2007年03月26日

TCP/IPとOSIの関係を探る(EJ第2046号)

 TCP/IP、OSI、OSI参照モデル――これら3つの関
係を整理しておきましょう。
 TCP/IPというのは、われわれが日常使っているインター
ネットのプロトコルの名称です。現在、PCには標準で実装され
直ちにインターネットが使えるようになっています。
 先行したのは、TCP/IPだったのです。これはLAN――
イーサネットを開発したゼロックス社のPARC(パロアルト研
究所)で開発されています。イーサネットの開発者であるロバー
ト・メトカフとデビット・ボックスが1974年にTCP/IP
の基礎理論を完成させたのです。
 しかし、同じ年の9月にIBM社は「SNA」という大型コン
ピュータ用の通信プロトコルを完成させており、他にも独自通信
プロトコルは雨後の竹の子のようにたくさん出てきたのです。
 そんな中で、TCP/IPは1978年にRFC化され、完成
度を高めていったのです。このRFCという言葉はこれからも出
てくるので、説明しておきます。
 RFCとは、次の言葉の省略形です。
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      RFC = Request For Comment
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 RFCとは、インターネットに関する技術の標準を定める団体
であるIETFが正式に発行する文書のことです。通信プロトコ
ルやインターネットに関わるさまざまな技術の仕様・要件を、通
し番号をつけて公開しています。インターネット関係の有名なプ
ロトコルのRFC番号は次のようになっています。
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    IP ・・・・・・・・ RFC 791
    TCP ・・・・・・・ RFC 793
    HTTP ・・・・・・ RFC2616
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 当時、フランスを中心としたヨーロッパでは、ネットワークの
方式を巡って次の2つの方式が対立していたのです。
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        1.  データグラム方式
        2.ヴァーチャル回線方式
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 これら2つの方式がどういうものであり、なぜ対立していたか
は大変興味深いのですが、内容が一層専門化してしまうので、説
明を省略します。内容に興味のある方は、EJブログを参照して
いただきたいと思います。
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 EJ第1698号〜第1700号
http://electronic-journal.seesaa.net/category/618340-1.html
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 こうしたネットワークの方式の対立を受けて、1976年に米
英仏代表による共同執筆論文として「世界標準プロトコル」が提
案されたのです。論文の執筆者は次の4人です。
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 ヴィントン・サーフ ・・・・・ 米ARPANET
 アレックス・マッケンジー ・・ 米ARPANET
 スカントルベリー ・・・・・・ 英国立物理学研究所
 ツィンマーマン ・・・・・・・ 仏CYCLADES代表
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 しかし、これがそのまま国際標準になることはなかったのです
が、これがベースとなって、ISOが1977年に「OSI」を
発表することになったのです。
 ISOは、1978年に米、英、仏、カナダ、日本から委員を
集めて、OSI参照モデルを打ち出しています。世界標準プロト
コルは断念して、参照モデルを打ち出したのです。そして、19
84年にOSI参照モデルは、国際電信電話諮問委員会(CCI
TT/現ITU−TS)によって承認されています。
 その一方において、TCP/IPは、1983年にARPAN
ETで運用が開始されたのです。というのは、米国防総省がTC
P/IPが軍事用のネットワーク・プロトコルとして有効である
ことを認識し、セキュリティ管理の甘い研究指向の大学の接続拠
点(ノード)と機密情報を扱う軍関係のノードとを分離したから
です。こうして誕生したのがMILNETです。
 この切り離しによって米政府は軍の標準として採用したTCP
/IPを広く産業界に普及させようとします。具体的には、20
00万ドルの予算をつけて、コンピュータ製造会社にTCP/I
Pを搭載するよう奨励したのです。狙いはTCP/IPに準拠し
た通信関連製品を民間から調達しようとしたのです。こういう政
府の積極的な普及活動によって、TCP/IPは急速に普及をは
じめたのは当然のことです。
 しかし、日本の学術情報センター(学情)の猪瀬博氏はOSI
参照モデルに基づいて、新たに大学間ネットワークのインフラを
作ろうとしたのです。しかし、その時点でWIDEプロジェクト
(以下、WIDE)はTCP/IPを搭載してスタートし、企業
の協力を得てネットワークは実用化されつつあったのです。
 村井氏らは、ARPANETサイドの情報をほとんど把握して
おり、TCP/IPが事実上の標準――デファクト・スタンダー
ドになることを確信していたのです。したがって、学情からのさ
まざまな圧力に屈することなく、着実にWIDEネットワークを
拡大していったのです。
 猪瀬教授としても、米国においてTCP/IPが当時どの程度
普及しているか知らなかったわけではないと思うのです。しかし
あえてOSI参照モデルに基づく独自のインフラを一から作ろう
としたのです。考えてみると、日本という国は通信の世界におい
てNTTを中心にしてこのようなことを今までに何回もやってき
ているのです。・・・ [インターネットの歴史 Part2/13]


≪画像および関連情報≫
 ・ヴィントン・サーフについて
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  ヴィントン・グレイ・サーフは、アメリカ合衆国の情報工学
  者であり、インターネットとTCP/IPプロトコルの創生
  重要な役割を演じた「インターネットの父」の一人。サーフ
  は1992年にインターネット協会(ISOC)を設立。I
  SOCは、インターネットの一般ユーザーへの普及促進を図
  るとともに、各種関連技術団体(IETFなど)のまとめ役
  にもなっている。サーフはISOCの初代会長を1999年
  まで務めた。            ――ウィキペディア
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posted by 平野 浩 at 04:43| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする