る所眞理雄氏――彼が自分のことを「インターネットの祖父」と
いっているという話をしました。
なぜ、祖父なのかというと、所氏が、後に「インターネットの
父」といわれるようになる村井純氏をネットワークの世界に引っ
張り込んだのは自分であり、村井氏の参加によって、日本のイン
ターネットが大きく前進したからであるというのです。「父」を
引っ張ったのだから「祖父」というわけです。
所氏によると、村井氏は当時UNIX――1969年にベル研
究所が開発したコンピュータのOS――に凝っていて、ネットワ
ークそのものはあまり関心がなかったそうです。
さて、JUNETというネットワークは、慶応大、東工大、そ
して東大のコンピュータがUUCPでつながっているのです。と
ころで、この「UUCP」とは何でしょうか。これから先の話を
進めやすくするために簡単に説明しておくことにします。といっ
ても、誰でもわかる話ですから、逃げないで読んでください。
まず、言葉の意味ですが、UUCPというのは、次の頭文字を
とったものです。
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UUCP → Unix to Unix CoPy
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つまり、UUCPとは、「UNIXマシンからUNIXマシン
へのコピー」という意味であり、UNIXマシン――UNIXと
いうOSを搭載しているコンピュータ間のデータ転送のための命
令(通信プロトコル)なのです。
UUCPはダイヤルアップ――電話線接続を前提とし、ファイ
ルを宛先のコンピュータまで、その間にあるコンピュータ間をバ
ケツリレーのように運んで行く極めて原始的な通信の仕組みなの
です。もう少し正確にいうと、コンピュータからコンピュータへ
ファイルをコピーしていくのがUUCPです。
ところで、村井氏が助手として東工大にいたとき、東工大の大
学院で情報工学を専攻していた篠田陽一――現・北陸先端科学技
術大学院大学教授――という人物がいたのです。
たまたま篠田氏が村井氏の研究室をのぞいたところ、SUNの
ワークステーションが置いてあったのです。篠田氏も同じマシン
を持っていたので、声をかけたのです。通信の話で意気投合し、
とりあえずお互いのマシンをつなごうという話になり、UUCP
で接続したのです。
ちょうど篠田氏の隣の研究室では、KDDと共同研究をやって
おり、専用線が引いてあったので、KDD経由で海外と接続する
ことができたのです。篠田氏はこの方法で海外のネット――つま
り、ネットニューズ(インターネットの掲示板のようなもの)な
どにつないで、いろいろな情報を集めていたのです。何しろ19
85年頃のことであり、大変先進的なことなのです。
篠田氏は、ネットニューズから「SLIP」というソフトウェ
アを見つけて、入手しています。UUCPの場合は、まさにバケ
ツリレーのように、途切れ途切れの断続的な通信になってしまう
のに対して、SLIPを使うと通信が一気に連続的になるメリッ
トがあったのです。
SLIPを入手した篠田氏は、その日のうちに村井氏と連絡を
取り、すぐ接続実験を開始したのです。接続実験はあっけないほ
ど簡単に成功し、その夜、2人はビールで乾杯したといいます。
誰も知らない2人だけの日本初のインターネット接続――まさに
快挙というべきでしょう。
SLIPは、IP接続を可能にし、SLIPの採用はJUNE
Tがインターネットに接続することを意味していたのです。IP
接続とは電話線や専用線を通じてTCP/IPネットワーク――
つまり、インターネットに接続するということです。
この頃から東工大の村井氏の研究室には、昼となく夜となく研
究者や学生がやってきて、たまり場になっていったのです。そこ
で、夜を徹して議論をしたり、ハードやソフトの情報を交換した
り、村井氏からUNIXを教わったりしていたのです。
この村井研究室に集まっていた連中の中心メンバーは、同じ東
工大の篠田陽一、加藤朗、慶応大の砂原秀樹、中村修などであり
その他、コンピュータやネットワークに関心を持つ多くの学生が
集まっていたのです。村井氏はそのメンバーのつねに中心におり
全員を一つの方向に導いていったのです。それがやがて1988
年の「WIDEプロジェクト」に発展するのです。
村井氏の大学院の恩師、斉藤信男教授はその頃の村井氏を評し
て次のようにいっています。
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体が大きくて、キーボードからはみ出しちゃうんじゃないかと
思うようなでかい手をしていてね。能力はあるんだろうけど、
成績はあまり良くなかった(笑)。あまり勉強していなかった
から。青白い秀才というタイプではなくて、田中角栄タイプ。
もの凄い馬力で走っていくブルドーザーといった感じ。
――滝田誠一郎著、『電脳創世記/
インターネットにかけた男たちの軌跡』 実業之日本社刊より
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そして、斉藤教授は「村井君はコンピュータのネットワークづ
くりもうまいが、ヒューマン・ネットワークづくりはもっとうま
い」と絶賛しているのです。
確かに、村井氏は先読みが鋭く、ひとつの目標を決めると、周
りにいる者――上司も含む――全員をその方向に引きずっていっ
てしまう馬力が凄かったのです。それがなければ、JUNETも
後のWIDEプロジェクトも実現しなかったと思われます。いみ
じくも斉藤教授が「もの凄い馬力で走っていくブルドーザー」と
名づけた点は当たっているのです。
とくにインターネットの研究では、「鋭い先読み」は不可欠の
要件なのです。 ―― [インターネットの歴史 Part2/09]
≪画像および関連情報≫
・佐々木俊尚のITジャーナルより/篠田陽一教授について
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コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)を舞台に
した不正アクセス事件の第5回公判が11月下旬にあった。
専門家の意見ということで、北陸先端科学技術大学院大学の
篠田陽一教授が弁護側の証人として出廷した。
http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/03037e24c2e9ff2c3920394c8133e46b
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