2018年12月17日

●「中国の『国家情報法』の恐ろしさ」(EJ第4912号)

 一体ファーウエイの何が問題なのでしょうか。
 野村総合研究所セキュアテクノロジーズの時田剛氏によると、
ファーウェイの製品に仕様書にないポート(通信の出入り口)が
見つかった例があるそうです。つまり、ハードウェアに仕掛けが
施されているようです。以下、時田氏と日経記者のやり取りを引
用します。
─────────────────────────────
記者:ファーウェイ製品による情報漏洩の被害は実際に起ってい
 ますか。
時田:実害は断定できないが、これまでに何度か深刻な問題が見
 つかっている。例えば、通信機器に仕様書にないポートが見つ
 かった例がある。インターネットで外部と通信が可能なため、
 不正にデータを盗み出すバックドア(裏口)に悪用できる。た
 だ、それがファーウェイの故意かどうか分からない。開発時の
 設定作業に利用していたポートを停止せずに製品を出荷したと
 しても不思議はない。
記者:バックドアを使うと、どんな情報を取得でき、何ができる
 のですか。
時田:携帯電話の基地局を例にとると、基地局を経由するスマー
 トフォン(スマホ)の端末識別用の情報や通信の宛先情報がわ
 かる。悪用すれば、政府の要人がどこで誰とやり取りしている
 のかなどを特定できる。
  企業の拠点に設置するネット接続用のルータ−などは、設定
 次第で社内ネットワークに流れるあらゆる情報を取得できる。
 機密性の高い情報技術を盗まれるなどの被害が考えられる。
記者:最新技術を使って、そうした機器を見つけ出せないのでし
 ょうか。
時田:難しい。全ての製品を検査するのは不可能だ。しかも最近
 の不正プログラムは、特定の時間しか動作しないなど、手が込
 んでいる。どこまで検査すれば安全なのかというゴールを設定
 できない。  ──2018年12月12日付、日本経済新聞
─────────────────────────────
 ファーウェイ副会長逮捕の背景に、中国政府が2018年6月
に施行した「国家情報法」なる法律の存在があります。この法律
は、国家の安全保障強化のため、国内外の「情報工作活動」に法
的根拠を与えるもので、2017年12月に全国人民代表大会で
審議入りし、2018年6月27日に採択されています。
 国家主権の維持や領土保全などのため、国内外の組織や個人な
どを対象に情報収集を強める狙いが考えられます。国家安全局員
を外国に派遣し、彼らに中国の国家機密を漏洩する恐れのある人
物を監視、調査する権限を与えることも、この法律ならすべてが
可能になります。ひどい話です。
 また、この法律によると、例えば、ファーウェイが全くその気
がなくても、国家のためであれば、製品に細工を施し、情報を盗
み出すこともしなければならないことになります。民主主義国家
では考えられないことですが、この法律なら、その国の法律を無
視して、やりたい放題ができることになります。
 習近平国家主席は、「国家安全法」、「反テロ法」、「反スパ
イ法」、「NGO管理法」、「インターネット安全法」といった
法律を次々と制定し、国家としての管理・規制を強めています。
習近平政権のこのような対応に対し、トランプ政権は、関税引き
上げを武器として、その対抗措置をとったのです。
 米国のトランプ大統領は、2018年8月13日、2019会
計年度(18年10月〜19年9月)に戦費を含め計7160億
ドル(約80兆円)の国防予算を計上する「国防権限法案」に署
名し、同法は成立しています。米メディアによると、国防予算は
この9年間で最大規模になります。トランプ大統領は、東部ニュ
ーヨーク州のフォートドラム陸軍基地で大勢の兵士を前に署名式
を開き、巨額の予算確保で「米軍再建」重視を強調しています。
 この法律のなかで、米政府機関とその取引企業に対し、中国情
報通信大手のファーウェイやZTEの機器を使うことを禁止する
など、対中強硬姿勢を鮮明にしたのです。中国外務省の陸慷報道
局長は、国防権限法に「強烈な不満」を表明、「冷戦思考とゼロ
サムゲームの理念を捨て、正確かつ客観的に両国関係を扱うよう
米国側に促す」とコメントを発表しています。
 このような状況において、カナダでファーウェイの副会長が逮
捕されたのです。そして米国は、日本を含む同盟国にも中国通信
企業の製品を使わないよう要請しており、この動きは今後拡大す
るものと思われます。既に日本は米国の要請に答える措置をとっ
ており、ソフトバンクをはじめとする通信大手企業はその対応を
急いでいます。
 つまり、米国はちゃんと国防権限法の法令にしたがって、孟晩
舟容疑者の身柄の米国への引き渡しをカナダに対して求めている
のです。こうなってくると、米国のこうした対中国強硬姿勢が、
休戦どころか、容易には収束する可能性が低いことがわかると思
います。トランプ政権は本気です。
 何しろファーウェイは、通信基地局で世界シェア第1位、スマ
ホで2位、半導体だけで年間調達額は1・5兆円を超え、日本企
業からも5000億円規模の部品を購入しているのです。したが
って、ファーウェイ排除の動きがさらに加速すると、そのサプラ
イチェーンを担う日本や米国の企業にとって、大きな打撃になる
ことは確かです。
 かつての東西冷戦の時代と異なり、米国、中国という2大経済
大国がそれぞれ「自国第一」で確執を強めると、結局、国境を超
えて互いに依存し合うグローバル企業に犠牲を強いることになる
のです。これらのグローバル企業は、国家間の安全保障をめぐる
「地政学リスク」を突き付けられていることになります。そもそ
も超大国が覇権を求め、対立を深めると、どちらの国にとっても
けっしてよい結果にはならないのです。
               ──[フリーテーマ/006]

≪画像および関連情報≫
 ●経済と安全保障は分けて考えるべきである
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   各国を巻き込んだ米中冷戦の様相をみせはじめた「安全保
  障に関する中国メーカー排除」方針である。日本政府も実質
  的な「中国メーカー排除」が念頭にあるという論調の報道は
  12月に入って以降強まるばかりだ。
   2018年初め、年初め、FBI(連邦捜査局)やCIA
  (中央情報局)、NASA(国家安全保障局)の高官は上院
  の情報委員会で、ファーウェイとZTEのスマートフォンに
  関して、アメリカ国民に2社の製品とサービスの利用を勧め
  ないとする見解を示した。政府が中国を問題視する根本的な
  理由は何なのか。そして、私たちが日常的に使うスマートフ
  ォンの風景や、日本経済はこの先どういう状況に入っていく
  の  か。その解釈を、前総務大臣政務官で、通信行政に詳
  しい衆議院議員の小林史明氏に聞いた。
   そもそも、なぜ日本政府はこのタイミングで、政府調達機
  器に関する基準の強化を図ったのか。日本政府はアメリカの
  要請に答えたのではないかという見解もあるが、小林氏は、
  「もともと取り組んでいたが、改めて答えた形」と語る。小
  林氏「時期については、いくつかの観点があります。1つは
  2018年7月27日にサプライチェーンリスクに関する閣
  議決定があり、きちんと強化していくという話は以前からあ
  りました。具体的に(国として)どうするということを世の
  中に伝えていくタイミングでした」。
                  https://bit.ly/2rDz5hD
  ───────────────────────────

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渦中のファーウェイ
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2018年12月14日

●「なぜ、ファーウェイが問題なのか」(EJ第4911号)

 12月11日、カナダのバンクーバー裁判所は、ファーウェイ
副会長孟晩舟容疑者の保釈を条件付きで決定しています。その条
件とは、次の3つです。これらの条件は、おそらく米国の要請に
よるものと思われます。
─────────────────────────────
      1.約8億5000万円の保釈金納付
      2.保有するすべてのパスポート提出
      3.所在地確認可能なGPS機器装着
─────────────────────────────
 これは、いわゆる「5G/第5世代移動通信システム」をめぐ
る米中の覇権争いなのです。このファーウェイの副会長の逮捕に
ついて、中国の王毅国務委員兼外相は、次のように報復をちらつ
かせて発言しています。
─────────────────────────────
 中国国民の正当な権益を侵害するいじめのような行為に対し
 中国は絶対に座視しない。全力で中国国民の合法的な権利を
 守る。          ──中国の王毅国務委員兼外相
─────────────────────────────
 つまり、不当に人を逮捕するなら、こっちも捕まえるぞといわ
んばかりの脅しです。早速カナダの元外交官、マイケル・コブリ
グ氏を中国で拘束しています。中国は、その拘束理由を明らかに
していませんが、「報復」の可能性は十分あります。それに加え
て、13日の情報では、もう一人カナダ人が中国当局から事情聴
取されているようですが、詳細は不明です。
 これは、相手がカナダだからやったのであって、もし米国が逮
捕した場合は、中国は北朝鮮と違って、これほど露骨な手法をと
らないのです。中国は、軍事力や情報力では勝てない米国にはそ
ういう手をとらないのです。まして貿易戦争中にやるはずがない
のです。
 むしろ、今後米国の同盟国を中心に、5Gシステムからファー
ウェイ製品を外す動きが広がると思われますが、その場合、例え
ば中国は日本人を拘束することで、政府に圧力をかけ、米国に協
力しないよう求める可能性は十分考えられます。この時期の中国
旅行は拘束リスクがつきまとうので、用心が必要です。
 そもそもファーウェイの何が問題なのでしょうか。
 それは情報漏洩です。ネットにおいて、ソフトウェアによる情
報漏洩はよく行われますが、通信機器自体に特殊な仕掛けを施す
ことによって情報を吸い上げるのです。つまり、ハードウェアに
仕掛けられているので、その機器を除去しない限り、問題は解決
しないのです。
 現在の米中衝突は、「5G」をめぐるものです。これは基地局
に関わってきます。現在、世界における基地局装置のシェアは、
次のようになっています。
─────────────────────────────
     1位:ファーウェイ ・・・ 27・9%
     2位: エリクソン ・・・ 26・6%
     3位:   ノキア ・・・ 23・3%
     4位:   ZTE ・・・ 13・0%
─────────────────────────────
 これによると、ファーウェイはダントツの1位。4位にやはり
中国のZTEが入っています。2位のエリクソンはスウェーデン
の通信機器メーカー、3位のノキアは、フィンランドの通信施設
・無線技術を中心とする開発ベンダーです。明らかに、5Gでは
中国が一歩リードしています。
 こうした中国躍進の原動力になっているのが習近平政権が掲げ
る産業政策で、2015年5月に発表した「中国製造2025」
です。次世代情報技術や新エネルギー車など10の重点分野と、
23の品目を設定し、製造業の高度化を達成し、「世界の製造強
国の先頭グループ入り」を目指す10年計画です。これは、10
年で米国に追いつき、抜ける体制を目標としています。
 この「中国製造2025」について、ハドソン研究所主席研究
員の日高義樹氏は、近著において次のように述べています。
─────────────────────────────
 2018年のはじめ、アメリカ国防稔省とCIAがトランプ大
統領に、中国が「チャイナ・メイド2025」と銘打っている計
画について報告書を送った。中国が2025年までに、人工頭脳
AIを含めたあらゆる先端技術で、アメリカに勝とうとしている
という計画である。
 アメリカの専門家たちは、AIやロボット、ナノ技術などの分
野で中国がアメリカに追いつくのは、2050年頃になると予測
していた。それより25年も早く追いつくというこの報告は、ト
ランプ政権に大きな衝撃を与えた。
 アメリカの専門家たちの予測よりもはるかに早く、アメリカに
追いつくために中国は、これまで以上に、アメリカの先端技術を
盗んだり、あるいはアメリカに進出する中国企業が、アメリカで
生産技術の秘密をかすめとったりして中国本土に送り続けると考
えられる。中国の戦略的な目的は、人工知能AIでアメリカの軍
事力に勝つことである。人工知能の研究、開発について我が国で
はもっぱら、自動車運転に大きな関心が払われている。平和ボケ
国家の典型的な受け取り方であろう。──日高義樹著/徳間書店
        『アメリカに敗れ去る中国/安倍外交の危機』
─────────────────────────────
 12月12日の複数の米メディアの伝えるところによると、中
国政府は「中国製造2025」の達成時期を10年先送りさせる
案を検討しているといわれます。つまり、「中国製造2035」
に変更するというわけです。
 しかし、その計画に国が大量の資金を投じていることが問題で
あるとトランプ政権は指摘しており、とてもその程度のことでは
米国は容認しないと思われます。
               ──[フリーテーマ/005]

≪画像および関連情報≫
 ●「中国製造2025」が米貿易紛争に巻き込まれたか?
  ───────────────────────────
   米中間には巨額な貿易不均衡が生じており、それを是正す
  べきことは両国間で一致しているが、その原因やアプローチ
  方法について、両国の考え方はかみ合わない。話し合いはう
  まく行かず、米国は一方的な貿易制裁措置という極端なアプ
  ローチで中国に譲歩を迫っているが、中国も対抗措置を発表
  して、貿易紛争の度合いが増してきている。米国の制裁措置
  案は、既存の貿易製品(鉄鋼など)からハイテク製品へシフ
  トし、未来の産業を育成する産業政策「中国製造2025」
  をターゲットとしたのである。
   米国は、建前では中国が「中国製造2025」という産業
  政策を通じて不公正な補助金によって対象産業の過剰生産能
  力を形成したり、市場取引によらない海外技術の獲得をサポ
  ートしたりすることを批判している。一方、世界の主要メデ
  ィアは、米国政府高官の話を引用して、米中貿易摩擦の原因
  は貿易不均衡よりも次世代産業技術をめぐる覇権争いという
  背景があると報じている。2018年4月16日に米商務省
  は、対イラン制裁法令に違反した社員を処分する約束を履行
  していないという理由で中国の大手通信機器メーカーZTE
  への部品(ICチップやソフトのすべて)輸出を禁ずる行政
  措置を取った。米中貿易紛争がエスカレートしている時期と
  重なり、米国の禁止措置は対中ハイテク産業を狙ったもので
  あるとの見方が中国では一気に広がった。
                  https://bit.ly/2EkELEL
  ───────────────────────────

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日高義樹氏/ハドソン研究所首席研究員
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2018年12月13日

●「ハイシリコンとクアルコムの関係」(EJ第4910号)

 連日ファーウェイの記事が新聞を飾っています。そこでファー
ウェイについて新聞には出ていない情報を中心に、もうしばらく
書くことにします。
 ところで、ファーウェイの呼び方について、中国分析の第一人
者である遠藤誉氏は次のように述べています。しかし、EJでは
「ファーウェイ」と表記することにします。
─────────────────────────────
 日本では、「Hua-wei」 を「ファーウェイ」と読ませているが
「Hua」は「ホァ」であって、「ファ」ではない。「ファ」 なら
「Fa」など、「F」の文字がなければならない。 慣用に反するが
ここでは発音に忠実に「ホァーウェイ」とした。 ──遠藤誉氏
                  https://bit.ly/2C4j7mS
─────────────────────────────
 クアルコムという企業について考察します。クアルコムは、カ
ルフォルニア州で、1985年に創業していますが、キッシンジ
ャー・アソシエイツを通して早くから中国に進出しています。中
国では「高通」という名前で知られています。
 しかし、1989年6月4日の天安門事件で、米国を中心とす
る西側諸国が中国に対して経済封鎖を始めると、クアルコムは中
国でのビジネスを中止したのです。
 2000年に当時の朱鎔基首相がWTO加盟のために清華大学
の経済管理学院に米国の財閥を中心に顧問委員会を設けたのです
が、クアルコムもそのメンバーになっています。そして1998
年には、北京郵電大学に共同研究所を設立しています。遠藤誉氏
によると、この大学はファーウェイの頭脳ともいうべきハイシリ
コン・テクノロジーズ社の何庭波総裁を輩出した大学なのです。
 遠藤誉氏は、ハイシリコンの何庭波総裁とクアルコムの関係に
ついて、次のように紹介しています。
─────────────────────────────
 ハイシリコンの何庭波総裁は女性で、まだ40代の若さだ。自
分を研究者と呼ばせない、生粋のエンジニアである。ビジネスに
煩わされたくないので、華為の研究部門から独立し研究開発に専
念した。(中略)クアルコムの北京郵電大学への力の入れようは
尋常ではなく、北京郵電大学内に「クアルコム杯(高通杯)」と
いうものまで設立したりして、人材養成のために巨額の研究投資
(ときには1億ドル)を行っている。      ──遠藤誉氏
                  https://bit.ly/2QqmhKl
─────────────────────────────
 遠藤誉氏は何庭波氏が北京郵電大学を卒業したのが、1996
年、クアルコムが同大学内に共同研究所を設立したのが1998
年であるので、何庭波氏がクアルコムの指導を受けていた可能性
は高いと指摘しています。そうすると、ハイシリコンの高度な半
導体の技術のベースには、クアルコムの技術が入っている可能性
は高いと考えられます。
 昨日のEJで、ハイシリコンがファーウェイにしか半導体を提
供しないと書きましたが、これは中国政府の指導によるものでは
なく、ハイシリコンのポリシーなのです。もし、政府主導である
ならば、クアルコムに半導体の提供を断られて窮地に陥っている
ZTEに対して、ハイシリコンに半導体を提供するよう命令する
はずですが、遠藤氏によると、ハイシリコンは政府のいうことも
頑として受け入れないだろうといっています。
 ファーウェイやハイシリコンと中国政府の関係について、遠藤
氏は、次のように述べています。
─────────────────────────────
 日本のメディアは、ホァーウェイ(華為技術、Hua-wei )を持
ち出すときに、まるで接頭語のように、「中国政府と癒着してい
る」とか、「中国政府と関係が深い」と書き立てているが、それ
がどれほど危険なことか、気が付いているだろうか。
 ホァーウェイの頭脳であるハイシリコンは、その研究開発した
半導体を、ホァーウェイにしか売らず、他社には売らない。まし
ていわんや、中国政府になど提供したり、いまこの段階ではまだ
していないのである。
 もし中国政府と癒着していたり、中国政府と関係が深かったり
するのであれば、習近平国家主席は中国共産党一党支配体制の命
運を賭けて国家戦略「中国製造2025」を推進しているのだか
ら、中国政府にハイシリコンが研究開発した最先鋭の半導体の成
果を提供するはずだろう。
 しかし、ハイシリコンもホァーウェイも、今のところ、まだそ
うしていない。それはハイシリコン立ち上げ時点で、ハイシリコ
ンの成果はホァーウェイにしか提供しないという約束しているか
らだろう。      ──遠藤誉氏 https://bit.ly/2Bg9gsm
─────────────────────────────
 なぜ、ハイシリコンは経営危機に瀕しているZTEに半導体を
売らないのでしょうか。それは、ハイシリコンのポリシーである
からと書きましたが、それだけではないはずです。
 今やハイシリコンは、クアルコムに対抗するための中国の先兵
です。これまでにもそういう戦いを繰り返しています。クアルコ
ムが「スナップドラゴン」という半導体の新製品を出すと、ハイ
シリコンは、それと同レベルの「キリン」という半導体を出すと
いうように競っているのです。
 そのようなハイシリコンに、ZTEをはじめとする多くの中国
のハイテク企業に半導体を提供する余裕はないのです。両社全力
で壮絶なチップ戦争を繰り広げているからです。
 しかし、米国から半導体の提供を断られてしまうと、そうした
ハイテク企業が潰れかねない。そういうわけで、白羽の矢が立っ
たのが、日本なのです。日本はクアルコムやハイシリコンのよう
な高性能チップを作る能力はありませんが、中国企業に半導体チ
ップを提供できる力はあるのです。そこで中国は、日本との関係
を改善させ、その役割を担わせようとしているのです。
               ──[フリーテーマ/004]

