも出てきたのです。
 企業の技術力、商品開発力、マーケティング力などの本業は健
全でしっかりしており、キャッシュフローも健全で、毎年収益も
上がっている――そういう日本企業はたくさんあったのです。
 しかし、企業の財務内容は、国内で資産価値が暴落したので、
バランシートは大きく毀損して債務超過となる企業がたくさん出
てきてしまったのです。
 そういう企業は本業はしっかりしているのでキャッシュフロー
はある――本来であればそのキャッシュフローは再投資に回すべ
きですが、もし、ジャーナリストやアナリストに「債務超過」と
書かれるとまずいことになると判断し、キャッシュフローを借金
返済に回し、何とかバランスシートを健全化しようとする――こ
ういう状況に置かれた経営者は、日本だけでなく、米国でも英国
でも、ドイツでも、フランスでも、同じように対処するのではな
いでしょうか。     ――−― [日本経済回復の謎/03]


≪画像および関連情報≫
 ・「債務超過」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  会社の債務超過は、貸借対照表上の負債(債務)が資産(財
  産)を上回った状態です。この言葉の出所は,証券取引所の
  上場廃止基準の「最近5年間無配継続、かつ、最近3年間債
  務超過――貸借対照表による」という件(くだり)のようで
  す。債務超過は、破産原因(裁判所から破産宣告を受ける理
  由)になり,破産法第127条@に「法人に対しては其の財
  産を以て債務を完済すること能はさる場合に於ても亦破産の
  宣告を為すことを得」と書かれています。ちなみに,資産・
  負債は会計用語、財産・債務は法律用語です。
         http://www.mfi.or.jp/kumiya/stock217.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月06日

●経済全体が合成の誤診に陥る(EJ第2095号)

 リチャード・クー氏は、過去数十年間にわたって日本企業がバ
ブルによって毀損したバランスシートを健全化するために借金返
済に走ってきたことを示し、それが今後どうなっていくかを考え
る興味ある資料を著書の中で示しているので、ご紹介して解説し
たいと思います。添付ファイルがそれです。
 タイトルは「部門別にみた資金不足の推移」となっていますが
ここで部門とは、次の5つです。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1.家計部門
           2.金融部門
           3.非金融法人部門
           4.海外部門
           5.一般政府
―――――――――――――――――――――――――――――
 一国の経済は、家計部門(国民)が貯金したお金を企業部門が
借りて使い、その両部門の間に銀行や証券会社などの金融機関が
入って仲介役をするということで成り立っています。
 これら5つの部門はすべてを加えるとゼロになるようにしてあ
ります。これら5つのうち、金融部門と非金融法人部門は同じバ
ランスシート問題を抱える法人企業であるということで、法人部
門として一本化して4部門として作ったグラフが添付ファイルの
グラフなのです。
 これらの4つの部門がそれぞれどういう状況にあるときが一番
ベストなのでしょうか。以下、添付ファイルをベースとして説明
することにします。
 グラフの真ん中のゼロのところに横線がありますが、この線を
境に上が「資金余剰」、下が「資金不足」をあらわします。まず
家計部門は一番上――資金余剰、法人部門は一番下――資金不足
の位置にあり、海外部門と一般政府がゼロ線の近くにあるという
のが理想形なのです。
 グラフをよく見ると、1990年がちょうどその理想形になっ
ています。家計部門が一番上にあるということは、高い貯蓄率が
あることを示しています。法人部門が一番下というのは、資金を
必要としていることを示しており、高い投資比率を維持している
ことになります。
 そして、一般政府と海外部門がゼロ近くにあるというのは、政
府の財政収支と国の経常収支が両方とも均衡していることを示し
ているのです。
 政府の財政収支とは、ごく大雑把にいえば、歳入(国の収入)
と歳出(国の支出)の収支のことであり、それが均衡していると
いうことは、毎年度の税収などの収入によって、毎年度の国の支
出をまかなうことができることを示しています。これに対して、
国の経常収支というのは、こちらもごく大雑把にいえば、輸入よ
り輸出が多く、支払いより受け取りの額が多い場合が経常黒字と
いうことになります。
 1990年は一般政府はプラスの資金余剰、海外部門はマイナ
スの資金不足――これは海外部門が日本からお金を借りて投資し
ているということを示しています。日本は経常黒字、海外は経常
赤字ということになります。
 つまり、こういうことになります。1990年の日本は、高貯
蓄、高投資、経常黒字、財政黒字をクリアして、経済としては最
高の状態だったことを示しています。日本が「ジャパン・アズ・
ナンバーワン」といわれたのも当然なのです。
 しかし、1990年以降は様相は一変する――法人部門のグラ
フはどんどん上昇し、1998年になるとグラフはゼロの上に出
て、2000年には家計部門を超えて、2003年まで上昇を続
けているのです。これは、企業が借金返済を加速させた結果であ
るといえます。
 つまり、一番多くの資金を調達しなければならない法人部門が
一番多く金融機関に返済している――これがつい最近までの日本
経済の姿であったのです。そして、この結果、お金を借りて投資
していた主体がそれをやめて借金返済に回ったツケは、グラフの
右端にあるように、GDP20%を上回るところまで拡大したの
です。このように法人部門からGDPの20%に相当する需要が
消えてしまえば、不況になるのは当たり前のことです。
 この過去15年間に株と土地という2つの資産だけで1500
兆円という想像を絶する規模の富が失われたのです。この額は、
日本の個人金融資産と同じ金額なのです。1500兆円といえば
3年分のGDPに匹敵するのです。これは平時に失われた富とし
ては史上空前の額なのです。
 第2次世界大戦で日本が失った富は当時の日本のGDPの1年
分だったのですから、GDPの3年分の消滅がいかにひどいもの
だったかがわかると思います。
 なぜ、1500兆円がなぜ消えることになってしまったのかに
ついて、クー氏は次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 全国的な資産価格の暴落が発生して借金だけが残り、その借金
 を返そうと民間が一斉に借金返済に陥ると、経済全体が「合成
 の誤謬」といえる困った事態に陥る。
                  ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学/我々はどのような不況と
    戦ってきたか』        ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 合成の誤謬(ごびゅう)とは、個々全員が正しいと思ってとっ
てしまった行動が当初の想定とまったく逆になってしまうことを
いうのです。当時の企業経営者にとって、バランスシート健全化
は正しい行動ですが、全員が同じことをやってしまった結果が史
上空前の不況を招いてしまったのです。過去15年間の日本経済
では、あらゆるところで、この合成の誤謬が生じていたというこ
とがいえます。     ――−― [日本経済回復の謎/04]


≪画像および関連情報≫
 ・経常収支の4つの部門
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「貿易収支」モノの輸出入の集計「サービス収支」海外旅行
  先で買い物をしたり食事をしたりが、日本のサービス収支の
  赤字に計上「所得収支」企業が海外の工場建設などや海外証
  券投資で得た収益から、日本国内で外国企業などが得た利益
  や報酬などを引いたもの「経常移転収支」開発途上国への経
  済援助や国際機関への拠出金など。これらのトータルが黒字
  というのは、輸入より輸出が多く、支払いより受け取りの額
  が大かったということです。
  http://allabout.co.jp/career/economyabc/closeup/CU20031117C/
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月07日

●大恐慌時の米国の金利の推移(EJ第2096号)

 昨日のEJで述べた「合成の誤謬(ごびゅう)」を用語辞典で
調べると、次のように出ていました。
―――――――――――――――――――――――――――――
 合成の誤謬とは、ミクロの視点で正しいことでも、それが合成
 されたマクロの世界では、かならずしも同じ理屈が通用しない
 ことを示す経済学の用語。
 ★合成の誤謬/fallacy of composition ――ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 経営者個々の判断で、ここはバランスシートをきれいにする、
すなわち、借金を返済することがベストであるとして行動したこ
とが、結果として上場企業のほとんどの経営者が同じ行動を取っ
たため、国の経済に変調をもたらすことになったのです。
 企業というものは、資金を調達して事業の拡大をはかるのが本
来の行動なのですが、それをやめて借金返済に回ったら、経済は
どうなるでしょうか。
 結論からいうと、その結果次の2つの需要が失われ、景気は確
実に悪化します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.企業が自社のキャッシュフローを再投資に回さなくなった
   ことによって失われる需要
 2.企業が借金返済に注力し、金融機関の貯蓄を使わなくなる
   ことによって失われる需要
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここでクー氏のいう「バランスシート不況」について簡単な数
字を使って、復習しておくことにします。
 ここに1000円の所得のある人がいます。この人は900円
を自分で使い、100円を金融機関に貯蓄したとします。この貯
蓄が家計部門による貯蓄に該当します。
 そうすると、900円は次の誰かの所得になり、残りの100
円は金融機関によって貸し出され、そのお金を借りた人によって
消費されます。これで当初の1000円の所得に対して、900
円プラス100円の1000円の支出が発生したことになり、経
済は回っていくことになります。
 この場合、金融機関が100円をすべて貸し出せないときは、
金融機関は金利を下げればよいのです。金利が下がれば通常借り
手は必ずいるからです。
 しかし、バランスシート不況になると、1000円の所得のあ
る人は依然として900円を消費し、100円を貯蓄するのです
が、貯蓄した100円には借り手が見つからなくなります。
 常套手段として金融機関は金利を下げますが、それでも借り手
は見つからないのです。金利をゼロまで下げてもそれは変わらな
いのです。そのお金を借りるはずの企業が必死になって借金を返
済しているからです。
 結局、100円が消費されないと、経済全体としては900円
しか消費されなかったことになります。これは、経済が1000
円から900円に縮小したことを意味します。
 900円の所得しかなくなった家計が、再び所得の10%を貯
蓄して810円しか使わず、それでも金融機関がお金を貸し出せ
ないとすると、次の段階では810円しか所得が発生しないこと
になります。このようにどんどん経済は縮小していくことになる
のです。まさにデフレスパイラルそのものです。
 1000円、900円、810円、730円・・・というよう
に所得が減っていき、経済はデフレスパイラルに陥る。こうなる
と、当然景気は後退してしまいます。景気が悪くなると、一層資
産価値は下がるわけで、企業の借金返済はますます加速化するこ
とになります。
 このスパイラルがどこまで行くのかというと、もし、政府がこ
の状態を放置して何もしないと、この悪循環は民間(家計と企業
の合計)をどん底の貧乏に追い込み、まったく貯蓄できなくなっ
たところでとまることになります。
 この悪循環が続いて、1000円の所得が500円まで落ちた
とします。500円ないと生活できないとすると、500円はす
べて消費されますが、何も貯蓄できないのです。つまり、民間部
門が1円も貯蓄できないほど貧乏になったところで、経済は新し
い均衡に達するのです。この500円の世界が世にいうところの
「大恐慌」なのです。
 家計部門の貯蓄を企業に回す――これは経済の根底のメカニズ
ムです。上記の数字の例は、家計部門の貯蓄だけを取り扱ったの
ですが、それに企業の借金返済が加わると、経済は家計の貯蓄と
企業の借金返済額の合計分の需要を失うことになるのです。
 このゼロ金利でも企業がお金を借りないで借金返済に回るとい
う現象は、70年前の1930年代の米国の大恐慌で起きている
のです。これによって当時の米国のGNPがわずか4年間で約半
分になってしまっています。
 これに対してルーズベルト大統領のニューディール政策や第2
次世界大戦、朝鮮動乱などで巨額な積極財政が取られたのですが
金利はいつまでも上昇しなかったのです。それは、当時の借金返
済の苦しさがトラウマになって、企業経営者が借金を避けようと
したからであると、クー氏は分析しています。
 添付ファイルは、その時期の金利の動きを示したグラフです。
1929年に株の大暴落があって、大恐慌に突入します。それか
らはじまって、長短金利が再び1920年代の平均レベルに戻る
のに実に30年もかかっているのです。1959年になってやっ
と金利がもとの4.1%まで戻ってきたのです。
 米国で現在70代、80代の元経営者は、そのときの借金返済
の苦しさがトラウマになって、いまだに借金を拒否する人が少な
くないというのです。
 しかし、日本においては、明らかに1930年代とほとんど同
じ現象が起きているのに、GDPは米国のように下がっていない
のです。どうしてでしょうか。−― [日本経済回復の謎/05]


≪画像および関連情報≫
 ・世界大恐慌についてのサイトより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1929年10月24日、暗黒の木曜日(ブラック・サース
  デイ)ニューヨーク、ウォール街の株式市場で株価の大暴落
  が発生。寄り付きは平穏だったが、間もなく売りが膨らみ、
  午前11時には売り一色に。そこでウォール街の大手株仲買
  人たちが協議、買い支えを行うことで合意。このニュースで
  相場は値を戻し、数日間は平静を保つ。
  1929年10月29日、悲劇の火曜日。実際に激しい暴落
  を演じたのはこの日。投資家はパニックに陥り、株の損失を
  埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始める。
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/great_depression.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月08日

●資産デフレでもGDPが減らなかった理由(EJ第2097号)

