をつないだJUNET――これは本物のインターネットではない
のです。TCP/IPを使っていないからです。しかし、TCP
/IPを使うには専用線を引く必要があるのです。
当時は専用線には凄くお金がかかったのです。東工大と東大の
間なら月に15〜6万円、東大と慶応大の間は月に50万円近く
必要だったのです。
それだけではありません。コンピュータの買い替え費用、専用
線につなぐための周辺機器の購入などを含めると、東大、東工大
慶応大をつなぐだけで年間1000万円はかかるのです。さらに
JUNETの主要拠点を専用線でつなぐ場合、年間5000万円
ほどの費用が見込まれたのです。
本来なら国家を上げてのプロジェクトです。文部省に研究費の
助成を申請するところでしょう。しかし、村井氏たちはそれをし
なかったのです。それはなぜでしょうか。
彼らにとって「国は敵だ」というコンセンサスがあって、国の
お金で何かをするということに強い抵抗感があったのです。もし
税金を使えば、国はいろいろな厳しい条件を付けてくるに決まっ
ている――それでは本当にやりたいことができないと彼らは考え
たのです。だから、絶対に税金を使うのはやめようと彼らは考え
たのです。
それでは、どうして、お金を調達するのでしょうか。村井氏は
いったのです。「共同制作費という名目で、企業からお金を出し
てもらおう」、と。JUNETのコアメンバーの中から、ここは
と思う企業1O社を選んで、年間500万円ずつ出してもらおう
と村井氏は提案したのです。
村井氏は積極的に企業訪問をはじめたのです。アスキー、岩波
書店、CSK、ソニー、SRA、大川財団など――次々と説得し
て、年間5000万円のメドをつけてしまったのです。JUNE
Tの実績があるので、この資金集めはうまくいったのです。
こういう村井氏の活躍について、上司の石井晴久教授は次のよ
うにいっています。
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私みたいに国立大学でずっと育っちゃうと、企業からお金をも
らうということに、ちょっと抵抗があるんです。自分から出向
いていって、頭を下げてお金をもらってくるようなことは、私
などには到底できない。 ――石井晴久教授
――滝田誠一郎著、『電脳創世記/
インターネットにかけた男たちの軌跡』 実業之日本社刊より
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1988年に村井氏は日本版インターネットともいうべき「W
IDEプロジェクト」を立ち上げたのです。これは、JUNET
のコアメンバーの企業10社からの共同研究費によって、JUN
ETの主要拠点を専用線で結び、TCP/IPによる日本発の本
格的なインターネットの立ち上げといえます。
「WIDEプロジェクト」という言葉の意味は次の通りです。
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Widely Integrated Distributed Environment Project
大規模広域分散型コンピューティング環境プロジェクト
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ここで考えなければならないことがあります。それは、日本初
のインターネット環境構築の大事業に国が一銭の助成金も出して
いないことです。米国がARPANETの構築を国家の事業とし
てやったのに比べると、考えられないことであるといえます。
もちろん、村井氏とその仲間たちが政府の助成を望まなかった
ことが原因ですが、村井氏の本心は申請してもおそらく認められ
ないか、僅かな金額で口を出されることを懸念していたものと思
われます。要するに国を信頼していないのです。
1988年の時点で日本政府がインターネットがどのようなも
のであるかわかるはずがないのです。学会にしてもネットワーク
の面では大きく遅れており、ネットワークはNTTにまかせてお
けばいいという風潮すらあったのです。それに加えて、これから
述べることになる猪瀬博氏の存在があったのです。
というのは、学会としては一連の村井氏とその仲間の行動に非
難の目を向けていたのです。ちょうどWIDEプロジェクトが始
動した時期に、日本政府は「OSI」の採用を決め、OSIによ
るコンピュータ・ネットワークを推進しようとしていたのです。
OSIについては、わかりにくい話であり、後から詳しく述べま
すが、当時国の情報処理を牛耳っていたのは「学情」――学術情
報センターであり、その学情の所長をしていた故猪瀬博氏なので
す。猪瀬氏は「情報処理分野のドン」といわれ、文部省や大学に
対して絶大な影響力を持っていたのです。
TCP/IPが開発されたのは1978年、ARPANETに
搭載され、運用が始まったのが1983年です。ちょうどあの大
韓航空機撃墜事件が起こった年といえばピンとくるでしょう。
そして、村井氏らが電話線を使うJUNETを立ち上げたのが
1984年、TCP/IPを取り入れた専用線によるWIDEプ
ロジェクトをスタートさせたのが1988年です。日本はほとん
ど米国に負けていないのです。
その一方において、ARPANETをはじめとして、ゼロック
ス社、IBM社など、多くの企業が独自ネットワークを構築しは
じめ、収拾がつかない状況になってきたのです。
こういう状況を受けて、国際標準化機構――ISOはその統一
に乗り出したのです。そして主にヨーロッパ諸国の支持を得て、
1978年にOSI参照モデルが発表されています。ちょうど、
米国では、TCP/IPの開発が発表された年です。
日本政府はその動きに乗り、OSIの推進役として指名された
のが猪瀬博氏なのです。そしてOSIによるコンピュータ・ネッ
トワークを推進しようとしたのです。1988年、WIDEプロ
ジェクト発進と同時期です。
― [インターネットの歴史 Part2/11]
≪画像および関連情報≫
・WIDEプロジェクトについて
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WIDEプロジェクトは、広域に及ぶ分散型コンピューティ
ング環境に関する、産学共同の研究プロジェクトです。19
88年に発足して以降、ネットワーク技術を始めとする幅広
い分野の「研究活動」と「運用活動」の両面に取り組んでい
ます。大学や企業から800名を超える研究者が参加してお
り、約150の組織が共同研究及び研究協力、約20の海外
の大学などの組織がプロジェクトのパートナーになっていま
す。 http://www.wide.ad.jp/
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