≪画像および関連情報≫
 ●李克強訪日、中国が関係改善を進める3つの事情
  ───────────────────────────
   習近平政権は、尖閣諸島の「国有化」問題が起こってから
  程なくして発足し、日中関係の改善が難しい状況であっこと
  から、どうしても「日本に対して厳しい」というイメージが
  つきまとう。
   だが、5月8日から4日間、中国の李克強首相が日本を訪
  問し、天皇陛下を始め、安倍晋三首相や与野党関係者と会談
  し、両国関係の改善を印象づけた。李の訪日は、5月9日付
  けの『環球時報』に発表された評論も、2010年以来の釣
  魚島問題、歴史問題などで最悪の状態に陥った日中関係が、
   大幅に改善しつつあることを示していると指摘している。
  歴史問題や領土問題など長年の課題こそ解決はしてはいない
  ものの、日中関係がここまで改善してきたのは、日本国内に
  対中関係改善の動きが出てきたこともあるが、中国の政治・
  経済情勢も関係している。
   だが、「中華民族の偉大なる復興」を強調しすぎると、ナ
  ショナリズムを刺激する恐れもあり、外交でそれを前面に押
  し出すと諸外国の誤解を招きかねない。そのため中国外交は
  「人類運命共同体」を前面に押し出した「国際主義」的な外
  交に方向転換する。中国の提唱する「一帯一路」構想は、中
  国の発展計画と沿線諸国との発展計画の“ドッキング”を目
  的とし、中国外交の「国際主義」的側面を反映したものであ
  る。              https://bit.ly/2EqhZMI
  ───────────────────────────

スナップドラゴン.jpg
スナップドラゴン
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2018年12月12日

●「ファーウェーにのみ半導体を提供」(EJ第4909号)

 中国の習政権は既に米国に対し、「宣戦布告なき戦争」を仕掛
けています。それは、軍事だけでなく、外交、経済まで「全面的
かつ総合的な対米戦争」を仕掛けているのです。そのことが記述
され、その実施を中国企業や大学に求める内部文書があるそうで
す。このなかに「千人計画」という計画があります。
 「千人計画」は、高度な技術を持った外国人材を発見してリク
ルートし、中国へ招聘したり、中国の技術進歩のためのプロジェ
クトに参加させる計画のことです。中国はこの計画を2008年
から進めてきています。その結果として米国人を中心に多くの人
材がこの計画に参加しています。とくに米国に滞在して研究業務
に当たる米国籍を取得した中国人が多いのです。
 しかし、トランプ政権になると、「千年計画」に選ばれた研究
者や技術者が、スパイ容疑でFBIに逮捕されたり、国外追放処
分を受けたりするようになったのです。それによって、この計画
は、「入獄計画」と揶揄されるようになっています。ネットには
次のような情報が多く出ています。
─────────────────────────────
 米テキサス州ヒューストン主要日刊紙ヒューストン・クロニク
ルの2018年8月の報道によると、FBIは同月、テキサス大
学やヒューストン大学など20の大学の関係者が集まった会議で
外国勢力による技術情報窃盗、特に「内部関係者」による情報漏
えいに警戒し、対策を講じるよう求めた。
 FBIは近年、「千人計画」に選ばれた研究者に注意を払って
いる。昨年9月、バージニア工科大学の張以恆教授は不正詐取を
企てたとして逮捕された。また、今年8月、ゼネラル・エレクト
リック社の鄭小清チーフエンジニアが重要技術情報を盗み、中国
企業に渡したとして同氏を逮捕した。両氏ともに「千人計画」に
リクルートされていた。
 サウスカロライナ大学の謝田教授は3つの情報源から得た話と
して、「ヒューストンの研究機関にFBIが訪れた。その直後、
複数の中国人研究者が解雇された」と大紀元に伝えた。在米学者
の間では「FBIは千人計画のリストに基づいて違反者を摘発し
ている」との話が広がっている。   https://bit.ly/2zNj25C
─────────────────────────────
 2018年3月の話ですが、中国の大手国有通信機器メーカー
中興通訊(ZTE)が米国製部品(クアルコム)を使った製品の
イランや北朝鮮向け輸出禁止措置に違反としたとして、7年間の
米国部品の調達禁止の制裁が科されています。ZTEは、100
%クアルコムの半導体に頼っていたので、いきなり経営不振に追
いやられたのです。その習政権の内部文書には、次のように書か
れているといいます。
─────────────────────────────
 米政権は中国との競争の核心が科学技術競争にあるとの見方を
ますます強め、軍事技術だけでなく、高度人材獲得も含めた全方
位の科学技術の対中封鎖に向っている。
 米国の中国を標的とした先端技術流出への規制はさらに強化さ
れる。窓の開いている残りの半年から1年間のうちにできるだけ
多くの先端技術、先端設備、先端製品を米国から取り込み、戦略
備蓄を構築せよ。   ──『選択』/2018年12月号より
─────────────────────────────
 中国政府は、ZTEに対する制裁の報復として、クアルコムが
オランダの半導体大手のNXPセミコンダクターズを買収しよう
としたとき、独占禁止法違反であるとして反対したのです。しか
し、アルゼンチンでの米中首脳会談で、習近平主席がこれを取り
下げる意向を示したことは既に述べた通りです。中国は非常に追
い込まれているのです。
 半導体を制する──これが中国が立てた目標です。スタート時
点の2009年の段階では、半導体トップ50のなかに2社しか
中国のメーカーは入っていなかったのですが、2016年は11
社、2017年度になると、トップ10に2社も入るようになっ
たのです。
 なぜこんなに急速に伸びたのかというと、それは、2015年
5月にスタートした「中国製造2025」という国家政策がある
からです。そしてそのトップに立っているのが「ファーウェイ」
なのです。中国政府は、このファーウェイという企業をきわめて
重要であると位置付けていて、クアルコムから半導体の提供を断
られたZTEのような目に遭わないようにしています。
 ファーウェイは、2004年にハイシリコン・テクノロジーズ
という企業を分離し、半導体の研究開発に専念させています。そ
のうえで、ハイシリコンが製造した半導体は、ファーウェイにし
か販売しないことにしているのです。ハイシリコンの技術レベル
は高く、米国最大手で、世界のトップである半導体メーカー、ク
アルコムと互角の勝負ができるレベルに達しています。
 こんな話があります。2012年のことですが、ハイシリコン
は「K3V2」というチップを発表したのです。このチップは、
「150Mbps」 対応のチップです。これは1秒間に150メガビッ
トの情報を送れることを意味します。これは凄いことなのです。
クアルコムでさえ、当時「100Mbps」 までの対応だったので、世
界中が驚いたといいます。
 それもプロトタイプではなく、これを搭載したワイ・ファイ・
ルータが当時のイー・モバイルから発売されています。ファーウ
ェイは、このように高いレベルの技術力を持つハイシリコン・テ
クノロジーズから、半導体の独占提供を保証されており、米国に
とって最大の脅威になりつつあります。絶対他には売らないとい
うこともそこに何らかの機能を加えることも可能になります。
 それだけに今回のカナダでのファーウェイ副社長の逮捕は、中
国にとって大衝撃です。ZTEへのクアルコムからの半導体の提
供の停止に続く米国からの圧力に、中国としては「中国製造20
25」に重大な影響が出ることを懸念しています。
               ──[フリーテーマ/003]

≪画像および関連情報≫
 ●トランプが恐れる中国の国家戦略「中国製造2025」
  ───────────────────────────
   中間選挙はトランプ大統領率いる共和党の実質的勝利に終
  わり、対中貿易戦争は先鋭化の兆しを見せている。7月に開
  始した総額2500億ドルの制裁関税だけでなく、中国企業
  による対米投資の制限や米国製品の輸出管理を強化。だが、
  9月の物品関連の対中貿易赤字は402億ドルと過去最大を
  記録し、むしろ拡大している。
   米中貿易戦争の行方を東京福祉大学国際交流センター長で
  最新刊『「中国製造2025」の衝撃』(PHP研究所)を
  12月22日に発売する遠藤誉氏はこう読み解いた。
   「米国は4月、中国の通信機器大手のZTEとファーウェ
  イに対して、米サプライヤーとの取引を7年間禁じる制裁を
  課しました。中国を代表するハイテク2社を米国から締め出
  す“ライバル潰し”との国内報道もあったが、本質を見誤っ
  ている。注目すべきは、中国のハイテク製品は半導体をはじ
  めとするキーパーツの9割を輸入に依存している事実です。
  習近平政権はこのままでは彼が目指す『中華民族の偉大なる
  復興』は成し得ないと考え、’15年に製造業高度化の国家
  戦略『中国製造2025』を策定し、’25年までに半導体
  などキーパーツの7割を国産化することを目指している。問
  題なのは、半導体などのコア技術は汎用性が高く、軍事や宇
  宙開発にも転用できることです。 https://bit.ly/2G7H2pl
  ───────────────────────────

「中国製造2025」ポスター.jpg
「中国製造2025」ポスター
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2018年12月11日

●「宣戦布告なき戦争が勃発している」(EJ第4908号)

 中国には「韜光養晦」(とうこうようかい)という言葉があり
ます。これは、これまで中国の国際社会に対する態度をあらわす
言葉として使われてきています。そもそもこの言葉は、中国の国
家指導者、ケ小平の演説が根拠になっているといわれています。
その意味は次の通りです。
─────────────────────────────
     韜光養晦 → 才能を隠し、内に力を蓄える
─────────────────────────────
 「力のないときは、あれこれいうんじゃない。じっと我慢し、
内に力を蓄えよ」という教えです。しかし、中国はとっくの昔に
国際社会に対してこの態度をかなぐり捨て、爪も牙も剥き出しの
中国になっています。
 それは、2005年から始まっているのです。当時の米国のロ
バート・ゼーリック国務副長官が台頭する中国に対し、ステーク
ホルダー(利害共有国)になってほしいと呼び掛けたのがきっか
けといわれています。以来13年間、今や米国と正面から対立す
るようになっています。
 それを端的にあらわしているのが、APECでのペンス副大統
領の中国を意識した演説です。はっきりと中国を特定し、次の要
旨の演説を26分間にわたってブチまくったのです。これは「言
葉による戦争」そのものです。
─────────────────────────────
 独立戦争からまもなく、ジョージ・ワシントン初代大統領は、
負債と外国の干渉が、独立によって得たすべてのものを脅かす恐
れがあると警告した。
 こんにちにおいても、すべての国は主権を脅かす負債を受け入
れてはならない。国益を守り、独立を保持するべきだ。アメリカ
のように、常に自国ファーストで行くべきなのだ。
 アメリカはよりよい選択肢を提供する。パートナーを借金の海
に溺れさせることはない。独立を脅迫したり、譲歩させたりする
こともない。アメリカはオープンにフェアに行動する。(一帯一
路のように)ベルト(帯)を締めすぎたり片道切符のようになる
こともない。今日、インド太平洋透明化イニシアティブを誇り高
く発表する。それは4億ドル以上に上るアメリカの資金援助であ
り、この地域の国民が腐敗に対抗し、主権を強化するのに役立つ
ものだ。
 皆さんが米中の競争を案じているのは分かっている。米中の競
争が地域の経済を傷つけたり、南シナ海での発展が軍事的緊張を
高めてしまうのではといったことだ。そこで私は明確にしたい。
アメリカは中国とのよりよい関係を求めている。だがそれは、公
正で、相互主義的で、主権の尊重に基づくものだ。
 もしも中国が、隣国の主権を尊重し、自由・公正・相互主義的
な貿易を受け入れ、人権と自由を守るのであれば、自由で開放さ
れたインド太平洋地域において、その名誉は保たれる。アメリカ
人は、それ以上は望まない。     https://bit.ly/2BYK6Ak
─────────────────────────────
 トランプ米大統領は、現在の中国の存在は、過去数十年にわた
る米国の対中戦略の失敗に原因があるといっていますが、それは
まさにその通りです。そこで、トランプ政権は、対中戦略を従来
の「接触戦略」から、「全方位封じ込め戦略」に転換を図ってい
ますが、これは正解であるといえます。
 米ソ冷戦が崩壊した1990年代以降、米国の対中政策は一貫
していないのです。民主党のクリントン政権は、中国を国際舞台
に引き出し、国際ルールに従わせる「エンゲージメント戦略」を
とり、米中関係を安定させています。ここでいうエンゲージメン
トとは、「関与する」という意味です。国際ルールを守るように
なれば、中国も少しずつ民主国家になって行くだろうと期待した
のです。しかし、これは見事に裏切られます。
 クリントン政権に続く共和党のブッシュ政権では、中国の軍事
的、経済的台頭を抑え込む「ヘッジ戦略」を取りながらも、急膨
張し、巨大化する中国市場を獲得したいと希求する米国企業の要
請に答えて「接触政策」もとったので、政策が中途半端なものに
なったことは確かです。
 再び政権は民主党に戻り、オバマ政権が誕生します。このとき
中国側は西側と協調を図ろうとする胡錦濤政権だったので、再び
「エンゲージメント戦略」をとります。しかし、2012年秋に
強権的な習政権が生まれると、対中強硬戦略に転換したものの、
中国が南シナ海で軍事拠点化を進め、対外膨張、覇権主義の牙を
むき出しても、オバマ政権は言葉では非難したものの、実際には
何も有効な手を打てなかったのです。
 このオバマ政権を受け継いだ現トランプ政権は、現在の覇権主
義を目指す中国の存在は、歴代米政権の対中政策の失敗であると
し、強力な「全方位封じ込め政策」をとったのです。その内容は
中国にとって非常にシビアであり、習政権は改めてトランプ大統
領の底しれぬ恐ろしさを感じているはずです。
 いま中国の習政権が困っているのは、米国との全面衝突の時期
が予定よりも早くやってきてしまったことです。その原因は、予
想に反して、クリントン氏ではなく、トランプ氏が大統領に選ば
れたことにあります。
 よく知られているように、トランプ政権はメディアとバトルを
繰り広げています。マスコミはトランプ大統領を毛嫌いしており
米中貿易戦争をかなり度の強い色眼鏡を通して見ています。その
ため、トランプ政権が何を考え、中国に対して、どのような手を
打っているかがかえって見えにくくなっています。
 それに加えて、トランプ氏はツイートを頻繁に発進し、メディ
アがそれを伝えるので、それがトランプ政権が何を画策している
のかをさらに見えにくくしています。実は、トランプ政権は、こ
と対中国戦略に関する限り、きわめて有効な手を打っており、こ
れにより習政権はかなり追い詰められています。
               ──[フリーテーマ/002]

≪画像および関連情報≫
 ●米外交シンクタンクの専門家に米中摩擦を聞く
  ───────────────────────────
   習主席の究極の目的は偉大な国として中国を再生させるこ
  とだ思います。その時に浮上する疑問は、どのようにそれを
  達成するか、どのようにして世界的な舞台で存在感を取り戻
  していくのか、ということです。これまでに習主席が決定し
  たことを見ると、国内では抑圧的で独裁的、国外では野心的
  で拡大志向な国家を構築することです。
   習主席がそれをどのように進めたかというと、第一に中央
  集権化を進めました。中国を改革・開放に導いた当時の最高
  指導者、ケ小平が構築した集団指導体制ではなく、彼の手中
  に権力を集中することで実現したんですね。
   第二に、共産党が中国社会と中国経済に深く入り込みまし
  た。企業の中に細胞組織を作るように命じたのは一例です。
  そして第三に、外国からの影響が国に及ばないように、制限
  と規制の「仮想の壁」を築きました。
   中国は製造業の高度化を目指す「中国製造2025」を進
  めていますが、この壁によってAI(人工知能)や新素材な
  ど、最先端の分野で多国籍企業が公正に競争できなくなる可
  能性があります。また、外国のNGO(非政府組織)の管理
  に関する新たな法律によって、外国のNGOが中国の取引相
  手と協力することが難しくなりました。ご存じの通り、イン
  ターネットへのアクセス制限も厳しくなっています。
               ──エリザベス・エコノミー氏
                  https://nkbp.jp/2RLcuLH
  ───────────────────────────

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APECで演説するペンス副大統領
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2018年12月10日