 この10数年間の日本経済は、現象としては1930年代の米
国経済と同じなのですが、大きく違っていることがひとつありま
す。それは米国のGNPが4年間で半減してしまったのに対して
日本の場合は一向に減っていないことです。
 これについては、添付ファイルの「グラフ1/バブル崩壊後も
拡大」を見てください。このグラフを見るとわかるように、過去
10数年間の日本のGDPは、バブル期の一番高いところからほ
とんど変わっていないばかりか、最近では徐々に上昇に転じてい
るほどなのです。グラフは明確にそれを示しているのです。これ
は一体どうしたことでしょうか。
 この謎を解くかぎは、EJ第2095号で取り上げた「部門別
資金不足」のグラフの中にあります。念のためそのグラフも添付
しておきます。グラフのタイトルは「グラフ2/家計部門と政府
部門の動き」となっています。
 なお、これまでEJは毎日同じ量の文章と図か写真をひとつ添
付するという方針で続けてきていますが、今回のテーマに限って
は図は2つになることもあるので、ご了承ください。
 「グラフ2」を見てください。あれほどひどい資産価値の下落
にもかかわらず、日本のGDPが一向に減少しなかった原因は、
次の2つのことにあるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       1.家計部門の貯蓄切り崩し
       2.政府部門による借り入れ
―――――――――――――――――――――――――――――
 家計部門の動きを見ると、1993年以降は右肩下がりで減っ
ています。これは何を意味しているのかは明らかです。貯蓄が切
り崩されているのです。貯蓄の減少は2003年まで続き、そこ
で一応底を打っています。実に10年間下がり続けたのです。
 この間多くの人がリストラされて失業したり、給料を減らされ
たり、ボーナスがなくなるなどの目にあっており、とても貯蓄ど
ころではない状態に陥ったのです。
 さらに住宅ローンがあります。1990年以前の日本の家計の
前途はとても明るいものだったのです。雇用は安定的に維持され
給与水準も年を追うにしたがって上昇していくことが期待された
ので、ローンを組んでマイホームを建てた人が多かったのです。
 しかし、その想定は完全に外れ、多くの人がリストラの憂き目
にあったのです。しかし、たとえ職を失っても、給与を減らされ
ても、住宅ローンは払わなければならないのです。そういう状況
に置かれれば、誰でも貯蓄をとり崩して、それを補填する行動を
とることになります。
 かつては日本の家計部門は世界に類のない高貯蓄率を誇ってい
たのですが、この10数年間の不況で4つに1つの家計は貯蓄ゼ
ロに追い込まれてしまったのです。それほど大幅な貯蓄の取り崩
しが行われたことになります。
 このように、収入が減ったために貯蓄ができずに貯蓄を取り崩
したりすることは良くないことですが、これはミクロの世界の話
であり、マクロ経済的な観点に立つと、本来は銀行に滞留しかね
なかった資金が減少し、それが経済全体を支える力となって機能
したのです。つまり、深刻な不況下でもGDPを支えたひとつの
力は、この家計部門の貯蓄の取り崩しにあったのです。
 続いて、「グラフ2」の政府部門の動きを見ていただきたいの
です。政府部門のグラフの理想的なポジションはゼロの線の前後
です。政府部門は、1990年〜1991年は、バブルの影響も
あって税収が好調でまだ財政黒字だったのです。しかし、199
2年〜1930年頃から景気は急速に悪化していったのです。そ
して、2003年に底を打っています。これは、何を意味するの
でしょうか。
 昔のポンプは、長く使わないと漕いでも水がでないことが多い
のです。そういうとき、ポンプに水を少し入れると、それが呼び
水となって、水が出るようになったのです。日本ではこの原理を
景気対策に使っていたのです。
 景気が悪くなると、政府は景気対策と称して、1〜2回、巨額
の資金を投入してお金を回しはじめると、それが呼び水になって
景気は回復すると考えられていたのです。
 ここでいう景気対策とは具体的にいうと、政府が国債を発行し
て家計部門からお金を借りて使う財政政策のことです。これを昨
日のEJの例でいうと、金融機関に滞留しかねなかった100円
を政府が企業に代わって借りて使ってくれたことを意味するので
マクロ経済的にはとても意義があるのです。
 クー氏がいうには、この政府の財政政策があったからこそ、あ
れほどひどい資産デフレがあったにもかかわらず、GDPが減少
しなかったのであるといっているのです。
 しかし、この財政政策はすこぶる評判が良くないのです。景気
対策と称して注ぎ込まれた資金が公共事業の名のもとに、無駄な
ハコものの建設やほとんど使われない道路などに重点的に投資さ
れたからです。しかも、それらの資金が何ら呼び水的役割を果た
さないで景気が回復しないままにさらに巨額の資金が必要になっ
たからでもあります。
 ここで注意しなければならないことがあります。デフレとは、
いわゆるデフレギャップが存在するときに起こる経済現象なので
す。つまり、供給が多すぎるか、あるいは需要が少なすぎるとき
に起こるのです。
 デフレギャップを埋めるためには、財政支出を増やす必要があ
るのですが、そのとき重要なのは、支出の内容ではなく、増やす
財政支出の規模なのです。しかし、財政出動が嫌われているのは
支出の内容であり、増加する財政赤字の規模なのです。
 ところが最近は、財政内容の批判から財政支出の額を削れとい
う批判の大合唱になっています。高名な経済学者もテレビによく
出る経済のコメンテータもその方向の発言を平気でしています。
何かが違っています。    −― [日本経済回復の謎/06]


≪画像および関連情報≫
 ・財政政策とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  財政政策とは、主に国の財政の歳入や歳出を通じて、総需要
  を管理して経済へ影響を及ぼす政策のことである。金融政策
  と並ぶ経済政策の柱である。税制や国債などによる歳入の政
  策と社会保障や公共投資などからなる歳出の政策がある。財
  政政策は、景気変動の動きを相殺するように政府が能動的に
  財政支出を増減させたり、家計や企業の負担を増減したりす
  る積極的財政政策と、政府による能動的な対応がなくとも自
  動的に政策が変更されてしまう消極的財政政策にわけること
  ができる。             ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月09日

●EJバックナンバー「円の支配者日銀」(その1)

2001年7月4日に配信したEJ第651号(全23回連載
の内第1回)を過去ログに掲載しました。
○ 構造改革しても景気は回復せず(EJ第651号)
posted by 平野 浩 at 04:42| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月10日

●EJバックナンバー「円の支配者日銀」(その2)

2001年7月5日に配信したEJ第652号(全23回連載
の内第2回)を過去ログに掲載しました。
○ 日銀はなぜ資金供給を絞り込んだのか(EJ第652号)
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2007年06月11日

●テレビから姿を消したリチャード・クー(EJ第2098号)

 2006年11月16日に亡くなった米国のノーベル経済学賞
受賞学者、ミルトン・フリードマン氏は、2002年1月に、日
本経済復活への処方箋として、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 景気刺激のために財政政策を発動すべきではない。この10年
 間、日本は金融政策より財政政策に頼りすぎた。要らない橋を
 建設し、開通しても誰も喜ばない道路作りに邁進してきた。
                ――ミルトン・フリードマン
 2002.1.14日号『日経ビジネス』コラム「時流超流」
―――――――――――――――――――――――――――――
 こういう趣旨の発言を小泉政権のとき、多くのエコノミストや
コメンテーターがテレビでさかんにいっていたのです。この種の
発言をいつも聞かされていると、確かに無駄は良くないし、財政
赤字の規模も巨大化して、いつ破綻が起きてもおかしくない――
常識的には誰でもそう考えるものです。
 したがって、小泉首相が国債発行額を毎年30兆円以下に抑え
るという公約を打ち出したとき、まさにその通りだと多くの人は
賛同したのです。そういうなかにあって、リチャード・クー氏は
どのようにしたら日本経済は回復するかとの問いに対して、一貫
して財政出動の重要性とペイオフの延期を説いたのです。
 世の中全体が財政赤字を気にしているときに、さらに財政支出
を増やせといっているのですから、この人少しおかしいんじゃな
いのと思う人が増えて当然です。世の中全体が長いものに巻かれ
てしまったのです。
 そうなると、テレビ局はクー氏を経済のコメンテーターとして
使わなくなったのです。そして小泉政権が発足して数年経つと、
前政権と前々政権のときは経済番組には解説役やコメンテーター
として必ずといってよいほど登場していたクー氏は、ほぼ完全に
テレビから姿を消してしまったのです。しかし、クー氏の主張は
本当に間違っていたのでしょうか。
 クー氏が経済回復の方法として、「財政出動」と「ペイオフ延
期」を主張した根拠は、70年前の米国の経済事情と違っている
ことがその2つだったからといっていっているのです。
 日本は不況の入り口において小渕政権から森政権にかけて大き
な財政出動をやっているのに対し、1930年代の米国の場合、
フーバー大統領は株が暴落しているのにまったく財政出動をやら
なかったので、傷口を大きく広げてしまったのです。
 株の暴落で損をしている人がいるからといって、何で国が財政
出動をしなければならないのかというのがそのやらない理由だと
いうのです。フーバーは立派な人物だったようですが、これでは
経済のことがまったくわかっていないといっても過言ではないと
思います。彼は今でいう構造改革論者なのです。
 しかし、日本はその財政出動をやっていたために、デフレギャ
ップが問題化するのを回避できたのだとクー氏はいうのです。数
字の例でいうと、所得1000円の10%の100円――つまり
貯蓄に回る分が問題化するのを防いだということです。
 これに対して1930年代の米国では、財政出動をしなかった
ために、所得1000円が全部使われずに900円になり、それ
が810円、730円と、経済の縮小化が進行し、わずか4年で
米国のGNPは半分になってしまったのです。
 もうひとつクー氏が主張した「ペイオフ延期」――1930年
代の米国には預金保険機構という制度はなかったのです。ですか
ら、銀行が倒産したら預金はまったく保護されなかったのです。
1929年から1933年の間に約1万の米国の銀行が倒産した
のです。当時銀行は2万5000あったので、3分の1以上の銀
行が倒産し、預金者保護ができなかったのです。
 ですから、クー氏としては不況の傷口を広げないためにもペイ
オフをあわててやる必要はないと説いたのです。日本の場合、銀
行問題が表面化したのは1997年の橋本内閣のときです。後年
橋本首相は米国のフーバー大統領と並び称されますが、そのとき
橋本政府はペイオフを延期し、預金の全額保護を明言しているの
です。これが結果として日本を救ったことになります。
 日本の場合、GDP3年分の資産価値が失われ、そのかなりの
部分が銀行に集中したので、1930年代の米国の銀行が被った
被害よりもはるかに大きかったのです。しかし、政府の「預金全
額保護宣言」によって、極端な預金異動が起こらずに済んだので
す。その結果、日本は数100兆円単位の危機を回避できたとい
えるのです。もし、米国のように3分の1の銀行が潰れていたら
国民や政府は、それこそ数100億円以上の損失と支出を強いら
れた可能性が高いからです。
 「顕在化した危機に取り組み、危機から脱出させた人は英雄に
なれるが、危機を事前に察知し、危機が起こらないようにした人
は英雄になれない」という言葉があります。
 危機が実際に発生して多くの人が被害を受けてから、それに取
り組んで破滅から救う――そういう人は英雄になれます。現在で
は、小泉――竹中コンビがそれを行ったようにとられる向きがあ
りますが、これは間違っています。彼らは状況が改善されること
を遅らせただけであり、むしろ状況を悪化させています。
 しかし、事前に危機が来ることを察知し、危機が起こらないよ
うにした人は英雄になれないのです。危機が起こってしまうより
も回避した方がいいに決まっていますが、それをやった人は英雄
になれないのです。
 首相自身が承知してやったかどうかはともかく、橋本内閣は財
政再建を目指して構造改革を行おうとしたのですが、銀行問題で
はペイオフを延期し、「預金全額保護」を約束しています。そし
て次の小渕内閣では巨額の財政出動をして、その後に起こる可能
性のあった大きな危機を結果として救ったのです。
 いずれにしても、ミクロの世界ではマイナスと思えることが、
マクロ経済ではプラスであることが少なくないのです。これにつ
いては明日考えましょう。  −―[日本経済回復の謎/07]


≪画像および関連情報≫
 ・ミルトン・フリードマン
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ミルトン・フリードマン(Milton Friedman) は、ニューヨ
  ーク生まれの経済学者。20世紀後半の主要な保守派経済学
  者の代表的存在で、戦後、貨幣数量説であるマネタリズムを
  蘇らせ反ケイジアンの宗主として今日の経済に多大な影響を
  与えた経済学会の巨匠。       ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月12日

●生産力を伴わない投資の必要性(EJ第2099号)

