2018年11月13日

●「日航機墜落事件と秘密保護法制定」(EJ第4889号)

 昨日のEJでご紹介したDNA型鑑定の第一人者である押田茂
實氏が、大学での法医学教室での講義に使うため、藤岡体育館の
遺体安置所での検視風景や身元確認状況を撮影した8ミリとビデ
オについて再度取り上げます。この事実は重要だからです。
 押田茂實氏はこれらを任意で群馬県警に提出しています。とこ
ろが、群馬県警は33年間も経過しているのに一向に返却してく
れないのです。その経過を青山透子氏の本から引用します。
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◎2017年 5月22日
  押田茂實氏が群馬県警察本部長「山本和毅」殿あてに手紙を
 出す。内容は、日航123便遺体安置所の学術用ビデオ返却の
 依頼である。
◎2017年 5月24日
  午前中、捜査一課長補佐、U氏より電話あり。今後の窓口と
 なるとの説明。若干の時間的猶予をくださいとのこと。
◎2017年 8月10日
  電話があり、折り返し午前10時08分にコールバック。8
 月23日(水)の午後1時に神楽坂法医学研究所に訪問予定と
 の連絡。
◎2017年 8月23日
  午後1時、群馬県警察本部より3名が押田氏の事務所に訪問
 してきた。警察は「お返しできない」と主張。押田氏の「文書
 で回答願いたい」について、警察は「はい」と答えて帰った。
◎2017年11月 1日
  電話連絡14時21〜26分。県警より「返却不可。書類回
 答できない」との返答。
◎2017年12月 4日
  16時40分。電話にて刑事部理事官Sと名乗る人物から、
 「例のビデオは返却できません」との返答。押田氏の「警察の
 最終結論ですか?書類でいただけませんか」との問いに対して
 「そういうことはできません。では・・」と電話を切られる。
              ──青山透子著/河出書房新社刊
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
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 警察とは、とくに法令順守を一番に心がけて仕事をしなければ
ならない役所です。それなのに、任意で提出した個人の所有物を
没収して返却しないのです。どういう法律で警察にはそれが許さ
れているのでしょうか。
 そういう法律はありません。したがって、もし押田氏が法的手
段に訴えたら、群馬県警は敗訴することになります。だからこそ
そのときに不利になる文書は絶対に出さないのです。しかし、法
医学者は、警察と関係の深い仕事であり、まさか法的手段にまで
出ないと考えているフシがあります。
 このことに関係する情報がネット上にあります。以下はそのブ
ログに基づいて記述します。
 2009年に念願の政権交代を成し遂げた民主党は、自民党が
長期政権の間に国民に隠していた重大な事実を暴くことに意欲を
燃やしていたのです。
 しかし、民主党政権下で行われた日米密約に関する調査は、日
本への核持ち込み密約(1960年1月の討論記録)への評価に
見られるように、日米の合意文書そのものの存在は認めつつ「密
約ではない」として本質をゆがめ、国民をだましてきた国家的犯
罪を見逃しました。
 沖縄核密約(合意議事録)に関して民主党政権は、調査期間中
に張本人である佐藤栄作元首相の自宅から原文が発見されたにも
かかわらず、存在そのものを否定するという異様な姿勢です。し
かし、沖縄返還交渉の米側担当官であるハルペリン氏がその存在
と有効性を証言したことは重大です。
 実は民主党政権は、JAL123便墜落事件についても真相究
明に取り組んでいるのです。2010年8月、JAL123便墜
落事件の再調査を、当時国土交通大臣である前原誠司氏が中心に
なって行っています。それは、日本航空が会社更生法を申請し、
社長に京セラの稲盛和夫氏が就いたことに関係があります、稲盛
氏は前原誠司氏の支援者です。稲森氏は、JAL123便墜落事
故に政治犯罪が隠されていることに気が付き、再調査をやるよう
前原氏にアドバイスしたといわれています。
 思えば、JAL123便墜落事件の真相解明は、このときが最
大のチャンスだったといえます。なぜなら、政権が交代し、日本
航空の社長が国土交通大臣前原誠司氏の支援者、稲盛和夫氏だっ
たからです。
 しかし、どうしたことか、前原国土交通大臣は、2011年7
月に123便の事故解説書を公開し、あろうことか、事故原因は
後部圧力隔壁の損傷であると結論づけたのです。この頃はこの説
が生存者の証言などからありえないことがわかっていたにもかか
らわず、平然とこの説を主張したのです。
 この前原誠司氏の結論は、密約文書が佐藤栄作元総理の家から
発見されたにもかかわらず、明文化された密約文書は存在しない
という岡田克也氏の生煮えの結論と同じであり、国民を大いに失
望させたのです。一体何を守ろうとしたのか、それとも脅された
のか。現在の民主党の残党の政党が国民の支持を得られないのは
自民党では絶対にできなかったこれらの調査を実行して欲しいと
いう国民の期待を裏切ったからです。
 法律を冒してまでビデオを返そうとしない群馬県警のケースの
ように国家には絶対に国民に秘匿しなければならない政治犯罪が
あるということからなのか、2011年12月に野田佳彦前首相
は「秘密保護法」を策定するのです。何もかも民主党です。これ
によって野田佳彦氏率いる民主党は、これら戦後2つの政治犯罪
をいったんはパンドラの箱を空けながらも、再びそれらを闇から
闇に葬り封印したのです。これらの首謀者たちは「無所属の会」
にいます。    ──[日航機123便墜落の真相/059]

≪画像および関連情報≫
 ●日本航空123便墜落事故を検証する
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   このように特定秘密保護法案が策定された経緯を知れば、
  この法案の弱点がわかる。そう、日本航空123便墜落事故
  の事故原因である。事故原因が後部圧力壁ではないことは、
  世界の航空関係者が知っている。事故の生存者の証言でも機
  内の圧力は下がっていないのだ。
   しかし、重要なポイントは、中曽根政権がこの事故を死人
  に口無しとばかりに、人命救助をしないばかりか生存者を殺
  害したことである。これを問題とさせないために、事故原因
  の究明に遺族や関係者の目を向けさていることに気がつかな
  かればならない。
   日航機123便墜落事故は、航空機事故というよりも、証
  拠隠滅のための殺戮という事件であり、国際刑事裁判が審査
  する事案であるのだ。日本側が主張する後部圧力壁の損壊を
  事故原因とするために、当時の中曽根政権は、外交ルートを
  通して、ボーイング社と後部圧力隔壁を事故原因とする口裏
  合わせを要請しているはずだ。この外交文書が、米国の公文
  書の公開で明らかになれば、国際刑事裁判所も動かざるをえ
  なくなるだろう。日航123便墜落事故の政治犯罪の首謀者
  である中曽根康弘は存命中である。かれは、この事件の真相
  を墓場まで持っていくと公言している。この法案を成立をほ
  くそ笑んでいるのは中曽根康弘なのだ。(中略)法案が成立
  した現在、日航123便墜落事故を調査をした者は逮捕され
  てしまう。この政治犯罪を証明するのは、特定秘密保護法が
  適用されない日本国外の日本国籍以外の人たちに託すしかな
  い。              https://bit.ly/1DMzYqT
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佐藤栄作/非核三原則.jpg
佐藤栄作/非核三原則
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2018年11月12日

●「任意提出のビデオを返さない警察」(EJ第4888号)

 JAL123便墜落事件に関する真相について、国(政府)は
徹底的に隠す方針です。ここで「国」というのは、政府(自民党
政権)、行政機関、日本航空が一体になった概念です。それにし
ても、国と行政機関はわかるとしても、加害者の日本航空まで完
全に政府と一体化して、真相解明を阻んでいるのは理解に苦しむ
ところです。
 現在、生のボイスレコーダーは日本航空が管理しています。事
故調査委員会は、刑事事件は不起訴決定となったため、日本航空
に返却したのです。したがって、それを公開するかどうかは、日
本航空の判断でできることになります。遺族会としては公開を求
めていますが、日本航空は、今度は機長、副操縦士、航空機関士
の遺族の手前もあるという理由で公開を拒んでいます。拒む理由
になっていません。
 公開するかしないかは一応日本航空の判断としているものの、
おそらく政府(自民党)から「絶対公開するな」という強い指示
が出ているはずです。実際に当時の運輸省は、情報公開法の施行
前に、日航123便墜落事件関連の資料をおよそ1トン分を破棄
しています。森友問題で日本の行政機関は、自分たちの都合で、
重要な文書を平気で廃棄してしまうことを知ってがくせんとした
ものですが、ここでもやっているのです。これに関して、青山透
子氏は、次のように述べています。
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 前橋地検の検事正が遺族への報告会で、「時効はないのだから
すべての資料は永久保存する」という話をしており、遺族側もそ
れを望み、将来公開してくれ、と言っている。それを無視して廃
棄した当時の運輸省の公務員としての重い責任も問わなければな
らない。つまり、誰もが聞くことができ、誰もが閲覧できるよう
にしてこそ、それが真実であると言えるのであり、本物を聞かせ
ていない、見せていない、その閉鎖的な現状からは、調査した側
にとって都合の良い部分だけ抜き取った改ざん資料と言われても
仕方がない。
 今もなお森友・加計問題同様、脈々とその「伝統的な方法」で
仕事を続けているとすれば、時の政府に迎合し、恣意的な仕事を
する国家公務員に信頼性などないと断言されるのは当然である。
それとも、政治家からの強い圧力に屈したということなのだろう
か。            ──青山透子著/河出書房新社刊
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
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 青山透子氏は、JAL123便の垂直尾翼を回収した海上自衛
隊護衛艦「まつゆき」が、相模湾でどのような訓練をしていたの
か、防衛省に、ダメもとで、情報開示の法律に基づいて、行政文
書開示請求をしてみたのです。
 そうしたところ、防衛省の事務局から電話があり、次のように
いってきたそうです。
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 これに関する文書はない可能性があるので、請求されても見つ
かりませんから、請求を取り下げたらどうですか。
               ──青山透子著/河出書房新社
   「日航123便墜落/疑惑のはじまり/天空の星たちへ」
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 これもまことにヘンな話です。わざわざ電話してくるのもヘン
ですが、はじめからないと決めつけているのです。もっとも演習
内容などは国家機密であるといわれてしまえば、それまでのこと
ですが、請求者がどういう人物か知ったうえで、電話をしてきた
ものと考えられます。
 もっとひどい話があります。押田茂實氏という人がいます。D
NA型鑑定第一人者として、法医学の世界で活躍してきた人で、
123便墜落事件でも、群馬県藤岡市民体育館における遺体の確
認作業も参加し手伝っています。そのとき、学術的な研究のため
身元確認状況を撮影した8ミリフィルムとビデオを少しでも役立
てばと警察に任意提出したのです。
 ところが、その8ミリフィルムとビデオがいつまで経っても返
却されないのです。そこで押田茂實氏は、2017年5月22日
付で群馬県警警察本部長宛てに手紙を出し、すべてを返却するよ
う催促したのです。
 そうしたら、群馬県警から3人の警察官が押田氏の家にやって
きて次のようにいったというのです。
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 ビデオは、はい、あります。8ミリ3本とベータ2本ですね。
見ました。あまりに凄すぎて、お返しできない。
              ──青山透子著/河出書房新社刊
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
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 任意提出された物品を警察が没収し返却しない。あり得ないこ
とです。警察としては無理は承知でそういっている感じです。返
却して、それが公開されるのを明らかに恐れているのです。これ
について、青山氏は次のように怒りをぶつけています。
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 それは33年も経って刑事事件の資料でもない上に、所有者が
明確にわかり、学術的に大学で使用する目的で撮影したものであ
る。任意提出であるにもかかわらず、何の権限があって返さない
と言えるのかと呆れてしまった。それはまるで、「警察に自分の
財布を預けてくれと言われて預けておき、あとで返却してくれと
いったら、財布の中身がお金でいつぱいで凄すぎて返せない」に
等しい強弁である。いつから日本の警察は勝手に他人のものを没
収できるようになったのか。これは明らかに業務上横領罪であっ
て、他の警察官を呼んできて、3人を逮捕してもらわなければな
らない事件である。        ──青山透子著前掲書より
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         ──[日航機123便墜落の真相/058]

≪画像および関連情報≫
 ●群馬県警と東京新聞の不思議な関係/青山透子氏
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   群馬県警が自分たちが著作権者の捜査資料を、このタイミ
  ングで東京新聞に提供したようですが、記事にはどこから入
  手と書いていない不思議な記事です。恐らく群馬県警自ら開
  示したのでしょう。ご遺族には「実は内々で、群馬県警から
  こういう資料を入手しましてこれに対するコメントを」と東
  京新聞記者が持って行ったのでしょう。だから、コメントの
  冒頭から、群馬県警はよくやってくれたという会話に繋がっ
  たと容易に想像出来ます。
   しかしながら、この書類を前橋地検に渡していたのであれ
  ば、起訴可能だったはずだと弁護士も語っているように「予
  見可能性出来たので起訴すべきだった」というコメント通り
  起訴出来たはずです。群馬県警が今回、わざわざ出したこと
  が裏目に出たと思います。そして起訴出来なかった理由が他
  にある、と思われても仕方がありません。
   恐らく、この記事によって日航と運輸省の無責任さを前面
  に出して、過去を正当化する方向付けをしたかったのだろう
  と推定されます。さらに拙著にて、当時の河村本部長に関す
  ることや群馬県警が当時の学術ビデオを今でも返還しない、
  という、業務上横領的な発言をしたことに対する罰の悪さと
  も言えます。メンツを優先させたのか、自分たちの正当性を
  言いすぎると、逆におかしいことが明らかになるものです。
                  https://bit.ly/2QvQVhF
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藤岡体育館に集められた遺体.jpg
藤岡体育館に集められた遺体
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2018年11月09日

●「上官の命令には絶対服従すべきか」(EJ第4887号)

 青山透子氏が123便墜落事件の一連の著書において、一番強
調しているのは「遺体の損傷度のひどさ」です。あまり文章にし
たくない表現ですが、青山氏の表現によると、「遺体はベンゼン
と硫黄の含まれたタール系の燃料で二度焼きされている」という
ことになります。何度も引用させていただいていますが、遺体と
遺物だけで、次の一冊の本にまとめられているのです。
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           青山透子著/河出書房新社刊
     『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
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 この本のなかで青山氏は、今なお事件を隠蔽しようとする関係
者に対して、次のように強い怒りをぶつけています。
─────────────────────────────
 一般人が手に入るはずもない武器燃料で焼かれた可能性をどう
説明すればよいのだろうか。成分分析の結果とこれらの写真を見
比べながら、私は心の底から湧き出てくる激しい怒りを覚えた。
こういう実態を直視せずに、33年間もこれを放置し続けてきた
ことへの強い憤りと当時の関係者への怒り、そして人間性への失
望である。何も知らなかった私たちは、この事実が捻じ曲げられ
て気付かなかったことで、結果的に隠し通してきた人間の思う壷
になっていたことは否めない。
 事故だとしても「二度も焼かれる」必然性はなく、乗客のみな
らず15人の社員も焼かれた日航はこれをどう受け止めるのか。
何もせずに、このまま見て見ぬふりをするのであれば、日航も加
担したと言われても仕方があるまい。それほどまで生データの開
示をしないのであれば、逆に生のボイスレコーダーに真相が記録
されていることが明白となる。政府が隠蔽し、その指示であるか
らといって、いつまでも情報を開示できないことで大きな罪を背
負っていることを自覚しなければならないのである。
 日航123便が墜落したきっかけは過失であったかもしれない
が、その後の対応で早急な救助ができたにもかかわらず、意図的
にしなかったのは重大な不作為の犯罪である。さらにべンゼンと
硫黄の含まれたタール系の燃料を使って現場を燃やしたとなれば
少なくとも死体損壊罪ともなる。もしも殺人事件であれば、時効
は成立していない。       ──青山透子著の前掲書より
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 それが事実であるかどうかは別として、飛行機の推進力を失い
つつも、一人でも多くの生存者を出そうとして、なおかつ不時着
を試みるJAL123便に、追尾するファントム戦闘機に対して
「ミサイルを発射せよ」という命令が出されたとします。血も涙
もない命令であり、明らかに犯罪です。この場合、ファントムの
操縦者は、その命令を拒否することはできないのでしょうか。
 池田昌昭氏による「仮説による対話」に、上官からミサイル発
射の命令を出されたファントム内における上官と部下の対話の一
部を再現します。ファントム機内における上官と部下の対話です
が、部下は命令の実行に抵抗しています。
─────────────────────────────
・自衛隊は国家機関の背骨であり、自衛隊は弱みを国民に見せて
 はならない。自衛隊がガタつけば今の支配者にとっても国民の
 批判が集中し、今までの特権や権益が失われる。今までやって
 きたことが無駄になる。
・相手は、民間機です。戦争用の飛行機ではない。多数の民間人
 が搭乗しています。
・だから、極秘に作戟を行うのである。
・「天網恢恢疎にして漏らさず」のことわざの通り、悪事は必ず
 露呈することなのです。
・「天知る、地知る、吾知る」のことわざの通りなのです。分か
 らなければ良いのである。
・現に標的機の訓練のことは誰も知らない。知っているのは一部
 の幹部だけである。
・そのためには、秘密裏にことを運ばなければならない。「蟻の
 一穴」のことわぎがある。情報が漏れないように、しかも情報
 をコントロールし、国民の目を真実から逸らすのである。
             ──池田昌昭著『御巣鷹山ファイル
       /JAL123便墜落事故真相解明』/文芸社刊
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 軍隊では、上官の命令には絶対服従しなければならないことに
なっています。自衛隊では、自衛隊法第57条に次のように定め
られています。
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(上官の命令に服従する義務)
 第57条:隊員は、その職務の遂行に当っては、上官の職務上
の命令に忠実に従わなければならない。
─────────────────────────────
 しかし、ドイツでは、「軍人法」という法律の第11条に「服
従」という規定があり、次のように定められています。
─────────────────────────────
(1)兵士は上官に従わなければならない。兵士は最大限の力で
   命令を完全に良心的に、かつ遅滞なく実行しなければなら
   ない。ただし、命令が人間の尊厳を侵し、勤務目的のため
   に、与えられたものでない場合は、それに従わなくても、
   不服従とはならない。
(2)命令は、それによって、犯罪が行われるであろう場合には
   兵士は命令には従ってはならない。
   ──ドイツ「軍人法」第11条/青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 どうでしょうか。自衛隊法の規定は、あまりにも簡単過ぎ、ど
のようにでも解釈ができます。こういうところから、パラハラが
生まれてくるのではないかと思います。
         ──[日航機123便墜落の真相/057]

