書き続けて今回でちょうど69回目です。このテーマは、明日の
28日に終了しますので、全70回になります。EJのテーマと
しては最長記録となります。何しろ書きはじめたのが9月19日
ですから、既に3ヶ月を超えています。
この間、同じ内容をブログでも公開していますが、このテーマ
になってから、次のようなアクセス数になっています。私のブロ
グは今まで一日来訪者500人は記録したことはないのですが、
12月11日に491人を記録しました。あと一息です。世の中
にモーツァルト・ファンは多いものだと思います。
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平均正味訪問者数 ・・・ 350人〜 450人
総ページビュー数 ・・・ 1000回〜1200回
http://electronic-journal.seesaa.net/
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ここまでモーツァルトについて書いてきて気がついたことが3
つあります。
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1.世間一般が認識しているモーツァルト像と実際のモーツァ
ルトとはかなりのずれがあると思われること
2.モーツァルトの伝記作家たちは、モーツァルトの生きた時
代背景を十分考えて彼を評価していないこと
3.モーツァルトは音楽の万人解放をめざして当時の封建領主
体制と戦った改革者としての側面があること
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世間一般が考えているモーツァルト像とは一体どのようなもの
なのでしょうか。
それは、映画『アマデウス』に登場するモーツァルト――トム
・ハルス演ずる、あのモーツァルトではないでしょうか。時とし
て、奇妙な振る舞いをするあのモーツァルトです。
トム・ハルス演ずるモーツァルトは、私がここまで調べてきて
分かったモーツァルトとは大きく異なっています。映画『アマデ
ウス』の脚本家、ピーター・シェーファーは、サリエリを中心に
モーツァルトをとらえています。つまり、サリエリを通して見た
モーツァルト像なのです。話の中心はなかば狂人化したサリエリ
の回想というかたちをとっており、真のモーツァルト像に迫って
いないのです。「クラシック・ジャーナル」の編集長である中川
右介氏は、サリエリについて面白いことをいっています。
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サリエリは、モーツァルトが永遠に語り継がれる偉大な音楽家
であることを認識していた。それに比べて自分はどうか?宮廷
音楽家としてポストに就いていた頃はちやほやされていたけれ
ど、晩年は忘れられていた。当然、死ねば完全に忘れられる。
それはいやだ。そこで、考えた。自分の名を永遠に残すために
は、いっそ『モーツァルトの敵』になればいい。『モーツァル
トを殺した男』になれば、モーツァルトが語られるたびに、そ
の悲劇の最期をもたらした男として自分の名も永遠に残るであ
ろう、と。そこで、自分がモーツァルトを殺した、と言い出し
た。 ――中川右介著、『モーツァルト・ミステリーツアー』
ゴマブックス株式会社刊
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サリエリの狙いは見事に成功したといえます。モーツァルトの
死後200年以上経って映画『アマデウス』が制作され、そこで
多くの人がサリエリという音楽家がいたことを知る。そして、サ
リエリの音楽を聴いてみようというニーズが出てきて、CDまで
発売されているのです。
それはさておき、モーツァルトは家族思いの大変真面目な青年
であって、映画のトム・ハルスが演ずるモーツァルト――奇妙な
クセのある大まかで浪費家のモーツァルトとは、大きく性格が異
なるのです。
モーツァルトが几帳面な人間であったことは、彼の遺した膨大
な手紙によって知ることができます。現在のように電話もメール
もなかった時代において、手紙が唯一の連絡を取る手段だったと
はいえ、実に入念に書かれております。
もうひとつ、1784年頃からモーツァルトは家計簿をつけて
いたことがわかっています。彼は金銭管理に気を配る人間だった
のです。そういう人間が浪費をするとはとても思えないのです。
浪費的性格の強いのは、むしろ妻のコンスタンツェの方であって
モーツァルトではないのです。
ところが、そのコンスタンツェの方は、モーツァルトをどう見
ていたのでしようか。既出の藤澤修治氏の論文では、コンスタン
ツェの第2の夫であるニッセンによる『モーツァルト伝』の次の
一文を引用しています。
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・・・そして気だてのよい妻は大目に見ていたが、彼には数々
の色恋沙汰があった。さらにくわえて、彼は極端から極端へと
走った。また、決まった俸給はなく、詩人や巨匠にはごく普通
のことだったが、よい夫とは言えず、お金儲けにはうとく、お
金を数週間やりくりすることを知らなかった。彼にはお金の価
値がまったくわかっていなかった。仕事が途切れているときに
は、彼はしばしば妻や子供たちと苦しい生活を送らねばならず
債権者の厚かましい催促に閉口していた。しかし、ルイドール
(昔のフランス金貨)がいくらか手に入ろうものなら、事態は
一変した。今や有頂天になってしまうのだ。モーツァルトは、
シャンペンとトカワインに酔い、しまりのない生活をし、数日
で以前と同じ経済状態になってしまった。
――ニッセン著、『モーツァルトの生涯』より
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妻から見たモーツァルトの実像は、実際とは大きく異なってい
るのです。 ・・・・ [モーツァルト69]
≪画像および関連情報≫
・ゲオルク・ニッセンについて
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経済状態が改善された後に彼女が行ったのは、嘗て母親が営
んでいたような下宿開くことであった。そこに現れたのが、
1793年2月に公使館参事としてウィーンにやって来たデ
ンマーク人のゲオルク・ニッセンである。コンスタンツェは
彼と同棲し、後に彼がウィーンjを離れる際に正式に結婚し
ている。ニッセンは後にモーツァルトの伝記「モーツァルト
伝」を書く人物であるが、コンスタンツェに残された2人の
息子を母親以上に愛し良い父親となった。
http://homepage3.nifty.com/classic-air/feuture/fueture_41.html
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