●「米中首脳会談は米国の圧勝である」(EJ第4907号)

 EJはテーマを決めて連載するスタイルのメール/ウェブマガ
ジンです。ところで、今日から新しいテーマになります。今年の
EJは28日まで送付いたしますが、あと14回しか、ありませ
ん。そこで、EJとしては、はじめての試みですが、テーマを決
めないフリーテーマで年内は14回書き、1月からは新しいテー
マを設定して連載することにします。
 年末が押し迫りつつある2018年の現在、注目すべきは「米
中貿易戦争」の行方がどうなるかです。なぜなら、この「経済戦
争」の決着がどうなるかは、日本の将来にとっても重要な影響が
あるからです。それにこの経済戦争は簡単には決着しません。し
たがって、この問題について考えてみる価値があります。
 12月1日、G20が行われたアルゼンチンの首都ブエノスア
イレスでの米中首脳会談では、次のように激突を避け、90日間
の休戦をすることで合意しています。
─────────────────────────────
 米国は、2019年1月からの追加関税拡大は当面せずに、中
国に90日間の猶予を与える。90日以内に、中国による技術移
転、知的財産の侵害などが改善されなければ、追加関税拡大を実
施する。           ──米中首脳会談における合意
─────────────────────────────
 表面上は両国間の休戦合意ですが、ボクシングに例えると、米
国の繰り出す強烈なパンチとボディーブローにふらふらになった
中国がノックアウト寸前にクリンチに逃れ、ゴングに救われたよ
うなものだったといえます。
 「インサイドライン」編集長の歳川隆雄氏の分析ですが、この
会談を中国がいかに重視していたかを示す事実があります。それ
は、習近平主席の最側近で、党中央の官房長官ともいうべき丁薛
祥党中央弁公室主任(政治局員)がこの会談に参加していること
です。官房長官が国のトップと一緒に海外の会議に参加すること
はないのです。日本でいえば、安倍首相の外遊に菅官房長官が同
行するようなものです。官房長官はあくまで留守番役です。
 習主席としては、丁党中央弁公室主任に厳しい米国の姿勢を直
に見せておきたかったものと思われます。そもそも習主席が最も
恐れたのは、会談そのものが中止になることだったのです。トラ
ンプ米大統領は気まぐれであり、いつなんどき中止をいい出すか
わからなかったからです。
 夕食をしながらの会談(ワーキング・ディナー)というと、終
始和やかに会談が進められるイメージがありますが、そうとは限
らないのです。外向きはともかく、開催場所や食事の内容などで
交渉相手に対し、言外に意思を伝えることが多いのです。
 そういう意味で今回の米中首脳会談は、中国側にとって、相当
屈辱的なものだったのですが、中国側はそれに耐えて会談を受け
入れています。今回の米中首脳会談これについて、歳川隆雄氏は
次のように述べています。
─────────────────────────────
 もう一つ指摘すべきは、今回の夕食を交えた米中首脳会談(ワ
ーキングディナー)が、どのようにセットされたのかを知ること
だ。会場のブエノスアイレスの最高級ホテル「パラシオドゥハウ
・パークハイアット」はトランプ大統領が宿泊したホテル。習近
平氏はトランプ氏の宿舎を訪れたのである。「朝貢」とは言わな
いが、習氏には屈辱だったに違いない。
 当夜のメニューは、アルゼンチン風のサーロイン・ステーキ、
サラダ(バジルマヨネーズ・ドレッシング)、キャラメル和えパ
ンケーキ、そして、アルゼンチンワイン「ザペタ」のシャルドネ
2009年(白)、同マルベック2014年(赤)。支払いも米
国負担。そう言えば、マールアラ−ゴでの夕食会も、ステーキ、
シーザーサラダ、パンケーキだった。しかも、供されたカリフォ
ルニアワインは「チャークヒル」シャルドネ2014年(白)、
「ジラード」カベルネ・ソーヴィニヨン2014年(赤)であり
各々25〜30ドルのチープなものだった。トランプ氏は習近平
氏をおちょくっているのではないかと疑いたくなる。これにはも
ちろん、理由がある。一言でいえば、習近平・中国は、トランプ
・米国に追い詰められていたのだ。背に腹は代えられないという
ことである。            https://bit.ly/2Qib8LR
─────────────────────────────
 実は、中国はこの会談において「隠れた譲歩」をいくつかして
います。中国としては何としてでも「休戦」を引き出したかった
からです。それに対し米国は、会談を行った同じ12月1日に、
ファーウェイの孟晩舟副会長をカナダ政府に要請して逮捕させて
います。これはかなり強気の対応といえます。ファーウェイが、
イランへの違法輸出に関わった容疑で逮捕です。ファーウェイは
米グーグルのスマホ用基本ソフト「アンドロイド」や米クアルコ
ムの半導体を採用するなど、米国企業と幅広く取引しているので
もし米国が制裁に踏み切ると、経営に大きな打撃を与える公算が
大きいといえます。
 ところで、習近平主席が米国に対して行ったという「隠れた譲
歩」とは何でしょうか。
 それは、米半導体大手のクアルコムによるオランダの半導体大
手のNXPセミコンダクターズの買収に関しての譲歩です。
 クアルコムは、NXPセミコンダクターズを買収すべく、関係
国や株主の承認を得ていましたが、中国が「独占禁止法に違反す
る」として反対し、断念に追い込まれていたのです。トランプ政
権は、この8月、国防権限法で、中国の通信大手ZTE(中興通
訊)の米国との取引を禁止しましたが、ZTEの半導体のほとん
どは、クアルコムから輸入していたのです。
 習主席は、トランプ大統領に対して、「クアルコムが再度、買
収の意思表示をしたら、承認する」と告げたといいます。これは
トランプ氏に白旗を上げたに等しいのです。もし、関税引き上げ
が実施されると、中国経済は相当厳しい状況になるからです。
               ──[フリーテーマ/001]

≪画像および関連情報≫
 ●ファーウェイ副会長逮捕/カナダ首相、政治的思惑を否定
  ───────────────────────────
   ファーウェイ創業者の娘でもある孟副会長は1日、米国の
  要請に基づき、カナダ西部ヴァンクーヴァーの空港で逮捕さ
  れた。中国政府は逮捕が人権侵害だとして孟氏の釈放を求め
  ている。保釈聴問会は7日に開かれる。逮捕容疑は公式には
  発表されていない。ファーウェイは「孟氏のいかなる不正も
  把握していない」と述べた。
   ただし米当局は、ファーウェイによるイラン制裁違反の可
  能性について捜査してきた。複数報道は、副会長の逮捕はそ
  の捜査に関連している可能性があると示唆した。ジョン・ボ
  ルトン米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)はこの件に
  ついて、記者団の質問にコメントしなかった。
   その一方で、中国企業の商慣行と業務内容が、中国政府の
  「手先」になっている可能性について、一般論として「非常
  に大きな懸念」を抱いているとボルトン氏は述べた。逮捕を
  受け、欧州株は2年ぶりの安値をつけたほか、アジアの主要
  株価も大きく下落した。市場アナリストたちは、逮捕により
  米中貿易戦争の危険性が再燃したとの意見だ。ただし、米株
  式市場の主要3指数は6日の取引終了までにやや回復した。
  主要3指数の1つ、ナスダック総合指数は前日より高値で終
  わった。ファーウェイCFO兼副会長の孟氏は、同社創業者
  の任正非氏の娘でもある。ファーウェイは通信機器・サービ
  ス業界で世界最大手企業の1つ。2018年第2四半期(4
  〜6月)の世界スマートフォン出荷台数で米アップルを上回
  り、世界第2位のスマートフォン製造企業となった。
                  https://bbc.in/2L7v1iU
  ───────────────────────────

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孟晩舟ファーウェイ副会長
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2018年12月07日

●「2つの事件に関わる中曽根康弘氏」(EJ第4906号)

 中曽根康弘氏の輝かしい経歴と主要な航空機事故を組み合わせ
てみます。
─────────────────────────────
  ◎1966年02月04日/全日空羽田沖事故
  ◎1966年11月13日/全日空松山沖事故
  ★1967年/第2次佐藤改造内閣で運輸大臣
  ★1970年/第3次佐藤内閣で防衛庁長官
  ◎1971年07月30日/雫石空中衝突事故
  △1971年08月15日/ニクソンショック
  ★1982年11月/内閣総理大臣就任
  ◎1985年08月12日/日本航空123便墜落事故
  △1985年09月22日/プラザ合意
       ◎航空機事故/★中曽根氏の人事/△その他
─────────────────────────────
 一見すると、航空機事故と中曽根氏の人事は何の関係もないよ
うに見えます。しかし、中曽根氏は、1966年の全日空の2つ
の航空機事故が起きた後の1967年に運輸大臣に就任している
のです。当時航空機事故は運輸大臣の管轄事項です。当然のこと
ですが、大臣として事故が再発しないよう方策を実施する必要が
あります。これによって中曽根氏には、航空機事故処理の経験が
あることになります。
 そして、それから3年後の1970年、中曽根氏は防衛庁長官
に就任します。運輸大臣を経験したうえでの防衛庁長官です。し
かし、長官をやったのは、1970年1月14日から1971年
7月5日までの約1年半でした。なぜなら、中曽根氏は、第3次
佐藤改造内閣で自民党総務会長に就任し、増原恵吉氏が新しい防
衛庁長官に就任したからです。
 それから、約40日後に雫石空中衝突事故が起きるのです。こ
れを受けて、増原防衛庁長官は直ちに辞任します。もし、中曽根
氏が防衛庁長官を続けていたとしたら、中曽根氏自身が辞任しな
ければならないところです。そういう意味で中曽根氏は、非常に
運がいい人であるということがいえます。
 増原防衛庁長官の辞任によって、西村直己氏が防衛庁長官にな
りますが、ここではっきりしていることがあります。前任の増原
恵吉氏は防衛官僚ではあるものの、着任早々であり、西村直己氏
は警察官僚であり、2人とも長官としての仕事はほとんどしてお
らず、自衛隊の指揮・命令において、力の発揮のしようがないと
いうことです。そうなると、1年半の経験を持つ中曽根氏が、雫
石事故の処理に何らかの関与をしても不思議ではないのです。
 それから14年後に起きた日本航空123便墜落事故のときは
中曽根氏は首相の座にあったのです。時の防衛庁長官は、加藤紘
一氏です。1984年11月の就任ですから、就任から9ヶ月後
に事故が起きたことになります。
 このとき、中曽根氏が自衛隊がらみの雫石空中衝突事故の処理
をした経験を持っていたとするならば、当然加藤防衛庁長官とは
緊密に連絡を取り、何らかの指示をしたものと考えられます。日
本はこのとき、プラザ合意を行い、円高を容認するという決断を
しており、日本経済にとって正念場を迎えていて、中曽根政権に
とってきわめて重要な局面にあったことは確かです。
 これと日本航空123便の処理とはけっして無関係ではないと
思います。そのため、123便事故発生後からの中曽根首相の動
静は、遺族や関係者から見ると、その行動が「冷たい」と感ずる
ほど、極力この事件に直接かかわらないようにしているようにみ
えます。そして最近では123便墜落事故については「墓場まで
持って行く」と漏らしているといわれます。確証こそないものの
いずれにせよ、この事故の処理に中曽根首相が深く関与していた
ことは確かです。
 青山透子氏は、大学の授業の一環として、この123便事故を
取り上げています。図書館で昔の新聞記事を読んで事件の概要を
知り、事件を構成している複数の項目のなかからテーマを選び、
自分自身の言葉で感想を書かせています。
 そのなかから、「首相の一日」と題するテーマを選んだ群馬県
出身の学生Jの意見を要約してご紹介します。
─────────────────────────────
 ここは有名な別荘地、軽井沢です。ゼミ合宿をした人も多いで
しょう。事故当日、そしてその後も私たちの町や村がもっともつ
らくて大変だった時に、本当ならば一番先に駆け付けるべき人が
ここでテニスをして、プールで泳いでいると新聞に書いてありま
した。それは、この時の総理大臣、中曽根康弘氏でした。
 皆さんは注目して見なかったかもしれませんが、新開の一面の
裏に、ほらここに小さく、どの新聞にも「首相の一日」というの
があります。他の新聞では「首相の動静」「首相日々」などとい
うコーナーで、その日の前日、首相が会った人や移動などの動き
が書いてあります。うちらの地元新聞の上毛新聞では、なんせこ
の人の地元選挙区なので、親しみを込めて「中曽根さんの一日」
というコーナーです。
 私は事故前後の首相の動きと、その後いつ事故現場に行ったの
か調べてみました。結局中曽根さんが来たのは、事故から3ヶ月
後の11月4日でした。遅くなつた理由は「群馬県警から警備が
大変だから後にしてくれと言われた」というものでした。そんな
理由ってありますか?茶番劇を見るようだと言って地元のみんな
は、息子の選挙が近くなったから、仕方なく来たのだろうって冷
ややかに言っていました。   ──青山透子著/河出書房新社
   「日航123便墜落/疑惑のはじまり/天空の星たちへ」
─────────────────────────────
 2018年8月20日から書き始めた今回のテーマは、本日で
終了します。雫石衝突事故と日本航空123便事故は、中曽根康
弘氏という人物でつながっていると私は思います。長きにわたり
ご愛読を賜りましたことを御礼申し上げます。
     ──[日航機123便墜落の真相/076/最終回]

≪画像および関連情報≫
 ●青山透子先生が学生たちに与えた課題
  ───────────────────────────
   航空業界事情について、航空関連の新聞の切り抜きをもと
  にしたいくつもの講義の中、早速私は学生たちに新たなレポ
  ート課題を出した。
   @1985年の日航123便事故当時の新聞を図書館で調
  べて事実関係や事故の詳細を知り、自分の言葉で要旨をまと
  めること。
   A多くの記事の中で一番心に残った記事を選び、それに対
  する感想および自分の意見。さらにこれから航空業界で働き
  たいと思っている自分が就職した場合、航空会社はどうある
  べきか、どういう意識の中で働くことが重要かということを
  書く。新聞記事のコピーを添付して自分の言葉で書くこと。
  事故を知る身近な人たちへのインタビューが出来ればそれも
  加えること。インターネット上の文章をコピーすることは絶
  対不可で、自分で図書館へ通って調べること。
   以上を伝えた時、どよめきが起きたことを覚えている。1
  985年は学生にとって自分が生まれたばかりの頃で、遠い
  昔の話である。その時起きた大事故について書かれた記事は
  膨大であり、それをすべて調べるとは大変な作業だというの
  が単純な理由だ。特に、まったく新聞を読まない、読む癖の
  ついていない学生がこのところ増えている現実を見ると、ど
  うも新聞言葉が読み難いらしく、馴染まない子が多い。日本
  語の乱れというよりも、あの細かい字でびっしり書かれた文
  字にアレルギー的反応が出るようである。
         ──青山透子著/河出書房新社の前掲書より
  ───────────────────────────


中曽根康弘元首相.jpg
中曽根康弘元首相
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2018年12月06日

●「雫石衝突事故の政治的背景を探る」(EJ第4905号)

 雫石空中墜落事故の政治的背景について考えてみます。事故発
生当時の内閣は佐藤内閣です。佐藤内閣は1964年以来の長期
政権であり、沖縄返還協定調印後に、佐藤首相が引退するのでは
ないかという観測が政界に高まっていて、その後継者争いが激し
くなっていたのです。いわゆる「角福戦争」です。
 1972年7月5日の自民党総裁選挙では、次の2人が次期総
理総裁を目指して出馬し、激突したのです。この前年7月の第3
次佐藤改造内閣発足からの1年間の政権争奪紛争のことを「角福
戦争」と呼んでいます。雫石衝突事故は、まさにその第3次佐藤
改造内閣発足直後の7月30日に起きているのです。
─────────────────────────────
           田中角栄通産大臣
           福田赳夫外務大臣
─────────────────────────────
 この自民党総裁選挙では、田中角栄氏が勝利し、第64代内閣
総理大臣に任命されています。この角福戦争の背景について、古
川隆久氏は次のように書いています。
─────────────────────────────
 佐藤政権で幹事長などをつとめた田中は、高等小学校卒と学歴
こそないが、土建業や土地転売など、違法すれすれの方法まで使
って築いた財力で政界に進出し、議員立法などの手法で精力的に
国土開発政策を推進して実績を積んだ。田中はたたき上げの党人
派だった。又、金力と絶妙の人心掌握で、自民党の政治家はもと
より、エリート官僚たちをも次第に手なずけて政策立案の相談相
手とした。「コンピューター付きブルドーザー」とも呼ばれたゆ
えんである。ただし、資金調達方法では早くから数々の疑惑が取
りざたされていた。
 田中は佐藤派に属していたが、佐藤が、田中を後継者と認めな
かったので、昭和47年5月に佐藤派を分裂させて田中派を結成
し、総裁選に出馬した。手堅い性格の佐藤には、猪突猛進型で金
に関する疑惑のうわさが絶えない田中が危なっかしく見えたよう
だ。佐藤は後継に大蔵官僚出身の福田剋夫を推した。しかし、佐
藤の党内への影響力は前年から既に失われており、田中は豊富な
資金力に物をいわせて、7月5日の自民党総裁選で福田を破って
当選、6日に総理に就任した。   ──古川隆久著/講談社刊
          『昭和戦後史(下)/崩壊する経済大国』
                  ──佐藤守著/青林堂刊
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
 この角福戦争に深く絡んでいるのが「ロッキード事件」です。
 雫石事故が発生し、その直後から自衛隊犯人説が浮上し、まる
でそれにタイミングを合わせるように、事件直後の2日後の8月
2日、増原防衛庁長官が辞任しています。後任には、西村直己氏
が起用されましたが、それにしても何と早い辞任でしょうか。
 1971年8月4日の衆議院運輸・交通安全対策委員会におい
て佐藤首相は、和田耕作民社党議員の「警察庁の調べによると、
自衛隊機の無謀な訓練が原因といわれている」との質問に次のよ
うに答弁しています。
─────────────────────────────
 政府の責任においてお詫びする。議論するつもりはない。訓練
計画そのものは度外れたものではない。民間機も所定の時間通り
に飛んだのなら、事故に遭わなかった。計器飛行でも前方を注視
しなければならん。            ──佐藤栄作首相
            ──佐藤守著/青林堂刊の前掲書より
─────────────────────────────
 重要なのは、佐藤首相が「民間機にも問題がある」と言及して
いることです。これによって、事故直後には自衛隊犯人説が強く
前面に出たものの、自衛隊側の反論もあり、全日空機の落ち度を
指摘する声も、強くなっていたのです。
 この事態を重く見たのは田中角栄氏(当時:通産大臣)である
と佐藤守氏はいうのです。あくまで仮定の話として、次のように
述べています。
─────────────────────────────
 ここで民航機側の失態が判明し、運輸大臣も「辞職」する事態
になっていたら、佐藤内閣は、防衛、運輸の2大臣を失い総辞職
です。そうなれば、後継総理は自動的≠ノ福田氏になる。準備
不足の田中氏は焦ったに違いありません。なんとしてでも運輸大
臣の「辞職」だけは防ぎ、佐藤内閣総辞職の事態を防ぐためにこ
の事件は「自衛隊側の一方的なミス」にして、何とかこの窮地を
切り抜けねばならぬと考えたとしてもおかしくはないでしょう。
 そこで、当時通産大臣だった田中氏が、丹羽運輸大臣を呼び、
「犯人は自衛隊」として処理するように指示したとは考えられな
いでしょうか?     ──佐藤守著/青林堂刊の前掲書より
─────────────────────────────
 事実を調べて行くと全日空機の過失は明らかです。しかし、そ
れを真逆の自衛隊機の過失であることにして、裁判を含め、その
考えを押し通すには、相当の強い権力を持つ人物の力が必要にな
ります。その人物を佐藤守氏は、当時の田中角栄通産大臣てはな
いかといっているのです。
 さらにこの考え方を押し通すには、防衛庁に対して強い発言力
を持つ人物も必要になります。既に事件直後に増原防衛庁長官は
辞任しています。就任したばかりの西村防衛庁長官にそんなこと
はできないでしょう。そうすると、増原長官の前の防衛庁長官で
はないかということになります。
 その防衛庁長官が中曽根康弘氏なのです。中曽根氏はただの防
衛庁長官ではないのです。それまで1959年には科学技術庁長
官を務め、1967年には運輸大臣を経験している実力派の防衛
庁長官です。日本の防衛装備計画について、一家言を持つ人物で
す。当時次の時代の総理大臣候補として、注目を集めていた人物
なのです。    ──[日航機123便墜落の真相/075]