≪画像および関連情報≫
 ●軍隊では上官の命令に絶対服従か/ヤフー知恵袋
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  【質問】
  「兵士」は上官の命令に絶対服従ですか ?
  もしそうだとすると、自分の良心に反することも「命令」に
  よってはしなくてはならないのでしょうか、だとすればある
  意味「奴隷」に近いです。そこであらためて、最初の質問で
  す。「兵士」は上官の命令に絶対服従ですか ?
  【回答】
  ID非公開さん
  先生から聞いた話。先生は戦時中陸軍の下士官でした。ある
  日士官学校を出たての少尉と電車に乗ったところ、目の前に
  座っていた男が洋書を読んでいたそうです。上官はいきなり
  その男の首を掴んで往復ビンタをして「この戦時下に敵性国
  家の本を読みやがってー」と怒鳴ったそうです。
  ところがその本はドイツ語で、殴った相手は海軍大佐だった
  からさあ大変。次の駅でおろされて上官はボコボコに。「陸
  軍の少尉がいつから海軍の大佐より偉くなったんだ。判るま
  で立っておれ」と命令され、結局上官の上官が海軍に謝りに
  行き「陸軍ではドイツ語と英語の差が判らんらしい」とかさ
  んざん嫌みを言われ許して貰うまで立っていたそうです。上
  官は帰隊後上官からボコボコにされ、以来すっかり借りてき
  た猫みたいにおとなしくなったそうです。「上官の命令は天
  皇陛下の命令と思え」なんて言って、突っ走るのも怖いです
  よね。             https://bit.ly/2D9eloU
  ───────────────────────────

中曽根康弘元首相/加藤紘一元防衛庁長官.jpg
中曽根康弘元首相/加藤紘一元防衛庁長官
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2018年11月08日

●「それは自衛隊の仕組まれた計画か」(EJ第4886号)

 EJでは、自衛隊の標的機がJAL123便の尾翼に衝突した
のは、あくまでアクシデントであると考えています。しかし、青
山透子氏は、もしかすると、123便にぶつけるつもりはなくて
も、123便を一応の標的として狙ったのではないかと考えてい
るようです。これは青山透子氏の仮説です。
 青山氏がそうではないかと考える根拠は、JAL123便には
次の3つの要素が揃っていることです。
─────────────────────────────
      1.機長の制服が完全に消えている
      2.JA8119には事故歴がある
      3.機長が自衛隊出身のパイロット
─────────────────────────────
 つまり、こういうことです。護衛艦「まつゆき」では、JAL
123便を敵機と想定し、国産ミサイル開発の誘導プログラムを
使って標的機を誘導しますが、すれすれのところで衝突は避ける
よう誘導して、データを収集します。データ収集が護衛艦「まつ
ゆき」の重要任務なのです。
 しかし、万が一衝突という事態になったとき、自衛隊として、
なんらかの保険が必要である──それが上記の3つの要素に適合
する飛行機であるというわけです。青山透子さんは、これについ
て、次のように書いています。
─────────────────────────────
 修理の事故歴のある飛行機が、飛行中の夕刻から夜にかかる時
間に突発的事態が発生した。その前日の8月11日まで防衛庁発
表では、国産ミサイルの開発研究で洋上訓練を行っており、護衛
艦「まつゆき」も試験運転の最中というのは紛れもない事実であ
る。これらをつなぎ合わせて考えてみると、何が見えてくるのだ
ろうか。
 試運転中に国産ミサイル開発の誘導プログラムのデータ取りが
必要であったとすれば、何かあった場合の保険として飛行機に事
故歴のあることが絶対の必要条件であったのではないだろうか。
そして、民間出身のパイロットではなく、自衛隊出身のパイロッ
トならばもみ消せるかもしれないという点が十分条件とすれば、
両者が揃うことが必要十分条件であると言える。さらに、万が一
の場合も考えると、日中よりも夕刻から夜にかけての暗さが好都
合であった、とも考えられる。 ──青山透子著/河出書房新社
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
 この場合、過去に事故歴のある飛行機と自衛隊出身のパイロッ
トという2つの条件は絶対に揃う必要があります。しかし、パイ
ロットは変更になることがよくあります。
 日本航空の場合、JA8119に高濱機長が乗務するというス
ケジュールが決まるのは、通常は1か月前です。しかし、よほど
のことがない限り、この日の高濱機長の乗務の変更はあり得ない
のです。どうしてかというと、この日の高濱機長の乗務は、佐々
木副操縦士の機長昇格実技審査を兼ねていたからです。
 そうであるとすると、対象として選ぶ飛行機は、JA8119
(日本航空123便)しかあり得ないということになります。自
衛隊がそのような計画を本当に実施するとは常識では考えられな
いことですが、仮説としては成立します。青山透子氏は、その仮
説を立証するためにも、墜落現場にある遺物の鑑定や分析をはじ
めたと自著に書いています。
─────────────────────────────
 全体の安定性を優先する裏に、実は隠したい何かが潜んでおり
その究極の理由は、他者のためでも国益のためでもなく、自己満
足や保身である場合が多い。隠したい側の人間は、特に自覚する
ほどの小心さに支配され、あらゆるプレッシャーに耐えて組織と
の折り合いをつけて生きる術を身につけてきた人間とも言える。
そういう人は異論や違和感のあるものは受け入れ難い。おそらく
この仮説についてもそうであろう。
 もし少数者が主流となり得る方法があるとすれば、それは絶対
的証拠物の提示である。それが出てこないと多数者は異論を支持
することに安心できないのである。そこで、御巣鷹の尾根に残さ
れた遺物から、科学的方法によって推定の裏付けができないだろ
うかと考えて、その証拠物を分析することにしたのである。
                ──青山透子著の前掲書より
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 もうひとつ、青山氏の本でないとわからない関連情報がありま
す。それは1978年に大阪空港で起きた日航機のしりもち事故
を担当した検査官の自殺です。1987年3月17日付の夕刊各
紙が伝える報道は次の通りです。
─────────────────────────────
 1987年3月17日の各紙夕刊報道によれば、17日の早朝
午前五時頃、機械電子検査検定協力職員で元運輸省東京航空局羽
田駐在航空機検査長のS・Tさん(57歳)が、浴室で殺虫剤を
飲んで死んでいるのを家族が見つけた、とある。遺書もあったた
め、日航ジャンボ機墜落事故で群馬県警から事情聴取を受けたこ
とに気落ちしての自殺とみている。Tさんは、1978年に大阪
空港で起きた日航機しりもち事故当時、検査官をしていた。事実
上の飛行許可である耐空証明を出していたことから、同月10日
から群馬県警特捜本部より参考人として事情聴取を受けていた。
運輸省航空局は、大変なショックを受けている、しりもち事故担
当の検査員の年長者であり、非常にまじめでおとなしい人だった
と語っている、とある。     ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 JAL123便墜落事件で、520人が亡くなっただけではな
く、自衛隊にも日本航空にも複数の自殺者が出ています。そう考
えると、この事件の真相を明らかにする責務が関係者全員にある
と思います。このまま幕引きはできないのです。
         ──[日航機123便墜落の真相/056]

≪画像および関連情報≫
 ●安倍首相と中曽根元首相の発言の類似性
  ───────────────────────────
   先日、あるジャーナリストと会談をした際、彼は思わず、
  「まさか自衛隊がそんなことするはずないじゃないですか」
  とおっしゃった。その根拠を尋ねるとうーんと沈黙された。
  つまり、誰でも心の中に、まさか、という思いがあって、ど
  うしてもその現状を受け入れがたいという心理が働く。私が
  ヒューマン・リソース、人的資源戦略や顧客心理の授業をし
  ていた時に、よく学生たちと一緒に考えてきた心理である。
   「まさか、そんな事は起きないと思っていた」は、重大な
  事態が何か起きてからでは、特にプロならば言い訳にはなら
  ない。一般的なニュースを見ても、例えば「いつもおとなし
  いあの人がまさか殺人者とは」、「一家で仲が良さそうだっ
  たのにまさか親子で殺し合いとは」とか・・よくある近隣関
  係者へのインタビューの会話である。まさかという「魔の棲
  む坂」を登って冷静に上から見てみると、下からでは見えて
  こない何かが見えてくるのである。
   さて今回は、第一章で重点的に読んでほしい部分を取り上
  げる。今日において防衛費が膨張し続けている中で、現在の
  安倍首相は長距離巡航ミサイルと一基約1千億円の陸上配備
  型弾道ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」2基導
  入を検討しているそうだが、この話は実は1985年8月7
  日の中曽根康弘元総理大臣の言動と非常に似ている。日航1
  23便墜落の5日前、防衛庁(当時)は地対艦ミサイル部隊
  新設と地対空ミサイル部隊の新型パトリオットミサイルへの
  切り替えを国防会議で公式に報告した。
                  https://bit.ly/2OrFdTl
  ───────────────────────────

JA8119/JAL123便.jpg
JA8119/JAL123便
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2018年11月07日

●「123便墜落事故と日本航空倒産」(EJ第4885号)

 JAL123便墜落事件の最も重要な関係者の1人である加藤
紘一防衛庁長官(当時)は何をしていたのでしょうか。加藤長官
に関しては、さっぱり情報が出てこないのです。ちなみに、加藤
紘一氏は、2016年9月9日に亡くなっています。
 調べてみると、123便墜落事件から1週間後の8月20日の
閣議において、加藤長官は、自衛隊の救出活動について報告して
います。通常自衛隊の活動を閣議で報告するのは極めて珍しいこ
とです。当時墜落場所の特定の遅れに世間の批判が高まっていた
ので、それを払拭するために「自衛隊はこんなに頑張っている」
ことを示すために行ったのではないかと思います。
 加藤紘一防衛庁長官について、青山透子氏は次のようにコメン
トしています。
─────────────────────────────
 加藤紘一防衛庁長官は、この時46歳。なんと今の私よりも若
い。自分を顧みるに、この時、どれほどまでの決断が出来たので
あろうか。今でこそ御実家に放火という理不尽なことを経験され
ても、真に国民を思う政治理念を曲げない意志をお持ちのようだ
が・・・。今回の事故対応を情緒的な面から物事をとらえるので
はなく、科学的に分析して、万が一次に起きた場合にどうすべき
なのかを考えるのが政治家としての務めであるはずだ。
 なぜならば、10年後の元米空軍中尉の証言通り、はっきりと
墜落地点は分かっていたのであり、それを日本側に伝えて日本側
が今救助に向かっていると言ったのを聞いているのだから、防衛
庁長官として情報がなかったとは言えない立場である。
 それにもかかわらず、墜落現場が翌朝まで特定されず、救助が
遅れたという事実・・・。なぜ分からなかったのか。また、なぜ
分からないと言ったのか、そのことを重要視すべきであろう。
 520名の命よりも優先させた何かがあった・・・。その事実
が1995年に各新聞に報道された、米軍側からの証言で明らか
にされたのだった。      ──青山透子著/河出書房新社
   「日航123便墜落/疑惑のはじまり/天空の星たちへ」
─────────────────────────────
 青山氏の文中に出てくる「10年後の元米空軍中尉の証言」と
いうのは、9月21日のEJ第4854号でご紹介した当時横田
基地所属のアントヌーチ航空士の証言のことです。
 ところで、2010年1月19日(火)の夕刻に何が起きたか
ご存知ですか。
 この日、日本航空株式会社、日本航空インターナショナル、ジ
ャパンキャピタルの3社が、東京地方裁判所に会社更生法の適用
を申請したのです。青山透子氏は11月19日の「119」が気
になったといいます。なぜなら、それは、墜落機の個別認識記号
だからです。
─────────────────────────────
           JA8119号機
─────────────────────────────
 「JA」は日本国籍、「8」はジェット機をあらわし、次の3
桁の数字「119」が個別の番号です。個別識別番号と同じ日に
倒産とは、奇妙な偶然です。まさか、倒産するとは考えられない
大企業の倒産ですが、実は、JAL123便墜落事件の全貌が明
らかにされる可能性があったのです。それは、当時の政権が民主
党政権であったからです。おそらく中曽根康弘氏と加藤紘一氏は
肝を冷やしたのではないでしょうか。これについては、このテー
マの最後に明らかにします。
 2兆3221億円の負債総額。かつて同じ会社に籍を置いてい
た人間として、青山透子氏は、時の前原国土交通大臣の更生のや
り方について次のように疑問を呈しています。
─────────────────────────────
 前原国土交通大臣は、公共交通機関である飛行機を止めない事
ばかりを強調した。それによって、ある日突然の倒産ではなく、
事前調整型の倒産は、2月20日に株式が上場廃止となったもの
の、多額の債権放棄やマイレージ保護などの報道の中で、実際に
そこで働く人々に対して、何の危機感も持たせないまま毎日の延
長上でその日を迎えさせた。これは、これから始まる企業更生に
不可欠な従業員たちの自己洞察力と自己改革、そして現実の重さ
を認識する最大のチャンスを失ったことになる。
 人間とは所詮、お金が入ってこない(お給料が人らない)現実
や解雇、さらにロビーのシャッターが朝突然閉じることや、燃料
をストップされて飛行機が飛ばない、乗客がひとりもいないなど
を経験し、崖っぷちに立たされないとどうしても倒産という現実
を受け入れられないものだからである。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 JAL123便墜落事件の加害者である日本航空に関しては、
多くの疑問があります。墜落現場に自衛隊の特殊部隊(?)と一
緒に日本航空のスタッフが相当数入っていたとの情報は多くあり
間違いないと思います。これがもし、本当であるとすると、加害
者が警察よりも早く墜落現場に入るのは、証拠隠滅もできること
になり、絶対にあってはならないことです。
 しかし、日本航空は、この事件では、政府、自衛隊とまるで一
体です。そして、山下悠介検事正が明かしているように、検察の
捜査に関しては、徹底的に非協力であったといいます。何か大き
な秘密を背負っているように見えます。
 そして、事故調が解散した後、ほとんどの関係書類は破棄され
てしまいましたが、ボイスレコーダーやフライトレコーダーは日
本航空が現在も管理しています。遺族側の代表は、繰り返しそれ
らの公開を求めていますが、日本航空は頑なに応じようとはして
いないのです。一体何を隠そうとしているのでしょうか。
 だからこそ、日本航空が倒産したとき、ここが最大のチャンス
だったのです。民主党政権は、これらをどのように処理したので
しょうか。    ──[日航機123便墜落の真相/055]

≪画像および関連情報≫
 ●JALはなぜ破綻したのか
  ───────────────────────────
   JAL破綻の直接の引き金となったのは2008年のリー
  マン・ショックだった。しかし、そうしたショックに耐える
  ことのできない脆弱な企業体質が長年にわたって形成されて
  きたことがより大きな原因だといえよう。例えば効率の悪い
  大型機材を大量に保有せざるを得なかったこと。ここでいう
  「効率が悪い」とは、供給座席が需要に対して過剰になりが
  ちであり、安売りをしてもなお空席が生じる便が多く見られ
  ることである。ただ、これは主に、日本の航空市場の特殊性
  に起因するものである。日本では、国内線の基幹空港である
  羽田空港が非常に混雑しており、大量輸送によって需要に対
  応していかなければならない状況が続いてきた。そのため、
  大型機材での運航が推奨されてきた事情がある。しかし、多
  くの地方空港が建設されていく中で、需要の大きさも多様化
  し、必ずしも大型機が望ましいとはいえなくなってきた。
   投資の失敗も大きい。ホテルなどの関連企業を増やし、総
  合的なサービスの提供による競争力の強化を図ったが、採算
  性の見通しの甘さから、採算性を見込めないものが本業の足
  を引っ張る結果となった。また、過去における長期にわたる
  為替差損も、JALの放漫経営の象徴としてよく取り上げら
  れている。労働組合の問題もある。複数の労働組合が存在し
  ているため、複雑な労使関係だけでなく、労々関係も企業経
  営を極めて難しいものとしてきた。https://bit.ly/2DkYTad
  ───────────────────────────

前原国土交通大臣(当時).jpg
前原国土交通大臣(当時)
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2018年11月06日