 日本の経済の現状を理解するためにマクロ経済の基礎を勉強す
ることにします。この記述については、有名サイト「経済コラム
マガジン」の記事を参考にさせていただきました。
 デフレという経済現象は、供給が多すぎるか、あるいは需要が
少なすぎる場合に起こります。需要が供給力を上回った部分をイ
ンフレギャップ、逆に供給力が需要を上回った部分がデフレギャ
ップということになります。
 日本経済はもともと過剰貯蓄、過少消費の状態が続いていたの
です。つまり、貯蓄が大きくてもそれが民間の投資に使われてい
るのであれば、マクロ経済上はバランスが取れるのですが、日本
の貯蓄は大きすぎるので使い切れないのです。
 したがって、国内で消費されない生産物を輸出して、何とかバ
ランスさせようとしてきたのですが、それでも消費が不足するの
です。そのため政府や地方が、赤字国債や建設国債、地方債を発
行し、財政の支出でこれをバランスさせてきたのです。
 このように日本では巨大なデフレギャップが存在するのですが
問題は、そのデフレギャップがどのくらいの大きさであるかなの
です。需要の大きさについては、政府支出や投資、輸出・輸入の
差額、そして消費などの金額を合計すれば出てきます。
 供給力の大きさはどうかですが、通常、生産設備がフル稼動し
完全雇用の状態で生み出される生産額が供給力であるーーつまり
日本の生産力の上限が供給力ということになるのです。
 さて、このような日本経済において緊縮財政をとるとどうなる
でしょうか。財政支出を抑えようというわけです。国だけではな
く、地方においても借金を重ねると、赤字公共団体に転落すると
いうことで、国以上に支出削減にやっきとなっています。
 そうすると、日本に残されているのは、輸出だけということに
なってしまいます。しかし、輸出は為替の問題があり、相手国の
購買力に依存する側面があるのです。そうすると日本は安全保障
は米国に依存し、経済についても他国の購買力に依存するという
自立性のない国になってしまいます。
 さて、マクロ経済の理論上は「貯蓄と投資が一致する」ことに
なっていることです。したがって、貯蓄が投資よりも大きい場合
投資に一致するまで貯蓄は減ることになります。ここで貯蓄とは
所得の一定割合と考えることができます。
 どうやら投資が鍵を握っているようです。投資というとすぐ企
業の設備投資を連想しますが、投資には次の2面性があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
          1.需 要の増加
          2.生産力の増加
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1の側面は「需要の増加」です。投資を増やすと、その乗数
効果によって数倍の最終需要が増えるのです。そして、第2の側
面が「生産力の増加」なのです。
 しかし、日本の生産力は非常に大きく、需要をはるかに超えて
おり、そのデフレギャップは30%以上に達するといわれている
のです。つまり、生産力過剰に陥ってしまうのです。
 したがって、日本の場合、生産力を伴わない投資が必要になっ
てきます。生産力を伴わない投資としては「住宅投資」とそれに
政府による投資――つまり、公共投資が上げられます。
 しかし、住宅投資はともかくとして、公共投資に関しては無駄
であり、悪であるという価値観が持たれています。それはテレビ
に登場するエコノミストやコメンテーターが、公共投資は無駄で
あり、悪であるとあまりにもいい過ぎたのです。そのために国と
して方向転換ができにくくなっているのです。リチャード・クー
氏がマスコミから消えたのもそれが原因です。
 しかし、マクロ経済的視点に立ったとき、公共投資は必要なの
です。確かに財政赤字は巨額に達していますが、経済が良くなら
ない限りかえって赤字幅は増大するのです。
 ところでこの公共投資――その支出の内容によっ乗数効果はあ
まり左右されないのです。問題は規模なのです。したがって、支
出の内容は知恵を絞って後で役立つものに使うべきですが、そう
いう内容の議論よりもどのぐらいの額を投資するかが問題です。
 ちなみに公共投資に並ぶ財政政策である減税の乗数効果は日本
の場合低いといわれます。それは減税分のかなりの部分が貯蓄に
まわされ、狙い通りの効果が上げられないからです。貯蓄が増え
れば借り手がいないので、銀行に滞留する資金が増えるだけであ
り、経済が回っていかないのです。
 ちなみに地方で行われる公共投資の恩恵は都会にももたらされ
るが、都会における公共投資の経済効果は地方にはほとんど波及
しないことを知っておくべきです。せっかくの資金ですから有効
に使うべきです。
 経済学の教科書によると、政府は財政政策と金融政策の2つで
景気をコントロールすると書いてあります。とくに1970年代
以降の景気変動はどこの国でも金融政策が前面に出て対応してき
ているのです。
 しかし、リチャード・クー氏はバランシート不況下では、金融
政策はまったく効かなくなるといっています。実際に1995年
から、日本の金利がほぼゼロになったにもかかわらず、そこから
2004年までの10年間、日銀が精一杯量的緩和を行ったにも
かかわらず、何も起きていないのです。
 添付ファイルのグラフを見てください。このグラフは民間の借
り入れ(白い部分)と民間以外の借り入れ(黒い部分)――つま
り、政府部門とマネーサプライ(M2+CD)の関係をあらわし
ています。
 民間はずっと借金返済に回っているのに、本来なら減るはずの
マネーサプライは増えています。借金をしている民間部門は19
98年以降ずっとマイナスであるが、その間政府部門はお金を借
りており、それがマネーサプライ(M2+CD)のプラスをもた
らしているのです。     −―[日本経済回復の謎/08]


≪画像および関連情報≫
 ・マネーサプライとは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  マネーサプライは通貨供給量とも言われ、金融機関と中央政
  府を除いた経済主体(一般法人、個人、地方公共団体等)が
  保有する通過の合計として定義される。金融商品のうちで通
  貨としての機能を持つものの範囲、金融機関とみなす通貨発
  行主体の範囲については単純に決められず、幾つかの指標が
  作られている。日本ではM2(現金通貨+要求払預金+定期
  性預金)+CD(譲渡性預金)がマネーサプライの指標とし
  て使われる。            ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月13日

●見えない、聞こえない不況(EJ第2100号)

 「バランスシート不況」――これはリチャード・クー氏の造語
です。経済学の教科書にはいっさい載っていないまったく新しい
考え方です。
 経済学に限りませんが、新しい考え方というものはなかなか受
れ入れられないものです。もし、それを安易に受け入れると、自
分が拠って立つ基盤が崩れてしまうからです。まして学者はそう
いう基盤の上に立って学説を組み立てているので、拠って立つ基
盤が崩壊すると学説も意味を失ってしまうからです。
 実はこれまでのマクロ経済理論は次のことを前提として組み立
てられており、バランスシートは盲点だったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     企業のバランスシートには問題がない
―――――――――――――――――――――――――――――
 マクロ経済学者が企業のバランスシートを見ていないとすれば
誰が企業のバランスシートを見ているのでしょうか。
 通常企業のバランスシートを見ている人は、アナリストと呼ば
れるミクロの企業経営分析をする人たちです。また、企業に融資
をするための審査をする金融機関の人たちも企業のバランスシー
トを分析します。
 しかし、エコノミストは企業のバランスシートを検討して、そ
の企業の株が買いなのか売りなのかを分析しており、金融機関は
要するに貸すお金が果たして戻ってくるかどうかを分析している
だけであって、それ以上のものではないのです。
 これらはいずれもミクロの世界の話なのです。「木を見て森を
見ず」という言葉がありますが、木はよく見るが全体の森のこと
など考えてみないのです。
 そうすると、森を含めて経済全体を見るのは、マクロ経済学者
ということになりますが、肝心のマクロ経済学者は「企業のバラ
ンスシートには問題がない」という前提に立っているから最初か
ら企業のバランスシートを見ていないのです。これについて、リ
チャード・クー氏は次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 バランスシートの問題を抱えた企業が債務の最小化に走り出す
 と、総需要が減少して不況になる。ところが、企業が前向きで
 あることを前提とした経済学だけを何十年も勉強してきた人た
 ちは企業が後ろ向きになる可能性を最初から考えたこともない
 ので、何とか従来の経済学にある視点や分析手法でこの不況を
 理解しようとする。その結果、バランスシートの問題は完全に
 見落とされてしまうのである。   ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学/我々はどのような不況と
     戦ってきたか』       ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 要するに企業のバランシートは盲点であり、誰も見ていなかっ
たということです。それに加えて、借金返済を始めた企業経営者
は、そのことを絶対に秘密にするので、外部の人には一層わから
ないということです。このことは外部の人にはもちろんのこと、
企業内部でもごく一部の人にしか漏らさないよう、細心の注意を
払うはずです。
 なぜなら、もしこのことが外に漏れると、「あの企業は債務超
過だ」という噂を立てられ、銀行から取引停止を受けたり、取引
先から現金決済を通告される恐れもあるからです。そして表面上
は平静を装うのです。
 一方資金を返されている金融機関もこの話を秘密にしようとし
ます。もし、お金を貸している企業が債務超過になっていると、
それらは不良債権としてみなされ、融資を停止して資金の回収を
しなければならなくなるからです。銀行としても、企業にキャッ
シュフローさえあれば、この問題は時期が解決することはわかっ
ているので、黙って返済を受けようとするのです。
 つまり、銀行としては問題の所在がよくわかっている企業経営
者がそういう行動――つまり、借金返済をとってきている場合は
絶対に外にそれを漏らさないようにして、企業が返済を終えるの
をひたすら待ったのです。
 しかし、小泉政権ではちょうどそういう時期に構造問題として
銀行問題を取り上げ、不良債権の削減を強行しています。そのた
め、銀行側としては時期が解決するとわかっている企業――つま
り、潰れなくてもよい企業がその時期にいくつも倒産しているの
です。この不況が何によって起こされているかを知らないために
そういう間違った処置を取ってしまったといえます。
 このようなわけで、この不況をクー氏は「見えない、聞こえな
い不況」と呼んでいるのです。
 実際に過去10数年間にわたって企業がバランスシートを綺麗
にするために借金返済に走った実態を検証してみましょう。添付
ファイルを見ていただきたいと思います。
 棒グラフの部分は、銀行の企業向け貸出残高を示しています。
1985年頃から急速に増えはじめ、10年後の1995年には
ピークに達しています。1987年にバブルが発生しているので
時期的に一致しています。
 1995年の頂点から棒グラフは減りはじめ、2006年の時
点で1985年の水準まで圧縮されているのです。つまり、銀行
の企業向け貸出残高は、バブルの発生前の時点のレベルまで圧縮
されたことになります。
 なお、折れ線グラフは、銀行の企業向け貸出の対GDP比を示
していますが、この指標はバブル期には85%まで上昇していた
のですが、現在では52%まで減少しています。これは1956
年以来の低水準なのです。
 このグラフを見ると、クー氏のいうように、企業の借金返済は
本当に行われたことがわかるし、そしてそれが遂に終わったこと
を確認できます。だからこそ、景気が回復したのです。これは日
本経済にとって大変良いことである――リチャード・クー氏はそ
ういっています。      −―[日本経済回復の謎/09]


≪画像および関連情報≫
 ・マクロ経済学とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  マクロ経済学とは、個別の経済活動を集計した一国経済全体
  を扱う経済学である。マクロ経済変数の決定と変動に注目し
  適切な経済指標とは何か、望ましい経済政策とは何かという
  考察を行なう。その主要な対象としては国民所得・失業率・
  インフレーション・投資・貿易収支などの集計量がある。対
  語は経済を構成する個々の主体を問題にするミクロ経済学。
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月14日

●バランスシート修復を遅らせた小泉改革(EJ第2101号)

 リチャード・クー氏によると、日本を過去15年間にわたって
襲った不況は「見えない、聞こえない不況」だというのです。バ
ブルの崩壊によって、史上空前の資産価値の下落が起こったため
に企業(上場企業)のバランスシートがひどく傷んで、いつなん
どき、「債務超過」といわれかねない状況に陥ったのです。
 この危機に対処するために、企業は一斉にバランスシートの修
復に取り組み、それが原因で日本がいまだ体験したことのない不
況に突入し、それが約15年間にわたって続いたのです。
 企業がこぞってバランスシートを正常化するために一斉に借金
返済を行うことによって引き起こされたバランスシート不況は、
当事者同士である経営者と金融機関がその行為を秘匿し、誰から
も見えない、どこからも聞こえてこない経営者の経営行動だった
ため、「見えない、聞こえない不況」といわれるのです。
 日本の不況の本質が「バランスシート不況」にあるとすると、
EJ第2093号で指摘した次の3つの現象の謎も簡単に解けて
しまうのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1.外銀はなぜ参入しなかったのか
      2.社債市場はなぜ縮小化したのか
      3.金利はなぜどんどん下落したか
―――――――――――――――――――――――――――――
 まず、外銀ですが、彼らは日本ではキャッシュフローのある優
良な企業のほとんどが借金返済に走っていることをよく知ってい
たので、進出しなかったのです。
 また、社債は企業にとってれっきとした借金であり、過剰債務
を抱えている企業としては、これを一刻も早く返済するのが急務
であり、金利がいくら下がったといっても、社債を発行するはず
がなかったのです。
 金利が下がった理由は、貸し出せる企業が少ないため、銀行間
の競争が激化したのです。そうなると、当然市場原理が働いて、
金利はどんどん下がってしまったのです。
 もっとも当時の企業が一斉に借金返済に走ったのは、すべてが
「債務超過」を恐れての行動ばかりとはいえないのです。そこに
は、もうひとつ大きな理由があったといえます。
 当時の日本企業は、欧米の企業に比べて借金依存度がとても高
かったのです。自己資本に対して抱えている借金の比率を「レバ
レッチ」というのですが、日本企業の場合、そのレバレッチ率が
非常に高かったのです。
 その理由は当時日本経済は高度成長期に当たり、資産価値がど
んどん上昇していたからです。経済がこのような状態であると、
企業が自己資本に対して大きな借金をしても、誰も倒産の心配な
どしないし、経済も成長していて資産価値も上がっている――こ
のような状況ではむしろ借金を増やす方が、自己資本にレバレッ
チをかけて自己資本利益率(ROE)を上げることができるので
経営的には高い評価をされることもあったのです。
 添付ファイルの「日本企業のレバレッジ比率」を見ていただき
たいのです。これによると、1980年代前半の日本企業のレバ
レッジは、当時の米国企業の5倍という、今から考えるとすさま
じい規模の過剰な借金をしていたのです。
 ところが、1990年のバブル崩壊で、この流れは逆回転をは
じめたのです。日本経済の低成長と資産価値の下落――収益が減
少するなかで、巨額の借金を抱えた企業は利払い費に苦しみ、一
気に経営不振になってしまうリスクに見舞われたのです。
 日本企業が一斉に借金返済に走りだしたのは、こうした理由か
らです。それらの企業が目標としたのは次の2つです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1.毀損したバランスシートの完全修復
     2.低成長に見合うレバレッチ引き下げ
―――――――――――――――――――――――――――――
 これによって、日本企業のレバレッチ率は1990年以降に下
がりはじめ、2006年には米国企業とほとんど変わらないとこ
ろまで下がっています。それでも日本企業のレバレッジ率が米国
のそれよりも高いのは、金利の関係であって、何ら問題ではない
のです。現在の米国の短期金利は5%以上あるのに対し、日本は
ようやくゼロから離脱したばかりであり、そのため日本企業のレ
バレッチは適正であるといえます。
 小泉政権の経済担当といえば竹中平蔵氏です。竹中氏は運が強
いというか、辞める時期がタイミングが良かったというか、小泉
・竹中コンビが辞任する前後に景気が回復したので、何となく彼
らのとった構造改革路線が正しかったというような評価をする人
が出てきています。
 しかし、これは大きな誤りです。リチャード・クー氏は竹中氏
にとくに厳しいが、竹中政策とバランスシート不況の関係につい
て次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 竹中氏が金融相に就任した2002年9月以降、同氏は「竹中
 ショック」を放って銀行改革を進めようとしたが、当時の企業
 部門はバランスシート修復作業の真っ只中であり、銀行からお
 カネを借りるどころか、年間30兆円もの借金返済を進めてい
 た。そのように民間資金需要がないどころかマイナスになって
 いるときに、銀行改革を急ぐ理由は全くなかった。それどころ
 か、「竹中ショック」によって株価を含む全国の資産価格が下
 落したことは、今回の不況の主因である企業のバランナスシー
 ト修復作業を一段と長引かせてしまった。
                  ――リチャード・クー著
     『「陰」と「陽」の経済学/我々はどのような不況と
     戦ってきたか』       ――東洋経済新報社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 「竹中氏がいたから景気が回復した」のではなく、「竹中氏が
いたけれども回復した」のです。―[日本経済回復の謎/10]