≪画像および関連情報≫
 ●中曽根康弘氏はどのような大臣だったか
  ───────────────────────────
   運輸大臣時代は成田空港問題にかかわり、1968年4月
  6日に友納武人千葉県知事とともに新東京国際空港公団と条
  件賛成派の「用地売り渡しに関する覚書」取り交わしに立ち
  会っている。「札束を積めば農家なんてすぐ土地を売る」と
  反対派の訴えに耳を貸さない政治家が多い中、同年8月9日
  には、自宅にアポなしで訪れた戸村一作ら反対同盟と面会し
  ている。
   防衛庁長官時代には、1970年に防衛庁の事務方で権勢
  を振るっていた海原治が国防会議事務局長として新聞記者と
  の懇談会で防衛計画について批判したことが、3月7日の衆
  議院予算委員会で取り上げられた際に、中曽根は防衛庁長官
  として「事務屋なので政策論を述べる地位ではない。事務局
  長というのは庶務課長、極端にいえば文書を集め、文書を発
  送するお茶汲みに過ぎない」と発言し、海原も出席していた
  議場を騒然とさせた。三島事件を批判する声明を防衛庁長官
  として出したが、三島に近い一部保守系団体や民族派勢力、
  右翼団体などから強く批判された(中曽根は自著の中で「三
  島と親しいように思われていたが深い付き合いがあったわけ
  ではない」と釈明している)。1972年の殖産住宅事件で
  は、株取得で証人喚問される。翌年に脱税容疑で逮捕された
  殖産住宅相互の東郷民安社長は旧制静岡高校時代からの友人
  であったため、親友も見殺しにすると囁かれた。こうして要
  職を経験する中で、いわゆる「三角大福中」の一角として、
  ポスト佐藤の一人とみなされるようになっていった。
          ウィキペディア https://bit.ly/2hxQd6W
  ───────────────────────────

防衛庁長官当時の中曽根康弘氏.png
防衛庁長官当時の中曽根康弘氏
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2018年12月05日

.●「雫石衝突事故の裁判は冤罪である」(EJ第4904号)

 雫石空中衝突事故について、佐藤守氏は、この事故の真因につ
いて、「100%全日空機側の過失である」と断定し、次の3つ
の理由を上げています。
─────────────────────────────
      1.全日空機の見張り義務違反である
      2.全日空機が航路の逸脱をしている
      3.全日空機が航空法違反をしている
─────────────────────────────
 「1」は、「全日空機の見張り義務違反」です。
 B727のクルーは明らかに見張り義務違反を行っています。
もし、見張っていれば、事故は100%回避できたはずです。問
題は、なぜ、見張り義務違反を怠ったかです。
 それは、当日3回目という過酷なフライトにあります。それに
定刻よりも53分も遅れており、操縦クルーは、地上では昼食を
とることができず、28000フィートの巡航速度に達して水平
飛行に移った後に、自動操縦装置に依存して、昼食の準備、もし
くは昼食中だったため、見張り義務に違反したものと考えられま
す。こういう過酷な勤務状況については、会社に対して乗員組合
から改善要求が出されています。
 他の情報によると、当時全日空の操縦クルーは、自動操縦装置
に切り換えた後は、チェスをしたりするなど、見張り義務につい
ての義務意識は薄かったものと考えられます。
 「2」は、「全日空機の航路の逸脱」です。
 全日空58便は、ジェットルートJ11Lを飛行するという飛
行計画書を提出しています。しかし、58便はこの区間に慣れて
いたし、その日3回目の飛行であったので、函館NDB通過後、
近道である仙台VORに針路を取り、自動操縦で漫然と飛行して
自衛隊側の訓練空域に侵入したのです。
 これに関する証拠は、航空自衛隊のBAGDEシステムに残さ
れている航跡と、接触場所の目撃情報、さらに民事裁判に提出さ
れた8ミリフィルムのアジア航測の解析結果など、たくさんあり
ます。どのように考えても全日空機は航路を逸脱しています。
 「3」は、「全日空機の航空法違反」です。
 全日空58便は、申請した航空路を恒常的に無視して別の航空
路をとるという航空法違反を繰り返していた疑いがあります。事
故当日、58便は千歳/羽田間を3往復することになっていまし
たが、朝の「千歳/羽田」と昼の「羽田/千歳」も、いずれも飛
行計画書にはJ11Lを申請していたものの、仙台VORを飛行
していたものと思われます。
 この日本の空の危険について、須藤朔/阪本太朗共著の本では
次のように書かれています。
─────────────────────────────
 昭和51年9月に、全運輸労組が発表した航空黒書『空の安全
を点検する』によって、国内航空3社のパイロットのアンケート
の結果、雫石事故の後でも、「多数の民間旅客機がルートからは
ずれ(やむを得ず、との但し書きがあったが)、防衛庁管轄の訓
練空域や試験空域へ入っていること」「ルートを変えて防衛庁管
轄空域に入る際に、機長がとるべき規定の手続きを知らないパイ
ロットが過半数あったこと」を知ったが、事故以前には、旅客機
のルート逸脱は日常茶飯事と言われていた。
                  ──須藤朔/阪本太朗著
     『恐怖の空中接触事故/空の旅は安全か』/圭文社刊
─────────────────────────────
 佐藤守氏の上記3点の指摘によって、雫石空中衝突事件は、全
面的に全日空側の過失によるものであることは明らかです。佐藤
氏は、次のように結論づけています。
─────────────────────────────
 本裁判は、政府事故調査報告書の不備と、全日空機側の100
%過失によって起きた事故であり、自衛隊操縦者に対する判決は
「無罪」が妥当であり、現状は「冤罪事件」に相当する。
 事故原因が曖昧なまま、行政罰を受けた防衛庁側関係者に対し
て国側は速やかに謝罪・補償し、その名誉を回復しなければなら
ない。なお、本事故の犠牲者に対する補償は、国ではなく、当該
事業者が支払うべきものである。また、民間航空を指導する立場
にあつた運輸省の責任も免れない。  ──佐藤守著/青林堂刊
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
 ところがです。この衝突事故についての刑事における最終判決
は、次のように決着がついています。昭和58年(1983年)
9月22日の最高裁判決です。
─────────────────────────────
  隅太茂津一(教 官) ・・・ 禁固3年執行猶予3年
  市川良美二(訓練生) ・・・ 無罪
─────────────────────────────
 佐藤守氏の本を精読する限り、上記判決は不当そのものであり
この事件は冤罪です。裁判所はあらゆる証拠を踏みにじり、無視
し、最終的には最高裁判官の「自判」という異常な手段をもって
自ら裁判に決着をつけています。本来は、高裁に差し戻すべきと
ころを強引に裁判を終了させたのです。
 雫石空中衝突事故を調べていてわかったことですが、この事故
の14年後に起きたJAL123便事件と、強い関係があること
がわかってきました。確かに、2つの事件は、航空会社も事故の
状況も異なりますが、雫石衝突事故の幕引きが、最終的には、政
府の思い通りの結果になったことで、それが123便の決着にも
影響を与えたものと思われます。
 どちらの事故も、自衛隊出身のパイロットが機長であったこと
に共通性があります。中途半端な時期ですが、今回のテーマはあ
と2回で終了する予定です。その2回において、それについての
真相について述べることにします。
         ──[日航機123便墜落の真相/074]

≪画像および関連情報≫
 ●書評「自衛隊の犯罪 雫石事件の真相」/宮崎正弘氏
  ───────────────────────────
   雫石衝突事件の真実は「自衛隊機に全日空機が追突した」
  悪いのは全日空機だった。全日空機より速度の遅い自衛隊機
  が、追突できる筈がなく報道は非科学的で杜撰。
   若い人には記憶すらないだろうが、評者(宮崎)は、この
  「事件」のことを鮮明に覚えている。第一報は、「全日空機
  に自衛隊機がぶち当たって」、162人が犠牲になったとい
  う。世の中、自衛隊が悪いというヒステリックな大合唱が起
  こった。真実は「自衛隊機に全日空機が追突した」のだ。悪
  いのは全日空機だった。
   そもそも全日空機より速度の遅い自衛隊機が、追突できる
  筈がなく、報道は非科学的で杜撰なものだった。ところが、
  なぜ、こんな誤報がまかり通ったのだろう?
   第1は全日空側の事情。全日空が悪いとなれば倒産は免れ
  なかった。第2に「自衛隊機が悪い」と言った以上、マスコ
  ミはメンツにかけて訂正しなかった。第3は背後に政治が絡
  みつき、ようするに弁護者を持たない自衛隊が冤罪という貧
  乏くじを引かされる。後日、自衛艦「なだしお」に体当たり
  した釣船があった。しかし、これさえも自衛隊が悪いとされ
  た。救急車にぶちあって救急車が悪いとは誰も言わないだろ
  う?しかし東日本大地震で災害救助に出動した自衛隊には悪
  罵を投げかけるマスコミはなかった。問題はむしろ国防の本
  義から逸れて、いつまで自衛隊に現場の瓦礫処理までやらせ
  るのか、ということだった。結論的に言えることは「航空自
  衛隊は情報戦に脆弱である」というポイントである。
                  https://bit.ly/2rg1dYb
  ───────────────────────────

雫石空中衝突事故/場所.jpg
雫石空中衝突事故/場所
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2018年12月04日

●「8ミリフィルムについての全経緯」(EJ第4903号)

 全日空は、58便の乗客の一人が撮影した8ミリフィルムを事
故当時から10年以上隠していたのです。佐藤守氏の本に8ミリ
フィルムについての経過が出ていますので、見やすいように若干
の整理をして次に示します。ざっと目を通してください。
─────────────────────────────
◎1971(昭和46年)・07・30
 事故発生
◎1974(昭和49年)・01・10
 国際航業者が解析結果を全日空に提出
◎1981(昭和56年)・10・20
 全日空側が、民事訴訟に8ミリフィルムを提出し、その解析結
 果「58便の飛行経路は政府事故調査報告書どおり、J11L
 沿いである」(むしろ東側である)と主張
◎1982(昭和57年)・03・10
 防衛庁、8ミリフィルムを全日空社から借用して複製
◎1982(昭和57年)・03・16
 陸上自衛隊第101測量大隊(地図作成専門部隊)に対して、
 解析を依頼
◎1982(昭和57年)・07・28
 101測量大隊の中間解析結果、飛行経路は函館→仙台VOR
 の線に沿う可能性が強まり、アジア航測社に対し、本格的な解
 析を依頼
◎1982(昭和57年)・08・02
 刑事訴訟において刑事弁護人も8ミリフィルムに関する上申書
 を提出
◎1982(昭和57年)・08・24
 101測量大隊の解析完了
◎1982(昭和57年)・11・30
 アジア航測社の解析、十和田湖上空まで完了
◎1983(昭和58年)・02・22
 防衛庁側、8ミリフィルムの解析結果、全日空機は函館→青森
 →十和田湖上の仙台VOR向けの線上を飛行。FDRとの関係
 から接触地点は訓練空域内とする、全日空機の飛行経路及び接
 触地点に関する準備書面を提出
◎1983(昭和58年)・03・22
 同上陳述
◎1983(昭和58年)・05・19
 刑事訴訟において弁護人が8ミリフィルムの上告趣意の補充書
 を提出
◎1983(昭和58年)・06・14
 民事訴訟において、8ミリフィルムのコピーを証拠として提出
◎1983(昭和58年)・09・22
 刑事裁判で最高裁が自判(隈教官に有罪判決)
◎1985(昭和60年)・01・10
 民事訴訟において、十和田湖以南、田沢湖分について、解析結
 果を準備書面で提出
◎1985(昭和60年)・02・18
 朝日新聞が「深層・真相」欄でこの論争を報じる。
                  ──佐藤守著/青林堂刊
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
 1985年2月18日に朝日新聞は、「深層・真相」欄で8ミ
リフィルム問題を詳しく取り上げたのですが、その結論的部分が
次のように書かれています。
─────────────────────────────
 コース取りがどうであれ、防衛庁側の過失責任は免れない。最
高裁は一昨年9月、事故原因に関して、教官らの個人責任だけを
問うのではなく、事故当日に問題の訓練空域を臨時に設定した松
島派遣隊幹部のずさんさも強く指摘し、民事訴訟での防衛庁側の
立場は厳しくなったとみられている。
 このフイルムがそれをどこまでばん回する材料となりうるか。
一本の8ミリフイルムが巻き起こした「コース論争」は、防衛庁
側、全日空側のメンツの問題もからんで、まだまだ熱く続きそう
だ。  ──昭和60年2月18日付、朝日新聞「深層・真相」
─────────────────────────────
 これは、きわめて不可解です。どうして結論が、こうなるので
しょうか。8ミリフィルムに田沢湖が写っているのであれば、全
日空機がジェットコースJ11Lを西に外れ、自衛隊の訓練空域
に侵入してきていることを示しています。それを「コース取りが
どうであれ、防衛庁側の過失責任は免れない」と書いているので
す。それなら、この記事を書いた意義がなくなるではありません
か。論理が完全に矛盾しています。おそらくこの結論が書かれた
のは、上層部の指示によってそうなったものと思われます。
 そもそもこの雫石空中衝突事故は、刑事と民事を合わせると、
多くの裁判が行われていますが、その判決は相互に矛盾をきたし
ており、整合性がとれないのです。ただ、「自衛隊側が悪い」と
言うことで一貫しているのです。
 とにかく、何が何でも、どんなに矛盾をきたそうとも、ここは
自衛隊、要するに「国が悪い」ということにしないと、全日空自
体がもたないし、十分な賠償金も払えない。それは、結果として
遺族のためにもなることである──そういう論理で、一貫してい
るのです。不謹慎なことではありますが、ある記者は次のような
ことをいっています。
─────────────────────────────
 どうせ賠償金を支出するのは国民の税金だからさ。これで全て
ハッピー、防衛庁はじめ、国側で腹を痛める者は、誰もいないか
らさ。                 ──ある記者の意見
            ──佐藤守著/青林堂刊の前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/073]

≪画像および関連情報≫
 ●雫石事故機の破片保存 全日空
  ───────────────────────────
   全日空の山元峯生社長は30日、雫石町上空で全日空機と
  自衛隊機が衝突し、全日空機の乗客乗員162人が死亡した
  1971年7月の「雫石事故」の残存機体について、今後破
  棄せずに展示施設を造って、保存していく方針を明らかにし
  た。日航ジャンボ機墜落事故の残存機体は日航が保管してい
  るが、同社は事故原因とされた後部圧力隔壁以外は将来的に
  破棄する方針を固めており、日航と全日空で対応の違いが明
  確になった。
   日航機事故の遺族には保存を望む声も根強く、8月12日
  で事故から20年となるのを前に論議を呼びそうだ。雫石事
  故で回収された機体の破片や部品は現在、全日空内の倉庫に
  保管されているほか、機長の肩章や救命胴衣などが雫石町の
  「慰霊の森」にある施設に展示されている。全日空は、こう
  したものや、当時の新聞記事などを展示する施設を来年3月
  までに造り、主に社員の研修用として公開する。社員から提
  案があったという。遺族や一般への公開は今後検討する。施
  設の場所は、東京都大田区の研修センター内や、港区の本社
  内が候補として挙がっている。山元社長は「事故を風化させ
  ず、社員全体で安全に対して取り組むための展示品と考え、
  実現させたい」と話している。  https://bit.ly/2E0z1QL
  ───────────────────────────

朝日新聞「深層・真相」記事.jpg
朝日新聞「深層・真相」記事
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2018年12月03日

●「8ミリフィルム/全日空証拠提出」(EJ第4902号)

 全日空機と自衛隊機はどこで衝突したのか──これに関して多
くの疑義があります。法廷においては、全日空機は保護空域内、
すなわち、ジェットルート/J11Lにあって、自衛隊機が訓練
空域を逸脱して、ジェットルートに侵入して衝突したという認定
になっています。
 ところが、東京高裁での民事裁判が接触地点をめぐって暗礁に
乗り上げていたとき、突如として全日空側は、58便の乗客の一
人が接触時まで撮影していたという8ミリフィルムを証拠として
提出してきたのです。昭和56年(1981年)10月20日の
ことです。
 この法廷を正確にいうと、全日空側が国に約43億円の損害賠
償を求めた民事訴訟の控訴審(東京高裁民事十部)の法廷です。
この8ミリフィルムについては、全日空側と防衛省側の双方が鑑
定を行っています。
─────────────────────────────
      全日空側 ・・・・・  国際航業
      防衛省側 ・・・・・ アジア航測
─────────────────────────────
 全日空が分析を依頼した国際航業は、航空測量会社の最大手で
あり、防衛省側のアジア航測は、業界2位の航空測量会社です。
これら双方の分析結果は次のようになっています。
─────────────────────────────
 ◎国際航業の分析結果
  鑑定結果によると、全日空のコースはJ11Lよりも東側
  となり、政府の調査委のコースとも違っている。青森以南
  は画面のほとんどは雲しか写っておらず、解析は不可能。
 ◎アジア航測分析結果
  航跡はJ11Lの西側であり、全日空の分析とは大きく異
  なっている。衝突地点近くまで分析できたのは、「雲の切
  れ間から2ヶ所で、田沢湖が見えた」としたためである。
─────────────────────────────
 この鑑定には、国際航業が2つの大きなミスを犯しています。
 1つは雲だと思って詳しく調べなかったことです。しかし、ア
ジア航測量は、「乗客が単なる雲を撮るはずがない」と考えて、
現像液や印画紙を変えて映像を詳細に分析した結果、雲ではなく
田沢湖だと判明したのです。
 2つは航跡図について計算式にミスがあったことです。これは
きわめてお粗末な話です。ある地図専門の大学教授が国際航業制
作の航跡図のミスを指摘し、正しい計算式で再計算してみたとこ
ろ、防衛省側が主張するコースと重なったのです。
 全日空側は多くの物証を握っており、全日空側に有利な証拠に
なれば提出するが、不利になるものは提出しないというスタンス
だったと考えられます。この8ミリフィルムは有利ということで
提出したものですが、もし田沢湖が写っていたといると、全日空
機の方が航路を逸脱したという防衛庁側を利する証拠になってし
まいます。
 そうであるとすると、全日空機に装備されていなかったとする
CVR(コックピット・ボイス・レコーダー)も実は確保してい
て、提出していなかったのではないかと疑われます。ボイスレコ
ーダーが装備されていなかったとは考えられないからです。
 なお、この8ミリフィルムに基づいてアジア航測が割り出した
コースは、防衛庁が海法鑑定に基づいて主張した「J11L」の
西12キロに沿ったコースにもほぼ一致しているのです。これに
ついて、1985年2月18日付、朝日新聞の「深層・真相」は
次のように書いています。
─────────────────────────────
 こうした動きに対し全日空側は、一転してこのフイルムの証拠
価値に懐疑的な態度を打ち出し、昨年、「高高度の上空から8ミ
リで撮影した場合、画面上の物体は、実際の位置より飛行機に近
づいて写ることが判明した」とする、新たな鑑定書を提出、攻守
ところを変えた形となった。
 全日空側は「8ミリ撮影の場合、実際の位置と画面上の見かけ
位置のズレの程度や、ズレが起きる原因については不明」としつ
つ、「この不思議な現象を防衛庁側が否定する根拠を示すなり、
突破しない限り、いくら詳細な鑑定に基づく航跡推定をしても無
意味。それに田沢湖が写っているか疑問。結局、8ミリフイルム
を利用して正しい航跡を求めるのは無理」と主張している。
 過去にも、遭難機の乗客が残した8ミリフイルムが、事故原因
や航跡解明の手がかりになったことがある。昭和41年3月、富
士山ろくで乱気流に襲われて空中分解し乗客ら124人が死んだ
英国海外航空(BOAC)機事故だ。ただこの時は、数キロ程度
の誤差が責任論争になるケースではなく、厳密な分析はされなか
った。 ──昭和60年2月18日付、朝日新聞「深層・真相」
                  ──佐藤守著/青林堂刊
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
 この全日空の主張は、もはや支離滅裂です。自ら自信を持って
新証拠として法廷に提出した証拠を自ら撤回しようとし、証拠と
しての信用性がないというのですから、これは法廷を冒涜するこ
とになります。
 しかし、もっと不可解なのは裁判所です。8ミリフィルムに田
沢湖が写っていたことが明確になったということは、全日空機は
ジェットルートのJ11Lを逸脱し、自衛隊の訓練空域に入り込
んでいることになり、全日空機の方が自衛隊機に衝突した可能性
が高くなるからです。
 しかし、それでも裁判所は結論を変えようとせず、松島派遣隊
幹部が事故当日にこの問題の訓練空域を臨時に設定したことを問
題にしています。裁判所としては、何が何でもこの事件は自衛隊
側が悪いという結論を動かさないと何か決意のようなものを感じ
ます。      ──[日航機123便墜落の真相/072]

≪画像および関連情報≫
 ●全日空機のコース論争再燃/朝日新聞
  ───────────────────────────
   この事故をめぐる大きな争点の一つが、全日空機の航跡と
  衝突地点。政府の事故調査委貞会(山県昌夫委員長)は47
  年、全日空機は民間機が計器飛行の時に通るジェットルート
  J11Lを管制に従って飛行していた、と判断。衝突地点は
  岩手山の南南西で、同ルートの西約4キロの地点を中心とし
  て、東西1キロ、南北1・5キロの長円の中だったとした。
  J11Lから東西5海里(約九キロ)内は、航空自衛隊が編
  隊飛行の訓練を避けるよう決めており、その制限空域内で起
  きたと認定したわけだ。自衛隊側の事故機を指導していた教
  官は、「制限空域内へ入り、周囲の見張りを怠った」 とし
  て刑事裁判で有罪が確定しているが、刑事裁判での検察、民
  事裁判での全日空側の主張は、この調査結果をベースにして
  いる。
   一方、防衛庁側は、元同庁第三研究所長の海法泰治氏の鑑
  定をよりどころに、全日空機はJ11Lを西に外れたコース
  を取り、衝突地点も、J11Lから約12キロ離れた「制限
  空域外」だったと主張したが、民事、刑事を合わせ、過去4
  回の判決では、全てこの主張は退けられた。民事訴訟の控訴
  審で焦点となっているフイルムは、全日空機の右主翼付近か
  ら乗客が撮影したもので、カラーで約30分問。千歳空港の
  様子から始まり、函館市郊外、青森市の近く、十和田湖など
  が写っている。全日空側によると、事故直後に入手、政府の
  事故調査委貞会に提出したが、詳しい検討の対象とはならな
  かった。      ──佐藤守著/青林堂刊の前掲書より
  ───────────────────────────


田沢湖.jpg
田沢湖
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2018年11月30日

●「コックピットに操縦者はいたのか」(EJ第4901号)

 ジャンボ旅客機のパイロットという職業をわれわれ日本人は、
他の乗り物──バス、トラック、タクシー、電車、新幹線などの
運転者と一線を画し、特別なもの、よりレベルの高い者と考える
傾向があります。ともに乗客の命を預かる職業でありながら、な
ぜ、ジャンボ機のパイロットだけは特別視されるのでしょうか。
 そのイメージを見事に壊してくれたのは、昨今外国の空港で飲
酒のため相次いで逮捕されている日本人のパイロットです。日本
時間10月29日午前4時にロンドンのヒースロー空港において
日本航空の男性副操縦士が乗務直前、大量の飲酒が発覚して、ロ
ンドン警察に逮捕されています。
 このEJを書いている11月29日の新聞にも日本航空グルー
プの日本エアコミュニケーターのJAC機の機長に基準値の2倍
のアルコール値が検出され、機長が交代するニュースが出ていま
す。何でそんなに酒を飲むのでしょうか。酒でも飲まないとやっ
てられないほど、ひどい勤務環境なのでしょうか。
 それはさておき、佐藤守氏の本にこんな話が出ています。雫石
事故が起きる直前の5月の連休のことですが、ある操縦課程の候
補生が北海道に帰省した帰りに起きたことを佐藤氏に話してくれ
たそうです。その部分を引用します。
─────────────────────────────
 彼はたまたま事故機と同じ時刻で同じ経路の58便に、千歳か
ら羽田まで搭乗したのですが、制服を着用していたため、当該機
操縦者の目に留まったらしく、「何期生か?」と聞き、「俺は○
期だ」と先輩であることを明かし、飛行中の操縦室を見学させて
くれたというのです。
 そこで彼が感心したのが「自動操縦装置」で、操縦者達が操縦
輪を握ることなく「チェス」に興じているのに、飛行機はかっ
てに″水平直線飛行をしている!と感動して私に語ったのです。
 ヘルメットを被り、酸素マスクをつけ、身体を操縦席に縛り
付けられ″、右手は操縦桿、左手はスロットルレバー、足はフッ
トバーから離せない「戦闘機乗り」の玉子″には、手放しで飛
行できるオート・パイロットが、斬新で便利な装置として強く印
象に残ったのも無理はないでしょう。ところが問題はその後の彼
の報告″です。
 ちょうど強い日差しが進行方向のやや右側から差し込んでいた
ので、チェス板に反射してまぶしい。そこで操縦者の一人が、コ
ックピット内に積まれていた週刊誌などの中から新聞紙をとって
広げて窓枠にセロテープで貼り付けたというのです。太陽光線を
さえぎる臨時の「カーテン」ですが、彼は「誰も外を見ていない
のに飛行機は水平飛行をしていた」と感心していました。
                  ──佐藤守著/青林堂刊
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
 パイロットが一番緊張から解放されるのは、航空機が一定の高
度に達し、自動操縦装置に切り換えたときといわれます。しかし
遮光のため窓に新聞紙を貼り、チェスに興じるとは「あぜん」と
しかいう言葉がないです。これは、航空機のパイロットという職
業が一般的に持っているイメージを大きく傷つけるものといわざ
るを得ないと思います。
 そうはいうものの、雫石事故当日の全日空機のクルーの忙しさ
を考えると、午後2時頃にやっと昼食ができるようになったので
すから、「3人一緒に食事しない」はずがない──佐藤守氏はこ
ういっています。こういうときにクルーは、リラックスして、世
間話なんかをするそうです。
 そのパイロットたちの昼食のとり方ですが、自動操縦とはいえ
飛行中ですので、何が起きるかわからないので、普通の感覚なら
操縦席でとるのではないかと考えられます。しかし、操縦クルー
は、そのとき一種のエコノミー症候群の状態になっているので、
自動操縦に切り換えたら、一刻も早く、ヘッドセットとシートベ
ルトを外し、リラックスしたいのです。せめて3人中1人を操縦
席に残せば、何の問題もないのです。しかし、操縦クルーが自動
操縦中にチェスをやっていたことを考えると、コックピットに誰
もいなかったことも十分考えられます。
 佐藤守氏は、ある全国紙の編集委員から聞いた話として、次の
ことを打ち明けています。
─────────────────────────────
 私が広報室長時代に某全国紙の編集委員が、「機長とスチュワ
ーデスは、圧迫死体となって発見されたのだ」と教えてくれたこ
とがありました。自動操縦に切り替えて、食事をしようとした機
長はヘッドセットとシートベルトを外して操縦室を出た。そして
機長は操縦室に隣接したコンパートメントで、スチュワーデスに
コーヒーを入れてもらっていた・・・と彼は推測するのです。
 長時間着座しているクルーは、今でいう「エコノミー症候群」
状態だったでしょうから、身体を伸ばしたくなったでしょうし、
喉を潤したかったのかもしれません・・・。そんなクルーの気持
ちは容易に想像できます。ところがその時に接触し、機体は降下
し始めマイナスGがかかり始める。お茶を入れていたスチュワー
デスは、体が浮く恐怖で機長にすがりつく・・・。そんな光景も
「ありえないことではない」でしょうが、事故調査報告書には、
接触後、操縦室内にいた機長が送信ボタンを押して「緊急事態」
を発したことになっています。
            ──佐藤守著/青林堂刊の前掲書より
─────────────────────────────
 問題なのは、全日空機が、飛行計画書にジェットルートの「J
11L」を申告し、実際は近道の「仙台VOR」を常態的に飛行
していたことです。このルートは詳しい事情はわかりませんが、
当時は航空会社が航空路として登録できないようになっていたよ
うです。VORは「超短波全方向無線標識」のことであり、占領
軍が使っていた航空路ですが、ベテランパイロットはいつもこれ
を使っていたのです。─[日航機123便墜落の真相/071]

≪画像および関連情報≫
 ●絶対に笑えない「泥酔パイロット」の恐怖
  ───────────────────────────
   英ヒースロー空港で日本航空(JAL)の男性副操縦士が
  乗務直前、大量の飲酒が発覚してロンドンの警察に逮捕され
  た。各紙の報道によると、現地の裁判所に対し、副操縦士は
  罪状を認めた。判決は11月29日に下されるというが、イ
  ギリスの法律では最長2年の懲役あるいは罰金、またはその
  両方が科される可能性がある。
   乗客の命を預かるパイロットが酒臭い息を吐きながら旅客
  機を飛ばす。飲酒運航が大事故に結び付き、大勢の命が奪わ
  れたらどうする気だったのか。
   逮捕された副操縦士は日本時間10月29日午前4時に、
  ヒースロー空港を飛び立って東京に向かう便に乗務すること
  になっていた。日航の発表によると、乗務20時間前まで、
  6時間にわたって宿泊先のホテルのラウンジや自室で、赤と
  ロゼのフルボトルワイン計2本と瓶ビール(330ミリリッ
  トル)3本、缶ビール(440ミリリットル)2本を1人で
  飲んだ。ビールだけでも1・8リットルを超える。通常、男
  性の場合、ビール0・5リットル中に含まれるアルコールが
  分解されるのに4時間はかかる。朝まで酔いが残り、ロンド
  ンの警察の呼気検査で基準の10倍以上ものアルコールが検
  出されるのは当然だ。それにしてもよくそこまで飲んだもの
  である。よほどお酒が好きなのか。それとも酒でも飲まなけ
  れば、やってられないような悩みでもあったのか。いずれに
  しても自らを律しなければならないパイロットの職務をどう
  考えているのだろうか。     https://bit.ly/2DRNHBB
  ───────────────────────────

ボーイング727のコックピット.jpg
ボーイング727のコックピット
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2018年11月29日

●「どのようにして衝突に至ったか」(EJ第4900号)

 EJは本号で「4900回」に到達しました。あと約5ヶ月で
「5000号」に到達します。1998年10月15日を第1号
としてスタートし、2018年10月15日で満20年を超えて
21年目に入っています。ここまで、続けられたのは、熱心に読
んでいただいている読者のおかげであり、厚く御礼申し上げる次
第です。今後ともよろしくお願い申し上げます。
 昭和47年(1972年)7月28日付、読売新聞に次のタイ
トルの記事が出ています。(添付ファイル参照)
─────────────────────────────
                  “ナゾの7秒”を再現
  窓に広がる訓練機/あぶない!衝突「空中衝突最終報告」
          ──1972年7月28日付、読売新聞
─────────────────────────────
 空中衝突から約1年後のことです。この時点で、全日空と防衛
庁の見解は対立しています。かなり長い記事ですが、事故調の主
張の全貌がわかるので、記事を3つに分けて、佐藤守氏のコメン
トを参照にして論評を加えることにします。まず、記事のリード
文の部分です。
─────────────────────────────
 左上方から刻々機影を大きくしてすり寄ってくる自衛隊機。少
なくとも接触7秒前に、この機影を認めた全日空機、川西三郎機
長は、何を考え、どういう行動を取ったのか。昨年7月30日の
全日空機・自衛隊機空中衝突事故の最終報告書が27日、田中首
相に提出されたが、やはり、死者の心理〃を正確にうかがい知
ることはできなかった。この七秒間のナゾ″をめぐって全日空
と防衛庁の見解は、真っ向から対立している。避けられたのか、
避け得なかったのか。真実はひとつしかない。最終報告書に盛り
込まれた全日空機フライト・レコーダー、傍受した管制交信テー
プの分析をもとに、恐怖の一瞬を再現する。
      ──1972年7月28日付/読売新聞/リード文
─────────────────────────────
 リード文の記事では、「自衛隊機は刻々機影を大きくして迫っ
てくる」と表現し、少なくとも「接触7秒前に」全日空機は、こ
の機影を認めていると書いています。つまり、全日空機が自衛隊
機の機影を視認していたことを示しています。これは事故調査報
告書にある表現です。続いて本文です。
─────────────────────────────
 晴天、視程10キロ以上。
 午後1時33分、千歳空港を飛び立った東京行き全日空58便
はジェット・ルート「J11L」に乗り、順調な飛行を続けてい
た。雲ひとつ無い晴天、視程は10キロ以上。飛びなれたコース
に何の不安も無い。が、悪夢のような一瞬は刻々と迫っていた。
接触20秒前、いったんジェット・ルートを横断した自衛隊機は
左旋回を開始していた。その時、教官機の位置は、全日空機の左
29度前方2・5キロ、訓練機は左65度前方1・4キロにあっ
た。「全日空機操縦者にとっては、訓練機は終始、注視野(固視
点を中心とする44度から50度の範囲を言う)の外にあった=
報告書から」 ──1972年7月28日付/読売新聞/本文@
─────────────────────────────
 この記事によると、全日空機は飛行報告書の通り、ジェットル
ートの「J11L」を飛行していて、そのジェットルートを自衛
隊機(訓練機)がいったん横断し、左旋回して迫ってくるように
描いています。
 このさい、教官機は左29度前方2・5キロに見えていたもの
の、訓練機は終始、「注視野」の外にあったと書いています。こ
こで、注視野というのは、医学用語で、顔を動かさず、眼球のみ
を動かして見える範囲のことです。「訓練機は注視野の外」と表
現しているので、見えていないということです。訓練機は左旋回
して全日空機の後方に回り、衝突したといいたいのでしょうか。
─────────────────────────────
 「両機グングン接近」
 全日空機の時速は約902キロ、訓練機は同802キロ。ほぼ
同一方向に飛ぶ両機の間隔はグングン縮まる。接触7秒前。訓練
機の位置は、全日空機から見て左60度前方、その間隔は僅か、
300メートルにせまった。少なくとも、この時、川西機長は左
にやや翼を傾け左旋回姿勢の訓練機を見つけた。「危ない」−−
とっさに操縦カンを握り締めた。こぶしに汗がにじむ。無意識の
うちに左人さし指で交信ボタンを押した。同時に、オート・パイ
ロットのスイッチを切ったに違いない。左第2ウインドーに映る
訓練機の機影はみるみる大きくなる。「接触数秒前までは(略)
訓練機が非定常運動をしているため、全日空機操縦者にとって、
この時点で訓練機の飛行経路を的確に予測することは、困難であ
ったと考えられる=同」   
       ──1972年7月28日付/読売新聞/本文A
─────────────────────────────
 ここで記事は重要なことを述べています。それは、全日空機の
方が、自衛隊機(戦闘機)よりも速いという事実です。そうであ
るとすると、訓練機が左旋回して全日空機の後方に回り、そのう
えで全日空機に衝突することはあり得ないことになります。追い
つかないからです。
 つまり、記事では、全日空機クルーが、訓練機を衝突7秒前か
ら視認していたということをどうしても強調したかったというこ
とになります。まさかクルー3人が食事をしていて、コックピッ
トには誰もいなかったという事実を全日空は隠したかったのでは
ないかとと思われます。もし、本当に自衛隊機を視認していたと
すれば、なぜ回避措置をとらなかったのかということが問題にな
ります。1989年の民事訴訟での控訴審判決では「視認してい
ながら回避措置をとらなかったことの理由の合理性は乏しい」と
断じています。つまり、やはり視認していなかったことが正しい
のです。     ──[日航機123便墜落の真相/070]

≪画像および関連情報≫
 ●空中衝突の別の表現/雫石空中衝突事故
  ───────────────────────────
   岩手県岩手郡雫石町付近上空で、午後2時2分頃、東京方
  向へ190度の磁針度を取って飛行していた全日空58便機
  に、岩手山付近を旋回飛行していた2機の自衛隊機がニアミ
  スした。当時は雲一つない快晴であった。雫石上空で訓練空
  域を太平洋側に変更するために教官機が左に旋回したが、教
  官機よりも16000フィート下を飛行していた訓練生は、
  教官の操縦する機体の追尾に集中していたため、操縦してい
  た自衛隊機(シリアルナンバー92−7932)が接近し、
  衝突の直前に互いに視認した。
   教官は訓練生に対して衝突回避行動を取るように命令、わ
  ずか2秒前(距離500メートル)から実行したが回避する
  には既に手遅れであった。そのうえ旅客機の進行方向に訓練
  生が回避しようとしていたため、自衛隊機に全日空機が、下
  側から追いつく形で28000フィート(約8500メート
  ル)で衝突し、自衛隊訓練生機の右主翼付け根付近に全日空
  機が水平尾翼安定板左先端付近前縁(T字尾翼のため機体の
  最も上の部分であった)を引っかけるような形で接触した。
  そのときの速度は旅客機が900キロメートル/h、自衛隊
  機が840キロメートル/hであった。
                  https://bit.ly/2Qq4cvk
  ───────────────────────────

読売新聞/昭和47年7月28日付早版.jpg
読売新聞/昭和47年7月28日付早版
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2018年11月28日

●「目撃者をまったく無視した事故調」(EJ第4899号)

 政府の事故調査委員会は、事故の原因を究明し、再発の防止を
はかることにあるはずです。しかし、雫石空中衝突事故のときの
事故調は、全日空機がJ11Lを逸脱して、自衛隊の訓練空域に
侵入していたことを隠蔽するために苦肉の策を講ずる役割を果た
してきたに過ぎません。これは、JAL123便墜落事件の事故
調と一緒です。
 こういうデタラメを暴いた書籍が1973年に出版されている
次の本です。『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』の著者の
佐藤守氏は、とくに技術的な面に多く引用されています。しかし
既にこの本は絶版になっています。
─────────────────────────────
                  須藤朔/阪本太朗著
   『恐怖の空中接触事故/空の旅は安全か』(圭文社刊)
─────────────────────────────
 作者の1人である須藤朔氏は、1938年に海軍兵学校を卒業
し、マレー沖海戦やシンガポール作戦に参加しています。戦闘機
のプロです。スラバヤ沖海戦で、爆撃中に破弾し、右眼を失明し
ています。もう一人の著者、阪本太朗氏は、第13期海軍飛行予
備学生出身の元海軍中尉で、零銭や水上戦闘機など数機種を乗り
こなしている飛行機操縦のベテランです。
 この2人が注目しているのは目撃者の証言です。雫石事故の事
故調は目撃情報を完全に無視し、検討しなかっといわれます。こ
れは、JAL123便墜落事件でも同様です。もっとも123便
墜落事件の場合の目撃情報は、123便を追尾する2機のファン
トムですが、自衛隊自身が2機のファントムを認めていないので
すから、無視せざるを得なかったといえます。
 しかし、この目撃情報はたくさんあるのです。彼らの目指して
いたのは、全員死亡の「死人に口なし」です。それを青山透子氏
がこつこつと膨大な目撃情報を集めて、JAL123便墜落事件
の真相に迫っているのです。
 須藤朔氏と阪本太朗氏は、雫石事故は晴天の昼間のことであり
多くの目撃情報があるばずと考え、目撃証言を収集し、詳細な分
析チャートを作成しています。須藤朔氏と阪本太朗氏は、目撃情
報について次のように述べています。
─────────────────────────────
 この事故の場合には多数の目撃者があったが、その大部分は接
触の25秒〜30秒後に高度2万2000フィート(約6700
メートル)で、全日空機が音速の壁にぶちあたって空中分解した
ときの衝撃音を聞いてから空を見上げているから、空中分解地点
の真下にいた目撃者でも分解した破片や白煙のようなものを見た
のは、接触の約45秒以降であって、一分くらいたってから見て
いる者も多い。
 調査報告書添付のフライト・データ・レコーダー記録によると
全日空機の空中分解したときの速度は、マッハ約0・93になっ
ているが、実際にはマッハ1・0になつていて、音の壁に突き当
たって分解した可能性のほうが大きいと考えられる。
                  ──須藤朔/阪本太朗著
     『恐怖の空中接触事故/空の旅は安全か』(圭文社刊)
─────────────────────────────
 少し専門的なので解説します。目撃情報といっても高度2万2
000フィート(約6700メートル)の上空の話なのです。人
は四六時中空を見上げているわけではないので、衝突の瞬間を見
る可能性は低いです。したがって、目撃情報のほとんどは、何ら
かの衝撃音を聞いて空を見上げてのものなのです。
 しかし、次の中川幸夫氏(当時年少者)は重要です。中川氏は
たまたま野球をやっていて、一塁ベース上で何気なく空を見上げ
たとき、目撃しているのです。
─────────────────────────────
 目撃者・中川幸夫氏の証言は、「西山中学校校庭の野球グラウ
ンドの一塁ベース付近でたまたま上空を見上げた時、講堂の三角
屋根のすぐ上空に大型機を発見、つづいてその少し西側前方に見
えたキラキラ光った小さな機影と大型機とが接触し、大型機が白
い煙のようなものをふくのを見た」とかなり詳細ですが、須藤氏
は「一塁ベースが固定のものであったことと、講堂の屋根という
固定の補助目標があったことから、かなり精度の高い方位と仰角
(約50度)が得られ、判明している飛行高度とあいまって接触
の概略位置を知るのに役立った」とし、「なお、中川君はこの証
言について、全日空の調査団から面と向かって「ウソを言ってい
る」となじられ、憤慨したことがあるという」と害いています。
証言者が年少だったからとはいえ、その異常な態度は脅迫によ
る口封じ″としか考えられません。  ──佐藤守著/青林堂刊
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
 この中川氏の目撃情報が重要なのは、一塁ベースと講堂の屋根
という2つの固定の補助目標があったことから、かなり精度の高
い方位と仰角が得られ、接触位置をほぼ正確に特定していること
にあります。それによると、「講堂の三角屋根のすぐ上空に大型
機を発見、つづいてその少し西側前方に見えたキラキラ光った小
さな機影と大型機とが接触」と証言しています。つまり、西側前
方の小さな機影(自衛隊機)に大型機(全日空機)が接触──全
日空機が自衛隊機に接触したといっているのです。これに対して
中川氏は全日空の調査団から「ウソをいうな」とクレームをつけ
られています。全日空の調査団は、少年に事実を指摘されてひる
んだのでしょう。
 須藤朔氏と阪本太朗氏は、この中川証言と落下しているさまを
撮った貴重な写真数枚などによって、自衛隊機と全日空機の接触
地点を割り出していますが、事故調の推定位置よりも、約7キロ
メートル西北西の北緯39度44・1分、東経140度52・7
分の自衛隊訓練空域内なのです。まさに決定的証拠です。
         ──[日航機123便墜落の真相/069]

≪画像および関連情報≫
 ●情報の恐ろしさ/雫石事故
  ───────────────────────────
   SA341さんが航空自衛隊F86と全日空B727の衝
  突事故に関して持っておられる情報でF86がぶつけられた
  という表現は妥当では無いという書き込みをされました。
   事故当初の報道やその後の報道を情報として持っているだ
  けではいかに航空関係者とそのように思うのはごく自然なの
  かも知れません。しかし当時事故のまじかで報道に接したり
  一部裁判の内容をじかに本人から聞いたり、本当に少ない自
  衛隊擁護の出版物を見聞きしたりした立場からは、ぶつけら
  れたという表現が本当に自然と出たものです。
   一番の理由でこれは事実なのですが、数値は正確ではあり
  ませんが、B727は400ノット程度、F86Fは350
  ノット程度だったと思いますが、普通に考えれば、F86が
  B2にぶつけることは相当に困難です。
   事故後の機体の残骸から水平直線飛行中のB2の水平尾翼
  が左へ60度バンク中のF86の右主翼の付け根から1メー
  トル付近を後方からぶつかって切ったようなあたり方をした
  ことが証明されています。
   また当てられた同期のIは約3マイル離れた教官機からボ
  ギープルアップとの無線を受けて周りを見渡したときに右後
  方から接近するB2のノーズをまじかに確認し左へ避けよう
  として60度バンクくらいで後ろからぶつけられています。
  この証言は機体の残骸の調査とも整合性があります。また、
  B2ぶつかるまで全く回避操作をした形跡が無いことはフラ
  イトレコーダーの解析から証明されています。
                  https://bit.ly/2QkAJmo
  ───────────────────────────
  ●写真の出典/──佐藤守著/青林堂の前掲書より

雫石空中衝突事故/衝突直後の写真.jpg
雫石空中衝突事故/衝突直後の写真
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2018年11月27日

●「なぜ、自衛隊が犯人にされたのか」(EJ第4898号)

 1971年7月30日、午後の参院運輸委員会では、同じ年の
7月3日に起きた「ばんだい」号墜落事故に関する審議が行われ
ていたのです。「ばんだい」号墜落事故とは、函館空港に着陸寸
前の東亜国内航空のYS─11が函館郊外の山地に墜落した航空
機事故のことです。
 そのとき、委員会には、航空評論家の関川栄一郎氏、楢林寿一
氏、航空安全推進連絡協議会事務局長松田更一氏などの民間の専
門家が呼ばれていたのです。そこに、雫石空中衝突事故のニュー
スが飛び込んできます。
 雫石事故のことを知った運輸委員会のある議員は、次のような
常識では考えられない発言をしています。当時航空機事故は頻発
していましたが、運輸委員会の委員にしてこの程度のレベルだっ
たのです。
─────────────────────────────
 晴天に近い天候らしいから、接触した時点で、おそらく乗客も
事故が起きたな、ということは全部分かっていると思う。だから
緊急用の落下傘が装備されていたら、何人かは脱出できたかもし
れない。全日空の飛行機に落下傘の用意が完備していたかどうか
これは後で問題になると思うが、おそらく装備されていたことは
間違いないし、もし、これが、装備されていなかったのならば大
問題だ。              ──佐藤守著/青林堂刊
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
 雫石事故が起きたことを伝えられ、丹羽喬四郎運輸大臣は委員
会を退席しますが、丹羽大臣は、事故調査委員会が立ち上がった
ときの挨拶で次の発言をしています。
─────────────────────────────
 この事故の原因は、もうはっきりしているのだから、ぜひ結
 論を急いでもらいたい。     ──丹羽喬四郎運輸大臣
─────────────────────────────
 これから事故調査を始める事故調査委員会での運輸大臣の発言
です。まるで、「調査はするな。当方の指示に従え」といわんば
かりの発言です。運輸大臣がこういう発言をするということは、
その決定はさらに上の指示でなされていることになります。
 この発言を契機として、まだ事故の原因調査がはじまっていな
い段階から、メディアは「自衛隊の犯罪」として、自衛隊悪玉論
で紙面を飾ったのです。したがって、国民の多くは、自衛隊機が
民間航空路に侵入し、その航空路を飛行していた全日空58便に
空中衝突したものと今でも信じているはずです。
 自衛隊機か全日空機か──これについては、はっきりしていま
す。全日空機が自衛隊の設定した訓練空域に侵入し、後ろから自
衛隊機に衝突したのです。そのとき、全日空機は自動操縦状態に
なっており、コックピットには人はいなかったと考えられます。
クルーたちは遅い昼食をとっていたものと考えられます。もし、
全日空機のパイロットが見張りをしていれば、事故は絶対に起っ
ていないのです。
 それなのに、あくまで自衛隊の犯罪とするのは、当時の全日空
の経営状態が深刻だったからです。全日空は、1966年に2件
の航空機事故を起こしています。1966年2月4日の羽田沖事
故と11月13日の松山沖事故です。どちらも乗客乗員全員死亡
であり、羽田沖事故は133人、松山沖事故は50人が亡くなっ
ています。その補償だけでも大きく経営を圧迫しています。
 その全日空を建て直すため、元運輸省事務次官の若狭得冶氏が
社長に就任し、再建途上だったのです。当時航空業界は大型機時
代に入っており、全日空では、若狭社長が新機種選定委員長にな
り、調査団を米国に派遣するなど、大わらわのときに雫石衝突事
件が起きたのです。そして、この新機種選定作業があのロッキー
ド事件を引き起こすことになります。したがって、この衝突事故
の非が全日空側にあるとすると、全日空は倒産せざるを得ない状
況にあったといえます。
 これに対して正反対の論陣を張った本が、須藤朔/阪本太朗著
『恐怖の空中接触事故/空の旅は安全か』(圭文社刊)です。そ
の冒頭の記述を引用します。
─────────────────────────────
 本書は、「自衛隊の訓練機が定期旅客機にぶっつかって162
名の尊い生命を奪った」とする圧倒的な世論に疑問を持った著者
グループが、事故直後から5年有半──マスコミには忘れられ政
府機関による審査や調査或いは捜査などがすべて終わった後も、
真実を求めて独自の執拗な調査研究を積み重ね、論証だけでなく
自衛隊パイロットの無実を立証する重要な証拠と証人をさがしあ
てた、悲願達成の記録である。
 この記述の中には、政府事故調査委貝、官僚、国会議員などに
ついて、氏名を明らかにし名誉毀損とも受け取られかねないよう
な批判を加えた箇所が少なからずある。社会的に信用を失墜して
不利益をこうむる人が出る可能性のあるこのような一見アクの強
い筆法は、できるだけ避けるのが常識的であろう。
 だが、世論はあまりにも真実とはかけ離れている。政府事故調
査委員会の解析と結論、それに盛岡地裁の第一審判決には初歩的
な誤判断が多すぎた。本書で批判した人々は、どう考えてみても
被害者≠フ立場にある2人の自衛隊パイロットを、無知からで
はなかったとしたら不純な動機から殺人者″に仕立て上げよう
とした、卑劣な輩としか考えられない。
 仮に本書によって不利益をこうむる者がいたとしても、それは
その人自身が招いたものであり、ここ数年問にわたって不当な非
難と処遇に耐えてきた2人の自衛官の苦痛や不利益を考えれば、
甘受すべきではなかろうか。     ──須藤朔/阪本太朗著
     『恐怖の空中接触事故/空の旅は安全か』/圭文社刊
                 ──佐藤守著の前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/068]

≪画像および関連情報≫
 ●ロッキード事件とは何か
  ───────────────────────────
   ロッキード事件とは、戦後最大の汚職事件といわれた事件
  です。田中角栄元首相や昭和の怪物といわれた児玉誉士夫な
  ど名が事件の重要人物としてあげられることになりました。
   このロッキード事件では、未だ謎の部分も多く、丸紅、全
  日空など複雑な絡みもあり、「ロッキード事件」という名前
  は聞いたことがあるけど内容がいまいちわからん!という人
  も多いのではないでしょうか?今回は、ロッキード事件につ
  いて簡単になるべくわかりやすく説明していきますね。
   1976年2月にアメリカの航空機製造会社のロッキード
  社から日本側に30億円以上のお金が渡ったことが発覚しま
  す。当時、ロッキード社は破産寸前の状態にまで追い込まれ
  ていました。ベトナム戦争の終結などにより赤字経営が続い
  ていたんですね。そこでロッキード社としては飛行機を売り
  込みなんとかこの赤字状態から抜け出したいわけです。
   しかし、ロッキード社はアメリカの会社。日本に売り込み
  たくても橋渡ししてくれるパイプが必要なんですね。そのパ
  イプ役をしていた会社が丸紅という会社です。丸紅は「飛行
  機を売りたいなら、いっそのこと政治献金しましょう」って
  感じでロッキード社に持ちかけるんです。そしてロッキード
  社から預かった5億円を田中角栄に渡したとされています。
   実際、その後、全日空はロッキード社からトライスターと
  いう飛行機を購入しています。では、なぜ全日空はロッキー
  ド社から素直にトライスターを購入したのか?何のメリット
  があったのか?         https://bit.ly/2zq7FQK
  ───────────────────────────


全日空/若狭得治社長.jpg
全日空/若狭得治社長
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2018年11月26日

●「雫石事故の事故調結論に異議あり」(EJ第4897号)

 雫石空中衝突事件のときの事故調査委員会はどうなっていたの
でしょうか。当時航空事故の調査に当る機関は、政府が設置する
「政府事故調査委員会」です。しかし、このときは、事件が「自
衛隊=防衛庁」と「航空行政=運輸省」にまたがり、その問題を
「裁く=法務省」なので、総理府総務長官委嘱の委員会として設
置されています。
 しかし、総理府の役人に専門的事項を調査する能力はないので
実質的には運輸省主導で次の5人が決められています。
─────────────────────────────
     山県昌夫 ・・・・ 宇宙開発委員会委員
     荒木 浩 ・・・・     東洋大教授
     井戸 剛 ・・・・     東海大教授
     瀬川貞雄 ・・・・   日航航務本部長
     後藤安二 ・・・・  日航航務副本部長
─────────────────────────────
 この政府事故調のメンバーについて佐藤守氏は、当時航空評論
家の楢林寿一氏が上げている以下の「事故の原因が曖昧になる9
つの項目」をベースとして、次のように批判しています。楢林氏
は、元運輸省航空局技官を務める専門家です。
─────────────────────────────
   @利害関係       E無能力
   Aセクショナリズム   Fお粗末実験
   B血縁関係       G死人に口なし
   Cこじつけ論理     H調査担当者の適性不良
   D各個撃破
 この場合、瀬川、後藤の両氏は日航の航務本部長と副本部長と
いう関係だから@利害関係、Aセクショナリズム、B血縁関係に
該当するといえます。中でも瀬川氏は日航職員になる前は運輸省
航空局の参事官、いわば天下りでした。彼は事故調査も峠を越し
た翌昭和47年春に、運輸省管轄下にある航空大学校長に任命さ
れています。
 須藤氏は「ジェット・ルートJ11Lの中に、瀬川氏の航空大
学学長就任が運輸省の願望に寄与したことへの論功行貿であった
のか、逆に、同氏に「全日空機側の過失も見逃さない」とする強
い姿勢があったので、それを懐柔するためだったのか、或いは事
故調査問題とは全く無関係だったのか、その辺の真相は分からな
い」と意味深長な書き方をしていますが、JR西日本の事故調査
で事故調と会社が癒着していたことを思い出します。
 委員長の山県氏は、宇宙開発委貞、東大名誉教授、学士院会員
という輝かしい肩書きの造船工学の権威ではありましたが、航空
機、特に運用関係は全くの素人だったといっても過言ではないで
しょう。(中略)
 その他の委員に2人の大学数授が入っていますが、空中勤務を
経験しない「教授殿」に、設計や構造力学的な問題を調査しても
らうのならいざ知らず、空中での運行に関わる事故原因調査が出
来るとは私には思えません。とりわけ井戸剛・東海大教授は、事
故発生翌日、「毎日」「読売」新聞に登場して、散々自衛隊側を
罵倒したご本人です。こんな偏向した素人教授が、なぜ委員会に
入ったのか?
 事故当日中に既に4人の委員が決定していたが、31日追加さ
れて入ったのが井戸教授だということは、あまりにも出来すぎて
いて不自然ではありませんか。少なくとも彼は、楢林氏の説に照
らせば、C〜Hの全てに合致する「不適格者」ですが、裁判の過
程を見ると、@にも適合するのは明らかですから、彼が事故調査
委貞に入ったのは何らかの策謀≠セったと言われても仕方ない
でしょう。             ──佐藤守著/青林堂刊
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
 問題は、この政府の事故調が何をしたかです。事故調は次の2
つのことを主張しているのです。
─────────────────────────────
 1.全日空機は、飛行計画書に記載されている通り、J11
  Lに沿って飛行している。
 2.全日空機は、少なくとも接触約7秒前から、86F機を
  視認していたはずである。
─────────────────────────────
 「1」に関しては、何をもってそういい切れるのか証拠がない
のです。この部分をもっと正確にいうと、58便は7月30日、
午後1時33分に予定時刻より53分遅れて千歳空港を離陸し、
千歳のレーダー管制を受けつつ上昇し、札幌管制所の管制下に移
行、午後1時46分に函館NDBを高度22000フィートで通
過、そこで次の松島NDB通過予定時刻は、午後2時11分であ
ると通報しています。さらにその4分後の午後1時50分に高度
28000フィートに到達したことを札幌管制所に報告し、水平
飛行に移った時点で自動操縦に切り換え、計画書通りに松島ND
Bに向けて南下したことになっています。
 これはあくまで報告であって、本当にそうであったかどうかは
わからないのです。そのように報告して、実際は仙台VORに向
かうことは、全日空では日常茶飯事になっていたからです。
 まして「2」に関しては、何の証拠もないのです。もし、本当
に接触約7秒前から86Fを視認していたのであれば、なぜ回避
行動をとらなかったのでしょうか。証拠がないのです。
 実際に民事訴訟の東京地裁は「接触するまでまったく視認して
いなかった」と事故調報告を完全否定しています。まさに「死人
に口なし」であり、生存者がいなければ何とでもいえるのです。
 そうすると、衝突時間は午後2時2分39秒とされているので
自動操縦に切り換えてから12分28秒後に衝突されたことにな
ります。この間、全日空クルーは食事をしていたのであり、見張
りはしていなかったと考えられます。このように事故調の結論は
かなり恣意的です。──[日航機123便墜落の真相/067]

≪画像および関連情報≫
 ●雫石事故について〜国軍の名誉とは何か〜 by朝大嫌
  ───────────────────────────
   須藤・阪本両氏の緻密な研究を「文系のバカ」の私が要約
  するのは至難の業なのだが、私にも理解出来る重要ポイント
  だけに絞って縷々、述べることとしよう。
   最初にハッキリさせておくべきことは、「ANA機の方が
  空自機(F86F戦闘機)より優速だった」ということであ
  る。空自機は、ANA機(ボーイング727−200)より
  遅かった、ということなのだ。
   世間一般の常識は「戦闘機は旅客機よりスピードが速い」
  というものだろう。その常識は一般論として正しいが、雫石
  事故の場合は断じて「否」である。
   しかも、F86Fは将来の戦闘機乗りが使う練習戦闘機と
  いうべき機種であり、事実、ANA機に背後からぶつけられ
  たF86Fを操縦していた市川二曹は、編隊飛行訓練中の訓
  練生だったのである。
   航空自衛隊の戦闘機が「無謀にも」民間航空路に侵入し、
  民間機(旅客機)と衝突して空中分解・墜落させ、罪もない
  民間人を162名も殺した、とマスゴミは狂気のように吠え
  立て、防衛庁長官(当時)を辞職に追い込んだ。科学的検証
  など皆無であり、一方的な自衛隊叩きはマスゴミの底知れぬ
  左翼偏向ぶりと反軍思想を如実に示すものだった。当時の新
  聞縮刷版を読むたび、吐き気を催す。須藤・阪本両氏の疑問
  のエッセンスは、こういうことである。
                ──「幻の憲法」サイトより
  ───────────────────────────


最悪の雫石空中衝突事故.jpg
最悪の雫石空中衝突事故
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2018年11月22日

●「全日空機に航空法違反の疑いあり」(EJ第4896号)

 千歳空港を出発するに当たって、58便の川西機長が、運輸省
千歳空港事務所に提出した飛行計画書には次のルートにしたがっ
て飛ぶことが明記されています。
─────────────────────────────
 13時15分千歳離陸(予定)
 J10L → 函館NDB → J11L → 大子NDB 
 → J25L → 佐倉NDB → 木更津NDB → 14
 時35分羽田着          ──佐藤守著/青林堂刊
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
 専門的なので詳しい説明を省略しますが、「J××L」という
のは、ジェットルートといい、計器飛行で無線施設間を飛ぶ一本
のライン(直行経路)のことです。24000フィート以上で飛
ぶルールになっています。
 しかし、このように飛行計画書を出しても、少なくとも当時は
必ずしも飛行計画書通り飛ぶとは限らないのです。昨日のEJの
コックピット内における機長と副操縦士の対話を思い出していた
だきたいのです。再現します。
─────────────────────────────
機長:こんなに良く見える日は航法に気を使うことはないよ。今
 日は大分遅れたたから、仙台のVORで、気楽に近道と行こう
 じゃないか。
副操縦士:そうします。ところでキャプテン、おなかの方は?
機長:ペコペコだよ。千歳じゃ食べている暇はなかったからな。
 “ジョージ”(自動操縦装置)におまかせして、昼食にすると
 しよう。            ──佐藤守著の前掲書より
─────────────────────────────
 このやり取りで重大なのは、「今日は大分遅れたたから、仙台
のVORで気楽に近道と行こう」という部分です。飛行計画書で
は函館NBDから「J11L」というジェットルートに乗ると書
かれているのです。当然自衛隊側もそのことを知っています。そ
のため、それを避けて訓練空域が設定されています。なお当時は
函館NBDから、仙台VORルートに乗るジェットルートは開設
されておりません。なお、墜落して破壊された58便の機長側の
ルート指示機には「仙台VOR」にセットされた状態になってお
り、このルートを飛行しようとしたことは間違いないのです。
 飛行方式には、次の2つがあります。
─────────────────────────────
       1.有視界飛行方式(VFR)
       2.計 器飛行方式(IFR)
─────────────────────────────
 有視界飛行方式とは、パイロットの責任において飛行する方式
です。これに対して計器飛行方式とは、飛行コースを申請し、承
認されたコースと高度を計器に従って逸脱しないように飛行する
方式のことです。当時の飛行方式は、このVFRとIFRの両方
を使っていたのです。
 それとは別に、当時は「VMCオントップ」という飛行方式も
認められていたのです。これについて、佐藤守氏は、次のように
述べています。
─────────────────────────────
 「VMCオントップ」というのは、通常「雲上有視界飛行」と
いっていましたが、使用飛行場が計器飛行状態(IMC)である
場合、計器飛行方式による出発を予定して申請し、航路などの指
定を受け、離陸して雲上に出て、「VMC(有視界飛行状態)」
が確保できると判断される場合には、地上管制官に「VMCオン
トップ」と報告してIFRをキャンセルし、VFRで飛行するも
ので、この時点で管制官の仕事は軽減されます。
 我々もよく使用していたものですが、その条件は雲の頂上(ト
ップ)から1000フィート(約300メートル)以上離れて飛
行することが出来ること、及びVFR同様、高度をIFRの高度
と500フィート差をつけることでした。その基準を守れば、管
制指示を受けなくとも自由に飛行できるから、民間機パイロット
も重宝していたのです。しかしこれは雫石事故の後、ニアミスの
可能性があると運輸省が禁止しました。
                 ──佐藤守著の前掲書より
─────────────────────────────
 もし、飛行計画書に届けていた「J11L」というコースを飛
行せず、断りもなく、仙台VORに向けて飛行した場合、明らか
に「航空法違反」になります。しかし、当時は、こんなことは日
常茶飯事に行われていたのです。とくに全日空機は、申請した航
空路を恒常的に無視するという重大な航空法違反を繰り返す常習
犯だったといわれています。
 背景として、この全日空の運行にみられるように、操縦クルー
の過密なスケジュールがあります。既に述べているように、事故
機は1日に、千歳と羽田を3回往復しているのです。これでは食
事をするヒマすらないのです。そのため、操縦クルーは少しでも
時間を節約しようと、計画書とは異なる仙台VORを通るショー
トカットを行っていたものと思われます。したがって、千歳から
羽田に向う50便でも、羽田から千歳に戻る57便でも、おそら
く、このコースを通っていたはずです。
 そのため、再び千歳から羽田に向う58便でもこのコースを使
い、仙台VORの進路を取り、28000フィートの巡航速度に
到達して水平飛行に移った後、自動操縦装置に切り換えて、操縦
クルーは3人一緒に昼食をとったものと思われます。もし、一人
でも見張りをしていれば事故は防げたはずです。
 しかし、添付ファイルにあるように、そこは自衛隊の訓練空域
であり、「A」のところで、自衛隊機と接触したのです。時刻は
14時2分31秒。なお、事故調は衝突場所を「B」としており
時刻は14時2分39秒です。
         ──[日航機123便墜落の真相/066]

≪画像および関連情報≫
 ●計器飛行方式と有視界飛行方式
  ───────────────────────────
   計器飛行とは読んで字のごとく、各種の計器から得られる
  情報だけを頼りにして行う飛行のこと。計器によって機体の
  状態や現在位置を把握して、進むべき針路を決めたり、上昇
  ・下降したりする飛行の形態を指す。ちなみに航空法では、
  「航空機の姿勢、高度、位置および針路の測定を計器のみに
  依存して行う飛行をいう」とある(第一章「総則」の「第二
  条(定義)」以下、第16項)。
   計器飛行を行うためには、所定の訓練を受けて試験に合格
  して、計器飛行証明という名の免許を取得する必要がある。
  計器に頼って飛ぶということは、計器の読み方・使い方を正
  しく知っていなければならないということだからそうなる。
   ずいぶん昔の話だが、日本航空のパイロット訓練生が計器
  飛行の訓練を行うために、外が見えないように頭の上からバ
  イザーを被って操縦している写真を見たことがあった。上半
  分はまるごと覆われた状態で目の前の計器盤だけが見える。
  その計器盤に並んだ計器だけを頼りにしなければならない状
  態を物理的に作り出しているわけだ。ややこしいことに、計
  器飛行に加えて計器飛行方式(IFR)という言葉があって
  この両者は別物である。計器飛行方式のキモは、「事前に飛
  行計画書を提出して」「航空管制官の指示に従いながら飛行
  する」点にある。        https://bit.ly/2DxMHSV
  ───────────────────────────

58便は自衛隊機とどこで衝突したか.jpg
58便は自衛隊機とどこで衝突したか
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2018年11月21日

●「58便コックピットの中での対話」(EJ第4895号)

 佐藤守氏の本にコックピットでの次の会話が出ています。これ
は元海軍パイロットの須藤朔氏と阪本太朗氏の著作に出ていたも
のです。58便が千歳を離陸してから上昇し、28000フィー
トで水平飛行に移るまでの間のコックピットの状況を推定して、
それを「再現」しています。そのときの全日空機のコックピット
内の雰囲気がわかるので、少し長いが引用します。
─────────────────────────────
 操縦席の辻副操縦士が、隣の席(左席)の機長に声を掛ける。
「キャプテン、機首方位が安定しませんね。風向の違い(高度に
よって)が大きいようです」
 川西機長がうなずく。
「うん、速度も落ち着かないね。だが、この程度では酔っ払うお
客さんはいないだろうよ。まあ、シートベルトを、もうしばらく
着けていてもらうことにしようか」
 機は函館まで、後約30マイルの地点に来ていた。
「千歳レーダー、こちら全日空58便。高度1万5000フィー
トを越えた」
 管制通信は副操縦士の仕事である。すぐに管制塔のレーダー担
当から応答がある。
「全日空58便、諒解。2万8000フィートまで上昇、その高
度を維持せよ。現在位置は函館ラジオ・ビーコンの北東30哩。
レーダー応答機の識別符号は分類2300を使え。レーダー管制
空域は終わった。管制通信電波周波数を135・9メガヘルツに
切り替えて札幌管制部と連絡を取れ」
「58便、諒解、札幌管制部と連絡する」
 ここで全日空58便は、千歳空港管制塔の管制下をはなれた。
管制交信記録によると、全日空58便は、13時46分に高度2
万2000フィートで函館上空を通過したこと、ついで約4分後
の13時50分11秒には高度2万8000フィートに達したこ
とを札幌管制部に報告している。
 58便が巡航速度に達して水平飛行に入ったのは、青森県下北
半島の西岸上空で、陸奥湾へ後12、3キロの地点だった。
 機長が副操に声をかける。
「今日は往復とも天気には恵まれたね。もう80哩(約150キ
ロ)先の岩手山が見えているよ」
 このときの機首方位は185度(真南より5度西寄り)真対気
速度は400ノットから刻々上昇しつつあった。
「これほどの視界はめったにありませんな。風は右正横からで約
40ノット(秒速約21メートル)、偏流(風下側に流される角
度)は現在約6度です」
「巡航速度になれば(偏流は)4度半から5度というところだろ
うな」と機長。
「十和田湖と岩手山の位置から見ると4、5キロ。ルートから右
にはずれているようですが・・・」
「こんなに良く見える日は、航法に気を使うことはないよ。今日
は大分おくれたから、仙台のVORで、気楽に近道と行こうじゃ
ないか」
「そうします。ところでキャプテン、おなかの方は?」
「ペコペコだよ。千歳じゃ食べている暇はないからな。“ジョー
ジ”(自動操縦装置)におまかせして昼食にしよう」
              ──須藤朔/阪本太朗著/圭文社
        『恐怖の空中接触事故=空の旅は安全か!?』
                  ──佐藤守著/青林堂刊
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
 なぜ、このような仮想対話になってしまうのかというと、衝突
した全日空機、B727─200型機(JA8329)には、ボ
イスレコーダー装備されていなかったのです。
 「そんな馬鹿な!」と誰しも思うはずです。確かに、これはお
かしいです。この事故機であるB727─200型機(JA83
29)は、製造10日後の昭和46年3月12日に、全日空社に
納入されたばかりで、ボイスレコーダーが付いていないはずがな
いからです。
 確かに1960年代後半の航空機には、必ずボイスレコーダー
が付いているという状況ではなかったのですが、昭和41年に起
きた全日空の次の2つの飛行機事故を契機として、ボイスレコー
ダーの設置が義務付けられるようになっていたからです。
─────────────────────────────
   ◎全日空羽田沖事故/B727─100型
    1966年 2月 4日/133人全員死亡
   ◎全日空松山沖事故/YS─11機
    1966年11月13日/50人全員死亡
─────────────────────────────
 これら2つの事故の原因は不明です。ボイスレコーダー(CV
R)が装備されていなかったからです。元航空庁長官で、日本航
空に天下りしていた大庭哲夫氏は、1966年の全日空の2つの
事故があった直後からボイスレコーダーの装備の必要性を説いて
いたのです。その大庭氏は1967年に事故続きの全日空の立て
直しのために全日空の副社長に就任しています。その4年後に雫
石事故が起きているのですが、その全日空機にボイスレコーダー
が装備されていないはずがないからです。
 全日空は1966年に2回墜落事故を起こした後、1971年
7月に雫石事故を起こしたことになります。いずれも乗客乗員全
員が死亡しています。そういう意味でも雫石事故だけは、国とし
て全日空犯人説はとれなかったのでしょう。
 事故機にはボイスレコーダーは装備されていたはずですが、そ
れを公開すると、自衛隊犯人説が崩れてしまうので、装備されて
いなかったということにしたのではないかと思われます。どうし
て、こうも自衛隊犯人説にこだわるのでしょうか。
         ──[日航機123便墜落の真相/065]

≪画像および関連情報≫
 ●昼間の大空で空中衝突が起こった日/雫石空中衝突事故
  ───────────────────────────
   岩手県は雫石町の上空で自衛隊機と全日空機が空中衝突し
  た「全日空機雫石衝突事故」は、1971年(46年)のこ
  の日に発生しました。旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中
  に接触し、共に墜落。機体を損傷した旅客機は空中分解し、
  乗客155名と乗員7名の計162名の全員が亡くなるとい
  う日本の航空史上に残る大事故でした。
   その日、北海道の千歳空港発の羽田行の全日空58便(ボ
  ―イング727)は、機材の遅れにより、午後1時33分に
  離陸します。その乗客の多くは団体旅行客の静岡県富士市か
  らの一行でした。58便は函館を過ぎたあたりから、高度を
  28000フィートに上昇し、宮城県の松島上空を目指して
  自動操縦で飛行していました。航空自衛隊のF86F戦闘機
  の2機は、編隊飛行訓練のため「有視界飛行方式」による飛
  行計画で、基地を午後1時28分頃に離陸しました。離陸前
  に教官は訓練生に対して訓練空域は盛岡であることを示し、
  訓練後は松島飛行場へ向かって自動方向探知機よる着陸訓練
  を行う予定であることを伝えていました。そして、午後2時
  過ぎ、事故が発生します。当時「雫石町上空は視界は良好」
  という環境下で、下層に雲が少しある程度だったそうです。
                  https://bit.ly/2DxTH22
  ───────────────────────────

大庭哲夫元航空庁長官.jpg
大庭哲夫元航空庁長官
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2018年11月20日

●「全日空58便の30日の乗務状況」(EJ第4894号)

 繰り返しますが、雫石空中衝突事故は、自衛隊機の“暴走”と
いうことで、裁判では決着がついていますが、事実はまったく逆
です。全日空機が自衛隊の訓練空域に入り込み、自衛隊の市川機
に追突して起きたのです。これは、詳しく事実をフォローしてみ
ると、正しいことがわかります。
 もし、これが本当であるとすると、自衛隊はなぜ黙っているの
でしょうか。なぜ、抵抗しないのでしょうか。もちろん自衛隊は
反論していますが、それは弱々しいものです。そこに国の判断が
入っているからです。
 なぜ、国は全日空に配慮したのでしょうか。
 ここがポイントです。当時は、第3次佐藤改造内閣でしたが、
その翌年に田中角栄内閣が誕生し、政界を巻き込むあのロッキー
ド事件が起きています。そのとき、全日空は疑惑の中心にいたの
です。国の決定はこういう時代背景と無関係ではないのです。
 この雫石空中衝突事故の起きた日、全日空機に何があったのか
について調べてみることにします。
 昭和46年(1971年)7月30日の朝、川西機長、辻副操
縦士、カーペンター航空機関士のクルーと4人のスチュワーデス
は千歳空港にいたのです。この朝一番の便である千歳発午前8時
40分、羽田着午前10時の50便の乗務をするためです。
 この羽田行きの50便で、クルーは午前9時過ぎに、盛岡付近
上空で、自衛隊の二機編隊を目撃しています。
─────────────────────────────
 当時の乗客の話によると、辻副操縦士が飛行機の速度、高度な
どを客室にアナウンスしていた時である、突然声が途切れた。5
秒ほどしてから「左手に自衛隊機の編隊飛行が見えます」といっ
て終わった。後でスチュワーデスがこの時の模様を尋ねたところ
辻副操縦士は「自衛隊機にヒヤッとしたんだ」と答えている。
   ──足立東著『追突/雫石航空事故の真実』日本評論社
                  ──佐藤守著/青林堂刊
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
 佐藤守氏が調べたところによると、このとき2機編隊飛行をし
ていたのは、浜松から松島派遣隊に異動してきた小野寺康充教官
と訓練生機だったのです。その小野寺教官は、訓練生機の下を通
る全日空機をみて、訓練生に注意しています。
 さて、全日空50便として羽田に到着すると、同じクルーで、
今度は羽田発57便として、午前10時50分に羽田を離陸し、
千歳に引き返すことになっています。しかし、50便の羽田到着
は午前10時であったので、時間は50分しか余裕がないことに
なります。乗客の降り乗り、機内の掃除、荷物の搬出と搬入、機
体の点検整備を50分でやることは神業です。すべてのことをき
ちんとやることが困難な時間といえます。
 操縦クルーは、その短い時間で、デイ・ブリーフィング(飛行
後の打ち合わせ)、千歳行きのための気象ブリーフィング、ディ
スパッチャー(運行担当者)との打ち合わせ、クルーの確認、機
長ブリーフィングと、トイレに行く時間もない忙しさです。
 しかし、そのときは、コックピットの防氷装置の不具合が発見
されたので、出発は39分遅れ、午前11時29分発になってし
まったのです。
 この全日空57便がいつ千歳に着いたのかについては不明なの
で推察するしかないですが、飛行計画から1時間20分の飛行時
間がかかるとして、午後12時50分になるはずです。機長の飛
行計画によると、この機は全日空58便として再び羽田に向うの
です。出発予定時刻は午後1時15分になっています。
 上記の足立東著『追突/雫石航空事故の真実』によると、午後
1時25分に駐機場から地上滑走を開始し、午後1時33分頃離
陸したことになっています。もし、千歳着が12時50分とする
と、準備には30分しか時間がなかったことになります。この時
間で必要なことをすべてやるのは不可能であり、操縦クルーやス
チュワーデスは、食事をするヒマなどなかったと思われます。
 この全日空58便が、実際にどのように羽田に向い、雫石町上
空で、自衛隊機と衝突したか、衝突までの状況を佐藤守氏の本か
ら引用します。
─────────────────────────────
 7月30日午後1時33分に、川西機長が提出した飛行計画よ
り18分、出発予定時刻の午後零時40分より53分も遅れて、
千歳空港を離陸した58便は、千歳のレーダー管制を受けつつ上
昇し、札幌管制所の管制下に移行、午後1時46分に函館NDB
を高度22000フィートで通過、そこで次の松島NDB通過予
定時刻は、午後2時11分であると通報しました。
 そして函館NDB通過後の1時50分に、高度28000フィ
ート(約8500メートル)に到達したことを札幌管制所に通報
し、この時点で機長は自動操縦に切り替え、以後計画書どおりに
「松島NDB」に向けて、高度28000フィートで南下したこ
とになっています。
 事故後に公表されたフライト・データ・レコーダー(FDR)
の記録によれば、以後、計器速度310〜318ノット(マッハ
0・79)、機首磁方位は189〜190度、垂直加速度がほぼ
1Gという水平定常飛行が、衝突時まで続き、好天に恵まれた穏
やかなフライトだったことを窺わせますが、進路維持には疑問を
抱かざるを得ません。       ──佐藤守著の前掲書より
─────────────────────────────
 これを見ると、操縦クルーは少なくとも午後1時50分までは
食事がとれなかったと思われます。このクルーの30日のフライ
トは58便で3回目であり、スチュワーデスの4人を含めて心身
ともに疲れ切っていたものと思われます。そこで高度28000
フィートに達したところで、自動操縦に切り換え、食事をとった
のではないかと推察されるのです。
         ──[日航機123便墜落の真相/064]

≪画像および関連情報≫
 ●予定便変更で生死を分けた42人と25人/朝日新聞
  ───────────────────────────
   飛行機の遅れがひどいため、たまりかねて一便予定を早め
  て命拾いした42人と「みんな一緒の飛行機で帰ろう」と一
  便遅らせて遭難した25人と──空中衝突した全日空58便
  の53分の遅れの離陸が団体客の「生」と「死」を分けた。
  日本旅行高知営業所などが募集した北海道観光旅行団に参加
  した高知県土佐市の高岡農協の42人は、運命≠フ全日空
  58便(千歳発予定午後12時40分)で東京へ向かう予定
  だった。
   ところが、この日は羽田空港上空の慢性ラッシュ″や、
  飛行機の整備などのため、千歳発の便が軒並み20分から1
  時間あまりも遅れており、58便も相当遅れる見込みになっ
  たため乗り継ぐ予定の大阪行き29便に間に合わなくなる、
  と、急ぎ一便前の82便に乗り換え、危機一髪で難をまぬか
  れた。一方、遭難した静岡県の吉原遺族会の一行125人の
  うち、100人はもともと58便に乗ることになっていたが
  25人は58便の席が取れなかったため、82便で一足先に
  東京へ向かうことにしていた。ところが、飛行機の遅れで、
  高知の団体のほか、一般客の中にも予定を変更して早い便に
  乗る人が続出して粥便の席が空いたため、「楽しい旅だから
  みんないっしょに帰ろう」と、25人はわざわざ一便遅らせ
  て、53分後に出発した58便に乗ったという。
           ──1971年7月31日付、朝日新聞
  ───────────────────────────

全日空/B727.jpg
全日空/B727
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月19日

●「航空路と訓練空域の錯綜のリスク」(EJ第4893号)

 雫石空中衝突事故の全日空側58便のクルーをご紹介しておき
ます。これらの操縦士は全員墜落死しています。
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        機長 ・・・ 川西三郎
      副操縦士 ・・・ 辻 和彦
     航空機関士 ・・・ D・M・カーペンター
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 川西機長について、操縦経歴をご紹介します。
 機長の川西三郎氏は、関西学院大経済学部卒業後、昭和30年
4月に陸上自衛隊幹部候補生学校に入校し、基本操縦課程を経て
第3、第10航空隊などで、主として小型機を操縦し、約6年間
陸自に勤務した後、昭和36年4月に退職、5ヶ月後に全日空に
入社しています。
 全日空での操縦歴は、ダグラスDC3、コンベアCV440、
フォッカーF27の機長を務めた後、B727に移り、事故直前
の昭和46年6月7日に機長資格を取っています。自衛隊時代か
らの総飛行時間は8033時間であるものの、B727について
は、242時間5分と短いのです。6月にB727の機長の資格
をとって次の月の7月の事故ですから、やはり慣れていない面が
あったことは否定できなないと思います。
 雫石空中衝突事故では、「航空路」とか「訓練空域」に関係す
る事故なので、「航空路」について知る必要があります。
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 航空路とは、航空機が飛行していく方向や飛行する高度を決め
て、安全に航行できるようにした「空の道」を指す。航路とも表
記する。航空機は、出発空港から到着空港までの間を一直線に飛
ぶのではなく、自動車や鉄道と同様に、決められたルートが存在
する。     ──ウィキペディア https://bit.ly/2FmVoBY
─────────────────────────────
 よく「民間航空路」とか「民間機専用航空路」とかいわれます
が、厳密には「航空路」ないし、「ジェット・ルート」と呼ばれ
ています。少し専門的になりますが、航空路には無線標識によっ
て、次の2つがあります。
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  1.NDB/Non-Directional (Radio) Beacon
       無指向性無線標識
  2.VOR/VHF Omnidirectional Range
    超短波全方向式無線標識
─────────────────────────────
 「1」の「NDB」というのは、主に中波を使って、航空機の
航法援助を行う無線標識です。2つの無線標識局を探知すること
により、三角測量によって現在位置を知ることができます。しか
し、NDBには誤差が大きい欠点があります。
 「2」の「VOR」というのは、VHF帯(超短波帯)を用い
る航空機用無線標識です。標識局を中心として、航空機がどの方
向にいるか知ることができます。
 現在では、より精度の高いVORを結んだ航空路が主流となっ
ており、これを「ヴィクター航空路」といいます。ヴィクター航
空路は、具体的にいうと、次のようなものです。
─────────────────────────────
 ヴィクタールートは、各VOR施設間を結ぶ通路で、中心線か
ら左右それぞれ最小7・2キロメートル、したがって全幅14・
4キロメートルを持つ通路です。VORよりも精度の落ちるND
Bを結んだ通路は、片側9キロメートル、したがって全幅18キ
ロメートルに設定されていました。これら、航空路を飛行する場
合は、その直線経路上を飛ぶのが原則ですが、上空の風などの影
響によって進路がずれた場合に備え、全幅10マイル幅をとって
対処しているのです。        ──佐藤守著/青林堂刊
          『自衛隊の「犯罪」/雫石事件の真相!』
─────────────────────────────
 佐藤守氏によると、空自の「訓練空域」はこれらの航空路を避
けたところ設定されますが、訓練の種類、たとえば、他基地への
連絡飛行や、航法訓練(クロスカントリー)などでは、当然のこ
とながら、航空路を使います。したがって、「民間航空路」のよ
うなものはなく、航空路はいわば「官民共用」なのです。
 しかし、飛行計画は事前に提出されるので、それを守っていれ
ば、空中衝突などは起こり得ないのです。問題は、民間機のジェ
ット化が当たり前になり、高度にしても、自衛隊機が使う空域に
似てきていることです。それに計器飛行と有視界飛行が同時に飛
ぶ危険性です。
 朝日新聞主催の「空中衝突危険いっぱい」という座談会で、司
会者と、渡辺正元空自総司令官、小山昌夫運輸省航空局東京空港
羽田主任管制官、関川栄一郎航空評論家とのとのやり取りに次の
ようなものがあります。
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司会:訓練空域が、空路に挟まれているのは問題ではないのか。
渡辺:航空路の”あき”はだんだん狭くなっている。関東も大坂
 も北九州周辺も、その例に漏れず、三角形の空路のスキ間を訓
 練空域に採用せざるを得なくなっている。高度も民間機がジェ
 ット化されてきている結果、航路と訓練空域が重なっている。
小山:空路と訓練空域の間に緩衝地帯を設ける必要がある。ジェ
 ット機時代になり、使用高度も2万〜3万フィートと自衛隊と
 よく似てきた。空には、道路のように、はっきりとした区分が
 あるわけではないので、自衛隊機が民間航路に入り込むおそれ
 は十分ある。
関川:計器飛行と有視界飛行が同時に飛ぶのは、航空路を横切る
 のにも無警告でいいなど現行法には不備がある。
                 ──佐藤守著の前掲書より
─────────────────────────────
         ──[日航機123便墜落の真相/063]

≪画像および関連情報≫
 ●上田晋也のニッポンの過去問/雫石空中衝突事故
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   1971年7月30日、全日空機と航空自衛隊の戦闘機が
  岩手県雫石町上空で空中衝突しました。戦闘機を操縦してい
  た自衛隊の訓練生はパラシュートを使い脱出しましたが、全
  日空機の乗客乗員162人は全員死亡しました。衝突してし
  まった原因は自衛隊側の「ずさんな飛行訓練計画」「教官機
  の誘導ミス」「パイロットの操縦の未熟さ」の3点と考えら
  れ、自衛隊には大きな批判が寄せられました。
   一方、全日空機側には「ボイスレコーダーが装備されてい
  なかった」「訓練機を視認していたと推定されるが直前まで
  回避操作が行われなかった」などといったことも事故原因と
  して挙げられました。
   この事故により空の安全対策が急がれ、空域内を飛行する
  全ての航空機に官制を受けることを義務付ける「特別官制空
  域の拡充」「フライトレコーダーやボイスレコーダーなどの
  装置の義務化」やトランスポンダと呼ばれる「空中衝突予防
  装置の搭載」も義務付けられました。
   さらには自衛隊・米軍・民間の空路の完全分離など雫石衝
  突事故を教訓に数々の安全対策が設けられ、この事故の反省
  により空の安全は大きな進歩をとげたのでした。
                  https://bit.ly/2Bcyjhp
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上田晋也のニッポンの過去問.jpg
上田晋也のニッポンの過去問
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 日航機123便墜落の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする