リーメーソンの新支部を作ろうとしたのでしょうか。これについ
て、アルフレート・アインシュタインは、その著書において次の
ように述べています。
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モーツァルトを結社に飛び込ませたのには、おそらく彼の芸術
家としての深い孤独感と、心からの友情への欲求も、あずかっ
て力があったのだろう。アルコ伯爵によって足蹴にされ、大司
教コロレドによって召使あつかいされたモーツァルトは、結社
においては、天才を持つ一人の人間として貴族と同列であり、
同権であった。 ――アルフレート・アインシュタイン著
『モーツァルト/その人間と作品』より
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既に述べたように、モーツァルトが生きていた時代は、音楽家
の地位は低く、王侯・貴族の召使いでしかなかったのです。しか
し、フリーメーソンではそういう音楽家でも貴族と同じように扱
われる――モーツァルトの求めたのはこれであるとアインシュタ
インはいっているのです。
しかし、モーツァルトは自分自身が貴族と同列に扱われたいと
いう考え方のみで新支部「洞窟」の創設を目指したのではなく、
フリーメーソンという組織に力を与えて、当時の封建領主体制を
改革したいと考えたのではないかと思われます。モーツァルトと
しては、フリーメーソン活動を今後強化していけば、きっとそれ
は実現されると考えたのです。
この考え方は決して間違っていなかったと思うのです。どうし
てかというと、体制側がフリーメーソン活動を禁止したり、制限
するようになったからです。それは裏返すと、フリーメーソン活
動をそのままに放置すると、それが体制転覆につながる恐れがあ
ると体制側が判断したからでしょう。
モーツァルトにとっては、音楽が貴族たちの占有物になってい
る現実はどうしても受け入れることができなかったのです。音楽
は身分に関係なく万人のためのものでなければならないと考えた
からです。しかし、これが実現するには封建領主体制が変わらな
ければならないのです。
ちょうどそういう旧体制を否定する啓蒙主義運動が盛んになり
その思想を受け継いだフリーメーソン――とくに啓明結社系のフ
リーメーソン活動にモーツァルトは光を見出したのです。
しかし、そのフリーメーソン活動が体制側の弾圧政策によって
制限され、支部が解散に追い込まれて力を失っていく――これで
はいけないとモーツァルトは思ったのです。そこで、音楽家であ
る自分が中心となって理想的な支部を作ろうと考えて、「洞窟」
設立に動いたのです。理想的な支部を作り、体制を変えようとし
たのですが、頼みの綱ともいうべき「真理」支部が解散し、資金
づくりの面も万策尽きたという感じです。
モーツァルトは「真理」を率いていたイグナーツ・フォン・ボ
ルンを心から尊敬していたのです。ボルンとは、どういう人物で
あったのでしょうか。同時代のある著名人はボルンについて次の
ように述べています。
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これほど会って話を聞きたくなる人物は他にはいまい。余り書
かなかったけれども、彼の語ることはすべて公刊されるべきで
ある。というのは、それは必ず機智があって有意義であり、彼
の風刺に悪意はないからである・・・彼は教父たちの著作から
おとぎ話にいたるまで何でもよく読んでおり、調べてもいる。
――キャサリン・トムソン著/湯川新/田口孝吉訳
『モーツァルトとフリーメーソン』より。法政大学出版局
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このボルンは1785年の啓明団への迫害のさなかに、パヴァ
リア科学アカデミーへ辞表を提出し、公然とパヴァリア政府のと
った行動に抗議する次の声明を発表しているのです。これは大変
勇気のいる行為であったといえます。
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私は自分が無知な坊主(教会の祭司)どもと真っ向から対決す
る人間であることをはっきり言っておきたい。・・・彼等に若
者たちの教育をけっしてゆだねるべきではない。ジェスイット
リー(イエズス会の教説)とかファナティシズム(狂信主義)
という用語は、詐欺、無知、迷信、愚昧と同義語でありうると
断言しておく。要するに、私の見解は、パヴァリア政府の公式
見解と思われるものと全面的に対立しているのである。
――キャサリン・トムソンの上掲書より
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このボルンが率いる「真理」が解散したのです。いや、強権で
解散させられたというのが正しいかもしれないのです。それほど
当時は、フリーメーソンであり続けることは大変なことだったの
です。そのため多くのフリーメーソンたちは、フリーメーソンで
あることを断念し、会員が減って、支部というものが成り立ちに
くい状況になっていたのです。
そんな時代にモーツァルトはフリーメーソンをやめるどころか
新しい支部を作ろうとしていたのですから、「音楽を万人のもの
にする」という彼の情熱は強いものがあったのです。しかし、結
局のところ新しい支部「洞窟」の設立は幻に終わったのです。
このように考えると、そのショックから立ち直ったモーツァル
トの最後の年1791年の後半に作り上げた歌劇『魔笛』の評価
が違ったものになるといえます。
既に述べたように、『魔笛』の基本構成については、ボルンが
深くかかわっていると見られており、表面的にはたわいないおと
ぎ噺のかたちを取りながら、そこにフリーメーソンの思想が盛り
込まれている作品になっているからです。モーツァルトは音楽に
よってフリーメーソンの思想を伝えようとしたのではないでしょ
うか。 ・・・・ [モーツァルト68]
≪画像および関連情報≫
・イグナーツ・フォン・ボルンと『魔笛』の関係
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ボルンの名前は、現存のモーツァルトの手紙には登場しない
が、二人が親しかったことを示すたしかな証拠は存在する。
『魔笛』を作曲する前年の1790年の夏にモーツァルトが
ドロテーアガッセのボルンの家を訪れたことが現在では判明
している。ボルンがザラストロの原型であったとみる伝説が
あるし、彼がこの台本の企画に手を貸したという説もある。
エジプトの秘儀にかんするボルンの論稿がその祭儀の場面の
ための素材の一つであることは明らかだ。
――キャサリン・トムソン著/湯川新/田口孝吉訳
『モーツァルトとフリーメーソン』より。法政大学出版局
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