2007年03月22日

WIDEプロジェクトの誕生と意義(EJ第2044号)

 電話線を使い、UUCPを使って多くの大学や民間の研究機関
をつないだJUNET――これは本物のインターネットではない
のです。TCP/IPを使っていないからです。しかし、TCP
/IPを使うには専用線を引く必要があるのです。
 当時は専用線には凄くお金がかかったのです。東工大と東大の
間なら月に15〜6万円、東大と慶応大の間は月に50万円近く
必要だったのです。
 それだけではありません。コンピュータの買い替え費用、専用
線につなぐための周辺機器の購入などを含めると、東大、東工大
慶応大をつなぐだけで年間1000万円はかかるのです。さらに
JUNETの主要拠点を専用線でつなぐ場合、年間5000万円
ほどの費用が見込まれたのです。
 本来なら国家を上げてのプロジェクトです。文部省に研究費の
助成を申請するところでしょう。しかし、村井氏たちはそれをし
なかったのです。それはなぜでしょうか。
 彼らにとって「国は敵だ」というコンセンサスがあって、国の
お金で何かをするということに強い抵抗感があったのです。もし
税金を使えば、国はいろいろな厳しい条件を付けてくるに決まっ
ている――それでは本当にやりたいことができないと彼らは考え
たのです。だから、絶対に税金を使うのはやめようと彼らは考え
たのです。
 それでは、どうして、お金を調達するのでしょうか。村井氏は
いったのです。「共同制作費という名目で、企業からお金を出し
てもらおう」、と。JUNETのコアメンバーの中から、ここは
と思う企業1O社を選んで、年間500万円ずつ出してもらおう
と村井氏は提案したのです。
 村井氏は積極的に企業訪問をはじめたのです。アスキー、岩波
書店、CSK、ソニー、SRA、大川財団など――次々と説得し
て、年間5000万円のメドをつけてしまったのです。JUNE
Tの実績があるので、この資金集めはうまくいったのです。
 こういう村井氏の活躍について、上司の石井晴久教授は次のよ
うにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 私みたいに国立大学でずっと育っちゃうと、企業からお金をも
 らうということに、ちょっと抵抗があるんです。自分から出向
 いていって、頭を下げてお金をもらってくるようなことは、私
 などには到底できない。         ――石井晴久教授
             ――滝田誠一郎著、『電脳創世記/
 インターネットにかけた男たちの軌跡』 実業之日本社刊より
―――――――――――――――――――――――――――――
 1988年に村井氏は日本版インターネットともいうべき「W
IDEプロジェクト」を立ち上げたのです。これは、JUNET
のコアメンバーの企業10社からの共同研究費によって、JUN
ETの主要拠点を専用線で結び、TCP/IPによる日本発の本
格的なインターネットの立ち上げといえます。
 「WIDEプロジェクト」という言葉の意味は次の通りです。
−――――――――――――――――――――――――――――
  Widely Integrated Distributed Environment Project
  大規模広域分散型コンピューティング環境プロジェクト
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで考えなければならないことがあります。それは、日本初
のインターネット環境構築の大事業に国が一銭の助成金も出して
いないことです。米国がARPANETの構築を国家の事業とし
てやったのに比べると、考えられないことであるといえます。
 もちろん、村井氏とその仲間たちが政府の助成を望まなかった
ことが原因ですが、村井氏の本心は申請してもおそらく認められ
ないか、僅かな金額で口を出されることを懸念していたものと思
われます。要するに国を信頼していないのです。
 1988年の時点で日本政府がインターネットがどのようなも
のであるかわかるはずがないのです。学会にしてもネットワーク
の面では大きく遅れており、ネットワークはNTTにまかせてお
けばいいという風潮すらあったのです。それに加えて、これから
述べることになる猪瀬博氏の存在があったのです。
 というのは、学会としては一連の村井氏とその仲間の行動に非
難の目を向けていたのです。ちょうどWIDEプロジェクトが始
動した時期に、日本政府は「OSI」の採用を決め、OSIによ
るコンピュータ・ネットワークを推進しようとしていたのです。
OSIについては、わかりにくい話であり、後から詳しく述べま
すが、当時国の情報処理を牛耳っていたのは「学情」――学術情
報センターであり、その学情の所長をしていた故猪瀬博氏なので
す。猪瀬氏は「情報処理分野のドン」といわれ、文部省や大学に
対して絶大な影響力を持っていたのです。
 TCP/IPが開発されたのは1978年、ARPANETに
搭載され、運用が始まったのが1983年です。ちょうどあの大
韓航空機撃墜事件が起こった年といえばピンとくるでしょう。
 そして、村井氏らが電話線を使うJUNETを立ち上げたのが
1984年、TCP/IPを取り入れた専用線によるWIDEプ
ロジェクトをスタートさせたのが1988年です。日本はほとん
ど米国に負けていないのです。
 その一方において、ARPANETをはじめとして、ゼロック
ス社、IBM社など、多くの企業が独自ネットワークを構築しは
じめ、収拾がつかない状況になってきたのです。
 こういう状況を受けて、国際標準化機構――ISOはその統一
に乗り出したのです。そして主にヨーロッパ諸国の支持を得て、
1978年にOSI参照モデルが発表されています。ちょうど、
米国では、TCP/IPの開発が発表された年です。
 日本政府はその動きに乗り、OSIの推進役として指名された
のが猪瀬博氏なのです。そしてOSIによるコンピュータ・ネッ
トワークを推進しようとしたのです。1988年、WIDEプロ
ジェクト発進と同時期です。
         ― [インターネットの歴史 Part2/11]


≪画像および関連情報≫
 ・WIDEプロジェクトについて
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  WIDEプロジェクトは、広域に及ぶ分散型コンピューティ
  ング環境に関する、産学共同の研究プロジェクトです。19
  88年に発足して以降、ネットワーク技術を始めとする幅広
  い分野の「研究活動」と「運用活動」の両面に取り組んでい
  ます。大学や企業から800名を超える研究者が参加してお
  り、約150の組織が共同研究及び研究協力、約20の海外
  の大学などの組織がプロジェクトのパートナーになっていま
  す。              http://www.wide.ad.jp/
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:55| Comment(0) | TrackBack(0) | インターネットの歴史 Part2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする