いたように、モーツァルトもコンスタンツェとジュスマイヤーの
関係を知っていたのです。このことは既に述べています。
そして、モーツァルトは、コンスタンツェがむしろバーデンに
長逗留してもいいと思っていたフシがあるのです。それは、モー
ツァルトの最後の年である1791年7月2日に、バーデンにい
るコンスタンツェに宛てた次の手紙でも読み取れます。
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ウィーン、1791年7月2日
ぼくの親愛この上ない妻よ!(フランス語)
きみがきわめて達者でいるとぼくは信じている。きみが妊娠
中にめったに動じなかったことをぼくはいま思い出した・・・
これはまじめな話だが、ぼくはきみが湯治を秋まで延ばしたら
と思っている。あのばか者のジュスマイヤーに(『魔笛』の)
第1幕の楽譜を、管弦楽用に編曲するからこっちに送るように
言っておくれ。からだには注意して欲しい。きみが丈夫でぼく
に優しくしてくれる限り、ほかのことがすべてまずく行っても
ぼくはちっとも気にしないから。
いつまでもきみのモーツァルトより
――フランシス・カー著
横山一雄訳『モーツァルトとコンスタンツェ』より
音楽之友社刊
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といっても、モーツァルトはコンスタンツェを愛していたので
す。しかし、自分がコンスタンツェを愛するせめて半分ぐらいで
もいいから、妻が自分を愛してくれたらという不満を持っていた
ことは確かなことなのです。
この手紙を書いた24日後の1791年7月26日にモーツァ
ルトの6番目の子供であるフランツ・クサーヴァー・ウォルフガ
ング・モーツァルトが生まれているのです。この子がコンスタン
ツェとジュスマイヤーの子ではないかとモーツァルトが疑って、
ジュスマイヤーの「フランツ・クサーヴァー」の2字を冠した名
前を付けたのですが、ちょうどその頃、マグダレーナも2番目の
子供を身ごもっているのです。
この子はモーツァルトの死後の1792年5月10日に生まれ
ています。男の子だったのですが、マクダレーナは次のように命
名しています。
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ヨハン・アレクサンダー・フランツ
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この名前をめぐって既出のフランシス・カーは、ファースト・
ネームの「ヨハン」は、モーツァルトのクリスチャン・ネームの
「ヨハネス」から取られたものではないかと指摘しています。
モーツァルト最後の年になる1791年――この年に入ると、
モーツァルトの創作欲に火が点り、内容の充実した作品が次々と
生まれています。その中で注目すべきは次の作品です。
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モーツァルト作曲
『ピアノ協奏曲第27番/KV595』
1791年1月5日作曲
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このピアノ協奏曲は実に美しい作品であり、まさしく天上の音
楽そのものです。モーツァルト自身が意識していたかどうかはわ
かりませんが、これはモーツァルトの白鳥の歌そのものです。
なぜ、白鳥の歌というのかですが、それはシューベルトの最後
の歌曲集「白鳥の歌」からきています。イソップの童話で「白鳥
は死ぬ前にもっとも美しい声で歌を歌う」と伝えられている伝説
に基づいて、シューベルトの遺作となった14曲の歌をこのタイ
トルで出版したことに由来するのです。それはあまりにも美し過
ぎるといっても過言ではないでしょう。そして、このピアノ協奏
曲はモーツァルトの最後のピアノ協奏曲になっています。
辛口の音楽評論家として知られるC・M・ガードルストンは、
このピアノ協奏曲について次のようにいっています。
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この曲はなんとなく親しみ深いところがあり、ほとんど室内楽
に近い。その本来の環境は、仲間のひとりの家に集まった音楽
家、音楽愛好家、それに、モーツァルトを加えたサークルであ
る。これがどのような機会のために書かれたかはわからない。
モーツァルトはこれを自ら使う目的をもって作曲したというの
が一般の見方だが、その証拠はない。カデンツァの存在と、そ
の内面的な性格には、われわれに、これは弟子のためにもので
はないかと思わせるものがある。
――C・M・ガードルストン著
『モーツァルトのピアノ協奏曲』より
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ガードルストンがここでいっている「弟子のために書かれたも
の」といっている弟子とは、マクダレーナ・ホーフデーメルのこ
とではないかと思われるのです。
確かにこの作品は小編成のオーケストラで、音楽全体が控え目
であって、正式な公開演奏を目的としたものというよりも内輪の
サークルで演奏されるのに適しています。
実際にこの曲は、1791年3月4日に、友人のクラリネット
奏者ヨーゼフ・ベーア主催の予約演奏会で、モーツァルトはゲス
トとして招かれ、彼自身のピアノ演奏によって初演されているの
です。そして、この音楽会がモーツァルトの公的な演奏家として
の最後のものになったのです。
その時点でモーツァルトはあらゆる音楽会から締め出されてお
り、友人のベーアの好意によってそういう機会が与えられたこと
になるのです。それからほどなくして、モーツァルトはリヒノフ
スキー訴えられるのです。・・・・・・ [モーツァルト61]
≪画像および関連情報≫
・ピアノ協奏曲第27番/KV595の推薦盤
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モーツァルト作曲
『ピアノ協奏曲第23/27番』
ピアノ/指揮/ウラジミール・アシュケナージ
フィルハーモニア管弦楽団
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・ある批評
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さすがアシュケナージである。ある意味協奏曲23番と27
番の定番と言えるのではないか?1980年のデジタル録音
初期の音源ではあるが、デジタル臭が希薄で音質も良い。ピ
アノの音は繊細で細やか、紛れもないスタインウェイの音が
する。「あー、どっかで聴いたことがあるー」という協奏曲
の代表曲。廉価格でお買い得だ。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000091LBT
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