●「123墜落事件関係者は全員無罪」(EJ第4884号)

 JAL123便墜落事故関連の訴訟スケジュールを以下にまと
めてみることにします。
─────────────────────────────
◎1988年12月01日
 ・群馬県警が、日本航空12名、運輸省4名、ボーイング社4
 名の合計20名を書類送検。
◎1989年01月23日
 ・前橋地検と東京地検が合同捜査開始。東京地検が米司法省を
 通じ、ボーイング社への事情聴取を求めたが、拒否される。
◎1989年09月15日
 ・前橋地検、20名全員を不起訴にする方針を固める。
◎1989年11月22日
 ・不起訴処分決定。
◎1990年04月25日
 ・遺族は、前橋地検の不起訴を不服として、前橋検察審査会に
 審査を申し出たが、前橋検察審査会が「不起訴相当」を決定。
◎1990年07月17日
 ・この事件担当の前橋地検検事正・山口悠介氏が異例の説明会
 を実施。
◎1990年08月12日
 ・公訴時効成立。
─────────────────────────────
 ここで強調しておきたいことは、JAL123便墜落事件の関
係者は、誰ひとり罪に問われることなく、公訴時効を迎えている
ことです。520名がそれによって亡くなっているにもかかわら
ず、誰も罪に問われていないのです。
 そもそも、この「検察不起訴決定」→「不服として検察審査会
での審査申し立て」→「不起訴相当決定」──これはいつもお定
まりのコースのようになっています。とくに安倍政権になってか
らは、政治家や官僚のどんな不祥事でも、この定例コースに乗っ
て不起訴になっています。検察に大きな問題があるからです。
 しかし、JAL123便墜落事件の場合は、遺族側からの強い
要望により、1990年07月17日に担当検事である前橋地検
検事正・山口悠介氏が説明会を開いています。このような説明会
を開くこと自体が異例であるうえに、その説明内容もかなり大胆
なものだったのです。
─────────────────────────────
 私が検事正になったとたん、すでにマスコミが「検察、不起訴
か」などと報道し始めた。いったい、どうなっているのかと驚い
た。さらに捜査会議を開いたら、部下の検事はだれもこの事件は
起訴出来ないと言った。それでも私は様々な角度から捜査した。
 捜査の結果、わかったことは修理ミスかどうか相当疑わしいと
いうことだ。事故原因には色々な説がある。タイ航空機の時には
乗客の耳がキーンとしたという声があったが、今回はない。圧力
隔壁破壊がいっぺんに起きたかどうかも疑わしい。
 まず、ボーイング社が修理ミスを認めたが、この方が簡単だか
らだ。落ちた飛行機だけの原因ならいいが、全世界に飛ぶ飛行機
の欠陥となると売れ行きも悪くなり、打撃も大きくなる。そこで
いち早く修理ミスとした。事故調査委員会の報告もあいまいだ。
(膨大な書類を指して)これを見ても真の原因はわからない。事
故後の機体や遺体の写真、ボーイング社、日航、運輸省関連調書
何をみても事故の報告書でしかなく、それからは本当の原因など
は何もわからない。皆さんはわれわれが何か特別に大切なものを
持っているように思っているかもしれないが、本当に原因は不明
なのです。         ──前橋地検検事正・山口悠介氏
               ──青山透子著/河出書房新社
   「日航123便墜落/疑惑のはじまり/天空の星たちへ」
─────────────────────────────
 この山口悠介検事正は大変立派な方であると思います。事故調
の最終報告に対して疑問を呈しているからです。こういう正義感
を持っている検事は今どき珍しい。事故調のメンバーは政府が決
めており、そのメンバーの出した結論に疑問を呈することはなか
なかできないことです。
 しかし、この山口検事正の勇気ある発言を遺族は悪くとったよ
うです。遺族から見ると、政府(事故調)も日航も検察もすべて
一体と考えているからです。したがって、次のようなことをいう
遺族もあったようです。
─────────────────────────────
 何をいまさら!言い逃れか!それは、あなたたち検察が十分調
査しなかった、自分の仕事をしなかったからなのではないか。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 また、山口検事正は日本航空の対応についても「整備陣もやる
べきことをやっていなかった事実もある」という鋭い批判をして
います。それに加えて、日航関係者が一貫して取り調べに関して
非協力的であったことをその会見で明かしています。
 山口検事正によると、日航関係者を任意で呼んで調べると、質
問されたことを逐一メモにとり、それ以後呼ぶ人は、まるで判を
押したように同じ答えをするというのです。例えば、検事が答え
方に苛立って机をたたくと、「×時○分、△△氏机をたたく」と
いうようにメモに書くというのです。これについて、青山透子氏
は、次のように日航を批判しています。
─────────────────────────────
 同じ会社の社員だった者として、これは許せない態度である。
彼らは整備士という仕事に人生を懸けたプロの集団だったのでは
ないか。自ら責務をもって仕事をしていたのではないか。これが
ナショナルフラッグキャリアの看板を背負って昼夜問わず働いた
仲間のすることだろうか。    ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/054]

≪画像および関連情報≫
 ●坂本九さんの死は飛行機による事故死!
  ───────────────────────────
   2015年8月15日に日本航空123便墜落事故で、坂
  本九さんの没後30周年の追悼番組がBSにて放送されまし
  た。また坂本九の奥さんが、徹子の部屋に出演したとして、
  ニュースになりました。坂本九は飛行機事故で遺体も大変な
  状況になったということです。
   坂本九さんが亡くなられたのは、日本航空123便墜落事
  故の時。事故が発生した日は夏休みの時期であり、「お盆の
  入り(1985年8月12日)」の前日であったため、当日
  の日本航空や全日本空輸、東亜国内航空の各便には出張帰り
  のビジネスマンのほか、帰省客や観光客が多く搭乗していた
  そうです。最終便が満席で乗れない客が発生することを防ぐ
  理由もあり、最終便1本前である当便はほぼ満席の状態だ。
  このため、仕事を終えて帰宅しようとした全日空の社員も自
  社便が利用できず、数名が当便に搭乗していたと記録されて
  います。この飛行機事故では4名の生存者があったことで有
  名です。
  日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日、東京
  (羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング74
  7SR−46が、ボーイング社の不適切な修理が原因とされ
  る後部圧力隔壁の破損によって、垂直尾翼と補助動力装置が
  破損し油圧操縦システムも全喪失しました。
                  https://bit.ly/2AJU0F6
  ───────────────────────────

故坂本九氏.jpg
故坂本九氏
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2018年11月05日

●「機長の制服はなぜなくなったのか」(EJ第4883号)

 青山透子氏の本では、JAL123便墜落事件についての知ら
れざる事実が明らかにされてきています。それらを一つずつご紹
介していくことにします。
 JAL123便墜落事件に対して、最高の責任者であるばずの
当時の中曽根首相と加藤紘一防衛庁長官が、いかに緊張感のない
対応をしていたかを示す出来事があります。
 1985年8月13日のことです。123便事故の翌日です。
何しろ墜落現場が特定されたのが13日の朝のことですから、日
本中が騒然となっていたときです。520人の死者が確定してい
るのです。その時点では、中曽根首相も加藤防衛庁長官も地上か
らはもちろん、ヘリコプターでの墜落現場の空中視察すらしてい
ないのです。そのとき、2人がやったことについて、青山透子氏
は次のように述べています。
─────────────────────────────
 1985年8月14日のジャパンタイムズ紙によると、事故発
生の翌日、13日に中曽根首相と加藤紘一防衛庁長官が、マンス
フィールド大使同席のもとで、米軍のクラフ米太平洋軍とティッ
シュ在日米軍司令官に会い、加藤紘一防衛庁長官からクラフ氏に
勲章を渡している。その勲章は
     The First Class Order of the Rising Sun
というものであったと記載されている。そして米空母ミッドウェ
ー艦載機の発着訓練基地の確保、自衛隊の継戦能力の充実、防衛
協力に関する首相の努力等について語り合っていたという。
 (中略)しかしながら、12日に墜落事故が起きて、今まさに
現場で遺体を収容している翌日に勲章を渡すとはどういうことな
のだろうか。このようなおめでたい話には緊急性がなく、通常は
お互いに配慮して延期することも可能なはずである。
 アントヌッチ氏の証言によると「墜落上空でいち早く駆け付け
た米海兵隊を帰還させて他言無用の支持を出した」在日米軍の最
高責任者に、墜落現場にまだ行っていない首相が、何に対して勲
章を授けて上げたのだろうか。 ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 このことからわかるように、時の中曽根首相の123便事故に
対する対応は非常に冷たいものです。この事件には、米軍も少な
からず関与しているにもかかわらず、こともあろうに勲章の授与
式をやるとは何事でしょうか。ここは、延期すべきであり、延期
しても米軍に対して失礼にあたらないはずです。
 次の事実は「高濱機長」の制服の紛失事件です。これについて
は、10月25日のEJ第4876号でも事実を指摘しています
が、機長だけ制服がなくなっている事実です。
 123便のコックピットでは、左に高濱機長、右に佐々木副操
縦士、後方には福田航空機関士が座っていたのです。比較的狭い
場所であり、本来であれば、3人とも遺体は同じような状況であ
るはずです。しかし、高濱機長の遺体だけが異常であり、制服も
なくなっています。
 次は、3人の検視番号です。番号が若いほど、早く確認された
ことを意味しています。
─────────────────────────────
        高濱機長 ・・・・ 125番
     佐々木副操縦士 ・・・・  80番
     福田航空機関士 ・・・・ 461番
─────────────────────────────
 一番早く見つかったのは佐々木副操縦士の遺体です。着衣、す
なわち制服は残っていて、それで身元確認が行われています。し
かし、遺体は炭化していたのです。福田航空機関士については、
発見は遅かったのですが、服装で身元確認が行われています。制
服は残っていたのです。遺体は副操縦士と同様炭化していたので
す。しかし、高濱機長の遺体は炭化しておらず、制服がないので
す。機長だけ制服がないのは明らかに異常です。誰かが密かに持
ち去ったとしか考えられません。
 整理してみます。狭いコックピット内の3人は同じ状況である
ので、制服については、3人とも着ているか、3人とも着ていな
いかであればわかるし、遺体の状況についても、3人とも炭化し
ていないか、3人全員が炭化していないのであれば理解できるの
です。しかし、機長だけ、制服がなく、炭化していないのです。
なぜ、機長だけ状況が異なるのでしょうか。
 横田基地への着陸を自衛隊機に阻止されて、ベテランの高濱機
長は、何が起きているか悟ったものと思われます。それについて
機長は何らかのメモを書き、制服のポケットに入れたのではない
かと疑心暗鬼になったのです。そこで、最初に現場に入った特殊
部隊が機長の制服を探し、おそらく持ち去ったのではないかと思
われます。青山氏は次のように述べています。
─────────────────────────────
 あの時、機内では墜落を悟った乗客たちはそれぞれ遺書を書い
ていた。胸ポケットに忍ばせたり、社用の封筒に書き残したり、
時刻表に書いたり、様々であった。もし、機長だけがなんらかの
事実を知り、それを書き記していたとしたらと考えてみても、必
死の操縦で機体をたてなおしていた最中に遺書のようなものを書
き残すことは不可能に近い。
 あくまでも想像の範囲だが、一つの可能性として考えられるこ
とは、機長の制服の中に「何かがある」ことを恐れた人が、墜落
後に回収したのではないだろうかということだ。つまり、副操縦
士や航空機関士とは全く関係がないが、機長だけが「知った」何
か、である。そして万が一、それが表に出ては困ると考えた人が
いるのではないだろうか、としか制服の行方がわからない理由が
思い当たらないのである。   ──青山透子著/河出書房新社
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/053]

≪画像および関連情報≫
 ●遺物から迫る123便事件/隠蔽、捏造、改ざんの連鎖
  ───────────────────────────
   「朝まで燻り、炎まで上がっている現場状況、消防団の臭
  いや目撃証言を総合的に見ていくと、遺体状況の比較を加味
  して考えれば、ケロシンではそこまでならない。ジェット燃
  料のケロシンは、不時着や突発的事態によって燃料を空中に
  捨て去ることも多いために引火点も高く、きわめて安全性が
  高い」と青山さんは書く(79頁)。123便は国内線であ
  るから、残り燃料は1時間半分だけで、上野村の住民が大き
  な飛行機がくるくる回っている状況を「燃料でも捨てている
  のではないだろうか」と語っていることから、青山さんは、
  高浜機長が不時着に備えて燃料を減らしていた可能性も否定
  できないという。そうだとすれば、なおさら燃料は減るわけ
  だし、何より、夏の山は木々の繁った湿度の高い環境で10
  時間以上も炎を出してケロシンが燃え続けるというのは説明
  がつかない、とも。山火事を経験した消防団の人たちも、乾
  燥している冬山ならまだしも、夏でここまで真っ黒に燃える
  ことに疑問をもっていたという(79〜80頁)。
   今回の本の白眉は、御巣鷹の尾根から回収された遺物の科
  学鑑定である(128〜143頁)。上野村の住民たちは、
  様々な遺物を尾根から拾い集めて大切に保存していた。それ
  を青山さんが入手して、T大学(現段階ではあえて名前を伏
  せられている)の金属化学研究機関に、学術研究の一環とし
  て分析依頼を行った。      https://bit.ly/2AJHhCh
  ───────────────────────────


日本航空機長の制服.jpg
日本航空機長の制服
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2018年11月02日

●「日航社長はすべてを知っていたか」(EJ第4882号)

 JAL123便墜落事件に対する中曽根首相の対応は、明らか
に一歩引いた姿勢であるといわざるを得ません。同様にもう一人
の当事者である加藤紘一防衛庁長官も事件後ぜんぜん姿を現して
いません。国家(自衛隊)が加害者であると仮定すると、その姿
勢はとてもよく理解できます。しかし、当時墜落事故の政府の対
応を批判する報道はあまりなかったように記憶しています。まさ
か政府が加害者であるとは誰も思わないからです。
 一方、加害者側である日本航空はどういう対応をしたかについ
て考えてみます。当時日本航空は半官半民で、歴代社長はすべて
経済界か運輸省からの天下りだったのです。したがって、日本航
空も政府側ということになります。
 JAL123便の遺族に、吉備素子氏(現在74歳)という人
がいます。ご主人の吉備雅男氏(当時45歳)は、塩野義製薬次
長として出張中に事故に遭遇しています。吉備素子氏は、遺体安
置所で部分遺体となった夫の遺体と対面しています。
 9月28日から49日の法要をはじめ、一連の追悼行事が行わ
れましたが、そんな慌ただしいなか、吉備素子氏は、日航本社に
高木養根社長を訪ねています。そのいきさつについて、吉備素子
氏は次のように話しています。
─────────────────────────────
 9月頃に遺族に対して日航のほうから、身元不明の部分遺体や
炭化が著しいもの、骨粉など10月中にすべてを茶毘に付すとの
連絡があってね。検視の困難さも見ていたから、それもしかたが
ない、やむを得んなあと思っていたけど。10月4日に群馬入り
したら、血液検査を頼んでいた主人の足と思われる右大腿部の大
きなものまで、茶毘に付されていて、アッ無くなっているって驚
いたんです。事前の連絡とちがう。ひどいって、私は警察ともめ
だした。世話役が間に入って、警察と掛け合ってくれたけど、日
航は警察の検視現場に入るなと言われていたのを見てたしね。現
場責任者の日航重役の人も「僕らは何もできない」と、私らと一
緒に泣いて、泣いて・・・でも、泣いていたって、こんな状態で
10月中に全部茶毘に付すのはいかん、あんたらができんのなら
ば、直接、高木社長に会いに行きましょう、本社に行きましょう
と言って東京に行ったんです。 ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 そういうわけで吉備氏は日航の本社に乗り込み、高木養根社長
に会っています。高木社長は運輸省の出身ではなく、日航生え抜
きの社長です。それにしても、いきなり日航へ乗り込んで、よく
社長に会えたものですが、当然のことながら、日航としては遺族
には気を遣っていて、最優先に会ったものと思われます。その社
長との面接で、高木社長は意外なことを言い出したのです。
─────────────────────────────
 日航本社の社長室に通されて、高木社長と実際に会って話をす
ると、山中の墜落現場にも行っていない、黒焦げの遺体も見てい
ない、彼はまったく現場を見ていない様子だった。
 そこで「あのような状態で、遺体を茶毘に付しては520名が
浮かばれない。私と一緒に中曽根首相のところに行って直訴しま
しょう。あんたの命をかけても首相官邸に行ってください。そう
言ったんです。そしたら、急に高木さんはブルブルと震えだして
『そうしたら私は殺される』そない言うて殺されるってね。何っ
て思ったら、隣に座っていた女性的な世話役も、震え上がってい
る。なんで?と思った。一緒になってフルフルしている。本当に
怯えていた。殺されるって、命かけての意味がわからんのか、お
かしい、これはもうどうしようもない状態だった」と語る。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 日本航空はこの事件の加害者の立場です。したがって、遺体の
処理に関する一切の業務をすべて担っています。したがって、ど
の時点で遺体を荼毘に付すかの判断も日本航空が決めています。
 そもそも吉備氏が日本航空に乗り込んだ目的は、遺体をもっと
調べてから荼毘に付して欲しいということです。あきれたことに
高木社長は吉備氏に事故を起こしたことについて詫びてすらいな
いのです。それに加害者のトップが墜落現場はもちろん、遺体安
置所に運ばれてくる黒焦げの遺体をすらも目にしていない。だか
ら、吉備氏が要求していることも理解できないのです。
 この時点では、既に後部圧力隔壁の修理ミスとの報道があり、
日航だけの責任ではないということになっていたし、まして自衛
隊の標的機による尾翼への激突の事実まで社長が知っていたとす
ると、ますます「オレたちのせいではない」という気持ちが強く
なります。したがって、吉備氏に会ったとき、とっさに詫びの言
葉がでなかったのでしょうか。それにしてもお粗末なことです。
 まして、吉備氏が社長が決められないなら、一緒に中曽根首相
に会いに行こうと迫ると、「そんなことをしたら殺される」と発
言しているのです。首相に会いに行こうというと、「殺される」
とはどういうことなのでしょうか。
 123便が墜落した12日の午後10時過ぎの羽田空港での出
来事です。人だかりができて、中央に中年の紳士が乗客の遺族に
胸倉をつかまれていたのです。「はっきり言え、飛行機はどうし
たんだ。どこへ行ったのか」と問い詰められています。
 中年の紳士がそれに明確に答えられないと、「お前じゃ、ラチ
があかん。社長を出せ!」という話になったのです。そうしたら
その紳士は、真っ赤に顔を紅潮させ、次のようにいったのです。
─────────────────────────────
 うちの機は、北朝鮮のミサイルに撃ち落とされたんだ。今は
 それしかわからん!!
─────────────────────────────
 この紳士は誰かというと、後に日本航空の町田副社長だったこ
とがわかっています。ここにミサイルという言葉が出てくるのは
違和感があります。──[日航機123便墜落の真相/052]

≪画像および関連情報≫
 ●死神から間一髪逃れた「キャンセル・リスト」の後半生
  ───────────────────────────
   間一髪で事故を免れた人もいる。シャープ元副社長の佐々
  木正もその1人である。今年100歳を迎えた彼が、当時の
  記憶をたぐり寄せる。昭和60年、佐々木はシャープの副社
  長兼東京支社長の職にあった。12日は自宅のある大阪に帰
  るため当便を予約していた。
   ところが前日のこと、佐々木に「明日、会えないか」と連
  絡をしてきた人物がいた。フィリップス社の東京支社長であ
  る。「オランダ本社の社長が会いたがっているというんだ。
  フィリップスとは、(CDプレーヤーなどに不可欠な)半導
  体レーザーを共同で開発したり、液晶の生産拠点を設立しよ
  うとしたりして、関係が深かった。それで年末に、社長が来
  日して食事を共にするというのが恒例だったんだが、その年
  に限ってお盆のその日になってね。だから飛行機の予約を変
  更してもらったんです」
   日航機事故のことを知ったのは、ホテルニューオータニの
  レストランで会食しているときだった。ちょうど同じ頃、大
  阪では悲鳴があがっていた。淨子(じょうこ)夫人は、夫が
  123便をキャンセルしたことを知らされておらず、いつも
  のように、伊丹空港まで迎えに来ていたのである。そこにも
  たらされたのが事故の一報。「家内は、かなり遅くまで待っ
  ていたようだ。いったんは私が亡くなったものとあきらめた
  らしいですがね。ところが東京に残って仕事をしていること
  を誰かが伝えてくれて、安心して帰宅したようです」
                  https://bit.ly/2CVRDRp
  ───────────────────────────

日航高木養根社長.jpg
日航高木養根社長
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2018年11月01日

●「日航機事故に政府は何をしたのか」(EJ第4881号)

 JAL123便用の800個の棺を用意したのは、東京都多摩
地域西部にある町、日の出町平井にある共和木工株式会社という
企業です。この企業は、お墓に立てる卒塔婆の生産では、実に全
国の7割を占めているし、折り畳み式棺桶では、トップクラスの
シェアを誇る日の出町のエース企業です。
 しかし、日ノ出町といえば、この場所に別荘「日の出山荘」を
持つ中曽根康弘元総理大臣を思い出します。あのレーガン元米大
統領を招いた日の出山荘です。中曽根氏は、JAL123便墜落
事件のときの総理大臣です。
 これは、あくまで推測ですが、中曽根元首相ほどの人が、自分
の別荘のある日ノ出町のエース企業と付き合いがないとは考えら
れないことです。そうであるとしたら、棺の発注が中曽根氏の意
向で、藤岡の葬儀社から共和木工株式会社に変更になったことは
十分考えられます。なぜなら、日本航空が共和木工株式会社とい
う特殊な企業を知っていたとはとうてい考えられないからです。
 そうであるとしたら、500人を超える死者が出ている最悪の
航空機事故が起きているのに見舞いにも行かず、すべて山下徳夫
運輸大臣にまかせ切りにしているくせに、棺の注文に対しては関
わっていたとなると、釈然としないものが残ってしまいます。
 対照的なのは、当時の英国のサッチャー首相の対応です。奇し
くも、同じ1985年8月22日、英国のマンチェスター空港で
ブリティッシュ・エアツアーズ28M便が、離陸直前にトラブル
が起きて炎上し、乗員・乗客55名が亡くなった事故のさい、当
時サッチャー首相は、出張先のオーストラリアからそれ以降のス
ケジュールを全部キャンセルして急遽帰国し、事故現場に直行し
ています。何という対応の違いでしょうか。
 JAL123便の墜落場所の管理を警察の司法権を超えるかた
ちで自衛隊(防衛庁)が行っていたとなると、そこには、日本国
という国家が関わってくることになります。それは、時の総理大
臣の指揮が行われたことを意味します。これほどのことをして、
時の総理大臣が何も関与していないとは、とうてい考えられない
ことです。600ページを超える中曽根氏の大著『中曽根康弘が
語る/戦後日本外交』(新潮社)によると、事故現場が二転三転
したことについては、次の記述があるのみです。
─────────────────────────────
 実際、静岡に落ちたとか、群馬に落ちたとか、情報がずいぶん
迷走していました。米軍もレーダーで監視していたから、当然事
故については知っていました。あの時は官邸から米軍に連絡はと
らなかった。しかし、恐らく防衛庁と米軍でやり取りがあったの
だろう。            ──中曽根康弘著/新潮社刊
            『中曽根康弘が語る/戦後日本外交』
─────────────────────────────
 驚くべきことに、中曽根氏は、123墜落事故のことを他人事
のようにご書いています。自分の国の旅客機が乗客乗員524人
を乗せて墜落事故を起こしたのです。本来であれは、首相として
その救難体制について、先頭に立って陣頭指揮を行う立場にある
のです。あまりにも他人事のような対応で怒りを覚えます。
 結局、直接対応に当たったのは山下徳夫運輸相です。8月12
日夜、政府は持ち回り閣議で、総理府内に運輸大臣の山下徳夫氏
を本部長とする日本航空機事故対策本部を設置し、23時に第1
回対策会議を開いています。
 実は、山下徳夫氏の場合、事故直前に福岡発東京行き366便
に偶然乗っていたのです。福岡発15時30分発〜17時00分
羽田着にです。この366便がJAL123便になるのです。
 1985年8月12日、JA8119号機は、次の5つのフラ
イトを行う予定になっていたのですが、5番目のフライトで、事
故が起きたことになります。
─────────────────────────────
  東京─札幌 503便/07時55分〜09時20分
  札幌─東京 504便/10時20分〜11時50分
  東京─福岡 363便/12時55分〜14時35分
  福岡─東京 366便/15時30分〜17時00分
  東京─大坂 123便/18時00分〜19時00分 事故
─────────────────────────────
 青山透子氏は、山下大臣の偶然の乗り合わせについて、次のよ
うに述べています。
─────────────────────────────
 事故直前に同じ飛行機による福岡発東京行き366便に偶然乗
り合わせていた。午後3時半福岡出発で午後5時羽田着のこの便
は、墜落した123便と同じ客室乗務員が乗務していた。山下氏
が座った二階席を担当したのは木原ASで、三光汽船会社更生法
申請問題で疲れ果てていた山下大臣を温かくもてなした。「お孫
さんにどうぞ」と、機内搭載のジャンボ機のおもちゃ3個を茶色
の機内用袋に入れてプレゼントした。空港から官邸に入り、その
紙袋を持ったままの山下氏は「本当に何があったんだろうね。あ
んなにやさしい気立てのよいスチュワーデスがこんな事故にあう
なんて」と、思わず涙ぐんでいた。
               ──青山透子著/河出書房新社
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
 13日に山下運輸相は、遺族の待機場所になっている群馬県藤
岡市内の小、中学校を回り、「担当大臣として責任を痛感してい
る」と陳謝の言葉を述べています。そして、自衛隊のヘリで、上
空から墜落現場の様子を視察しています。本来であれば、この役
割こそ中曽根首相が担うべきであったと思います。
 こうした動きのなかでもう一人の主役であるべき加藤紘一防衛
庁長官が登場してこないのは異常です。この事件の主役を務めた
のは、あくまでも自衛隊(防衛庁)だからです。加藤長官は墜落
直後に自衛隊のヘリで現場上空に密かに行っているという情報も
あるのです。   ──[日航機123便墜落の真相/051]

≪画像および関連情報≫
 ●過去のEJの記述を引用しているブログ
  ───────────────────────────
   もう一つ中曽根元総理の別荘における盗聴されたとされる
  発言があります。それが真実であるか否かは闇の中。その中
  の言葉に官邸からの矢の催促の撃墜命令要請に対して・・・
   「私はこんな事のために総理大臣になったわけじゃない」
  総理がみぞうの都市部墜落の大惨事を恐れて許可する条件と
  して言い出した。
  「国民に撃墜を知られないようにできるなら許可しよう」、
  目撃者が出たらどうしますかに対して「何とかしろ」「殺せ
  という意味ですか」に対して、「私をこれ以上人殺しにする
  つもりか」と怒鳴り、「何とかしろは何とかしろという意味
  だと」怒鳴っていた。<引用終わり> 以下、EJ
   JAL123便墜落事故が起こった8月12日、中曽根首
  相は身内と一緒に軽井沢で休暇を過ごしていたのです。そし
  て軽井沢駅を17時11分に発車する特急「あさま22号」
  に乗り、東京に向っています。大宮着18時52分、上野着
  は19時15分でした。この時点では首相はまだ事故を知り
  ません。18時52分といえば、JAL123便がレーダー
  から消える2分前です。
   18時24分40秒には緊急信号を発信しているのですか
  ら、大宮駅で「日航機が迷走中」という情報を首相に知らせ
  ることはできたはずですが、首相の耳には届いていなかった
  のです。上野に到着した19時15分には事故発生は確実で
  「行方不明」になっているのに、ここでも中曽根首相には報
  告されていないのです。     https://amba.to/2JponDv
  ───────────────────────────

山下徳夫運輸大臣.jpg
山下徳夫運輸大臣
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2018年10月31日

●「墜落場所は直後から判明していた」(EJ第4880号)

 結局のところ、JAL123便の墜落現場に事故日の12日の
夜に入り込み、以来テントを張って長期間にわたり泊り込んで、
墜落現場全体を仕切っていたのは、間違いなく自衛隊であると思
われます。
 墜落現場の山頂に行く途中で気分が悪くなった角田氏の友人が
テントで休ませてもらったとき、そこにいた隊員の一人から次の
言葉を聞いています。
─────────────────────────────
 明日で一週間ですが、我々は一度も入れ替えなしですよ。13
日に山に来てからそのまま今も働いています。
      ──角田四郎著/『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 これはおかしな話です。炎天下の作業で、多くの遺体が散乱し
ている場所での重労働です。気分が悪くなる隊員も出てくると思
われます。それでも隊員を交代させないのは、何かウラがありま
す。それは、秘密の保持とも考えられます。ある秘密を守るため
には、それを知る人数は少なければ少ないほど守れるというのが
鉄則です。
 しかし、不思議なことに、角田四郎氏と友人のような一般人が
墜落現場に立ち入ろうとしても、止めるどころか、逆に現場に行
けるよう支援すらしています。うがった見方かもしれませんが、
その方が、かえって疑われないので、そうしているのではないか
と思われます。
 そのためなのでしょうか。よく見ると、全員が同じ服装ではな
く、群馬県警の服を着ていたり、テントも来ているはずのない神
奈川県警のものであったりと、全体がチグハグであると、角田氏
と友人は証言しています。
 角田四郎氏が友人と一緒に墜落現場を訪れたさい、世話になっ
たという2人の群馬県警の機動隊員の幹部も、「機」のマークの
入った群馬県警の服を着ていたといいます。だからこそ、角田氏
らは群馬県警の人であると信じたのです。しかし、現場にいた新
聞記者たちによると、彼らは墜落現場の自衛隊員に命令をしてい
るようにみえたといっています。群馬県警の幹部が自衛隊を指揮
することなどはありえないことです。
 角田四郎氏は、墜落現場に行って、JAL123便の墜落事件
には多くの不可解なものがあると感じたと述べています。墜落現
場の特定にしても、墜落現場での救難活動にしても、本気で取り
組んでいるとは思えないことが多々あります。「下手に生きてい
てもらっては困る事情」でもあったかのようにさえ思える行動な
のです。本気で生存者を救難させるつもりであれば、とったであ
ろう措置をとっていないとして、次のように述べています。
─────────────────────────────
 その疑惑はまだある。
 実は地図上で見れば一目瞭然であるが、墜落現場は群馬県であ
るが、人間が住んでいる村が近いのは断然長野県側である。車が
入る林道が近いのも同じだ。陸上自衛隊松本師団の小川隊のとっ
たルートは歩行時間2時間20分に対し、行先やルートが判って
いた上野村消防団の歩行時間は約4時間である点からも明白であ
る。この墜落現場のある高天原山(御巣鷹山ではない。長野県側
は神立山と呼ぶ)や三国山は、その東側は険しく山が深い(前山
が幾重にも連なる)が、西側は緩斜面が広がり、野辺山台地へと
続く。しかも、川上村には広大なグラウンドや畑があり、救難活
動の拠点作りに打ってつけである。それだけではない。道路も広
く野辺山や清里といった宿泊施設の多い観光地にも隣接し、中央
高速道経由で都市にも交通の便が良い。一体なぜこのルートが救
援活動に一度も使われなかったのであろうか。あまり語られてい
ないが、私は大変不可解なことの一つと思う。ヘリなら5分とか
からない村である。       ──角田四郎著の前掲書より
─────────────────────────────
 123便の墜落場所が、自衛隊(防衛庁)は最初からわかって
いたことを示す語られざる話があります。12日、つまり123
便が墜落した夜のこと。群馬県藤岡市内のある葬儀社に一本の電
話が入ったのです。かけたのは地元の警察です。
─────────────────────────────
  警 察:突然のことだけど、棺はどのくらい用意できる?
  葬儀社:500ぐらいなら、なんとか。
                ──角田四郎著の前掲書より
─────────────────────────────
 123便の遭難で騒然となっていたときのことですから、葬儀
社はピンときたのです。その葬儀社は、藤岡市内や周辺地区の組
合に相談のうえ、棺をどのくらい調達できるか調査して「500
でも1000でも大丈夫」と警察に連絡したそうです。しかし、
翌朝以降、葬儀社には何の連絡もこなかったそうです。
 この棺の見積もりをさせたのは防衛庁であると思われます。地
元警察に命じて藤岡市の業者に棺を見積もらせたのは、墜落場所
を12日夜の墜落直後から把握していたことを意味しています。
そして、この時点で全員死亡を前提にしていたようです。実際に
藤岡市には、霊柩車70台、棺は800個用意されています。ど
こが用意したのかについて「週刊新潮」が書いています。
─────────────────────────────
 東京周辺の葬儀社から800近くを用意し、藤岡市へピストン
輸送した。「800も用意したのは、遺体がバラバラなので、予
備が必要と考えたわけです。現地で注文しなかったのは、統一の
規格のものが用意出来なかったためと思います」(日航関係者)
         ──「週刊新潮」/1985年8月29日号
─────────────────────────────
 800個の棺を用意したのは、東京西部日の出町平井にある共
和木工(株)という企業です。この企業については、明日のEJ
取り上げます。  ──[日航機123便墜落の真相/050]

≪画像および関連情報≫
 ●衝撃的な光景/JAL123便墜落事件
  ───────────────────────────
   昼前、捜索に向かう陸上自衛隊第13普通科連隊(長野県
  松本駐屯地)の部隊と合流した。「これで助かった」と思っ
  た。彼らは地図も強力な無線機も備えており、ついて行けば
  現場に着けるに違いない。缶ジュースもなくなり、のども渇
  き切っていた。水ももらえるだろう。
   昼になると部隊は前進を止め、木の根元に座って、休憩と
  なった。隊員はほとんど10代と思われるような若者で、年
  長者は少なかった。若い人たちは水筒の水を飲ませてくれた
  が、食料はだめだった。部隊は非常時の出動であり、もらえ
  ないのは当然だが、腹が減っていたのでこたえた。
   前進を再開して間もなく、樹林が切れて尾根のピークのよ
  うな所に出た。ヘリの音からすると、そこから北東方向に分
  かれた尾根のどこかに墜落現場はあるようだ。岩場に近いよ
  うな場所もあり、登山経験のない2人は恐怖を感じることも
  あった。
   尾根のピークには、別ルートでやって来た複数の報道機関
  の記者がいた。安達はその中に名古屋支社時代に知り合った
  朝日新聞のS記者を見つけた。驚いて声を掛けたが、その後
  どこに行ったのか姿は見えなくなった。そこから先は下りに
  入った。原生林のような樹林が続いて薄暗く、斜面は湿って
  いてかなりの勾配がある。足元は腐植土で不安定だ。部隊か
  ら遅れないようにしなければならなかったが、慌てて腐った
  切り株に足を乗せると崩れて滑落する恐れがある。木の枝や
  幹をつかんで下らざるを得ず、手は傷だらけになった。
                  https://bit.ly/2zaPmhz
  ───────────────────────────

検死場の藤岡市民体育館.jpg
検死場の藤岡市民体育館
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2018年10月30日

●「墜落現場は自衛隊の支配下にある」(EJ第4879号)

 JAL123便墜落事件について書かれている本はたくさんあ
りますが、青山透子氏の本は別として、EJがここまで何回も取
り上げている本に次の優れた著作があります。
─────────────────────────────
     角田四郎著/『疑惑/JAL123便墜落事故
   /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 角田四郎氏はどういう人なのでしょうか。
 角田四郎氏は、サラリーマン生活を経て、フリーのプランナー
として独立していますが、ライフワークとして山岳歩行記、山岳
酪農の研究、日本古代史の研究を志し、雑誌などに投稿していま
す。つまり、登山は専門家なのです。
 角田四郎氏は、1985年8月19日に御巣鷹山の墜落現場に
行っています。墜落してから7日後のことです。それは、角田氏
の友人K氏から、「一緒に御巣鷹山に行ってくれないか」と頼ま
れたからです。どうしてかというと、K氏の恋人がJAL123
便にスチュワーデスとして乗務しており、墜落事件で、亡くなっ
ているからです。
 しかし、彼女は親には自分(K)のことはいっていないため、
日航は「乗客家族同等」の扱いをしてくれず、仮に遺体安置所の
ある藤岡に行ったとしても、遺体確認もできないし、待合所にも
入れない。もちろん、泊まるところもないそうです。だから、何
とか墜落現場に行って慰霊をしたいというのです。それは途方も
なく困難なことであることはわかっているが、角田氏なら登山の
経験が豊富であるので、何とか墜落現場に行けるのではないかと
懇願されたのです。
 実は、角田氏は、友人のK氏から、深夜に六本木のバーに呼び
出され、その話を聞かされています。角田氏は簡単には返事がで
きなかったそうです。危険だからです。しかし、角田氏はJAL
123便墜落事件について何となくもやもやした気持ちを抱いて
いたのです。釈然としなかったからです。
 角田氏は迷いに迷ったそうです。角田氏は、そのときの思いを
次のように述べています。
─────────────────────────────
 16日の朝刊に現場を訪れた乗客遺族のことが大きく報道され
ていたのも知っていた。藤岡でじっと待つこともできなくなった
両親のことである。少年を一人で日航機に乗せたそうだ。友人は
その藤岡へすら行けないのである。同情だけで危険を冒してよい
ものであろうか。警察などにより入山を拒否されるではないか。
社会的道義的に見てどうなのだろうか。それにわけもなく恐ろし
くもあった。500人以上が亡くなった所である。
 一方で友人の想いはいかばかりであろうと考えてしまう。愛す
る者を想う気持ちは御両親の思いと、どれ程の違いがあろう。比
較するべきものでもないし、できるものでもない。にもかかわら
ず、社会的にはまったく問題にされない部外者なのである。(中
略)朝、いつの間にか10時を過ぎていた。もう限界であった。
「角田さん、行ける所まででも行かない限り、この人は一生悔い
を残しますよ。生きていた人がいたのに、彼女は何故生き残れな
かったのか・・・ってね!」   ──角田四郎著の前掲書より
─────────────────────────────
 結局、角田氏は、この店主の言葉でK氏の申し出を引き受ける
ことにしたのです。しかし、登山の経験のないK氏は、途中で高
山病特有の症状に襲われ、あと5分というところで、墜落現場ま
で行くことはできなかったのです。結局、角田氏だけが墜落現場
に登り、K氏に代わって恋人の慰霊を果したのです。
 角田氏には、この決死の登山でわかったことがたくさんあると
いいます。理解できないこともいくつもあり、それが『疑惑』と
いう本の執筆につながることになるのです。それが何であるのか
について述べることは、この事件の解明にもつながるので、それ
をまとめると、次の4つになります。
─────────────────────────────
 1.角田氏と友人は、墜落事故現場に行く途中で、2人の年配
  の群馬県警機動隊員に会っている。親切に対応してくれたが
  本当に機動隊員であったかどうかは不明である。
 2.そのとき、墜落現場周辺にいた自衛隊員は、19日現在、
  13日に山に入ってから、一度も入れ替えなしでそのまま働
  き続けていることが隊員の口から判明している。
 3.隊員たちのテントには「神奈川県警機動隊」と書かれてい
  るが、ナイフのケースや水筒のヒモには「〇〇師団」と書い
  てあり、靴は軍靴であったことがわかっている。
 4.事故調最終報告書の救援活動の項目に、各協力団体が記載
  されているが、警察庁・群馬県警が協力を要請した県警のな
  かに神奈川県警の名前は入っていないのである。
─────────────────────────────
 墜落後一週間が経過しているので、いろいろな団体が墜落現場
に立ち入っています。角田氏のような一般人も入ることはできて
います。しかし、現場の支配権は、群馬県警ではなく、自衛隊が
握っているのです。角田氏は次のように述べています。
─────────────────────────────
 墜落場所。そこは戦場でもなければ自衛隊演習所でもない。群
馬県内国有林の司法権は群馬県警にあって自衛隊にはない。しか
し、この山の支配者は自衛隊であり、全てが自衛隊によって動か
され、牛耳られていたのである。U字接触点の嶺に向かう沢にも
自衛隊員が配備され、入域を押さえていたのである。墜落後6日
目の話である。1日、2日は県警の配備が遅れても理解できるが
一週間にならんとするのに立入禁止域を自衛隊が勝手に作り、勝
手に隊員を配備している。しかも、同じ自衛隊のほかの部隊です
ら、入山させていないのである。 ──角田四郎著の前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/049]

≪画像および関連情報≫
 ●JAL123便墜落事故の真相/地球情報局
  ───────────────────────────
   青山透子氏(元日航客室乗務員)ブログ:「あの事件をう
  まく隠ぺいした人は異例の昇進をし、それを追及した人は辞
  職を強要されたそうです。正直な人が辞めさせられて、ずる
  い人が残るとすると、本当にひどいですね。」
   あの日1985年(昭和60年)8月12日、JAL12
  3便に、一体何が起こったのか?事件の背景は?それを知る
  ことは、大きな目覚めになる。「我々は高度にマインドコン
  トロールされ、慣れ親しんだ現実は、全て幻想だったのだ」
  と。この世界の現実について予備知識の全く無い人が、この
  JAL123便事件の真実をいきなり知ってしまうと、一時
  的に精神のバランスを失うかもしれない。価値観はひっくり
  返り、後生大事に持っていた常識は崩壊する。コメント欄に
  は、そんな人達からのdesperate comment が山ほど寄せられ
  る。中には工作員らしき人物からの撹乱メッセージも。(彼
  らのコメントを公開することは益々混乱を招くと思われるの
  で、現在は公開を控えている。)
  今まで通り「自身の『常識』という殻の中で幸せに生きて行
  きたい」という人はここから先は読まない方が良い。ご自身
  に人生がひっくり返るような事件が起きたとき初めて、この
  JAL123便事件の真実を受け入れられるかもしれない。
  そして『自身の殻を打ち破る大きな努力』の後、本当に幸福
  な人生とは?この世界から争いが消え、真の平和を築くには
  どうすれば良いのか?その答えが見つかる。
                  https://bit.ly/2OcewBT
  ───────────────────────────

角田四郎氏.jpg
角田四郎氏
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2018年10月29日

●「在日米軍が現場に投入されている」(EJ第4878号)

 1985年8月12日、JAL123便が墜落し、その墜落現
場の特定が二転三転していたときのことです。NHK速報で次の
ニュースが流れたのです。
─────────────────────────────
 ただいま長野県警から入ったニュースです。待機命令を無視し
て、現場に救助に向った自衛隊員数名が、何者かに銃撃され、死
者、負傷者数名が出ている模様です。新しい続報が入り次第お伝
えします。              ──NHKテレビ速報
─────────────────────────────
 このニュースは後に誤報として取り消されるのですが、ギョッ
とするニュースであり、しかも、NHKの報道です。それがきち
んとした説明のないままに取り消されたのです。
 われわれの頭のなかには、自衛隊は、こういう事故や災害が起
きたとき、救助に向うのが任務であるという先入観があります。
救助に向うというのに、なぜ射殺されるのか。そもそも誰が射殺
したのかと考えてしまいます。
 しかし、自衛隊の本質は、日本という国を守ること、すなわち
国防であり、軍隊なのです。昨今世界を震撼させているサウジア
ラビアのカショギ記者が、トルコのサウジアラビア領事館で殺害
された事件のように、それがサウジアラビアという国家にとって
重要不可欠なことであれば、軍隊が動いて本人を抹殺することは
あり得ることです。それに、軍隊という組織は、上官の命令には
絶対服従する組織なのです。
 最大の疑問は、JAL123便が墜落した数時間後に一番乗り
で墜落現場に入り、多くの生存者には目もくれず、何かを捜索し
それをヘリで運び出していた自衛隊とみられる70〜80人近い
一団の正体は何かということです。
 彼らは、13日以降も現場に残って、生存者救出や、遺体の処
理のために現場に入った正規の自衛隊員や消防団、群馬県警など
に交じって、何かをやっていたことは確かです。
 これは、オフバイクで12日の夜に墜落現場に入ったM氏の証
言ですが、自衛隊とみられる隊員は、それぞれ大型アーミーナイ
フを持ち、暗視スコープを装着していたといいます。
 ある国際軍事評論家B氏によると、大型アーミーナイフは当時
自衛隊の装備品ではなく、また非常に高価なので、自衛隊は採用
していなかったといいます。
 また、暗視スコープは、当時の自衛隊レンジャー部隊が使って
いたものの、少量しかなく、とても100個近い数を揃えられる
とは考えにくいのです。しかし、在日米軍であればそういう装備
は十分整っています。
 ここで出てきたのは、在日米軍が参加しているのではないかと
いうことです。しかし、添付ファイルを見るとわかるように、ど
うみても日本人です。これについて、先ほどの国際軍事評論家B
氏は、次のような驚くべき事実を指摘しています。
─────────────────────────────
・公にはされていないが、在日米軍には在日朝鮮人を集めた部隊
 が存在する。
・通常は基地のガードなどを担当するが、優秀な人物を集めて急
 遽200人位の部隊を編成するなど造作もないことだ。
・日本語もできるし、外見は日本人と区別がつかない。逆にそれ
 が狙い目である。
・ガード任務において白人が日本人を撃てば国際問題だし、日本
 人によるガードでは、相手が日本人の時に発砲できない可能性
 がある。そこで、在日の彼らが上手く利用される。このような
 処置は駐留する国の事情に合わせ当然のように行われている。
・在韓米軍内にも韓国籍だけでなく在日朝鮮人籍の人員が採用さ
 れており、彼らは朝鮮半島の緊張の中で実戦を経験している戦
 闘プロ集団だ。          https://bit.ly/2qf4si6
─────────────────────────────
 つまり、外見からは日本人と全く区別のつかない、米軍所属の
朝鮮人部隊が投入された可能性があるというのです。自衛隊では
同じ日本人として、生存者を無視して命ぜられた仕事をしたり、
生存者を何らかの方法で殺害するなどということは、なかなかで
きないことです。しかし、自衛隊の偽装をした米軍兵士であれば
それが可能というわけです。これは驚くべき指摘です。このよう
に、この事件は、日本の自衛隊と在日米軍が組んでいることは確
かです。もうひとつ、軍事評論家のB氏は、「軍夫制度」にも言
及して次のように述べています。
─────────────────────────────
 軍夫とは、辞書によると「軍隊に所属して雑役に従う人夫」と
ありますが、この軍夫の存在は先の世界大戦の敗戦とともに、日
本では死語になったと思われるかもしれません。しかし、B氏に
よると、戦後から今に至るまで、軍夫と同じ役割を担う組織が存
在し続けているとのことです。彼らは、多くの死体が出る事故現
場、放射能など有害物質の汚染が危惧される現場での危険作業な
ど、いわゆる重度の汚れ仕事を公務員に代わって行う組織なので
す。公式の軍夫制度がない以上、それに取って代わる組織は、部
落・在日・土建関係者(現場職)など、どちらかというと日本社会
で被差別的な扱いをうける人々で、なおかつ、国の重要機密に関
る可能性があることから、秘密を守れる組織、別の言い方をすれ
ば統率者の下、組織として統制することが可能な一団であること
が求められます。          https://bit.ly/2qf4si6
─────────────────────────────
 ところで、添付ファイルの下の写真の男の子とみられる子供は
明らかに生きていると思われます。自分の意思で、手で顔を隠し
ているように見えるからです。しかし、この男の子は生存者のな
かに含まれていません。どこに消えたのでしょうか。
 このように考えると、このJAL123便墜落事件は、謎ばか
りということになります。墜落現場で指揮をとっていたのは何者
なのでしょうか。 ──[日航機123便墜落の真相/048]

≪画像および関連情報≫
 ●真実の共有/フェイスブック
  ───────────────────────────
   さらに7歳〜8歳くらいの小さな男の子が13日午前「走
  り回っている」ところを自衛隊員に発見されている。報告は
  無線で直ちに流された。報道関係者もこの無線を傍受。「男
  の子発見」のニュースは流れた。フジテレビの「ニュースレ
  ポート」では、マイクを握ったフジの山口氏が『現場は惨憺
  たる状況です。まもなく、担架に乗せられた7、8歳の少年
  が運ばれてきます・・』と生中継。しかし、この「男の子」
  に関する情報が途絶。以後、まるで神隠しにでも遭ったよう
  に、その後の「7歳〜8歳くらいの小さな男の子」の消息は
  杳として知れない。       https://bit.ly/2z8FBR2
  ───────────────────────────

救助に入った自衛隊員のなかに特殊部隊がいる.jpg
救助に入った自衛隊員のなかに特殊部隊がいる
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月26日

●「『影の軍隊』は果して存在するか」(EJ第4877号)

 JAL123便墜落事件には、33年も経っているのに、まだ
明らかになっていないことがたくさんあります。添付ファイルの
新聞を見てください。これは、1985年8月13日付、日本経
済新聞夕刊です。見出しは次のようになっています。
─────────────────────────────
                   生存者7人発見
       日航機残がい 山腹に散乱/群馬長野県境
    ──1985年8月13日付、日本経済新聞夕刊
─────────────────────────────
 8月13日といえば、JAL123便墜落事件の翌日の夕刊で
す。驚くべきことに「生存者7人」となっています。生存者は4
人のはずです。しかし、当初は「7人」だったのです。ところが
とくに何の説明もないまま「4人」になったのです。あと3人は
どこに消えたのでしょうか。
 9月28日のEJ第4858号では、事故当日の8月12日の
夜に仲間と一緒にオフロードバイクに乗って、JAL123便が
墜落した御巣鷹山の現場に入ったMさんの話を取り上げました。
 その時点では、123便の墜落場所は判明していなかったので
すが、既に現場には70〜80人の自衛隊とみられる隊員がおり
何か作業をしていたのです。それは、明らかに乗客乗員の救出で
はない作業です。そのときの様子について、まとめた部分を再現
します。
─────────────────────────────
 1.墜落現場では、自衛隊とみられる70〜80人が暗視ゴー
  グルを付けて何やら現場から“破片”とみられるものを採取
  する作業をしていた。何を採取していたのか。
 2.自衛隊員とみられる一団は、当時現場には50人ほどの生
  存者が呻き声を上げて苦しんでいたにもかかわらず、救助し
  ようとはせず、破片採取に専念していたこと。
 3.墜落現場近くの上空にはヘリがホバリングしており、自衛
  隊員が採取した物質を入れたバッグを数十個単位で釣り上げ
  て運搬していた。明らかに救助ではないこと。
 4.Mさんと2人の仲間は、生存者10人ほどと話しをしてい
  るが、そのなかには、指を負傷しただけとみられる男性もお
  り、すぐ死ぬような状況でない人もいたこと。
─────────────────────────────
 重要なことですが、このMさんの入った墜落現場は、御巣鷹山
の山頂部分の現場とみられます。少なくとも、4人の生存者が救
出されたスゲノ沢の現場ではないことは確かです。なぜかという
と、スゲノ沢は相当距離が離れており、山頂からは見えないから
です。まして夜間のことであり、見えるはずがないのです。
 そうであるとすると、完全遺体でない遺体の多かった山頂の墜
落現場にも相当数の生存者がいたことになります。実際にMさん
は生存者の何人かと話しており、生存者のいたことは確かです。
 それでは、この山頂の墜落現場に入って作業をした自衛隊とみ
られる部隊は、どのような任務を持つ部隊なのでしょうか。これ
については、池田昌昭氏が「影の軍隊」と称して、次のように記
述しています。
─────────────────────────────
 航空自衛隊からは、戦闘機や、統制機等が参加。戦闘機のスク
ランブルと、侵入機に見立てての訓練実施の可能性。統制機と航
空基地指令との連絡態勢。
 陸上自衛隊からは、ゲリラ戦専門部隊出動の可能性。グリーン
ベレー特殊部隊は、山岳地帯での行動を専門とする。その行動内
容は、すべてを含む。サバイバルは言うに及ばず、武器習熟、隠
蔽工作等々、軍事超人の出現である。
 なぜこのように、先にカムフラージュ部隊が出動したのであろ
うか。その理由は何なのか。
 理由はただ一つ。バレたときに備えての方策をあらかじめ考え
てのことだった。つまり正式部隊の展開の前に、それを一時スト
ップさせておき、その一方でカムフラージュ部隊が、都合の悪い
証拠物件をすべて回収してしまったということなのである。
 逆に言えば、このカムフラージュ部隊の動きが、JAL123
便墜落事故のすべてを知っているので、あとから出動したたとえ
ば陸上自衛隊の本隊部隊は、現場に近づくことを阻止され、すべ
ての証拠隠滅が終了してから、現場に入ったということなのであ
る。すべての隠蔽工作が終わるまでには、翌13日の午前8時ぐ
らいまで必要だった。それまでは救助部隊の投入は押し止められ
た。もちろんそのことに伴って、墜落現場特定も翌日の午前5時
ぐらいまで引き延ばされていた。   ──池田昌昭著/文芸社
          『御巣鷹山ファイル3/空白の14時間』
─────────────────────────────
 自衛隊にこのような「影の軍隊」のようなものがあるとすると
この123便墜落事件で大きな役割を果たした浜松基地から発進
したという2機のファントム戦闘機は、まさしく航空の影の軍隊
に属するのです。横田基地に着陸しようとする123便にスクラ
ンブルをかけて山岳地帯に誘導し、最終的にミサイルを発射して
撃墜するなど、大活躍をしています。自衛隊がその存在を否定す
るのは当然です。
 実は、いち早く墜落現場に入った陸上の影の軍隊は、13日の
朝になって本物の自衛隊が現場に到着してからも、現場に残って
本物の自衛隊と一緒に作業したことがわかっています。証拠の写
真もあります。本物の自衛隊は救助を行い、影の自衛隊は標的機
とミサイルの痕跡を示すものの撤去と役割は分かれていますが、
見た目は大勢の自衛隊員が救助作業をしているように見えます。
 そのとき、影の自衛隊員が子供の生存者を抱いている写真があ
ります。しかし、その後、この子供がどうなったのかについては
まったく不明です。なお、山頂の現場からは一人の生存者も出て
いないのです。子供はその後どうなったのでしょうか。
         ──[日航機123便墜落の真相/047]

≪画像および関連情報≫
 ●なぜ、7人が4人に減ったのか/123便の生存者
  ───────────────────────────
   7人であるか、8人であるかは分からない。少なくとも、
  4人以上であることは確かだ。御巣鷹の日航機123便生存
  者の可能性である。当時の日経新聞にもはっきりと一面トッ
  プに出ているではないか。その検証は、必要だ。何故、その
  ニュースが消えたか?
   消えたのではなかろう!消したのだろう。記事を消したの
  は許そう。命を消すことは許せない。3人はその後どうなっ
  たのか?徹底解明が求められる。情報の交錯なら、その事実
  を明らかにすべきだ。誤報なら、誤報の経緯を解明すべきで
  ある。それが蓉として為されていないのは、大きな疑問であ
  る。はたして正確な調査・報道があったなら、こういう事に
  はならなかったであろう。隠されたものは顕れるのである。
  しかし、調べれば調べるほど、到底、明らかに出来ない闇の
  事情が垣間見える。そう感ずるのは投稿者だけであろうか。
  しかし、真実は明かされる必要がある。その理由は簡単だ。
  まっとうな人間は、偽善に生きることを潔くしない。真理は
  真実にこそ宿る。        https://bit.ly/2SgVKfL
  ───────────────────────────

1985年8月13日/日本経済新聞夕刊.jpg
1985年8月13日/日本経済新聞夕刊
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2018年10月25日

●「墜落現場での4つの不可解な状況」(EJ第4876号)

 JAL123便の墜落現場の状況には、不可解なことが多いと
青山透子氏は指摘しています。それを4つにまとめます。
─────────────────────────────
 1.遺体は墜落現場の広範囲に広がっていたが、それらの遺体
  に沿うように大火災になっている。
 2.ディズニーランド帰りの乗客が多かったが、お土産のミッ
  キーマウスは意外に燃えていない。
 3.燃料貯蔵箇所の左右主翼から遠いところまで燃えているが
  遺体のない場所では燃えていない。
 4.生存者が発見された場所は、山頂からはまったく見えない
  場所で、火災は全然起きていない。
─────────────────────────────
 青山透子氏は著書のなかで事実しか述べていません。したがっ
て読者は、その事実から青山氏がいわんとしていることを読み取
る必要があります。
 1の「遺体に沿うように大火災になっている」というのは、遺
体に対して、墜落後火炎放射器のようなもので、火炎を吹き付け
たのではないかということです。どうしてこのようなことをする
必要があるのでしょうか。
 まして、123便の高濱機長は、最後まで不時着を試みている
ことがわかっており、事前に少しずつ燃料を減らしていることは
確実で、朝まで燃えるような大火災になどならないはずです。
 2は遺体に対して何らかの火炎を吹き付けたことの傍証になる
ものです。墜落現場では、当然燃えてもいいはずのものが燃えず
に残っているのです。
 1983年4月15日に東京ディズニーランドが開園している
ので、その2年後ということで、123便の乗客にはディズニー
ランド帰りの人が多く、墜落現場ではそのお土産のミッキーマウ
スが散乱していたといわれます。ミッキーマウスは化繊でとても
燃えやすいはずですが、燃えていないのです。遺体だけに火炎を
吹き付ければそうなります。
 3は、発火源であるはずの燃料貯蔵箇所の左右主翼のある近く
でもあまり燃えておらず、それとは逆に左右主翼からかなり離れ
ているところでも燃えているところがあるとの指摘です。いずれ
にしても、遺体のない場所は燃えていないのです。
 ちなみに、客室乗務員の制服はほとんど燃えていなかったとい
われます。服の素材は果して不燃布なのでしょうか。遺体は炭化
しているのに服は燃えていないスチュワーデスの遺体もあったと
いいます。しかし、青山透子氏は、そのような話は訓練所でも聞
いていないとして次のように述べています。
─────────────────────────────
 紺色のワンピースが燃えずに綺麗な状態で残っていたというが
よほどその印象がつよかったのだろう。「あの制服は燃えないに
違いない」と確信するほど、11名の女性客室乗務員の服装は焼
けていなかったということになる。実はその時、私は疑問を持っ
たのである。普通のニットの素材であったし、私も訓練所でもそ
ういう話は一切聞いていない。もし、そのような素材ならば、エ
マージェンシー訓練の際に必ず言われていたはずである。なぜ、
スチュワーデスの制服がいずれも綺麗な状態だったのだろうかと
私の心にその言葉がずっしりと重く残った。
               ──青山透子著/河出書房新社
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
 ここで「あの制服は燃えないに違いない」といったのは、その
とき現場で精力的に歯型の検死活動を行っていた土肥福子歯科医
師(当時木村福子)です。群馬県歯科医師で警察医である大国仁
医師の助手として検死に活躍していたのです。
 その土肥福子氏は、機長の遺体の制服について、次の疑問を呈
しています。
─────────────────────────────
 それから機長さん、あれは本当にわからなかった。どうしてな
んでしょうね。副操縦士さんとか、隣の席でもそこまでひどくな
い。機長さんは私たちのところにきたのも、服も何もなくなって
骨のこれだけしか検死箱に入ってなかったですから。制服はどこ
に行ったのでしょうね。         ──土肥福子歯科医
         ──青山透子著/河出書房新社の前掲書より
─────────────────────────────
 これは奇怪なことです。コックピット内の操縦席で、機長の隣
の席に座っていた副操縦士やすぐ後ろの席の航空機関士は、服装
や所持品で身元確認ができたのです。遺体は炭化していましたが
欠損はなかったといいます。
 しかし、機長については、肉体的原形をとどめないほどバラバ
ラになっており、遺体も顎の一部しか発見されず、制服のかけら
も燃えカスすらも発見されていないのです。これは、一体どうい
うことなのでしょうか。
 少なくともいえることは、墜落現場の遺体の状況は、飛行機が
山の斜面に激突したままの状態ではなく、その後、人為的に何か
が加えられていることは確実だということです。
 4は生存者の発見された場所です。青山透子氏によると、機内
の客席最後部(Eコンパートメント)だけが、墜落現場からかな
り離れたスゲノ沢方面に滑落し、山頂からはまったく見えない場
所であったということです。この場所は、火災が発生していない
のです。おそらく墜落場所に最初に乗り込んだ一団(自衛隊特殊
部隊といわれる)は見落したのではないかと考えられます。
 このスゲノ沢の遺体の状態は「完全遺体」が多かったことから
墜落直後は、相当の生存者がいたと思われます。そのことは生存
者の一人である落合由美氏の証言で明らかになっています。もっ
と早く自衛隊が救助活動に入っていたら、きっと多くの生存者が
出たものと思われます。
         ──[日航機123便墜落の真相/046]

≪画像および関連情報≫
 ●墜落遺体/御巣鷹山の日航機123便
  ───────────────────────────
   「何だこれは・・・」毛布の中から取りだした塊を見て、
  検視官がつぶやく。塊様のものを少しずつ伸ばしたり、土を
  落としたりしていくうちに、頭髪、胸部の皮膚、耳、鼻、乳
  首二つ、右上顎骨、下顎骨の一部、上下数本の歯が現れてき
  た。二歳くらいの幼児。顔の損傷が激しく、半分が欠損して
  いる。それなのに、かわいい腰部にはおむつがきちっとあて
  がわれている。
   五二〇人という数字も大変だが、実際に回収される遺体は
  数千体にもなっている。「目が三つある死体があるのですぐ
  来てください」中には一週間もたっていないのに白骨化して
  いるのもある。
   連日の猛暑のため、遺体に蛆が湧き、腐敗の進行も早いた
  め、数日後からの回収遺体は原形をとどめていないものが多
  く、確認作業は困難を極めた。焦点が合わないんです」写真
  担当の若い巡査が、カメラを両手でもったまま泣きべそをか
  いている。           https://bit.ly/2Pg9gSu
  ───────────────────────────
  ●画像出典/青山透子著/河出書房新社の前掲書より

遺体安置所で検死する木村福子歯科医.jpg
遺体安置所で検死する木村福子歯科医
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2018年10月24日

●「遺体はどのように分散していたか」(EJ第4875号)

 昨日のEJで指摘したように、JAL123便は御巣鷹山の斜
面を下から上へ駆け上がるように不時着したと考えられます。高
濱機長が「頭を上げろ、フラップアップ!」と叫んでいたのは、
機首が下がると山に激突してしまうからです。機首を少しでも上
げることによって、山の斜面への激突を回避しようとしていたか
らです。激突では、全員死亡が確実になってしまうからです。
 青木透子氏は、123便の遺体の分散状況をていねいに調べて
遺体の損傷別に統計をとっています。本来このような調査は政府
の事故調が責任をもって行うべきですが、事故調は遺体について
は、通り一遍の調査しかしていないのです。最初から真実を追求
しようという気持ち自体が事故調には欠けています。
 添付ファイルをご覧ください。まず、機内の客席状況を次のよ
うに、前方から4段階に分けています。
─────────────────────────────
        A ・・・ 1F: 48名
              2F: 16名
        B ・・・・・・  81名
        C ・・・・・・ 127名
        D ・・・・・・  89名
        E ・・・・・・ 144名
               ──青山透子著/河出書房新社
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
─────────────────────────────
 Xの棒グラフは、座っていた席別(コンパートメント別)の遺
体の状況を示しているグラフです。遺体の状況は次の3つに分か
れています。
─────────────────────────────
          1.  完全遺体
          2.ほぼ完全遺体
          3.  離断遺体
─────────────────────────────
 これを見ると、2階席を含むA、Bでは、完全遺体は8体のみ
(5・5%)、ほぼ完全を含めても19体(13・1%)しかあ
りません。遺体の損傷度はかなり高く、85・5%が、離断遺体
(バラバラの遺体)です。機体前方は、どうしても正面から突っ
込むことになり、遺体の損傷は激しくなります。
 機体の中央のBとCについては、完全遺体60体(29%)、
完全とほぼ完全を加えると102遺体(49%)となり、機体の
前方(A、B)よりは完全遺体が多くなります。しかし、この部
分の離断遺体は114遺体で、その比率は55%とかなり高い数
字です。これは、ミサイルによる破壊が原因ではないかと考える
見方もあります。
 しかし、機体のEの乗客・乗員144名に関しては、完全遺体
は127体(88%)であり、ほぼ完全を加えたときの比率は、
93%、ほとんどが完全遺体の状況です。
 JAL123便の墜落状況について、青山透子氏は次のように
述べています。
─────────────────────────────
 飛行機は前方のAコンパートメントから激突して、ひっくり返
り、B、C、Dとそれぞれぶつ切り状態となって転がり、一番後
ろのEコンパートメントだけが、スゲノ沢方向に機体ごと背中か
らジェットコースターのように木々をなぎ倒しながら一気に滑落
していったのである。
 最も見てほしい部分は、生存者が発見された場所である。最後
部のEコンパートメントに座っていた144人は重なり合い、そ
の遺体状況はほぼ完全な遺体であったと記録されている。実はこ
こは山頂からは全く見えない場所で、沢へ滑落して深い森の木々
に囲まれている。すぐそばに第1エンジンと第2エンジンが2つ
も転がっていたにもかかわらず、さらにジェット燃料の貯蔵部分
の右主翼の一部があるにもかかわらず、燃えていないのである。
 つまり、他の遺体と異なり、「ジェット燃料で燃えた」という
ことよりも、むしろ山頂から見えないところだったので、燃えな
かったと言わざるを得ない状況である。同じように、燃料貯蔵部
分の左右の主翼を見ていくと、左主翼のところも燃えていない。
右主翼はその周辺が燃えている。 ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 続いて、Yの棒グラフをご覧ください。これは、コンパートメ
ント別の炭化遺体と火傷の遺体の数を表しています。既に述べて
いるように、通常飛行機墜落事故で、炭化遺体はあり得ないので
す。火炎放射器でも使って燃焼させない限り、遺体が炭化するこ
とはないのです。
 グラフを見ると、突出しているのはCです。127名中62遺
体(49%)が炭化遺体になっています。さらに、2階席を含む
A、B、145人の45遺体(31%)も炭化しています。全体
としての炭化の状態について、青山透子氏は本に次のようにまと
めています。
─────────────────────────────
 亡くなった乗客のみを分析すれば身元未確認2人を除く503
人のうち、確認された炭化は116人、火傷は41人、それ以外
の遺体(不明または燃えていないもの)は346人となり、全体
の約3分の1が燃えた状態であった。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 ここで注目すべきは生存者4人のいた場所です。そこはスゲノ
沢といい、山頂からはまったく見えない場所です。つまり、墜落
現場に最初に入った自衛隊(特殊部隊?)は、夜のことであり、
スゲノ沢に滑落した飛行機の部分を見落とした可能性が十分あり
ます。だから、助かったのではないか。ここは、火災も起きては
いないのです。なお、山頂の方にも生存者がいたという情報はあ
ります。     ──[日航機123便墜落の真相/045]

≪画像および関連情報≫
 ●乗員乗客の壮絶な遺体確認作業の記録/JAL123便
  ───────────────────────────
   1985年8月に発生した日航機墜落事故を題材にしたド
  キュメンタリーである。著者の飯塚氏は、当時遺体確認作業
  の陣頭指揮をとった警察関係者である。
   飛行機が単独で起こした事故としては航空史上最悪の惨事
  となったこの墜落事故。これに関する書籍は非常に多く出版
  されている。ジャーナリストがマスコミの視点で書いた物、
  機体に起こった現象について航空工学の専門家が詳しく分析
  した本、亡くなった乗員乗客の遺族が、思いをつづった本な
  ど。しかし、遺体確認作業の詳細を綴った本はなかなか出版
  されなかった。きっと、遺族への配慮なども考慮してのこと
  だったのだろう。
   現場で回収された遺体や遺品は、全て地元の中学校の体育
  館に集められた。真夏の猛暑の中、マスコミの視線を遮るた
  めに全ての窓を閉め、暗幕を張って関係者以外の出入りが一
  切禁止となった。連日40°Cを超える体育館の中で繰り広
  げられた遺体確認作業は壮絶な物だった。亡くなった人は後
  に520名と判明したが、ほとんどの遺体は墜落の衝撃でバ
  ラバラの肉片と化し、原形をとどめた遺体はわずかだった。
  急遽、全国の歯科医に協力を要請し、カルテの提示とポータ
  ブルのレントゲン撮影機の手配が行われた。
                  https://bit.ly/2Cx7gyg
  ───────────────────────────

JAL123便墜落事故/遺体の状況.jpg
 
JAL123便墜落事故/遺体の状況
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2018年10月23日

●「123便は墜落ではなく不時着だ」(EJ第4874号)

 JAL123便のコックピットは、高濱機長を中心に、最後の
最後まで不時着しようとしていたようです。もし、山に激突すれ
ば、全員死亡は避けられないからです。既にご紹介しているよう
に、池田昌昭氏の仮説による復元ボイスレコーダーの最後の部分
を少し長いですが、引用します。33年経過した現在でもボイス
レコーダーは全面公開されていないからです。
─────────────────────────────
◎午後6時54分40秒
123便:羽田も横田もOKしているが、軍用機の背後の意思は
 撃墜だ。
 ・できるだけ、スピードを落としながら、ミサイル衝撃を最小
  限度に食い止め、火を噴きながらでもよいから、山林樹木を
  クッションにして、バウンドしながら不時着しよう。
 ・右バンクとり、右旋回
◎午後6時54分55秒
123便:フラップオールね。
 ・はい。
 ・うまく不時着するぞ。
◎午後6時55分25秒
123便:頭上げろ。
◎午後6時55分35秒
123便:地上からの交信はちゃんとつながっております。
 ・えー、その他・・・
◎午後6時55分40秒
123便:「ガーン」
 ・来た。
 ・ミサイル攻撃だ。
 ・ずっと前から、狙っていた戦闘機に、右後方上からミサイル
  を撃ち込まれた。
 ・右に、真っ逆様に墜ちる。
◎午後6時55分42秒
123便:真っ逆様に墜ちていく。
 ・フラップ止めな。
 ・止めな。
◎午後6時55分45秒
 123便:あーっ
◎午後6時55分48秒
123便:あー、フラップそんなに下げたらだめだ。
 ・フラップ アップ、フラップ アップ、フラップ アップ、
  フラップ アップ
 ・はい
 ・これは地面に激突する
◎午後6時55分50秒
羽田空港管制:こちらAPC。JAL123便、位置は50マイ
 ル、訂正する。羽田の北西50マイル、オー、5マイル、羽田
 の北西50カイリ
◎午後6時55分55秒
123便:パワー、パワー
 ・フラップ
 ・上がっています。
◎午後6時56分05秒
123便:頭上げろ、頭上げろ
 ・パワー
 ・最後だ!
 ・死力を尽くして比較的峻険でないあの「山」付近に突っ込ぞ
 ・はい。
 ・後部座席乗客は、助かるかもしれない。
 ・機体最前部は激突で粉砕。機体前部・中部乗客はミサイル炸
  裂爆薬で機内で粉々。生きて二度と逢えぬが、みんな、よく
  やった。感謝する。乗客・乗員のいのちは、また必ず生まれ
  変わる。
 ・はい。
◎午後6時56分14秒
123便:GPWS(対地接近警戒装置)による警報音
 ・シンクレイト
 ・プアプア、プルアップ、プアプア、プルアップ
 ・横揺れ角は右40度ほどに回復。機首も次第に上向き回復し
  つつある。
 ・うまく不時着するぞ。
◎午後6時56分19秒
123便:プアプア、プルアップ
 ・パワーは最大までに上がり、降下が止まり、垂直加速度は、
  上向き3G
 ・もうダメだ。
◎午後6時56分23秒
123便:接触音
 ・プアプア、プルアップ
◎午後6時56分26秒
123便:激突音          ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル3/JAL123便は自衛隊が撃墜した』
─────────────────────────────
 これでわかるように、JAL123便は、コックピットが総力
を上げて、不時着したのです。専門家によると、「山腹を駆け上
がるように着陸する胴体着陸を試みている」と分析しています。
今までの航空機事故において、墜落、激突では生存者は出ていな
いのです。不時着は、コックピットが明確に意図して試みなけれ
ば、できることではありません。池田昌昭氏による復元ボイスレ
コーダーからは、高濱機長と操縦スタッフが不時着を目指して最
後までがんばったことが十分読み取れます。
         ──[日航機123便墜落の真相/044]

≪画像および関連情報≫
 ●日本航空123便墜落事故を検証する
  ───────────────────────────
  (1)墜落ではなく不時着だった
   1985年8月の日航機123便墜落事故の真実は、墜落
  ではなく不時着したと考える方が合理的だ。なぜなら、航空
  機事故で、離陸時や着陸時の不時着による事故での生存者は
  いるが、墜落した状況で生存者がいた事例はないからだ。
   日航機123便は、山腹を駆け上がるように着陸する胴体
  着陸を試みて、絶望的な状況で多数の生存者が出た。(4人
  だけが救出)
  (2)斜面を利用しての胴体着陸だとする根拠
   墜落直前に、「あたまあげろ」「パワー。パワー」と叫び
  ながら録音は終わっています。123便は、墜落直前にエン
  ジンを全開にして機首を上げていたのでしょう。斜面と機体
  が平行になるように。つまり、山の斜面を駆け上がるように
  胴体着陸を試みていたのです。
   1. 図1のAの地点で胴体の底が接触。
   2.Bの地点で胴体後方部分が接触し、尾根をU字に削り
   3.C(写真2)の地点に右翼を下に墜落。
   4.右エンジンの爆発で胴体が折れて、
   5.写真3の方向に胴体後方から斜面をずり上がり、
   6.機首部分は、写真1の方向に斜面を上にずり上がって
  いった。おそらくBの地点で胴体が尾根と接触し、機体が右
  に傾きそのまま写真2に機体の腹から衝突したと考えられま
  す。衝突で機長が「駄目だ」と言ったのは、それまで保って
  いた水平が、Bの地点接触で、機首が少し下がり、右翼が下
  がったからだと思います。    https://bit.ly/2S3EHxE
  ───────────────────────────

123便が墜落した状況.jpg
123便が墜落した状況
 
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2018年10月22日

●「日航123便に起きた6つのこと」(EJ第4873号)

 JAL123便に何が起こったのでしょうか。事故調が最終的
結論としている「後部隔壁破壊説」以外の、いわば陰謀論扱いさ
れている主張の骨子をまとめると、次の6つになります。
─────────────────────────────
 1.護衛艦「まつゆき」から発進したとみられるミサイル標
  的機が、JAL123便の垂直尾翼を破壊する。
 2.JAL123便の高濱機長は、操縦困難の飛行機をコン
  トロールし、横田基地へ緊急着陸しようとする。
 3.浜松基地から発進し、123便を追尾していた2機の戦
  闘機が横田着陸を阻止し、山の方向に誘導する。
 4.123便はなおも不時着を試みようとするので、戦闘機
  2機は123便にミサイルを発射し、撃墜する。
 5.自衛隊は墜落場所が特定されないようニセの情報を流し
  その間に特殊部隊が現場から証拠物を搬出する。
 6.自衛隊特殊部隊が現場から立ち去るさい、火炎放射器を
  使って、墜落現場を万遍なく焼き尽くしている。
─────────────────────────────
 内容は非常におぞましいものです。あり得ない、考えられない
内容です。まともに書くのも憚られます。だから「妄想の世界」
などといわれるのです。多くの情報が隠されていますから、この
事件をよく調べていない人から見ると、妄想の世界、陰謀論の世
界になってしまうのです。
 当然のことですが、政府は「事故調の結論は正しい」という立
場なので、政府としては、航空機に詳しい専門家を使って、事故
調以外の説を、あり得ない内容で、陰謀論だと喧伝させれば、事
故についての情報が少ない一般人から見れば、本当に陰謀論であ
ると信じてしまう傾向があります。
 しかし、この墜落事故で犠牲になった520人の遺族は一般人
とは違います。遺族にとっては、事故原因や時の政府の対応は大
いに不満であり、事故調の結論には疑問を持っています。とくに
何十年もかけて、多くの関係者の膨大な証言から疑問を問う青山
透子氏の本は貴重なものであり、遺族たちから大きな支持を集め
ています。なぜなら、この考え方に立つと、この事件のすべての
謎が氷解し、きちんと整合性がとれるからです。
 なぜ、頑丈な垂直尾翼が破壊されたのか。なぜ、自衛隊の戦闘
機が横田基地への着陸を邪魔したのか。2機のファントムが追尾
しているのに、なぜ、墜落現場を早く特定できなかったのか。な
ぜ、自衛隊は、この2機のファントムのことを隠すのか。なぜ、
横田基地の米軍の救助申し出を断ったのか。なぜ、墜落現場で、
遺体が炭化するほど燃えているのか。ジェット燃料ケロシンの燃
焼ではあり得ないことです。
 そして、明らかに矛盾が多い「後部隔壁破壊説」にこだわり、
なぜ、再三にわたる遺族からの再調査要請を断り続けたのか。そ
れは、もし、再調査を認めると、日本政府にとって、非常に都合
の悪い事態になるからです。だから、何が何でも事実を伏せる必
要があったといえます。おそらくこの事故は終ったことにして、
二度と再調査の話は出てこないでしょう。何しろ33年も経過し
ており、遺族も高齢化しているからです。
 当初事故調の後部隔壁破壊説には、当の日本航空の技術陣も疑
問を抱いていたのです。日本航空では、技術陣が、尻もち事故の
後遺症で飛行機の機体に穴があいて、垂直尾翼の内部に客室内の
与圧空気が吹き上げられた場合、尾翼のどの部分が壊れるかにつ
いて実験を行っています。
 その実験の結果は、当時の読売新聞夕刊の記事になって次のよ
うに発表されています。
─────────────────────────────
 日航のコンピュータ解析実験の結果を発表。機内の与圧を8・
7PSI(1インチ四方にかかる圧力の単位、事故機は8・9P
SI)とした場合、一番先に壊れるのは垂直尾翼最上部のふたで
次は垂直尾翼の中央にあるトーションボックスと尾翼の仕切りで
あることがわかった。
 しかし、相模湾から発見された垂直尾翼の前縁上部は、トーシ
ョンボックスの一部も一緒になって吹き飛ばされていた。この様
な壊れ方は、突出した与圧だけの力ではとても考えられにくく、
他に外部から別のもっと大きな力が加わらなければならない、と
いう。その力がなにかについては、日航は垂直尾翼に働くねじれ
力もあるとする一方、晴天乱気流(CAT)や突風などのような
ものがきっかけとなり、垂直尾翼に何らかの変形が生じる場合も
ある、としている。──1985年8月19日付、読売新聞夕刊
               ──青山透子著/河出書房新社
     『日航123便/疑惑のはじまり/天空の星たちに』
─────────────────────────────
 この実験結果では、垂直尾翼の内部に客室内の与圧空気が吹き
上げられた場合、最初に壊れるのは、尾翼のトーション・ボック
ス(主要構造部)の最上部(前桁ウェーブ)という結果ですが、
相模湾から発見された垂直尾翼を調べると、その部分は破壊され
ておらず、尾翼の下の部分から根こそぎ破壊されていることがわ
かったのです。
 これについて、当時の日本航空の河野宏明整備部長は「隔壁が
破壊し、垂直尾翼が下からのプレッシャーで破壊されたとは考え
にくい」ことを指摘しています。日本航空といえば、加害者の立
場ですが、事故調の結論には反対の実験結果を公表しているので
す。なお、晴天乱気流(CAT)の可能性が指摘されていますが
当日の天候は、他の飛行機も飛んでいるなかで、CATの報告は
なく、天気は安定していたのです。
 このように、垂直尾翼は、外部からの何らかの圧力なしには破
壊できないと、加害者側の実験結果は示しているのです。しかし
事故調は、こういう実験結果には何ら関心を示さず、後部隔壁破
壊説を結論としています。それなら、事故調の結論の方が陰謀論
になります。   ──[日航機123便墜落の真相/043]

≪画像および関連情報≫
 ●「日航123便 墜落の新事実」を読み終えて
  ───────────────────────────
   河出書房新社から「日航123便 墜落の新事実」が発売
  になった。著者は元日航客室乗務員の青山透子氏である。青
  山氏は日航123便事故で多くの同僚を失い、前著「天空の
  星たちへー日航123便 あの日の記憶」(マガジンランド
  2010年)で123便の事故原因に対する数々の疑問を提
  示している。
   今回は、さらに事故原因を深く掘り下げ、123便でお亡
  くなりになった乗員乗客の方々の無念さを浮き彫りにしてい
  る。事故当時の運輸省航空局事故調査委員会が公表した事故
  調査報告書と真っ向から対立する内容の書籍はこれまで数多
  く出版された。多くの書籍が、事故調査委員会が主張する後
  部圧力隔壁の破壊で急減圧が起こり垂直尾翼が破壊され、同
  時に油圧系統が破壊され操縦不能に陥り墜落したという事故
  原因の矛盾を指摘している。
   特に事故調査報告書にあるような毎分30万フィート毎秒
  の減圧が発生したならば、乗客や機内の備品が機体後部に向
  かって吹き飛ばされてもおかしくないはずである。しかし乗
  客が撮影した写真や生存者の話からは、客室内に激しい減圧
  が起きた証拠は何一つ見られず、急減圧時に行う酸素マスク
  の着用を操縦士が行なっていない。そうなると、垂直尾翼は
  外部から何かが衝突して破壊されたと考える方が、自然であ
  る。外部衝突による破壊説を元に事故原因を推定すると、さ
  まざま状況がつじつまが合うのである。
                  https://bit.ly/2R0ftPq
  ───────────────────────────

何が垂直尾翼を壊したのか.jpg
何が垂直尾翼を壊したのか
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2018年10月19日

●「御用コメンテーターの青山本批判」(EJ第4872号)

 杉江弘氏という人がいます。航空評論家でエッセイストと称し
ています。元日本航空の機長で、ジャンボジェット(B747型
機)の飛行時間で世界一の記録を更新中です。ジャンボジェット
操縦のプロです。航空機事故が起きるとよくテレビに出てきて、
解説を担当し、多くの著作があります。私も、杉江氏の本を数冊
持っています。
 しかし、杉江氏は、いわゆる青山本の内容にについては、手厳
しく、「内容は妄想」と切り捨てています。これに関して、青山
透子氏は杉江氏の本を「便乗本」であるとして、ネットで強く反
論しています。
 青山透子氏は、これに関してJAL123便の遺族からの次の
メッセージをもらったとし、遺族の了解をとって、その内容を自
身のブログに掲載しています。
─────────────────────────────
 元日航パイロット、杉江弘氏の『JAL123便墜落事故』/
宝島社/2017・12・22の本が出版されました。(買うま
でもない本で)立ち読みですが、貴方の「青山本」は妄想だと決
めつけています。パイロットは技術者でなく、運転手です。事故
調査には全くの素人で、これは日航と話をする際、出て来るパイ
ロットと議論すると直ぐに分かります。その他、「謀略説」は、
100%有り得ないとか、再発防止策が急がれるとか、全く漫談
です。しかも、事故の真実は明解に特定していません。事故原因
が分からずに再発防止とは理解不能です。目撃証言の重要性を杉
江氏、日航、事故調は無視しています。
        ──あるJAL123便墜落事故の遺族の意見
─────────────────────────────
 いろいろな分野で有名になると、メディアが注目してテレビな
どに出演を依頼したり、雑誌にインタビューが載ったりします。
日本の場合、どの政権でもそうだとはいいませんが、安倍政権の
場合は、そういう人を政府はていねいにウオッチしており、政府
側に取り込もうとします。有名人に反政府的発言をされると、政
権のダメージが大きくなるからです。
 安倍政権は、テレビのコメンテーターの発言をチェックしてお
り、問題発言をするコメンテーターは、テレビ局に指示を出して
少しずつ出演回数を減らさせ、しかるべき時期にコメンテーター
の契約を打ち切るようにしているといわれています。
 政府批判などをしなければ、航空機に関する話題が出ると、す
ぐテレビ局から出演依頼があり、露出度が高くなります。ジャー
ナリスト、作家、コメンテーター、評論家などにとっては、メデ
ィアの露出度が上がると、本も売れるし、テレビ出演のギャラも
上がるので、いいことづくめです。かくして多くの「御用コメン
テーター」が誕生することになります。
 青山透子氏は、杉江弘氏の著書に関連して、次のように反論し
ています。
─────────────────────────────
 そのご遺族は、真摯に事故原因を見つめ直そうと再調査を願う
人を陥れるために、いつも御用コメンテーターなどが出てきて、
事故調の報告を擁護して、それがすべて正しいと錯覚させると語
っていました。もう一度お伝えしますが、事故調査報告書のデー
タ表示、書いた内容そのものの信憑性を疑ったのは群馬県前橋地
検で、担当検事がそれについて遺族会の前で明言しています。そ
の結果不起訴となったのです。
 つまり、裁判にならなかったために、事故調査委員以外の人間
がブラックボックス(FDR,CVR)の中をのぞいたわけでは
ないし、正式に情報公開されていないのです。従って、彼らが書
いているものをそのまま鵜呑みにしていること、それ自体がおか
しいのでは、ということから、そのズレを、複数の目撃者から指
摘して追及したのが本著(青山透子氏の本)です。
 この御用コメンテーターが生のデータを直接見れるはずもなく
ましてや杉江氏は御巣鷹にも行っていないのでしょう。さらに、
ご遺族にインタビューしたわけでもない人間にとやかく言われる
筋合いはありません。            ──青山透子氏
                  https://bit.ly/2J5dneA
─────────────────────────────
 添付ファイルを見ればわかるように、青山本と杉江氏の本はと
てもよく似ています。つまり、青山本がベストセラーになったの
で、それに便乗しようとして、わざと表紙を似せてデザインした
ものと思われます。もっともこれは杉江氏には関係ないかもしれ
ませんが、もしかすると、杉江氏にはある筋から、青山本の反論
本を書いてくれという依頼があったとも考えられます。青山本を
多くの国民が信ずると、政府としてはきっと困るからでしょう。
事故調の最終報告書は、それほど矛盾に満ちた代物であるからで
す。陰謀論というなら、事故調報告書の方がよほどその名にふさ
わしいと思います。青山透子氏に寄せられた元日航関係者からの
声も以下にお伝えしておきます。
─────────────────────────────
 青山さんの本、感銘しました。本に書かれた事故当時の日航上
層部の動きは事実です。私もはっきり「外部犯行で米軍」と言わ
れて口留めされました。仕事をスムーズに運ぶために、最低限の
人間は知っている必要があったので、当分その後の部員にも引き
継ぎました。出所は判りませんが、今考えれば、方便に米軍とし
た方が諦めの心情から、説得と納得に収まりが良かったのでしょ
う。この事が世に出るのはもっと先と思っていました。元社員と
して自らの責任を感じます。拝
─────────────────────────────
 何とか着陸しようとする123便の邪魔をし、山の方に誘導し
たうえで、ミサイルを発射して墜落させる。さらに墜落現場では
救助するどころか、火炎放射器を使って生存者を含めて焼き尽く
す──とてもおぞましくて人間のやることではありません。
         ──[日航機123便墜落の真相/042]

≪画像および関連情報≫
 ●青山透子氏の公式ブログより
  ───────────────────────────
   ちょっと皆様とご一緒にその「なぜ」について、考えてみ
  ましょう。
  @災害派遣待機命令が発令されたが、その後出動ではなく、
   中止命令が出たのはなぜか。
  A8月12日、夜23時頃、一番先に捜索のため到着した機
   動隊員32名の案内を頼まれた地元民たちに対して、道案
   内を頼んでおきながら機動隊員から、「その場所は違う、
   こっちだ」と根拠のない主張をされた。墜落現場はスゲノ
   沢だと言うと、「いいやそこではない、中ノ沢だ、上官の
   命令だ」と強く言われた。人にものを頼んでおきながら、
   命令とはどういうことか?なぜ、地元の土地に詳しい人の
   意見をわざと無視したのか?
  Bなぜ一番先に到着した機動隊員は、わざと足が遅く、ゆっ
   くり歩くのか、おかげで、倍の時間がかかり、夜明けまで
   墜落現場にたどり着けなかった。
  C夜中、ヘリが墜落現場上空にずっとホバリングして、モノ
   の上げ下げをしていたが、何をそんなに急いで上げ下げし
   ていたのか。
  D後からの幹部の発表では、一機たりとも危なくてヘリを飛
   ばしていないというが、事故当夜、私たちが目撃した墜落
   現場上空にいた多数のヘリは、亡霊か?
  E自衛隊ヘリの合図を頼りに墜落現場まで行けると歩いたら
   結局全く違った場所に連れていかれたのはなぜか。
                   https://bit.ly/VioWnD
  ───────────────────────────

よく似ている二冊の本.jpg
よく似ている二冊の本
 
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2018年10月18日

●「権力は都合の悪い本は陰謀論扱い」(EJ第4871号)

 青山透子氏の日航機墜落事件に関する一連の本(以下、青山本
と略記)を「妄想の世界」として陰謀論扱いにしている本が多く
出ています。確かにその内容が事故調の最終報告書と大きく異な
ることや、そのやったと思われることが、あまりにもおぞましい
というか、口にするのも憚られることなので、この事件をよく調
べていない一般読者が読むと、陰謀論になってしまうのです。
 EJでこの事件を取り上げるのは3回目ですが、その内容は基
本的には陰謀論といわれる内容に沿っています。それはあくまで
仮説レベルに止まっていたのです。しかし、青山本は、今まで仮
説にしか過ぎなかったことを、その膨大な証言によって裏付ける
ことに貢献しています。JAL123便を追尾する2機のファン
トムなどはその典型です。これは、多くの目撃証言によって裏付
けられています。
 炭化遺体についてはどうでしょうか。
 元共同通信社記者の堀越豊裕氏は、2018年の新年早々、東
京のある出版社において青山透子氏に会っています。そのとき、
堀越氏は炭化遺体の写真を見せられています。そのときの様子に
ついて堀越氏は次のように書いています。
─────────────────────────────
 「きょうはちょっと、内部情報、写真を持ってきたんですけど
たぶんそれを見たらわかっていただけるかな」と。
 青山はそう言い、手元から当時の新聞のコピーやいくつかの写
真を取り出し、テーブルに広げた。
 「どこまでが事実で、どこまでが想像なのかとか思われること
がおありだと思うんで。これ100パーセント真実なんで。それ
は申し訳ないんですけど、膨大な資料があって、引き出しを開け
ればいくらでもある」
 そう強調して示された新聞のコピーは事故から間もない時期の
ものだった。日にちが前後する複数の記事を読み比べると矛盾や
不審点があるという説明だった。ある日の新聞記事に出ていた事
象が、後日の記事では抜け落ちていたり、意味が変わったりして
いる点を指していた。
 炭化して真っ黒焦げになった遺体の一部という写真も見せてく
れた。サッカーボールぐらいの形や大きさに見え、人間の形では
ない。遺体安置所で撮影した写真とみられ、白いひつぎがたくさ
ん並んでいた。
 飛行機の燃料だけではこんなに焼けるはずがないと示す目的の
写真だったが、日航機事故では、遺体の損傷がひどかったという
のはよく知られる。
 写真の遺体は確かに真っ黒焦げだが、大量の燃料を積んだ旅客
機が山に激突して、炎上すれば、これぐらい炭化しても不思議で
ないと私には思えた。彼女はおかしいと言った。「これ、ご遺体
に見えますか。明らかに夏山で普通にケロシンで焼かれたとは全
く思えない、っていうより成分が違うんですよ」
      ──堀越豊裕著『日航機123便墜落最後の証言』
                    平凡社新書/885
─────────────────────────────
 炭化遺体を見せられて堀越氏は、「日航機事故では、遺体の損
傷がひどかったというのはよく知られているが、大量の燃料を積
んだ旅客機が山に激突して炎上すれば、これぐらい炭化しても不
思議でない」といっています。つまり、素人的な感覚から一歩も
出ていないのです。事故調の説が正しいという観点に立つと、そ
れに反する主張にいくらでも反論できるのです。
 たとえば、自衛隊が認めていないが、多くの目撃者がいる2機
のファントムによる123便の追尾や、墜落現場特定の遅れにつ
いて堀越氏は、自衛隊員の話が載っているという『上毛警友』/
1985年10月号を読んでいます。彼は青山本については、よ
く調べているといえますが、一番大事なところで、逃げている感
じがします。「お上のやっていることは間違いない」と思ってい
るのでしょうか。
─────────────────────────────
 閲覧すると、確かに「一等陸曹」の肩書きを持つ男性が実名入
りでその旨を語っていた。警察の部内誌なのだから、適当に選ん
だ人でもないのだろう。「群馬県東村の実家に帰省中、8月12
日の午後6時40分ごろ、上空を航空自衛隊のファントム2機が
低空飛行していった」と明確に書いている。東村は現在東吾妻町
になり、上野村の北方に位置する。
 日航機の取材では、意味のある話を聞ける期待がありそうかど
うかは脇に置いて、とにかく会える人にはすべて会おうという意
気込みで臨んできた。この隊員が当時20代とすれば、今は60
代になっている。会ってみるアイデアも即座に頭に浮かんだが、
連絡先を調べることすら簡単でないだろう。仮に会えたとしても
聞くべきポイントは、2機の戦闘機が日航機墜落の前に飛んでい
たか、後に飛んでいたかだけである。彼に「間違いなく6時40
分ごろでした」と言われたら、それ以上に検証するすべがない。
そう思って諦め、前橋を後にした。(中略)
 だが、日航機の捜索や調査は衆人環視の中で進められた。撃墜
や誤射といったような重大な事態を30年以上も秘しておけるも
のものなのか。         ──堀越豊裕著の前掲書より
─────────────────────────────
 日航機墜落事件では、123便を追尾する2機のファントムの
存在は、疑惑解明の重要なカギを握っています。堀越豊裕氏は、
123便を追尾する2機のファントムの目撃者の一人である自衛
隊員の手記を読み、青山本の書いていることの正しさを確かめな
がら、ヘンな理屈をつけて、その自衛隊員に会いに行こうとして
いません。もし、会って「事実は間違いない」といわれたら、こ
の事件の見方が大きく変わってしまうからです。
 それに日航機の捜索は衆人環視のもとで行われてはいないし、
33年経っても真偽が明らかにされないからこそ、いま蒸し返さ
れているのです。 ──[日航機123便墜落の真相/041]

≪画像および関連情報≫
 ●科学的常識から権力犯罪を疑う/小川洋氏
  ───────────────────────────
   さて日本において、科学的常識からしてありえない公式見
  解が出され、公的な検証が終わっている事件としては、19
  85年8月に発生した日航123便の墜落事故がある。その
  事故報告書が科学的な検証に耐えうるものだと考えるものは
  ほとんどいない。
   事故報告書では、事故機はボーイング社による修理を受け
  ていたが、その修理にミスがあったのが原因だったとする。
  羽田から大阪に向かうべく上昇していた事故機の後部隔壁に
  亀裂が入り、加圧されていた客室から垂直尾翼に向けて激し
  い空気の流出があり、垂直尾翼を破壊し、油圧系統もすべて
  使えなくなった結果、操縦不能となり墜落に至った、という
  ものである。我々は高層ビルでエレベーターに乗れば、耳の
  異常を感じる。高度一万メートルで、突然、機内から大量の
  空気が流出すれば、激しい耳の痛みを生ずるだけでなく、酸
  素不足から直ちに意識を失うはずである。しかし、生存者の
  証言や機長らの交信記録から、そのような状況が、発生しな
  かったことは明らかだ。この7月、元日本航空の乗務員だっ
  た青山透子氏による『日航123便墜落の新事実』が出版さ
  れた。副題は「目撃証言から真相に迫る」である。青山氏は
  2010年に『天空の星たちへ/日航123便/あの日の記
  憶』(マガジンランド)を上梓し、亡くなられた元同僚への
  鎮魂の文と、ジャーナリストなどによって指摘されてきた事
  故の疑問点を取り上げている。  https://bit.ly/2IYFYly
  ───────────────────────────

123便/コックピット内計器.jpg
123便/コックピット内計器
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2018年10月17日

●「青山本への反論本も多く出ている」(EJ第4870号)

 JAL123便の墜落現場で火炎放射器が使われた疑いがある
──これは早い段階で墜落現場に入った複数の人たちが「ガソリ
ンとタールの臭いがした」と証言していることが根拠です。これ
は、ゲル状燃料といい、火炎放射器で使われます。これに対して
ジェット燃料「ケロシン」は、灯油の一種です。青山透子氏の本
から、その違いを以下に整理しておきます。
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◎ジェット燃料「ケロシン」
 「引火点」:37°C〜65°C
  灯油の一種。粘り気が低い液体・航空機燃料として、安全性
  が高い。
 「発火点」:残り燃料1時間半。3・3ヘクタール焼失。注ぎ
  足しなしで不可能
◎火炎放射器(陸上自衛隊普通科所有)
 「引火点」:マイナス40°C
  ガソリンとタールの混合剤。揮発性が高く、引火しやすい粘
  性、持続性あり。粘着成分が入っており、一度付着すると、
  最後まで燃え尽くす。
 「発火点」:300°C
  朝まで燃えていた証言から、燃焼持続性のある物質で、注ぎ
  足しが可能な状態であった。
               ──青山透子著/河出書房新社
          『遺物は真相を語る/日航123便墜落』
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 われわれには、巨大な金属の塊である飛行機を飛ばす「ジェッ
ト燃料」は、物凄い燃焼力を持っているのだろうという思い込み
があります。しかし、専門家によれば、ジェット燃料では、遺体
は炭化しないのです。墜落現場では、朝まで燻っていたり、燃え
ているところもあったようです。早朝、墜落現場に入った人は、
そういっています。
 しかし、123便は国内線であるので、あまり多くの燃料を積
んでいないことや、高濱機長は、何とか不時着しようとしていた
ので、燃料は相当捨てているはずです。そういう意味からも、燃
料の量はかなり少なかったはずです。そのため、遺体が炭化した
り、朝まで燃えることはないのです。
 添付ファイルは、青山透子氏の最新刊書(2018年7月)に
出ているものですが、明け方に墜落現場に入った地元消防団と警
察関係者が33年前に撮影したものです。
 実は、事故調は、遺体の状況や、それについての専門家の見解
を報告書には書いていないのです。つまり、遺体の状況に関して
何らの疑問も抱いていないことになります。これほど、遺体が炭
化している異常さを何も感じていないのです。これは、明らかに
不自然であるといえます。
 これに関して青山透子氏の調査は徹底しています。刑事事件を
主とする弁護士や裁判官、警察医といったプロの人たちに炭化し
た遺体の写真を見てもらい、専門的意見を求めています。彼女が
訪ねたそういう専門家の数は50人をゆうに超えています。
 実はこういう青山氏の主張や指摘に反論する本はたくさん出て
います。なかには、明らかに事故調寄りの主張を展開し、青山本
の内容を荒唐無稽と非難する本もあります。
 8月23日のEJ第4834号でご紹介した元共同通信社記者
堀越豊裕氏の本もそのひとつです。堀越氏は、非常に控えめでは
あるものの、一貫して事故調の見解は大筋で正しいと考えており
青山氏の考え方には否定的です。堀越豊裕氏は、青山本に対して
次のように書いています。
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 青山の本は慎重に断定を避けているが、墜落は圧力隔壁の破断
による事故でなく、ミサイルや無人標的機が垂直尾翼に当たり墜
落した可能性を示した。本にはその推定を支える目撃証言などが
盛り込まれており、事故調の報告書や米国の内部資料には出てこ
ない。主な点を挙げれば、
 @墜落前、日航機に向かう赤やオレンジ色っばい飛翔体の存在
 A航空自衛隊のF4ファントムが墜落前、日航機を追尾
 B墜落現場に火炎放射器の使用を疑わせるガソリンとタールの
  においが残っていた、などである。
 つなぎ合わせていくと、自衛隊がミサイルやそれに類する物体
を発射し、日航機に衝突、自衛隊機は日航機を追尾して状況を把
握し、ミサイルが当たった証拠を消すため最終的に火炎放射器で
現場を焼き尽くした──とも読める。
 私の考えとは違う。米国と日本で積み重ねてきた取材を基に違
うと考えるのだが、それは私の考えであり、青山には別の考えが
ある。   ──堀越豊裕著『日航機123便墜落最後の証言』
                    平凡社新書/885
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 堀越豊裕氏は、米国のボーイング社への取材を通じ、米国の視
点からこの事件を分析して本を書いています。したがって、12
3便のかつての尻もち事故のボーイング社の修理ミスが原因で、
急減圧による後部圧力隔壁の破断が起こり、それが垂直尾翼を破
壊したとする事故調の最終報告書と同じ意見です。しかし、事故
調公式見解の大きな矛盾には一切言及していないのです。
 堀越氏は、青山透子氏との意見の違いについて次のように述べ
ています。単なる見方の違いである、と。
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 人間は同じものを見ていても、どの角度からながめるかによっ
て受け止め方に違いが出ることもある。日航機事故の場合、事故
調の公式発表に加え、報道機関の独自取材も多く、関連の情報も
多い。どの情報に軸足を置くかによって、見方は変わる。
                ──堀越豊裕著の前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/040]

≪画像および関連情報≫
 ●「陰謀でもなく、日航機は撃墜されたとしか思えない」
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   ボ―イング社の修理ミスによる圧力隔壁の亀裂、急激な空
  気の流入による尾翼破損、操縦不能で墜落。これが最も知ら
  れている520人の命を奪った大事故の原因である。全てが
  公開されなかったボイスレコ―ダ―、二転三転した事故調査
  委員会の文言・・・・・・・。事故から21年、まだ謎は解
  けていない。
   作家・安部譲二氏は日航機の客室乗務員だったという時代
  がある。単発エンジン小型機の操縦免許も持っている。その
  安部氏は1985年、日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に
  墜落した事故を、事故ではなく、事件だと確信している。
   著書、『日本怪死人列伝』(02年、扶桑社文庫)で安部
  氏は、<無残に撃墜されたのだ>と断言している。
   85年8月12日、羽田発大阪伊丹行きの日航機123便
  ボ―イング747型機が墜落して520名という航空機単独
  の事故としては史上最大の被害者を出した。飛行機事故の歴
  史に残る大事故である。
   この事故には、当時から数多くの疑問が投げ掛けられてい
  た。「墜落した日の夜中に日航のスチュワ―デスをしていた
  おばさんから電話があってね。日航のイチニイサン便が行
  方不明≠ナ大騒ぎになっている、って言うんだ」事故発生の
  時点で安部氏は首を傾げている。「だってね、あんな大きい
  飛行機がいなくなっちゃったって言う。85年でしょ。その
  頃は日本全国、軽飛行機ですら行方不明になるなんてことは
  あり得なかった」        https://bit.ly/2OZrOWO
  ───────────────────────────

朝まで燃え続ける123便墜落現場の火災.jpg
朝まで燃え続ける123便墜落現場の火災
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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