2006年12月28日

コンスタンツェから見たモーツァルト像(EJ1992号)

 「死人に口なし」とはよくいったものです。昨日のEJの最後
にご紹介しているコンツタンツェから見たモーツァルト像――死
後に最も近い関係にあった妻からあのようにいわれてしまったら
その評価が歴史的に定着してしまいます。それに対して、死んで
しまったモーツァルトは何もいい返すことはできないからです。
 妻のコンスタンツェが述べたモーツァルトの実像をまとめると
次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.妻がいるのに、数々の色恋沙汰を抱えていたこと
  2.決まった報酬がないので、苦しい生活が長く続く
  3.お金儲けには疎く、金をやりくりする才覚がない
  4.金の入る予定があるとそれをあてにして浪費する
―――――――――――――――――――――――――――――
 1については後で述べるとして、「決まった報酬がない」とい
うのは事実に反するのです。1787年12月にモーツァルトは
宮廷音楽家の地位を手に入れ、年俸800フローリンを得ている
のです。この額はけっして多くはありませんが、これだけでも節
約すれば十分生活ができたのです。
 まして、モーツァルトには作曲などで別途収入があり、その額
は年俸にして2000フローリンを超えていたと考えられるので
す。これだけあれば、庶民レベルをはるかに超えた生活ができた
はずなのです。
 しかし、3の「お金儲けには疎い」ということについては、確
かにそういうところはあったと思います。コンスタンツェからい
わせると、一方に儲け話があるのに、わけのわからぬフリーメー
ソン活動などに金を注ぎ込むことに不満があったのでしょう。
 そのためかコンスタンツェはモーツァルトの死後、手紙を含め
て、フリーメーソンに関わる一切の資料を破棄してしまっていま
す。もっともこれは、秘密警察の摘発を恐れてやったことかも知
れませんが、少なくともコンスタンツェがこの運動に賛成してい
なかったことは確かなことなのです。
 しかし、4の浪費癖に関しては完全に事実と違う指摘をしてい
ます。むしろ浪費癖があったのは、コンスタンツェの方であると
いえます。それは、コンスタンツェが脚の治療と称してバーデン
に行き、連夜のパーティにふけっていたことで明らかです。前に
も述べましたが、コンスタンツェの病気は大したことはなく、も
しかすると仮病かもしれないという説もあるのです。
 もちろん妻のバーデンでの行状はモーツァルトの耳にも達して
いて、モーツァルトが注意を与えている次のような手紙も残って
いるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ぼくはきみがバーデンで楽しんでいるのはうれしい――もちろ
 んうれしいが、しかしきみはときどき安っぽく振る舞うけれど
 そういうことはぜひ慎んでもらいたいのだ。きみは××にあま
 りにもなれなれしくしすぎる。別な××とも、彼がまだバーデ
 ンにいたときだが同じだった。きみは以前、あまりにすぐ人の
 言いなりになる傾向があることをぼくに認めたことがあるね。
       ――1789年8月/モーツァルトの妻への手紙
      横山一雄訳『モーツァルトとコンスタンツェ』より
                       音楽之友社刊
−−―――――――――――――――――――――――――――
 手紙の中で「××」となっている部分は削除されており、人物
を特定できませんが、妻のバーデンでの行状にモーツァルトが悩
んでいたことは確かなようです。
 実は、コンスタンツェがバーデンでこのように振舞っていたの
にはわけがあります。それは、上記1のモーツァルトの「数々の
色恋沙汰」の件です。モーツァルトの女性関係についてはいろい
ろな説があるのですが、あったことは事実のようです。したがっ
て、コンスタンツェのバーデンでの行状は彼女の夫に対するあて
つけではないかといわれているのです。
 上記の手紙が出された1789年頃のモーツァルトとコンスタ
ンツェの夫婦仲は、かなり問題があったとする説が多く出てきて
います。これに対してモーツァルトはあれほど多くの手紙をコン
スタンツェに送っており、妻を気遣っているではないかという指
摘もあります。
 確かにコンスタンツェに対する手紙は数多くあり、モーツァル
トの妻に対する愛情を感ずるのは確かですが、これはむしろ気ま
ずくなってしまっている夫婦仲をさらに壊したくないというモー
ツァルトの気持のあらわれであるという見方もあるのです。
 その中に、コンスタンツェとして、どうしても許せない女性が
一人いたはずなのです。それが、コンスタンツェの姉でモーツァ
ルトの初恋の人、アロイジア・ランゲなのです。モーツァルトと
アロイジア・ランゲとの関係については、既出の藤澤修治の次の
論文に詳しいので、ぜひ参照されることをお勧めします。
―――――――――――――――――――――――――――――
  藤澤修治氏論文「モーツァルトの夫婦愛と永遠の恋人」
     http://homepage3.nifty.com/wacnmt/part4.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 モーツァルトには謎がたくさんあります。モーツァルトの音楽
をこよなく愛するファンにとっては、そういうことをあからさま
にされることはけっして愉快なことではないでしょう。
 しかし、そういう事実に目を塞ぐことなく、歴史的背景を含め
てモーツァルトを取り巻く事情を十分掴んだ上で彼の音楽を聴い
た方が、一層モーツァルトの音楽が理解できると思います。まだ
まだ書くことはたくさんありますが、モーツァルトのテーマは、
これで終ります。長い間のご愛読を感謝いたします。
 なお、本号が今年お送りする最後のEJになります。新年は1
月5日から新しいテーマでお送りします。1998年10月15
日から続けているEJは、1月17日に2000号に到達いたし
ます。皆様、どうか良いお年を! ・・・ [モーツァルト70]


≪画像および関連情報≫
 ・藤澤修治氏の論文より
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  探ってみれば、コンスタンツェがモーツァルトに対して腹に
  据えかねると思うようなことはいくつもあった。そんなとこ
  ろに自分の姉と夫に不倫があったと彼女は知ったのである。
  これでは、コンスタンツェの髪が逆立って、殺してやりたい
  ほどの感情を彼女が抱いたとしても不思議はない。こういっ
  たことも手伝って、やがて彼女は自分の母親にそそのかされ
  て夫の死に関与してしまうという、取り返しのつかない犯罪
  行為に手を染めたのである。
       http://homepage3.nifty.com/wacnmt/part4.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

1992号.jpg
posted by 平野 浩 at 05:34| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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