2007年03月30日

UNIX用日本語フォントが完成(EJ第2050号)

 1995年の話です。第4回「フリーソフトウェア大賞」授賞
式の席上、選考委員会委員長の石田晴久氏は次のように挨拶をし
ています。
 「フリーソフトウェア大賞」は、財団法人インターネット協会
が主催し、フリーソフトウェアの中から社会に貢献した優秀な作
品を毎年表彰しているのです。
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 今回から新しくインターネット関連のフリーソフトも選考対象
 とした。各賞受賞の3作品は、過去、そして現在の日本のイン
 ターネットを支えてきたものである。日本のインターネットが
 大きな脚光を浴びる今、こういったソフトを選ぶことができて
 よかったと思う。      ――石田晴久選考委員会委員長
      http://www.nmda.or.jp/enc/fsp/jis/commt95.html
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 この受賞3作品の中のひとつが、今回のテーマにも関係する次
の作品なのです。
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           橘浩志「K14」
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 橘浩志氏は、当時村井氏を中心とするJUNET研究会に顔を
出していた常連で、タイポグラフィーとかレタリングに興味があ
り、中、高校時代はそういうことに熱を上げていた人物です。橘
氏は、東工大の工学部・情報工学科を卒業し、アステックという
ソフトウェア開発会社に当時在籍していたのです。
 JUNETの日本語化に使ったNECの漢字ROMをドネーシ
ョン(寄付)させるのに失敗した村井グループは、自分たちで作
ろうということになって、村井氏が目をつけたのが橘浩志氏なの
です。「彼ならやれる」、と。
 村井氏の考え方はこうです。橘がいくつかのサンプルとガイド
ライン――フォントデザインの統一基準を作成する。そうすれば
そのガイドラインに沿って文字をデザインする作業はJUNET
関連の大学の学生を総動員し、人海戦術で処理すればできると考
えたのです。
 しかし、ことは村井氏の考え通りには進まなかったのです。対
象となる文字は、JIS漢字コードに定められている約6000
字を超える日本語フォントです。
 橘氏がサンプル作りに着手してわかったことは、文字をデザイ
ンすることは思ったより早くできるが、それをガイドラインとし
てまとめるのは相当時間がかかる――しかも、人海戦術でやった
場合、最後にすべてをチェックする必要がある。この作業が大変
だということです。こういう仕事は分散すればするほど、かえっ
て手間がかかるのです。
 そこで、橘氏は自分ひとりでこの作業をやった方が早いと考え
て、敢然とそれに着手したのです。そのとき、橘氏の勤務先は渋
谷にあり、自宅は学生時代から同じ東工大の裏のアパートだった
のです。作業に使ったマシンは東工大の研究室にあったワークス
テーション「SUNU/Xウインドウ付き」です。
 橘氏は、仕事が終わって自宅に戻る途中に大学の研究室に寄り
遅くまでフォントをデザインし、休みの日は一日研究室にこもっ
て作業に没頭したのです。もちろん一銭にもならない仕事です。
しかし、橘氏はこれが日本のコンピュータ・ネットワークに大き
く寄与することになるという意識で最後までやり遂げたのです。
 1987年7月にJIS漢字第一水準、同年12月に第二水準
を完成します。これが「K14」として、1995年のFSP大
賞に結び付いたのです。
 受賞に当たって、橘浩志氏はつぎのように述べています。
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 UNIX上で漢字を取り扱うのに大変苦労していたものです。
 デザインの統一を図るために、とりあえず私がガイドラインを
 作成をすることになったのですが、いくつか試しに作ってみる
 と意外と簡単だったので、これなら一人で使った方が早いしク
 オリティの高いものができるだろうという安易な気持ちでスタ
 ートしました。しかし6000字を越えるものを一人で作るの
 はなかなかしんどい作業で、嫌になった時期もありましたが、
 ひたすら根性だけで、一年ぐらいかかって何とか作り上げまし
 た。表彰していただけるということで、大変恐縮しています。
                       ――橘浩志氏
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 ところで「K14」というのは、Kは「漢字」、14は「14
ドット」を意味しているのです。したがって、14ドットの漢字
フォントという意味になります。ちなみにこのフォントは、「橘
フォント」といわれ有名です。
 このようにして、JUNETの日本語化については、1987
年には、橘フォントの完成で一応ケリがついたのですが、問題は
UNIXの日本語化が残っています。これは、日本語の国際化の
問題でもあります。
 村井氏は、UNIXの開発元であるベル研究所を動かさなけれ
ばダメだと考えたのです。しかし、彼らはこの問題――UNIX
の日本語化にはぜんぜん興味がないのです。なぜなら、彼らは英
語だけでも何も苦労しないからです。
 そこで、UNIXの日本語化ではなく、UNIXの国際語化で
いこうと考えたのです。具体的にいうと、電子メールの多言語化
――つまり、マルチランゲージ化です。この分野で先んじると、
ビジネスの範囲は拡大する――そのように連中に訴えれば、やつ
らはあわてて取り組むに違いないと考えたのです。
 村井氏は、1986年にベル研究所に招かれて、講演をする機
会あったのですが、そのときUNIXの国際語化について、熱心
に訴えたのです。村井氏はUNIXの国際語化はあなたたちには
興味がないでしょうから、こちらに任せて欲しいとまでいったの
です。     ―― [インターネットの歴史 Part2/17]


≪画像および関連情報≫
 ・ベル研究所について
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  ベル研究所はもともとベル・システム社の研究開発部門とし
  て設立された研究所である。ベル電話研究所とも。電話交換
  機から、電話線のカバー、トランジスタまであらゆるものの
  開発を行っている。ベル研究所の名前は、電話の発明者グレ
  アム・ベルに由来するといわれている。1970年代にUN
  IXとC言語の開発を行っている。
                    ――ウィキぺデイア
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posted by 平野 浩 at 04:55| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする