2018年09月21日

●「なぜ救助ヘリは降下しなかったか」(EJ第4854号)

 墜落場所を特定し、4機がその上空に飛来しながら、救助せず
引き上げる──通常では考えられない冷酷さです。軍事評論家の
ガブリエル・中森氏はある週刊誌で次のように述べています。
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 メイ・サバイブ、シャル・サバイブ″(生きているかもしれ
ないなら、必ず生かす)──これがアメリカのレスキューのモッ
トーです。現場にたどり着き、死んでいるのを確認しないかぎり
生きていることが前提。現場に降りることが不可能だったのなら
なぜ上空を旋回しながら、ラウド・スピーカーで激励したり、ラ
イトを当ててやらなかったのか。救援に来ていることを知らせる
だけで、精神的な支援になる。それがレスキューの基本である。
                  ──ガブリエル・中森氏
            『週刊宝石』/1985年9月6日号
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
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 KV−107ヘリは救難用のヘリコプターです。そうであれば
投光機や拡声機は必ず備わっているはずです。上空から見る限り
では、確かにほとんど生存者は望めない絶望的な状況とみられる
ものの、それでも地上に降りて、死んでいるのを確認しない限り
生きているものとして最善の努力を講ずる──これが米国のレス
キューの精神ということですが、その精神は日本であっても同じ
であると思います。
 もし、空から光をあて、拡声機で「大丈夫ですか。いま降りま
すから、頑張ってください」と何回も声を掛けたら、瀕死の重傷
の人でも「これで助かった」と思うはずです。生きる望みを持つ
からです。しかし、日本のKV−107ヘリは、かなり遅く墜落
現場上空にやってきて、1650メートルまで降下しながらも、
明りを照らすことも、拡声器で励ますこともせず、現場を離れて
います。
 青山透子さんの本に次の記述があります。生存者の落合由美氏
の証言に基づいていると思われます。
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 ガーガーガーンと強い衝撃の後、様々な固形物や砂が次々と頭
にぶつかり、体が宙に投げ出された。左目は砂にまみれて目が飛
び出したように痛い。口は乾き、砂でいっぱいだ。シートベルト
が体に食い込んでお腹がちぎれそうに苦しい。
 「はあ、はあはあ」と荒い息遣いをしながら、つい先ほどまで
の身の毛もよだつ恐怖がよみがえる。「ああ、墜落したのだ。大
変な事故を起こしたのだ」
 周辺からも、はあはあと、荒い息遣いが聞こえてくる。「おか
あさん」「早くきて」「ようし、僕は頑張るぞ」そんな声も聞こ
えてくる。すると、闇の中からヘリコプターの音が、近づいてき
た。夏山特有の湿り気のあるもったりとした空気が、一瞬にして
かき乱される。バリバリバリと爆音をたてて、木々の葉を大きく
揺らしながらゴーゴー、パパバーとホバリングを始めた。辺り一
面、埃や砂、機械の臭いが舞い上がる。
 「ああ、私は生きている、これで助かる」全身の痛みをこらえ
かろうじて動くほうの右手を必死に空に向かって伸ばした。「助
けてください、私は・・ここに・・と、夢中で手を振る。「助け
て」「帰っちゃいや」「誰か来て」 そのような何人もの声をか
き消すように、ヘリコブターは、爆音と共に段々と遠くへ去って
いった。周りでは、はあはあと何人もの荒い息遣いだけが聞こえ
てきた。           ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
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 これは実に残酷な話です。重傷を負った生存者にとって、ヘリ
コプターが近づいてくる音は、生きる希望が持てますが、去って
いく音は絶望を感じるものです。日本の自衛隊は、生存者救出に
は、最大限の努力をするので世界的にも定評があります。
 ましてJAL123便には乗客乗員524名が乗っているので
す。自衛隊のヘリは、百里基地と入間基地から、それぞれが墜落
現場上空まで行っているのに、なぜ、危険を冒してでも、地上に
降りようとはしなかったのでしょうか。それは、これまでの自衛
隊の献身的な救助の在り方とは違う感じがします。こういうとこ
ろから、上の方から「現場には降りるな」という命令が出ていた
のではないかという噂がでてくるのです。これはけっして陰謀論
などではありません。
 これは、一番最初に墜落現場上空に到達しながら、横田基地へ
の帰還命令を受けたC−130のアントヌーチ航空士のケースと
関係があります。C−130は、墜落現場を特定すると、直ちに
横田基地の海兵隊に救助の要請をし、海兵隊のヘリは墜落現場に
向いつつあったのです。ヘリが到着するまでの時間は約1時間、
その間、C−130は、墜落機残骸の上空2000フィートで旋
回し、墜落現場までの方位を計測し、レーダーで地上から空中ま
でを探索するなど、するべきことを着々とやっていたのです。
 8時50分までに救援ヘリのライトを視認でき、ヘリは偵察の
ため、さらに下降しようとしていたのです。
 そのときです。横田基地から「ただちに帰還せよ」という命令
がきたのです。C−130の指揮官、ジョン・グリフィンは「司
令官、海兵隊は救助続行を希望しております」と伝えたものの、
「繰り返す。即刻、基地に帰還せよ。海兵隊も同様である。救助
は日本側が向かっている」と命令されたのです。
 軍においては上官の命令は絶対です。やむを得ず、救助を諦め
て、C−130は横田基地に帰還します。横田基地に帰還すると
第861戦術飛行隊副司令官、ジェエル・シルズ大佐にクルー全
員が呼ばれ、報告後、こういわれたのです。「ご苦労だった。今
回のことについてマスコミには一切他言無用である」と。これも
きわめて不自然なことです。何か大きな力が働いていることは確
かです。     ──[日航機123便墜落の真相/024]

≪画像および関連情報≫
 ●なぜ墜落地点の発見は遅れたのか?
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   1985年8月12日18時24分、日本航空123便は
  羽田空港から離陸して大阪伊丹空港へ飛ぶ途中で突如、胴体
  後部の隔壁破壊により垂直尾翼が破損し、飛行機の操縦に必
  要な油圧装置の作動油(ハイドロ液)という液体が流れだし
  てしまい、操縦が困難な状態に陥ってしまいます。
   その直後に緊急事態を知らせる二次レーダー信号「スコー
  ク7700」を発信しつつ、関東の空の運行を管理している
  東京交通管制部(東京ACC)と交信して非常事態を知らせ
  ました。そして、18時28分には航空自衛隊も同じ二次レ
  ーダー信号「スコーク7700」を受信して、直ちに中部航
  空方面隊の中央救難調整所(ROC)が情報を集めはじめ、
  18時56分に墜落したと無線傍受から判明すると、19時
  01分には百里基地のF−4EJ戦闘機が捜索の為にスクラ
  ンブル発進しました。
   19時15分にはたまたま墜落現場付近を飛行していたア
  メリカ空軍のC−130輸送機が、19時21分には百里基
  地より離陸したF−4EJ戦闘機二機が墜落現場の火災を発
  見して、位置を報告しました。この時に位置を突き止める為
  に使われたのはTACAN(戦術航法装置)というシステム
  で、通常は飛行機が空を飛ぶときに今何処にいるかを測定す
  る為のものです。無線局から発信される信号を捉えて、飛行
  機の飛んでいる位置を割り出す事が出来ます。
                  https://bit.ly/2xhLV8H
  ───────────────────────────

C−130輸送機.jpg
C−130輸送機
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2018年09月20日

●「意図的に墜落現場を遠ざけている」(EJ第4853号)

 JAL123便の墜落場所はなぜ二転三転したのでしょうか。
123便の墜落現場には、ヘリを含む日米4機の飛行体が現場上
空に飛来し、位置情報を送っています。墜落現場上空に到着した
順に並べると、次の通りになります。
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 1.   C−130(横田基地) ・・・・ 19:10
 2.  F4−EJファントム2機 ・・・・ 19:21
 3.KV−107ヘリ(百里基地) ・・・・ 20:42
 4.KV−107ヘリ(入間基地) ・・・・  0:36
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 123便の墜落現場の上空に一番早く到着したのは、横田基地
所属のC−130輸送機です。19時10分に墜落現場から横田
基地に一報を入れています。操縦していたのは、アントヌッチ空
軍中尉です。このアントヌッチ空軍中尉は、後になって重要証言
をすることになります。彼は、そのまま現場上空を旋回し、ひた
すら横田基地からの「救助せよ」の指示を待ったのです。
 続いてやってきたのは、茨城県百里基地所属のF4−EJファ
ントム2機です。19時21分のことです。20分にわたる旋回
で位置情報を送っています。
 このように書くと、123便をずっと追尾してきたF4−EJ
ファントムだと誰でも思うはずです。しかし、自衛隊は、これら
2機が百里基地を発進した19時5分以前には、一機のファント
ムやヘリを発進させていないと断言。自衛隊のいうことが正しい
とすると、あの多くの目撃情報は何なのでしょうか。
 続いてやってきたのは、同じ百里基地から飛来した救難用ヘリ
KV−107です。このヘリは高度1650メートルまで降下し
て墜落現場の状況を調べています。最後にやってきたのは、墜落
現場から一番近い入間基地所属の救難用ヘリです。到着は13日
の0時36分です。墜落現場がわからなくて大騒ぎになっている
のですから、もっと早く発進すべきであったといえます。
 これらの4機は、いずれも墜落現場の位置情報を送っています
が、これについて、角田四郎氏は、自衛隊の乗客・乗員の救助の
あり方に強い疑問を呈しているのです。
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 同じ航空自衛隊でも、さらに墜落現場に近い埼玉県の入間基地
から、13日になった午前0時36分、同型ヘリKV・107が
飛んだ。今度は入間基地のTACANをとって、さらに夜間でも
はっきり上空から見える目標物を近くに求め、その距離をTAC
ANで調べる。地図上の距離とTACAN測定の誤差を出し、そ
の比で墜落現場を決めるという手の込んだことをやった。
 後に判明したのであるが、このとき出した「入間タカンから2
19度、36・3マイル」というのはドンピシャリ本当の墜落現
場を指していたのである。ここで一つ疑問なのは何故、より現場
に近い入間基地からはこんなに遅くなるまで一機も発進しなかっ
たのかということと、最初から横田、入間両TACANからの距
離を測定していれば、さらに誤差は小さかったのではないのかと
いうことである。
 13日午前1時頃には、現場が確定できていたはずのこの情報
が、またもやどこかで操作されてしまう。今度は「現場はぶどう
峠の210度、3マイル。御座山南斜面」北斜面が南斜面になり
現場から西へ7キロもはずれている。いったい何事であろうか。
実は、米軍機を含め計4機が行った計測の中に長野県御座山を指
したのは指したものは1件もないのである。
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 重要なことは、これら4機の墜落場所の測定は、若干の誤差は
あるものの、ほぼ正確だったということです。とくに入間基地所
属のKV−107ヘリの位置計測はドンピシャリだったのです。
したがって、4つの情報を合わせて位置が判明しないことはあり
得ないことです。まして「長野県御座山」を指したのは、一機も
なないのです。それなのに、どのような情報を入れてもNHKは
「墜落地点は御座山付近」を繰り返すのみです。明らかに、フェ
イクニュースであり、正確な墜落場所の特定を遅らせようとして
いるとしか思えないのです。
 航空自衛隊では、現場から上げられてくる情報は、航空幕僚監
部空幕運用室に送られます。運用室には、当時、副幕僚長の大村
空将以下、30〜40名の幕僚がつめて全体の指揮と調整を行っ
ていたのです。ここを通すと、どのような情報も、「長野県佐久
付近」に化けてしまうのです。そのため、メディア各社の報道は
いずれも次のようなものになってしまいます。
─────────────────────────────
 航空自衛隊からの連絡によると、123便は長野県佐久付近
 に墜落した模様である。       ──報道会社の報道
             ──角田四郎著による前掲書より
─────────────────────────────
 添付ファイルを見ていただくとわかるように、123便墜落現
場と御座山とは、県も違いますし、距離も相当離れています。し
かも、4機の日米の軍用機が測定したデータがすべて間違ってい
るはずがないのです。これは本当の墜落場所を意図的に隠そうと
したとしか思えないのです。
 さて、墜落現場に一番早く到達し、「救助せよ」の指示を待っ
て現場上空で旋回していたC−130のアントヌーチ航行士に対
して横田基地から意外な指示が届いたのです。それは、次のよう
なものでした。
─────────────────────────────
 諸君は直ちに帰還せよ。JASDF(航空自衛隊)の救難ヘ
 リがそちらに向っている。──角田四郎著による前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/023]

≪画像および関連情報≫
 ●多くの証言から浮かび上がる疑惑
  ───────────────────────────
   奇跡的に生還した川上慶子さん(当時12歳?)の証言。
  同乗していた両親が亡くなったので島根の祖母宅へ帰ったと
  きの話。「墜落したあと、ふと気が付いたら、周囲は真っ暗
  だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生き
  ていたような気がする。しばらくすると前方から懐中電灯の
  光が近ずいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意
  識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の
  人は、誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた」。
  慶子さんから上記の話を聞いた祖母はご近所のひとに伝えた
  らしい。しかし「慶子は夢でも見たんじやろう。」で終わっ
  てしまった。
   エンジンがバラバラになりすぎている。乗客の遺体の損傷
  が激しすぎる。事故直後に、日航の技術者が現地入りしてい
  る。会社の上司の人で同窓生にJALの整備士と自衛隊の人
  がいて、この二人は事故現場に派遣されて捜索に加わってた
  そうです。最近同窓会で10年ぶりにこの2人に会って、こ
  の事故について話を触れたらしく、話の中で驚く事を言って
  おられました。現場に派遣された2人の話ではこの墜落機の
  尾翼部分に『模擬弾』が当たった跡があったらしく、尾翼が
  発見された周辺にも『米軍の模擬弾』と見られる物も一緒に
  見つかったそうです。      https://bit.ly/2QM9GxQ
  ───────────────────────────

123便墜落現場と御座山の位置関係.jpg
123便墜落現場と御座山の位置関係
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2018年09月19日

●「自衛隊が否定する追尾ファントム」(EJ第4852号)


 低空で飛行するJAL123便とみられるジャンボジェット機
の後を追尾する自衛隊の2機のファントム戦闘機──これには多
くの目撃情報があることがわかっています。この2機のファント
ムは、何の目的でJAL123便を追尾していたのでしょうか。
 実は、当時自衛隊は、次の2機種のファントムを保有していた
のです。
─────────────────────────────
            F4−EJ
            RF−4E
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 ここで知っておくべきことがあります。それは「TACAN」
(タカン)と呼ばれるものです。TACANは、電波航法の一部
で、軍用の極超短波(UHF)による方位・距離測定装置で,米
国海軍によって航空母艦への帰投用として開発されたものです。
つまり、自衛隊は、その装置の付いているファントム機を飛ばし
JAL123便の墜落場所を探ろうとしたのです。
 つまり、墜落寸前の危機にあるJAL123便を2機のファン
トム機が追っていたのは、墜落場所を早く正確に特定するためと
考えられます。確かに素早く生存者を救助するためには、墜落場
所を特定する必要があるからです。
 しかし、軍事に詳しくない一般国民には絶対にわからないこと
があります。ファントム機には当時上記の2種類があり、位置測
定の能力としては、RF−4Eがダントツに優れているというこ
とです。F4−EJでは約5キロの誤差が出てしまうからです。
生存者救助を第一に考えるのであれば、なぜ、能力の高いRF−
4Eを飛行させなかったのか疑問が残ります。
 もっとも、RF−4Eが飛ばなかったわけではないのです。R
F−4Eに飛行命令が出たのは8月13日午前5時50分のこと
です。墜落場所は既に確定しています。つまり、墜落場所を特定
するための飛行ではなく、現場の「写真撮影」が目的です。救助
や地上部隊をサポートする任務ではないのです。それなら、何の
ためにRF−4Eを飛ばしたのでしょうか。
 JAL123便の機影がレーダーから消えたのは、18時57
分です。その後ヘリを含む複数の飛行体が何機も現場上空に飛来
しています。これについて、角田四郎氏は、自著で次のように述
べています。
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 実は、米軍横田基地所属の「C130」輸送機が19時10分
に墜落現場上空から基地に一報を入れている。そのときの位置は
横田TACANから305度、34・6マイルと報告がある。後
に判明した現場から北に5キロはずれていた。
 次に例のF4−EJファントム2機が19時21分に現場上空
に到着、20分にわたる旋回で送って来たデータは、現場の南東
へ5キロずれていた。ファントムに遅れること53分、同じ百里
基地をたった救難用ヘリコプターのKV・107(バートル)が
現場上空着が20時42分、百里基地から現場までヘリでは48
分もかかるものなのだろうか。このKV・107が知らせた位置
は地図では初めて長野県側に入った現場の南西3キロ。それでも
現場からは5キロも南の川上村の扇平山を指した。この機は、高
度1650メートルまで降下したというから、落合さんが手を振
ったのはこのヘリだったかもしれない。
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
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 実はJAL123便がレーダーから消えたとき、自衛隊は次の
公式発表を行っています。
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18時59分:峯岡山基地吉田一尉、中部航空方面隊司令部防衛
 部長・大中康生一佐を通じ、松永貞昭司令官に日航機123便
 レーダー消滅を伝達。「北緯36度02分、東経138度41
 分」
19時01分:大中1佐松永空将の了解にて、スクランブル発信
 命令。空自百里F−4EJファントム戦闘機2機(第305飛
 行隊。式地豊二将ら発進)。この時間より以前、自衛隊はファ
 ントム機、ヘリ等発信させていないと発表
               ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
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 この自衛隊の公表は、2つの不可解なことがあります。
 不可解なことの1つは、123便のレーダーの消えた場所とさ
れる「北緯36度02分、東経138度41分」は、長野県北相
木村、御座山北斜面」の位置に当たります。これは、百里基地を
飛び立った救難用ヘリコプターの情報に基づいていますが、墜落
場所が異なっています。問題はなぜ間違えたのかです。
 これに基づいてNHKは、テレビで何回も「墜落場所は長野県
御座山」と報道しているのです。これによって、全国的に墜落場
所の誤情報が伝わってしまったのです。
 不可解なことの2つは、19時1分に自衛隊は、空自百里基地
からF−4EJファントム戦闘機2機を発進させたとし、それ以
前は、ファントム機もヘリも発進させていないといっていること
です。そうであるとすると、123便を追尾していたあのファン
トム機2機は何なのでしょうか。123便が墜落前から追尾して
いたのですから、まるで時間が異なります。
 このようなわけで、123便の墜落現場発見は大幅に遅れ、墜
落直後は、生存者の証言によると、100人以上が生きていたと
される乗客・乗員のほとんどが亡くなり、生存者は4人のみとい
うことになったのです。なぜ、救助できなかったのでしょうか。
 墜落場所を間違えたのではなく、あえて誤情報を流し、場所を
特定させなかった疑いも捨てきれないのです。
         ──[日航機123便墜落の真相/022]

≪画像および関連情報≫
 ●日航123便はなぜ墜落したのか/第76回/森永卓郎氏
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   青山透子氏の本のなかでまず注目すべきことは、墜落直前
  の123便を2機の自衛隊のファントム機が追尾していたと
  いう複数の目撃証言だ。この証言のなかには、当時の小学生
  が事故の状況を綴った文集のなかでの証言も含まれている。
  子どもたちがうそをつくはずがない。しかし、この証言を前
  提にすれば、日本政府は、当初から墜落現場を完全に把握し
  ていたことになる。
   それでは、公式に機体を発見したとされる翌朝まで、自衛
  隊は一体何をしていたのだろうか。本書に掲載された証言に
  よると、現場にはガソリンとタールをまぜたような強い異臭
  がしていたそうだ。また、現場の遺体は、通常の事故では、
  あり得ないほど完全に炭化していたという。自衛隊を含む軍
  隊が使う火炎発射機は、ガソリンとタールを混合したゲル状
  燃料を使用している。つまり、墜落から翌朝までの間に、何
  者が証拠隠滅のために強力な燃料で焼き尽くしたのではない
  かということだ。
   消すべき証拠とは何か。青山氏の著書によると、123便
  から窓の外を撮った写真を解析すると、オレンジ色の物体が
  飛行機に向かって飛んできているという。それは地上からも
  目撃されている。青山氏は、次のような可能性を提示してい
  る。自衛隊の訓練用ミサイルなどの飛行体は、オレンジ色で
  塗られていた。何らかの理由で、その飛行体が123便の尾
  翼を破壊したため、123便は制御不能に陥ったのだ。
                  https://bit.ly/2w2TvlU
  ───────────────────────────

RF−4Eファントム.jpg
RF−4Eファントム
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2018年09月18日

●「JAL123便を追尾する戦闘機」(EJ第4851号)

 青山透子氏の本に、御巣鷹山事故のあった1985年8月12
日の夕方から夜にかけて何を見たかについてまとめた小学生と中
学生の冊子があると書いてあります。群馬県上野村立上野小学校
と中学校における子ども達の証言です。
─────────────────────────────
 1.文集『小さな目は見た』  1985年9月30日発行
          群馬県上野村立上野小学校/148名
 2.冊子『かんな川5』    1985年10月1日発行
          群馬県上野村立上野中学校/ 87名
               ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 「1」については、群馬県上野村立上野小学校の148名の小
学生による日航機墜落事故についての文集です。上野小学校の当
時の校長神田箕守氏は、この文集について、次のように書き記し
ています。
─────────────────────────────
 子ども達は多くのものを見聞し、多くのことを知りました。多
くのことを考えました。だがこの貴重な体験もそのまま放置する
ならば、やがて忘却の彼方に消え去ることは必至であります。体
験が生々しい中に、考えが新鮮な中に、それを深め、まとめてお
くことが、子ども達の長い人生に役立つことであり、尊い犠牲者
の御供養にも通ずるものと「日航機事故について」の文集を作る
ことにしました。              ──神田箕守氏
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 「1」と「2」は、小学校と中学校がとくに相談して作成され
たものではなく、偶然に小学校と中学校で、子ども達による文集
が作られていたのです。注目すべきことは、作成された時期が事
故直後の証言であることです。目撃情報としては、価値があると
いうことです。
 青山透子氏は、これら2つの文集をていねいに読み、分析して
数値化しています。事故当日の12日分について、墜落の前、墜
落前後、墜落後に見たもの、聞いたものの統計です。これによる
と、当日小学校と中学校で、なんらかのものを見た子どもたちは
次の通りになります。
─────────────────────────────
        小学校 ・・・・・ 51%
        中学校 ・・・・・ 55%
─────────────────────────────
 小学校の「墜落前」の次の記録です。小学校5年生のH・H君
は、次のように述べています。
─────────────────────────────
 8月12日の夕方、6時45分ごろ南の空の方からジェット機
2機ともう1機大きい飛行機が飛んできたから、あわてて外へ出
てみた。そうしたら神社のある山の上を何回もまわっているから
おじさんと「どうしたんだんべ」といって見ていた。おじさんは
「きっとあの飛行機が降りられなくなったからガソリン減らして
いるだんべ」と言った。ぼくは「そうかなあ」と思った。それか
らまたも見ていたら、ジェット機2機は埼玉県の方に行ってしま
いました。           ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 大きい飛行機と小さな2機のジェット機──どう考えても、J
AL123便と2機のファントム機としか考えられません。8月
14日のEJで取り上げた小林美保子さんも同じ証言をしている
のです。子どもはウソをつきませんから、見たままをいっている
と思います。
 中学校の文集でもこれと似た証言があります。大きい飛行機と
2機のジェット機の目撃──中学3年生のY・K君の作文です。
─────────────────────────────
 その日は、やたら飛行機の音がしていた。父ちゃんがおかしく
思って外に出て行って「おい、Y、飛行機が飛んでいるぞ。来て
みろ」と言ったので、行ってみた。飛行機は大きいような飛行機
と小型のジェット機が2機飛んでいた。5分以上もたっているの
に、さっきから、ぐるぐる回ってばかりいた。外にいると、蚊に
さされるので、家の中にはいった。そしてテレビを見ていたら、
「キロリン、キロリン」と音がして、なお、いっそうテレビに注
目した。ニュース速報で、大阪行き日航ジャンボジェット機12
3便が、レーダーから消えました。と書いてあった』。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 中学生の文集は、さすが小学生よりも具体的です。場所も本谷
時計山、御巣鷹山というように地名が出てくるし、そのとき、周
りにいた親戚や近所の人たちの会話も出てきます。そのなかに、
「赤い飛行機」という記述があります。中学1年生のY・K君は
次のように述べています。
─────────────────────────────
 午後7時少し前、蚕にくわを入れていたら、雷のような音がし
ました。ぼくの家の下の人は、真っ赤な飛行機を見たといいまし
た。ぼくはその時、どうして飛行機がこんな方に飛んで来たのか
と思いました。それも真っ赤な飛行機。ぼくはその時、いやなこ
とがおこらなければよいと思いました。
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 このような子ども達の証言を分析すると、墜落前はJAL12
3便のうしろに2機のジェット機が追尾していたというのは、複
数の証言があり、間違いのない事実のようです。2機のジェット
機は、小林美保子さんの証言とも合わせると、ファントム機であ
ると思われます。なぜ、追尾する必要があったのでしょうか。
         ──[日航機123便墜落の真相/021]

≪画像および関連情報≫
 ●JAL123便墜落事故/真相が語られるとき
  ───────────────────────────
   早いもので、私が123便事件に疑問を抱いて7年、この
  ブログを始めてから、6年近い年月が経過しようとしていま
  す。自分のブログを読み返すと、書き始めの当初は情報量の
  少なさ、そして事実認識の甘さから、誤っている部分が多い
  ことに気がつきます。言い訳ではありませんが、このブログ
  は調査の進展と共に進化前進しています。読者の皆様におか
  れましては、管理人である私が、何をきっかけに考えを改め
  るようになったのか、表現を変えるようになったのか、その
  変化、成長過程も含めご理解いただければ幸いです。
   さて、このブログが主力テーマとして取り上げてきた12
  3便事件の真実、すなわち「あの日、日航123便に何が起
  きたのか」についてですが、調査開始から7年、100%と
  は言えないまでも、その概要についてほぼ全体像を把握する
  ことができました。
   ならば、早くそれを書けと皆様は思われるかもしれません
  が、残念ながら、その真相はあまりに深く、とても一言、二
  言でお伝えすることはできません。123便事件の真相を理
  解するには、まず読者の皆様に理解に必要な予備知識、周辺
  知識をお備えいただく必要があります。現場調査を継続し、
  当局の激しい妨害を潜り抜けてきた私ですら、7年かかった
  事件です。メディア、ネット上の限られた情報しか持ち得な
  い読者の皆様にそれをお伝えするのはかなり難しいと感じて
  います。そして、何より難しいのが、123便事件の真相は
  読者の皆様と現在でも密接に関連しており、真実のいきなり
  の全公表は、皆様の社会通念を破壊するばかりでなく、皆様
  が置かれている社会的な利害関係を崩壊させる危険があると
  も認識しています。       https://bit.ly/2CXLZ2r
  ───────────────────────────

F4−EJファントム.jpg
F4−EJファントム

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2018年09月14日

●「ある女性の2つの情報の重要証言」(EJ第4850号)

 青山透子氏の本に、小林美保子さんという女性による2つの目
撃情報の証言です。小林さんは現在東京で福祉関係の仕事をして
いますが、1985年当時は、実家から静岡県藤枝市にある運輸
関係の会社に勤めており、車で通勤していたのです。事故当日の
8月12日、18時30分頃仕事が終わって会社を出たとたん、
「キャーン、キャーン」と2回にわたり、女性の金切声のような
音を聞き、空を見上げると、目の前を低く右斜めに傾きながら、
巨大なジャンボジェットが低空で飛んでいたといいます。窓が、
はっきり見えるほどの低空でしたが、飛行そのものは、安定して
いるように見えたとしています。
 このジャンボジェットは、時間と場所からみて、JAL123
便であることは間違いないと思われます。その飛行機を見た小林
さんは、飛行機の胴体にあるものを見たのです。それが一つ目の
目撃情報です。小林さんは、次のように述べています。
─────────────────────────────
 「それはですね。機体の左下のお腹です。飛行機の後ろの少し
上がり気味の部分、おしりの手前くらいでしょうか。貨物室のド
アがあるような場所、そこが、真っ赤に抜けたように見えたんで
す。一瞬火事かなと思ったけど、煙が出ている様子もない。ちょ
うど垂直尾翼のあたりがグレー色でギザギザのしっぼみたいだっ
たので、それが煙に見えたけど・・・煙なら、たなびくけど、そ
れは動かなかった。今思うと、千切れたしっぼのギザギザが煙の
ように見えたんですね」。
 真っ赤というと火事かと思いきや、そうではないという。「そ
のお腹の部分、つまり飛行機の左側のお腹の部分、4〜5メート
ルくらいになるのかなあ。貨物室ドア2枚分ぐらいの長さでしょ
うか。円筒形で真っ赤。だ円っぼい形でした。濃いオレンジ、赤
という色です。夕日を浴びて赤い、という感じでもない。夕日は
機体の背を照らしていたので、逆にお腹はうす暗く見えました。
円筒形のべったりとした赤色がお腹に貼り付いているイメージ、
言葉で伝えるのは難しいけど。絵に描くとこんな感じかなあ」。
               ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 添付ファイルは、小林さんのイメージに基づいて作成した作図
であり、本物のJAL123便ではありません。問題は「垂直尾
翼のあたりがグレー色でギザギザのしっぼみたいだった」という
表現です。これは、破壊された垂直尾翼が、ギザギザのように見
えたものと思われます。
 しかし、事故調で発表された静岡県焼津付近の高度は、249
00フィート(7470メートル)となっており、この高度では
胴体の赤マークも尾翼のギザギサも地上からは、見えないはずで
す。そのため小林証言は、ウソということにされてしまいます。
 しかし、事故調発表のこの高度には疑問があるのです。小林さ
ん以外にも、小林さんの位置に近い東名高速道路や新幹線の駅で
も低空飛行するジャンボ機が目撃されているのです。したがって
小林さんの証言は正しいと判断されます。
 それでは、JAL123便の胴体の赤いものは、一体何なので
しょうか。
 これについては、池田昌昭氏の本に重要なヒントが載っていま
す。それは、標的機は吹流しのようなものをつけて飛んでいると
いう指摘です。その吹流しもオレンジ色なのです。
─────────────────────────────
 この標的機、1回1回撃ち落としていたのでは金がいくらあっ
ても足りない。ジェット戦闘機から機関砲射撃をしたり、ミサイ
ル発射をするときの標的なのである。では何が考えられるのか。
ちょうど鯉のぼりのような「吹き流し」をつけて標的機が飛び、
それを地上か海上か空中でリモコン操作をして、その後ろに引っ
張っている「吹き流し」に、機関砲やミサイルの発射と命中にい
たる訓練をする仕掛けではないのか。この「吹き流し」を引っ張
るワイヤーも一緒に垂直尾翼にぶつかり、絡み付いた可能性があ
る。(一部略)
 さらにこの「吹き流し」は少なくとも30メートル以上は、標
的機から離さないと機関砲の弾丸があたってしまう。従って30
メートル以上はワイヤーロープで引っ張られているわけであり、
またワイヤーロープで、グライダーを引っ張ることもできる。標
的機がグライダーを引っ張り、そのグライダー目掛けて空中で機
関砲等が発射されるのである。ミサイルは熱感知システムであり
標的機のエンジンが出す排気熟をキャッチするのである。ここで
ミサイルを発射してしまえば、標的機は破壊されてしまうので、
排気熱キャッチ(ロック・オン)までである。
                 ──池田昌昭著/文芸社刊
  『JAL123便は自衛隊が撃墜した/御巣鷹山ファイル』
─────────────────────────────
 標的機がそのような「吹き流し」をつけて飛んでいるとすれば
接近すれば、その吹流しが飛行機の胴体に絡みつき、オレンジ色
の塗料をつける可能性は十分あります。これが小林美保子さんが
証言する1つ目の情報です。
 もうひとつの情報とは何でしょうか。
 それは小林さんが空を見上げていると、ジャンボジェット機の
すぐ後をファントム機2機が追いかけていったということです。
そしてなぜかホッとしたといいます。なぜなら、低空を飛行する
ジャンボジェット機をファントム機が追尾するということは、行
方不明機ではなく、その救助のために飛んでいると思ったからで
す。実は、この2機のファントム機は、自衛隊員の目撃情報もあ
り、けっして小林さんの見間違えではないのです。自衛隊の情報
では、ファントム機の飛行は、通常とは違う感じがしたといいま
す。そうであるとすると、JAL123便の墜落場所がわからな
いはずはないのです。ここに大きな疑問があります。
         ──[日航機123便墜落の真相/020]

≪画像および関連情報≫
 ●尋常ではない勇気『日航123便墜落事故の新事実』を読む
  ───────────────────────────
   青山のこの近刊で明らかにされる新事実は以下の3つ。
  1.123便のすぐ後ろを追尾しながら飛行するファントム
    機の存在
  2.123便の腹部に付着しているように赤い物体が存在し
    ていたこと
  3.現場遺体の炭化状態
  順に説明する。
   1の航空自衛隊のファントム戦闘機は、これまでの発表で
  は、123便墜落直後の午後7時10分に、墜落位置探索の
  目的で、茨城百里基地を出動となっていたものだ。それを青
  山は、このジャンボ機墜落事故への疑問を最初に書いた前著
  『天空の星たちー日航123便のあの日』(10年刊)の後
  それを読んで  告げたくなったことがあると出版元に直接
  訪ねてきてくれた読者からその目撃情報として知らされた。
  当時22歳のこの女性は静岡の藤枝に車で通勤していたが、
  6時35分に、123便が異様に低く飛んでいる姿と、それ
  のすぐ後に飛行する自衛隊ファントム2機をはっきり見たと
  証言してくれた。青山はこのファントムについての目撃証言
  をべつの2人からも得ている。前記の当時20代の女性がな
  ぜ機種特定まで明確に述べているかというと、彼女は年少時
  から自宅近隣にある航空自衛隊の基地で、毎年こどもの日に
  実施される展示やイベントによく行っており、充分な知識が
  あったからだ。         https://bit.ly/2MiiCrl
  ───────────────────────────

123便に付着する赤いもの.jpg
123便に付着する赤いもの
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2018年09月13日

●「事故当時の山下運輸相の反応探る」(EJ第4849号)

 18時12分20秒に羽田空港を離陸したJAL123便は、
6分後の18分38秒には、早くもベルトサインはオフになり、
スチュワーデスたちは、サービスに動き出しています。そのとき
から乗客の一人である小川哲夫氏(当時41歳)は、右通路から
窓の外の写真を撮り始めています。
 ところがその5分後に「ベルト・オン」のサインが出たので、
小川氏は自席(右側最後部から三列目の2席の通路側。窓側は小
川氏の奥さん)に戻って窓の外にカメラを構えたのです。
 その直後の24分34秒に「ドドーン」という衝撃音がしたの
です。これは推測ですが、とっさに小川氏はカメラで窓の外を連
続して何枚か写真を撮ったものと思われます。その写真の一枚が
添付ファイルの写真です。
 このとき、JAL123便は上昇中だっのですが、飛行機の左
舷から水平に胴体下部に衝突したファイヤー・ビーが角度を変え
て、123便の右後方に飛んでいたとすると、この写真の説明が
つくのです。
 一見すると、この黒点は、事故現場から回収された小川哲夫氏
のカメラとみられるネガフィルムに写っていたもので、最初の時
点から話題になっていたのです。しかし、事故調は、単なるカメ
ラか窓のシミのようなものとして一顧だにしませんでした。しか
し、これはけっしてゴミでもシミでもなく、オレンジ色の飛翔体
であることが後から判明したのです。
 その証明は、元国際線パーサーの青山透子氏の著書に出ていま
す。青山透子氏は、先方からの希望で2010年11月10日に
事故当時の運輸大臣山下徳夫氏(当時91歳)に会っています。
せっかくの機会なので、本の編集者も同席して、当時のいろいろ
な写真や資料を見せて、感想を聞いたそうです。
 そのとき、「急減圧のない機内」と「窓の外の黒点」の写真を
見せて、山下氏の意見を聞いています。青山氏の本から、その部
分を引用します。
─────────────────────────────
 「これは急減圧がないように見える機内の写真(8月22日付
EJ第4833号に添付)ですが、どうですか。事故原因の急減
圧があったとは思えない風景だと思いますが、いかがですか。し
かし、事故調査委員会はこの写真を証拠としてはまったく取り上
げませんでした。次はこの窓の外を写した写真ですが、ご存知で
したか。相模湾の向こうに富士山の影が見えて、飛行機の翼の先
が写っています。おそらく窓から外の風景を写したのでしょうが
他の写真に比べて、一枚黒い点のあるものがあります。この黒い
点に見えるものですが、その前後の同じような風景写真を見てみ
ると、黒点がありません。つまり、窓のシミでもなければ、ごみ
でもないことがわかります。そこで知り合いの研究者に頼みまし
て、画像専門の解析をする研究所で拡大分析をした結果、黒点を
だんだん大きく拡大すると、オレンジ色になることがわかりまし
た。その写真がこれです」
 そういって、次の拡大写真を出した途端、ナイフとフォークを
置き、両手を広げたオーバーなポーズで、山下氏はこう言った。
 「なんだ、これは!」
 広げた手も大げさだが、目も大きくして驚いて見せたその顔は
思わず編集者と顔を見合わせて噴き出すほどのポーズだった。そ
れは、かなりわざとらしいリアクションであった。その拡大写真
を目の前に置いて「このようにオレンジ色っぼい物体です。この
高度で飛ぶ鳥でオレンジ色のものなどいません。鳥ではないとす
ると、一体何でしょうか?」と話すと、「さあ、何だろうねえ」
と、首をかしげながら画像を見ていた。
               ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 これには、そのとき山下氏はわざとらしいジェスチャーであっ
たといいます。青山氏は、「自衛隊の無人標的機とか練習用ミサ
イルとか、そういうものがオレンジ色に塗られています」とまで
踏み込んだのですが、山下氏はとくに動揺する様子もなく、むし
ろわかっていたという表情だったそうです。青山氏と編集者は、
山下氏との別れ際の次の一言が気になったといいます。
─────────────────────────────
 あのね、日本は何でもアメリカの言いなりだからね。遺族が再
調査を望むのであれば、ぜひすべきであると思う。 山下徳夫氏
                ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
 この青山透子氏の本について、どちらかというと、事故調の結
論が正しいとする説を主張する元共同通信記者の堀越豊裕氏は、
自著で、青山本について次のように述べています。
─────────────────────────────
 青山の本は慎重に断定を避けているが、墜落は圧力隔壁の破断
による事故ではなく、ミサイルや無人標的機が垂直尾翼に当たり
撃墜した可能性を示した。本にはその推定を支える目撃証言など
が盛り込まれており、事故調の報告書や米国の内部資料には出て
こない。  ──堀越豊裕著『日航機123便墜落最後の証言』
                    平凡社新書/885
─────────────────────────────
 JAL123便のミサイル型無人標的機の衝突による説を最初
に唱えたのが、池田昌昭著『JAL123便墜落事故真相解明/
御巣鷹山ファイル』(文芸社刊)です。それに角田四郎氏による
疑惑/JAL123便墜落事故/このままでは520柱は瞑れな
い』(早稲田出版)が続くのですが、動かぬ証拠とまではいえな
いもどかしさがあります。青山透子氏の本には、彼女の足で集め
た膨大な証言が満載されており、それらはいずれもミサイル型無
人標的機の衝突の正当性を裏付けています。オレンジ色の飛翔体
にはもうひとつの目撃表現があります。明日のEJで取り上げる
ことにします。  ──[日航機123便墜落の真相/019]

≪画像および関連情報≫
 ●山下徳夫元運輸大臣を偲んで/青山透子氏
  ───────────────────────────
   2014年の1月1日に、JAL123便事故当時に運輸
  大臣だった山下徳夫氏が94歳でお亡くなりになりました。
  昨日編集者からの電話で、それを知りました。実は、私の本
  をお読みになり、そのご縁で、都内にて編集者と共にお会い
  する機会がありました。その時山下氏に、私が本を出版した
  際に知り得た情報をもとに、遺族から提供された機内写真や
  窓から見える写真、研究者が拡大してくれた写真などもお見
  せして、この事故の状況について説明をしました。
   その際、ポケットからいつも持ち歩いているという、川上
  慶子ちゃんの座席ナンバーの入ったチケットの半券のコピー
  を取り出して、「飛行機に乗る際のお守り代わりなんだ」と
  おっしゃっていたのにはちょっと驚いた記憶があります。
   当時はとても複雑な気持ちでしたが、今思うと政治家とい
  えども、一人の人間であり、またお孫さん思いのおじいちゃ
  んだったと思います。編集者と共に、またお元気なうちにお
  会いしましょう、と別れたのが最後となりました。
  その後、私の本をじっくりと読んでくださって、今度は一緒
  に本を書きましょう、とか、とても良い本だ、教科書にした
  い、と感想を述べて下さったとを、編集者より聞きました。
   事故当時、山下氏は二階席担当だった私の先輩から「お孫
  さんにどうぞ」と、飛行機のプラモデルをもらい、その袋を
  持ったまま、事故の知らせを聞き、事故対策委員会へ急きょ
  向かったということでした。それは拙著にも新聞にも書いて
  あります。実際にお会いして話をして、あの時どういう気持
  ちだったのかなあと想像力を膨らませて考えてみると、自分
  が乗ってきた飛行機がそのまま墜落機になったというあまり
  の偶然に、身も心も凍る思いだったと思います。
                  https://bit.ly/2wZK0Wf
  ───────────────────────────

窓の外の謎の飛翔体.jpg
窓の外の謎の飛翔体
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2018年09月12日

●「相模湾にいた護衛艦『まつゆき』」(EJ第4848号)

 JAL123便に標的機が飛来し、衝突したという仮説に立つ
場合、どこから標的機を発射したかが問題になります。それは、
事故の状況から考えて相模湾上が有力です。そのとき、相模湾上
には、就役前の試運航中の護衛艦「まつゆき」がいたのです。も
ちろん「まつゆき」は標的機を発射可能です。
 護衛艦「まつゆき」は、1986年3月19日に就役し、同日
付で、第2護衛隊群隷下に新編された第44護衛隊に、「やまゆ
き」とともに編入され、呉に配属されています。そういうわけで
1985年8月12日夕刻には、相模湾において試運航を行って
いたのです。
 それでは、試運航とはどういうことをするのでしようか。
 護衛艦「まつゆき」の主要兵器としては、76ミリ単装速射砲
短SAMシースパロー艦対空ミサイル装置、高性能機関砲、対艦
ミサイル・ハーブン装置、アスロックランチャー(艦上から空中
に発射する魚雷)、短魚雷発射管、対潜ヘリ、ソナーなどが装備
されています。
 試運航の目的は、これらの兵器のすべてが実戦で使用可能かど
うかをチェックすることにあります。その詳細について、池田昌
昭氏の本から引用します。
─────────────────────────────
 護衛艦「まつゆき」に装備されている兵器により行う訓練は、
@ミサイル発射とその誘導レーダー操作訓練、命中訓練。A敵の
飛行機、ミサイルを発見するためのレーダー訓練。敵味方識別装
置の試験。迎撃ミサイルの発射・誘導訓練。B機関砲等の射撃訓
練。C魚雷発射訓練。魚雷誘導・命中訓練。D標的機の無線操縦
訓練。E標的機使用の際のレーダー機能試験。追跡能力、他の飛
行物体識別能力。Fソナーの性能訓練。潜水艦追跡訓練。G他艦
や戦闘機との無線連絡訓練。地上部隊との連繋訓練等々が考えら
れる。              ──池田昌昭著/文芸社刊
  『JAL123便は自衛隊が撃墜した/御巣鷹山ファイル』
─────────────────────────────
 上記のDとEに標的機関係の訓練も当然含まれています。条件
はすべて整っているのです。JAL123便に自衛隊所有の飛翔
体が尾翼に衝突したなどというと、そんなことは荒唐無稽という
人が多いですが、そういうことがあったとしてもおかしくない条
件がすべて整っていたのです。
 その条件とは、衝突があったとみられる相模湾の近くに標的機
を発射できる装置が存在し、しかもそれを発射できる状況にある
ということです。それが、すべてドンピシャリ全部整っているの
というわけです。
 事故現場空域の真下の相模湾に試運航中の護衛艦「まつゆき」
がおり、標的機関係の訓練も行っていた可能性が高いのです。し
かも事故発生時には、海上に落下したJAL123便の垂直尾翼
を回収しています。偶然に発見したことになっていますが、事前
に事故を知っていたとしか思えない偶然です。
 しかし、自衛隊はこのことについて、今もって沈黙を守ってい
ます。池田昌昭氏は、この沈黙は自衛隊にとってこの衝突が弁解
の余地のないことの逆証明であるとして、次のように厳しく論評
しています。
─────────────────────────────
 海上自衛隊の標的機がJAL123便の垂直尾翼に衝突した地
点は、言われている伊豆半島直前よりさらに東側、未納入試運航
護衛艦「まつゆき」が垂直尾翼を回収した地点にほど近い空域で
ある可能性が高い。飛行高度も伊豆半島直前に達する24000
フィートには達してはおらず、15000フィートである。この
15000フィートは、自衛隊の訓練空域の訓練高度でもある。
 事故地点の相違、事故時の高度の相違は何故生じているのか。
それは、@まず、未納入護衛艦「まつゆき」から発射された標的
機が、JAL123便に衝突した可能性が非常に強いので、まず
標的機の高度をごまかすためである。公式発表の際、JAL12
3便の飛行高度を上げれば、標的機の可能性が減り、しかも民間
航空樅の航路に侵入していたという事実にも触れないでおくこと
ができるからである。
 A次に、未納入護衛艦「まつゆき」の存在自体を隠してしまう
必要性である。何故なら標的機は試運航護衛艦「まつゆき」から
試験飛行発射された可能性が強く、従って「まつゆき」自体の存
在を否定しなければ、「まつゆき」を使って行った標的機の試験
飛行に必ず行き着くからである。しかも、「まつゆき」の存在は
垂直尾翼を回収していることで、既に世間に知られてしまってい
る。あとは事故発生地点をごまかし、その真下の海上に「まつゆ
き」がいなかったことにしないと、「まつゆき」と標的械の関係
が直ぐに浮かび上がってしまうからなのである。
                 ──池田昌昭著/文芸社刊
  『JAL123便は自衛隊が撃墜した/御巣鷹山ファイル』
─────────────────────────────
 さまざまな事実や証言や状況を冷静に分析すると、JAL12
3便に、故意でないにせよ、自衛隊の何らかの飛翔体(標的機)
が衝突した事実は間違いないものと思われます。おそらく標的機
の飛行管制システムの不具合などによって、標的機のコントロー
ルがきかなくなり、JAL123便に衝突してしまったミスと考
えられます。
 問題は、この事実を自衛隊はもちろんのこと、監督官庁の運輸
省(現国土交通省)、当時の中曽根首相官邸まで、明らかに多く
の矛盾がある事故調査委員会の結論である「後部圧力隔壁破壊」
をもって強引に幕引きをしていることです。
 新しい証拠が出るたびに遺族をはじめとする関係者が何回再調
査を訴えても聞く耳をもたず、実に33年が経過してしまってい
ます。それにしても33年も経っているのに、まだこの飛行機事
故の真相究明の動きがとまらないのは、間違った結論で幕引きを
しているからです。──[日航機123便墜落の真相/018]

≪画像および関連情報≫
 ●日航123便航空機事故は国際刑事裁判の案件である
  ───────────────────────────
  1.123便の事故は、誘導ミサイルの実証実験で飛んでい
  た無人標的機とそれを追尾していた模擬ミサイルが衝突した
  ことで、航空機の制御が不能になったのが原因。
  2.123便は、自衛隊の誘導と指示で山腹への胴体着陸を
  敢行した。従って墜落ではなく不時着である。これはスコー
  ク77を、そのシステムから意味までを正確に理解すること
  で証明される。
  3.機体は大破したが、520名の乗員・乗客の中で、多数
  の生存者がいたが、救出されたのは4人だけで、あきらかに
  他殺とわかる死体もあり、殺人事件であることが明白。
  4.救出が遅れたのは政府の意図的な指示によるもので、救
  出までの空白は、事故の証拠隠滅であるのは明白。生存者の
  殺害も証拠隠滅の一環。
  5.123便事故の犯罪は、生存者の証言と元米軍パイロッ
  トの証言、そして、2000年に公開されたボイスレコーダ
  ーで十分に証明できる。
  6.証拠隠滅を指示したのは、第2次中曽根第1次改造内閣
  の首相である中曽根康弘、指示を実行したのは、防衛庁長官
  加藤紘一、米国との証拠隠滅の口裏わせをしたのは、外務大
  臣の安倍晋太郎。彼らがこの国際刑事裁判の被告だ。
  7.日本政府は、2015年、米国の公文書が公開されるの
  に合わせて、この事故の真相が明らかにならないように、被
  告本人や遺族ら関係者は、秘密特定保護法を制定した。この
  法案施行前に事件の解明と国際刑事裁判の訴追手続きをしな
  ければならない。2013年12月18日改稿。
                  https://bit.ly/2wW50Nw
  ───────────────────────────

護衛艦「まつゆき」.jpg
護衛艦「まつゆき」
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2018年09月11日

●「123便に一体何が衝突したのか」(EJ第4847号)

 JAL123便の操縦クルーが飛行物体に気が付いたのは18
時23分頃です。そのときの高度は約20000フィート、メー
トルに直すと、約6000メートルです。そのような高度を飛ぶ
飛行物体は当然限られてきます。飛行物体に気が付いて、123
便は高度を23000フィート(約7000メートル)に上げま
すが、それでもその飛行物体は追尾してきたのです。
 この飛行物体の正体は何でしょうか。
 当時考えられるのは、海上自衛隊の「無人標的機」しかないと
いわれます。標的機というのは、ミサイルの射撃訓練をするさい
に標的として使われる飛翔体のことです。ミサイルの相手をする
のですから、航空機に接近することは十分可能です。標的機には
次の3種類があります。
─────────────────────────────
   1.高速標的機 ・・・   「ファイア・ビー」
   2.高速標的機 ・・・       「チャカ」
   3.対空標的機 ・・・「ターゲット・ドロ−ン」
─────────────────────────────
 1は「ファイア・ビー」です。
 どんな形をしているのでしょうか。
 「自衛隊装備年鑑」によると、全長7メートル、全幅3・93
メートル、全高2・05メートル、自重686・3キロ、最大速
度0・96マッハ、実用上昇限度1万7000メートル、航続時
間約60分とあります。
 何の標的として使用されるのでしょうか。
 海上自衛隊が護衛艦に装備している5インチ速射砲や、護衛艦
の艦対空ミサイル「ターター」などの標的機として使用されてい
るのです。
 どのようにして操縦されるのでしょうか。
 操縦方式は、無線コマンド・コントロールであり、回収装置は
二段パラシュート。米国ライアン社製であるが、富士重工がライ
センス生産をしています。
 2は「チャカ」です。
 ファイアビーを小型化したもので、ミサイル用の標的機として
使用されています。全長3・87メートル、全幅1・76メート
ル、全高0・71メートル、速力は時速350〜900キロメー
トル。高度150〜9000メートル、航続時間約80分。総飛
行重量182キロ。訓練支援艦「あずま」の管制システムである
陸上追尾管制装置によって飛行管理をします。米国ノースロップ
社製で、日本電気がライセンス生産。1982年11月から運用
開始しています。
 3は「ターゲット・ドロ−ン」です。
 全長3・8メートル、全幅4・03メートル、全高0・79メ
ートル、重量162キロ、航続時間90分。海上自衛隊艦艇の対
空射撃訓練用の標的機です。これは、プロペラ機であり、UHF
FM方式の電波でリモコンされて飛行する。現代でいうところの
ドローンです。
 JAL123便にぶつかった標的機は、これらの3種類のうち
のどれでしょうか。
 まず、プロペラ機の「ターゲット・ドローン」でないことは確
かです。そうすると、ジェット機に接近できる「ファイアビー」
か「チャカ」ということになります。当時、それ以外のもので、
飛行中のJAL123便に衝突できる飛翔体は考えられないので
す。しかし、なぜ、自衛隊が日本航空機を標的にしなければなら
ないのでしょうか。これに関して、池田昌昭氏は、次のように述
べています。
─────────────────────────────
 8月12日午後6時24分35秒ごろ、相模湾上空でこの無人
標的機が、JAL123便の垂直尾翼に衝突した可能性がある。
どこから発射され、何故JAL123便に衝突したのか。発射し
たものはJAL123便をレーダーで監視していたはず。リモコ
ン操縦が仮に海上でなされたとすれば、海上自衛隊のしかるべき
艦艇群は、充分にJAL123便の飛行を捕捉していて、標的機
の行方も監視していたはずである。なのに何故標的械は、JAL
123便に衝突したのか。それとも、衝突させたのか。事故なの
か。故意なのか。まさか故意ではあるまい。考えられるのは事故
である。海上からのコントロールを誤り、JAL123便に衝突
させてしまった。標的とされる標的機が逆に民間機を標的にした
のか。
 しかし、問題はこの後である。衝突の事実を隠蔽し、未だにそ
の真相が解らないというこの事実である。自衛隊の標的機が民間
機に衝突し、民間機が操縦不能に陥り、ダッチロールを繰り返し
最後は山に激突してしまったこの事実を隠蔽しようというのであ
る。自衛隊の過失を国民に知られたくない。自衛隊に国民の批判
が向けられ、さらには現機構自身に批判が噴出することを恐れて
いるのである。          ──池田昌昭著/文芸社刊
  『JAL123便は自衛隊が撃墜した/御巣鷹山ファイル』
─────────────────────────────
 もし、自衛隊が、標的機を間違ってJAL123便に衝突させ
てしまったとすると、当然自衛隊はそのことを正直に申し出るに
決まっている。「自衛隊=日本国」と同じであり、国がそんな隠
蔽をするはずがない──多くの人が考えるはずです。そして、多
くの国民がそう思うと、自衛隊標的機のJAL123便衝突事件
は陰謀論になってしまいます。
 しかし、当時と現在の国民の意識は相当違ってきていると思い
ます。昨今の財務省による公文書改ざん事件、自衛隊日報隠蔽事
件などが続々と起きているからです。さらに1971年7月に岩
手県雫石町上空で起きた自衛隊機と全日空727機との衝突事件
の真相を知ると、そういうことがあってもおかしくないと納得す
るはずです。この事件については、改めてその驚愕の真相を明ら
かにします。   ──[日航機123便墜落の真相/017]

≪画像および関連情報≫
 ●護衛艦の対空防護、陰の立て役者/高速標的機
  ───────────────────────────
   高速標的機は訓練を終えたらパラシュートを開いて海上に
  着水する。それを回収するのも訓練支援艦の仕事だが、何キ
  ロも先まで航行して探すことになり、特に複数機を飛ばした
  場合は手間がかかるという。
   船体の大きさは、くろべが基準排水量2200トン、全長
  101メートル、幅16・5メートル。てんりゅうは少しだ
  け大きくて基準排水量2450トン、長さ106メートル、
  幅16・5メートルだ。太平洋などの訓練海域まで往復する
  と何日もかかるので、艦内には寝室や食堂、風呂といった居
  住区画が備わっており、「乗り心地は悪くない」(元くろべ
  乗組員)という。最高速度はくろべの20ノットに対して、
  てんりゅうは22ノット。乗員数はくろべの約155人に対
  し、てんりゅうは省力化が進んで約140人に減っている。
   2隻はあくまで訓練用なので、有事に前線へ出ることはま
  ずない。しかし、いずれも速射砲1門を備えている。海上自
  衛隊関係者によると、高速標的機が何らかの理由で、コント
  ロールを失った場合に撃墜するための装備だという。その高
  速標的機には、いずれも無線誘導の「高速標的機BQM−3
  4AJ改」(ファイアー・ビー)と「高速無人標的機チャカ
  BQM−74E」(チャカ3)の2種類がある。
                  https://bit.ly/2wWTws8
  ───────────────────────────

ファイアビー.jpg
ファイアビー

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2018年09月10日

●「外部説によるコックピットの対話」(EJ第4846号)

 1985年8月12日、JAL123便が羽田空港を離陸した
のは18時12分20秒のことです。それから12分22秒後の
18時24分42秒にJAL123便の機長は「スコーク77」
を宣言します。その間に何があったのでしようか。
 これについて、角田四郎氏は、非常に意欲的で有意義な試みを
行っています。それは、ボイスレコーダーの記録に加えて、傍証
のある「推定」と傍証のない「想像」、さらに生存者の「証言」
を加えて、JAL123便のコックピットと機内および東京進入
管制(羽田)と東京管制(所沢)のやり取りを再現したのです。
とくに何も断っていないのは、ボイスレコーダーの記録です。対
話者は、C「機長」、O「副操縦士」、F(副操縦士)、S(ス
チュワーデス)を表しています。
 JAL123便が、18時18分33秒に東京管制から、シー
パーチ直行の許可をもらった後から、「スコーク77」までのや
り取りを角田四郎氏の本から転載します。
─────────────────────────────
◎18分33秒:(東京管制)日航123便、現在位置からシー
 パーチ(非義務位置通過点)に直行することを許可する。
◎18分38秒:了解、現在位置から直行する。
 「推定」ベルトサイン、オフ。スチュワーデスは、子供客にサ
 マーキャンペーンのぬいぐるみ人形を配り始める。小川哲夫氏
 は右通路より機外を撮影。高度1500フィート。
◎22分頃:「証言」川上慶子さん、咲子ちゃん、スチュワーデ
 スから人形をもらう。落合由美さん雑誌を読む。「推定」高度
 20000フィートに達す。
◎23分頃:「想像」(O)機長!前方右45度に不明機発見。
 (C)どこだ!なんだあれ!調べて、早く。(O)はい。
◎23分頃:(C)距離は?近いの、小さいの。(O)小さいで
 すね。何でしょうあれ!(F)わかりません。
◎23分頃:(F)あー!こっちに近づいてきますよ。(C)ベ
 ルト・オン!(F)はい。(C)なんだ、あいつ!調べて。レ
 ーダー?
◎23分××秒:ピン・ポーン(音)。(S)ただいまベルトサ
 インがつきました。もう一度ベルトをして下さいませ。
 (客)すみません、トイレに急いで行きたいですが、ダメです
 か。(S)ちょっとお待ちください。
◎24分10秒:「想像」(F)はい、なんですか。(S)お客
 様でトイレに行き・・・・。(F)レーダーには映りません。
 (C)なんなの、調べて、よく見て!(O)はい。
◎24分12秒:(S)・・たいとおっしゃる方がいらっしゃる
 んですが、よろしいでしょうか。
◎24分15秒:(O)気をつけて。(F)じゃ気をつけてお願
 いします。(O)手早く。(F)気をつけてください。(S)
 はい、ありがとうございます。
 「想像」操縦室全員、緊張して前方を凝視。正体不明の小型飛
 行物体は、右10度に接近中、高度約23000フィートと日
 航機とほぼ同じ。進行方向、西南西。速度不明。ぐんぐん近く
 なる。
◎24分34秒:ドーン、ビー・ビー・ビー。
◎24分38秒:「想像」(F)だめ!やられた。
◎24分39秒:「想像」(C)なんかわかったの?なんか、あ
 たったぞ?
◎24分42秒:(C)スコーク77
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 ひとつのポイントは、羽田空港離陸後、どこでベルトサインが
オフになったかです。通常離陸後8分〜10分で消えるのが正常
です。ボイスレコーダー(筆記録)上では確認できないのです。
 角田氏がベルトサインオフを18分38秒頃と推定したのは、
生存者の川上慶子さん(当時12歳)の証言で、スチュワーデス
から、ぬいぐるみをもらったのが、そのぐらいの時間だったから
です。当然のことですが、スチュワーデスがサービスをはじめる
のは、ベルトサインがオフになってからです。
 このとき、川上慶子さんは、母親に妹のもらった人形の方がい
いといったところ、母親にたしなめられたといっています。その
約5分後の23分になって、ベルト・オンになっています。コッ
クピットでは、正体不明の飛翔体が123便に迫ってくるのを発
見し、ベルト・オンのサインを出しています。機長は、衝突の危
険を察知して、事前にベルト・オンを指示したのです。もし、垂
直尾翼破壊の原因が、急減圧による後部圧力隔壁破壊であるとす
るならば、機長が事前にそれに気がついて、ベルト・オンのサイ
ンは出せないはずです。したがって、事故の原因は内部説ではな
く、外部説にならざるを得ないのです。
 上記のやり取りは、いくつかの「想像」や「推定」部分を含む
とはいえ、矛盾なく、ぴったりと収まっており、外部説──謎の
飛翔体の衝突による垂直尾翼破壊説を説得力を持って裏づけるも
のです。ここに事故調が、生のボイスレコーダーを最後まで公開
せず、筆記録しか公開しなかった理由があります。おそらく音声
による生のボイスレコーダーを公開すると、そこに誰でも外部説
を裏づける決定的な証拠が収録されているからでしょう。だから
こそ、ボイスレコーダーを筆記録にしたのです。
 筆記録であれば、都合の悪い部分は自由にカットできますし、
音の高さとか、衝撃さとか、声の調子などから感じとることがで
きる緊迫感などを誤魔化すことができるからです。それに、おそ
らく事故の関係者ではない一般の人々は、ボイスレコーダーがま
だ公開されておらず、事故調の作成した筆記録に過ぎないことを
知らないと思います。その生のボイスレコーダーは、現在日航が
保管しているはずです。なぜ、公開しないのでしょうか。
         ──[日航機123便墜落の真相/016]

≪画像および関連情報≫
 ●日航機事故から29年・フジテレビ特番を見て/2014
   ──────────────────────────
   単独機の事故としては世界最悪の520人が犠牲となった
  1985年8月のJAL123便便墜落事故から29年が経
  過した(2014年の記事)。月日の流れの速さを改めて感
  じるが、私の脳裏に焼き付いたあのむごたらしい酷暑の夏の
  記憶は今なお決して薄れることはない。「御巣鷹の尾根」は
  今なお私、そして安全問題研究会の原点だ。
   ところで、今年の8月12日は、いつもの年と少しばかり
  違った。フジテレビ系列の全国放送として、特別番組「8・
  12、日航機墜落30回目の夏〜生存者が今明かす“32分
  間の闘い”ボイスレコーダーの“新たな声”」が放送された
  からだ。(中略)
   だが、同時に私は、事故というより「事件」と呼ぶほうが
  適切かもしれない「御巣鷹の真相」は、おそらくこの番組で
  も明かされることはないだろうと思っていた。なにより30
  年近い歳月は短いようで長い。当時を知る関係者も少なくな
  り、遺族ですら高齢化で険しい御巣鷹の尾根への慰霊登山を
  断念する人が毎年増え続ける現実がある。今頃になって新事
  実が飛び出すくらいなら、とっくの昔に出ていて不思議はな
  いし、圧力隔壁崩壊説に疑問を抱く人なんて、日本全国に今
  なお数万人単位で存在する。
   ミサイル撃墜説、自衛隊「無人標的機」衝突説を初めとし
  て、この間、ありとあらゆる言説が流されてきた。この事故
  のことを卒業論文のテーマにしようと考えた学生が教授に相
  談したところ「君の命が危ない。悪いことは言わないからや
  めなさい」と言われた。     https://bit.ly/2NP6obc
  ───────────────────────────

垂直尾翼がなくなったJAL123便.jpg
垂直尾翼がなくなったJAL123便
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2018年09月07日

●「なぜ123便は緊急降下したのか」(EJ第4845号)

 ブラックボックスには、ボイスレコーダーのほかにフライトレ
コーダー(FDR)というものがあります。事故調の最終報告書
におけるフライトレコーダーの解析について考えます。専門的な
ので、少し難しいですが、以下の4点について池田昌昭氏の本を
参照にして簡単に説明します。添付ファイルに「日本航空123
便の高度変化」をつけているので、それを見ながら以下の説明を
読んでください。
─────────────────────────────
        1.   前後方向加速度
        2.    横方向加速度
        3.     垂直加速度
        4.方向舵ぺタルの操作量
─────────────────────────────
 JAL123便に「ドーン」という衝撃音とともに異常事態が
発生したのは、18時24分36秒のことです。123便は羽田
を出発後、大島を経て下田に向うところだったのです。
 この時点の前後方向加速度は、直前に比べて、約0・047G
突出しています。当時の重量を考慮すると、約11トンの前向き
の外力が作用したものと推定され、胴体後端部の破壊がこの時刻
に生じたことが推定されます。これが1の「前後方向加速度」の
解析です。
 24分35・73秒から35・98秒の間に横方向加速度に最
初の変化がみられます。前後方向加速度突出直後の横方向加速度
のこの変動は、尾翼部の破壊が35・73秒以前に生じたことを
裏付けるものと推定されます。24分35・98秒以後、数秒間
にわたって横方向加速度に最大全振幅0・08Gを超す振動がみ
られます。これは、添付ファイルの点線(・・・)のフゴイドが
それをあらわしています。
 この時点でフライトレコーダーの記録に複数のエラーが記録さ
れています。フライトレコーダーは垂直尾翼取付部に近い胴体上
部に搭載されているので、垂直尾翼への強い衝撃を受けたことに
よるエラーと推定されます。2の「横方向加速度」の解析です。
 18時24分35・66秒までは、ほぼ定常飛行状態を示す垂
直加速度が記録されていますが、その後、36・16秒までわず
かに増加し、36・28秒には、約10・24Gに飛躍していま
す。垂直尾翼の破壊がこの時刻付近ではじまっていることを示し
ています。これが3の「垂直加速度」の解析です。
 方向舵ペダルは、18時24分35・22秒までは正常な中立
位置0度の位置にあったのですが、36・72秒までの間に、右
25度以上に急変しています。この時刻は横方向加速度に振動が
起きた時刻と一致します。方向舵ペタルは、その後、右20度〜
左15度に急変していきますが、これは、36・22秒以降は、
方向舵の制御力は失われたことを示しています。これが4の「方
向舵ぺタルの操作量」の解析です。
 これらのフライトレコーダーの解析からみても、18時24分
36秒に、外部からJAL123便の尾翼部分に、何らかの謎の
飛行体のようなものが衝突したと考えると、すべてが矛盾なく収
まるのです。この説を主張している池田昌昭氏は、自著において
次のように述べています。
─────────────────────────────
 「謎の飛行物体」が垂直尾翼に衝突したとして、その衝突の様
子を総合的に考えて見よう。たぶん「謎の飛行物体」は、速度の
速いJAL123便に向かって右側斜め上から接近し、衝突の時
点には右後方斜め上から、まず方向舵あたり、同時に垂直尾翼に
後ろからクロス衝突し、左側下方向にその「謎の飛行物体」が抜
けていった形となったのではなかったのか。さらに言えば、その
ように高速飛行中のジャンボ機に、それよりもズッと小さい「謎
の飛行物体」が、衝突するというのはそれこそ、その謎の飛行物
体が超精密誘導兵器であり、もし、最初からJAL123便の垂
直尾翼を狙っていたのなら、超精密誘導兵器であれば正確にJA
L123便の垂直尾翼の方向舵あたりに衝突することができるで
あろうと考えるのは、考え過ぎなのだろうか。
                 ──池田昌昭著/文芸社刊
 『JAL123便は自衛隊が撃墜した/御巣鷹山ファイル2』
─────────────────────────────
 添付ファイルをみると、18時33分以降にJAL123便は
急速に高度を下げているのがわかります。それは、ボイスレコー
ダーの解析で、33分41秒に航空機関士が「緊急降下」を提案
し、その直後に高度を下げていることから、操縦士の判断で高度
を下げたものであることがわかります。
 問題は、この急降下の意味です。事故調の報告では、それは急
減圧のせいであるとしていますが、角田四郎氏は、航空機操縦の
プロから聞いた意見を指摘し、それに反対しています。
─────────────────────────────
 この33分以降に行われた緊急降下の意味である。一応の措置
と述べたが、実はそれ以上に重大なのは、操縦性能の確保だった
と彼ら(操縦のプロ)は指摘する。空気密度の大きい低空でこそ
操縦機能の低下(油圧の低下による)した機体を、どうにか安定
させ、目的地羽田に飛行させることができたからである。この遅
すぎる「緊急降下」を、無理に「急減圧」による対応と見る事故
調査委員会の見解より現場のプロが解析する可能性、つまり「操
縦性の確保」ととる方が、よほど合理性に富んだ考え方ではある
まいか。   ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 このとき、JAL123便の機長は、横田基地か羽田空港に戻
ろうとし、急降下して辛うじて操縦性を確保し、ダッチロールな
がら、横田や羽田空港のすぐ近くまで、戻ってきていたのです。
信じられないほど見事な操縦で瀕死のJAL123便を操縦して
いたのです。   ──[日航機123便墜落の真相/015]

≪画像および関連情報≫
 ●JA8119離陸から異常発生まで
  ───────────────────────────
   この事故は、公式には(お役所的には)運輸省航空事故調
  査委員会(以下、「事故調」)から1987年6月19日付
  で「航空事故調査報告書」(以下、「報告書」)なるリポー
  トが出て一件落着にされてしまった。報告書では、後部圧力
  隔壁(後述)が破断し、そこから吹き出た空気で垂直尾翼と
  機体後部が脱落、機体後部にある油圧系統からオイルが漏れ
  て油圧が働かなくなり、操縦不能に陥って墜落した、という
  いわゆる「圧力隔壁説」を主張している。
   しかしまず断言しておくと、この報告書はまったくの「作
  文」である。「最初から決められていた結論」を無理矢理に
  導き出すための「言い訳」に過ぎず、都合の良いデータだけ
  を扱い、少しでも事実がバレそうなデータは軽視するか、最
  初から記載されていない。誰でも、時間をかけて丹念に読ん
  でみれば(教科書風の記述で読みにくいが)矛盾や疑問のひ
  とつやふたつは見つけられるシロモノだ。上に挙げた三人も
  (インターネット上では実名は出せない。どんな迷惑がかか
  るかわからないから。出るところに出れば、堂々と公表でき
  る)「報告書は事実に反する」と明言している。さらに、事
  故後10年を経た1995年8月27日、最初に墜落現場を
  確認した元米空軍兵士の「内部告発」(?)があり(これは
  次回以後、詳しく書く)、日本政府が故意に救援活動をしな
  かった事実がバレてしまった。  https://bit.ly/2NdXHKw
  ───────────────────────────
  ●図の出典/──角田四郎著の前掲書より

日航123便の高度変化.jpg
日航123便の高度変化
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2018年09月06日

●「操縦クルーが緊張したタイミング」(EJ第4844号)

 昨日のEJの最後にご紹介した事故調の最終報告書の記述には
「離陸からドーンのような音の発生直前までの精神緊張度につい
て/3・1・9項」の題名がつけられています。そのなかにある
「(表2)「精神緊張度9段階」を再現します。
─────────────────────────────
(表2)「精神緊張度9段階」
 段階点(1)〜(3)
 ・正常な状況下において一般的に生じる緊張
 段階点(4)〜(6)
 ・緊急状況には至っていないが、何らかの異常発生時等にお
  いて一般的に生じる緊張
 段階点(7)〜(9)
 ・緊急状況下において生じる緊張
                ──事故調最終報告書より
─────────────────────────────
 事故調の最終報告書では、ボイスレコーダーに収録されている
音声(機長、副操縦士、航空機関士、パーサー、スチュワーデス
など)の緊張度を測定し、9段階の数値をつけた表が掲載されて
います。これによると、コックピット内の機長や副操縦士、航空
機関士が、どの段階のどの会話で、高い緊張度を感じているかが
わかるので、事故原因の解明に役立つ貴重な分析といえます。
 その分析を以下に示します。右端の、例えば「162/2」と
いう数字は、「/」の左は音声基本周波数最大値ヘルツを表し、
右は上記の9段階の精神緊張度数値を示しています。
─────────────────────────────
 18:16:35 CAP          162/2
          Roger own navigation ah─
    16:55 CAP          168/3
          TOKYO CONTROL
          JAPAN AIR 123 passing─
    18:38 CAP          170/3
          Present position direct
          SEAPERCH─
    24:12 STW          267/3
          ・・たいとおっしゃる方が
          いらっしゃるんですが、よ
          ろしいでしょうか?
 ───────────────────────────
    24:15 COP         250/6
          気をつけて
    24:16 F/E         290/7
          じゃあ、気をつけてお願い
          します。
    24:17 COP         220/5
          手ばやく
 ──────────────────────────
    24:18 STW         300/4
          はいありがとうございます。
    24:18 F/E         210/5
          気をつけてください。
   CAP=機長、COP=副操縦士、F/N=航空機関士
   STW=スチュワーデス
                 ──池田昌昭著/文芸社刊
 『JAL123便は自衛隊が撃墜した/御巣鷹山ファイル2』
─────────────────────────────
 18時16分35秒から、24分12秒までの機長の会話は、
緊張度段階は2〜3であり、ごく普通の緊張度であって、通常の
業務をこなしているときの緊張度と同じです。
 しかし、18時24分15秒からの機内スチュワーデスと副操
縦士や航空機関士の会話のときは、とくに緊張すべき対話ではな
いにもかかわらず、コックピット内の副操縦士と航空機関士の緊
張度は、5〜7という緊急状況下において生じる緊張度になって
います。これは、そのとき、コックピット内で、何らかの原因で
高い緊張感に包まれていたことがわかります。
 仮にこのとき、飛行機外部において、何らかの危険が迫ってい
たとします。たとえば、何らかの飛翔体がJAL123便と並行
して飛んでおり、衝突の危険があるような場合です。当然のこと
ながら、コックピット内は緊張します。実際に例の「ドーン」と
いう音は、その直後の18時24分34〜36秒に起きているの
です。そして42秒に機長は「スコーク77」を宣言します。
 この最終報告書の記述によってわかったことがあります。それ
は、JAL123便墜落の原因は、いわゆる隔壁破壊説ではない
ということです。角田四郎氏は、これについて、次のように述べ
ています。
─────────────────────────────
 これまで私は、幾度か「隔壁説」に予知、予見はありえないと
述べてきた。そして、なにか異常を感知した形跡があれば、この
事故の原因は隔壁破壊とは全く異なるはずで、他の原因を求めな
ければならない。急減圧が万一あったとしても、それは「事故原
因」ではなく、「事故の結果」ということになるのだ。
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 つまり、事故調は、最終事故報告書において隔壁破壊主因説を
結論とする一方で、このレポートを報告書に盛り込むことによっ
て、隔壁破壊説を自ら否定していることになります。これは、事
故調がこれを手掛かりにして、真の事故原因を掴んでほしいと考
えているのではないかと思います。そういう意味でこの悲惨な事
故の原因は、まだほんの一部の事実しか解明されていないことに
なります。    ──[日航機123便墜落の真相/014]

≪画像および関連情報≫
 ●日航123便墜落事故/524人の命乞い/小田周二氏
  ───────────────────────────
   事故原因報告書の目的は墜落の事故原因を明確にすること
  であるが、事故調の事故報告書には「墜落の原因が明確に記
  載されていない」。国の公式の報告書としての資格はない。
   123便は「操縦不能で墜落した」との暗示をしているが
  事故調は「操縦に難がある」が「飛行の継続が出来た」と結
  論している。「飛行出来た」ことは旋回、上昇、降下飛行が
  出来た結果であり、操縦出来たことに相当する。この事項で
  も説明不能の矛盾である。
   日航123便は油圧操が不可になった後、機長らは「エン
  ジン出力の調整で手動操縦を行っている。然し報告書には、
  この「エンジン出力調整での操縦」についての記述がない。
  事故機は 操縦不能との暗示を仄めかすが、油圧破壊後の操
  縦性、飛行性についての調査、検証を行い記載していない。
   目撃証言、乗客の体験証言は操縦席のボイスレコーダーと
  同じ重要な証拠である。然し、事故報告書ではこの証言を一
  切無視して、調査を行い、科学的、技術的に理解出来ない疑
  惑の結論を引き出している。
   事故調の「隔壁破壊説」は、生還者、落合由美氏の証言で
  否定されるものである。垂直尾翼の破壊の原因は隔壁破壊が
  原因でなく、事実上、技術的な矛盾は明解である。多数の乗
  客を乗せた旅客機に異常事態が生じた場合、至急最寄りの飛
  行場に緊急着陸するのが鉄則である。それは多数の乗客の命
  を助ける唯一の手段なのであるからだ。
                  https://bit.ly/2MKhqBV
  ───────────────────────────

ボーイング747のコックピット内.jpg
ボーイング747のコックピット内
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2018年09月05日

●「最終報告書に真実が隠されている」(EJ第4843号)

 事故調は、JAL123便の墜落事故の原因は、早い段階から
ボーイング社の修理ミスに基づく「後部圧力隔壁破損」であると
主張し、1987年6月19日提出の最終報告書でも、それを結
論としています。その後、多くの新事実が出て、再調査を求める
要望が数多く出ましたが、国土交通省の運輸安全委員会はそれに
応じないまま、33年の年月が経過しているのです。
 この墜落事故によって、JAL123便の乗客乗員520人も
の人が非業な最期を遂げているのです。しかし、この事故の関係
者である日本航空、運輸省(日本政府)、そしてボーイング社は
この事故によって、どのような責めを負ったのでしょうか。これ
について、角田四郎氏は、次のように述べています。
─────────────────────────────
 この報告書によって、ボーイング社は修理ミスという汚点を背
負った。日航にはその修理の監督責任と以降の点検不充分という
責任があり、そして運輸省にも修理時のチェックと点検時のチェ
ックに怠慢があったとされたが、いずれもその発見(亀裂等)に
は困難な面も多かったという論調が支配的だった。その結果、日
航および運輸省の責任は問われないこととなり、ボーイング社の
責任だけが残った。
 しかし、現実にはボーイング社は修理のミスは認めているもの
の、この事故が修理ミスから発したとするのは推論で証拠はない
と主張した。仮に推論通りであったとしても7年も前のミスであ
り、キズの生長を点検で発見できなかった日本側の管理責任だと
して、ミス修理を行なった技術者とその作業責任者の名前の公表
(警視庁および群馬県警に対し)を拒んだ。このことでボーイン
グ社を悪党か卑怯者呼ばわりする人もいたが、それはマトはずれ
の感もある。ボーイング社の言い分はしごく正当であり、法的に
も成立するものである。(中略)
 この説であれば、自社製ジャンボ・ジェット機全ての修理や就
航ストップという最悪のシナリオから逃げられる。修理ミスとい
うという汚名を自らかぶっても、JA8119号が持っていた固
有の古キズが原因となれば世界中の航空会社からの苦情もない。
こうした経済的損益と汚名をはかりにかけ、汚名が選ばれたので
あろうか・・。──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 疑惑は何ひとつ明らかになっていないのに、この事故の関係者
は、誰ひとり罪に問われることなく、事件の幕引きが行われてい
ます。結局、JAL123便墜落事故は、不可抗力の墜落という
単なる航空機事故として片づけられているのです。こんなことで
は、亡くなった520人の無念は拭えないでしょう。
 とくに責任があるのは事故調査委員会です。事故調は、当時の
運輸大臣直轄の政府機関です。その事故調は、事故4日後から最
終報告書にいたるまで、事故原因を説得力に欠ける後部隔壁破壊
と断定し、生のボイスレコーダーですら最後まで公表していない
のです。生音声によるのボイスレコーダーではなく、筆記録での
ボイスレコーダーの公表は、これまでの航空機事故では聞いたこ
とがありません。しかし、生のボイスレコーダーは、いまだに公
開されていないのです。
 このような事故調の頑なな対応から、見えてくるものがありま
す。事故調の委員は、すべてを知っているのではないかというこ
とです。しかし、それを公表することが、立場上できないのでは
ないか。事故調としてはこのような結論しか出せないが、どうか
その報告書から真相を読み取ってほしいと訴えているのではない
かと思うのです。
 そういう観点に立って事故調の最終報告書をていねいに読むと
そこに事件の謎を解く重要なカギが見えてきます。このことは、
そもそもこの事件の疑惑を最初に訴えた『JAL123便墜落事
故真相究明』ほか3連作(文芸社刊)の著者、池田昌昭氏と角田
四郎氏の2人とも同じことを指摘しています。それは、事故調最
終報告書の次の記述の部分にあります。
─────────────────────────────
 事故機の羽田出発から、18時18分28秒までの上昇中の管
制交信記録の音声から推測した機長の精神緊張度は、9段階点の
4〜6の範囲で変動している。この緊張の程度は離陸から上昇と
いう状況下で一般的なものとみられ、この時点で機長が何らかの
異常の発生を感知していた可能性は少ないと思われる。
 事故機のCVR記録は18時24分12秒の「たいとおっしゃ
る方がいらっしやるんですが、よろしいでしょうか」という客室
乗務員による操縦室への機内通話から始まっている。この女性の
音声から計測した精神緊張度は表2のとおり9段階点の3であり
また、その落ち着いた話し振りから、勘案してこの時点で、客室
乗務員が何らかの異常を感知していたという可能性は少ないと考
えられる。この異常とも思えない客室乗務員の申し出に対応した
航空機関士と副操縦士の音声からは、精神緊張度9段階点の5〜
7という通常の飛行状況下ではやや異常とも思える精神的な高ま
りを示す値が推測された。このことから、この時点で同運航乗務
員は精神緊張度が高まるような何らかの異常の傾向を感知してい
たとも考えられる。        
(表2)「精神緊張度9段階」
 段階点(1)〜(3)
 ・正常な状況下において一般的に生じる緊張
 段階点(4)〜(6)
 ・緊急状況には至っていないが、何らかの異常発生時等にお
  いて一般的に生じる緊張
 段階点(7)〜(9)
 ・緊急状況下において生じる緊張
                 ──事故調最終報告書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/013]

≪画像および関連情報≫
 ●JAL123便事故調最終報告書について
  ───────────────────────────
   この事故に関して「疑惑」という著書(早稲田出版)を著
  した角田四郎氏は、事故調査委員会について「事故調査委員
  会は何故、隔壁説をデッチ上げなければならなかったのであ
  ろう。私は委員や調査官個人にその理由があったとは思えな
  い。むしろ、その矛盾に気ずき、心を痛めながらも彼らに及
  んだ大きな力に抗しきれなかった姿を感じてならない」と書
  いている。
   一方、事故調査委員会の武田峻委員長は最終報告書を発表
  した後、記者会見を行い、報告書を70点の出来と自己採点
  し、「これで全てが終わたのではなく、この報告書をもとに
  さまざまな討論、検討を加えて、航空機の安全と事故の再発
  防止に役立ていただきたい。」というコメントを添えた。
   私も当初、亡くなられた人に鞭をあてたくないと思いなが
  らも、事故調査委員会に角田氏と同じように大きな力に抗し
  きれなかった姿を感じ、武田氏のコメントを言い訳と感じて
  いた。しかし、私はこの事故の原因を解明する作業を進めて
  いくうちに、武田氏のこの最後コメントは、氏が真意を語っ
  たものであるということを確信するようになった。確かに報
  告書は「圧力隔壁主犯説」を採っており、全体的にそれを補
  足する構成になっている。しかし、報告書の各論の部分には
  事実を述べている部分も多い。写真や資料などについてもそ
  のことが言える。        https://bit.ly/2wJpcBt
  ───────────────────────────

JAL123便墜落事故/御巣鷹山.jpg
JAL123便墜落事故/御巣鷹山
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2018年09月04日

●「ボイスレコーダーなぜ公開しない」(EJ第4842号)

 航空機事故の原因究明において重要な証拠物件になるのは「ブ
ラックボックス」です。ところで、「ブラックボックス」とは何
でしょうか。
─────────────────────────────
 ブラックボックス(CVFDR) =
 コックピットボイスレコーダー(CVR) + フライトデ
 ーターレコーダー(FDR)
─────────────────────────────
 2つのレコーダーのうち、フライトデーターレコーダーは、搭
載されている航空機の電子システムに送信された命令を記録する
電子機器であり、これを分析することにより、墜落直前に航空機
がどのようなフライトをしていたかがわかります。
 もうひとつのレコーダーで、通称ボイスレコーダーと呼ばれる
ものは、正しくは、コックピットボイスレコーダーといいます。
墜落直前の30分間のコックピット内の機長、副操縦士、航空機
関士の会話や物音がすべて録音されています。
 したがって、これら2つのレコーダーのことをブラックボック
スというほか、「CVFDR」と呼ぶこともあります。とくに、
ボイスレコーダーは墜落直前の肉声なので、事故原因究明のカギ
を握る重要な証拠になります。
 しかし、JAL123便墜落事故の場合、いわゆる生のボイス
レコーダーは、事故調や裁判所は聞いていますが、新聞各紙や週
刊誌、それに関連書籍などに出ているコックピット内でのやり取
りは「筆記録」なのです。つまり、事故調の誰かが「音」を「文
字」に直し、それを公開しています。
 したがって、事故調にとって、都合の悪い部分は、カットでき
ますし、表現を改ざんすることも可能です。機内の衝撃音につい
ても「ドドーン」なのか「ドーン」なのか「パーン」なのか、文
字にすると印象も変わるのです。したがって、関係者は事故調に
対して何回も生のテープの公開を求めましたが、事故調は頑なに
これを拒み、最後まで公開拒否を貫いたのです。
 しかもその筆記録についても、事故調の3回の報告のそれぞれ
において少しずつ表現が違っています。言葉のやり取り以外の音
もテープには収録されているはずですが、筆記録には書かれてい
ないのです。事故調はなぜ公開しないのでしょうか。
 この墜落事件について1988年12月1日に群馬県警は、日
本航空12名、運輸省4名、ボーイング社4名、合計20人を書
類送検しましたが、1989年、20人全員不起訴処分が決まっ
ています。それを受けて、事故調はボイスレコーダーの生テープ
を日本航空に返還しています。したがって、現在JAL123便
墜落事故のブラックボックスは、日本航空の管理下にあります。
それなら、なぜ、公開しないのでしょうか。
 しかし、今度はその日航が生テープの公開を拒んでいます。こ
れについて、一部の遺族による技術会のセミナーで、ゲストとし
て講演をしたことのある現役の日航のパイロットのN・S氏は、
123便のボイスレコーダーの生テープについて次のように述べ
ています。これは青山透子氏が要約したものです。
─────────────────────────────
 乗員側も生のボイスレコーダーの公開について事故調査委員会
に何度も要求してきたが、警察による調査中という理由で、だめ
だった。その後、不起訴が成立したので、生のデータが日航に返
却された。事故調査委貝会のほうからは、刑事事件は不起訴決定
となったため、残骸も日航に返却したし、当委員会とは関係ない
警察の捜査も関係ないので公開するしないは日航の一存です、と
言われた。そこで、会社の判断で公開できるのだから、公開して
ほしいという要請をしたところ、今度はご遺族の手前もあって公
開する訳にはいかないという返事であった。日航は過去の事故時
などは、逆に事故原因を究明するためといって、現場の乗員にボ
イスレコーダー、生のテープを聞かせている。そしてこれは何と
言っているのか、というように原因究明に役立ててきた。それと
比較しても、今回の日航123便墜落については一切聞かせよう
としない。私ども日本航空の機長、副操縦士、航空機関士、あら
ゆる乗員が一緒になつて、真の事故原因を究明しよう、この報告
書はどうも真実じゃない、とオファーをしたのだが、それでも会
社側は一切応じずに逃げている。       ──青山透子著
   『日航123便墜落/遺物は真相を語る』/河出書房新社
─────────────────────────────
 不思議な話です。事故から33年も経過しているのに、日航は
ボイスレコーダーのテープをなぜ公開しないのでしょうか。一体
何を隠そうとしているのでしょうか。テープを公開すると、事故
調の調査の正当性を否定することになるのでしょうか。それなら
今後のために、ぜひ公開していただきたいものです。
 多くの人は、ボイスレコーダーが筆記録でしか公開されていな
いという事実を知らないと思います。今後二度とこのような事故
を起こさないためにも日航は公開すべきです。これについて、青
山透子氏は、次のように述べています。
─────────────────────────────
 1985年以降に日本航空に入社した者が9割以上となつた今
あの時の凄惨な日々を実際に経験した人間はほとんどいない。今
年就任した社長も入社2年前の出来事であり、日航に入社すら決
まっていない時期である。その中で「ご遺族への真撃な対応」を
心がけることは大切であるが、その配慮がボイスレコーダーを聞
かせないということにはつながらない。亡くなった人の中には自
分たちの仲間であった15名も含まれており、自責の念から自殺
した社員がいたことも忘れてはならない。だからといって、身内
をかばうがごとくの見方をしているのではなく、万が一、違う事
故原因であったならば、520名の無念はどうなるのだろうかと
いう思いからの追跡なのである。 ──青山透子著の前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/012]

≪画像および関連情報≫
 ●謎のJAL123ボイスレコーダーは偽装されている
  ───────────────────────────
   過去の航空機事故で、離陸直後や着陸時の事故では生存者
  がいるが、飛行中からの墜落では生存者は一人もいない。生
  存者がいたということは123便は不時着したのだ。日本航
  空123便は4名の生存者が出て、生存者の証言では事故直
  後には他にも多数の生存者がいたという。
   8月12日の18時56分26秒に123便は群馬県多野
  郡上野村の高天原山の尾根に不時着。救護隊が遭難現場を発
  見したのは翌13日の4時で救出が始ったのが8時すぎ。
   1995年8月、当時123便を捜索したロッキードC−
  130輸送機に搭乗していた元在日アメリカ軍中尉は、同機
  が事故現場を特定していたこと、米軍座間基地から飛び立っ
  た救難ヘリが現場に到着していたこと、そして、日本政府が
  この救難作業を断ったことを証言している。
   この元在日アメリカ軍中尉の証言は、生存者の一人の落合
  由美さんの手記とも符合する。何故、撃墜されたか・・・・
  いろいろな説があるのですが・・・政府としては墜落事故を
  装い、誰かを殺したかったことは明白なのです。それを書き
  出すときりがないのでここでは記載しませんが・・・。
   日本航空123便の航空機事故は事故原因の矛盾点に目が
  行きがちだが、生存者がいたことや秘密の筈のボイスレコー
  ダーか意図的に公開という事実からこの事故を分析するべき
  であろう。           https://bit.ly/2wBLsgy
  ───────────────────────────

航空機のブラックボックス.jpg
航空機のブラックボックス
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2018年09月03日

●「垂直尾翼は外から破壊されている」(EJ第4841号)

 JAL123便が墜落した直接的原因は、垂直尾翼が破壊され
たことにあります。1971年7月30日に、岩手県雫石町上空
で、乗客乗員162人を乗せた千歳発羽田行き全日空ボーイング
727機に、訓練飛行中の航空自衛隊のジェット戦闘機が衝突、
全日空機は垂直尾翼を破壊され、空中分解して墜落、乗客乗員全
員が死亡するという痛ましい事故が起きています。
 自衛隊機のパイロットについては、パラシュートで脱出して無
事でしたが、このときも垂直尾翼をやられているのです。このよ
うに、垂直尾翼が破壊されると、航空機にとってはそれが致命傷
になってしまうのです。
 この事故は、すべての責任は自衛隊側にあるとして決着がつい
ていますが、実は、この雫石事故にも重大な疑惑があるのです。
それは、雫石事故とJAL123便事故には共通性があるからで
すが、これについては改めて述べます。
 問題は垂直尾翼が何によって破壊されたかです。これには、次
の2つがあります。
─────────────────────────────
     1.内部からの力で破壊 ・・・ 内部説
     2.外部からの力で破壊 ・・・ 外部説
─────────────────────────────
 ここまで「内部説」で検証してきています。事故調は内部説に
立脚し、後部圧力隔壁の破壊によって垂直尾翼が破壊されたとい
う「隔壁破壊説」を主張し、裁判などではこれで乗り切っていま
す。あくまで隔壁破壊説が原因であり、他の説については、「理
論的根拠なし」や「推論に過ぎない」として退け、とくに外部説
については問答無用で「陰謀論」と極め付けています。
 しかし、隔壁破壊説は、ここまで検討してきただけでもわかる
ように、明らかに説得力を欠いています。どう考えても、主張に
無理があります。ところが、「何かによって垂直尾翼が破壊され
た」という外部説に立つと、誰もが納得できるのです。雫石事故
の場合は、航空自衛隊のジェット戦闘機が、ニアミスによって、
全日空ボーイング727機の尾翼に接触し、垂直尾翼を破壊した
のです。これによって、後部圧力隔壁が壊れ、それが727機内
に急減圧による突風をもたらし、727機は空中分解して墜落し
たのです。
 それにしても14年前に雫石事故という垂直尾翼破壊の航空機
事故という格好のケースがあるのに、JAL123便事故のとき
に事故調はこのケースを無視しています。何が何でも外部説は考
えたくなかったものと思われます。
 これにもっとも近い説を唱えているのは、航空専門家の内藤一
郎氏です。内藤氏は、京都大学工学部航空学科を卒業し、その後
航空大学の教官をしている操縦歴40年のベテランです。その内
藤氏は、垂直尾翼破壊の原因について次のように述べています。
─────────────────────────────
 隔壁犯人説は原因と結果を取り違えていると思います。私は逆
に何かの衝撃でまず垂直尾翼がやられ、その衝撃で隔壁がやられ
たと判断しています。尾翼が隔壁破裂の衝撃波でもぎとられるな
んてありえません。
 いいですか、高度2万4千フィートの外は、0・4気圧です。
機内は0・8気圧程度でしょう。これは高度3千メートルに相当
します。そこで穴があいても、そもそも空気はどんなに速くても
音速(マッハ)以下でしか流れないもんなんです。それに0・8
が噴き出しても、一瞬のうちに圧力は0・6ぐらいに下がってし
まいますから、その衝撃はさらに弱まります。超音速の衝撃波な
んてとんでもありませんよ。(中略)
 隔壁が破れて、機体尾部に空気が充満してその圧力に耐え切れ
ずに垂直尾翼が分解したというのも、機体の尾部には空気が逃げ
出す穴(点検用ドア)がちゃんとついていますから、ありえない
ことです。  ──『週刊新潮』1985年10月10日号より
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 ちょうど同じ時期に、『週刊朝日』は、ボーイング社に対して
次のような電話取材を行っています。
─────────────────────────────
──日本では、後部の圧力隔壁が破壊され、そのために垂直尾翼
 が壊れたという説があるが、そちらはどうみているのですか。
ボ社:その説は、間もなく撤回されたのではないですか。
──そんなことはありません。
ボ社:(前略)私は、2、3日前にその説は、ひっ込められたと
 思っています。日航に当たってください。彼ら(日航)は、そ
 の可能性はないと見放したはずだが。
──圧力隔壁破壊説が強まってきた17日「ボーイング社の調査
 団(訪日中の)が圧力隔壁の破片を調べたが、腐蝕や金属疲労
 の証拠は発見されなかった」と否定の談話がUPI共同通信で
 流れたが、そんなに早く断定できるものですか。
ボ社:彼ら(調査団)が隔壁の破片を調べたところ、「これ(隔
 壁)は衝撃(墜落時等の)によって折れたものと判断できる」
 といっている。 ──『週刊朝日』1085年9月6日号より
                ──角田四郎著の前掲書より
─────────────────────────────
 これは明らかにおかしいです。この時点で日航は、国内向けに
は「隔壁説が有力」と思える見解を出しているのに、ボーイング
社に対しては、これを否定する見解を話しています。明らかなダ
ブルスタンダードです。
 この『週刊朝日』が出た直後の1985年9月7日、「ニュー
ヨーク・タイムズ」紙はボーイング社の「修理ミスの自白声明」
を報道したのです。しかし、この修理ミスは、JAL123便の
事故の原因とは考えられないと述べています。
         ──[日航機123便墜落の真相/011]

≪画像および関連情報≫
 ●全日空機雫石衝突事故/世界の航空事故史に残る大惨事
  ───────────────────────────
   世界の航空機事故史上に残る大惨事が起きたのは昭和46
  年7月30日午後2時すぎだった。事故を知る町民は異口同
  音にいう。「雲一つない、天気のいい、暑い日だった」
   岩手県雫石町の上空約8500メートルで、自衛隊機と札
  幌発羽田行きの全日空機が空中衝突し、旅客機の乗員7人と
  乗客155人の計162人が犠牲になった。
   自衛隊機は宮城県矢本町(現・東松島市)の航空自衛隊第
  1航空団松島派遣隊に所属するジェット戦闘機F86F。操
  縦桿(かん)を握っていたのは訓練生だった。
   教官機と2機編隊で訓練中に、全日空機と空中衝突、ボー
  イング727型機は空中分解した。自衛隊機の訓練生はパラ
  シュートで脱出した。轟音(ごうおん)は東に20キロ以上
  も離れている盛岡市の中心部にまで鳴り響いた。当初は自衛
  隊機の単独事故と思われていた。町役場近くの水田で自衛隊
  機の残骸が発見され、パラシュートで降下する訓練生の姿も
  町内で確認されていたからだ。ところが、事故から間もなく
  自衛隊機と民間旅客機が空中衝突したという衝撃的なテレビ
  ニュースが流れた。町役場の対策本部は騒然となった。町民
  の多くから、飛行機の破片らしき無数の金属片がキラキラと
  光りながら落下していたという目撃情報が寄せられた。午後
  3時すぎ、飛び込んできた町役場の南東約4キロの岩名目沢
  で「複数の遺体発見」の報に対策本部は一瞬、凍り付いた。
                  https://bit.ly/2BY2fjI
  ───────────────────────────

雫石全日空機事故.jpg
雫石全日空機事故
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2018年08月31日

●「墜落直後の日航の不可解な諸行動」(EJ第4840号)

 JAL123便が飛行トラブルに陥っているという最初の情報
を知ったとき、おそらく日本航空の幹部は真っ青になったと思い
ます。何しろ、この飛行機には乗客乗員が524人も乗っており
もし墜落すれば、まず、生存者は望めず、全員死亡という最悪の
事態になると、日本航空として経営上深刻な状況に陥ってしまう
からです。
 まして、日航としての安全対策にミスがあったとすれば、大変
なことになります。したがって、どこよりも早く情報を入手し、
事故調に調査の主導権をとられないようにすることが必要になり
ます。その結果、日航は次の2つの仮説をあえて主張し、事故調
の調査をリードしようとしたのです。
─────────────────────────────
          1.R5ドア破損説
          2. リンク破損説
─────────────────────────────
 「R5ドア破損説」は、日航がカンパニー(日航社内の無線通
信)で入手した情報であり、日航が主導権が取れる情報です。何
らかの原因で、R5ドアが破損し、機内に急減圧が起き、突風が
吹いて、後部圧力隔壁が破壊されたのではないかという説です。
 この場合、R5ドアは落合氏の座っていた「56C」の座席に
近いので、落合氏がR5ドアの破損に気がついていたかどうかを
確認する必要があります。
 「リンク破損説」のリンクとは、垂直尾翼の取り付け金具のこ
とです。この金具が衝撃によって引きちぎれ、垂直尾翼が破壊さ
れたのではないかという考え方です。これも「56C」の席に近
いので、これについても落合氏に確認する必要があります。
 2人の日航の役員が、手術をしてから20時間しか経っていな
い15日午前中に、強引に落合由美氏の病室(そのときは集中治
療室)を訪れたのは、この2つの仮説に深く関係する事実を落合
由美氏に確認したかったのです。
 しかし、落合氏は十分回復しておらず、推測ですが、肝心なこ
とはほとんど聞き出せなかったのではないかと思います。しかし
落合証言は公表されています。これは,落合氏に面会した日航の
2人の役員のメモに基づく証言──第1回の落合証言ということ
になります。これは、8月22日のEJ第4833号でご紹介し
ていますが、以下に再現します。
─────────────────────────────
 私は56Cの座席で雑誌を読んでいた。回りの状況はいつもと
変わりなかったが、(離陸から13分後の)午後6時25分ごろ
「パーン」という音が上の方でした。そして耳が痛くなった。ド
アが飛んだかどうかはわからない。
 床下やその他で、爆発音は聞えなかった。同時にキャビン(客
室)内が真っ白になり、キャビンクルーシート(客室乗務員用座
席)の下のベントホール(差圧調整口)が開く。床は持ちあがら
なかった。ラバトリー(便所)上部の天井もはずれた。同時に酸
素マスクがドロップ。プリレコーデット・アナウンス(あらかじ
め録音された緊急放送)が流れ出した。この時ベルトサインは消
えていなかったと思う。
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 この第1回の落合証言には、日航の仮説に都合の良いウソが混
じっています。まず、いえることは、証言が手術から20時間後
で集中治療室に入っている病人とは思えないほど、理路整然とし
ていることです。これは落合氏を見舞った役員が書いたものと考
えざるを得ないのです。
 日航が確認したかった「R5ドアの破損」については、落合氏
から、何の言及もなく、それに御巣鷹山の墜落現場から発見され
たR5ドアは、ガラスは割れていたものの、R5ドア自体には異
常がなかったことから、「R5ドアの破損」の仮説は完全に消え
ています。
 証言のなかに、「ラバトリー(便所)上部の天井もはずれた」
という表現があります。このラバトリーは落合氏の席に近く、本
当であれば、ラバトリーの天井に穴が空いたことを意味すること
になります。それなら急減圧は起こり、「リンク破損説」を立証
する証拠になるといえます。
 しかし、これについては落合氏は、後にこの証言自体を全否定
しています。角田史郎氏は、次のように述べています。
─────────────────────────────
 後に私が取材した日航のパイロットの一人は、「アレは、まっ
たくの捏造です。日航の誰がやったかも判っています。私は記事
が出た後で落合さんに聞いてみましたが、『私はあんなこと言っ
たおぼえはないわよ』と言っています」と話してくれた。
                ──角田四郎著の前掲書より
─────────────────────────────
 とくに「同時にキャビン(客室)内が真っ白になり、キャビン
クルーシート(客室乗務員用座席)の下のベントホール(差圧調
整口)が開く」の部分は、まったくの捏造であるというのです。
「キャビンクルーシート(客室乗務員用座席)の下のベントホー
ル」は、アシスタント・パーサーである落合氏は教育されておら
ず、知るはずがないのです。それにキャビンクルーシートは、落
合氏の席からは離れているし、ましてその下のベントホールがみ
えるはずがないのです。
 しかし、リンク破壊説は、ラバトリーの天井には穴が開いてい
ないという時点で否定されています。それに加えて、相模湾から
上がった垂直尾翼の一部を見ても、リンクは引きちぎれておらず
仮説として成立しないのです。実際に、その後日航側は何の発言
もしなくなりましたが、これは運輸大臣から、緘口令を敷かれた
と、当時の渡辺広報部部長はいっています。
         ──[日航機123便墜落の真相/010]

≪画像および関連情報≫
 ●御巣鷹山JAL123便の真実
  ───────────────────────────
   ここへ来て御巣鷹山JAL機墜落に関して情報がどっと流
  れ出てきています。このような国家機密の重大事案であって
  も、政権交代による権力の移行につれ、前自民党政権の最大
  の闇として、暴かれ出されて来ています。
   圧力隔壁の破損により尾翼が吹き飛び、ダッチロールしな
  がら迷走して墜落したとされているJAL機のフライトレコ
  ーダーによる交信記録を聞いてください。ただ、当然これは
  政府により捏造されていますから、真実は隠匿され録音から
  消され政府に都合よく作り変えられています。ただ、当時の
  パイロット達の悲痛な叫びが聞き取れ、思わず目頭が熱くな
  り、彼らの無念と絶望の真実を少しでも後世に伝えて行かな
  ければと思っています。この映像による交信記録によれば、
  ほぼマスコミ報道されている通りの状況推移であった事がわ
  かります。しかし多くの不自然な部分や謎の部分が判明して
  きています。
   落合由美さんは日本航空の客室乗務員。当日は非番で12
  3便に乗り合せていました。尾翼が吹き飛んだと時のパーン
  という高い乾いた大きな音は、落合さんの証言の通りですが
  実は、この音の6分前から123便の操縦席では、追尾して
  くる何者かを確認して逃れようと行動を始めているのです。
  ボイスレコーダーなどの分析記録によると、操縦クルーや乗
  客の一部がその謎の飛行物体を目撃しているようなのです。
  事故調査委員会はそういう事実も知ったうえで、あくまで圧
  力隔壁破損が垂直尾翼破壊の原因であることで、決定してし
  まっています。         https://bit.ly/2BPVAI7
  ───────────────────────────

JAL123便の失われた垂直尾翼.jpg
JAL123便の失われた垂直尾翼
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月30日

●「墜落事故直後日航は何を求めたか」(EJ第4839号)

 JAL123便が御巣鷹山に墜落したのは1985年8月12
日のことです。18時56分30秒、羽田、所沢両レーダーから
機影が消えています。しかし、墜落現場の特定は、翌13日の5
時37分、実に10時間30分を要しています。これは、きわめ
て異例なことです。そんなに時間がかかるはずがないからです。
 JAL123便の機影が消えるまでは、レーダーは同機の位置
を把握していたはずです。しかも、同機の多くの目撃情報が、N
HKをはじめとするテレビ局などに寄せられていたのです。しか
も、特定すべき対象は、乗客乗員が500人以上乗っている大型
のジャンボ・ジェット機です。夜とはいえ、その墜落場所の特定
に、なぜ、10時間30分もの時間がかかったのでしょうか。
 生存者が発見されたのは、13日午前10時54分です。11
時30分、フジテレビが、現場から生存者救出の生中継を開始し
ています。そして、14時8分に落合由美氏と吉崎博子氏、14
時12分に吉崎美紀子氏、川上慶子氏の4人は、多野総合病院に
収容され、治療を受けています。
 実は、墜落直後から、日航の調査団とみられる集団が素早く動
き出しているのです。角田四郎氏によると、墜落現場では、警察
が現場検証に入る前に、多くの遺体がころがっている凄惨を極め
る現場に入り、何かを探しているらしく、写真を撮ったりしてい
たといいます。もちろん、許可を得てやっているのでしょうが、
一体何を探していたのでしょうか。
─────────────────────────────
 2015年8月14日、現場からのテレビ中継を見ていた私を
日航がまた驚かせたのである。墜落現場に日航の白いつなぎ服が
うようようごめいている。後の新聞で見ると遺体捜索中の自衛隊
員や機動隊員とは全く異なる行動である。機体の写真を撮ったり
のぞき込んだり。つまり機体の調査を目的に入山しているのであ
る。この時点で彼らの行動に疑問を語るコメントはマスコミには
なかったが、私は腑に落ちない思いがしてならなかった。事故が
日航の不備で起ったか否かはまだわからない。わからないのであ
るから、その可能性もある。にもかかわらず、日航は警察が現場
検証をする前に現場で何かしているなんて・・。それに私はやや
感情的にもなってこう考えていた。「日航という会社は、自分達
が死に追いやった(不可抗力であっても)乗客の屍の前であんな
ことをやるんだ」と。私のイメージの中にあった「大会社日航」
「一流企業日航」、そして「世界に名だたる日航」が、このとき
音をたてて崩れ始めるのを感じていた。
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 そして、生存者4人が多野総合病院に入院してから、20時間
後の15日、午前10時頃、日本航空の役員2人が、落合由美氏
を見舞っています。そのとき、落合氏は、当時まだ日航のアシス
タント・パーサーを務めており、たまたま非番中にJAL123
便に乗っていたのです。しかし、この見舞いもきわめて不自然な
のです。見舞ったという役員は次の2名です。
─────────────────────────────
           松尾 芳郎氏
           真弓 義康氏
─────────────────────────────
 この2人の役員についての情報はありませんが、松尾芳郎氏に
ついては、その後、日本航空取締役から、日本の航空機用内装品
メーカー「ジャムコ」の社長を務めていることから、技術系の役
員であることは間違いないと思われます。真弓義康氏の情報はあ
りませんが、この人も機体のことに詳しい技術系役員でしょう。
もちろん、落合氏にとっては一度も会ったことがない役員である
と思います。
 病院側としては「面会謝絶」を掲げており、家族との面会も許
していない時点です。当時病院には安否を求める家族が2000
人も詰めかけており、ごった返していたのです。そのなかでの見
舞いです。しかし、見舞いというのであれば、上司か同僚がくる
のがスジではないでしょうか。これら2人の役員は、落合氏の上
司でもなければ、職務上も何も関係のない役員であり、落合氏を
見舞うのにはまるでふさわしく人たちです。おそらく会社の都合
で、墜落の状況について、少しでも早く落合氏から、重要な情報
を聞き出したかったものと思われます。病院も日航の役員という
ことで、秘密裡に面会を許したのでしょう。
 しかもお粗末なことに、この秘密の面会がバレてしまい、日航
はメディアに対して、落合証言の一部を公開せざるを得なくなり
ます。これが8月22日のEJ第4833号でご紹介した落合証
言です。しかし、この証言について、落合氏は後日その内容を明
確に否定しています。
 日航は、無理を重ねて落合氏に会い、事故調の頭越しに「リン
ク破壊説」という名の仮説を公表します。事故の当事者が墜落の
原因を事故調とは別に公表するのは、事故調に対して失礼であり
考えられないことです。「リンク破壊説」について、角田氏は次
のように述べています。
─────────────────────────────
 日航が可能性として出した「リンク説」は、修理、点検のミス
でないことを印象づけるために流した根拠のない説として一蹴さ
れてしまった。しかし、日航はこの説を落合証言中にある「トイ
レの上の天井に穴」が開いたことと、相模湾から発見された垂直
尾翼の一部などから垂直尾翼の倒壊を知り、その双方を証明しう
る可能性の一つとして、リンク、つまり、垂直尾翼と機体胴体部
の結合金具の破壊説を唱えたのである。この結合金具も無キズで
発見され、リンク説も消滅したのである。
                ──角田四郎著の前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/009]

≪画像および関連情報≫
 ●日航機墜落事故は今のハイテク機でも起こる/杉江弘氏
  ───────────────────────────
   一般的にアメリカ人のパイロットは世界で起きた大事故に
  関心を寄せ、自分ならどうやって生還を果たすのかを考える
  習慣がある。それは子どものときから、何か問題が起こると
  親が「あなたならどうするの?」と必ず聞くような文化の上
  に成り立っているからなのかもしれない。
   一方、日本では何か事故や事件が起きても、犯人を探し出
  して罰を科すことで終わりにするという文化があり、再発防
  止ということは苦手だ。
   論理的に原因が解明されなければ、再発防止策は打ち出せ
  ないというのは一理あろう。しかし、過去に起きた航空事故
  では原因が特定できなかったり、ブラックボックスを回収で
  きても政治的な要因で公表されず、うやむやにされた事例も
  少なくない。それでも、専門家による分析によって、再発防
  止につながる教訓を見いだすことは不可能ではない。
   近年では「フライトレーダー24」というサイトを見れば
  ブラックボックスの回収以前でも、あるいはそれが発見でき
  なくても、飛行状態のかなりの部分が解析できて、再発防止
  の上での教訓を得ることもできるようになった。日航機事故
  の原因は、圧力隔壁の破損による減圧によって起きた垂直尾
  翼と油圧ラインの損傷だとする航空事故調査委員会の見解や
  機体固有のトラブル、あるいは都市伝説となった自衛隊や米
  軍による撃墜説などいろいろいわれてきた。では、真相はど
  こにあるのか。         https://bit.ly/2MTCp4u
  ───────────────────────────

JAL123便墜落事故/救出される生存者.jpg
JAL123便墜落事故/救出される生存者
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2018年08月29日

●「R5ドア崩壊説はなぜ消滅したか」(EJ第4838号)

 JAL123便の機内では、それほどひどいものではないもの
の、急減圧が起きたことは確かです。問題は、その急減圧の原因
が何かです。これに関して、「R5ドア説」というものがありま
す。それは、8月27日に発表されたボイスレコーダー筆記録の
なかにみられます。客室内のスチュワーデスかパーサーと航空機
関士との対話です。
─────────────────────────────
◎18時33分12秒
 チャイム(インターフォンの呼び出し)
 スチュワーデス:アール・・・(聞き取り不能)
 航空機関士:アールファイブ(R5)の窓ですか。はい了解し
 ました。わかりました。
◎18時34分06秒
 副操縦士:カンパニーでお願いします。
 航空機関士:はい、了解しました。
◎18時35分34秒
 航空機関士:ええとですね。いま、あのー。アールファイブの
 ドアがあのー。ブロークンしました。えー
◎18時35分53秒
 カンパニー:キャプテンのインテンションとしては、リターン
 ・トゥー・東京でしょうか?
 航空機関士:はい、なんですか?
 カンパニー:羽田に戻ってこれますか。
 航空機関士:えーっと。ちょっと待って下さい。今エマージェ
 ンシー・ディセント(緊急降下)してますので・・・
◎18時36分04秒
 航空機関士:もう少ししたら再びコンタクトします。このまま
 モニター(監視)しておいてください。
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 ボイスレコーダーは、コックピット内の機長、副操縦士、航空
機関士同士の会話やその他の音、客室乗務員からのインターフォ
ンでの連絡などを30分間録音します。上記の対話は、客室乗務
員が、アールファイブの窓かドアについて、航空機関士に情報を
伝えています。なお、客室乗務員は次の順番で昇進します。
─────────────────────────────
   スチュワーデス → アシスタント・パーサー →
   チーフ・パーサー
─────────────────────────────
 ボーイング747において当時の日本航空では、2階席を含め
客席内を6区画に分け、さらに左右にそれぞれ客室乗務員を配置
してサービスを行っています。「R5」というのは1階席の一番
後ろの区域の右側をあらわしています。JAL123便の客室乗
務員の配置図を添付ファイルにしています。
 上記の対話は、R5担当のスチュワーデス(大野美紀子氏が担
当)が、自分の持ち場のR5の「窓」の異常を発見し、インター
フォンでコックピットの航空機関士に連絡を入れたのではないか
と思われます。
 しかし、コックピットでは、例の「ドドーン」の衝撃音が起き
た直後であり、混乱しており、よく聞き取れなかったようです。
そのためか、航空機関士は「R5の『ドア』がブロークンして」
と機長に伝えています。「窓」と「ドア」を間違えています。そ
して、対話に入っていませんが、降下とコックピッドでの酸素マ
スクの使用を提言しています。
 この対話から推測されることは、R5の「窓」が何らかの原因
で壊れ、それによって客室内の急減圧が起きたのではないかと思
われます。
 その後の副操縦士の「カンパニーでお願いします」は、日航社
内の無線交信とつないでくれという意味です。したがって、18
時35分34秒以降の対話は日航の社内無線とのやりとりです。
この部分は、後日日航側から提供されてわかったのです。ここで
も「アールファイブの『ドア』が・・・」になっています。
 この「R5ドア破壊」について、角田四郎氏は次のように述べ
ています。
─────────────────────────────
 日航が事故機との交信で伝えた「R5ドア、ブロークン」で、
当初事故原因がこのR5ドア(最後部右側ドア)にあると思われ
たが、墜落現場からR5ドアが無キズ(窓ガラスは破損)で発見
され、落合証言でR5ドアには触れられていない(R5の異常が
あれば落合さんも気付くはず)ことに加え、13、14日には相
模湾から垂直尾翼の一部や胴体最後部の補助動力装置(APU)
の一部が回収されたことでR5ドアの原因説は否定された。
                ──角田四郎著の前掲書より
─────────────────────────────
 しかし、実際にはドアではなく、ドアの「窓」だった場合は、
落合氏が気づかなかった可能性があります。実際にドアには異常
がなく、窓は壊れていたのです。墜落の衝撃で壊れたと思われま
すが、落ちる前から壊れていたとも考えられるからです。窓の破
壊であれば、それによるある程度の急減圧は起きるし、そのレベ
ルは生存者の証言とも一致します。また、それにより、酸素マス
クも下がってきているのです。
 それでも、「R5ドアの『窓』の破壊」が、なぜ、取り上げら
れなかったかについては、内部説を主張するには、ドアならとも
かく窓の破壊では、垂直尾翼の破壊の説明ができなくなるからで
はないかと考えられます。何か内部説にとって都合の悪い情報は
意図的に外されている操作がそこに感じられます。実は生存者の
落合証言についても何らかの操作が加えられているフシが多々あ
るのです。落合氏がいってもいないことが早い段階で流布されて
いるのです。   ──[日航機123便墜落の真相/008]

≪画像および関連情報≫
 ●明石家さんまが日航機墜落事故を免れた訳
  ───────────────────────────
   1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分
  東京(羽田)発大阪(伊丹)行JAL定期123便ボーイン
  グ747SR−46が群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根
  に墜落した単独機では世界最大の飛行機事故。
   当時生まれてない方でも、テレビなどでこの事故のことを
  知ってる方は多いと思います。この事故では乗員乗客524
  名が搭乗していたが墜落によりその内の520名が犠牲とな
  りました。
   犠牲者の中には歌手の坂本九さん、阪神タイガース球団社
  長中埜肇さん、元宝塚歌劇団の北原瑤子さん、ハウス食品社
  長の浦上郁夫さん、コピーライターの藤島克彦さんら数名の
  著名人や、甲子園球場で行われていた夏の高校野球を見に、
  1人で搭乗していた小学生なども含まれていました。
   そんな事故ですが実はこの事故の起きた便にさんまさんも
  搭乗する予定だったんです。当時さんまさんは人気生ラジオ
  番組「MBSヤングタウン」にレギュラー出演しており大阪
  へ生放送に行く際は以前から日本航空JAL123便を使用
  しておりました。そして、その事故当日もその123便を使
  用する予定だったそうです。が、大阪への移動の前に収録し
  ていた「オレたちひょうきん族」が予定よりも早く終了した
  ため123便をキャンセルして、ひとつ前のANA35便で
  大阪に向かったと言われています。そして、あの事故が起き
  ました。            https://bit.ly/2BNiDmR
  ───────────────────────────


 ●図出所/──青山透子著/河出書房新社/『日航123便/
  撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』

JAL123便客室乗務員配置図.jpg
JAL123便客室乗務員配置図
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2018年08月28日

●「減圧の突風で垂直尾翼は壊れない」(EJ第4837号)

 ボーイング社は、自社にとって不利になる「隔壁の修理ミス」
の情報をなぜ進んで日本の事故調に通告したのでしょうか。
 それは、JAL123便の墜落事故が、当時世界中で使われて
いた人気機種ボーイング747特有の欠陥によるものではなく、
7年前にしりもち事故を起こした特定の機種の事故であることを
世界に発信したかったからです。
 しかし、事故調は、1985年8月27日の第1次中間報告で
は、そのことに言及しなかったのです。この修理ミスについて、
NTSB調査官のシュリード氏から説明を受けた事故調調査官の
藤原洋氏は次のように述べています。
─────────────────────────────
 たぶん修理ミスだろうとわかっていても、最終報告書でないと
書くわけにはいかない。「修理ミスがあった」なんてあの段階の
中間報告では書けない。中間報告はあくまで疲労亀裂がこうこう
あったという事実関係を書くしかない。それを読んで類推しても
らうしかない。              ──藤原洋調査官
      ──堀越豊裕著『日航機123便墜落最後の証言』
                    平凡社新書/885
─────────────────────────────
 事故調が修理ミスを取り上げないので、シュリード氏は、NT
SBのバーネット委員長に相談したところ、「ニューヨークタイ
ムズにリークしたらどうか。ただし、NTSBからの情報である
ことは伏せるよういってくれ」と命令されたといいます。そこで
シュリード氏は、ニューヨーク・タイムズの知り合いの記者に電
話し、1985年9月6日付のニューヨーク・タイムズ紙に次の
タイトルの記事が掲載されたのです。
─────────────────────────────
  日本の航空事故で手掛かり発見/7年前の事故が原因か
  ──1985年9月6日付、ニューヨーク・タイムズ紙
─────────────────────────────
 JAL123便の墜落としりもち事故とその修理ミスを関連付
ける記事です。日本の各紙は、あわてて翌日の夕刊一面で報道し
ています。以後の事故調の報告は、この修理ミスをベースとする
「圧力隔壁破壊説」一色になっていくのです。
 事故調の見解は、何らかの原因でJAL123便客室内に急減
圧が起き、客室内の与圧された空気が一気に吹き出し、後部圧力
隔壁を破壊するとともに、垂直尾翼も吹き飛ばしたという内部説
に立脚しています。
 そうであるとすると、頑丈な圧力隔壁を破壊し、垂直尾翼まで
吹き飛ばすようなもの凄いパワーの風が客室内を吹き抜けたこと
になります。立っている人が何人も吹き飛ばされるような突風で
すから、荷物なども一緒に吹き飛んだと思います。しかし、もっ
とも後部圧力隔壁の近くの「56C」の席に座っていた生存者の
落合由美氏の証言では、そんな突風など吹いていないのです。落
合氏の証言を再現します。
─────────────────────────────
 (「パーン」という)ピストルを撃ったように響く音だったと
思う。自分の席の後ろの天井あたり(機首に向かって左側後部側
面上部、最後尾トイレ付近の壁上部)から聞こえたように思った
が、振動は感じず、揺れもなかったと記憶している。酸素マスク
が自動的に落ち、録音されたアナウンスが自動的に「ただ今緊急
降下中」と流れたが、耳は多少詰まった感じで痛くなく、それほ
どの急降下は体に感じていなかった。一瞬白い霧が発生したが、
まもなく消えた。ハットラックという頭上の荷物収納扉が開くこ
ともなく、機体の揺れはほとんど感じなかったため、各スチュワ
ーデスたちは持ち場のお客様の様子を確認し、酸素マスクをつけ
る手伝いをしながら、通路を歩いていたことが遺族提供の写真か
らもわかる。         ──青山透子著/河出書房新社
  『日航123便/撃墜の新事実/目撃証言から真相に迫る』
─────────────────────────────
 この落合証言によると、何かが壊れて軽い減圧はあったものの
「振動は感じず、揺れもなかった」とし、「頭上の荷物収納扉が
開くこともなく、機体の揺れはほとんど感じなかった」といって
います。少なくとも後部圧力隔壁を吹き飛ばすような凄い突風が
客室内を吹き抜けたという状況は、落合証言からは感じとること
はできないのです。
 航空機客室内で何かが原因で急減圧が起こり、それによる突風
が起きたとしても、それが垂直尾翼を破壊する力などないと明言
する学者の証言が当時の週刊誌に載っています。次の2人の学者
のコメントです。
─────────────────────────────
◎東京大学工学部・航空構造力学/小林繁夫教授
 隔壁から噴き出た空気が垂直尾翼を壊すことなど力学的に絶対
ありえない。内と外の圧力差はせいぜい0・4気圧ぐらいだから
てっぺん(垂直尾翼)のプラスチック製おおいを飛ばすぐらいの
力しかない。(中略)隔壁が全部そっくり破壊されたのなら別だ
が、現場でみつかった隔壁の写真を見る限りかなり小規模な破壊
しか起きていないようだ。生存者も、吸い出されるような強い風
を感じていないことからすると、空気はかなりゆっくりした速度
で外へ抜けていったのではないか。
        ──『サンデー毎日』/1985年9月8日号
◎東京大学工学部・航空工学佐藤淳教授
 (前略)果してこの程度の気圧差と直進するはずの空気の流れ
を考えると、風圧が垂直尾翼を吹き飛ばしたり、また、バーンと
いう音が出るのかどうか、はなはだ疑問である。
       ──『週刊サンケイ』/1985年9月19日号
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/007]

≪画像および関連情報≫
 ●急減圧は事故調によって創作されたもの
  ───────────────────────────
   事故調は、JA8119号機の事故原因を、後部圧力隔壁
  が損壊し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統に損壊
  が生じたため、と「圧力隔壁主犯説」を採っている。しかし
  この「圧力隔壁主犯説」は事故調のオリジナル・シナリオで
  はなく、この事故を圧力隔壁の修理ミスによる特異な事例と
  して処理することを狙ったアメリカの原案によるものであっ
  た。その辺の事情について、日本経済新聞は、事故発生1年
  後の86年8月25日の朝刊で「後部圧力隔壁の破壊に続い
  て起きた垂直尾翼などの空中分解の全容が24日、明らかに
  なった。米側がコンピューター解析をもとにまとめ、事故調
  に提出したものである」と伝えている。
   事故調は、この「圧力隔壁主犯説」を採用したために、必
  然的に起きる急減圧をデッチアゲなければならなくなった。
  本章では、報告書がいうように圧力隔壁が損壊し、急減圧が
  発生した場合、当然、操縦室と客室において起こる現象と、
  相模湾の上で事故が発生したとき、実際に事故機の機内で起
  こっていたことがらを比較し、本当にJA8119号機に急
  減圧が発生していたのか、否かを、事故調査報告書をはじめ
  公表された資料をもとに検証する。報告書は、修理ミス部を
  起点として圧力隔壁が損壊したことがこの事故の発端である
  としている。          https://bit.ly/2P4YDxP
  ───────────────────────────

後部圧力隔壁の修理ミスの部分.jpg
後部圧力隔壁の修理ミスの部分
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2018年08月27日

●「なぜ、原因は圧力隔壁破壊なのか」(EJ第4836号)

 高々度を飛行する航空機には、人のいる区域には、地上と同じ
1気圧の「与圧」が必要です。これを「与圧区域」といいます。
しかし、人が立ち入らない区域まで与圧する必要はなく、その区
域を「非与圧区域」といっています。
 その与圧区域と非与圧区域を隔てる機体設備を「圧力隔壁」と
いい、航空機の前後に設けられています。圧力隔壁は、圧力に耐
えうる頑丈さが求められますが、その外側に位置する非与圧区域
は、与圧に耐える強度を持たせる必要はないので、これによって
飛行機全体の軽量化を図ることができます。
 しかし、圧力隔壁が破れたさいに、与圧に耐えられない部分が
破壊する恐れがあるので、隔壁のうしろの構造に圧力を逃すため
の安全弁などを設ける必要があります。第1次中間報告の事故調
の見解は、何らかの原因で機内に急減圧が起こり、それによって
後部圧力隔壁が吹き飛び、垂直尾翼を壊したというものです。
 航空機の尾翼部分の構造図を添付ファイルにしてあります。後
部圧力隔壁の位置を確認してください。隔壁の上部には垂直尾翼
があり、確かに何らかの事情で機内の与圧区域に急減圧が起こり
その勢いで後部圧力隔壁が破壊された場合、それが垂直尾翼に重
大な影響を与えることは十分あり得ることです。
 しかし、その急減圧がなぜ起きたのかが、明確になっていない
のです。これについて角田四郎氏は次のように述べています。
─────────────────────────────
 客室内の与圧空気が機体のどこから流出し、減圧が起こったの
か、まだ判っていない。それどころか生存者の証言から急減圧は
なかったとする意見や、ごく小さな減圧と見る専門家も多い。仮
に事故調のいうとおり、たいへんな急減圧があったとしても、そ
れが機の操縦性を奪った事故の主因であるとなぜわかるのか。な
にか他に原因があり、その結果として急減圧に至った可能性を全
くさぐろうとしないのはなぜなのか。ともあれ、この段階で事故
調査委貞会の原因究明は、隔壁説一本に早くも絞られていく。し
かも、それに見合った発見や発表がなぜかその後矢継早に登場す
るのである。 ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 なぜ、事故調が圧力隔壁破壊説にこだわったのか──その一つ
の根拠とされるものに、JAL123便に就航したJA8119
号機の「前科」があります。それは1978年に起きています。
 1978年6月のことです。JA8119号機は、大阪国際空
港(伊丹市)に着陸するさい、仰角を大きく取り過ぎて、機体後
部を滑走路にぶつけるという事故を起こしています。明らかな操
縦ミスです。これは「しりもち事故」といわれています。
 これによって、JA8119号機は、機体後部下方を著しく損
傷し、内部の圧力隔壁の取り付けフレームなどにゆがみが生じ、
隔壁の下部が変形してしまったのです。これについては、米ボー
イング社の専門スタッフを米国から招いて、隔壁下部の取り替え
修理などを行い、運輸省の検査をパスして再び就航していたので
す。御巣鷹山の墜落事故はその7年後に起きています。
 このしりもち事故のことは、JAL123便がダッチロールし
ている時点で、既にテレビで何回も報道されており、私の記憶に
も残っています。事故調も早くから、しりもち事故で飛行機の後
部を損傷したことと、後部圧力隔壁破壊は関係があると考えてい
たことは確かです。しかし、墜落の2週間後の8月27日に行わ
れた事故調の第1回の中間報告では、後部圧力隔壁破壊がこの事
故の主因であることを公表しています。
 実はこのとき、米運輸安全委員会(NTSB)の幹部、ロン・
シュリード氏をチーフとする調査チームと、ボーイング社の調査
チームが日本にきていたのですが、日本の事故調との間がうまく
いっていなかったといわれています。このことは、元共同通信記
者の堀越豊裕氏の本に次のように出ています。
─────────────────────────────
 事故調は、どかどか乗り込んできた米国の調査チームを快く感
じていなかった。自分たちで調査をやり遂げたいという思いが強
かったのだろう。八田らは戦前、米国に勝つための航空機開発に
明け暮れ、敗戦後はしばらく一切の航空機研究の機会を米国に奪
われた。刑事捜査の対象になり得るボーイングはもとより、NT
SBについても現地入りに慎重な姿勢を崩さなかった。
      ──堀越豊裕著『日航機123便墜落最後の証言』
                    平凡社新書/885
─────────────────────────────
 堀越氏の本によると、JAL123便墜落事故が起きたとき、
米国はテロを疑い、事故調査官のジョージ・サイドレン氏を日本
に派遣したのです。しかし、テロではないことはすぐわかったの
ですが、このサイドレン事故調査官が大変横柄で、日本の事故調
とぶつかったのです。このサイドレン氏について、ロン・シュリ
ード氏は「日本人といまだに第2次世界大戦を戦っているように
見えた。困った男だった」といっています。それに事故調は、独
自に日本に乗り込んできたボーイング社の調査チームともうまく
いっていなかったといいます。
 しかし、シュリード氏の働きによって、米NTSB調査チーム
は、ボーイング社の調査チームと一緒に御巣鷹山の現場に入るこ
ができています。8月22日と24日のことです。その御巣鷹山
の現場での調査によって、シュリード氏は圧力隔壁にボーイング
社の修理ミスを発見し、そのことを日本の事故調で現場キャップ
を務める調査官の藤原洋氏に伝えています。つまり、この墜落事
故は、しりもち事故を起こしたJA8119号機を修理したさい
の修理ミスが原因であることを告げていたのです。
 しかし、この報告は、事故調の第1次中間報告では、無視され
ています。不可解なのは、なぜ、ボーイング社は、自らが不利に
なる修理ミスをあわただしく認めたのでしょうか。きわめて不自
然です。     ──[日航機123便墜落の真相/006]

≪画像および関連情報≫
 ●日航ジャンボ機墜落事故30年目の真相/2015年
  ───────────────────────────
   何気なくTVを見ていたら、日航ジャンボ機墜落事故30
  年の真相という番組がやっていた。ずいぶん昔の事で、うろ
  覚えだが、事故直後は、触れられていなかった事もあり、あ
  らためて見て、そうだったのかと知った事もありました。
   私だけの認識かもしれないが、事故直後ほかにも生存者が
  いた事などは当時あまり大きく報道されていなかったような
  気がする。それ以上に驚いたのは隔壁の継ぎ板の件である。
  当時、事故原因は隔壁の金属疲労といっていたような気がす
  るが、修理ミスと言うのは知らなかった。
   当時すでにわかっていたことなのだろうが、私が気づかな
  かっただけかもしれないが、修理ミスと言うのは、あまり大
  きく報道されていなかったような気がする。隔壁の修理指示
  書には継ぎ板は1枚もので書かれいたにもかかわらず、実際
  は継ぎ板は2枚に分かれて取り付けられており、継ぎ板とし
  ての役目を果たしておらず、強度不足になっていたことで、
  応力が集中して破壊に至った、と事故の真相を報じていた。
   しかし修理を担当した米国のボーイング社は、事故後1か
  月足らずでミスを認めたが誰が何故ミスを犯したかは明かさ
  なかった。修理の実態に呆れながらも、外務省を通して群馬
  県警がボーイング社に乗り込み捜査に乗り出したが、門前払
  いで捜査にはならなかったらしい。報道では初めて、この修
  理を担当した一人と連絡が取れインタビューをしていたが、
  その修理担当は修理ミスではない、継ぎ板は最初から2枚に
  分かれていた、通常の事だと訳されていた。
                  https://bit.ly/2OY5MAb
  ───────────────────────────

航空機尾翼部分名称.jpg
航空機尾翼部分名称
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月24日

●「事故直後から出た『隔壁破壊説』」(EJ第4835号)

 事故調査委員会(事故調)とは何でしょうか。
 日航機事故の発生当時は、当時の運輸省に「航空事故調査委員
会」と「鉄道事故調査委員会」という常設の委員会が置かれ、そ
のほかに海難審査庁の調査部門があったのです。2008年10
月から、これらの3つが統合され、独立行政委員会として「運輸
安全委員会」が設置されています。
 日航機事故発生当時の事故調のメンバーは次の通りです。当時
委員会は、委員長のほか委員4名、任期は3年であり、2期務め
ることが慣例となっていました。
 JAL123便事故の調査は、1987年6月に最終報告書を
出すまでは、次の2つの委員会で調査が行われていたのです。
─────────────────────────────
 ◎1985年09月以前の委員会のメンバー
   委員長:八田 桂三 東大名誉教授
    委員:榎木 善臣 元運輸省航空局審議官
    委員:糸永 吉運 元アジア航空顧問
    委員:小一 原正 元運輸省航空局参事官
    委員:幸尾 冶朗 東海大教授
 ◎1985年10月以降の委員会のメンバー
   委員長:武田  峻 元航空宇宙技術研究所所長
    委員:榎木 善臣 元運輸省航空局審議官
    委員:西村  淳 日本空港動力且謦役
    委員:幸尾 冶朗 東海大教授
    委員:東   昭 東京大教授
       ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
      /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
─────────────────────────────
 このJAL123便墜落事故が、33年経過後の現在でもその
原因がわからないでいるのは、生のボイスレコーダーのすべてが
公開されていないことにあります。そのすべてを握っていたのは
事故調のメンバーであり、現在この事故の関連書などで書かれて
いる音声記録は、あくまで一部であって、編集されている可能性
もあります。
 JAL123便のボイスレコーダーとフライトレコーダーは、
8月14日に発見ました。ボイスレコーダーの収録時間は30分
で、午後6時30分以降のコックピット内での会話、計器の警報
音、異常音などの各種録音が収録されているはずです。
 事故調によると、レコーダーの箱の外部の損傷がひどく、なか
のテープを取り出せない状況であり、テープを再生するのは、早
くても8月16日以降になるといっているのです。
 しかし、ボイスレコーダーの音声を誰も聞いていない16日の
時点で、メディアは一斉に「隔壁破壊説」が事故原因ではないか
と報道しています。16日付の毎日新聞の朝刊は、次のように報
道しています。
─────────────────────────────
 運輸省航空事故調査委員会と群馬県警捜査本部は15日、現場
検証で、尾翼下にあるアフターバルクヘッド(隔壁)が爆風をう
けたように破損していたことを確認した。このため、隔壁が客室
内の与圧された空気に耐えられず破壊したとの見方が有力となっ
てきた。隔壁が壊れると客室内の空気が爆発的に尾翼内に噴き上
げ、内部から垂直尾翼を分解させると専門家は指摘しており、救
出されたアシスタントパーサーの証言とも一致している。隔壁が
壊れたのは1978年の尻もち事故などで金属疲労、微細な亀裂
などの劣化が進んでいたことに起因するものともみられる。
           1985年8月16日付、毎日新聞朝刊
               ──青山透子著/河出書房新社
   『日航123便墜落/疑惑のはじまり/天空の星たちへ』
─────────────────────────────
 問題はたくさんあります。とにかく、あまりにもメディアの報
道が早過ぎることです。事故後2日か3日しか経っていないのに
どういう意図かわかりませんが、事故原因を「隔壁破壊説」に決
めていて、それを中心にストーリーを組み立てようとしているよ
うに感じるのです。
 それに、新聞では「内部から垂直尾翼を分解させた」という専
門家の意見は、生存者である落合発言と一致すると極め付けてい
ますが、どの時点のどのような落合発言であるかは、はっきりし
ないのです。落合発言は、公式には3回出されています。
 第1回の発言は、救出後、20時間後に日航の役員2人が落合
氏を見舞い、いくつかの質問をして、聞き出した情報を役員がメ
モしたものです。
 そのとき、病院としては面会謝絶としていたのに、日航の役員
2人に面会を許していることを知った某社の記者が病院側に抗議
し、事故調も面会できるなら事情聴取したいと要求してきたので
病院側は一定の条件を付けて、面会を許可したのです。
 一定の条件とは、8月16日午前中に30分ずつ、質問項目を
落合氏に見せ、それに答えてもらう形式で実施されたのです。こ
れが第2回目の発言とされるものです。しかし、この無理な事情
聴取によって落合氏は発熱が続いてしまったといいます。
 第3回目の発言は『新潮45』1986年1月号に掲載された
落合氏の記事です。これはかなり長文であり、詳細を極めていま
す。しかし、この記事を読むと、第1回と第2回の発言とは食い
違う部分もあり、これについては改めて検証します。
 上記の毎日新聞の記事は、8月16日付であり、2回目の落合
発言前の記事ということになります。日航の役員が落合氏から聞
き取って、後でメモした第1回の発言に基づいているものと考え
られます。しかしかなり無理な聞き取りであり、信憑性がどこま
であるかは疑問です。それにしても、16日の時点で早くも「隔
壁破壊説」が主たる事故原因として出てきているのは、極めて異
常なことであるといえます。
         ──[日航機123便墜落の真相/005]

≪画像および関連情報≫
 ●御巣鷹の屋根へのレクイエム
  ───────────────────────────
   報告書で「どーん」と書かれた爆発音みたいな音は、オリ
  ジナルに近いと、フジテレビが主張するボイスレコーダをコ
  ピーしたテープを最新技術で分析すると3つだった!
   3つの破壊音を分析すると、まず一番目の音で圧力隔壁が
  壊れ、2番目に垂直尾翼が吹き飛び、3番目の音でAPU部
  が脱落したそうな!コクピットの音を録音したボイスレコー
  ダーに記録された一番目の破壊音には0・135秒の遅れが
  あり、操縦席のマイクに機体を伝わったのと機内の空気から
  伝わった同じ音が記録された事になってましたが、コクピッ
  トの扉はそんなに薄かったとでも!しかもジャンボ機のコク
  ピットは2階です!
   音の遅れを計算すると、中間には圧力隔壁があるんだそう
  な!あの報道での計算通りなら圧力隔壁の後ろです!機体の
  金属部の伝播から位置を導き出したとされてましたが・・・
  あれじゃ第一の破壊音を無理やり圧力隔壁にするだけの「最
  初に結論ありき」ジャン!(大苦笑)
   私の推論、最初にAPUの損傷がこの報道特番で覆された
  訳ですが、残念ながらこの説には到底納得出来ませんね!逆
  にますますドラマ化された映像を見て、最初の衝撃音が「A
  PU」だったという思いが強くなっています!最初にAPU
  が飛び散ると、次には支えを失った重い劣化ウランを操舵部
  に使う垂直尾翼が圧力隔壁で跳ね返された衝撃波で簡単に崩
  落します!圧力隔壁はいきなり高高度の低圧に直接触れるの
  で、落合さんが言ってるように、「パーン」と小さい亀裂が
  入ったと考えるべきではないのでしょうか?
                  https://bit.ly/2LkYzI0
  ───────────────────────────

飛行機の後部隔壁.jpg
飛行機の後部隔壁
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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