≪画像および関連情報≫
 ・自己資本利益率(ROE)
  ―――――――――――――――――――――――――――
  自己資本利益率は、自己資本――株主資本を使って、どれだ
  け効率的に当期利益が稼げているかを見る指標。当期利益÷
  自己資本という式で求められ、自己資本がどれだけ効率的に
  使われているか(資本効率)を見るもの。一般的にはROE
  ――Return On Equity と呼ばれる。基本的には、この数字
  は高いほど資本効率が高いとみなされて、投資家から見たそ
  の会社の評価は高いものとなる。しかし、自己資本が非常に
  薄くなってしまっている場合にも、この数字は高くなってし
  まう。たとえば、債務超過ギリギリにまで自己資本が減って
  しまい、その状況で少しでも利益が出れば、非常に高いRO
  Eとなってしまう。したがって、ROEの指標は自己資本比
  率など財務体質の危険度を測る指標と合わせて見ていくこと
  が必要である。          ――マネー用語集より
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月15日

●リチャード・クーとポール・クルーグマンの対談(EJ第2102号)

 少し前の話ですが、1999年11月号の『文芸春秋』に、リ
チャード・クー氏とポール・クルーグマン教授の対談が掲載され
たことがあります。テーマは次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
        「日本経済/円高は悪魔か」
           ――1999年11月号の『文芸春秋』
―――――――――――――――――――――――――――――
 当時、既に私はEJを書き始めていましたが、残念ながらこの
対談は読んでおらず、『経済コラムマガジン』第146号/00
/1/17日付ではじめてそれを知ったのです。
 当時の日本経済が深刻な状況にあるという点では、これら2人
の有力エコノミストの認識は一致していたのです。日本経済は、
いわゆる「流動性の罠」にかかっており、金利政策の有効性は失
われている点についても両者の意見は一致していたのです。
 ところで、「流動性の罠」とは何でしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
 景気後退に際して、金融緩和を行うと利子率が低下することで
 民間投資や消費が増加する。しかし、投資の利子率弾力性が低
 下すると金融緩和の効果が低下する。そのときに利子率を下げ
 続け、一定水準以下になると、流動性の罠が発生する。
                    ――ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本の場合、短期金利はほぼゼロになったのですが、利子率は
ゼロ以下にはならないため、この時点ではすでに通常の金融緩和
は限界に達していたといえます。
 この場合、日銀がいくら金融緩和をやってマネーサプライを増
やそうとしても、民間投資や消費に火がつかないため、通常の金
融政策は効力を喪失してしまうのです。
 経済がこういう状況になったとき、政府として何を行うべきか
について、クー氏とクルーグマン教授の発言は次のように大きく
相違していたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ≪リチャード・クー氏≫
  現状では金融政策だけでは限度がある。したがってバランス
  シートの改善が済むまで、大胆な財政出動により景気の下支
  えを行うべきである。
 ≪ポール・クルーグマン教授≫
  当分財政支出による需要の喚起も必要であるが、これにも限
  度がある。また日本は現在深刻なデフレの状態である。そこ
  で今一番必要なのは大胆な金融の緩和である
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは、2000年のはじめの話であり、われわれはその後の
状況をよく知っています。この対談が行われた当時は森政権でし
たが、2001年からは小泉政権が実際に経済政策を取り仕切っ
たのです。そして小泉政権は、明らかにクルーグマン教授の提言
に近い政策を採用したのです。
 しかし、結果はどうだったでしょうか。
 小泉・竹中両氏にいわせれば、「痛みに耐えてがんばったから
こそ景気が回復したではないか」と胸を張るでしょうが、果たし
てそれは正しかったのでしょうか。
 経済が流動性の罠に陥ったとき、政府として何をするべきかに
ついては、かつてケインズが唱えて、ニューディール政策の理論
的根拠になった政策が存在するのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ケインズが当時の他の経済学者らと違った点は、政府の役割を
 強調した部分だ。1920年代の大恐慌当時、貨幣がたくさん
 供給されたが、景気は息を吹き返さなかった。ケインズはその
 理由について、流動性のわなのためだと説明した。金利があま
 りにも低くなれば、中央銀行がどんなに通貨を供給してもお金
 がうまく回らず、消費や投資が伸びない現象を、流動性のわな
 と呼んだのである。したがって、不景気のときにはお金を供給
 するよりも、政府が財政支出を増やす方がもっと効果的だとケ
 インズは主張し、こうした主張はニューディール政策の理論的
 根拠となった。
 http://learning.xrea.jp/%CE%AE%C6%B0%C0%AD%A4%CE%E6%AB.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 クー氏は既にこのとき、バランスシート不況に言及しており、
ゼロ金利でも上場企業は債務の返済を優先し、投資は伸びないと
主張し、大胆な財政政策の必要性を説いているのです。この考え
方はケインズの政策からみても正しいといえます。
 リチャード・クー氏とポール・クルーグマン教授の対談に関し
て、「経済コラムマガジン」の著者は次のように批評しているの
でご紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 どちらの考えが正しいかと言えば、筆者の考えでは、それはリ
 チャード・クー氏の方である。まさに正論である。しかし、両
 者の考えを同時に実現する方法もあると筆者は考える。大きな
 財政支出を行い、それに伴う国債を日銀が直接引受けるのであ
 る。これにより財政政策による需要の増加と、仲介機能が不全
 になっている銀行を飛び越え、市中に資金を供給することが同
 時に実現するはずである。しかしリチャード・クー氏は国債の
 日銀引受けの可能性については、どうも触れたがらないようで
 ある。筆者は、国債の大量発行と言うことになれば、どうして
 も日銀引受けと言う話が浮上してくると思われる。筆者は、リ
 チャード・クー氏がニューヨーク連銀、つまり中央銀行の出身
 と言うことが影響し、どうしても中央銀行による国債の引受け
 と言う事態に抵抗があるのではないかと考えている
          ――「経済コラムマガジン」/第146号
―――――――――――――――――――――――――――――
              ――[日本経済回復の謎/11]


≪画像および関連情報≫
 ・海外レポート/エッセイ/村上龍
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ポール・クルーグマン氏といえば当代きっての人気経済学者
  である。プリンストン大教授兼『ニューヨークタイムズ』コ
  ラムニストとして、時には厳しく時には茶目っ気たっぷりに
  時勢を切りまくっている。彼のように絶大な人気があれば何
  を言っても怖いものなしだ。目下のイシューは、ブッシュ政
  権が打ち出した社会保障年金制度改革案。ブッシュ大統領も
  2期目の一般教書演説でこの社会保障年金制度改革案を念入
  りにアピールし精力的に全米を遊説するなど相当力を入れて
  いる。
  http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report5_173.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月16日

●EJバックナンバー「円の支配者日銀」(その3)

2001年7月8日に配信したEJ第653号(全23回連載
の内第3回)を過去ログに掲載しました。
○日銀はなぜ金利を量に変更したか(EJ第653号)
posted by 平野 浩 at 04:59| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月17日

●EJバックナンバー「円の支配者日銀」(その4)

2001年7月9日に配信したEJ第654号(全23回連載
の内第4回)を過去ログに掲載しました。
○ 短期金融市場はどういう市場か(EJ第654号)
posted by 平野 浩 at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月18日

●高名な経済学者による日本の不況の分析(EJ第2103号)

 『週刊/東洋経済』2007年6月2日特大号に、ノーベル賞
経済学者であるポール・サミュエルソン氏の対談が出ています。
前回のクルーグマン教授とクー氏との対談に関連する点もあるの
で、過去数10年間にわたる日本の不況に関するコメントをひろ
ってみることにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・90年にバブルが破裂したとき、ポール・クルーグマンや私
  は、日本は「流動性の罠」にはまっていると指摘しました。
  何らかの理由で日本経済には根深い硬直性がある。
 ・バブル期の日本はまるでギリシャ悲劇のようでした。日本は
  舞い上がっていて、私たち米国人に対し、米国のやり方は時
  代遅れだ、米国の問題の元凶はハーバート・ビジネススクー
  ルだ、日本には全員一致と終身雇用による新たな企業統治の
  手法があると言っていました。
 ・財政政策と金融政策の双方で過ちを犯し続けていて、そのせ
  いで金融機関への対処に時間がかかりすぎただけなのか、ま
  たはこれらの過ちは全体像の一部の問題に過ぎず、今も構造
  的な欠陥が存在して構造改革が必要なのか、どちらの見解も
  正しいといえるでしょうね。 ――ポール・サミュエルソン
      『週刊/東洋経済』2007年6月2日特大号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 過去数10年間の日本の不況の原因に関しては、クルーグマン
氏にしてもサミュエルソン氏にしても、正直何をいっているのか
よくわからないというのが本音です。そして、自分たちの理論で
説明できないと、「日本は特殊である」という論法で逃げている
ような気がしてならないのです。
 経済学というものはそういうものであるといってしまえばそれ
までですが、本当に不況の原因を掴んでいるなら、素人にも理解
させることができる説明が私はできると考えています。その点、
リチャード・クー氏のバランスシート不況論は素人でも理解でき
る納得性があります。しかし、高名な経済学者ほど、クー氏のい
うバランスシート不況論など一顧だにしないといいます。加えて
クルーグマン氏やサミュエルソン氏は米国における対日の経済政
策要求にかかわるオピニオン・リーダー的存在であることも頭に
入れてその発言を読み取るべきであると考えます。
 スティーヴン・ヴォーゲルという人がいます。カルフォルニア
大学バークレー校准教授ですが、彼の父親が『ジャパン・アズ・
ナンバーワン』の著者、エズラ・ヴォーゲル氏なのです。
 ジャパン・タイムズの記者を経て、ハーバード大学などで教鞭
をとったのち現職に就いているのですが、大変な日本通の学者で
す。彼は、『VOICE』2007年7月号に『日本企業は米国
型を超える』という興味深い論文を発表しています。
 その中で、彼は日本経済の回復が遅かった理由について次のよ
うに述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 それ(日本経済の回復が遅かった理由)は、主に政策の失敗に
 原因があった。この政策の失敗を是正する必要があったが、そ
 れが非常に遅かった。財政政策、金融政策、銀行規制の3つの
 政策が失敗したのだが、財政政策についてはバブル崩壊後、政
 府は経済刺激策を実行するのが遅かった。金融政策も緩めるが
 実行に移すのが非常に遅く、ゼロ金利政策を実行したときはそ
 れを量的緩和政策でフォローするのが遅かった。また、金融危
 機の処理も非常に遅かった。そういうことが重なって、日本経
 済の回復にかなりの時間がかかったのである。
               ――スティーヴン・ヴォーゲル
            『VOICE』2007年7月号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 それでもスティーヴン・ヴォーゲル氏は、時間はかかったけれ
ども、小泉政権がデフレと金融危機という2つの問題に真剣に取
り組んだことは評価しているものの、小泉前首相の政策の重点の
置き方については、次のように苦言を呈しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小泉前首相は、経済回復にもっとも重要な問題であるデフレと
 金融危機の問題にそれほどエネルギーを費やさず、さほど重要
 ではない、構造改革や郵政改革、特殊法人改革という問題にエ
 ネルギーを使いすぎた。私の考えでは、郵政改革や特殊法人の
 問題は経済回復にはまったく関係ない。
               ――スティーヴン・ヴォーゲル
            『VOICE』2007年7月号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 さほど重要ではない構造改革や郵政改革、特殊法人改革――こ
のヴォーゲルの言葉はまったくその通りであると考えます。日本
は何かとんでもない回り道をしてきたような気がするのです。
 ヴォーゲル氏は、日本はバブルが崩壊したとき、今まで日本を
成功に導いてきた「日本型経済モデル」は間違いであったとして
日本の官僚、経営者、オピニオンリーダーたちはそれをあっさり
と捨て米国型モデルに変更しようとしたことを批判しています。
 日本型経済モデルとは、政府指導の経済、政府と企業の密接な
関係、終身雇用、メインバンクシステム、密な企業間ネットワー
クなどを意味しています。それは日本がかつて世界に対して誇っ
た日本経済成長のモデルだったのです。
 バブル崩壊後に日本で起こったいわゆる改革の波は、こうした
従来の日本型モデルを問題ありとして変えようとしたのです。日
本政府は、民営化、規制緩和という米国政府のレトリックを信奉
し、ひたすらその方向で構造改革を推し進めたのです。
 しかし、結果としてそこに出来上がった新しい日本型モデルは
ヴォーゲル氏にいわせると、日本の既存制度の強化によって生ま
れたものであり、良くなったことも問題のあるものもあるが、ど
ちらにせよ、やはり、きわめて日本的なものであると指摘してい
ます。           ――[日本経済回復の謎/12]


≪画像および関連情報≫
 ・ポール・サミュエルソンについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  経済学のの多岐にわたる分野で活躍し、古典派経済学にジョ
  ン・メイナード・ケインズのマクロ経済学的分析を組み合わ
  せた新古典派総合の創始者として著名。厚生経済学の分野で
  は、リンダール・ボーウェン・サミュエルソン条件(ある行
  動が福祉をより良くするかどうかを決める判断基準)で知ら
  れている。             ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月19日

●「小さい政府」に本当に変えていいのか(EJ第2104号)

 経済というものをどのようにとらえるかについては、さまざま
な考え方があります。経済の原点といえば、一方に資本を提供す
る者がいて、他方にその資本を使って人を雇い、事業を行って利
益を得る者がいる――そういうかたちになります。
 こういう経済のかたちをいつから「資本主義経済」とか「自由
主義経済」とか呼ぶようになったかは、はっきりとはしていない
のですが、そういう経済を否定する共産主義や社会主義が登場し
てからのことと思われます。別に「これから資本主義経済をはじ
めるよ」と宣言してはじめたわけではないのです。
 19世紀までの経済は、「夜警国家」という考え方の基に成り
立っていたのです。ところで「夜警国家」とは何でしょうか。
 「夜警国家」とは、政府は国防や警察サービスを強化し、国民
を外敵の攻撃や暴力から守ることに専念して、経済を含む民間の
活動については介入すべきではないという考え方です。こういう
国家では、経済については自由放任――レッセ・フェールの市場
経済が原則になります。
 英国のアダム・スミスは、『国富論』という著作において、夜
警国家の理論を体系化して、次の考え方を明らかにしたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 政府が民間の活動に介入しなければ、私的利益だけでなく、公
 共の利益もまた最大になる。      ――アダム・スミス
―――――――――――――――――――――――――――――
 別に経済理論の歴史を論ずるつもりはないのですが、小泉内閣
とその後継の安倍内閣において進められている構造改革の底辺に
どのような思想があるのか、またどのような考え方の人がこれを
推進しようとしているのかを明らかにしたいのです。
 さて、自由放任の資本主義社会には、次の3つ病気があること
がわかってきたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       1.第1の病:貧困層の増大
       2.第2の病:失業者の増大
       3.第3の病:市 場の失敗
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1と第2の病については説明する必要はないと思いますので
第3の病について解説することにします。
 自由放任の経済では、私的独占や不公正な取引による事故や損
失などがしばしば発生します。独占企業によって価格が吊り上げ
られて消費者が不利益を受けたり、医療事故や、薬害、公害など
が起こります。このように、自由放任の経済なのにかえって独占
が起こるのです。これを「市場の失敗」と呼んだのです。
 こういう3つの病を治そうとすると、政府は大きくならざるを
得ないのです。つまり、「大きな政府」です。戦後の欧米諸国や
日本は、第1と第2の病を治療して、社会主義に優る安定的な資
本主義の建設を目指したのです。
 加えて政府は「市場の失敗」を拡大解釈して、規制を強化した
り、私企業を国有化するなど、市場に積極的に介入し、自由な市
場の動きを修正するようにしたのです。これらは「大きな政府」
にしてはじめてできることなのです。
 日本では21世紀までこの「大きな政府」が続いてきたのです
が、小泉政権になって小泉首相は初閣議において次のように決意
を表明しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 構造改革なくして景気回復なしとの認識のもと、社会経済構造
 改革に取り組み改革断行内閣とする。構造改革を通じた回復に
 は痛みが伴う。              ――小泉前首相
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは、経済学的にいうと、小渕内閣のとったケインズ政策路
線からの決別を意味しているのです。さらに2003年になると
「小泉改革宣言――政権公約2003」において「簡素で効率的
な政府を目指す」と明言しています。つまり、「大きな政府」か
ら「小さな政府」を目指すと宣言したことになります。これは経
済理論の変更を意味する大変化です。
 しかし、国民は熱狂的に小泉改革を支持したのです。「小さい
政府」が何を意味するのか、はっきりしないままです。果たして
これでいいのでしょうか。
 自由放任の経済――これは古典派経済学といわれます。この経
済の世界の最大の問題点は、巨大な需要不足状態――つまり、経
済恐慌が発生することです。
 マルクスはこの経済恐慌が起こることを事前に予想し、資本主
義経済には問題があると指摘したのです。そして、共産主義・社
会主義経済こそがそれに代わる正しい経済システムであることを
説いたのです。これがマルクス主義です。
 このマルクスとは別の方法によって自由放任の経済の重要な欠
陥――有効需要の不足が起こること――を理論的に指摘したのは
ケインズです。そしてそれを「市場の失敗」と名づけたのです。
ケインズは、その「市場の失敗」は政府が是正することによって
市場は正常に機能するようになることを示し、共産主義をとる必
要がないことを明らかにしたのです。
 このようにして第2次世界大戦後の経済政策はケインズ政策が
主流となったのです。そのケインズ政策のおかげで、資本主義経
済国家は深刻な経済不況に遭遇したことがないのです。唯一の例
外は、バブル崩壊後の日本経済なのです。
 そのように経済がおかしくなると、一度滅びたはずの怪しげな
政策を唱えるゾンビどもが復活してくるものなのです。そのゾン
ビの正体が自由放任の経済思想であり、現在の日本ではその経済
思想が力を得つつあるのです。この一派を「新古典派」――ニュ
ー・クラシカル」というのです。
 ややこしいのは、同じ「新古典派」を名のる別の一派があるこ
とです。これはケインズ政策を修正したとされる一派であり、ネ
オクラシカルと呼ぶのです。 ――[日本経済回復の謎/13]


≪画像および関連情報≫
 ・新古典派経済学とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  新古典派経済学とは、経済学における学派の一つ。もともと
  は、イギリス古典派の伝統を重視したマーシャルの経済学を
  さしたとされるが、一般には、限界革命以降の、効用の理論
  と市場均衡分析をとりいれた経済学をさす。数理分析を発展
  させたのが特徴であり、代表的なものに、ワルラスの一般均
  衡理論や新古典派成長理論などがある。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月20日

●構造改革派の正体は何か(EJ第2105号)

 「新古典派経済学」を名乗る学派には次の2つがある――前回
そうお話しいたしました。
―――――――――――――――――――――――――――――
    新古典派経済学 ・・・ ニュー・クラシカル
    新古典派経済学 ・・・ ネオ ・クラシカル
―――――――――――――――――――――――――――――
 ネオ・クラシカルの方から説明します。ネオ・クラシカルは、
新古典派経済学にケインズ経済学を組み合わせた新古典派総合の
経済学のことであり、その創始者が1970年にノーベル経済学
賞を授与されたポール・サミュエルソンなのです。
 これに対してニュー・クラシカルは、自由放任(レッセ・フェ
ール)の下での経済が理想であり、現在の経済で起こっている不
都合は、いろいろな障害が経済の機能を阻害していることが原因
と考えるのです。したがって、これらの障害を排除することこそ
が正しい経済政策であるというのです。
 それでは彼らが障害と考えるものは具体的には何でしょうか。
それは、あらゆる社会的、経済的な規制なのです。したがって、
それらの規制の緩和や撤廃、さらに一歩踏み込んで経済の構造改
革が重要な課題と考えるのです。そしてもちろん政府の経済への
介入をできるだけ少なくしようといる――そのため歳出の削減を
強く求めるのです。
 自由放任(レッセ・フェール)の下での経済の障害のひとつ、
失業を例にとって考えてみます。ケインズ経済学では、失業は有
効需要不足による不況が原因で起こるので、政府が有効需要創出
政策を行うことで解決するという考え方に立ちます。
 ところがニュー・クラシカルでは、失業は硬直的な雇用慣行や
雇用環境に問題があると考えるのです。つまり、制度が悪いと考
えるわけです。賃金制度を見直して、賃金水準を柔軟に変更でき
るようにすべきだと主張するのです。具体的には、最低賃金制の
撤廃や人材派遣の自由化などの制度見直しがありますが、これら
は現代社会のなかで次々と実現しつあります。
 このように、ケインズ経済学もニュー・クラシカルも、ともに
自由放任(レッセ・フェール)の下での経済が理想と考えている
点は同じなのです。ともにアダム・スミスの古典派経済学を原点
としているのです。
 しかし、そういう経済の下では往々にして障害が起きるのです
が、その場合、政府が介入して是正するという立場のケインズ経
済学と、「見えざる手」がスムースに働くように制度などを改正
・撤廃をするとともに、経済を構造的に改革するというのがニュ
ー・クラシカルの考え方なのです。したがって、ケインズ経済学
では「大きな政府」、ニュー・クラシカルでは「小さな政府」が
前提となるのです。
 既に何度かご紹介している「経済コラムマガジン」の著者は、
このニュー・クラシカルをいわゆる「構造改革派」として次のよ
うに厳しく批判しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 構造改革派の主張は論理的ではない。構造改革派の教典は古典
 派経済学である。しかし古典派経済学に基ずくレッセフェール
 (自由放任主義)経済は、歴史的に破綻している。現実の経済
 は古典派理論のようには動かなかったのである。ところが構造
 改革派の人々は、なんと経済が古典派理論通りうまく動くよう
 に今度は現実の社会の構造の方を変えようというのである。倒
 錯した感覚である。ハルマゲドンを予言した新興宗教団体が、
 実際にハルマゲドンを起こそうとしたのと非常に似ている。た
 しかに構造改革派は新興宗教的な体質を持っている。社会改革
 運動とは実に胡散臭い動きである。
           ――経済コラムマガジン/476号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 「経済コラムマガジン」でも述べているように、構造改革派の
唱える古典派経済学は歴史的に破綻して一度姿を消しているはず
なのです。それがどうして息を吹き返したのでしょうか。
 結論からいうと、ケインズ経済学による財政政策がなぜか人気
を失い、劣勢になったことです。一国の経済が不況になると、ケ
インズ政策は否定され、構造改革派が台頭してくるのです。それ
に「ベルリンの壁崩壊」の影響が大きいのです。つまり、共産主
義・社会主義国家が没落し、政府による経済への過度の介入が悪
であるとみなされるようになったことと無関係ではないのです。
 よく考えてみると、日本はこの数10年間――とくに小泉政権
において、構造改革派が唱える案が取り入れられてきており、彼
らの推進する社会改革活動が進んでいるように見えます。
 「経済コラムマガジン」によると、構造改革派の人々の特徴は
を次のようになっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 経済をマクロ(一国の経済)で捉えるという考え方が衰退して
 いる。今日の経済学者は、盲目的に「小さな政府」「官業の民
 営化」「規制緩和による競争促進」を訴える。ところがこれに
 よって落ちこぼれる人々が出て来ると指摘されると、必ず「セ
 ーフティーネット」を張ると言う。「セーフティーネット」な
 んて心にもないくせに、慌ててこのセリフを付け加えるのであ
 る。        ――「経済コラムマガジン」/444号
―――――――――――――――――――――――――――――
 経済をマクロでとらえる学者が少なくなっているという指摘は
重要です。確かにマクロ経済学者でありながら、平気で経済をミ
クロで分析する人がいます。マクロとミクロでは結論が逆になる
ことは少なくないので、間違った情報が伝えられてしまいます。
 そして、前提条件を明らかにしないままに財政赤字が巨額であ
り、それが時々刻々と増えているということばかり強調して財政
再建が焦眉の急であると強調する――そういう社会情勢になって
いるといえます。その象徴的なものはテレビで表示される「借金
時計」であるといえます。  ――[日本経済回復の謎/14]


≪画像および関連情報≫
 ・「見えざる手」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  アダム・スミスの『国富論』第4編に、ただ1回だけ出てく
  る有名なことば。スミスによると、社会の各個人は自己の利
  益だけを追求してゆくうちに、見えざる手に導かれて自分の
  思いもかけぬ目的、つまり社会全体の利益を達成することに
  なる。なぜなら、スミスの念頭にある各個人は、自己の資本
  を使って最大の利益をあげようとする資本家のことで、最大
  の利潤を求めて、最大の勤労を維持し、その結果、生産物の
  価値を最大ならしめるから、全生産物の価値にひとしい社会
  全体の年収入も最大になるとされるのである。
    http://www.sarimedi.com/value/2005/11/post_296.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月21日

●なぜ、公共投資を嫌うのか(EJ第2106号)

国の経済にかかわる人のなかに「構造改革派」といわれる一派
があります。これと対極にある一派がケインズ経済学派――ケイ
ンジアンです。
 自由放任(レッセ・フェール)経済をあくまで理想の経済とし
て、その機能を阻害する制度や規制を撤廃するとともに経済の構
造を改革してレッセ・フェール経済を実現する――これが構造改
革派ニュー・クラシカルの思想です。
 これに対してレッセ・フェール経済では、そのままでは必ず問
題が発生するとして、そのときは政府などが積極的に市場に介入
すべきであると提唱する、修正資本主義的な考え方が、ケインジ
アンなのです。マクロ経済学においては、ごく常識的な考え方で
あるといえます。
 しかし、最近の経済学でケインジアンは一昔前の経済思想とし
てきわめて劣勢なのです。なぜ、劣勢なのかについてはいろいろ
な原因があるのですが、ケインジアンの考え方で経済を運営しよ
うとすると国家の財政赤字が累増するので、国家財政の健全化と
いう立場から、忌避されるのです。日本では財務省が徹底的にこ
の考え方をとることを避けようとしています。
 そうなると、力を得るのは、構造改革派です。小泉政権以来の
日本の経済運営は、ほとんど構造改革派的考え方に乗っ取られて
おり、ケインジアン的政策を提言しようものなら、たちまち、古
い時代のエコノミストとして批判の対象となります。
 しかし、「経済コラムマガジン」では、この構造改革派を徹底
的に批判しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 構造改革派の公共事業に対する感情は異常である。彼等の公共
 事業への憎しみは尋常ではない。公共事業が、彼等が嫌う政府
 支出であるということでまず拒否反応がある。さらに公共工事
 の入札に伴い頻繁に談合が行われることが災いしている。構造
 改革派にとって、公共事業は二重の意味で自由主義市場経済の
 原則に反するものなのである。
         ――「経済コラムマガジン」/444号より
―――――――――――――――――――――――――――――
 もともと公共事業重視政策は、あの田中角栄首相が地域格差を
なくす切り札として実施したものです。いわゆる「日本列島改造
論」がそれです。具体的には、工業の全国的再配置と知識の集約
化、全国新幹線と高速道路の建設、情報通信網によるネットワー
ク形成などがその内容です。
 問題は財源をどうするかです。その点、田中角栄という人物は
まさに天才だったといえます。彼は、揮発油税を道路整備の財源
にするというアイデアを思いつき、1953年に議員立法で次の
法律を作ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     道路整備費の財源等に関する臨時措置法
―――――――――――――――――――――――――――――
 これが現在話題になっている「道路特定財源」のはじまりなの
です。田中首相は衆参両院――とくに参議院では100日間にわ
たり、すべての答弁をひとりで行い、法律を成立させたのです。
驚くべき力の入れようです。それも小泉首相のようなはぐらかし
答弁ではなく、反対意見には噛んでふくめるがごとくていねいに
説得し、押し切ったのです。
 田中首相は、日本列島改造を進め、地域格差を解消するために
次の2つ政策を推し進めたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
         1.財政の先行的運用
         2.税制の積極的活用
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1の「財政の先行的運用」は、現在の世代の負担だけでなく
未来の世代の負担をも考慮した積極財政を意味しています。これ
を今いおうものなら、「子どもや孫たちの世代に借金を残す」と
いわれ、とんでもない妄論とされるでしょう。
 これについて、経済評論家の岩田規久男氏は、自著において次
のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 子どもや孫たちに借金を残したくないという考え方は、一見、
 親切そうにみえるが、結果はそうではない。生活関連の社会資
 本が十分整備されないまま、次の世代に国土が引きつがれるな
 らば、その生活や産業活動に大きな障害がでてくるのは目に見
 えている。美しくて住み良い国土環境をつくるには、世代間の
 公平な負担こそが必要である。
     ――岩田規久男著、『「小さな政府」を問いなおす』
                     ちくま新書616
―――――――――――――――――――――――――――――
 第2の「税制の積極的活用」は、大都市と地方の税制を改め、
集積の利益を享受できる大都市は税を重くし、地方は税の優遇措
置を実施したのです。このようにして、田中内閣では地域格差の
是正に全力で取り組んだのです。
 このような田中内閣の政策によって、日本はそれまでの均衡財
政主義から離脱し、財政赤字が累積する状態が続いたのは確かで
すが、経済は大きく発展したのです。田中首相は地方に手厚く公
共事業を配分するためには、財源は地方税だけでは大幅に不足す
るので、この不足を埋めたのが、地方交付税と補助金なのです。
 しかし、現在ではこうした田中的なやり方は、良いことも含め
てすべてが否定され、悪とされてしまっています。確かに田中首
相はロッキード事件で失脚し、そのイメージは地に落ちた感があ
るものの、良い面もたくさんあったのです。
 構造改革派は、この風潮をたくみに利用し、財政赤字の巨額さ
を必要以上に強調し、借金時計まで作って財政再建の必要性を強
調しようとしています。そして、その試みはかなり着実に成功し
つつあるといえます。    ――[日本経済回復の謎/15]


≪画像および関連情報≫
 ・田中角栄の「日本列島改造論」
  ―――――――――――――――――――――――――――
  岩崎定夢氏は、「角さんの功績、真の実力この魅力」の中で次
  のように述べている。
  ――未来を見通してどのように生きるのかビジョンを示し、
  国民が納得の上でその実現に努力する。その目標を示すのが
  政治家の最大の務めなのに、そのきっかけになるはずだった
  日本列島改造論を、寄ってタカって潰してしまった。問題は
  潰してしまった者達にはこれっぽっちも反省の気配はなく、
  むしろ、それで正義を実現したと思い込んでいることだ。悲
  しいことと云わざるを得ない――。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/giyoseki_nihonreetokaizo.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月22日

●日本の「小さい政府」への挑戦(EJ第2107号)

 70年代以降、田中角栄型の社会主義政策が展開されるように
なって日本政府は急速に「大きな政府」になっていったのです。
しかし、80年代に入ると、その揺り返しとして「大きな政府」
の流れに歯止めをかけ、財政を再建しようという動きが出てきた
のです。
 この動きは80年代後半から90年代のはじめにかけて、財政
収支が黒字に転換し、政府規模の拡大に歯止めをかけるという大
きな成果を生んだのです。日本政府のはじめての「小さい政府」
への挑戦の成果といってよいでしょう。
 しかし、90年代に入ってバブルが崩壊すると、景気は一挙に
後退したのです。そのため、何度も景気対策としてケインズ政策
がとられたので、財政収支は再び赤字に戻り、国債残高は累増し
ていくことになります。
 この80年代の「小さな政府」への挑戦をプランニングしたの
は、1980年の臨時行政調査会(以下、臨調)、1983年の
臨時行政改革推進審議会(以下、行革審)による答申なのです。
 臨時行政調査会は、昭和30年代後期に同名の審議会が設置さ
れているので、「第2次臨調」と呼ばれています。なお、「第2
次臨調」と「行革審」の答申は、その路線は基本的には同じであ
り、以下はまとめて臨調と呼ぶことにします。臨調の答申は次の
ように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 明治の富国強兵政策や戦後の経済発展政策は、追いつき型近代
 化の過程では有効であったが、追いつき型近代化に成功した今
 日では、民間がその活力を自由に発揮できるように、規制の緩
 和・撤廃等の措置を徹底する行政改革が不可欠である。
     ――岩田規久男著、『「小さな政府」を問いなおす』
                     ちくま新書616
―――――――――――――――――――――――――――――
 これらの行政改革は財政構造を改革することを可能にするので
2つを合わせた行財政改革が「小さな政府」を目指す改革の目標
として掲げられたのです。この改革の流れが中曽根内閣から橋本
内閣まで受け継がれてきたのです。
 財政再建はある局面では、どうしてもやらざるを得ないもので
すが、そういう意味で80年代はじめの臨調による財政再建の動
きは適切なものだったといえます。しかし、気をつけなければな
らないのは、時期尚早の財政再建です。その典型的な失敗例は橋
本内閣のそれであるといってよいと思います。
 橋本首相が行財政改革に着手しようとしたのは1997年のこ
とです。当時、橋本首相にそう仕向けたのは、米国のクリントン
政権と当時の大蔵省(現財務省)なのです。このとき、米国政府
も大蔵省もバランスシート不況を認識していなかったのです。
 橋本首相は、次の4点セットで財政赤字を一挙に減らそうとし
たのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       1.消費税率の2%引き上げ
       2.社会保障負担費引き上げ
       3.特別減税廃止を決定する
       4.大型補正予算見送り決定
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本首相は、1996年の財政赤字が22兆円だったので、こ
れによって15兆円を減らそうとしたのです。ところが、これは
無謀な政策であり、1997年度こそ財政赤字は20兆以下にな
ったものの、そこから経済は5・四半期連続でマイナス成長とい
う最悪の結果になってしまったのです。
 当時の日本経済の構図は家計が1000円の所得のうち900
円を使い、100円を貯蓄していたものを企業がバランスシート
の正常化を図るため借りて使わないので、代わりに政府が借りて
使っていたので、辛うじて経済が回っていたのです。そういう時
期に政府は、100円を借りることをやめてしまったのですから
経済が回らず経済規模が縮小して行ってしまったのです。
 本来であれば、消費税率を3%から5%に上げたのですから、
税収が増えていなければならないのに、逆に財政赤字が16兆円
も増え、1999年には38兆円にまで拡大してしまったのです
から、大失敗であったといえます。
 もともと財政再建を仕掛けたのは、橋本内閣の官房長官、梶山
静六だったのです。梶山は第2次橋本内閣の組閣で橋本に進言し
与謝野馨を官房副長官に起用させたのです。これはまことに異色
の人事であったのです。
 なぜなら、官房副長官というポストは、自民党の総裁派閥の有
望な若手議員の登竜門として位置づけられているのですが、与謝
野は既に文相経験があり、若手ではないこと――それに総裁派閥
の小渕派でもなく、そういう意味で異色の人事だったのです。つ
まり、梶山が財政再建をやるにはどうしても不可欠の人物と考え
ていたからです。
 挨拶に官邸にやってきた与謝野に対して梶山は次のようにいっ
たといわれています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 俺は組織いじりには何の興味もないんだ。君と2人で財政再建
 をやろうじゃないか。  ――清水真人著/日本経済新聞社刊
              『官邸主導/小泉純一郎の革命』
―――――――――――――――――――――――――――――
 梶山としては、自ら行革屋を気取り、官僚と重箱の隅をつつく
ような議論を好んで行い、官僚をやりこめて得意な顔をする橋本
首相の姿勢を内心批判していたのです。
 そこで橋本には好きなようにやらせておき、以前から温めてき
た財政再建を切れ者の与謝野と一緒にやり遂げて、政権の看板政
策として打ち出すことを考えていたのです。その梶山も与謝野も
企業によるバランスシートの正常化という行動にはまったく気が
ついていなかったのです。  ――[日本経済回復の謎/16]


≪画像および関連情報≫
 ・梶山官房長官の野望
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1996年1月中旬。首相官邸で官房長官・梶山静六が大蔵
  省・小村武ら主計局の幹部と向かい合っていた。
  「このままではこの国が滅びてしまうぞ。財政再建中期計画
  をつくれ!」。梶山は説明が終わるか、終わらないかのうち
  に強い調子でこう言い放った。小村たちが持参し、ご進講に
  及んでいたのは、1月下旬に始まる通常国会で96年度予算
  案と一緒に参考資料として提出する毎年度恒例の「財政の中
  期展望」だった。
             ――清水真人著/日本経済新聞社刊
              『官邸主導/小泉純一郎の革命』
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月23日

●EJバックナンバー「円の支配者日銀」(その5)

2001年7月10日に配信したEJ第655号(全23回連載
の内第5回)を過去ログに掲載しました。
○ 短資会社は日銀の天下り業界(EJ第655号)
posted by 平野 浩 at 04:56| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月24日

●EJバックナンバー「円の支配者日銀」(その6)

2001年7月11日に配信したEJ第656号(全23回連載
の内第6回)を過去ログに掲載しました。
○ 2つのMが日本経済をおかしくさせた(EJ第656号)
posted by 平野 浩 at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月25日

●政府与党全体の経済失政(EJ第2108号)

 2001年4月12日、首相・森喜朗の退陣表明を受けた自民
党総裁選に再び出馬したときの橋本元首相の挨拶です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 財政再建を急いだ結果が、今の不況の一つの原因になった。こ
 れは率直に認める。国民にお詫び申し上げる。――橋本龍太郎
―――――――――――――――――――――――――――――
 選挙戦術の一環とはいえ、かつての総理大臣が自分の経済政策
の失敗を認めるのはきわめて異例のことです。しかし、橋本とし
ては、がんじがらめの状況で、ああいう政策をとらざるを得ない
状況に追い込まれたともいえるのです。そのときの橋本元首相の
周辺の状況を少し探ってみることにします。
 1996年、橋本は首相になると、「官邸主導」というよりは
「橋本主導」に非常にこだわっていたといいます。金融ビックバ
ンについては、大蔵省総務審議官の武藤敏郎の指揮下で、証券局
長・長野厖土、銀行局長・坂篤郎が練り上げたシナリオを首相自
らがけん引する姿を演出する「橋本主導」にこだわったのです。
 したがって、行革においても橋本はそういうかたちをとろうと
したのです。しかし、当時の梶山官房長官は、そういう橋本のパ
フォーマンスを内心苦々しく思っていたのです。そこで、行革を
橋本の「格好のおもちゃ」にさせないよう与謝野を使って首相が
やらざるを得ないようにもっていく作戦を立てたのです。
 財政再建の影の仕掛け人は梶山静六その人であったのです。橋
本と梶山について、当時幹事長の職にあった加藤紘一は次のよう
に述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本さんは梶さんにろくに相談せず、行革をペットイシューに
 してまい進した。橋本政権をつくったのは自分だという自負の
 ある梶さんはそれに不満で、与謝野氏を巻き込んで財政再建に
 命をかけると言った。橋本さんはそれほど熱心ではなく、梶さ
 んに乗った形だった。     ――加藤紘一幹事長(当時)
             ――清水真人著/日本経済新聞社刊
              『官邸主導/小泉純一郎の革命』
―――――――――――――――――――――――――――――
 梶山と与謝野は、歳出を個別に切っていく方法だけでなく、上
からタガをはめていく手法――財政再建法づくりを目指すように
大蔵省の主計局にはっぱをかけていたのです。しかし、当の大蔵
省はというと、最後に責任を押し付けられることを恐れて、なか
なか乗ってこなかったのです。政治主導を警戒したのです。
 そこで、与謝野が精力的に動いて、主計局に対して次のことを
申し渡すところまでコトを運んだのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 首相、蔵相経験者でつくる財政再建会議を官邸に設け、与党で
 財政再建法に取り組む必要がある。首相経験者らが中心になる
 親会議と、三党幹事長(当時は自・社・さ連立政権)、政策担
 当責任者でつくる幹事会をつくろう。大蔵省は下働きを務めて
 ほしい。           ――清水真人著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 1997年1月21日、財政再建会議に参集した首相・蔵相経
験者たちは財政構造改革に対して非常に積極的な姿勢を示したの
です。なかでも中曽根康弘はもっとも積極的だったといいます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 今は戦後50年で最大の非常時だ。自社さ3党が大局的に譲り
 合ってこの困難を克服する必要がある。財政改革をやり抜けば
 経済にもプラスになる。          ――中曽根康弘
―――――――――――――――――――――――――――――
 また、もともと積極財政を身上とするケインジアンの宮沢喜一
は、財政再建は「総論」だけでは問題は解決せず、「各論」まで
踏み込んで、分野ごとの歳出削減が必要であると強調したといわ
れます。中曽根のいう「財政改革をやり抜けば経済にもプラスに
なる」という発言に代表されるように財政再建会議は、これから
起こってくる数々の難問の解決のかぎはすべて財政再建の成否に
かかっているというような明らかにおかしなムードになっていっ
たのです。
 そういう意味で、梶山と与謝野の仕掛けは成功しつつあったと
いえます。しかし、橋本としてはやっかいな米国の要求もあり、
こういうムードは頭の痛いことだったのです。
 1997年5月20日、首相官邸で橋本首相と加藤幹事長の間
でこのようなやり取りがあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 加藤「97年度は補正予算で対応させてほしい」
 橋本「幹事長、それはダメだ」
 加藤「それは大変厳しいお話ですが・・・」
 橋本「4月の日米首脳会議で補正予算での財政出動はしないと
   はっきり言ってきた。農業だけやるというわけにはいかな
   いんだ」         ――清水真人著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 加藤幹事長は、補正予算阻止に猛反発した農林族を調整できず
補正予算の計上を首相に求めたのです。そうしないと党内が持た
ないと判断したからです。
 しかし、橋本首相としては、4月25日にワシントンで行われ
たクリントン大統領との日米首脳会談で、大統領に公共事業によ
る内需刺激策を強く求められたさい、財政構造改革路線を盾にし
てこれを断った経緯があるのです。
 このように、よく「橋本失政」といいますが、橋本首相として
は、既に敷かれている財政構造改革路線をとらざるを得ないよう
に走らされていただけといえるのです。
 しかし、橋本のバックに回って族議員の抵抗を抑え、大蔵官僚
を指揮して財政構造改革路線を進めてきた梶山と与謝野は次の橋
本改造内閣では姿を消して、橋本政権のパワーは大きく減退する
ことになったのです。    ――[日本経済回復の謎/17]


≪画像および関連情報≫
 ・EJ第2000号達成記念会開催!/6月16日
  ―――――――――――――――――――――――――――
  6月16日(土)、東京日比谷のレストラン「松本楼」にお
  いて、「EJ第2000号達成記念会」が開催され、大勢の
  の方が来賓されました。EJは1998年10月15日を第
  1号として、ウィークデイの毎日、8年以上にわたって継続
  してお届けしてきております。パーティーにご参集いただい
  た皆様、お祝いのメッセージをいただいた皆様へ感謝の意を
  捧げます。ありがとうございます。       平野 浩
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月26日

●梶山構想と宮澤私案(EJ第2109号)

 なぜ、梶山官房長官と与謝野官房副長官は、橋本内閣から去っ
たのでしょうか。
 1997年6月、財政構造改革の最終方針が決まった頃、橋本
内閣の求心力はかなり高かったのです。一方に梶山――与謝野ラ
イン、他方に加藤――山崎(山崎拓政調会長)ラインが官邸に設
置した財政構造改革会議を中心に、財政構造改革に反対する族議
員退治を競い合って政権の車の両輪となっていたからです。
 しかし、自民党の保守を代表する梶山としては、どうしても自
社さ派の主張に傾斜しがちな加藤幹事長とはそりが合わず、確執
を積み重ねることがあまりにも多かったのです。
 そこで梶山は橋本に加藤更迭を持ちかけたのですが、聞き入れ
られず、自らが身を引く決意を固め、1997年9月に橋本が自
民党総裁選に無投票で再選を果たしたのを機に、与謝野と一緒に
官邸を去ったのです。
 しかし、梶山は自らの案による財政再建をあきらめたわけでは
なかったのです。1997年11月21日、梶山は首相の橋本と
沖縄に向かう政府特別機に同乗していたのです。沖縄復帰25周
年記念式典に前官房長官として招かれていたからです。
 その機中で梶山は橋本に「後で読んでおいて欲しい」といって
あるペーパーを渡したのです。そのペーパーこそ、翌週の『週刊
文春』に掲載され、永田町や大蔵省、金融界に大きな波紋を広げ
ることになる「梶山10兆円構想」だったのです。
 ちょうどこの頃、金融界においては、少し前なら予想もつかな
い次の事態が起こっていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   11月 3日 三洋証券会社更生法適用申請
   11月17日 北海道拓殖銀行が経営破たん
   11月24日 山一証券が自主廃業を決める
―――――――――――――――――――――――――――――
 実はこれらの一連の経営破たんでは、山一証券の破たんが一番
衝撃であったと思われがちですが、実は三洋証券の経営破たんが
金融関係者にとっては一番のショックだったのです。
 というのは、三洋証券では資金繰りがつかず、史上はじめての
無担保コールのデフォルト(支払い不能)が起こってしまったか
らなのです。
 短期金融市場では、金融機関同士は相互信用のもとに無担保で
日々の資金を融通し合う仕組みができています。したがって、今
までの常識では、たとえ破たんしても無担保コールだけは返却す
るという金融機関同士の「仁義」があったのですが、それが崩れ
たからです。そして、その影響で拓銀が破たんしたのです。
 もちろん四大証券の一角である山一証券の経営破たんは一種の
社会不安を巻き起こしたのです。なぜなら、山一証券が破たんす
るということは、どんな大企業が破たんしても不思議はないとい
うことを意味していたからです。そのため、これが個人消費を一
挙に冷え込ませる結果になったのです。
 金融収縮に消費減退が重なって日本経済は危機の淵に立つこと
になったのですが、そんなとき発表された「梶山構想」は大きな
インパクトを社会に与えたのです。バックライターがいる――と
いう噂は多く出ましたが、梶山は政策面をよく勉強しており、梶
山自らの構想と考えてよいと思います。
 「梶山構想」について『官邸主導』の著者、清水真人氏は次の
ように紹介しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 梶山構想――それはひと言で言えば、金融機関の自己資本増強
 にそれまで禁じ手中の禁じ手だった国の一般会計から財政資金
 を一気に投入し、金融不安一掃の決意を示すという内容だった
 のである。まず、政府が保有する日本電信電話(NTT)や日
 本たばこ(JT)の株式の売却益を償還財源の担保とし、10
 兆円程度の「改革・発展国債」を発行する。それを銀行が発行
 する優先株の購入などの形で投入する。さらに銀行経営者の責
 任追及、不良債権の情報開示の徹底などを提唱。国債は新産業
 の育成など景気対策にも積極的に活用すればよいという。
             ――清水真人著/日本経済新聞社刊
              『官邸主導/小泉純一郎の革命』
―――――――――――――――――――――――――――――
 この梶山構想よりも早く元首相の宮澤喜一は「宮澤私案」を橋
本に渡し、早急な検討を提案していたのです。宮澤私案では、預
金保険機構の財源を強化する案だったのです。具体的には、金融
機関の破たん処理に伴う損失を銀行などが収める保険料による積
立金でまかないきれないときに、同機構が自ら債券を発行して資
金を調達し、財源不足を補うという仕組みなのです。この債券は
政府保証債とし、資金運用部(財政投融資/郵貯・年金)資金で
引き受けるという構想なのです。
 橋本首相から宮澤私案の検討を命ぜられた加藤幹事長は頭を抱
え込んだのです。というのは、あの住専処理のさい、財政資金は
「信用組合以外は使わない」と封印してきたからです。
 もし、その財政資金を銀行などにも投入することになると、自
民党総務会から政策転換だとして、強烈な執行部批判が出ること
が必至だったからです。
 そのとき総務会には、「4K」といわれる論客がすべて揃って
おり、その激しい揺さぶりを耐えしのぐことを執行部は「K点越
え」と称していたほどだったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   第1のK――亀井静香   第2のK――河野洋平
   第3のK――梶山静六   第4のK――粕谷 茂
―――――――――――――――――――――――――――――
 事態は宮澤私案に沿って動き出したのです。そして、12月1
日には、元首相の宮澤が現首相の橋本に予算委員会で質問して、
国民に金融機関処理が万全であることを印象づける演出までやっ
たのです。         ――[日本経済回復の謎/18]


≪画像および関連情報≫
 ・1997年12月1日/予算委員会の橋本首相の発言より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  預金者を守る、お客様を守る、そして金融システムの安定性
  を守る、そのためにはあらゆる手段を行使していく決意であ
  ることを申し上げておきたい。私自身、公的支援によってセ
  ーフティーネットを完備する、そして預金者を保護すること
  が重要なことだという思いは大変強く持っている。
                       ――橋本首相
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月27日

●「交付公債」という絶妙の智恵(EJ第2110号)

 金融危機に対応する自民党対策本部は、元首相宮澤喜一を本部
長にいただき、宮澤私案に沿った対策が進み出したのです。この
状況では、誰でも梶山構想ではなく、宮澤私案を中心として対策
が立てられる――そう考えていたはずです。
 しかし、最後の土壇場で橋本が大きく揺れたのです。衆議院予
算委員会の質疑で、橋本は当の宮澤元首相をひっぱり出して金融
危機解決の意欲を示したのが、1967年12月1日のこと。そ
の次の日の12月2日のことですが、橋本は梶山に次の電話を入
れているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 じっくり話を聞いて勉強したいので、官邸に来てもらえないだ
 ろうか。                  ――橋本首相
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本は急に考え方を変えたわけではないのです。橋本は11月
21日に沖縄に向かう特別機のなかで梶山から受け取ったレポー
ト――梶山構想について研究していたのです。
 橋本は首相秘書官の坂篤郎に梶山からもらったペーパーを渡し
検討を命じていたのです。坂首相秘書官は、大蔵省出身で中小金
融課長の経験もある金融のベテランだったのです。
 坂は梶山構想に関して「この内容は基本的には正しい」と橋本
に答えていたのです。その話を聞いた橋本は坂に梶山に「構想を
支持する」という旨の手紙を書かせ、そのうえで梶山を官邸に呼
んでいるのです。
 それからもうひとつ橋本は、ここで打ち出す金融危機政策を歴
史に残るものにしたいという野望を抱いていたのです。こういう
ところが橋本の橋本らしいところなのです。どんなときでも、パ
フォーマンスを考えて行動する姿勢です。
 橋本が考えていたのは、かつて田中角栄が蔵相の時代に山一証
券に対して実施した日銀特融なのです。今回、山一証券が廃業に
追い込まれたので、それを連想したのかもしれません。橋本はど
うせやるならそれに準ずるものにしたい――そう考えたものと思
われます。
 それに宮澤私案に乗ると、その後継者とされている幹事長の加
藤紘一にリーダーシップをとられてしまい、歴史に残るものにな
らないとも考えたのでしょう。それにこのところ、橋本と加藤・
山崎執行部の間にはすきま風が吹いていたのです。
 この情報を掴んだ大蔵省の桶井主計局長ほかの幹部は竹下事務
所に駆け込んだのです。竹下とはあの竹下登元首相です。当時予
算にかかわる重要政策を通すには、陰のドンである竹下の力が必
要であるとして、とくに大蔵省幹部は頻繁に竹下詣を繰り返して
いたのです。
 このとき竹下はどういう判断をしたのでしょうか。
 竹下は梶山構想に関しては極めて深刻であると考えていたよう
です。それは彼の次の言葉によくあらわれています。
―――――――――――――――――――――――――――――
      梶山構想は政局に火を付けかねない
―――――――――――――――――――――――――――――
 竹下が心配したのは、梶山構想を無視すると、梶山が水面下で
新進党の小沢党首と結んで、与野党問わずに連携する「危機突破
の議員連盟」という連合軍を作って、議員立法でやりかねないと
考えていたからです。
 しかし、10兆円の国債を発行するということは、財政構造改
革路線に明らかに反するのです。やるとすればひと工夫する必要
がある――竹下はこう考えたのです。竹下は集まってきた大蔵省
の幹部に次のようにいったといわれます。
―――――――――――――――――――――――――――――
      あれ(梶山構想)は面白いわなぁ
―――――――――――――――――――――――――――――
 大蔵省の幹部は、竹下の発言を「もし、梶山構想を実現すると
したら、どんな智恵があるか」という意味にとったのです。これ
を受けて大蔵省の主計局が中心となって考えだしたのが「交付国
債」なのです。交付国債を金融用語辞典で引いてみると次のよう
に出ています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 交付国債とは現金の代わりに交付するために発行される国債で
 資金借入のために発行される通常の国債とは性質が異なる。土
 地の買収や補償金などの現金支払に代えて交付され、実際の現
 金の支払を後年に繰り延べる。    ――金融用語辞典より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ごく簡単にいうとこういうことになります。政府は受け手に現
金を渡すのではなく、債券(国債)を交付するのです。受け手は
現金が必要となった時点で政府に支払いを要求するのです。政府
は支払いを要求された時点ではじめて予算措置を行い、それに応
ずるという仕組みなのです。
 この仕組みは政府が国際機関に資金を出す場合などに使われる
のです。そのため、「出資国債」とか「拠出国債」と呼ばれたり
するのです。その仕組みを梶山構想に使おうというのです。
 どうしてこれが「絶妙の智恵」なのかというと、仮に政府がこ
の交付国債を預金保険機構に交付しても、その時点では予算上は
国債の増発にならないという点にあります。
 預金保険機構に交付する場合、実際にそれが使われるのは先の
ことです。したがって、それまでは財源問題は生じないのです。
そのため、財政構造改革の路線にも反しないで済むのです。そう
かといって、必要になれば使えるのですから、いざというときの
支えにはなるのです。
 つまり、宮澤本部案や加藤執行部の路線を守りながら、梶山構
想も取り入れることができるのです。だから、絶妙の智恵といわ
れるのです。
 資金の出し方を決めた竹下は、さっそく関係者の根回しをはじ
めたのです。        ――[日本経済回復の謎/19]


≪画像および関連情報≫
 ・田中角栄蔵相の日銀特融
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1965年5月28日は戦後の経済史に残る重要な日になり
  ました。日銀が証券会社向けに事実上無担保・無制限に特別
  融資することを決めたからです。いわゆる日銀特融です。ま
  ず大手の山一証券が対象になり、2ヵ月後の7月には大井証
  券にも特融が実施されました。この異例の措置によって信用
  不安の拡大を抑えることができましたが、日銀特融に至る過
  程はなかなかドラマチックなものでした。  
    http://www.nikkei.co.jp/nkave/about/history_2.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月28日

●竹下の見事な水面下の調整(EJ第2111号)

 竹下はまず幹事長代理の野中広務を橋本のところに行かせたの
です。橋本が梶山にあまり傾斜しすぎないよう歯止めをかける狙
いがあったのです。
 『官邸主導』の著者、清水真人氏はそのときの2人のやりとり
を次のように描いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 野中:梶山構想では国債の大量増発となる。財政構造改革路線
    を転換するおつもりか。
 橋本:そういうわけじゃないんだ。10兆円は「枠取り」の話
    なんだ。すぐに国債を発行するわけじゃない。
 野中:梶さんに乗ったら危ない
             ――清水真人著/日本経済新聞社刊
              『官邸主導/小泉純一郎の革命』
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで橋本が「枠取り」といっているのは、その10兆円を交
付国債で調達することを意味しているのです。しかし、これは既
に述べてきたように、竹下が大蔵省を促して出させた智恵であり
この時点で梶山は10兆円を交付国債で用意することを知らない
のです。問題はどのようにして梶山を説得するかです。
 竹下は、梶山の説得は自分と宮澤の2人でやることにしたのし
たのです。元首相が2人かがりで説得する――このかたちが一番
いいと考えたのです。その方針に宮澤は同意します。
 宮澤は大蔵事務次官の小村武を呼んで、交付国債で10兆円用
意する案を検討させたのです。そして、宮澤案と梶山案をドッキ
ングさせようとしたのです。
 少し難しい話になりますが、交付国債といっても最終的な支払
い財源によつて出資国債と拠出国債に分かれるのです。出資国債
は財源として建設国債を使える場合に限られ、そうでない場合は
税収の不足を埋めるために発行する赤字国債を使う拠出国債とい
うことになるのです。ここで宮澤は梶山構想を取り入れてそれを
拠出国債で用意することに決めたのです。
 1997年12月15日、午前9時に梶山は竹下を訪問したの
です。竹下は梶山の提案に賛意を示し、あとは宮澤の意見を聞い
てくれというにとどめたのです。説得の功績は宮澤に譲る竹下特
有の気配りなのです。
 同じ日の午前11時、梶山は宮澤の個人事務所を訪ねているの
です。宮澤は十分に梶山のメンツに配慮して、「梶山色の包装紙
に包んだ宮澤私案」を提示したのです。梶山はこれに対して次の
ように反発しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは換骨奪胎だ。私の構想とは似て非なるものである。
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、梶山はこの時点でこれは竹下の仕掛けによるものと判
断し、自分はここで手を引くべきだと判断したのです。そして、
次のようにこれを少しでも早く取り組むよう要請したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは一刻も早く実現する必要がある。年明けからの通常国会
 は98年度予算案が優先で、こっちは4月、5月なんて言って
 いたら、3月期決算を乗りきれませんよ。
                ――清水真人著、前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 宮澤はこれに応じたのです。翌日12月16日、自民党は緊急
金融システム安定化対策を決定し、預金者保護機構に預金者保護
と金融機関の資本注入のため、それぞれ10兆円ずつ日銀からの
借り入れ枠を設定し、政府保証をつけています。そして、当初予
定した10兆円の交付国債は、この20兆円が焦げ付いたときの
返済原資に当てることになったのです。
 しかし、最終的にはどうせ公的資金を投入するなら、金額は大
きい方がよいという判断で、政府保証の20兆円と交付国債によ
る10兆円を合わせて、「最大で30兆円規模の公的資金枠」と
してPRしたのです。
 竹下はこういう手を打つ一方で梶山が宮澤のいうことを聞かず
独走することを恐れ、もうひとつ手を打ったのです。相手は総務
会の4Kのひとりである亀井静香です。
 使者に立ったのは野中広務です。彼は亀井と会って竹下の支持
をちらつかせながら、執行部の提案を説明し、その一部は公共事
業にも使えると吹き込んだのです。反執行部への分断工作そのも
のです。それに竹下ならでの、もうひとつのカードもちらつかせ
たのです。
 それは、政策の路線変換の責任を取って蔵相・三塚博と大蔵事
務次官小村武の引責辞任と党総務会長・森喜朗の蔵相転出とそれ
に伴う亀井の総務会長就任の約束だったのです。これには亀井は
何もいうことはなかったのです。
 しかし、総理の橋本が望んだように、今回の公的資金枠30兆
円の政策がかつての田中角栄の山一証券への日銀特融のようには
いかなかったのです。橋本のあまりにも乏しいリーダーシップで
は田中角栄のようにいかなくて当然でしょう。すべては竹下の手
のうちにあったのです。
 しかし、橋本はこれに満足をしなかったのです。土壇場になっ
て橋本は誰も予想しないことをやったのです。12月16日夜、
与党3党の幹事長、政策担当責任者が集まって、98年度の税制
改正の協議を行っていたのです。焦点は社民党の要求する2兆円
規模の特別減税をどうするかです。
 加藤幹事長と山崎政調会長は、あくまで財政構造改革法の縛り
で、赤字国債の増発はできないと押し返し、何とか先送りで合意
できる寸前まできていたのです。
 ちょうどこの夜、橋本はクアラルンプールで開かれていた東南
アジア諸国連合(ASEAN)との首脳会談から帰国し、政府専
用機で羽田に着いたのです。橋本は坂秘書官を伴って官邸に入り
早速電話をしたのです。   ――[日本経済回復の謎/20]


≪画像および関連情報≫
 ・交付国債について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  もともとは第2次大戦の戦没者の遺族や強制引き揚げを余儀
  なくされた引き揚げ者を支援するため、現金の代わりに支給
  した国債。通常の国債は国が収入を得るのが発行の目的なの
  に対し、交付国債は生活者援助という特定の理由があった。
  数万円から数十万円の券面が普通で必要に応じて現金化でき
  るが、性格上、譲渡が禁じられている。金融システム安定化
  のために準備した7兆円は異例の用途と言える。国の予算で
  預金保険機構の勘定に必要と見積もられる金額を計上してい
  る。破綻金融機関処理のため、預保機構に準備された交付国
  債は7兆円。預保機構は資金が必要になった場合、交付国債
  の現金化(償還)を政府に要請、政府は国債整理基金特別会
  計から償還資金を拠出する。国債整理基金で足りない場合、
  一般会計で補填することになっている。
     http://www.central-tanshi.com/dr-call/yougo.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月29日

●減税の発案者は三塚蔵相!?(EJ第2112号)

 橋本が坂秘書官に電話させたのは、加藤幹事長と三塚蔵相の2
人です。そのときの橋本と加藤との電話のやり取りを再現してみ
ると次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本:実は2兆円の特別減税を実施することに決めた。必要な
    手続きをとって欲しい。
 加藤:減税は財政構造改革の路線転換です。政治責任になりま
    す。減税はできないといっていま、社民党を説得してい
    たところなんです。
 橋本:いや、もう決めたから。路線転換だの政治責任だの、政
    局に利用するならすればいい。この危機を乗り切ること
    が大切なんだ。
 加藤:といわれましても・・・
 橋本:もういい。このことは他言無用だ。
             ――清水真人著/日本経済新聞社刊
            『官邸主導/小泉純一郎の革命』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 12月17日午前10時に、橋本は三党の幹事長、政策担当責
任者ら首脳陣、三塚蔵相を首相官邸に緊急招集し、2兆円減税の
決断を打ち明けたのです。
 なぜ、橋本首相は2兆円減税を決断したのでしょうか。
 表面上はクァラルンプールでのASEAN会議でアジアの経済
状況の深刻さを痛感し、日本初の世界恐慌の引き金を引いてはな
らないと考えての決断――そういうことになっています。
 しかし、実際はそうではなかったのです。実は減税の発案者は
三塚蔵相だったのではないかといわれているのです。橋本はこれ
に乗っただけです。クァラルンプールでの話うんぬんは、後から
付けた理屈ではないかといわれています。
 どうして減税の発案者が三塚蔵相であるかというと、橋本首相
がクァラルンプールに行く前から、減税にかかわる予算措置の検
討を誰にも知らせず、密かに検討する指示が出せたのは蔵相しか
いないからです。大蔵省は最初から知っていたのです。
 2兆円減税の内訳は次の通りです。このうち所得税については
1998年2月から実施するのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     所得税 ・・・・・ 1兆4000億円
     住民税 ・・・・・   6000億円
―――――――――――――――――――――――――――――
 これについて、大蔵省が2兆円減税決定の指示を受けてやった
ことは、97年度補正予算を編成し、国税の所得税減税分の財源
として、赤字国債を約1兆円増発したことです。
 問題は、財政構造改革法との整合性です。問題の核心は、20
03年度には赤字国債の発行額をゼロにしなければならないとい
う点です。
 こういうと、どこかで聞いた話であると思う人もいると思うの
です。小泉政権時代に2010年にプライマリーバランスを均衡
させる――赤字国債の発行額をゼロにするという政策と同じなの
です。何のことはない。橋本政権のときに2003年にプライマ
リーバランスを均衡させる計画があったのです。
 2003年度に赤字国債をゼロにするためには、98年度から
は毎年度、赤字国債の発行額を前年度よりも減額することを法律
で義務づけられているのです。
 ところが、98年度の当初予算案はその時点でほとんど決まっ
ており、ここで1兆円を97年度補正予算で増額すると、98年
度の赤字国債の発行予定額を増やすことが可能になったのです。
大蔵省はそこまで計算して、2兆円の特別減税を蔵相を通じ橋本
首相に進言させたのです。
 なぜ減税が1998年2月からの実施となったのかは、97年
度中に減税を補正予算で処理する必要があったからです。これに
ついては大蔵省の外局である国税庁の判断にかかっていたのです
が、時の竹島一彦国税庁長官はゴーサインを出したのです。これ
も事前に情報が伝わっていないとできることではないのです。
 しかし、1997年12月17日の朝、大蔵省幹部は次の言葉
を口にしたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
        首相の決断は寝耳に水だった
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本という人は自分が「仕事のできる政治家」を自負し、それ
をかたちで示そうとする政治家です。これについて『官邸主導』
の著者、清水真人氏は次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 橋本は突然の決断でいかにも大蔵省を押し切った形の「橋本主
 導」を演出しながら、実は大蔵省にしっかり乗っていた。財政
 改革法の枠組みを首の皮一枚残して何とか守れることを十二分
 に計算したうえでの周到な「決断」だった。だからこそ、路線
 転換や政治責任を懸念する声をも強気で突破できたのである。
                ――清水真人著の前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 もともと97年度は、94年度から始まっていた2兆円の特別
減税をいったん取りやめ、先行した減税の財源を補うため、4月
1日から消費税率を3%から5%にアップさせています。
 これらは村山政権時代に決めていたことをそのまま実施したに
過ぎないと橋本はいいます。そして、秋からは医療保険制度改革
で医療費の患者負担を引き上げています。減税の廃止で2兆円の
負担増、消費税アップの負担増が約5兆円、それに加えて医療費
の負担増が2兆円――総額で9兆円の負担増を実施したうえに、
公共事業費も押さえ込もうとしたのです。これが橋本不況の原因
といわれています。
 そういう状況で行われた2兆円の特別減税――整合性がとれて
いないことは確かです。   ――[日本経済回復の謎/21]


≪画像および関連情報≫
 ・プライマリーバランスについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  プライマリーバランスは、1993年度予算で初めて約2兆
  5000億円の赤字になったのを皮切りに、その後、景気対
  策のための財源不足を国債の大量発行によって補ったため,
  赤字幅が拡大し、03年度には過去最高の20兆4000億
  円を記録した。財政赤字の増大を危惧した当時の宮沢財務相
  は01年3月、国会答弁で「わが国の財政は破局に近い状況
  にある」との危機感を露わにした。このあと小泉首相は01
  年5月、所信表明演説で、02年度予算で国債発行を30兆
  円以下に抑えることと、「持続可能な財政バランスを実現す
  るため、例えば、過去の借金の元利払い以外の歳出は新たな
  借金に頼らない」と公約し、具体的には「プライマリーバラ
  ンスを2010年代初頭に黒字化する」との目標を掲げた。
  それから4年、厳しい財政状況に変わりはない。
                  ――「日本の論点」より
  ―――――――――――――――――――――――――――

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2007年06月30日

●EJバックナンバー「円の支配者日銀」(その7)

2001年8月27日に配信したEJ第688号(全23回連載
の内第7回)を過去ログに掲載しました。
○ 銀行預金は10回貸し出しができる(EJ第688号)

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